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2019年 3月31日
「  多くの大正世代が戦死した中で卒寿を超え命あることに感謝し、「戦争放棄」をうたう日本国憲法を繰り返し読んでいる。」
昨年亡くなった父と同じ年齢の元兵士の方の投稿。何故 あの同世代の多くが戦死した無謀な戦争が始まったのか、知る努力を続けられる姿勢に感銘を受ける。「戦争放棄」をうたういまの憲法の大切さとともに。

《無職 荻野文雄(神奈川県 94)
 多くの大正世代が戦死した中で卒寿を超え命あること に感謝し、「戦争放棄」をうたう日本国憲法を繰り返し読んでいる。
 戦争末期に陸軍2等兵として軍隊生活を送った。つら かったのは新兵いじめと、活字に触れるのは軍隊の典範令だけだったことだ。敗戦後、なぜ日本は国力差の巨大な米国に挑戦し破滅したのか、真相を知りたくて いろいろ本を読んできた。「昭和天皇独白録」には、開戦について石油の対日輸出禁止が日本を窮地に追い込んだとあった。
 神風特別攻撃隊第1号、関行男海軍大尉の最期を思 う。出撃しては敵艦を発見できず帰投、5日目が最後となった。出撃前に報道班員に語った。「僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃない。 最愛のKA(妻)のために行く」
 軍神として戦意高揚の象徴にされた大尉が、こんな人 間的な言葉を残したことに感銘を受けた。「国のため」の戦争も、人間性を奪うことなどできない。
 これからも本を読み、世界史や昭和史をさらに学びた い。》



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2019年 3月31日
「叔父さん、心の底では子孫に悲惨な戦争のことを知って欲しかったのではないか。戦争体験者の責務として。」
 戦争体験を語らなかった、語れなかった叔父さんの従軍日記を復刻した方の投稿。新聞を二週間遅れで読んでいいる自身の不甲斐なさも指摘されたよう。せめ てこの国が二度と戦争に手を染めることがないようにこうしたとりくみは大切だ。

《 団体非常勤職員 伴義之(茨城県 72)
 母の実家の農家の納屋から、29年前に亡くなった叔父の従軍日記や写真が見つかった。「戦争の話はしとうなかと」と言っていた叔父。その思いを知りたく て、変色し、半分ばらばらになった紙の束を必死に読んだ。
 日記は1943年7月〜45年11月。40年に17歳で志願兵となった叔父が旧満州(中国東北部)の国境警備からヤップ島に転戦、復員するまでの時期 だ。
 44年6月「著しくデング熱患者発生す」「編隊、我等(われら)の頭上に現れ爆弾投下、猛爆を續行(ぞっこう)せり。死の寸間より亦(また)再生した氣 (き)なり」「日高伍長、西田一等兵戰死(せんし)す」「栗田一等兵、左手右足切断す」、12月「一日七十瓦(グラム)……米見て泣く時が愈々(いよい よ)到来」、45年2月「食慾(しょくよく)不振と体重不足に益々(ますます)身体は衰へて行く」
 弾薬、食糧の補給なく、連日の空襲に耐え畑作に励む日々がリアルに伝わる。身内にも知ってもらおうと半年かけてパソコンで入力、軍歴を取り寄せ、事実関 係も調べて叔父の従軍記録誌をまとめた。叔父さん、心の底では子孫に悲惨な戦争のことを知って欲しかったのではないか。戦争体験者の責務として。》




2019年 3月30日
 朝宿を出て高台寺で数年ぶりに枝垂れ桜をみる。樹齢50年ほどとかで、成長したのか以前より横に広がったよう。曇天の中ねねが大坂城落城の知らせを聞い たという時雨亭も見て八坂の塔から摩利支天を抜けて鴨川を渡る頃には雨が降り出した。
 高瀬川沿いは桜の開花が早めだったが軽く蕎麦でもと店を探すが見つからず、寺町通で廉価なお店を見つけてざる蕎麦を食べて帰路に着く。「時折雨」の予報 が阪急で立ち寄った梅田から六甲に着くまで降りしきる。3時半に帰宅すると裏手の桜は雨のなかようやく数輪開花していた。


2019年 3月29日
 昨夜は冷え込んだが、石塀小路の築二百年という宿は夜湯たんぽを布団に入れてくれた。
 京都3日目は朝から晴れ、円山公園に行くと枝垂れ桜と上の枝垂れはほぼ満開。例年のように鴨川べりを上賀茂神社までレンタサイクルで花見のつもりが鴨川 沿いは茶色のままで、市中で弁当購入して円山公園上の枝垂れ桜で多国籍の来訪者とお花見。
 午後東山の坂を登るとさらに満開の枝垂れ桜があった。下る途中甘味処の紅葉庵で木苺と抹茶アイスを食べ宿に戻り入浴後二年坂、三年坂を歩くと凄い人出。
 明保野亭の枝垂れ桜も満開で、多くの人が立ち止まって鑑賞していた。窓際の席で早めの夕食を食べ、ゆっくりと夕闇が迫るが笑顔の多い界隈を歩いて森のカ フェという店を見つけコーヒーを飲んで宿に戻る。明日は天気は下り坂。
       



2019年 3月28日
 花の家の風情ある食事処で朝御飯を食べて、曇天と寒風のなか桂川右岸を歩き千光寺大悲閣に行く。
 テラスで海外からの観光客への説話を洩れ聞きながら山桜と遠く比叡の山並みを眺望。下って天竜寺横のカフェでお昼の後嵐山公園の展望台に登り、桂川と大 悲閣を眺める。行楽というより修行のようなお花見となった。
 有栖川で天山の湯に浸かり嵐電と阪急で河原町に着いて高島屋で寿司と惣菜を買い石塀小路の宿に着いた。
 7時過ぎコーヒーでもと八坂の塔あたりを歩くがどの店も閉店、二年坂でお客が入っていく看板のない店に入るとコーヒー各種揃えていて、旅館のあとに開店 したスタバだった。夜は気温低下。
 


2019年 3月27日
 阪急で嵐山に出る。暖冬予報でこの時期に花見の宿泊予約を一月に入れたが、ここしばらくの冷え込みでほとんど開花せず。
 蕎麦を食べ竹林を抜けて楓カフェの後天竜寺を訪ねると枝垂れ桜は咲きはじめ。見頃は来週からだろう。
 夕刻初めての宿に荷を預け、対岸の花筏の露天に入り桂川の右岸を歩くと山桜は咲いていた。
 昨年の台風被害から復旧した渡月橋を渡り、左岸で夕景を見て宿に戻る。知らなかったが、看板を見ると教職員共済の宿とのこと。退職者も少し安くなるらし い。落ち着いた和室で夕食。ニュースで今日大阪、京都、神戸でソメイヨシノが開花したと伝えている。
 


2019年 3月26日
 日記がわりに。
 ニセコから帰った翌日は快晴。六甲台に建設中の大きなマンションの横を通り鶴甲を経て御影深田池に行くと桜の蕾が大きい。阪神御影まで歩き食材買って帰 宅。
 翌土曜はil ventoのあと三宮に出るがカワハギは無し。日曜から6年前転居したままの破損した本棚と押入れの整理を始める。
 20日朝ウグイスの初鳴き。今年初めて神戸クアハウスに行き硼酸と重曹泉に入る。足裏の乾燥などに即効有り。quartoは混んでいてカウンターで野菜 とピザ。その後イケアに行き代わりの本棚など購入。流石に新生活始まりの時期で混んでいて配達は4月。
 寒暖の差激しく翌日は夜深い霧が出た。23日土曜染井吉野もまだ咲かないのに「花冷え」のなか久しぶりに地元のcalmo。奥の薪窯のそばの席が暖か い。三宮に出て大丸横に行くとなにやら出店も出ていたが外の寒さに結局famgliaでコーヒーを飲み阪神御影で食材買って帰宅。
 翌日曜も肌寒くひと月ぶりに梅田に出て、閉店したclico!やらボエームなどに代わる店を探して入る。中崎町の蔦の店を訪ねてなか二階の席につくと大 勢の若者のグループが来店。黄色の法衣を着た僧とお布施を持参したという人もいた。
 六甲カトリック教会で一木、鶴甲コープの帰り道の家でも一つ早咲きの桜?が咲いていた。今朝神戸市の大型ゴミの収集に40年ほど使用した 180cX120cのベニヤ板の本棚を出した。
         


2019年 3月14日
 何の因果かニセコを去る時は必ず晴れ。朝からアンヌプリがくっきりと見えた。宿の送迎でアンヌプリ麓の憩いの家いろはからの札幌行きバスに乗り、羊蹄山 とニセコ連山を眺めながら二木の葡萄畑など春が近づく気配のなか小樽で下車。
 比羅夫の宿でも札幌から10人ほどの若者のグループが来ていたが小樽も若い国内観光客が目立った。運河沿いの小樽ナンバーワン倉庫でヴァイスビールとき のこのクリームパスタ。運河プラザでコーヒーを飲みjrで穏やかな石狩湾の岸辺を抜け札幌を経て夕刻千歳着。スカイマークで定刻8時半には神戸に着いた。 六甲川沿いはまだ寒い。
 


2019年 3月13日
 久しぶりに朝日と羊蹄山頂が顔をだす。美味しい朝食を食べ荷をまとめ同宿の方達(一人は3年連続)とオーナーさんに礼を言って宿を出た。
 バスでミルク工房を訪ね併設のレストランでまたもピザを食べていると、羊蹄山は雲に隠れ雪が降りしきる。アンヌプリでバスを降り雪の中を昆布温泉まで小 一時間ほど歩き、久しぶりにニセコグランドホテルの大きな露天に浸かる。向かいの鯉川旅館は営業を停止、名水甘露の水は雪の中。
 さらに少し歩いて今日の宿甘露の森に着いた。初めて泊まると思っていたが、昔別の名の宿として泊まったのを思い出した。宿泊客も少なく静かに夜が更け る。


2019年 3月12日
 ニセコ3日目夜に雪は降ったが朝方から麓は小雨。
 リフト途中からは霧で視界不良。アイスバーンの上に雪は少し、山頂リフトは動いていてヒラフからアンヌプリに霧の中を移動。途中から視界が開けた。旧日 航ホテルで蕎麦を食べパラダイスヒュッテでコーヒー、リフト数本滑り2時すぎにはいこい始発の連絡バスに乗りヒラフに戻る。
 3月で営業を終える温泉ゆころに入るとお客はほぼ昨日と同じ顔ぶれ。湯上がりに同宿の人と大相撲春場所を見て 番台の方達に礼を言い館を出た。
 夕食に昨年までのログハウスからとなりに移ったYUMY'Sというイタリアンを訪ねると、店の前で「洋風居酒屋だって」とスマホを見る人たちがいて、わ たしが入ると続けて入店した。食べていると「ーーーやけん」と懐かしい言葉が聞こえて、尋ねるとやはり九州、熊本と宮崎からの方達だった。今日同じくアン ヌプリで滑ったとのこと。
 宿と温泉施設が次々に店を閉め外資による高級施設が立ち並ぶニセコ、道内、国内の旅行客にも来やすいところであって欲しい。


2019年 3月11日
 ニセコ2日目朝から曇り空で風が吹く。
 千メートル台地に上ると気温0度と寒くはないが吹き付ける風が冷たく雪面はガチガチのアイスバーン。3.11にボーッとスノボやスキーなどするなという ことか。
 花園に降りスープのお昼を食べるいつも混む店は閑散としていたが、コーヒーを飲みにヒラフに戻り望羊荘を訪ねると凄い混みよう。午後小雪は舞うがアンヌ プリは姿を現し羊蹄山も頂上以外は見えた。
 3時過ぎには宿に戻り温泉ゆころに行く。残念なことにこの施設が今年3月限りで営業を終えると今日知った。温泉好きのオーストラリアンらで賑わっていた が外資が買い取った由、すっかり更地にされるのだろう。かつて山田温泉やニセコスコットがあった地区はいま無機質なビルに変わり40平米1億円のコンドミ ニアムが売りに出されているとか。益々ニセコは普通の市民に無縁な場所になっていく。
 ふじ鮨で夕食後宿向かいのバルでコーヒー飲み宿に戻る。天気は下り坂。


2019年 3月10日
 6時には明るいなか神戸から千歳に降りると雪が少なく気温も高め。バスで支笏湖を過ぎて羊蹄山を眺めながらニセコアンヌプリに着き、宿いろはの露天に浸 かる。日曜で元気な小学生が入ってきた。やはり気温高く雪は少ない。2月後半から雪が降っていないとのこと。
 バスを乗り継いでヒラフ山田の宿に着き、5時すぎ久しぶりにニセコピザに入る。ピザは大き過ぎ今回はサラダとサーモンのニョッキ、なかなか美味だった。 様変わりしたヒラフ入口角の二階のカフェの窓から東の空に下弦の月が見えた。


2019年 3月 9日
 晴れて3月初旬にしては暖かく、今年初めて元町のnomadikaテラスでお昼のあと元町商店街を西にそぞろ歩くと人通りが多くお猿の大道芸にも出会 う。
 久しぶりにハーバーランドに行くと家族連れも多い。幼児らが遊ぶメリケンパークの海岸沿いを戻ると干潮らしく震災遺構の底が現れていた。春の陽気で空気 は澄み花粉も少ない。


2019年 3月 6日
「私と妻を国策捜査し、逮捕して300日間も勾留したのは口封じだ。安倍官邸の意向と官邸へのそんたくにより財務省が動いた重大な事件から国民の目をそら すためだ。小学校は安倍総理大臣、昭恵夫人の応援協力でつくりあげていたのに開校直前で値引きの問題が勃発すると総理大臣はみずからの保身にかじをきっ た」
「一部で事実と異なる申請をした。自分の非は率直に認める」
 森友学園元理事長籠池氏の初公判での言葉。「安倍官邸の意向と官邸へのそんたく」「小学校は安倍総理大臣、昭恵夫人の応援協力でつくりあげていた」これ がこの事件の核心だろう。一方の夫妻は10ヶ月に渡り身柄を拘束されて刑事事件の被告となり、他方の夫妻は無責任極まる知らぬ存ぜぬを決め込んで未だその 地位にしがみつく。小学校を作ろうとした学園の理事長らが詐欺罪で裁かれるとき、その小学校の名誉校長であったものとその夫には何ら責任が問われない。補 助金1億7000万円余りをだまし取った「詐欺」を裁くのなら、国有地を不当に8億円値引きした者たちの「背任」も問われるべきだろう。

《森友学園をめぐる補助金詐欺事件の裁判が始まり、籠池前理事長は不正の一部を認めた一方で「国民の目をそらすための国策捜査だ」と主張し、検察の捜査や 安倍総理大臣への批判を展開しました。
森友学園の前理事長、籠池泰典被告(66)と妻の諄子被告(62)は、小学校の建設工事や幼稚園の運営などをめぐり、国や大阪府、大阪市の補助金1億 7000万円余りをだまし取ったとして詐欺などの罪に問われています。
6日大阪地方裁判所で行われた初公判で、籠池前理事長はおよそ10分にわたって意見を述べました。
はじめに「私と妻を国策捜査し、逮捕して300日間も勾留したのは口封じだ。安倍官邸の意向と官邸へのそんたくにより財務省が動いた重大な事件から国民の 目をそらすためだ」と主張し、検察の捜査を批判しました。
さらに「小学校は安倍総理大臣、昭恵夫人の応援協力でつくりあげていたのに開校直前で値引きの問題が勃発すると総理大臣はみずからの保身にかじをきった」 と述べ、安倍総理大臣に対しても批判を展開しました。
大阪府や市の補助金については「一部で事実と異なる申請をした。自分の非は率直に認める」と一部の不正を認めたものの、国の補助金については、だます意図 はなかったとして無罪を主張しました。
妻の諄子被告は全面的に無罪を主張しました。
弁護士も「国有地の不当値引き疑惑を否定しようとする何者かの思惑で、政権中枢からできるかぎり遠ざけようとする力が働き、夫妻を悪質な詐欺犯と決めつけ ようとしたのではないか」と主張し、公正な裁判を行うよう求めました。
これに対して検察は「2人は小学校の建設工事費を設計業者に水増しさせ、補助金を確保するよう指示した。大阪府と市の補助金もできるだけだまし取ろうと考 え、虚偽の書類を提出した」と述べました。
傍聴席の倍率は11.8倍
初公判を傍聴しようと、大阪地裁には大勢の人たちが訪れ、裁判所は急きょ、予定より早く整理券を配りました。
裁判所によりますと、54の一般傍聴席に対して642人が傍聴を希望したため抽選が行われ、倍率は11.8倍だったということです。
大阪市内から訪れた女性は「籠池さんを見てみたいと思ってきました。真相が知りたいです」と話していました。
兵庫県尼崎市から訪れた男性は「国策捜査だとは私は思いません。本人がどこまで主張を通すのか気になります」と話していました。
森友学園が運営する幼稚園でPTA会長を務めていた図越寛さん(38)は「幼稚園に通っていた長女の名前を勝手に使われて詐欺に利用されました。子どもを だしに使われ、大きな憤りを感じています。法と証拠に基づき、被告には罪を償ってほしい」と話していました。
籠池前理事長「言うべきこと言った」
初公判を終えた籠池前理事長は報道陣に対して、「言うべきことは言いました」と話し、裁判所をあとにしました。
今後の裁判は
籠池前理事長夫婦の裁判は次回は5月末で、10月の結審まで15回開かれる予定です。
一方、国有地の値引きや、決裁文書の改ざんの問題では、大阪地検特捜部が告発された財務省の職員らを全員不起訴にしましたが、その判断が妥当だったのかど うか検察審査会の審査が現在も続いています。》




2019年 3月 6日
 岡崎公園前の宿で赤い仁王門を見ながら朝食。大通りの喧騒を避け店が開け始めた古川町通りを歩き白川、祇園白川の梅を見て錦小路そばのdaniel!s で昼を食べて帰路につく。3時前には雨が降り出した。


2019年 3月 5日
 晴れてスギ花粉が飛ぶなか、阪急桂駅から市バスで久しぶりに仁左衛門の湯を訪ねる。ナトリウム泉の露天にのんびり浸かったあとお昼に注文したビールが余 りに大きい。
帰りは桂駅行きではく四条烏丸行きバスを西院で阪急に乗り換えて四条烏丸から地下鉄で竹田駅まで。しばらく歩いて京都の梅の名所の一つ城南宮を初めて訪ね た。温泉で一段落した花粉が再び眼に沁みる。宮水で眼を洗い庭園に入ると枝垂れの紅梅と白梅が咲き集い梅の香も漂い、地面にも梅と椿の花びらで春爛漫。
 四条烏丸に戻り福井ゆかりの店で鰯の造りなどを食べ、市役所前から地下鉄で東山駅を経て平安神宮前の宿に着く。明日は曇りのち雨の予報。
 


2019年 3月 3日
「海兵隊の見直し作業では、在沖縄海兵隊も検証対象となりました。部隊の実弾射撃訓練や飛行訓練、爆弾投下訓練をする地域として沖縄の適合性を調べたとこ ろ、運用は「極めて難しい」と判断されました。また、朝鮮半島有事の作戦計画「5027」などを始め、対中国、対東南アジアへの展開を含めて在沖海兵隊の 戦略的な役割を調べました。在沖海兵隊は戦力規模が小さすぎて、「太平洋地域に前方展開させる戦略的価値はない」との結論に至りました。
 ただし、コスト面から調べたところ、海兵隊を当時の移転候補だった米本土のカリフォルニアに移転させるよりも、沖縄に駐留継続させる方がコストが 50〜60%安くなることがわかりました。日本側が駐留経費負担をしているためです。在沖海兵隊移転による海兵隊への政治的な影響についても分析され、 「海兵隊を米本土に移転すれば、米政府がそれを理由に海兵隊全体の規模を縮小させる可能性が高い」という予測がでました。この結果、海兵隊本部は当面、海 兵隊の沖縄駐留を続けることを決めたのです。
 つまり、海兵隊が現在も沖縄駐留を継続している元々の判断をたどれば、何ら日米の安全保障とは関係ありません。日本政府は辺野古沿岸部を埋め立てて建設 していますが、軍事基地を沿岸部に建設する時代でもありません。気候変動による海面上昇で自然災害を被るリスクは高まっています。60〜70年後には巨額 の建設費が無駄になってしまうおそれがあります。
 辺野古の基地は、中国など外部からの攻撃に脆弱(ぜいじゃく)すぎるという問題があります。2、3発の精密誘導弾の攻撃を受ければ、滑走路は跡形もなく 消え去るでしょう。戦略的な観点で言えば、辺野古の基地建設は愚かな計画です。もし私が安倍晋三首相の立場にあれば、現計画に固執して沖縄の人々と敵対す る手法はとらないでしょう。」 ローレンス・ウィルカーソンさん(元米国務長官首席補佐官)

「そもそも辺野古移設をめぐる米政府の考えは、人口密集地にある普天間飛行場をできる限り早く移転させることから始まっています。「県外移設」を訴えた鳩 山政権で、もう一度普天間の移設先を探すことになり、移設計画が遅れるという懸念がありました。普天間移設はグアム移転や、米空母艦載機の厚木基地から岩 国基地への移転も含めた米軍再編という大きな計画の一部です。ブッシュ(子)政権下で数年かけて決定したもので、米側は米軍再編計画を策定する際にあらゆ る問題について熟慮した上で結論を出しました。
 もし計画を見直すことになれば、やり直さなければならない複雑な問題が極めて多くありました。ほかの基地との関係性を始め、滑走路の長さといった基地機 能の問題、隊員の家族が通う学校や医療施設、騒音対策などです。米側の関係者はうんざりし、先行きを懸念しました。
 日米両政府内では嘉手納統合案などかつて検討された案をもう一度検討し直しました。北海道や東北への移転可能性も検討しましたが、結果的に当初の計画通 り、辺野古が移転先に選ばれました。
 辺野古への移設は最悪を避けるために選ばれた案だと思っています。本質的には妥協とも言えますが、新しい基地を建設するのではなく、既存の基地を海側に 拡張する工事であり、周辺住民への騒音の影響もほかの案に比べれば最も少ない。沖縄のほかの基地にも十分アクセスでき、九州などにもさほど遠くないという 地理的な特性も考慮されました。
 私は県民投票があまり良いアイデアだとは思っていません。ーーー私は玉城氏に「普天間移設をできるだけ早く前に進めることで、米軍基地の縮小という次の ステップに取り組むべきだ」とも伝えました」 ジェームズ・ショフさん(元米国防総省東アジア政策上級顧問)

 10日ほど前の記事。いずれも米国ブッシュ、オバマ政権で外交・防衛を担当した二人の海兵隊辺野古移転に対する見解。
「日米の安保とは関係ない。日本による駐留経費負担が理由。攻撃にも自然災害にも脆弱。戦略的価値なし」と「移転は熟慮の上の決定。計画見直しは複雑な問 題を生む。在沖海兵隊は戦略的に極めて重要」と正反対の意見を述べている。
 しかし日本政府の説明と同じく辺野古移転を次善の策として容認するショフ氏の言葉は、小規模の前方展開部隊として在沖海兵隊は脆弱で、辺野古基地は数発 のミサイルや自然災害で機能を喪失する、海兵隊基地維持は日本による駐留経費負担が目的とのウィルカーソン氏の指摘を覆す具体性も説得力もない。普天間基 地の危険性、米軍基地縮小を根拠としながら返還合意から20数年たっても危険なまま普天間が使用され続けていることへの責任の自覚もない。辺野古移設反対 を唱えて当選し訪米した玉城知事に移設を進めることを「助言」するなど、民主主義の根本への理解も欠落している。どちらの見解が沖縄の人々の願いやこれか らの東アジアの平和構築に有効か明らかだろう。

《24日に迫った沖縄県民投票では、辺野古の海を埋め立てて「新しい基地」をつくることの是非が問われる。在沖米海兵隊の存在に戦略的な意義はあるのか。 本当に辺野古移設は必要なのか。かつて米軍基地の見直しに関わった元米政府当局者に聞いた。

 ■自然災害にも攻撃にも脆弱 ローレンス・ウィルカーソンさん(元米国務長官首席補佐官)

 東西冷戦の終結を受け、米海兵隊本部は1990年代前半、国内外すべての海兵隊基地や構成をどうするか見直し作業をしたことがあります。私は当時、海兵 隊大学のディレクターを務めており、この検証作業に関わりました。

 海兵隊の見直し作業では、在沖縄海兵隊も検証対象となりました。部隊の実弾射撃訓練や飛行訓練、爆弾投下訓練をする地域として沖縄の適合性を調べたとこ ろ、運用は「極めて難しい」と判断されました。また、朝鮮半島有事の作戦計画「5027」などを始め、対中国、対東南アジアへの展開を含めて在沖海兵隊の 戦略的な役割を調べました。在沖海兵隊は戦力規模が小さすぎて、「太平洋地域に前方展開させる戦略的価値はない」との結論に至りました。

 ただし、コスト面から調べたところ、海兵隊を当時の移転候補だった米本土のカリフォルニアに移転させるよりも、沖縄に駐留継続させる方がコストが 50〜60%安くなることがわかりました。日本側が駐留経費負担をしているためです。在沖海兵隊移転による海兵隊への政治的な影響についても分析され、 「海兵隊を米本土に移転すれば、米政府がそれを理由に海兵隊全体の規模を縮小させる可能性が高い」という予測がでました。この結果、海兵隊本部は当面、海 兵隊の沖縄駐留を続けることを決めたのです。

 つまり、海兵隊が現在も沖縄駐留を継続している元々の判断をたどれば、何ら日米の安全保障とは関係ありません。沖縄駐留を継続した方が必要経費を節約で きるし、何よりも海兵隊という組織の政治的な立ち位置を守ることができるという分析だったのです。ーーー





2019年 3月 2日
 日記がわりに。
 北の国から帰った2月最後の週末、栄町のイタリアンで二回目のお昼。デトックスの水と野菜とほうれん草ジェノベーゼが便秘対策としても良さそうだ。ファ ミリアでコーヒーのあと大丸地下を覗くとカワハギは大きすぎた。
 翌日曜西宮北口の津門川沿いのやはりイタリアンを訪ね、野菜豊富な前菜とウニのパスタを頂く。店内は11人の団体客があり混んでいた。27日は今年二度 目のすずらんの湯。上富良野のフラヌイ温泉と十勝岳温泉のおかげで足裏のひび割れは快癒したよう。こちらの露天も心地よい。
 今日は地元のil ventoでシチリアーナ。神大構内を通ると就活なのかスーツ姿の若者とよくすれ違った。六甲駅へ向かう途中の民家沿いに見事な枝垂の梅と紅梅が咲き揃 う。気温上昇したが同時にスギ花粉が飛び交っている。
       
























                                                                                                                                                                
  
     





























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