Fukupulio's Page

Blog
時事2

→1
→3

ホーム
ブログ

写真
旅の写真
  You Tube 
世界史Print
リンク

 




神 戸・お店
六 甲山とその周辺
時 事
集団的自衛権考
砂川事件判決
国旗・国歌訴訟
ギ ルガメッシュ叙事詩考

旧日本軍兵士にも戦争によるPTSD   2015 年8月19日
昨日の記事。旧日本軍兵士にも戦争によるPTSDはあった。それが社会として、あの戦争の加害行為を直視できない現在にも繋 がっているという指摘。
 《面接した患者の話で特に目黒の印象に残ったのは、軍での扱いと、加害行為でトラウマを負った例だ。たとえばこんな話である。
 「軍隊はひどいところで、まったく人間扱いされなかった。入隊9日目にひどい私的制裁(古参兵らによる暴行)を受けたのち、なにがなんだかわからなく なった」(元二等兵)
 「何度も討伐に参加し、非戦闘員の殺傷などが重なった。最も打撃を受けたのは、燃えている家に、消せるはずもないのに手桶(ておけ)で水をかける中国人 の老婆が母親そっくりにみえたことだ。ある討伐のあと、なにもわからなくなり、護送されるトラックの上で気がついた」(元一等兵)
 戦争神経症で国府台に入院したのは2205人。ほかの元兵士の戦後のふるまいにも、トラウマの影は色濃い。悪夢で跳び起きる、ひたすら働く、妻を殴る。 それらもPTSDの軍人によくみられる行動だ。
---------
 「集団が結束するのは、その集団に愛情を、外部に憎しみをもつ時。戦わなければ殺されると思う時。だからヒトラーはユダヤ人を、米国は共産主義やテロリ ストを利用して国民をまとめたでしょう。人間の心理は同じです。日本は島国で歴史が長く、まとまりやすい条件はあるけれど」
 ジルマーは、日本社会を一人の人間にたとえて話し出した。「日本はまだ、戦争のトラウマを癒やすプロセスを終えていない」というのである。米国も奴隷制 のトラウマが癒えないままだと、日本が特殊ではないことを強調しながら。
 言わんとするのは、こういうことだ。
 日本軍の加害に触れた時、日本では激しい論争が起きる。いまだに過去のこととして、冷静に議論するのが難しい。それは心の傷が、触れれば痛い状態のまま 残っているからだ――。
 心に傷を負った人はしばしば、その体験を思い出すのを避けようとする。PTSDの治療では、あえて体験に向き合い、話す手法が用いられる。言葉にするこ とで気持ちが整理され、癒やしにつながる。》










最悪の著作権侵害   2015 年8月18日
言葉だけコピーして中身を軍事力の行使に逆転させる。これも、むしろ最悪の著作権侵害じゃないか?
(戦争のない状態を「消極的平和」としたのに対して、貧困や差別といった構造的な暴力のない状態を「積極的平和主義」と定義)




どの言葉も重い   2015 年8月17日

「死んだ人のために、信念をもって生きる」(戦後に勤めた日銀は)「封建的で身分に縛られた組織」「おれは妥協できなかった。好きな俳句を武器にして、社 会への反骨を発散させたね」
「人間の皮をかぶった猛獣だよ」「せがれが死んで親が喜ぶはずがない」「死ぬために来たんじゃない。おれは自決はしない」
「戦友の分も恥をかきながら生きてるんでしょうな。1日でも生きて、戦争のない世界にしたいです」
「馬は70円。死なせると不名誉だが、おまえらは赤紙と同じ1銭5厘だ」「東京裁判の後ででも、日本は戦争責任を追及する裁判を独自に行うべきだった。戦 争を起こす人は決して出征しない。死んだら神社にまつってやると言うだけだろう。愚かなことだ」
「戦場では弾が夕立のように降ってくる。当たらない方がおかしいんだよ」「死んだ戦友たちは今、何を伝えたいだろう」「今のご時世、日本は憲法を改正して 戦争に備えるべきだ。戦争賛成の人などいないが、撃ってくる相手に話し合いなんて通じないよ」




沖縄戦慰霊の集い   2015 年8月17日
これは、辺野古移設への、また戦争法制へのご一家の静かな抵抗とうけとめる。




4月のLITERAコラム   2015 年8月17日
東日本大震災、人災である福島原発事故を自身のカルト的・政治的主張に利用する姿勢。やはりこの人物に文科相を担う資質は「永 遠の0」だ。
《英霊たちもやはり、天皇陛下のため、国のために散っていた。それは「心ならず」ではなく無私の心、つまり愛国の情だろう。
 靖国に参拝した小泉総理でさえ、やはり戦後レジュームの中で洗脳されていたのではないか。私は3.11を経てそれを考えた。
 やはり東日本大震災は「このままでは日本は滅びる。日本人よ目を覚ませ!」という天からの警告であったではないか。》
リンク先は、顔写真があまりに不快なので削除。
http://lite-ra.com/2015/04/post-1008.html




遺骨のない戦没者   2015 年8月16日
遺骨のない戦没者も、「英霊」として名前だけが靖国神社に合祀されている。「英霊」「靖国」は故人を肉親が真に追悼する機会を奪う国家の無責任な造語・装 置に過ぎない。
《こうした「空(から)の遺骨箱」は、戦況の悪化に伴い常態化するが、引き取る遺族の側には戸惑いもあった。そこで国は箱の中身が何であれ、〈英霊ハ必ス (ず)還(かえ)ル〉として、〈遺骨ナキ英霊ノ凱旋(がいせん)〉と宣伝した。浜井は「国は英霊という表現を使って『帰還完了』と読み替えさせた。遺族を 納得させる最終手段だった」と言う。》
《南方地域などに取り残された遺骨について国が収容を始めるのは、52年に独立を回復してからだ。50年代終わりになると、国は、すべての遺骨収容が不可 能であることを前提に「おおむね終了した」とする見解を示した。背景には、一部の遺骨を収容して、その戦域全体の戦没者とみなす「象徴遺骨」の考えがあっ た。
 だがこうした国の「読み替え」は方針変更を迫られる。64年に海外旅行が自由化され、旧戦地に足を運んだ戦友や遺族が遺骨の散らばる実情を目にしたた め、国は67年、派遣団による収容を再開。これまで計約34万人の遺骨を帰還させた。》
 《それでも、37年以降本土の外で戦没した約240万人のうち、約113万人が帰還できていない。国は06年以降、民間団体に現地の情報収集を委託して いる。》
 《本当に戦後が終わったと言えるのか。これらの骨を帰還させなければ、兵士は2度、見捨てられたことにならないか。次世代に背負わせてはいけない。(志 村英司)》




曖昧にして問題を先送り   2015 年8月15日
私自身は、「正戦論でも振りかざしそうなアベッチ首相にしては上出来」と受けとめた。内閣支持率30%台への転落と、なによりも「戦争法制」への国民の広 範な反対の動きが、渋々ながら従来の村山・小泉談話を「継承」させたのだと思う。
しかし冷静に読めば、曖昧にした部分(「お詫び」「反省」の間接的な使用。主語も具体的名称もない「侵略」「植民地支配」「女性の尊厳や名誉(の毀 損)」)は逆に問題解決を先送りしてしまっている。朝鮮、中国への侵略の道程としての日清・日露戦争への検証も欠いている。
これらは海外(欧米)からの分析。アジア諸国民からの意見も聞きたいものだ。
 「あらゆる人に理解してもらおう」と考えたのか、過去の談話と比べ、自らの意見を明確にしない方法を取ったように思える。
 例えば侵略や戦争という手段を「二度と用いない」というのは、裏返せば過去に行ったという意味だが、その行為に直接触れていない。女性の尊厳や名誉も 「傷つけられた」と受け身の形で、日本が行ったという表現ではない。第2次大戦全体への反省は伝わるが、植民地支配、特に韓国に対する行為を具体的に述べ ておらず、日韓関係への影響が懸念される。
 戦争への「悔悟」は、英文では「repentance」。キリスト教で、天国に行くために罪を認めるという非常に強い言葉だ。英語圏では日本が過ちを認 めたと受け取られるだろう。戦後世代に謝罪を続けさせてはならないという姿勢は評価するが、談話自体が歴史に「真正面から」向き合っておらず、表面的な言 葉だ。「難しい課題から距離をとって、真ん中をすり抜けた」という印象だ。(アンドルー・ゴードン 聞き手・染田屋竜太)
 「おわび」や「侵略」が盛り込まれた談話を引き継いだことをどう評価するかは、被害を受けた側が決めることだ。談話そのものはあくまで言葉に過ぎない。 評価は、今後の行動とセットで定められる。
 ドイツでは、今年になってようやく、旧ソ連の捕虜への補償が決まった。過去の問題への取り組みは、今の行動の問題として続いている。戦争が終わってから 長い時間が経つが、過去と未来のつながりは、言葉の問題だけで済む問題ではない。

 「記憶・責任・未来」財団は、ドイツが他国の国民に行った強制労働に対する補償に取り組んできた。そのなかで、痛感させられたのは、戦争被害における加 害側と被害側に横たわる大きな認識の差は、実際に両者が向かい合わないと、互いに気付かないということだ。談話を機に、政府や企業、そして市民など様々な レベルで、認識の差に気づき、埋める努力を今以上に具体的に進めていくことが重要だ。(ウダ・ゲルラント 独「記憶・責任・未来」財団 聞き手・高久潤)
 談話は、歴史的事実を正しく認識しておらず、とても失望した。
 日露戦争がアジアやアフリカを勇気づけたなど、ばかげている。記述は、歴史上の事実をごまかそうとする試みに思える。日本が宣戦布告前に行った真珠湾攻 撃は忘れられている。韓国の併合と植民地化は言及と後悔の言葉に値するのに、わずかしか触れられていない。
 談話には、日本が過ちを犯したという誠意のない告白ではなく、事実に真摯(しんし)に向き合う姿勢を期待していた。歴史の解釈を変え、ごまかそうという 安倍政権の歴史修正主義が垣間見え、非常に憤りを覚える。
 女性たちの名誉と尊厳が傷つけられたことや、元捕虜の苦しみに言及したこと、また村山談話を踏襲する「おわび」や「痛切な反省」の言葉が盛り込まれたこ とは評価する。安倍首相が、平和と民主主義に取り組むというこの談話を、うわべではなく、行動で示していくことが必要だ。(ヒュー・コータッツィ 元中日 英大使 聞き手・渡辺志帆)


核兵器の新たな使用を防いだのは人間の記憶   2015 年8月14日
NHK、このところニュースはほぼダメだが、ドキュメンタリーでは頑張っている。「ヒロシマ」(1946)の著者ジョン・ハーシーの孫が被爆70年後そこ に描かれた広島の6人の被爆者(谷本清牧師、ウィルヘルム・クラインゾルゲ司祭、藤井正和医師ら)の子供、孫、関わりのある人々を訪ねる旅。前後編。
「ヒバクシャのいなくなる日が来る。しかしヒバクシャの記憶の集積は人類が生存し続けるための偉大な希望として残されている」「ヒロシマのあの日の記憶を 持った人たちにその記憶を伝えて欲しい」「非常な苦痛を被った被爆者がその記憶を伝えている。それが我々を核の破滅から守ってくれているのだ」
「兵器によって兵器の使用を抑止することはできない。核兵器の新たな使用を防いできたのは、人間の記憶、広島と長崎で人類に何が起こったかという記憶なの だ」
これら1985年ハーシーの広島再訪のときの言葉が重い。高齢化する被爆者の記憶を語る声に耳を傾け集積し、どのようにして国境や世代を超えて継承してい くのかという問いを見るものに投げかける。
「原爆の真実を描いている。世界中が深く憂慮しなければならない」(アインシュタイン1946)


どれも傾聴すべき言葉   2015 年8月14日
「地域を築くには何十年もかかるが、失うのは一瞬だ」
「原因究明もなく福島をないがしろにしたままの再稼働は、被災者の心を逆なでするものだ」
「数万人がいつまでいるか分からないのに、避難先を決められない」
「真面目に検討すればするほど、避難計画など作れるはずがないとわかる。体裁を整えるだけの計画は不誠実だ」
「もう事故は起こらない。そう思っているのではないか」


戦場 語り継ぐ生還者   2015 年8月13日
《〈飢餓が極限の状態になると何んでも口に入れ度(た)くなり、生水を飲んで下痢する者も多く、栄養は極度に悪く、餓死の状態で死んで行く者も多く、高熱 のため精神の錯乱状態になり、夢遊病のようになって、雨の中をさまよい歩く兵も見られた〉
三好は言う。「上層部の間違った考えで、我々は見捨てられた。戦争そのものをやってはいけんかった。私はそう言い続ける」》 
記事は、岩手県を除いて各都道府県も国(厚労省)も、日中戦争、太平洋戦争時の戦死者の総数も年次別推移数も把握していないと指摘している。
ここではマラリア等感染症について。
1871年宮古島島民虐殺事件を受け、1874年明治政府の最初の海外派兵である台湾出兵がなされる。戦死者8名をだして台湾西南部の現地住民を制圧する が、鎮台兵1個大隊と「植民兵」1個大隊計6千名のうち、マラリアなどにより561名が病死、罹患者数は1万6409(ひとり2.7回)に達した。永住植 民を目論見ながら兵士の衛生への配慮、亜熱帯地域における感染症への対策の手立てがほとんどなかった。
これは日清戦争講和後の乙未戦争(台湾平定戦)でも同様で、1895年日本は近衛師団を派遣して「台湾民主国」と戦うが、戦死者164名に対し司令官北白 川宮能久親王をはじめマラリア等の戦病死者4642名を出すに至る。ここでも前回の経験から何も学んでいない。唯一の変化は、従来靖国神社に合祀されな かった戦病死者がこれ以後追加合祀されるようになったことで、他方こうした感染症対策の重要性はその後の太平洋戦争でも結果として顧みられることなく、お びただしい戦病死者を出すことにつながっていった。
こうした兵士の衛生、健康、人命への軽視の思想は現在も継続し、新安保法制の論議で、政権が「自衛官のリスクが高まることはない」とする態度に繋がってい ると感じるのはわたしだけだろうか。


沖縄戦の少年兵   2015 年8月11日
本日視聴。ふつつかにも、沖縄北部で兵役年齢以下の14〜17歳の少年を「護郷隊」という名称で召集し、米軍への熾烈なゲリラ戦・遊撃戦をさせていたこと をわたしは今まで知らなかった。衝撃的な内容。1944年9月以降大本営命令により3次にわたり沖縄本島北部で「第三、第四遊撃隊」およそ1000人が編 成され、名護小学校などで訓練を受け1945年3月には恩納岳、名護岳など北部山中に部隊を配置、4月7日米軍の名護湾上陸後スパイ養成機関である陸軍中 野学校出身の将校の指揮のもとスパイ・ゲリラ戦を展開し、6月下旬南部の日本陸軍第32軍司令部玉砕後も戦闘を続け、162名の戦死者を出した。32軍牛 島司令官は自決する前、遊撃戦を継続するよう訓令を出している。山中で部隊が移動する際、動けない負傷者は軍医が射殺したという。
14歳以上の召集は「志願」の名目だったが、実際は強制だった。44年12月に陸軍省令58及び59号により14歳以上の「防衛召集」(沖縄では鉄血勤皇 隊の編成)がおこなわれるが、これらは兵役法の改正によらず、当初から「憲法違反」の疑いがあった。少年たちは「故郷を守るため」と信じて入隊したが、実 際は故郷の集落を燃やすなどをさせられた。大本営も中野学校出身の将校も、沖縄人の故郷や山河を守るために少年たちにゲリラ戦を強いたのではない。また、 「防衛召集」は沖縄だけではなく、米軍の上陸が想定される本土各地に少年による遊撃戦部隊が編成され、中野学校出身者がそれぞれ配置されたという。
「少年兵」とは、たとえばボコ・ハラムのようなアフリカにおける反政府勢力に固有の存在、なのではなかった。この国もわずか70年前、次の時代を担う少年 を(防衛召集では少女も)熾烈な遊撃戦に駆り立てその命と心を消耗する、狂気としか言えない作戦を遂行していたのである。
「丹き心で 断じてなせば 骨も砕けよ 肉また散れよ 君に捧げて ほほえむ男児」
この護郷隊の歌3番は中野学校校歌1番とおなじだという。「君」とは「君が代」の「君」である。「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ」。8月15日の玉音放送のこ のフレーズのために、軍部や戦争指導者たちにとって少しでも有利な降伏条件の獲得のために、若い兵士による特攻や沖縄の地上戦そして少年兵のゲリラ戦への 投入が企画され、実際に行われたということを戦後70年の今、わたしたちは直視しなければならない。



川内原発再稼働   2015 年8月11日
福島第一原発事故の収束も15万人に及ぶ避難者の帰還もなんらの目処が立たないなか、地震、火山噴火、長距離弾道ミサイルによる過酷事故の危険には目をつ ぶり、責任は規制委員会と電力会社に丸投げしての再稼働。
この政権の「国民の幸せな暮らしを守る」との言葉は単なる詭弁・方便にすぎない。


被爆70年   2015 年8月10日
放射線、熱線、爆風、火災によって人としての尊厳すら踏みにじられて亡くなったひとびと。かろうじて生き残った人への謂れない差別。それらを語る被爆者 と、それを記録し残そうとする若い世代。貴重なインタビュー。


人類は頭上に精度を向上させ続ける自滅装置を掲げたサルの愚かな一つの種である    2015 年8月10日
人類は頭上に精度を向上させ続ける自滅装置を掲げたサルの愚かな一つの種であることを改めて思う。


ローマ法王、核廃絶の呼びかけ   2015 年8月10日
核兵器廃絶の願いが被爆国だけではない普遍的なものであることをあらためて示す。
「戦争を拒絶し、核兵器や大量破壊兵器を廃絶するように、との人類への警告だ」
「長い時間がたっても、この悲劇は恐怖と嫌悪を呼び起こす」
「戦争や暴力に『ノー』を、対話と和平へ『イエス』を」
「広島と長崎から、人類は何も学んでいない」
「もし終末的なことが起きれば、人類は再び一から始めなければならない。広島と長崎がそうしたように」


こういう指摘・提言をアメリカの日本研究者が出しつづけていることに危機感と同時 に希望がもてる   2015 年8月5日
5月の報道特集:「戦後70年歴史家からの警告」に続く企画。
こういう指摘・提言をアメリカの日本研究者が出しつづけていることに危機感と同時に希望がもてる。
「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決 して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違って いる。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」
「日本のソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と 根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国 が持ち得なかった経験です」
「過去を振り返れば、安倍晋三首相がよく引き合いに出す、祖父の岸信介首相が思い浮かびます。岸首相は確かに有能な政治家ではありましたが、従属的な日米 関係を固定化する土台を作った人だと私は考えています」
 「同様に、孫の安倍首相が進める安全保障政策や憲法改正によって、日本が対米自立を高めることはないと私は思います。逆に、ますます日本は米国に従属す るようになる。その意味で、安倍首相をナショナリストと呼ぶことには矛盾を感じます」
「北朝鮮や中国は脅威のように映りますが、本当に恐ろしいのはナショナリズムの連鎖です。国内の動きが他国を刺激し、さらに緊張を高める。日本にはぜひ、 この熱を冷まして欲しいのです」
「福島で原発事故が起き、さらに憲法がひねり潰されそうになっている今、過去のように国民から大きな声が上がるかどうかが問題でしょう。今の政策に国民は 疑問を感じています。安倍首相は自らの信念を貫くために法治主義をゆがめ、解釈によって憲法違反に踏み込もうとしている。そこで、多くの国民が『ちょっと 待って』と言い始めたように見えます」
 「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から湧き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けて きた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違ってい る」
 「本当に偉大な国は、自分たちの過去も批判しなければなりません。日本も、そして米国も、戦争中に多くの恥ずべき行為をしており、それは自ら批判しなけ ればならない。郷土を愛することを英語でパトリオティズムと言います。狭量で不寛容なナショナリズムとは異なり、これは正当な思いです。すべての国は称賛 され、尊敬されるべきものを持っている。そして自国を愛するからこそ、人々は過去を反省し、変革を起こそうとするのです」



















                                                                                                                                                                 
  
     





























Copyright © 2014 fukupulio.org All Rights Reserved.