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2020年 1月31日
「症状がない人にもウイルスが含まれていることは想定していなかった」厚労省担当者30日

 様々な感染症には感染から発症まで潜伏期間があり、いくつかのウィルスは症状がなくても感染するという基本を大臣以下厚労省担当者が認識していないというあまりにもお粗末なこの国の厚労行政。
 すでに28日に新型コロナウィルスへの感染が確認された奈良県のバス運転手の男性は、接触した武漢からの観光客に発熱した人がいなかったので、厚労省が定める感染検査の対象にならなかった。
https://digital.asahi.com/articles/ASN1Y728BN1YPLZU002.html…
 29日政府チャーター機で帰国したおよそ190人の受け入れ施設で一部は相部屋、第二便帰国者の滞在施設ではバス・トイレが共同とか、政府・厚労省は感染予防に極めていい加減というほか無い。
 20世紀初頭の「スペイン風邪」(鳥インフルエンザ)は1918年3月米国シカゴで始まり、第一次大戦の戦場であり米軍が参戦した欧州で流行し1919 年にかけて全世界に広まった。感染者は6億人、死者は第一次大戦の戦死者より多い5000万人、日本での死者は39万人とされる。
 ちなみに「スペイン風邪」の名は、参戦した欧州各国は自国の感染症被害を隠蔽するなか中立国スペインがこの症例の情報発信に積極的だったからである。 2002年中国広東省から広まったSARSではこの地域との往来が多い香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡したとされるが、日本 での感染例はなかった。当時と今とでは、中国からの訪日観光客の数は桁が違い、中国では31日現在武漢以外の地域での患者数が武漢を上回っている。もはや 武漢からの帰国者、訪日者だけが要注意なのではない。
 SARSでも同様だが、一党独裁の権威主義と情報隠蔽に傾く中国政府と地方政府のもとで当初隠蔽されていた現在の新型コロナウィルス感染症も、中国政府の発表とは別に感染者35万人という研究もある。
https://news.yahoo.co.jp/by…/iizukamakiko/20200127-00160519/
 ほんらい1月中にすべきだった「指定感染症」への指定を、ようやく2月1日とした政府と与党が、現行法下では迅速に対応できないとしてさらにこれを緊急事態条項新設の憲法改正論議に利用するのは愚劣極まるというほかない。
https://www3.nhk.or.jp/…/…/20200130/amp/k10012265561000.html
 国会でわが国の首相はひたすら「招待者」に関する疑惑の弁明にしどろもどろの答弁を繰り返すばかり。残念ながらこの政権では新感染症のパンデミックに的確に対応することはあり得ないということだろう。そのつけはすべてこの国の市民が払わされることになる。
 
《中国・武漢市から帰国し、症状がない人で新型コロナウイルスの感染が30日、確認された。対応にあたる厚生労働省は「想定していなかった」として、感染の可能性がある人の調査対象を広げる方針を決めた。

感染検査、運転手は対象外 取りこぼし防ぐ「重大局面」
 感染していても、発熱やせきなどの症状がない状態は「不顕性感染」と呼ばれる。大阪健康安全基盤研究所の奥野良信理事長(ウイルス学)によると、不顕性 感染は、おたふく風邪や風疹、インフルエンザなどでもみられ、自覚症状がないままウイルスを体外に出して、ほかの人に感染させることもありうるとい う。ーーー

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2020年 1月28日
「招待者名簿については、内閣府があらかじめ定められた手続にのっとって適正に廃棄をしているところであります」12月9日安倍首相記者会見
→「廃棄の際に事前同意の手続きも経ていなかったということだ」1月10日菅官房長官
「(招待区分を)どうやって割り振ったのか今となってはよく分からない」「名簿を廃棄しているので、どういった区分か確かめるすべがない」11月28日内閣府職員
https://www.kantei.go.jp/…/9…/statement/2019/1209kaiken.html
https://digital.asahi.com/articles/ASN1B5D15N1BUTFK00T.html…
https://digital.asahi.com/articles/ASMCY5FQ2MCYUTFK019.html

 安倍内閣による有権者への接待供応の公職選挙法違反、公的行事の私物化による公金横領そして証拠隠滅のための公文書廃棄にあたる「桜を見る会」の招待者 名簿の「廃棄」が、公文書管理法と内閣府文書管理規則に違反して管理簿への記載も廃棄簿への記載もそして首相による「同意」もなく行われていたというこ と。
 自身が同意した覚えのないことについて首相と官房長官が繰り返した「ルールに従って適切に廃棄」は全くのデタラメだった。これを「トカゲの尻尾切り」で歴代担当課長らの「厳重注意」で終わらせることはできない。
https://digital.asahi.com/articles/ASN1P6FSQN1PUTFK01N.html…
 さらに同会への招待状を詐欺商法に悪用して多くの犠牲者を出したジャパンライフへの総理枠での招待について、「60」が総理枠であることを認めない官僚 らの稚拙極まる答弁。これもひとえに首相による政治の私物化の証拠を隠蔽するための哀れな、そして有権者たる国民を馬鹿にした言動だろう。
 この腐りきった内閣について昨日から国会委員会審議が始まったが、首相らの答弁には自らの瑕疵に向き合う姿勢は微塵もない。この国会をこの内閣を終わらせる場としなければ、この国にまともな未来はない。

《首相主催の「桜を見る会」をめぐり、菅義偉官房長官は10日、招待者名簿の取り扱いが公文書管理法に違反していたことを認めた。「ルールに基づき適切に 保存・廃棄」としていた説明が、根底から覆る異常事態だ。「国民共有の知的資源」である公文書の管理で、何が起きているのか。

名簿廃棄「事前同意の手続き経ず…」 違法認めた菅長官
桜を見る会名簿5年分、管理簿に記載せず 法で義務づけ
 「桜を見る会」の追及に連日さらされている菅氏は10日の記者会見で、「廃棄の際に事前同意の手続きも経ていなかったということだ」と語った。「桜を見 る会」の2013〜17年度の5年分の招待者名簿の廃棄について、公文書管理法が義務づける首相の同意(実務的には内閣府の同意)を得る手続きを取ってい なかったことを認めた。

 公文書管理法は、保存期間が1年以上の公文書について、名称や保存期間、保存期間が過ぎた後の取り扱いなどを「管理簿」に記載しなければならないと定めている。廃棄した場合は、「廃棄簿」に記載するよう政府のガイドラインは定めている。ーーー


2020年 1月23日
朝から曇って気温は高い。宿を出て坂の下の源七の湯のこちらは温めで丁度いい露天に浸かり湯の町の店で蕎麦を食べる頃には雨となる。ゲレンデは昨日とは打って変わり雨中での滑走の様子。
バスで山形駅を経て仙山線で夕方仙台に着き、駅ビルの店で寒鰤などいただき仙台空港からスカイマークで9時神戸着。こちらも妙に生暖かい。


2020年 1月22日
天気予報は曇りに変わったが朝から晴れ。宿の三つ目の無料貸し切り露天に浸かり、蔵王の山並みと向こうの出羽三山を遠く眺めながらロープウェイで上がる。
この日のスキー授業の地元の子たちの心がけが良かったのか、ゲレンデはまさにユートピアかパラダイス。
山頂ロープウェイ駅で30分ほど並んで上の駅まで上がると風は強い。蔵王権現は雪不足で全身があらわ。
ザンゲ坂からユートピアまで下り、昨日の食堂でトマトラーメン。百万人ゲレンデを降り、菖蒲沼から中央ゲレンデに戻り三五郎小屋で一休みし、大平コースで宿に戻る。
夕飯に坂道を降りてろばたというお店で東光の冬季限定白酒とサバ味噌定食を食べる。地場の野菜や里芋の煮物などもご飯も凄く美味しい。6時半には宿に戻る。


2020年 1月21日
蔵王2日目、夜は雪降りしきり風も凄かったが終日雪。
露天と朝食のあと坂道を登りかつてよく入った大露天風呂。横のサンライズは雪不足でクローズ、橋を渡り中央ロープウェイ駅に下り中央ゲレンデに行く。三五郎小屋は健在で数回滑って東端のダイアモンドゲレンデに移動。どちらも昨夜からの雪で新雪が深い。
お昼にと11時半にやはり6年ぶり三五郎小屋に入ると以前なかった凄い混雑。
午後は隣のパラダイスゲレンデに行く。かつてあった懐かしいパラダイスヒュッテはすでになく、向かいの宿もなくなっていた。リフトで樹氷原コースに上がりユートピアの食堂で紅茶のあと視界不良の百万人ゲレンデを降るがその先黒姫エリアはクローズだった。
きた道を戻り大平コースを下の上の台まで下り宿に帰る。雪のなか露天を二つはしごし、滑りどめを付けて温泉街を歩き、これも6年ぶり三叉路沿いにあるOT OCHAを訪ねる。
店の雰囲気は以前のまま。美味しい山形牛飯をいただき夜の坂道を宿まで帰る。なぜか明日は快晴予報。


2020年 1月20日
朝から混んでいた神戸空港からスカイマークで雲海の上の富士など見ながら仙台へ。
久しぶりに仙山線で山形へ向かうが、沿線にほとんど雪はない。山形駅前のお店はほとんど月曜定休なのか開いてなく、どうにか一軒で鴨そばをいただく。
蔵王は6年ぶりだがやはり沿道に雪はなく、バスで着いた蔵王温泉とゲレンデはどうにか雪景色。
下の湯に浸かり坂道を登って大露天風呂近くの宿に入る。部屋からの眺めと野趣あふれる露天がいい。
夕方凍結して滑りやすい坂道を降り、見つけた山形地酒の店で炙り鯖と温素麺で夕飯食べて戻る。ゲレンデの半分は雪不足でクローズとか。


2020年 1月18日
「苦しむ人がいる限り、震災は終わらない。最後の一人まで救うためにどんな仕組みが必要か。復興とは何か。私たちは問い続け、またここから歩み始めようと思う」
「画一的な線引きで退去を迫るか、一人一人の状況に配慮して工夫するか。法制度を誰のために、どう使うかが生活再建の質を左右する。行政は改めて被災者に向き合うべきだ」

 昨日17日の神戸新聞社説。
 阪神淡路大震災を契機に被災者の働きかけで「被災者生活再建支援法」(1998)が成立したが25年たって借り上げ住宅からの退去など行政の支援から理不尽に外されるひとたちがいる。
 他方2005年のハリケーン被害で米国で始まった「災害ケースマネジメント」が東日本、熊本などの被災自治体が取り入れて被災した人々の個別の救済に取 り組むようにもなった。鳥取県は2018年度に初めて条例化。昨年関西学院大学災害復興制度研究所は「被災者総合支援法案」を発表。
 これは首都直下地震や南海トラフそして気候変動により毎年繰り返される自然災害に直面するこの国に住む全ての市民にとって他人ごとではない。神戸市をはじめ全ての自治体と国はいまのそしてこれからの災害復興支援のあり方について真摯な検討を行うべきだろう。

《阪神・淡路大震災の発生からきょうで25年を迎えた。

 街から目に見える傷痕が消えて久しい。大多数の被災者は安心できる暮らしを取り戻した。一方で、隠れていた制度の壁が年月とともに姿を現し、乗り越えたはずの人を再び「被災者」へと引き戻す。これが四半世紀を経た被災地の現実だ。

 苦しむ人がいる限り、震災は終わらない。最後の一人まで救うためにどんな仕組みが必要か。復興とは何か。私たちは問い続け、またここから歩み始めようと思う。

        ◇

 あらわになった壁の典型が「借り上げ復興住宅」の退去問題だろう。

 兵庫県と県内5市が被災者向けに民間の賃貸住宅などを借り上げ、公営住宅として提供した。震災翌年の1996年、公営住宅法の改正で導入された仕組みで、自治体が直接建設するより住宅を早く確保でき、費用も安く済む利点があった。

 ところが、多くの住宅で20年間の借り上げ期間が過ぎると、神戸市と西宮市で要件を満たさない入居者を市が提訴するケースが相次いだ。裁判では退去を命じる判決が続く。

 突然家を失い、移り住んだ復興住宅でようやく得た、安心できる住まい。退去命令が、高齢となった被災者の健康や暮らしの先行きに与えるダメージは計り知れない。ーーー



2020年 1月17日
「この部屋でないと生きていけない」「生きてゆく道を閉ざされてしまった様に思えて、正直つかれてしまいました」「市長に御相談するしか、生きる道はない」

 阪神淡路大震災から25年。東灘区で被災し「借り上げ復興住宅」で暮らす歩行障害と様々な病に苦しむ81歳の女性に借り上げ期間が過ぎたからと退去・明け渡しを要求する神戸市とそれを追認する裁判所。神戸市長は面会にすら応じない。
 神戸市で続く生徒へのそして教員間のいじめと同じ病根が市政にも裁判所にも巣食っているのではないか。昨年12月以降170世帯が同様に退去を求められ る。同じ被災地である宝塚、伊丹市は居住継続を容認。神戸は特例市の中で最も人口減少が進んでいる自治体でもある。市民一人ひとりの事情に応じた心のこ もった対応こそ、震災で得た行政としての教訓ではなかったのか。被災者を置き去りにした「復興」などあり得ない。

《迷惑をかけて心苦しい、でも、行き場がない−。阪神・淡路大震災の被災者向けに神戸市が賃貸で提供した「借り上げ復興住宅」の借り上げ期間が過ぎ、退去 を命じる判決が確定した同市兵庫区の女性(81)が、転居先を見つけられず、昨年夏、神戸市長に手紙を書いた。20カ所以上の物件を回ったが、歩行が難し く、体調が優れない女性に適した住まいは見つからない。「生きてゆく道を閉ざされてしまった様に思えて、正直つかれてしまいました」。市長側からの返事は まだない。(小林伸哉)

 女性は神戸市東灘区で被災し、2002年8月に復興住宅「キャナルタウンウエスト」4号棟に入居。借り上げ期間の16年11月を過ぎたため、市から退去 を求める訴訟を起こされた。明け渡しを命じた神戸地裁判決を大阪高裁が支持し、最高裁も19年3月、女性側の上告を棄却した。

 震災前から糖尿病や白内障を患い、13年に腰の骨折で歩行器が必要となった。14年までは市の継続入居要件を満たす「要介護3」に認定。バリアフリーの部屋で自力生活に努め、介護度が改善したことが結果的にあだとなった。ーーー


2020年 1月13日
日記がわりに。
今冬は気温が高くまだ一度も「冬日」になっていないとか。11日乙仲通りのイタリアンで松茸のようなしいたけのマリナーラピザを食べるていると、ベビー カーで一歳くらいの子を連れた三組が別々に来店し、隣に座った子はメニューを見て「これとこれ」というふうに楽しそうに指差していた。見ても聞いても美 味。
今年初めてドックを訪ね、家族連れで賑わうアンパンマン館横のカフェでコーヒー。向かいの喫煙コーナーがなくなったのが良い。メリケンパークから大丸地下でカワハギ見つけて帰宅。
今日は梅田に出てバストーニュでジェノベーゼ。こちらは若者が多い。やはり今年初めて中崎町を訪ね蔦のカフェでコーヒー。初めて来た人たちがやはり愉しそうにしていた。駅前でししゃもなど買って帰宅。
先日札幌の店で飲んだsorachi1984ビールを今年購入。ホップの香りが強くて美味い。

   


2020年 1月 8日
「全ての関係者に緊張緩和のための外交努力を尽くすことを求める」8日菅官房長官
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020010800633&g=pol

 米軍によるイランのスレイマニ司令官たちの殺害とイランによる米軍基地へのミサイル攻撃の最中、「全ての関係者に緊張緩和のための外交努力を尽くすこと を求める」と言いながら、自衛隊の中東派遣はやめないが首相自身の中東訪問は中止を検討。「外交努力」はどこへ消えたのか。
 憲法で「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定め、全ての公務員に憲法擁護遵守義務を課しているこの国で、国際紛争は外交による解決以外になく、首相には 憲法改正の発議権もない。年頭の挨拶でその「改正」を言い立て、「外交努力」は放棄して自衛隊員の安全より自らの身の安全だけを優先する。この人物には政 治家以前に人間としての責任感も信義則も欠落している。

《中東情勢の緊迫化を受け、政府は安倍総理大臣の中東歴訪の延期を検討しています。

 安倍総理は11日に日本を出発し、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、オマーンを訪問する予定でした。安倍総理はこれまで中東情勢の緊張緩和に向けて、外交努力を通じて地域の平和と安定に尽くしたいとしていました。》



2020年 1月 6日
「美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います。美帆の名を覚えていてほしいです。
 名前を公表したのは裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。とても違和感を感じました。ちゃんと美帆という名前があるのに。娘は甲でも乙でもなく美帆です。
 裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく、社会全体でもこのような悲しい事件が2度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きた い。障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしい。障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います」

 今日裁判が始まった「津久井山ゆり園」殺傷事件の当時19歳の被害者の遺族の方の言葉。
 すべて人は親か縁ある人から授けられた命と名前を持って、かけがえのない存在としていきている。「障害者は不幸をつくることしかできない」というこの事 件の被告やその意見を支持する多くは匿名の者たちも含め、いま健康なものもいつ怪我や病でさまざまなハンディを負うか、だれにもわからない。命の尊さと、 この事件を生んだこの国と社会の持つ根本的な病の原因と解決策を模索する機会としてこの裁判を注視したい。

《相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判が横浜地裁で始まるのを前に、19歳の娘を失った母親が手記を 公表した。娘の名は美帆(みほ)さん。娘が生きた証しを残そうと思い、何度も思い出の涙を流して筆を止めながら書き上げた文面には「時間がたつほどに会い たい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません」とつづっている。【木下翔太郎、堀和彦】
晴れ着の約束、最後に
 「本当に笑顔がすてきでかわいくてしかたがない自慢の娘でした」。手記には、愛娘の思い出があふれている。美帆さんはアンパンマンやミッフィーなどが大 好きで、人気グループ「いきものがかり」の曲が流れると踊って楽しんでいた。母親は誕生日には笑顔の遺影の前にケーキを供えて、成長していただろう姿を思 い浮かべる。事件から約3年半になる現在も喪失感から納骨できずにいる。
 美帆さんは3歳を過ぎたころ、重度の自閉症とわかったものの、児童寮や学校で頑張っていたという。「言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手 で、何気にすーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので、人が大好きでした」。母親が娘の 在りし日の姿を忘れることはない。
 事件があったのは2016年7月26日。その約4カ月前、美帆さんは児童寮を経て、やまゆり園に入った。事件の2日前。園を訪れた母親は次の年に成人式を迎える美帆さんに「式だから髪を伸ばさないとね。これから楽しいことがいっぱいだね」と語りかけたという。
 美帆さんとは晴れ着姿で一緒に写真を撮ることを約束して別れた。それが母娘の最後の会話になった。「園に預けたのは私。後悔は消えない。後悔は一生残しながら生きていく」。母親は記者にそう語り、涙を流した。ーーー



2020年 1月 6日
「ふたつの像(ソウル日本大使館前の「平和の少女像」と済州島の「ベトナムのピエタ」像)が、「弱き者たち」を象徴しているのだとしたら、それは、隣の国の人たちにとって、支配され、ことばも奪われていた植民地時代の自分たちの肖像にも繫(つな)がるのだろう。
 では、わたしたちは、「弱き者たち」をどう見ているのだろう。いま、わたしたちの社会は、声をあげる「弱き者たち」をうとましく思ってはいないだろうか。
 ただ佇(たたず)むだけの「像」たちは、ことばを持たない。だが、そのことによって、わたしたちからことばを引き出す力を持っている。もしかしたら、それは、怒りや憎しみや蔑(さげす)みに満ちた、わたしたち自身の社会が発することばなのかもしれない」

 これも越年して噛みしめるべき深い含蓄に満ちた記事。
 ソウルの日本大使館前の「平和の少女像」と、おなじ作者による済州島江汀村の聖フランシスコ平和センター内に立つ「ベトナムのピエタ」像そして旧日本軍の戦闘機を収納していた掩体壕(えんたいごう)跡を訪れた高橋源一郎氏の寄稿文。
 日本は朝鮮などへの植民地支配と戦時中の軍慰安婦や徴用工など重大な人権侵害に、韓国は軍事独裁政権下での民衆弾圧とベトナム戦争における民間人虐殺と いう自国の負の歴史に向き合うことの困難さを、ともにかかえている。その中で犠牲になるのは常に「弱き者たち」であるという指摘。
 首相以下政権関係者や大企業経営者らの不法行為の多くが隠蔽や詭弁により見逃され、勇気を持って様々な被害を訴える市民に対しては心無いバッシングが繰 り返されるこの国で、もう一度過去と現在のさまざまな負の側面に向き合うことこそ、隣り合う国々とともに未来を創る唯一の道だ。

《日韓の政府間対立が続いています。日本の芸術祭では今年、慰安婦をモチーフにした作品展示に「反日だ」との批判も。戦争と植民地支配の歴史にどうアプローチすればいいのでしょう。作家・高橋源一郎さんが韓国を訪ねました。寄稿を掲載します。

 戦後を代表する詩人、茨木のり子の代表作「自分の感受性くらい」に、こんな一節がある。

 「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」

 いい詩だと思う。そしてその後、胸に手をあてて考えたくなる。

 その茨木のり子に「ハングルへの旅」という本がある。50歳になった茨木は突然、韓国語を学びはじめた。すると、周りのみんなが異口同音にこういったのだ。

 「また、どうしたわけで?」ーーー





2020年 1月 5日
日記がわりに。元旦から晴れて暖かい日が続く。
 1日バスで阪神御影、電車に乗って阪神西宮から西宮えびす神社に行く。遠くに甲山も見えた。
 えびす神社はすごい行列で参拝を諦め、開いていた店で昼をいただき、ついでの買い物で阪神で難波に出る。予想通り混んでいる法善寺界隈を歩き心斎橋に行 くとすごい人出。橋の上で「香港加油」のプラカードを掲げたひともいた。難波花月の前を通り同じ経路で御影からバスで帰宅。
 2日は昨年と同じく西宮北口に出て開いている「宮本むなし」で昼。やはり開いている阪急ガーデンズで淡路産のヨーグルトなど食材買って帰宅。
 3日は三ノ宮から北野まで歩き、吉家で豚しゃぶうどん。スタバでコーヒーのあと北野天満に行くとやはり初詣の列。結局並ばず坂を下り大丸地下でデパ地下としても廉価な天丼パック買って帰宅。
 昨日はほぼ在宅で夕方自転車で六甲駅前に降りてようやく年賀状を投函して食材買って帰宅。やや肌寒くなった今日il ventoで新年初のピザをいただき元町に出て行きつけのカフェを訪ねるとマーケット開催中で地場のちじみホウレンソウ購入。明日までは晴れ予報。
        




2020年 1月 5日
「条約(中距離核戦力INF全廃条約)の理念を思い起こしてほしい。ジュネーブでの最初の米ソ首脳会談(1985年)の共同声明に反映されています。『核戦争は許されない、そこに勝者はありえない』と。核兵器から解放される。これは今も私の祈りです」
「この事故(チェルノブイリ原発事故)は、わが国と世界の歴史にとって大きな節目となりました。ソ連が抱えた問題を露呈させ、原子力エネルギーと核兵器が 持つ破壊的潜在力を思い出させました。原因究明と処理作業に力を注ぎましたが、多くの犠牲者なしではすみませんでした。私の人生は二つに分けられます。 チェルノブイリ事故までと、その後と、です。自力で被害をくい止めるのに必死でした。核兵器による被害の経験はありませんでしたが、この事故は、核兵器を 何とかしなければと考えさせる教訓となりました」
「2度目の広島を誰も望んではいけない、と思います。核戦力の90%を持つ超大国は、核廃絶に責任を持って取り組む――。それを世界の世論に請け負わなくてはならない。ロシアには今もその用意があります。
 核戦争は許しがたい。それを始められるのは理性のない人間だけです。国家のトップにとって欠かせない演習の時でさえ、私は核のボタンを一度も押さなかった」
「私は最近、ノーベル平和賞の受賞者たちに書簡を送り、核大国の指導者たちに訴えるよう呼びかけました。核の削減と撤廃の交渉に戻るように、と。核抑止論 に立って、『核兵器は戦争から世界を守る』と核をほめちぎる専門家がいます。でも、少なくとも一度は世界を自滅寸前にしました。62年のキューバ危機で す。これを忘れてはなりません」
「早急に米ロの対話を再開させることです。INF問題や新STARTの延長だけでなく、平和と安全の問題、核なき世界へ向けた動きを復活させることです。 すべての核保有国は一歩を踏み出さねばなりません。核抑止力は、核兵器のエラーや核のテロから世界を守りません。むしろ世界を絶え間ない脅威にさらし続け ます」
「冷戦終結にはロシアも他の諸国も役割を果たしました。全国民の勝利、成果はみんなのものです。もし西側が勝利したと言うなら、それはそれで十分でしょ う。誇張して言えば、彼らは今や世界の支配者だからです。しかし、みんなのパートナーであろうとしていますか。世界のリーダーはグローバルに協力しあう環 境にあるでしょうか。軍拡を続けて他国を脅し、圧力をかけるつもりでしょうか。
 人類の歴史から得た教訓は、今の国際社会で現実として残っています。モラルなしに、モラルある世界は打ち立てられないのです。平和そのものが最上のモラルです。だからこそ平和を維持していかなければなりません」

 遅ればせながら新年に噛みしめたい年末の記事のひとつ。
 ソ連邦の一党独裁を終わらせ、1987年中距離核戦力INF全廃条約と1991年第一次戦略兵器削減条約(START1)をレーガン、ブッシュ(父)と米ソで合意した人物による混迷する現代世界への警世の言葉。
 被爆地ヒロシマへの敬意と、チェルノブイリ原発事故に学んだ核戦争の惨状への理解と核廃絶への真摯な思いが伝わる。彼が向き合ったレーガンやブッシュ(父)も含めて、かつてはこういう人物が世界の政治のリーダーだったという幸運が今になってわかる。
 翻ってこの国では、福島原発事故のあと原発の再稼働ばかりか海外への輸出さえ目論んで結局破綻し、空疎な核抑止論に胡座をかいて現実の核軍縮には背を向ける甚だみっともない政権が続いている。今年こそ、この国もそうした後ろ向きの姿勢に決別するときだろう。

《若い世代にとっては、もはや歴史上の人物かもしれない。「ゴルビー」の愛称で親しまれたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(88)。米ソ冷戦のさな か、夢想とも思われた核軍縮を実現し、冷戦終結をも導いた。核のたがが外れ、協調や相互協力を忘れたような力の政治が世界を覆う。彼の言葉を今、聴きた い。

 ――自ら手がけた中距離核戦力(INF)全廃条約は核削減への第一歩でした。射程500〜5500キロのミサイルをなくすこの条約の失効をどう思いますか。

 「条約の理念を思い起こしてほしい。ジュネーブでの最初の米ソ首脳会談(1985年)の共同声明に反映されています。『核戦争は許されない、そこに勝者はありえない』と。核兵器から解放される。これは今も私の祈りです」

 「この条約に続いて米ソ両国は核依存を減らす方向へと、軍事ドクトリンを見直しました。冷戦のピーク時と比べ核保有量は80%以上減った。東欧も西欧も軍事力を削減しました。冷戦終結の結果、みんなが手にした『平和の配当』だったのです」

 ――歯止めがなくなっていきます。今後の影響をどう見ますか。

 「時代の流れを逆転させる恐れがあります。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、2002年には米国の一方的な脱退で弾道弾迎撃ミサ イル(ABM)制限条約が失効しました。重要な柱の条約のうち、いま残っているのは新戦略兵器削減条約(新START)のみ。その運命も先行き不透明で す」

 「脱退の背景には、軍事的な制約から自由になり、絶対的な軍事的優位を狙う米国の意志があります。だが、今の世界で一国による覇権はありえない。これは 虚妄の目標であり、願望です。安全保障環境が不安定になれば、新たな軍備拡張競争により、世界政治が無秩序と予見不可能性にさらされます。米国を含めすべ ての国の安全が損なわれるでしょう」ーーー






















                                                                                                                                                                
  
     





























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