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2020年 8月


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2020年 8月31日
昨夜例年より短縮して城崎の花火が上がる。

 今朝宿近くの一の湯、宿を出て大溪川沿いの桜並木の 道を歩きまんだらの湯をハシゴしてまた木漏れ日で地ビール。川沿いの店で昼を食べて辨財天神社を下り地蔵湯に軽く入って出ると突然の豪雨。ビニール傘を 買って駅まで戻り、コロナ対応で高速バスが減便のためもあり、jrローカル線乗り継ぎで帰路につく。
 豊岡、和田山を経て武田を過ぎるころ遠くに武田城跡?らしき頂きも。明石駅からはまだ行っていない明石城の二つの櫓も見えた。6時過ぎ三ノ宮に着く。姫路は今日38度で史上最高温だったとか。
 
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2020年 8月30日
8月も終わり近く三宮からバスで福知山経由で城崎に行く。昼は廉価な松茸弁当。
川沿いの小林屋に荷を預け、御所の湯は今回も工事中で鴻の湯に浸かり、木洩れ日のテラスで地ビール。駅前通りの店でカワハギなどいただき、灯籠流しを待 つ。今年は城崎温泉開湯1300年で青年部の強い希望と努力でこの行事と花火開催に至ったとか。人出は例年より少ないがそれでも賑やか。花火は9時から。
 


2020年 8月29日
「国民の皆様、7年8か月余にわたり本当にありがとうございました」28日安倍首相
「内閣が『右』と考えているのに、法制局が勝手に『左』と決めているのは正しくない」横畠裕介内閣法制局長官(2014年5月~2019年9月)
「国民はすぐに忘れる」政権幹部(2016年7月参院選後)

 薄っぺらな言葉と中身のないキャッチフレーズに頼り、8年近くにわたり憲法を逸脱した法の制定や官僚人事支配そして政治と行事の私物化に明け暮れた者に、国民は礼を言われる筋合いはない。
 「すぐに忘れる」国民のもと2016年7月の参院選で衆参両院3分の2の「改憲勢力」を確保しながら、わが身が招いた様ざまな不祥事によってみずからの 看板であった「改憲」の機運さえ頓挫させただけ。後には、国民のためという大義を忘れ官邸への忖度と公文書改ざん・破棄と場当たり政策に明け暮れる官僚機 構と、汚職や収賄に塗れる直近政治家の汚濁そしてコロナ禍で顕在化した国民の間の深い格差と分断を残しただけ。
 官僚機構を権力への忖度ではなく国民への奉仕へと修正し、将来世代にツケを回す原発依存と都市集中、五輪依存、株価上昇とインバウンド頼みの経済から自 然と調和した持続可能な経済と暮らしへと転換し、非正規・派遣労働のあり方を是正して行くには、残された課題はあまりに多い。首相取り巻きでその政治を引 き継ぐだけの与党になんら期待はできない。この国にはもっとまともな政権が必要だ。

《絶頂期は4年前だった。
 2016年7月10日の参院選投開票日。自民党本部で当選者の名前に花をつける安倍晋三首相は、カメラに満面の笑みをたたえていた。最終的に3分の2を 超える「改憲勢力」を衆参両院で確保した首相は、悲願の憲法改正について「しっかりと橋がかかったんだろうと思っている」との手応えを示した。
 「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」。こんなビデオメッセージを改憲派の集会に送ったのは、その次の憲法記念日のことだった。
 だが、その橋を渡ることはなかった。06年からの第1次政権で改憲手続きを定めた国民投票法を成立させた安倍首相だが、2次政権では具体的な改憲案を国 会で議論することはできなかった。28日の退陣表明の会見では、「憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります」と無念を語った。
 なぜ首相は憲法改正を進められなかったのか。
 12年末の政権奪還直後は、参院では自民・公明で過半数をとれておらず、衆院とはねじれ状態。翌13年1月の初めての国会演説では「過去の反省を教訓として心に刻み、丁寧な対話を心がけながら国政運営にあたっていくことを誓います」と低姿勢に徹していた。
 しかし、その夏の参院選でねじれを解消し、1強体制を確立すると、それが一変する。政治基盤と支持率の安定、そして株価上昇を原動力に、首相は安全保障面での課題に積極的に取り組んでいく。
 13年12月の特定秘密保護法の制定に続く政権前半の最大の「仕事」は、集団的自衛権の限定行使を認めた14年7月の閣議決定と、それに続く15年の安全保障関連法の制定だ。
 歴代内閣は、「憲法を変えない限り集団的自衛権は行使できない」との政府解釈を維持してきた。憲法改正をせずに行使できるようにするために、安倍首相が最初にとった手段が「法の番人」と呼ばれる内閣法制局長官の交代だった。
 政府解釈の変更に慎重だった長官に代え、集団的自衛権の容認に積極的な外務省出身者を慣例を破る形で起用。新長官は「内閣が『右』と考えているのに、法制局が勝手に『左』と決めているのは正しくない」と公言した。ーーー



2020年 8月27日
「正しく納税し、反社会的勢力との繋がりも無く、みんなと同じように新型コロナウイルスの影響を受けている。それなのに、他の業種と同様に国が扱わないことは、職業差別だと感じました。国が特定の業種をそのように扱うことは、人々の差別意識を助長します」経営者
「行政目的を達成するために国と私人との間で締結される契約(これを「行政契約」といいます。)は、私人同士の普通の契約とは違い、公益目的の契約で、原資が税金ですから、不平等・不公正な契約内容であってはならないという法的な制約があります」亀石倫子弁護士

 持続化給付金の事業再々委託で政権と近しい電通には100億円超を中抜きさせ、他方で風俗産業は課税対象でありながら給付対象外とする政府。職業に貴賎はない。当事者、弁護団の努力はこの国をより公平で公正な社会にするもの。

《  新型コロナウイルス感染症拡大に伴う国からの給付である「持続化給付金」および「家賃支援給付金」について、性風俗店を始めとする「性風俗関連特殊営業」の届け出をしている事業者は、給付の対象外となっている。
   これに対してある風俗店が、国に対して風俗産業への「持続化給付金」と「家賃支援給付金」を求め、東京地方裁判所に提訴する準備を進めている。2020年 8月27日からは、この訴訟のためのクラウドファンディングを開始した。J-CASTニュースは、この風俗店の経営者FU-KENさん(匿名)に取材を 行った。
正しく納税し、反社との関係もないのに...
   持続化給付金は、新型コロナウイルス感染症拡大によって、営業自粛などの影響を受けた事業者に対して給付されるもので、事業全般に広く使える。家賃支援給 付金については、5月の緊急事態宣言の延長などにより、売上の減少に直面する人々の事業の継続をささえるため、地代・家賃(賃料など)の負担を軽減する給 付金を給付するものとされる。しかし、性風俗事業者は給付対象になっていない。性風俗事業者以外で除外されているのは政治団体・宗教団体のみだ。ーーー



2020年 8月27日
「入院は重症者に特化していい」(官邸幹部)
「態勢が整えば恐るるに足らない病気となる」(政府高官)
 選挙で多額の買収資金を地域の自民議員や首長らに配って起訴された前法務大臣や、IR汚職で収賄罪の他に2千万円の証人買収による組織犯罪処罰法違反(証人等買収)で起訴された与党議員もいるが、この「官邸幹部」「政府高官」なるものたちもほとんど反社勢力化している。
 8月に国内の重症者は1日の83人から17日は243人と3倍増で27日現在も238人。8月の死者は7月31日の1011人から27日1226人となり215人。
 大阪は8月の死者44人で5月を上回って月別最多となり、14日は死者5人で1人は死後に感染確認、18日は死者6人で2人が死後に感染を確認。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/49680
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200826/k10012584081000.html
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_13229.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0ab19d7af7db37e82d4d5f4a16b755df7c63659
https://www.ktv.jp/news/articles/bc19b4b0_3b84_4b4f_9f16_8d8173125594.html
 8月の重症者と死者の増加は政府の「go toトラベル」による全国の感染拡大がもたらしたもの。重症化の診断はおろか入院すらもなく、感染確認前に死亡する人びとが絶えない新型コロナ感染症対応 のこの国の実態は、「態勢が整う」どころか必要な人が入院すらできないという極めて酷い有様。「たかが風邪」「インフルと変わらない」と言ってきた「専門 家」と「政治家」の無策のツケを国民がかけがえのない命で支払わされている。
 「入院は重症者に特化していい」「態勢が整えば恐るるに足らない病気」などとはどの口が言うのか。今ですら重症者を見つけられていないという問題に背を向けた「保健所・医療現場の負担軽減」が、さらに重症者とその予備軍を医療から遠ざけて死者を増大させるだけ。
 今日関西の知事による関西広域連合は新型コロナの収束が見通せない中での見直しは「時期尚早」として反対を表明している。地域の感染症対応に当たる知事として当然の判断だろう。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202008/0013639809.shtml
 指定感染症類型以前に、やる気のない首相とそれが率いる「官邸」自体を見直すべきだ。

《新型コロナウイルス感染症をめぐり、政府は軽症や無症状の感染者も入院させることができるとする感染症法上の運用を見直す議論を進めている。保健所や医 療機関の負担を軽減し、重症者に集中的に対応することが主な目的だが、新型コロナへの国民の不安を抑え、経済活動を活発化させたいとのねらいもある。
 官邸関係者によると、政府は28日に対策本部を開き、安倍晋三首相が会見を行う見通し。医療機関への支援策などとともに、運用の見直しを打ち出すことも検討しているという。ーーー



2020年 8月25日
「政治においてはその職に何日間在職したかではなく、何を成し遂げたかが問われる。結果を出すために一日一日、日々、全身全霊を傾けてきた。その積み重ねの上にきょうの日を迎えることができた」安倍首相
「安倍さんは次から次へと政策に手をつけて「やってる感」を演出するのが内政上の技ですから。それなりの成果が無かったわけではない。でもね、長きが故に 尊からずとは言いますが、個々の中身よりは、続いたってこと、そこにレガシーがあると思います。ーーーただ、安倍さんが力を入れていた北方領土や拉致の問 題は、悪化させたとは言わないけれど、現状維持。あまり高い点数は与えられませんね」御厨貴・東大名誉教授
https://digital.asahi.com/articles/ASN8R6S3XN8QUTFK002.html?iref=pc_ss_date
「「力強いリーダー」という安倍総理のイメージや安倍政権のキャッチフレーズや看板政策である「アベノミクス」「三本の矢」「地方創生」などは今井氏が仕 掛けたもので、2014年からは経産省の後輩である新原浩朗・経済産業企画局長を中心に「新・三本の矢」「働き方改革」「人づくり革命」「人生100年時 代」などの大風呂敷を広げてきました。
 これらの看板政策のいくつかは実際にやりましたが、その中でもきちんとした成果をあげたものはあまり見当たらない。結局、イメージ戦略が先にあって後付 けで政策を組み立てるため、政策に一貫性がなく実際の成果も乏しくなるのです。見栄えはいいが中身はない。その意味で、安倍政権は本質的に「空虚な政権」 です」毎日新聞編集委員兼論説委員・伊藤智永氏
https://hbol.jp/226516
「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」(2012年12月)「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るか で違う」(2013年4月参院予算委)「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」(2013年9月五輪招致委)「日教組!日教組!」 (2015年2月衆院予算委)、「早く質問しろよ」(同5月衆院特別委)、「そんなこといいじゃないか」(同8月参院特別委員会)「いいかげんなことばっ かし言うんじゃないよ」「くだらない質問で終わっちゃったね、また」(2017年6月衆院決算行政監視委員会)「私や妻が関係していたということになれ ば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」(2017年2月衆院予算委員会)

 嘘と詭弁の答弁と品性を欠いたヤジに彩られ、森友・加計・桜などひたすら政治を私物化して何ら責任を取らず、側用人補佐官らが唆したキャッチフレーズだけの政策を掲げても内政外交ともにろくな成果を出せなかった安倍政権の7年間。
 コロナ禍で野党が憲法53条に基づく臨時国会召集の要求を提出しているにも関わらず、国会を開会せず記者会見からも逃げまくりながら、憲政史上最長の日に本人は相変わらず己の行為を客観的に振り返ることはまるでできず、空疎極まる自賛の言葉を述べるだけ。
 やる気もなく体調不良なら即刻辞職してはどうか。それが本人の為、この国の為だ。
《安倍晋三首相は24日、慶応義塾大学病院(東京都新宿区)で受診した。首相はその後、記者団を前に職務の継続に改めて意欲を示したが、先週17日に続く 2週連続の通院に、与党内でも首相の健康を不安視する声が強まる。政治日程への影響も取りざたされ始めた。▼総合4面=菅氏じわり存在感、オピニオン面= 耕論、社会面=長期政権の評価は
 ■延期なら求心力懸念 内閣改造
 首相は午前10時前に、東京・富ケ谷の自宅から直接病院に入り、4時間近く滞在した。
 検査の後、首相は首相官邸で記者団に「先週の検査の結果を詳しくうかがい、追加的な検査を行った。体調管理に万全を期して、これからまた仕事に頑張りた い」と述べた。検査内容などについては「今日は再検査を行ったところである。またそうしたことについてはお話をさせていただきたい」とだけ語り、具体的に は明らかにしなかった。
 この日、首相の連続在職日数は2799日となり、大叔父の佐藤栄作氏の2798日を超えて憲政史上最長となった。首相は「政治においてはその職に何日間 在職したかではなく、何を成し遂げたかが問われる」と指摘。「結果を出すために一日一日、日々、全身全霊を傾けてきた。その積み重ねの上にきょうの日を迎 えることができた」と語った。ーーー




2020年 8月23日
・子供等は蕾のままに散りゆけり嗚呼満開の桜に思う
・さんざめく子等を乗せたる対馬丸我が目の前で魚雷命中す
・親を呼び師を呼び続くるいとし子の花かんばせの命の惜しき
・妹よ堅く握れる手が離れ学業半ばの汝も沈みき
・紺碧の波の色さえうらめしく海上慰霊祭の出席断りぬ
「私は地面の下で生きていくのだと思っていました」「よろしくと頼まれた父母たちに、とても会うことができません。慰霊祭も行けませんでした」
「私は、学校の方針に従い、疎開に行きそうな子の家を家庭訪問しました。私が説得しなければ……と、無心な子どもたちを疎開船に乗せたことを悔いる気持ちが今でも消えません」
 沖縄からの学童疎開船対馬丸の米潜水艦による撃沈事件から昨日で76年、戸板に掴まり4日間漂流して助けられ生き残ったのち60年間沈黙を通した元国民 学校引率教師が密かに書きとめた短歌と記録、86歳で始め90歳で亡くなるまで続けた事件についての語りの言葉を伝える記事。
 対馬丸の乗員・乗客は国民学校の学童や教員ら乗船者1800人、そのうち1485人が死亡(対馬丸記念館・2014年8月22日までの氏名判明者)。犠 牲者のうち学童は780人、生き残った学童は60人で6歳以下の子どもを含めると1000人余の幼い命が犠牲になったとされるが、正確な数はいまだに定 まっていない。
 桜を見ても、紺碧の海を見ても亡くなった子どもたちや妹への悔恨の想いとともに生きた戦後。こうしたひとびとの営為によっていまのこの国がある。二度とこのような悲劇を繰り返さないためにどうすべきか、わたしたちに問われている。

《戦時中、沖縄から船で疎開する学童らが米軍の魚雷で犠牲になった対馬丸事件から22日で76年。生き残った引率の教師は自責の念から長い間、口を閉ざし ていた。晩年、事件を語り始め、対馬丸の記憶をつづった短歌を残して逝った。その長女が今年、母親の遺志を継いで語り部になった。
 子供等は蕾(つぼみ)のままに散りゆけり嗚呼(ああ)満開の桜に思う
 こう詠んだのは、那覇市の天妃(てんぴ)国民学校に勤めていた新崎(旧姓・宮城)美津子さん。事件当時、24歳だった。
 美津子さんが初めて人前で、対馬丸について話したのは2006年、86歳の時。戦後、移り住んだ栃木県での講演会だった。60年余が過ぎていた。
 「私は地面の下で生きていくのだと思っていました」「よろしくと頼まれた父母たちに、とても会うことができません。慰霊祭も行けませんでした」
 講演に付き添った長女の上野和子さん(73)は、母が対馬丸の生存者と知ってはいた。だが、家族も聞いたことのない話に驚いた。教師だった母が不安がる親を説得して学童を船に乗せたこと、その教え子たちを守れなかったこと……。娘の知らない母がいた。
娘の和子さんさえ知らなかった母の悲劇。没後に見つかった大量の短歌から、美津子さんの苦悩に思いをはせます。
 ただ、それまで口にしなかったのに立ち入って聞けば「母が壊れてしまう」と考えて、詳しく聞けなかった。美津子さんは11年2月、90歳で逝った。
 遺品を整理すると、ノートに美津子さんの趣味だった短歌800首と体験が記されていた。対馬丸の歌もあった。痛みの記憶を追いかけるような歌だった。
 さんざめく子等を乗せたる対馬丸我が目の前で魚雷命中す
 出港翌日の1944年8月22日夜、甲板で見張りを手伝っていた美津子さんは、白く長細いものが突進してきたのを目撃した。魚雷だった。ばりばり音をた てながら船が沈み始め、美津子さんも海に投げ出された。暗い海に、たくさんの子どもたちが浮いていた。「頑張って」と励ますのが精いっぱい。次々、消えて いった。
 親を呼び師を呼び続くるいとし子の花かんばせの命の惜しき   ーーー



2020年 8月16日
日記がわりに。
 7月の雨続きの次は8月晴れの猛暑続き。神戸はなぜか大阪、京都より気温が低いが。
 三連休初日は二週ぶりにil vento。その後バスで阪神御影に降り食材買って帰宅。10日はこれも久しぶりに三宮に出ると通りのテラスがいつの間にか再開。栄町通りのkitchinで地場野菜のピザをいただきテラス席でコンビニコーヒー。
 暑さのためかスズメもカラスも見かけなくなったが、11日ベランダでなんの鳥か鳴いていた。12日は摂津本山駅前でバジル買い、牛すじぶっかけを頂いて秋田以来初の温泉でうはらの湯。
 昨日終戦記念日は、まったく関連ないがやはりひと月ぶりに花隈のfamgliaに行く。隣はイタリアンの家族で小さな子達が興味深げにキッチンを見てい た。そのまま酷暑のなかハーバーランドに行くと観覧車は営業しており、蒸し風呂のようなテラス席でたまに吹く冷風を受けながらコーヒー。umieを覗くと 時々雑貨を買っていたお店がなんと閉店を告げていた。ドック沿いを歩くのは流石にやめてjrで元町に戻り、阪急地下で久しぶりにカワハギを見つけて帰る。
 標高190メートルで例年エアコンは数回しか使わないのだが、今年はおとといから連続使用中。ベランダの古い木製イスとテーブルが朽ちて、ダメ元で有り合わせの水性塗料を塗ってみる。もう少し持つだろうか。
 


2020年 8月16日
昨日のNHKドキュメンタリー。東京発のニュースは酷いが、ドキュメント部門はいい仕事をしている。 
 230万の戦死者遺族には占領軍撤退とともに遺族年金などの援護が進められたが、80万の民間人犠牲者や戦争孤児などその遺族に対しては、被曝者援護などをのぞいて「受任」論によってなんの補償も行わなかったこの国の非情さがしっかりと描かれている。
 登場したこの民間人保障を拒否し続けた高齢化した元官僚らにとっては、空襲や地上戦の犠牲となった市民は「人間」ですらなく、これが地域を狭めた被爆者 認定の限定や公害被害者そして福島原発事故による放射線被曝者の限定など、この国の戦後に一貫した政策の非情さに繋がっている。無謀な戦争を起こし遂行し た国の責任として、民間人被害者への補償を今からでも行うことが、再びこの国に次の戦争をさせないためにも必要だろう。
「国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しか し、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象 とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する」




2020年 8月16日
「国のために尊い犠牲を払った方々に哀悼のまことをささげるのは当然だ。平和への思いや不戦の誓いは、一議員であろうと大臣であろうと変わらず、8月15 日の参拝をしっかり続けたい。令和の時代を、靖国神社への参拝がニュースでなくなる時代にしなければならない」小泉環境大臣
「先の大戦で尊い犠牲となられた先人のみたまに、謹んで哀悼の誠をささげ、政治家として不戦の誓いを新たにした」萩生田文部科学大臣
「国のために亡くなられた方々に感謝を示し、平和を祈念した。慰霊をしているわけで、中国や韓国から言われることではないはずだ」衛藤一億総活躍担当大臣
「国策に殉じた方々のみたまに感謝のまことをささげるとともに、ご遺族の方々の健康と平和を祈った。閣僚であってもなくても、毎回お参りをさせていただい ている。国のために命をささげられた方をどのようにおまつりし、慰霊するかは、それぞれの国民が判断することで、決して外交問題にしてはいけない」高市総 務大臣

 終戦75年目の日に実に腹立たしい記事。
 1869年官社として設置され、戦死者を祀り国家による戦争遂行の道具として無謀な戦争に国民を動員するための虚飾に満ちた施設であった靖国神社はすで に戦後政教分離によっていち民間宗教施設となり、それへの閣僚らの参拝は憲法20条「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならな い」に明確に違反する。これら環境、文科、総務などの大臣として愚かしい発言をしていることで、さらに違反の程度は許し難いものになっている。
 私の母方の唯一の叔父は久留米第56師団龍6736部隊の一員としてビルマで戦い「戦死」したが、軍から送られてきた骨壼には石しか入っておらず、靖国に叔父の魂が帰っているはずがないとして祖母も母の姉妹も戦後一度も靖国神社を訪ねたことはない。 
「国のために尊い犠牲を払った」「先の大戦で尊い犠牲となられた先人のみたま」「国のために亡くなられた方々」「国策に殉じた方々」これらの言葉は、先の 大戦で死亡した230万人の日本軍兵士の6割は餓死か戦病死だったことの国家の責任を不問にし、美化する。「外交問題にしてはいけない」などは寝言でしか ない。「不戦の誓い」は東京なら千鳥ヶ淵かそのほかの相応しい場でしたらどうか。

《「終戦の日」の15日、安倍政権としては最も多い4人の閣僚が、靖国神社に参拝しました。「終戦の日」の閣僚の参拝は、平成28年以来4年ぶりです。
15日参拝した閣僚は、小泉環境大臣、萩生田文部科学大臣、衛藤一億総活躍担当大臣、高市総務大臣の4人です。
「終戦の日」の閣僚の参拝は、平成28年以来4年ぶりで、4人の参拝は、安倍政権としては最も多くなりました。ーーー



2020年 8月13日
「ああ、だめなんじゃ。これで終わりじゃなかった。(勝訴は)ぬか喜びやった。判決が出るまでに時間がかかれば、体は動かなくなる。みんな後がないんよ」原告の一人の沖昌子(よしこ)さん(79)
「(家の前の川を境に援護対象から外れた)川にはドアも立てられやせんのに、隔てられる。おかしいでしょ。悲しうて。何とも言えません」原告の新庄竹子さん(84)
「命には限界がある。先延ばしすることでそれ(亡くなること)を望んでいるのではないか」原告団の高野正明団長(82)
「原告は被害に遭いながら、75年もの間、ほったらかしにされてきた。控訴は極めて遺憾」原告側弁護団の広島敦隆団長
「国はずっと要望を蹴ってきた。(科学的知見に基づく再検証について)経緯を考えると『そうですか』とは言えない」弁護団事務局長の竹森雅泰弁護士
「着とったシャツが真っ黒になった。(がんを患ったが、当時いた場所は援護の対象区域の外とされ)腹立つよ。ほんまに降ったんじゃけえ」医師らとの面談を終えた男性(84)
「爆心地から30キロ圏内で黒い雨を浴びた人は、ざっくりした推定で1万3千〜1万4千人いるはず」松井一実・広島市長
「(黒い雨の実際の降雨範囲を国が定めた大雨・小雨地域より広いと認定した判決に)これでは範囲もへったくれもなくなる」官邸幹部
「こうした調査で、大雨地域外は健康に影響を与えるような放射性降下物による被曝(ひばく)は認められていなかった。(判決は)大雨地域の外でも、黒い雨 を浴びたと確認され、援護対象になる11の疾患があれば被爆者と認めている。放射線の影響があったかどうかがチェックされていない」厚労省の担当者
「広島地裁判決は長崎の裁判と違い、対象者それぞれについて吟味した形跡がない。科学的根拠も示されておらず、次々と手を挙げる人が現れれば裁判を繰り返すことになる」厚労省幹部
「被爆者のみなさまの要望なども踏まえ、黒い雨地域の拡大も視野に入れて検証していきたい」安倍首相
「専門家の力を借りなければならない。(検証の開始時期や結論の時期は)まだ決まっていない。今の時点で申し上げる状況にはない」厚労省幹部
https://digital.asahi.com/articles/ASN8D6RDRN8DPTIL02H.html?iref=pc_rellink_01

 原爆投下後の「黒い雨」による自らの重篤な疾病から被曝者認定を求める70代~90代の高齢者に対して、なんと厚労省官僚や官邸幹部らの言葉と対応の冷酷極まるものであるか。しかも明らかなデタラメを吹聴している。
 2017年長崎の387名の原告による訴訟の最高裁判決は、対象者についてなんら吟味することなく、その訴えを冷酷に退けている。
「原審口頭弁論終結時における科学的知見によれば,長崎原爆が投下された際爆心地から約5 kmまでの範囲内の地域に存在しなかった者は,その際に一定の場所に存在したことにより直ちに原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下に あったということはできない。原告らは被爆者援護法第1条の3号被爆者には該当しない」 被爆体験者訴訟第1陣最高裁判決2017年12月
https://www.vidro.gr.jp/20171219-2/
 同様に広島市などの指定地域拡大の要望を受けて開設された厚労省2012年「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会」の議論も、対象範囲 を狭くした「宇田論文」を前提に国の地域指定を追認したが、「黒い雨の降雨の如何によらず、放射線による健康影響が確認できないという結論は変わらない」 と、「黒い雨」による被曝者たちの内部被曝とその人体への影響について全く認めようとしていない。チェルノブイリや福島原発事故そして放射線従事労働者の 低線量被曝による疾病を認める近年の世界の研究に全く背を向けている。
 この「検討会」なるものは、放射線医療は専門外の精神科医師である飛鳥井望や同じく精神保健学者である川上憲人と公衆衛生学者の荒記俊一らによって、被 曝者の切実な訴えと広島市などの要望を「黒い雨」による被曝ではなく、放射線被ばくへの「不安や恐怖」の問題に矮小化するために開かれたものでしかない。 これは現在の福島原発事故への対策として低線量・内部被曝の影響を過小評価して避難者らに帰還を促すための政府・原子力村関係者らの言動と同じ構図だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000zujr-att/2r9852000000zx3g.pdf
「広島等から提出された調査報告書において検討がなされていた「黒い雨の降雨時間の地理分布」についても、本検討会において、広島原爆投下後の降雨に関連 する情報(宇田技師らの報告や放射線影響研究所が発表した「原爆直後の「雨」情報」等)を合わせて検討を行ったものの、降雨域を確定することは困難と考え られた。なお、黒い雨の降雨の如何によらず、放射線による健康影響が確認できないという結論は変わらない。原爆投下直後の降雨の有無と、放射性降下物の降 下や原爆放射線による健康影響は直接結びつくものではないことに留意すべきである」
「黒い雨体験があると回答した黒い雨体験群は、黒い雨の体験がないと回答した非体験群に比して精神的健康の指標が悪い傾向が見られ、ーーー黒い雨体験の有 無と精神的健康指標との関連の大部分は、原爆に関連する体験等と共に、黒い雨の放射能、特に放射線被ばくの健康影響への不安や心配によって説明されると考 えられた」(2012年5月29日 第8回「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会議事録)
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002eckx.html
 なお、「検討会」の数少ない放射線研究者の中で広島市などの調査に加わった広島大学放射線研究所の大瀧滋教授は参考人としてよばれ、報告書に「なお、大 瀧委員から、未指定地域の一部に黒い雨の体験率が 50%を超える地区が 存在し、それらの地区の中には宇田の小雨地域に含まれない区域を持つ地区が 含まれたことから、宇田雨域の外側でも黒い雨が降った地区が 存在する可能性が示されたことは重要である、との意見があった」とのみ記され、指定地域拡大を否定する結論になんら影響を与えていない。
 この2012年までの「検討会」は民主党政権下のものだが、厚労省の体質は変わることなく現在の新型コロナウイルスに関わる政府「専門家会議」や「分科 会」と同じく、科学的正当性よりも政権に忖度する人物を集めただけの「専門家会議」と官僚では全く国民の命と暮らしは守られない。やる気のない悠長な「検 証」ではなく、政府はこの非情きわまる控訴を即刻取り下げるべき。

《黒い雨を浴びた私たちを被爆者と認めて――。国の援護対象外の原告の訴えを全面的に認めた広島地裁判決に対し、国と広島県、広島市は12日に控訴した。 援護拡大を視野に再検証する方針も示されたが、原告の人々は高齢化が進み、病を抱える。「もう、時間がない」。悲痛な叫びがあがる。
 「命には限界がある。先延ばしすることでそれ(亡くなること)を望んでいるのではないか」。12日午後、広島市内で記者会見に臨んだ原告団の高野正明団 長(82)は語気を強めた。原告側弁護団の広島敦隆団長も「原告は被害に遭いながら、75年もの間、ほったらかしにされてきた。控訴は極めて遺憾」と語っ た。ーーー




2020年 8月12日
「この出来事は、今でも決して忘れることはない。私は雨に打たれ、黒い雨の注いだ山の沢水を飲み、その水で育てた野菜を食べて生活していた。子どものころ は鼻血がよく出て、朝に顔を洗うと止まらない時もあった。それなのに、なぜ国は不十分な調査で線引きをしたのか。納得できるわけがない。母親は白内障と緑 内障になって失明し、胆のうがんを患って死亡した。私も白内障で3回も手術をし、今は緑内障もある。内部被ばくの影響を心配するのは当たり前だ。多くの人 が口をそろえて黒い雨は降ったと話すのに、国は聞き取りにも来ない」広島市佐伯郡湯来町麦谷の本毛稔(ほんけ・みのる)さん(80)
「援護対象を大雨地域に限定する根拠はないし、国の”線引き”の根拠とされた『宇田論文』(広島管区気象台の宇田道隆技師が原爆投下直後に聞き取り調査を してまとめた「宇田雨域」基準)の調査は時間的・物理的な限界がある。原爆投下直後の混乱の中で、そもそも原告らのいた遠方の地域の調査は行われていな い」原告弁護団事務局長竹森雅泰弁護士
・2015年の提訴時の原告88人のうち4年の間に16人が死去。最高齢の原告は96歳(被爆時21歳)、最年少は75歳(同生後4カ月)。

 29日の広島地裁判決を報じたnippon.com記事から。
 7月29日「黒い雨」による被曝を認め原告84人全員を被爆者援護法上の「被爆者」と認定し被爆者健康手帳の交付を広島県と市に命じた広島地裁判決を、12日国が主導して控訴した。松井広島市長は「毒杯飲む心境」と述懐。
https://digital.asahi.com/articles/ASN8D66TNN8DPTIL017.html?iref=comtop_8_05
「(判決は)過去の最高裁判断と異なり、十分な科学的知見に基づいていない」加藤勝信厚生労働相
 
「十分な科学的知見」もなく、専門家会議が全国一斉の休校を提言しないのに独断で休校要請し、感染拡大時に「go to」キャンペーンを強行して感染をさらに拡大させる政権。
 現在のコロナ感染対応でも同じだが、そもそも75年前の原爆投下直後の、気象台技師による熱意はあっても不十分な調査を「基準」として「大雨地域」「小雨地域」を線引きし、隣り合う一方を手帳交付対象とする「科学的知見」なるものに何ら科学的正当性はない。
 広島市は、 2008年から 2010年にかけて、「第二次原子爆弾被爆実態調査 研究」として「原爆体験者等健康意識調査」と「放射性降下物の実態解明に 関する検討j を実施し、その結果、「未指定地 域住民の「黒い雨」体験者は、心身健康面が被爆者に匹敵するほど不良であること」が判明し、2010年 7月、広島県知事・広島市長・廿日市市長・安芸高田市長・府中町長らは、連名で「原子爆弾被爆地域の拡大に関する要望書」を厚生労働省に提出
し『「黒い雨」 降雨地域全域を第一種健康診断特例区域に指定すること』を要望している。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/32523/20141016190634736967/hps_32_107.pdf
 2011年、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)は広島、長崎で黒い雨分布が国の援護対象より広範囲であったことを1万3000人の調査データから分析し公表している。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=5447
 厚労相が触れる「最高裁判決」とは、長崎の国による指定地域外の被爆者による被爆者健康手帳交付等請求訴訟の最高裁2017年12月と19年11月の判 決だが、これらはたんに東西7キロ、南北12キロという当時の行政区分と放射線による被害の過小評価による線引きでしかない国の判断を追認しただけのも の。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112201112&g=soc
 この記事で触れられる白内障、心筋梗塞、高血圧性心疾患、脳梗塞、慢性肝炎、多重がんなどはこの間の原爆症認定訴訟などで被爆による被害と認定されている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001jfuj-att/2r9852000001jg05.pdf#
 援護を「大雨地域」に縛る線引き政策自体が非科学的かつ時代遅れの代物でしかない。地裁判決を受け入れることなく、75~96歳の高齢となった被爆者をいまだに認定せず控訴するとはあまりに人道に悖る行為。国と広島県、市は控訴を直ちに撤回すべし。

《広島への原爆投下後、放射性物質を含んだ黒煙が巻き上がり、空気中の水滴と混じって地上に降った「黒い雨」。この雨を浴び、健康障害に苦しみながら、これまで「被爆者」と認められなかった人たちがいる。
被爆者の「証明」ともいえる被爆者健康手帳。交付されると医療や健康診断などで、国の支援が受けられる。厚生労働省によると、手帳を持つ人は2020年3 月末で13万6682人。最も多かった37万2000人(1980年)の3分の1近くまで減った。平均年齢は83.31歳だ。
だが、あの日から70年以上もの月日が経っても「被爆者」と認めてもらえない人たちがいた。広島では、「黒い雨」を浴びながら国の指定から外れた地域にいたために手帳を取得できない人々が集団訴訟を戦った。ーーー



2020年 8月11日
・香港警察は10日、著名な民主活動家、周庭氏(23)を香港国家安全維持法違反容疑で逮捕した。
・警察は同じく逮捕した黎氏に、外国勢力と結託して国家の安全に危害を及ぼすことを禁じる国安法29条を適用した。
 今月1日の外国で暮らす香港出身の民主活動家ら6人の香港国家安全維持法違反容疑での指名手配につづき、10日香港民主派の新聞創業者黎智英氏(71)や民主活動家周庭氏(23)ら10人を香港警察が逮捕した。
 6月30日に香港基本法の規定を逸脱して中国全人代常務委員会が香港政府や市民に意見を聞くこともなく独断で制定したこの国家安全法は、発効前の行為へ の不遡及を掲げていたが、この一連の指名手配や逮捕は明らかにその規定をみずから放棄した違法なものだろう。中国における民主主義や人権保障を求める声を 封殺し、指名手配者に国内法が対象とする中国国民や香港市民でもない在香港英国総領事館の元職員で英国に政治亡命した鄭文傑氏や、雨傘運動の提唱者の一人 である朱耀明牧師の息子の米国籍で在住25年になる朱牧民氏も含まれるなど、極めて異常かつ国際法の常識に反するものだ。
https://digital.asahi.com/articles/ASN833F8JN81UHMC00C.html
 歴史を振り返れば、中国で民主革命を指導した孫文は清朝打倒を目指して1894年ハワイで「興中会」を、1905年東京で「中国同盟会」を組織して 1911年の辛亥革命へとつながったが、米国でも日本でも彼らを支援する人びとが少なからず存在した。ちなみに彼の「中山」号は東京日比谷を散歩していた 時目にした表札が気にいって採ったものとされている。
 戦後長く中国首相を務めた周恩来は1917年日本に留学し明治大学に通い、河上肇の著書で初めてマルクス主義に触れて京都大学でその講義を聴講もし、20年パリに留学しその地で中国共産党支部を組織している。
 いずれも、中華民国また中華人民共和国建国の士たちの「外国勢力と結託して国家の安全に危害を及ぼす」行為そのものだろう。そして他ならぬ中国共産党自 身が1919年モスクワで設立された国際共産主義運動体コミンテルンの傘下として長く指導を受けていた歴史の厳然たる事実がある。
 みずからの歴史は棚に上げて、多党制と自由選挙、言論の自由と個人の人権など普遍的な価値を掲げて現在の中国における国民に対する人権抑圧と一党独裁を 批判する人びとに対する容赦ない弾圧の姿は、他国民すら取り締まりの対象にするなどかつての清朝をも超えた異常極まるものでしかない。世界の人権と平和、 民主主義にとって中国の独裁は大きなリスクでしかない。日本政府は厳然たる声をあげてこうした市民への弾圧に異を称えるべきだろう。
《複数の香港メディアによると、香港警察は10日、著名な民主活動家、周庭(英語名アグネス・チョウ)氏(23)を香港国家安全維持法(国安法)違反容疑 で逮捕した。警察は同日、民主派の香港紙「蘋果日報」などを発行するメディアグループの創業者、黎智英(れいちえい)氏(71)や同紙幹部ら7人も国安法 違反などの疑いで逮捕しており、民主派への取り締まりを本格化している。
 周氏は国際社会に香港民主派への支持を呼びかけ、日本でも広く知られている。2012年、愛国教育の導入に反対する運動に参加。14年に民主的な選挙制 度の実現を目指した「雨傘運動」でも学生団体のリーダーの一人として活動した。その後、政治団体「香港衆志」に所属して政治活動を続けたが、今年6月の国 安法の施行後は香港衆志を解散し、個人で活動を続けていた。逮捕容疑の詳細は不明だ。ーーー



2020年 8月10日
「被爆者の方々と手を取り合って」「被爆者の方々に寄り添い」「立場の異なる国々の橋渡しに努め、国際的な議論を積極的にリードしていく」「首相として9 回目の式典参加」「(被爆地域外で)健康に問題のある量の放射線被曝(ひばく)があったという科学的知見は今のところない」どこかの首相
「資料館を自身の目で見て、感じて、考えてください」「寄り添うというなら、被爆者の言うことを聞いてほしい。何のために長崎に来るのか、その意味を考え てほしい」「『橋渡し』というが、米国の『核の傘』の下でぬくぬくして、何かやっているのか。もっと中身のある答えがほしい」「それぞれの都市に特徴のあ る事項を見つけ出して、それに対してのコメントが入っていれば、政府が真剣だということを我々も感じられるが、それが無い」長崎の被爆者5団体代表
 広島・長崎の平和記念式典に9回も参加しながら、秘書官が書いた薄っぺらなしかも同じ文章で式典あいさつを終え、被爆者代表との面会においても空疎な言 葉を羅列し、被爆者の悲願である核兵器禁止条約締結と被爆者認定の拡大さらには原爆資料館訪問にすら後ろ向きな首相に対する被爆者団体代表の憤りに満ちた 言葉。
 感染症に関する科学的知見をみずからの無為無策のために捻じ曲げて新型コロナ対策もまともにできず、同じ姿勢で核兵器廃絶のための真摯な行動力も原爆の惨害を学ぼうとする意思もまったく欠落させた人物が、この国の首相であり続ける不幸。とっとと辞任せよ。
《長崎の被爆者5団体の代表らが9日、長崎市内で安倍晋三首相らと面会した。この日の平和祈念式典のあいさつで安倍首相は「被爆者の方々と手を取り合っ て」「被爆者の方々に寄り添い」と述べたが、昨年の面会で求めた長崎原爆資料館訪問は実現せず、被爆者が参加を求める核兵器禁止条約からも距離を置く。被 爆者からは「政府の真剣さが感じられない」という声が漏れる。
 式典後に面会し、5団体が政府への要望書を手渡した。政府側は、条約に参加する代わりに核兵器廃絶に向けて「立場の異なる国々の橋渡しに努め、国際的な 議論を積極的にリードしていく」。国によって定められた長崎の被爆地域外にいたため被爆者と認められない「被爆体験者」についての救済について、最近の研 究を踏まえた判断を求める被爆者側に対し、「(被爆地域外で)健康に問題のある量の放射線被曝(ひばく)があったという科学的知見は今のところない」など と、従来の見解を繰り返した。
 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(79)は昨年、首相に原爆資料館訪問を求め、「被爆者からの宿題です」と訴えた。今年の要望書では「資料館を自身 の目で見て、感じて、考えてください」との一文が盛り込まれたが、首相から具体的な回答はなかった。面会を終え、「寄り添うというなら、被爆者の言うこと を聞いてほしい。何のために長崎に来るのか、その意味を考えてほしい」と憤った。



2020年 8月 7日
「75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
 目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
 人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。
 町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
 血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」
 広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
 人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
 私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。
 私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。」
「平和への誓い」子ども代表広島市立矢野南小6年の大森駿佑しゅんすけ君(12)同安北小6年の長倉菜摘なつみさん(12)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/47359
「平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ」、「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、これからの 広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます」
「ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠 な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に 機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか」
「日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条 約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超 えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨 降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます」松井一実・広島市長
「我々の切なる願いに反し、昨今の核兵器廃絶を巡る情勢は、極めて厳しい状況です。改めて、核兵器国を中心とする各国に、核兵器不拡散条約の遵守(じゅん しゅ)、核兵器禁止条約の批准、核軍備管理・軍縮にかかる枠組みの堅持、核実験自粛堅持と包括的核実験禁止条約の早期発効、そして核兵器の永久放棄を強く 求めます。
 なぜ、我々広島・長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのでしょうか。それは、核による抑止力を信じ、依存している人々と国々があ るからです。しかしながら、絶対破壊の恐怖が敵攻撃を抑止するという核抑止論は、あくまでも人々が共同で信じている「考え」であって、すなわち「虚構」に 過ぎません」湯崎英彦・広島県知事
https://digital.asahi.com/articles/ASN862V8QN85PITB01D.html?iref=pc_ss_date
「今日、核兵器のない世界は我々の手からすり抜け、さらに遠のいて行くように見えます。
 冷戦期及びその終了とともにできた数々の軍備管理、透明性、信頼醸成措置の網の目がほころんできています。
 対立、不信感、対話の欠如により世界が無制限な戦略的核競争の再発の脅威にさらされています。
 核保有国は兵器の近代化を進め、新しい危険な兵器とその運搬手段を開発しています。
 意図的あるいは偶発的に、もしくは誤算によって核兵器が使用されるリスクは非常に高く、このような傾向が続くことは許されません。
 私は、完全な核兵器廃絶につながる共通のビジョンと道程に戻るよう、加盟国に繰り返し呼びかけます。
 すべての国が有益な役割を果たすことができる一方、核兵器を保有している国には特別な責任があります」グテーレス国連事務総長
https://digital.asahi.com/articles/ASN862V99N85PITB01G.html?iref=pc_ss_date

 昨日原爆投下から75年を迎えた広島の「平和記念式典」での言葉から。
 最もシンプルで根源的な子供たちの言葉を含め、どの言葉も75年前の広島・長崎の惨状と核兵器の非人道性、核廃絶のための努力の重要性そして現状としての世界の核保有国間の対立と核兵器競争への危機感を説いて止まない。
 唯一の被爆国であるこの国の政府に求められるのは、「厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中で」「立場の異なる国々の橋渡 しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促す」「結束した取り組みの継続を各国に働きかけ」「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の 必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行う」(安倍首相あいさつ)という、実際の行動を伴わない言い訳じみてなにか 他人事の表明ではなく、松井市長らが言うようにこの国が核兵器禁止条約の署名・批准を行い率先して世界の核軍縮を前に進めること、被爆後75年過ぎても取 り残された原爆症の認定に関する不当な基準を撤回して、先の「黒い雨」広島地裁判決を控訴せず受け入れて幅広く被害者ヘの支援を行うことだ。
https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=666712&comment_sub_id=0&category_id=256

《1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
 今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。
 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶(かな)わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界 中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繫(つな)がりました。
 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠(よ)ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。
 原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷(やけど)で、皮膚が垂れ下がってい た。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです」とい う当時13歳であった男性の訴え。
 昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。そして、国連難民高 等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分のだけの平和はありえない。世界はつながっているのだ から」という実体験からの言葉。これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆して います。



2020年 8月 6日
「世界はいかに脆弱かという教訓を得た。75年前の教訓とともに、世界を安全にするために核軍縮を進める必要がある」
「目に見えないウイルスによって、想像すらできなかった状況が瞬く間に広がった。軍縮は国家間の不信感や緊張感をほぐし、安全保障にも役立つ。コロナでその役割を再確認し、機運と捉えて進める必要がある」
「(核兵器禁止条約の)核兵器をなくすという目的は日本も共有しているはずだ。日本だけでなく北大西洋条約機構(NATO)加盟国など反対意見が多いことも事実だが、ドアを完全に閉めずオープンマインドで条約を見守ってほしい」
「(核拡散防止条約(NPT)再検討会議について)安全保障を取り巻く環境が悪化している今、核兵器は決して使用されてはならないという原則を再確認する ことが非常に重要だ。人工知能(AI)や宇宙など新たな科学技術がどう核とつながっているのか、NPTの範囲内で話し合うべきことがあるだろう」
「(新戦略兵器削減条約(新START)の)延長を何度も求めている。国連が2国間条約に対して、これほど直接的にお願いすることはない。条約が失効すれ ば無制限に戦略核兵器を開発でき、非常に危険な状況になる。米国は中国も加えるよう求めるが、まずは5年延長をした上で、どのように枠組みを広げるか考え てほしい」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/46800
 中満泉国連事務次長のインタビューから。
 現在の世界的感染症パンデミックにおいて、最大の軍事力と核兵器保有国であるアメリカが国内の分断と最大の感染者と死者という惨禍に見舞われている。ま た国境のないウイルスの感染症対策で世界各国の協力が必要とされる状況でありながら、むしろ各国は対立を深めてもいる。国内危機に直面した独善的な政府 は、国民の不満をそらすために対外危機を煽り紛争を起こすという、幾度も繰り返された歴史もある。軍事力況や核兵器は人類共通の大規模自然災害や感染症パ ンデミックに対して、救助隊や医療団、軍用病院船の活用を例外としてほとんど無力でむしろ有害な存在でしかない。
 日本に核兵器が投下されて75年となる今日、この国はその被爆と敗戦、平和主義の原点に立ち返り核兵器禁止条約をはじめとする世界の核軍縮の努力に貢献 する責任を自覚するべきだろう。「ドアを完全に閉めないで」は国際機関職員としての抑制された言葉だが、日本政府はむしろ率先して核兵器禁止条約を締結し 諸国に核廃絶を訴える重い責任がある。

《国連で軍縮を担当する中満泉事務次長は、本紙のインタビューで、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中で「世界はいかに脆弱ぜいじゃくか という教訓を得た。75年前の教訓とともに、世界を安全にするために核軍縮を進める必要がある」と訴えた。核兵器禁止条約に参加しない日本に対しては「ド アを完全に閉めないでほしい」と議論への参加を呼びかけた。(柚木まり)ーーー



2020年 8月 5日
学校から50メートルほど離れた公道上でビラまきをする高校生に「おい、いい加減にしろよ、こら」「自分の姿、鏡で見てみろよなあ。まったく情けない」と 恫喝・愚弄しながら付き纏い、高校生の携帯にみずからの手が当たったとして「警察呼ぼうかな。これ、ぶたれたんだよ、携帯で」とその高校生を「私人逮捕」 して警察を呼んだ目黒区立第九中学校(片柳博文校長)の高橋秀一副校長。これを碑文谷署は「公務執行妨害罪」で逮捕、高校生が黙秘を続けたとして20日間 拘留した事件。
https://www.j-cast.com/2020/08/04391548.html?p=all
 校門を離れた公道上のビラまきを取り締まる権限は学校にはなく、それは公務とは言えない。しつこく付き纏う副校長らに「ソーシャルディスタンスを保ってください」と言いながら撮影する高校生の行為は公務執行妨害でも、暴行でもない。
 高校生が携帯で撮影したビデオに映るこの副校長の姿勢は教育者ではなくゴロツキ、ヤクザの姿でしかなく見るに耐えない。こういう輩が副校長とは、東京の公教育が破綻し無様な姿をさらしている。
 結局処分保留となるような容疑が薄弱なまま20日間も高校生を拘留し続けた警察署も言語道断。犯罪を裁かれるべきはこの虚偽の被害を申告した副校長とそれを精査せずに受けた警察、裁判所だろう。
《先月8日、公道上でビラを配布していた都立高校生が、近くの目黒区立第九中学校の高橋秀一副校長(55)に「私人逮捕」されるという事件があった。現場 は目黒区立第九中学校の校門から約50m程度離れた住宅街の公道上で、高校生はビラで同校の近隣にある都立小山台高校(東京・品川区)の水泳授業のあり方 を問い、生徒自治組織の設立を呼び掛けていた。高校生は7月28日に処分保留で釈放されたものの、20日間にわたり勾留された。
 勾留状によると、高校生の容疑は「公務執行妨害」。高校生は目黒区立第九中学校の高橋秀一副校長(55)にビラ配布を注意されたため、携帯電話で動画を 撮影。その際に高橋副校長を携帯電話で殴打したとされる。警視庁碑文谷警察署の松本俊彦副署長によると、午前8時ごろに高橋副校長が高校生を「私人逮捕」 し、午前8時50分ごろ駆け付けた碑文谷警察署員に引き渡したという。
 しかし現場で高校生が撮影した映像からは全く違う実態が見えてきた。映像では「ソーシャルディスタンスを保ってください」と後ずさりする高校生に急速に身体的距離を詰めていく高橋副校長の様子や複数の教員らが高校生を取り囲むような様子が記録されている。
 また、高校生は自身が高橋副校長を殴打したとされる瞬間の映像も撮影している。映像では高橋副校長は高校生の携帯電話を手で遮りながら複数の教員ととも に、後ずさりしている高校生に自ら近づいている。その後、高橋副校長が「痛ってぇ。いててて。」「触られた」「ぶたれたんだよ携帯で」などと主張し、警察 に通報するまでの様子が記録されている。ーーー




2020年 8月 5日
・広島県、広島県以外の全国、アメリカの18歳から34歳を対象にした3つのグループそれぞれ1000人、合わせて3000人余りのインターネットアン ケート調査の回答で、「核兵器」の必要性について日本人のおよそ85%が「必要ない」、アメリカでも70%余りが「必要ない」と回答。
・75年前にアメリカが原爆を投下したことについてアメリカ人に聞いたところ、「許されない」と答えた人は41.6%で、「必要な判断だった」と答えた31.3%を上回った。
・「原爆についてもっと知りたいと思うか」との質問に広島県で76.5%、広島県以外の全国で68.7%が「知りたい」と答え、アメリカ人は80.5%で日本人より高い割合。
・「被爆者から被爆体験を聞いたことがあるか」という質問に「聞いたことがある」と答えたのは、広島県で75.3%、広島県以外の全国で47%、アメリカで34.8%。「聞いたことがない」と答えた人のうち、アメリカでは6割以上が「被爆体験を聞きたい」と答えた。
「キノコ雲の下で何が起きたか、ことばでは言い尽くせない地獄を経験させられたことを知ったうえで、『これはだめだろう』という人間としての感情がアン ケートの数字に反映されている。原爆投下によって戦争を終えることができたという神話がアメリカで長く続き、今でも受け入れられているが、この10年ほど で認識が大きく変わってきている。これはアメリカでの教育の効果で、この問題が大事だと思ったときに、もっと本当のことが知りたいという精神が根付いてい る人が多い。『核兵器はなくなったほうがいい』というのがアメリカの若者の間で多数で、その理由が、『もはや戦争自体がよくない』ということだった。戦争 を前提にした国家体制が国際的には存続しているが、これを新しいものに変えていくことが課題で、若い人たちは、まだことばにはできていないが、実感として 感じ取っているのではないか」明治学院大学 高原孝生教授
「広島に投下された原爆が、今はさらに大きな影響力を持っていることを想像したとき、『それが使われたらどうなるんだろうか』と彼らの想像力で広島が感じ た恐怖を増幅させ自分のものとして考えている。もっと勉強しなければという気持ちが強くなっているんだと思う。インターネットを通じて、限定された、一部 分であったものが広く拡散して、みんなが自分のこととして考えられるようになった。新型コロナウイルスの感染拡大でアメリカの人たちも今は行き来が難しい が、たくさんメールが来るし、『なんとかあなたの話を聞きたい』と言われる。広島から、もっともっと、日本語でもいいから発信して映像に英語の字幕をつけ ればかなり効果があると思う」英語で証言活動を続けている広島市の小倉桂子(82)さん
「アメリカの若者たちの中に、オープンに原爆投下を正当化している態度が正しいのか、考え直そうという態度が出てきている。核兵器の問題は広島・長崎だけ の問題ではない、全世界的な問題で自分にも関係がある身近なことだと捉えてくれていると、集会を行うたびに感じる。新型コロナウイルスの影響で人間社会の 無力さというか、将来とか自分の命とか家族の幸せとか、そういう大切な問題を身近に感じるようになってきているのではないかと思う。体力を消耗しないで1 日のうちに何度も、さまざまな国の人たちと会話できるのはすばらしい。被爆者の数は減っていくが、生き残っている私たちが新しい技術を活用してできるかぎ り、がんばっていけるようにしたい。(世界NPOの)どの活動も、一人ひとりの命、人間の尊厳を大切にすることで社会全体がよりよく、安全になるという確 信に基づいている。いま、国際政治はますます厳しい状態になり、目の前には暗闇があるが絶望はしていない。若い人たちを見て、希望が持てる時代がやってき たと感じている」サーロー節子さん(88)

 かつて二度原爆を投下し今も世界最大の核兵器保有国である米国の若い世代で核兵器を「必要ない」とし、原爆の投下も「許されない」とする人々が増えていることを伝える、コロナ禍のもと原爆投下75年目の日を前に未来に対する希望のともし火のような記事。
 私が去年広島を訪ねた際も、原爆ドームや展示が一新された資料館などで国内より海外からの訪問者が多く、英語やフランス語を話す若者や小さな子供を連れ た家族らが熱心に展示物を見ていたことを思い出す。「原爆投下によって戦争を終えられた」という神話と「戦争を前提とした国家体制」への信頼が米国の若い 世代で転換されつつある時、唯一の被爆国でありながら「核の傘」への依存を捨てず核兵器禁止条約にも後ろ向きなこの国の政府のあり方こそ、問われなければ ならない。

《被爆から75年となることし、NHKが日米の若い世代を対象にアンケート調査を行った結果、アメリカ人のおよそ7割が「核兵器は必要ない」と答えました。
専門家は「アメリカでは若い世代を中心に、『原爆投下によって戦争を終えることができた』という認識が変わってきている」と指摘しています。
NHK広島放送局は被爆から75年となることし、「平和に関する意識調査」として広島県、広島県以外の全国、それに、アメリカの18歳から34歳を対象に、インターネットでアンケート調査を行いました。
回答は3つのグループでそれぞれおよそ1000人、合わせて3000人余りから寄せられ、その意識や考え方の違いを比較しました。
この中で、核弾頭の総数が世界でおよそ1万3400個と推計されている「核兵器」の必要性について、二者択一で聞いたところ、広島県と広島県以外の全国で同じ傾向となり、日本人のおよそ85%が「必要ない」と答えました。
さらに、核兵器を保有するアメリカでも70%余りが「必要ない」と答えました。
その理由としては、「多くの人が死傷する」という意見が最も多く、次いで「破壊的過ぎる」とか「ほかにも問題を解決する方法がある」といった、核兵器の威力の深刻さを懸念する考えが多く見られました。




2020年 8月 3日
田沢湖最終日朝は予報に反して晴れ。テントをたたみ鏡のような湖面と船を眺めてバスで9時から営業してるアルパこまくさにあがる。
露天と景色を独り占めして駅まで降り、カフェpeopleでブナの森ビールとランチを食べ、こまちで盛岡に戻る。
初日に見つけた北上川沿いのクラフトビールの店でまたヴァイツェンを飲み、がら空きのやまびこで仙台に。
便まで時間もあり明日の朝食にパンと野菜を探しアーケード街の先まで歩く。どうにか見つけて駅に戻り1月にも寄った店で夕飯食べて、やはり通勤などで混み 合う空港アクセス線で仙台空港に着いた。帰路スカイマークは行きより閑散としている。定刻より10分ほど前に神戸に着く。


2020年 8月 2日
田沢湖畔は朝から晴れ。レンタル自転車に乗り湖を時計回りに一周。やはり潟分校を訪ね、サイクルロードの先の茶屋で味噌たんぽと岩魚の塩焼きをいただく。 たつこ像も日曜にしては人は少ない。さらにハーブ園でコーヒーで一息つき自転車を返して今日もバスで乳頭を訪ねパスの最後に妙の湯に行くが、3時半までの 受け付けがコロナ禍で3時までとか。
蟹場温泉にふたたび浸かり湖畔に戻り、ORAEで地ビールと冷製パスタを食べて戻る。湖岸は流石に日曜らしく楽しむ人が多い。

 




2020年 8月 1日
もう8月、午後雨予報だが田沢湖畔は朝は陽がさす。田沢湖駅まで降りてjrで角館に来ると快晴で頗る暑い。角館温泉に浸かり、武家屋敷を歩き稲庭うどんをいただく。お店は二階もあるがこの状況で一階のみ営業。
次もワンパターンで西宮家でコーヒー飲み帰路はバスで戻るが、途中から豪雨。田沢湖駅から乳頭行きバスに乗り温泉パスで5カ所目大釜温泉に久しぶりに浸かり、バスで戻る。
角館駅で買った牛めしで夕飯。夕景の田沢湖は鏡面のよう。
     

                                                                                                                                                                
  
     





























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