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2021年 8月31日
英国
・駐アフガニスタン英国大使のサー・ローリー・ブリストウは29日午前、イギリス人を乗せてアフガニスタンを離れる最後の便のひとつで帰国。
・武装勢力タリバンが首都カブールを掌握して以降、大使はアフガニスタンから避難しようとする人たちの出国手続きをカブール空港で続けていた。
・英政府は今月14日以降、1万5000人以上をアフガニスタンから退避させた。
・1万5000人超のうち、約2200人は子供で、生後1日の赤ちゃんもいた。空路で退避したイギリス人とその家族は約5000人、イギリス政府職員だったアフガニスタン人とその家族や、タリバンから迫害される危険のある人たちは、計8000人超だった。
〈アフガンに残る英大使 退避希望者にビザ発給続ける〉
「我々にかつて協力してくれたアフガニスタンの人が安全に脱出できるよう全力を尽くしています」
「ブリストー大使はカブール空港を拠点に17日には700人分のビザを発給したことを自身のツイッターで明らかにしました」
https://news.tv-asahi.co.jp/news.../articles/000226146.html
フランス
・フランスのジャン=イブ・ル・ドリアン欧州・外務相は8月18日、「(アフガニスタンの首都)カブールからの退避作戦を継続しており、17〜18日未明 にカブールから(アラブ首長国連邦の)アブダビに向けたチャーター機(軍用機)で216人(フランス人25人、アフガニスタン人184人、その他7人)を 退避させた」との声明を発表した。
https://www.jetro.go.jp/biz.../2021/08/60e3261bb34706a2.html
・8月19日「フランス大使館は、職場を移転した@カブール空港。アフガニスタンの友人たちへ:フランス大使館は空港に移転しました。外交団は数日前にワ ジール・アクバル・ハーンの敷地を出ました。したがって、そこではビザの手続きはできません。あなたの安全のために、すぐにそこから退避してください」在 アフガニスタン ダヴィッド・マルティノン仏大使ツイート
・26日夜の時点で、100人以上のフランス人と2500人以上のアフガニスタン人が、カブールから避難してフランス国内に到着。
〈フランスは今日、自国民とアフガン関係者全員の避難を完了予定。どのように退避を行ったか。日本との違い〉
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210828-00255358
・「(27日)カブールのフランス大使館スタッフは、フランスに帰国するため、中継地のアブダビに到着しました。外交官、軍人、警察官、国のすべての関係 機関がカブール、アブダビ、パリで、退避作戦を遂行し、数千人の人々を保護するため、休みなく全力で取り組みました。われわれは彼女ら彼らに感謝します」
〈ジャン=イヴ・ル・ドリアン・ヨーロッパ・外務大臣とフロランス・パルリ軍事大臣は8月27日、カブール退避作戦に関する声明を発表〉
https://jp.ambafrance.org/article17139
韓国
・8月17日韓国人大使館員は全員カタールに撤収。8月22日駐アフガニスタン大使館員4人が再びカブール空港へ到着。再び現地に戻ったキム・イルウン駐 アフガニスタン韓国大使館公使参事官は聯合ニュースのインタビューで、「(現地スタッフに)韓国に必ず移送する。方法を考えるから、連絡する」と後ろ髪引 かれる思いでカタールに退避したと語っている。
・8月24日予定では午後3時30分に空港のメインゲートを通過する予定だったが、タリバンに足止めされ通過できなかった。乗り合わせていた韓国の大使館 員が携帯に保存していた「旅行証明書」を見せたが、タリバンは「原本ではない」と許可しなかった。ーーー最後には、「韓国では皆こうしている(携帯でも電 子文書を送っている)」(東亜日報、8月27日)と話し、空港のゲートを通過。
・8月26日午後6時過ぎ仁川国際空港のゲートに姿を現わした現地スタッフと家族らの第一陣377人、残りの13人は27日午後到着。
〈韓国、アフガン390人退避成功の“奇跡”…日本との明暗分けた「水面下での動き」と「初動の差」〉
https://bunshun.jp/articles/-/48274?page=2
日本
・在アフガニスタン日本大使館は15日タリバンが首都カブールを制圧しガニ政権が崩壊すると閉館。すでに岡田隆大使は不在で17日日本人大使館員12人が英国の軍用機で出国しアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに退避。
https://www.mofa.go.jp/.../press/release/press3_000559.html
・防衛省関係者によると、省内で退避計画の検討が始まったのは、首都カブールが陥落した十五日前後。十七日には大使館の日本人職員が英軍機でアフガンを出 国した。与党から「現地職員は退避させなくていいのか」との意見が相次いだが、菅義偉首相は「ほとんど関心がなかった」(政府関係者)という。
〈「空前の作戦」不発 アフガン自衛隊機、政府判断遅く〉
https://www.chunichi.co.jp/article/320146
・「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自 民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」
〈日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由〉
https://toyokeizai.net/articles/-/451919?page=3
・外務省は19日、自民党外交部会で、アフガニスタンに残る日本大使館の現地採用職員らの国外退避支援に乗り出す方針を示した。
〈外務省、在アフガン大使館の現地採用職員らの国外退避支援へ〉
https://mainichi.jp/articles/20210819/k00/00m/010/265000c
・日本政府は24~5日自衛隊機3機、隊員300人と政府専用機1機をイスラマバードに派遣。
https://www3.nhk.or.jp/.../20210825/k10013221541000.html
・日本政府は27日、アフガニスタンにいる日本人や日本大使館の外国人スタッフらの退避をめぐり、自衛隊の輸送機で日本人1人を近隣国に運んだと発表。
https://digital.asahi.com/art.../ASP8W7H9VP8WUTFK022.html...
・日本大使館の22人の警備員は、日本、もしくは第3国への退避を求め、大使館宛てに嘆願書を出しましたが、まだ返事はありません。
〈脱出望むアフガン日本大使館警備員に紹介状のみ?〉
https://news.yahoo.co.jp/.../1533a6e2c15dd46bd7a69acbf446...
・軍用機3機に政府専用機1機が送られ、救出は日本人たった一人に、アフガニスタン人はゼロ(今のところ)。しかも、まだ日本国民が数人残っていることに なる。「大山鳴動して、ねずみ1匹」というのは、こういう状況をさすのだろうか。どこが政府の失敗で、どこが憲法や法律の制約なのだろうか。冷静に検証す る必要があるだろう。
この国を、一体どうすればいいのだろうか。
〈退避は、もうほぼ時間切れ。24ヵ国の自国民とアフガニスタン関係者らの避難状況は。日本との比較〉
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210828-00255358...

 29日最後に帰国した駐アフガニスタン英国大使サー・ローリー・ブリストウを伝えるBBCなど、タリバン支配下となったアフガニスタンからの脱出をめぐる各国の対比。
 英国やフランスはタリバン制圧後も大使や大使館員がカブール空港に残り、自国民だけではなくアフガニスタン人協力者とその家族の脱出に最後まで尽力している。
 対するにこの国は、衰弱し治療を求めるスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんを見殺しにして恥じないだけではなく、感染爆発の中でオリ・パラに固 執して8月25日新型コロナ国内感染者11万8千人を自宅に放置しても恥じず、アフガニスタンからの退避を求める大使館警備員など500人を現地に放置し て恥じない。
 中村哲氏のペシャワール会など民間活動や対タリバン戦への不参加など日本のアフガニスタンへの関わりからは、そもそも日本大使館が率先して現地から「避 難」すべき理由はない。英国やフランスそして韓国などが空港を拠点として業務を遂行し、さらにトルコ、ロシア、中国などは大使館をそのまま維持している状 況と比してこの国の外交・政治は、真っ先に逃げ出した大使や外交官の器量だけではなく、この問題に「ほとんど関心がない」首相ら政権担当者のあまりのお粗 末さに恥じ入るほかない。政治を根底から変えることがこの国の唯一の道。
《駐アフガニスタン英国大使のサー・ローリー・ブリストウは29日午前、イギリス人を乗せてアフガニスタンを離れる最後の便のひとつで帰国した。イギリス 政府は28日、アフガニスタンからの退避支援作戦を終え、英軍をはじめ全ての英政府関係者もアフガニスタンから出国した。英首相官邸が明らかにした。
ブリストウ大使は、英オックスフォードシャーのブライズ・ノートン英空軍基地に到着した。大使たちを乗せた輸送機はアラブ首長国連邦(UAE)を経由し て、イギリスに戻った。さらに、軍人や文民を乗せた輸送機も続いた。武装勢力タリバンが首都カブールを掌握して以降、大使はアフガニスタンから避難しよう とする人たちの出国手続きをカブール空港で続けていた。
最後の英空軍機の出国によって、20年間にわたる英軍のアフガニスタンでの作戦行動が終わった。英政府は今月14日以降、1万5000人以上をアフガニスタンから退避させた。
イギリスの退避作戦を指揮したサー・ベン・キー海軍中将は、同盟諸国の市民や協力者全員が出国できるまでは、退避作戦が成功したとは「なかなか言いがたい」と述べた。
ブライズ・ノートン空軍基地であいさつした中将は、「各国が協力した見事な国際的作業」だったものの、「お祝いするようなことではまったくない」と述べ、アフガニスタンに残してきた人たちを思うと「悲しみ」がこみあげると話した。
中将はさらに、過去2週間の退避作戦でイギリス軍は多くのことを達成したものの、「必死に退避しようとしていたのに、我々がどれほど力を尽くしても避難さ せられず、本当に悲しいことになってしまった人たちがいる」と認め、タリバンが定めた8月31日の撤収期限のせいで「過去20年の間に実に見事に、そして 勇敢に我々を助けてくれた人たち」をもっと退避させられなかったと話した。
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2021年 8月23日
城崎温泉灯籠流しと花火は8月22日予定が兵庫全県緊急事態で今年は中止、感染拡大もあって予約した宿をどうするか悩んだが、昨日神戸から福知山行きバスとjr乗り継ぎで城崎に入る。
小雨模様で人通りは少なく、大谷川沿いのレストランも地ビールが飲めるkomorebiカフェも休み。宿に入り荷を置いて事故などで改修が続いた御所の湯 に三年ぶりに浸かる。外壁はなくなり、全ての湯が露天風呂化していたが若者と家族連れで脱衣場はかなりの混雑。あがって酒店で恵比寿の缶を買い川沿いのベ ンチでいただき、駅前通りの海鮮料理の店でカワハギの姿作りと野菜天。さっさと宿に戻り寝る。
今朝一の湯のあと宿の朝食を頂いて温泉寺を経て奥の鸛の湯に入り、やはり大谷川沿いの麦わら工芸館の横でエビス。お昼はサンドイッチと牛乳ですませ正午過ぎの特急で福知山に戻り、乗ろうとした神戸行きの帰りのバスはこの事態で運休中と。
プランBがなく慌てたが、JR駅の改札で夕方まで特急はないが福知山線で尼崎経由の普通と快速の乗り継ぎを教えてもらい、とりあえず尼崎までの切符を買い 初めて福知山線に乗る。沿線の景色はなかなかいい。車中でよーく考えると宝塚でこの線は阪急今津線と交わっており、宝塚で下車。宝塚の改札で入れた切符が 途中下車と言うことか戻り、訳を話すとなんと四百数十円を返金してくれた。
阪急改札前のデパ二階食品売り場でパンを買い、宝塚歌劇場の横と武庫川を渡り西宮北口経由で六甲に戻りスーパーで食材買って5時過ぎに帰宅。明日からしばらくは曇り予報。
 


2021年 8月22日
日記がわりに。
8月はじめは晴れ続き、5日最寄りの歯科に通いpiza trackでピザ持ち帰る。翌日やはりアシスト車で水道筋まで下りコーヒー豆など買って灘温泉。
9日から天気は下り坂、11日曇りで久しぶりに岡本に出てテラスの店で野菜スープランチ。住吉のうはらの湯につかり御影で食材買ってバスで帰宅。以後風雨が続いて小康状態の15日は二週ぶりにil vento。再びノンアルでも美味いピザ。
17日から兵庫も緊急事態下。すでにほとんど外出してないのだが。18日買い出しで鶴甲コープまで。
今朝ベランダの朝顔が二輪咲く。


2021年 8月16日
「世界でロックダウンをする、外出禁止に罰金かけてもなかなか守ることができなかったじゃないですか。それに対して対応するためにやはりワクチンだという ことで、人流の抑制と同時にですね、そうしたことをしっかり全力で取り組んできています。国民の皆さんに大変ご不満があろうかと思いますけれども、ワクチ ンでも10月の初旬までには日本国民全員に2回、8割の希望する方に打てるような体制も作っていますから、とにかく全力で取り組んでいきたい」13日菅首 相
「頭にくるのはミスリードして、これだけ感染者や重症者を増やしながら、感染者を減らす対策をとっていない。あきらめムードで「ワクチンをどんどん打ちま しょう」しか言わない。感染拡大が始まって1年以上たつが、国は感染症と戦う体制をつくることができなかった。出口戦略を描くのは国の役割なのに、国民に は「欲しがりません、勝つまでは」みたいな自粛要請をするだけ。ーーー東京では入院が難しい状態。このような状況で(パラリンピック)開催は無理だと思 う」東京都医師会尾崎治夫会長(14日東京新聞インタビュー)
「今(全国で)1日2万人の感染者が出て、東京でも自宅で療養されている方が2万人、そして1万数千人の方は入院調整中。本当に災害レベルの状況。これを 例えば政府などがこのまま国会も開かずに具体的な策もせずに見ていくのであれば結局、人災と言わざるを得ないじゃないかと思います」国際医療福祉大松本哲 哉主任教授(15日TBS系「サンデーモーニング」)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/124042
https://news.yahoo.co.jp/.../25c468ac43fe326025590d80ba89...
 東京都の新規感染者が過去最多5773人 、自宅療養者数過去最多2万1723人、全国の感染者も2万人を初めて超えた13日、記者に「感染拡大を招いたこれまでの総括や反省がなければ、国民に政 治の声は届かないと思う。これまでの取り組みとその結果を、どのように自己評価しているか」と問われ、「私自身、自己評価することは僭越だと思う」と答え た後のこの国の首相の喧嘩腰の物言い。
 記者が問うた「どのように評価しているのか」が求めるのは、僭越な自慢や自賛ではなく未曾有の感染拡大という事実に対する検証、反省の言葉。それを「僭 越」と言いながら、他国をやり玉に米英などよりはるかに遅れたワクチン接種をあたかも自分の業績のように居丈高に持ち出す愚劣さ。
 オーストラリアやニュージーランドでは迅速なロックダウンなどによって新型も含めて感染者を日本より押さえ込んでおり、アメリカや英国、フランスなどで もワクチン接種が進んで感染者増でも医療崩壊は起きていない。この国ではいま東京などで感染しても「軽症」として自宅に放置され、死亡する人たちが出続け ている。
 感染症専門家や医師会長からも根底から批判される政治リーダーは明らかに不適任だ。バラリンピックを行う場合ではない。各国が行い、今福井などの県が取り組んでいるような臨時の大規模隔離・治療施設を東京も迅速に設置運営すべき時。
https://news.yahoo.co.jp/.../0ba2e3a0339e812a7b56b248fad6...
《感染拡大を受けて菅総理大臣はワクチン接種と人出の抑制を同時に進める考えを強調しました。
 菅総理大臣:「世界でロックダウンをする、外出禁止に罰金かけてもなかなか守ることができなかったじゃないですか。それに対して対応するためにやはりワ クチンだということで、人流の抑制と同時にですね、そうしたことをしっかり全力で取り組んできています。国民の皆さんに大変ご不満があろうかと思いますけ れども、ワクチンでも10月の初旬までには日本国民全員に2回、8割の希望する方に打てるような体制も作っていますから、とにかく全力で取り組んでいきた い」
 また、菅総理は自治体と連携して自宅療養する感染者と必ず連絡が取れる体制を構築すると述べました。
 酸素投与のための「酸素ステーション」の整備を進める考えも示しました。》



2021年 8月16日
「母はほうけたようになった。我が子を手にかける母親が大勢いた。狂気の沙汰としかいいようがない。逃避行の生き地獄と言える状況は、日本の植民地支配の 犠牲となった現地中国人の恨みや憎しみの矛先が、敗戦をきっかけに国と(旧満州で独裁的権限をふるっていた日本陸軍部隊の)関東軍に見捨てられた開拓団の 女性や子どもに向けられた結果だ。戦争が終わっても一般人の私たちは戦い続けた。戦争とはどういうものかを伝えたい。日本が二度と戦争をしないためにはど うすればいいのか。お上の言うことをうのみにするのは危険だ。一人ひとりがしっかりと考えないといけない」埼玉県秩父市の高橋章さん(85)
 昨年10月の記事。
 1943年、8歳の時に父母ときょうだいの家族7人で中川村(現秩父市)から開拓団として中国東北部に渡り、敗戦時逃避行の最中「病人、歩けない人、5 歳以下の子どもは全員処分せよ」という団長の命令で母親が2歳の末弟の首を手ぬぐいで絞めて殺し5歳の妹を川に放り投げ、健気にも「私が連れて行く」と妹 を助けた14歳の姉は5日後に力尽き、たどり着いた方正の収容所では食べものはなく8歳の弟と妹を中国人に預け、極寒の中息絶えそうな人の下着をはぎ取っ て足に巻き付けてしのぎ、食べるために八路軍に加わり、炭鉱やバス運転手などで働き58年に帰国した秩父市の高橋章さんの凄絶な体験が語られている。
 日本政府の「満蒙開拓」という国策によって入植した土地は現地の中国人が何代にもわたり耕し家族を養ってきた土地で、それを「無人地帯」に指定し地元農民を新たに設定した「集団部落」へ強制移住させてすでにあった農地等に日本人開拓移民を「入植」させたもの。
 この相手国民とその敵意にさらされる日本人入植者の人権や尊厳を共に無視した非人道的な政策は、終戦前後にも遺憾なく発揮される。
 1945年5月30日大本営はソ連参戦を見越して「満洲の四分の三を放棄」するとの「満鮮方面対ソ作戦計画要綱」を策定、7月10日にはこの記事にもあ るように在満邦人18歳以上45歳以下の男性を「根こそぎ動員」してソ満国境などに貼り付け、ソ連が参戦した8月9日に大本営は「戦後将来の帝国の復興再 建を考慮し、なるべく多くの日本人を大陸の一角に残置することを図るべし」との命令を出し、他方で翌10日関東軍に「満洲全土放棄も可」の命令を発出して いる。
 これによって国際法違反の化学・細菌兵器開発と人体実験を続けたハルビンの731部隊幹部を含めて関東軍主力は国境沿いの兵士と避難する一般市民を置き 去りにして一斉に南下または帰国し、満州開拓団27万人を含め居留民155万人の多くが満州に「残置」されることとなった。
 終戦後もこの方針は変わらず8月31日、日本政府は終戦処理会議で改めて「現地土着方針」を指示、9月2日降伏文書に調印したのち9月24日次官会議は「海外部隊竝に海外邦人帰還に関する件」で「現地残留方針」を再確認している。
http://www.dignity-reconciliation.jp/.../residing...
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000822.pdf
 この戦前の植民と戦後の置き去りという冷酷かつ無責任極まる施策に対して、空襲被害などそのほかの民間人被害への補償とともに「国の存亡にかかわる非常 事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところ(戦争受忍義務)」(1987年6月26日最高裁判所名古屋空襲訴訟判決)としてこの国 の司法も加担し、軍人も政治家も現在に至るまで公の責任を誰も取っていない。
 この政府と官僚らの冷酷さと無責任さは76年後、自らの施策では防ぎ得なかったコロナパンデミックの感染急拡大の現状のなかで、コロナ感染者を適切な医療につなげず自宅に放置しても責任を自覚しない国や都の首相と知事らの姿勢に繋がっている。
 戦後76年が過ぎたが、高橋さんの「戦争が終わっても一般人の私たちは戦い続けた。戦争とはどういうものかを伝えたい。日本が二度と戦争をしないためにはどうすればいいのか」の言葉はまさにいまに通じている。
《75年前の夏のことは、いまでもはっきりと覚えている。満蒙開拓団として入植した中国東北部(旧満州)で、現地の中国人に襲われ、命からがら逃げ惑った。埼玉県秩父市の高橋章さん(85)は、自分たち開拓団は被害者だが、加害者でもあったことを忘れてはならないと思う。
「過去を忘れることはできないし、忘れてはいけない」と語る高橋章さん。犠牲者の名前が刻まれた開拓団の慰霊碑前で=2020年6月2日、埼玉県秩父市、大久保真紀撮影
 1943年、8歳の時に父母ときょうだいの家族7人で中川村(現秩父市)から開拓団として中国東北部に渡った。あとで知ったことだが、「開拓」とは名ば かりで、入植したのは現地の中国人が何代にもわたり耕し、家族を養ってきた土地だった。開拓団員たちはそうした中国人を「苦力(クーリー)」と呼んで働か せていた。
 「父はうちの苦力の許(シイ)さんをたたかなかった。だからか、旧正月には許さんの家に呼ばれてギョーザを食べた。私もよく家に遊びに行った」。
 45年7月、18歳から45歳の男性が召集された。いわゆる「根こそぎ動員」で、高橋さんによると、中川村開拓団でも137戸のうち124戸の戸主が徴 兵された。43歳だった父も応召し、二度と帰って来なかった。旧満州の部隊の所属になり、シベリア抑留に向かう列車の中で死亡したと戦後、聞いた。
 8月に入り、苦力の雰囲気が変わったのを感じた。畑に出てこなくなり、馬を返しにこなくなった。ソ連軍の侵攻を知り、日本の敗戦を中国人は予感していたと後に知った。当時、高橋さんら開拓団員は情勢を全く知らなかった。
 そして、同月15日。苦力が鎌を手に村を襲ってきた。家にこもっていると、許さんが自宅に来て「高橋は殺さない。ここは危険だから南に逃げろ」と告げた。母親ら5人と逃げ出したが、約450人いた開拓団員のうち46人がこの日に死亡したと聞いた。
 翌16日。開拓団員が一団となって逃げるなか、途中の中国人集落に偵察に行った警察署長が撃たれ、夜を徹しての銃撃戦となった。46歳以上の男性のほか、14〜17歳の男子も銃をもたされた。10歳の高橋さんは200発の弾をもち、14歳の少年と組んで銃撃に参加した。
殺したり殺されたり、心がまひ
 開拓団員らは中国人の家に火をつけ、逃げ出す黒い影を撃った。だが、夜が明けてみると、死体はほとんどが女性と子どもだった。焼け跡から中国人の老夫婦 が手を合わせて命乞いをしながら出てきた。だれかが「殺してしまえ」と叫んだ。年配の男性がおじいさんの首に刀を振り下ろした。おばあさんは女性たちに道 路脇の溝に突き落とされ、手製のやりで代わる代わる腹を突かれた。
 「みんな気がおかしくなっていた。殺したり殺されたり、心がまひしていた」。
 歩き続けた。湿地帯に入ったところで、前後から弾が飛んで来て、身動きがとれなくなった。飲み水も食料もない。「病人、歩けない人、5歳以下の子どもは全員処分せよ」という団長の命令が伝えられた。
 「おれの人生はこれで終わりか」。そう思ったとき、母がこちらに背中を向けて、2歳の末弟の首を手ぬぐいで絞めて殺し、5歳の妹を川に放り投げた。鬼と なった母の目はつり上がっていた。だが、力がなかったのか、妹は水面まで届かず、岸の草につかまってはい上がってきた。14歳の姉が「私が連れて行く」と 妹を抱き上げた。
 「母はほうけたようになった。我が子を手にかける母親が大勢いた。狂気の沙汰としかいいようがない」。
 妹をおんぶし、母の手を引いて歩いた姉は、5日後突然倒れて力尽きた。母とふたりで顔に草をかけてやるのが精いっぱいだった。
 「逃避行の生き地獄と言える状況は、日本の植民地支配の犠牲となった現地中国人の恨みや憎しみの矛先が、敗戦をきっかけに国と(旧満州で独裁的権限をふるっていた日本陸軍部隊の)関東軍に見捨てられた開拓団の女性や子どもに向けられた結果だ」。
戦争とはどういうものなのか
 9月3日、ソ連軍に拘束され、敗戦を知った。方正という町の収容所に入ったが、食べるものはなく、8歳の弟と妹を中国人に預けた。
 高橋さんは逃避行の途中で靴が脱げ、11月まで裸足だった。寒くなり、収容所で息絶えそうな人を見つけると、その人の下着をはぎ取り、足に巻き付けひもでしばって靴代わりにした。零下30度にもなる地で凍傷にならないためにはそれしかなかった。
 「申し訳なかったが、生きているうちにはぎ取らないと、死んでからでは死体が硬直してとることができない。よくおばさんたちと取り合いになった。みな追い詰められていた」。
 高橋さんは食べるために八路軍(中国共産党軍)に加わり、炭鉱やバス運転手などで働き、58年に帰国。東京都内でトラックや個人タクシーの運転手をした。
 母は49年、中国人の養父母から連れ戻した弟と日本に引き揚げ、93歳で亡くなるまでひたすら仏壇に手を合わせ続けた。中国での出来事を口にすることはなかった。
 妹は中国残留日本人孤児となり、90年に帰国した。長女(50)によると、「良い思い出はひとつもないから話したくない」と言っているという。
 高橋さんは最近の憲法9条を変えようという動きに危機感を覚え、元気な自分が、あったことを話さなくてはと心に決めている。
 「戦争が終わっても一般人の私たちは戦い続けた。戦争とはどういうものかを伝えたい。日本が二度と戦争をしないためにはどうすればいいのか。お上の言うことをうのみにするのは危険だ。一人ひとりがしっかりと考えないといけない」。(編集委員・大久保真紀)
満蒙開拓団とは
 満蒙開拓団 1931年に関東軍が満州事変を起こし、翌32年中国東北部(旧満州)に「満州国」が建国された。日本政府は農業移民政策として「満蒙開 拓」を展開、20年で100万戸を移住させる計画を立てた。45年8月9日にソ連が参戦。頼りの関東軍は一斉に南下し、開拓団はソ連国境に置き去りにされ た。ソ連軍や中国人らに襲撃され、「集団自決」などもあり、逃避行は悲惨を極めた。その後の難民生活も飢えや寒さで死亡する人が後を絶たず、その中で中国 残留婦人や残留日本人孤児が生まれた。敗戦時、旧満州にいた日本人は155万人で、うち開拓団は27万人だが、死者約20万人の4割を開拓団が占める。
 敗戦後、方正には約8千人の日本人がたどり着いたが、5千人が飢えや寒さで死亡した。中川村開拓団については、(中川村と白川村が合併してできた)荒川 村(現秩父市)の村誌によると、142世帯597人が渡満し、敗戦直後の混乱で288人が死亡、255人が帰国。36人が中国に残留、行方不明が18人と されている。》



2021年 8月14日
「30代以下は重症化率が極めて低く、100人いたら、せいぜい十数人しか入院しない。いたずらに不安をあおることはしていただきたくない」7月27日都吉村憲彦福祉保健局長(27日東京都新型コロナ新規感染者数過去最多2848人 自宅療養者6277人)
「病院の病床を効率的、効果的に生かすかが鍵になる。特に一人暮らしの方々などは、自宅も、ある種、病床のような形でやっていただくことが、病床の確保にもつながるし、その方の健康にもつながる」7月28日小池都知事
「この方(自宅療養中に死亡した30代男性)も健康観察を続けていたが、体調が急変したと。容体が急変するということで、“若いから”ではなくて、“何も病気はないよ”ではなくて、ぜひとも基本的なことをお守りいただくように徹底してお願いしたい」8月11日小池都知事
「制御不能な状況だ。災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態。感染リスクが高いにも関わらず、オリンピック競技場の周辺や沿道では、大勢の人が集まり、 応援する姿が見られた。今一度、屋外であっても密集・密接することは、感染リスクが高いことを啓発する必要がある」8月12日国立国際医療研究センター大 曲貴夫・国際感染症センター長(12日東京都 新型コロナ新規感染者数4989人  6人死亡 重症者最多218人)
「(テレワークは)この時期にやらないでいつやるんだということではないかと思います。ぜひ徹底を。毎日の買い物を3日に1回程度に減らしてほしい。不要不急の外出の自粛、旅行・帰省の中止延期をお願いいたします」8月12日小池都知事
「交通量の抑制も人流抑制に役立った。ステイホームで応援してもらったからこそ、テレビの視聴率も上がった。専門家は印象論でおっしゃっていたが、こちら は人数がどうだったか確認している。交通量の抑制も人流抑制に役立った。数字でも表れている。エピソードベースではなく、エビデンスベースで語ることが重 要ではないか。(オリンピックは)これまで経験したことがないような困難な状況での開催だったが、皆様のおかげで成功し、無事にやり遂げることができた。 水際対策、健康管理、行動管理、検査など協力してもらったことで、感染拡大の抑止につながった。オリンピックの成功を必ずパラリンピックにつなげていく」 8月13日小池都知事(13日東京都 新型コロナ新規感染者数 過去最多5773人 自宅療養者数過去最多2万1723人)
https://news.livedoor.com/article/detail/20685337/
https://www.tokyo-np.co.jp/article/119947...
https://news.tv-asahi.co.jp/news.../articles/000225243.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123970
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123718
https://www3.nhk.or.jp/.../20210813/k10013200011000.html
 足元の東京都と首都圏そして全国で起きていることに、全く関心も責任感も持ち合わせないものが都知事とその部下らであるということ。すでに6月9日厚生 労働省専門家組織の会合で京大の西浦博教授はワクチン予防接種が7月に65歳以上で完了しても、今春の大阪府と同様の感染拡大が東京都で起きれば未接種者 を中心とした重症者で医療が逼迫すると予測していた。五輪にかまけて必要な検査体制や医療体制の拡充を放置し、感染者に必要な隔離と医療を「自宅放置」と した結果の、東京を中心とする感染爆発。
https://digital.asahi.com/articles/ASP696JT9P69ULBJ00T.html
 先月28日に陽性と確認され軽症として自宅療養となったこの基礎疾患もない30代の男性は、6日連絡が取れずに尋ねた親族が死亡しているのを発見。自ら は「過度の疲労」とかで10日間の入院をして一人暮らしの若者らには「自宅病床」を推奨しながら、そのうちの一人が医療も受けられずに亡くなると、自らの 政策や保健所等による電話などでの「経過観察」が意味を持たないことを反省・検証するのではなく、あたかも自己責任であるかのように感染防護への都民の努 力徹底を説教する知事。
 13日都オリンピック・パラリンピック準備局が公表したデータなるものは国立競技場など会場周辺や都心部の人流についてであり、開閉会式やブルーインパ ルス飛行などで人出は増加しているが、そのほかの無観客となった会場周辺の人出減少は当然のことでしかない。期間中渋谷・新宿など都心での人流も大会前と 比べ9・3%減ったというが、逆に箱根もふくめ軽井沢などの観光地では五輪期間中に居住地の東京、千葉、埼玉、神奈川の1都3県を離れて他の道府県に滞在 していた人は五輪開催前の17日間と比べて36・7%増えている。これは東京など首都圏から地方に感染を拡大させたということであり、13日全国の新規感 染者2万365人という2万人超え、16都府県で過去最多そして死亡者25人というまさに今のこの国のかつてない感染爆発状況を作り出している。
https://digital.asahi.com/articles/ASP8F7WYSP8FUTIL04T.html
https://digital.asahi.com/articles/ASP8B7FQ5P89ULEI001.html
 首相とともに全く責任感を欠如させたこの都知事を辞めさせることが必要だ。
《東京都の小池知事は、記者会見で記者団から「オリンピックは感染拡大に関係していないか」などと問われたのに対して「交通量の抑制も人流抑制に役立っ た。ステイホームで応援してもらったからこそ、テレビの視聴率も上がった」などと述べ、大会の開催が感染拡大の要因にはなっていないとする考えを示しまし た。
都内の感染状況などを評価・分析する、12日のモニタリング会議で、都の専門家が「感染リスクが高いにもかかわらず、競技場の周辺、沿道では大勢の人が集 まり応援する姿が見られた」と指摘したことに関連して、小池知事は記者団から「オリンピックは感染拡大に関係していないか。都として、オリンピックが人の 行動に与えた影響などを検証する考えはないか」と問われました。
これに対して小池知事「専門家は印象論でおっしゃっていたが、こちらは人数がどうだったか確認している。交通量の抑制も人流抑制に役立った。数字でも表れている」と述べました。
そのうえで「テレワークの推進も図った。そしてライブサイトなどを見直し、ステイホームで応援してもらったからこそ、テレビの視聴率も上がった。エピソー ドベースではなく、エビデンスベースで語ることが重要ではないか」と述べ、大会の開催が感染拡大の要因にはなっていないとする考えを示しました。》



2021年 8月 9日
「この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。核兵器による惨禍を最もよく知る わが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。1日も早く条約に署名し、批准するこ とを求めます」長崎市田上市長
「大きなトラックの荷台に角材を積み重ねるように遺体を投げ入れていました。解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を 前に思わず逃げ出そうとしました。その時、『それでも救護員か!』という衛生兵の声でわれに返り頑張りました。私たち被爆者は命あるかぎり語り継ぎ、核兵 器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います。ーーー(核兵器禁止条約がことし1月に発効したのは)一人一人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世 代が受け継いでくれたから。命あるかぎり、核兵器廃絶と平和を訴え続ける」岡信子さん(92)「平和への誓い」
「原爆で多くの人が苦しんで亡くなりました。核兵器は人間が作り出してしまったもので、難しいことかもしれませんが、やり直してほしい。広島の原告の84 人が手帳を受け取ったこと、内部被爆者が認められたことが、大きな明かりだと思います。長崎でも、半径12キロ以内を被爆地と認めてほしい。手帳という補 償以上に心の問題です」「被爆体験者」に被爆者健康手帳交付を求める集団訴訟の原告団長の岩永千代子さん(自宅で)
「原爆で亡くなった兄のことを思って手を合わせた。こんなに長い間裁判を続けることになり、『原告が亡くなるのを待っているのではないか』と思ってしま う。私たちは、お金や何かがほしいわけではなく、ただ被爆者と認めてほしいだけだ」「一刻も早く、私たちを被爆者と認める平等な司法判断を出してほしい」 被爆者健康手帳交付を求めて裁判を続けている長崎市の松田宗伍さん・ムツエさん(自宅で)
「核兵器禁止条約が発効し、核兵器廃絶に向けた新たな時代の最初の8月9日となり、これからが大事だという気持ちを新たにする式典になった。皆さんが口々 に条約の発効について話していて核兵器の廃絶に向かっていかなければならないという変化を感じた。国会議員や有権者、政府代表に日本が条約に入ることにつ いて真剣に考えてもらいたい」ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲国際運営委員

 原爆投下76年目の、NHK長崎局の良記事。
 16歳の看護学生だった時に被曝しガラス片が半身に刺さりうじがわく体で看護にあたり、これまで自らの被爆体験を語ったり平和活動に携わることがなかっ たが今回初めて平和記念式典に参列した岡さんや、政府が設定した半径12キロ内でさらに病状を狭くして「被爆体験者」とされ被曝者手帳を交付せず76年間 ほとんど医療支援の対象外にされてきた岩永千代子さん、松田宗伍さん・ムツエさん夫妻を丹念に取材している。
 田上市長をはじめ、これらの人々が政府に求めるのは、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約を署名批准し、核廃絶の世界の潮流に加わりそれを前進させる こと、放射線被曝の基準を見直して広島の「黒い雨」訴訟原告や被爆者と同様長崎の被曝者を広く被曝者と認定し被曝者手帳交付などによって寄り添うことだ。
 今年4月バイデン政権の核先制不使用政策に反対した菅政権に対して、今日8月9日米国のペリー元国防長官や元ホワイトハウス高官など核軍縮の専門家らが バイデン米政権が検討を進めている「核の先制不使用」を軸とした政策の採用に反対しないと日本政府に宣言するよう求める公開書簡を菅義偉首相らに送付し た。それは「核軍縮に向けた小さな、しかし重要な一歩を、世界で唯一核攻撃を受けた日本が阻止するのは悲劇」としている。
https://nordot.app/797370711413653504?c=113147194022725109
 米国の核先制攻撃に依存しながら「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩ずつ、着実に前に進めていくこと は、わが国の変わらぬ使命」と核軍縮はどこか他人事で、今日は読み飛ばしはなかったが1分遅刻などと報じられ、式後核兵器禁止条約に「署名する考えはな い」と断言し、被曝者援護については「訴訟を注視する」としか述べないこの国の首相はもはや世界の核軍縮・廃絶にとっても国内の被曝者支援にとっても障害 物でしかない。一刻も早く職を去るべし。
《長崎に原爆が投下されて9日で76年です。
長崎市の田上市長は平和祈念式典の平和宣言で政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准に加え「被爆体験者」の救済などを求めました。
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、被爆者や遺族、菅総理大臣のほか、63か国の代表などが参列しました。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、式典は2年連続で規模が縮小され、例年の1割ほどにあたるおよそ500人が参列しました。
式典ではこの1年に亡くなった被爆者など合わせて3202人の名前が書き加えられた18万9163人の原爆死没者名簿が納められました。
そして、原爆がさく裂した午前11時2分に黙とうをささげました。
長崎市の田上市長は、平和宣言でことし1月に発効した核兵器の開発や製造、使用などを全面的に禁じる核兵器禁止条約について触れ「この生まれたての条約を 世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回 締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。1日も早く条約に署名し、批准することを求めます」と訴えまし た。
そのうえで、田上市長は、被爆者の高齢化が進む中、援護の充実に加え、国が被爆者と認定する地域の外にいた「被爆体験者」の救済を求めました。
また自身もけがを負いながら、看護学生として被爆者の救護にあたった岡信子さんは、被爆者を代表し「平和への誓い」で、「大きなトラックの荷台に角材を積 み重ねるように遺体を投げ入れていました。解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を前に思わず逃げ出そうとしました。 その時、『それでも救護員か!』という衛生兵の声でわれに返り頑張りました。私たち被爆者は命あるかぎり語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくこと を誓います」と述べました。
一方、菅総理大臣は「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩ずつ、着実に前に進めていくことは、わが国の変わ らぬ使命です。政府としては、次回NPT=核拡散防止条約の運用検討会議において意義ある成果を収めるべく、核軍縮に関する『賢人会議』の議論等の成果も 生かして各国が共に取り組むことのできる具体的な措置を見いだす努力を引き続き粘り強く続けて参ります」と述べました。
“平和への誓い” 岡信子さん「核兵器廃絶と平和 訴え続ける」
平和祈念式典で被爆者を代表して「平和への誓い」を述べたのは16歳で被爆し、自身もけがをしながら、看護学生として被爆者の救護にあたった岡信子さん(92)です。
岡さんは16歳のとき、爆心地から1.8キロ離れた今の長崎市住吉町の自宅で被爆し、爆風で吹き飛ばされ、左半身にはガラス片が飛び、けがをしました。
看護学生だった岡さんは、被爆から3日後、小学校に設けられた臨時の救護所に動員されました。
「平和への誓い」の中で岡さんは、脚の傷にウジがわき、キリで刺すように痛む中、次々と運び込まれる被爆者の救護に不眠不休であたったみずからの体験を語り、原爆の惨状を訴えました。
岡さんは、これまで平和活動に携わったり、みずからの体験を語ったりした経験はほとんどなく、9日初めて、平和祈念式典に参列しました。
岡さんは「平和への誓い」で核兵器の開発、製造、保有、使用を全面的に禁じる核兵器禁止条約がことし1月に発効したことについて「一人一人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世代が受け継いでくれたから」だと述べました。
そして「命あるかぎり、核兵器廃絶と平和を訴え続ける」と核兵器廃絶に向けて、決意を新たにしました。
被爆体験者も祈りささげる
「被爆体験者」に被爆者健康手帳を交付するよう求める集団訴訟の原告団長を務める被爆体験者の岩永千代子さんは、長崎市の自宅で、原爆がさく裂した午前11時2分になると、いすから立ち上がり、手を合わせて祈りをささげました。
岩永さんは「原爆で多くの人が苦しんで亡くなりました。核兵器は人間が作り出してしまったもので、難しいことかもしれませんが、やり直してほしい」と話していました。
また、岩永さんは、政府が広島のいわゆる「黒い雨」の判決をめぐり、上告せず、原告に被爆者健康手帳を交付することを決めたことについて「広島の原告の 84人が手帳を受け取ったこと、内部被爆者が認められたことが、大きな明かりだと思います。長崎でも、半径12キロ以内を被爆地と認めてほしい。手帳とい う補償以上に心の問題です」と話していました。
被爆体験者 松田夫妻「ただ被爆者と認めてほしいだけ」
国が被爆者と認定する地域の外にいた「被爆体験者」で、被爆者健康手帳の交付を求めて裁判を続けている長崎市の松田宗伍さん・ムツエさんの夫妻は、長崎に 原爆が投下されたとき、爆心地から半径12キロの内側にいたにもかかわらず、被爆者とは認定されず、被爆後から心臓の病気や体調の不良が続いていると訴え ています。
松田さん夫妻は、9日長崎で原爆がさく裂した午前11時2分に合わせてサイレンが鳴ると、自宅で並んで座り、静かに手を合わせて祈りをささげました。
宗伍さんは、涙をにじませながら「原爆で亡くなった兄のことを思って手を合わせた。こんなに長い間裁判を続けることになり、『原告が亡くなるのを待ってい るのではないか』と思ってしまう。私たちは、お金や何かがほしいわけではなく、ただ被爆者と認めてほしいだけだ」と話していました。
また、ムツエさんは「一刻も早く、私たちを被爆者と認める平等な司法判断を出してほしい」と話していました。
「被爆体験者」とは
国は長崎に原爆が投下されたとき、「被爆者」と認定する地域の外にいた人については爆心地から半径12キロの内側にいた場合は「被爆体験者」として認定し、国が原爆が原因とみられる疾患の医療費の一部を負担する救済制度を19年前の平成14年に設置しました。
被爆体験者はことし3月の時点で長崎県内に6425人います。
一方、被爆体験者の間にはほとんどの医療費を国が負担する被爆者の救済制度と比べて、被爆体験者のための救済制度は手薄だとして不満や不公平感もあります。
一部の被爆体験者は平成19年以降、自分たちも「被爆者」と認定して被爆者健康手帳を交付するよう求めた集団訴訟を起こし、現在も裁判が続いています。
ICAN 川崎哲さん「条約に入ること 真剣に考えてもらいたい」
式典に参列したICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲国際運営委員は「核兵器禁止条約が発効し、核兵器廃絶に向けた新たな時代の最初の8月9日と なり、これからが大事だという気持ちを新たにする式典になった。皆さんが口々に条約の発効について話していて核兵器の廃絶に向かっていかなければならない という変化を感じた。国会議員や有権者、政府代表に日本が条約に入ることについて真剣に考えてもらいたい」と話していました。》



2021年 8月 6日
「本日被曝76年目のひろま市、広島市、げんぱつ、原爆、し…ぼつ者慰霊式ーーー核軍縮の進め方を巡っては、各国の(立)場に隔たりがあります。このよう な状況の下で核軍縮を進めていくためには、さまざまな国々の間を橋渡ししながら、現実的な取り組みを粘り強く進めていく必要があります。ーーー「黒い雨」 訴訟については熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理念に立ち返って上告しないこととしました」菅首相平和記念式典あいさつ
→「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要だ」は読み飛ばす
https://www.youtube.com/watch?v=djlUF6I96qQ
「76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。ーーー
「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体(からだ)の今後や子ど もの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや 非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、つ いに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅 威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。ーーー
為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核の ない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための 活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8,000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」 を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。ーーー
核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思い やり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信 頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条 約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。
日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の 信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい」松井広島市 長「平和宣言」
https://www.city.hiroshima.lg.jp/.../atomicbo.../179784.html
「不勉強かつ不誠実。菅首相の基本的な姿勢が表れたのだと思う。間違いや失敗は誰にでもあるが、あいさつはスローガンを並べているだけのように感じた。一生懸命考えて話そうという意識が抜けているのではないか」広島被爆者団体連絡会議事務局長の田中聡司さん
https://mainichi.jp/articles/20210806/k00/00m/040/262000c

 冒頭、辿々しく意味不明の語がつづいた首相の平和式典あいさつ。76年間放置した「黒い雨」被曝者への被爆者手帳交付というあまりに遅い措置は自らの手柄として語るが、最も大切な「核兵器のない世界」への努力は読み飛ばす。
 広島市長が76年間の広島と被爆者と市民の歩み、そして核兵器のない未来への取り組みを格調高く切々と語るのと比べてあまりにもお粗末。いつ重症化する かわからない感染者を自宅に留めるという未曾有のデルタ型コロナ感染拡大への対応もそうだが、最も不適任なものがこの唯一の戦争被爆国の首相であること が、いまこの国の最大の不幸。

《菅義偉首相は6日、広島市で開かれた平和記念式典のあいさつで、事前に用意した原稿の一部を読み飛ばした。政府は直後に訂正。首相はその後の記者会見で「おわびを申し上げる」と陳謝した。
「核禁止条約、早く批准を」 廃絶「市民の総意」に―平和宣言・広島原爆の日
 首相は「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要だ」などのくだりを読み忘れた。
 式典に参列した公明党の山口那津男代表は会見で「核兵器のない世界を目指す一貫した政府方針に何の揺らぎもないと思う」と首相を擁護した。》



2021年 8月 6日
私(わたし)たちには使命があります。
あの日、広島で起きた悲惨(ひさん)な出来事。
そのことを知り、被爆(ひばく)者の方々の思いや願(ねが)いを聞き、考え、
平和の尊(とうと)さや大切さを、世界中の人々や次の世代に伝(つた)えなければならないのです。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
赤く燃(も)え、真っ黒に焼(や)け焦(こ)げてボロボロになった広島の町。
「兄が死ぬより、わしが死んだ方がよかった。」
大切な人が亡(な)くなった悲しみと生き延(の)びた者の苦しみには終わりがありません。
心に深く傷(きず)を負った被爆者は、それでも前を向き
「僕(ぼく)ら若人(わこうど)の力によって、きっと平和な世界を築(きず)き上げてみせる。」と決意しました。
悲しみや苦しみを抱(かか)えながらも、被爆者の方々は生きることを決して諦(あきら)めず、
共(とも)に支(ささ)え合い、広島の町の復興(ふっこう)に向け立ち上がりました。
本当の別(わか)れは会えなくなることではなく、忘(わす)れてしまうこと。
私たちは、犠牲(ぎせい)になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去(かこ)をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変(か)えることができると信(しん)じて行動したい。
誰(だれ)もが幸せに暮(く)らせる世の中にすることを、私たちは絶対(ぜったい)に諦めたくありません。
争(あらそ)いのない未来(みらい)、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力(どりょく)し続(つづ)けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻(きざ)み、この思いを次の世代へつないでいきます。
令和(れいわ)3年(2021年)8月6日
こども代表
広島市立袋町小学校6年   伊藤(いとう) まりあ
広島市立五日市東小学校6年 宅味(たくみ) 義将(よしまさ)

一語一語が深く柔らかく真摯で美しい。未来を切り開くのは、手垢に塗れた文章を辿々しく読み飛ばす己の保身しか念頭にない老いた政治家らではなく、自分の言葉で語るこの子どもたち、若者たちだということに希望が持てる、被爆76年目の日。



2021年 8月 6日
「重症患者や重症化リスクの特に高い方には確実に入院して頂けるよう必要な病床を確保します。それ以外の方(=中等症、軽症=)は自宅での療養を基本とし、症状が悪くなればすぐに入院できる体制を整備します」2日菅首相
「重症リスク、例えば年齢とか基礎疾患とかでも比較的症状が軽くてリスクがそれほど高くない方は、在宅ということも含めて対応せざるを得ない」3日田村厚労相
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4328816.htm...
→「中等症は原則入院だ。中等症の中で、比較的、重症化リスクが低い人は自宅で対応いただく。例えば中等症で、肺炎の所見があり、息苦しい人は入院するの が当たり前だ」「中等症は原則的には入院になっている。重症化のリスクの低い方々、軽症の方々は自宅でということを通知として出した。原則が変わったわけ ではない。明確にもう一度、伝わるように努力したい」5日田村厚労相

 新型コロナ感染者について高齢者や基礎疾患を有する者さえ在宅とし、入院を重症者と高リスク者に限定するという菅政権の唐突な「方針転換」に対して、医療従事者や世論そして与党からの反発を受けてのまさに「朝令暮改」。
「新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律(令和3年法律第5号)」について厚労省は今年2月3日都道府県等への通達で「入院勧告・措 置の対象を次の者に限定する」として、「・65 歳以上の者 ・呼吸器疾患を有する者」のほかに「・中等症以上の者」と規定している。そして現行の厚労省「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関 する法律施行規則」においても、「入院の措置等の対象となる新型インフルエンザ等感染症の患者」は「新型コロナウイルス感染症の患者であって、次に掲げる ものとする。一 六十五歳以上の者 二 呼吸器疾患を有する者 三 前号に掲げる者のほか、腎臓疾患、心臓疾患、血管疾患、糖尿病、高血圧症、肥満その他 の事由により臓器等の機能が低下しているおそれがあると認められる者 四 臓器の移植、免疫抑制剤、抗がん剤等の使用その他の事由により免疫の機能が低下 しているおそれがあると認められる者 五 妊婦  六 現に当該感染症の症状を呈する者であって、当該症状が重度又は中等度であるもの」と規定している。
https://www.mhlw.go.jp/content/000733827.pdf
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=79999150...
 これらの法や省令などを十分な根拠と審議を経て変更するならともかく、首相ら数名のものが医療現場の状況も専門家の意見も踏まえずに決めたあまりにも杜 撰な「方針転換」を、今度は再び混乱を招いた反省も謝罪もなく「中等症は原則入院だ」と軌道修正する。すでに4月からインドなどで猛威を振るったデルタ型 を軽視して検疫も医療体制整備も破綻して現在の感染拡大を招いたこの厚労相や首相がその職を辞することが、このデルタ型感染拡大への喫緊の対策だろう。

《田村憲久厚生労働相は5日、参院厚労委員会の閉会中審査で、新型コロナウイルス患者の入院を制限し、重症者以外は原則自宅療養とする方針に関し「中等症は原則入院だ」と述べた。
【関連記事】2週間後の東京、新規コロナ感染1万人超えの予測 小池知事「都民の1000人に1人、毎日感染」と訴え
 田村氏は「中等症の中で、比較的、重症化リスク低い人は自宅で対応いただく」と指摘。その上で「肺炎の所見があり、息苦しい人は入院するのが当たり前 だ」と強調した。「重症以外は自宅」との政府方針を受け、中等症で入院できなくなるとの懸念や批判が高まっているため、説明を軌道修正した。立憲民主党の 石橋通宏氏への答弁。
 石橋氏は「中等症が原則入院なら(都道府県などへの)事務連絡を撤回して国の基準を出し直さないと、大混乱に陥る。国がきちんと基準、判断を示すべきではないか」と政府の姿勢を批判した。
 ◆参院厚労委での新型コロナウイルス患者の入院制限の政府方針に関する詳報は次の通り。
 自見英子氏(自民)基礎疾患があっても重症化リスクが低い場合には在宅による治療が可能という方針だと受け止めている。
 田村憲久厚生労働相 本当に命の危ない方々に病床を確保しないといけないという思いの中での考え方だ。感染状況が伸びていて病床が厳しい地域に、自治体の判断でこういうやり方もあると。東京都と話をする中でこういう形で示した。
 石橋通宏氏(立民)入院対象を重症者等に限定する深刻な方針転換だ。
 田村氏 基本的対処方針等で、感染が増えている場合は状況に応じて宿泊療養も含めた対応ということだった。決して入院を否定しているわけではない。
 石橋氏 新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長も苦言を呈していた。
 田村氏 東京都とは問題意識を共有して進めてきた。尾身先生に連絡が十分にいかなかったのは、行政の横のつながりが悪かったということで反省させていただく。
 石橋氏 中等症でも原則自宅療養にしてしまうと、多くの救うべき命が救えなくなる。中等症でも今後は原則自宅療養なのか。
 田村氏 中等症は原則入院だ。中等症の中で、比較的、重症化リスクが低い人は自宅で対応いただく。例えば中等症で、肺炎の所見があり、息苦しい人は入院するのが当たり前だ。
 石橋氏 中等症が原則入院なら(都道府県などへの)事務連絡を撤回して国の基準を出し直さないと、大混乱に陥る。国がきちんと基準、判断を示すべきではないか。
 田村氏 スピード重視は危機管理の要諦だ。東京都も対応の準備をしているので、この方向で救える命を救っていかなければならない。それでも、感染がさら に伸びていけば、対応できなくなる。リスクの高い行動を控えていただきたい。今回の対応をしたからといって万全ではない。
 川田龍平氏(立民)治療薬である抗体カクテル療法について、入院患者以外にも使用できるようにする方針も示された。自宅療養者を含めた薬剤投与をどう進めるか。
 正林督章厚労省健康局長 投与対象は重症化リスクがある軽症から酸素投与を必要としない中等症の患者。デルタ株により感染の急拡大が見られる中で患者の治療の選択肢が増えることが期待される。
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浜口誠氏(国民)中等症は原則入院ということも含めて対応方針を伝えるため、事務連絡は出し直すべきではないか。
 田村氏 中等症は原則的には入院になっている。重症化のリスクの低い方々、軽症の方々は自宅でということを通知として出した。原則が変わったわけではない。明確にもう一度、伝わるように努力したい。
 浜口氏 修正すべき点はしっかり修正していく必要がある。入院基準の見直しは最終的に誰が判断するのか。国として示す必要がある。
 田村氏 入院治療は重症患者や中等症以下の患者の中で、特に重症化リスクの高い者に重点化することも可能であるということだ。このままでは、より必要な 方々に病床を提供できないという場合には、各自治体で判断くださいということを申し上げていることで、国が明確に基準を示したということではない。
 浜口氏 全国一律ではないということなので、都道府県知事や、保健所設置の市、特別区で判断しないといけないか。
 田村氏 基本は知事が判断いただく形になると思う。エリアの感染状況を把握されてるのは、県全体であれば知事であり、最終的に衛生部局等、保健部局等と議論していただきながら判断されるものだと考えている。
 倉林明子氏(共産)自宅療養を余儀なくされた多くの命が失われてるのが現実だ。自宅療養が基本になると、在宅死リスクは確実に高まる。
 田村氏 感染が増えれば、どういう状況であれ、病床は当然いっぱいになる。ホテルの宿泊施設もいっぱいになる。後は在宅になる。重症化した時の病床が確保できていなければ、入れなくなるので、感染をどのように抑えていくのかをやっていかなければならない。
 倉林氏 自宅療養でも医療につなげていくという手だてが見えない。方針を変えたことによって、重症病床が増えるわけでもない。どうやって余力を確保することになるのか。
 田村氏 病床に入っている患者の中において、在宅で対応できる方は自宅で療養いただく。それに対してのいろんなフォローはしていく。今まで東京も態勢を 整備してきた。今のような感染状況が続くと、病床が埋まって、自宅で急変された方が入れなくなってしまう。あくまでも、何とか病床を確保していく対応をお 願いをさせていただいている。》



2021年 8月 4日
「ワクチンを、ぜひ若い方も打っていただきたい。ーーー病院の病床を効率的、効果的に生かすかが鍵になる。特に一人暮らしの方々などは、自宅も、ある種、病床のような形でやっていただくことが、病床の確保にもつながるし、その方の健康にもつながる」小池都知事7月28日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/119947
「重症患者や重症化リスクの特に高い方には確実に入院して頂けるよう必要な病床を確保します。それ以外の方は自宅での療養を基本とし、症状が悪くなればす ぐに入院できる体制を整備します。パルスオキシメーターを配布し、身近な診療所が、往診やオンラインなどによって丁寧に状況を把握できるようにします」菅 首相8月2日
「重症リスク、例えば年齢とか基礎疾患とかでも比較的症状が軽くてリスクがそれほど高くない方は、在宅ということも含めて対応せざるを得ない」田村厚労相3日
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4328816.htm...
「私たち医療関係者は中等症は確実に肺炎があり、酸素投与が必要という事で当然入院の適用。急変して残念ながらきちんとした医療を受けられずに自宅で亡くなる方が、残念ながら結構出てくる可能性は多いのではないか」松本哲哉国際医療福祉大教授
「中等症2とかで治療に介入していてはもう間に合わない。より早い段階で治療に介入しなければいけないので抗体カクテル療法を承認したはず。その治療は軽 症者のうちにしなければならないが、入院しなければ薬は使えない。言っていることがめちゃくちゃです。この2人(菅首相、小池都知事)がおっしゃっている ことというのは、国民にまっとうな医療体制を供給しませんよというメッセージだと思う。こういう人たちに国を任せては国民の命は守れませんから、2人とも 至急お辞めになった方がいい」インターパーク倉持呼吸器内科院長 倉持仁氏
https://news.yahoo.co.jp/.../9c3ea75baecacc9011703ea377a1...
 コロナパンデミック下で五輪を強行する政府と東京都のこれら首相や知事は自分たちはワクチン接種が済んだのでもはやコロナ感染は他人事、「五輪は自宅で テレビ観戦」「夏休みの旅行や帰省も自粛」を呼びかけていたが、遂に「自宅病床」「感染しても中等症なら自宅で療養が基本」と宣う。
 コロナ中等症は酸素吸入が必要で入院すべき人びと、さらにいつ重症化するか分からず入院しなければ抗体カクテルも使えない。これは「自宅療養」ではなく まさに「自宅放置」。政府によるワクチン供給が滞り、若者や現役世代の予約すら進まないなかで「ぜひ若い方にも打っていただきたい」?この都知事は先日 「過度の疲労」とかで10日間ほど入院したのではなかったか。「パルスオキシメーターを配布し、身近な診療所が、往診やオンラインで」もまさに絵空事。
 東京の3日の状況は入院3,351人(軽症・中等症3,239人、重症112人)、宿泊療養1,798人、自宅療養14,019人、入院・療養等調整中 8,417人。病床使用率56%。しかしすでに入院が必要な人が入院できない事態が生じている。FNNは3日「東京都で8月1日、自宅療養している感染者 が体調悪化などで119番通報したのは213件で、このうち病院に搬送できたのは91人、残りの122人は搬送先が見つからず、自宅に留め置かれた」と報 じている。すでに現状で、体調悪化しても入院できない人びとが多数放置されている。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/.../details-of...
https://www.fnn.jp/articles/-/218853 
 首相も都知事も国民、都民の命と健康を守る気概も方策も無く、現実の認識もできない。もはや「老害」。一刻も早く辞めさせるべし。
《 新型コロナの感染急拡大で自宅療養者も急増する中、政府は重症化リスクの低い中等症患者などを原則、自宅療養とすることを表明。保健所の負担も増える一方で、自宅療養者に連絡が届かないケースも出てきています。》



2021年 8月 1日
日記がわりに。
今日も暑いが、il ventoに行くとなぜか空いていてゆっくりローマピザを頂いて駅前で食材買ってバスで帰宅。現役世代のご主人たちは、人に接する仕事にもかかわらずようやく一回目のワクチン予約ができたとか。オリンピックと言いワクチンと言い、問題だらけの夏。





















                                                                                                                                                                
  
     





























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