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2021年12月31日
小樽は朝方陽が射した。運河沿いを歩きNO1倉庫とラーメン店、バスターミナルを経て小樽駅から帰路につく。
石狩湾は荒れていたが札幌を過ぎて天気は回復、スカイマーク機材遅れで4時千歳を発ち夕景を追いかけて6時神戸着。
この経路はいつか長尾さんと同道したかったものだが、叶わぬ夢となった。もう大晦日。

 

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2021年12月30日
倶知安4日目も雪。
宿を出てjrで雪景色のなかニセコ駅前の綺羅之湯を訪ね、今回はゆっくり浸かる。道中の疲れがすべて取れた感じ。休憩スペースでコープで買えたサッポロソラチ1984の最後の一つを飲むと、常温でも美味しい。
駅のレストランで羊蹄山の湧き水のうどんを食べてニセコ本通りからバスで小樽まで。運河沿いを歩き、宿ふる川の露天に浸かり小樽No.1ビールのあとふじ鮨に行くが、30日は昼のみ営業だった。運河沿いの回転寿司店、小樽バインを訪ね宿に戻る。今年もあと一日。


2021年12月29日
倶知安3日目朝は快晴、羊蹄山が姿を現した。
ゲレンデに行くと曇天だが東山の頂上リフトは動いていて、アンヌプリ側に霧の中降りると既にお昼まえ。旧日航ホテルのレストランでアラカルトも復活して天麩羅蕎麦を頂く。
ゴンドラからコース上部は霧の中を下り、ぱらだいすヒュッテでコーヒーのあと2時には上がる。
いこいの湯にゆっくり浸かりユナイテッドと路線バスを乗り継 いで帰り、外食はやめてコープの牛弁で夕飯。結構美味しい。今年もあと3日。



2021年12月28日
倶知安2日目も最高気温ー6℃予報、北海道で最も寒い。
バスでヒラフに上がるとリフト券売り場は長蛇の列。山頂リフトはクローズ、その下を数本滑って花園ベースに下ると、レストランも混んでいた。コロナ禍で年末に帰国出来ず、ではニセコでということか多国籍の家族連れで賑わう。
ヒラフに戻り7年前長尾さんと訪れた東山に下ると雪が止み青空が広がる。しかしiPhone6は2年前にバッテリー交換して調子が良かったが、今回は札幌国際に続きまたも突然ダウン、写真が取れない。
ゴンドラで上がりもう一滑りしてヒルトンの温泉に入ろうとフロントを訪ねるが、コロナで日帰り入浴は中止と。
ニセコシャトルバスで奥のいろはに行くとこちらは日帰りOK。感謝とともに五臓六腑に染み渡る湯に浸かる。休憩室でiPhoneを数分充電するとフル充電。なんの不具合なのか。
シャトルバスと倶知安ナイトバスを乗り継いで宿に戻り、駅前 のジビエ旬彩に行くと満席。隣の系列の店でやはり美味な夕飯をいただき宿に帰る。宿は広いラウンジでコーヒーなどフリー。寛 げました。


2021年12月27日
小樽朝方は晴れたが最高気温マイナス3℃の予報。木の露天に入り朝食を頂き青空の下運河沿いを歩く。ナナカマドの実が赤い。すし屋横丁も快晴だが一際寒い。北一硝子のランプのカフェを訪ねて出る頃には雪が降りしきる。
小樽バインでお昼を食べ小樽からjrで倶知安に向かう。車輌は新しく、窓から景色が良く見える。昨日千歳線は大幅に遅れたが、何故かこちらは定刻で到着。
駅前のコープで部屋食用にパックすしなど買って宿に入り、ニセコ行きバスに乗ろうと発着所に行くが、出発時刻を間違えて既に発車。
約一時間待ってjrでニセコ駅に行き、帰りの列車まで44分 の間にせめて露天に浸かろと駅前の綺羅の湯を訪ねたが、男湯は満員で待機とか。10分足らずで入れたが、露天を10数分堪能 して倶知安に戻る。最高気温マイナス6℃で行きは寒さが厳しかったが帰りは楽だった。これから数日ひたすらマイナス気温と雪 予報。


2021年12月26日
東京は夜初雪とかで朝から晴れて寒い。赤坂の宿からjrと西武多摩川線で多磨駅まで。親切な老婦人に教えていただき長尾さんの告別式会場に開式まえにどうにか到着。
笛や笙など神式の厳かに故人を偲ぶ葬儀に音楽関係と学校そして神職の、多様な方々が幼な子も連れて参列。
年末の日曜でそれぞれ事情があるのだろう、200人近い参列に農芸の人は見受けなかった。神職さんの口上に「死去は神の判断だがあまりに早すぎて悲しみの声がやまない」と。ギターを抱えるお元気な遺影にひとりひとり榊を奉じたが、皆同じ思いだったろう。
終わって多磨駅に戻り、途中吉祥寺で降りて、送別会や結婚祝いで長尾さんがギターを弾かれたイタリアンの店や花見をした井の頭公園を訪ねた。
帰路長年近くに住んだ下北沢も訪ね、宿で荷を受けとり羽田。検査場は凄い混みようで1時間かかり、慌てておむすびを食べて搭乗口に行くと、日本海側の降雪の為到着遅れで出発は40分遅れ。ほぼ満席の便は千歳空港に8時半到着した。
jrも遅れ、小樽まで通常の倍の時間がかかり運河沿いの宿に 12時まえに到着。



2021年12月25日
すごく混んだ朝食と家族連れで賑わう川沿いの露天のあと、定山渓の宿を出てやはり遅れたバスで豊平峡を訪ねる。鍾乳石の内湯と広い露天ぶろ。一昨年までの賑わいはないが、是非続いて欲しい。
新雪の快適な中斜面が長い国際スキー場と定山渓温泉そしてこの豊平峡はいずれ長尾さんとご一緒することを楽しみにしていたところの一つ。
カリーを食べ、東京での告別式に参加するため札幌駅行きかっぱ号、jrエアポート線を乗り継いぐ頃には天候は回復。
スカイマークはやや遅れて離陸し着陸のために降下を始めると 気流の影響でかなり揺れた。6時羽田に着き、空港で食事し、渋谷から地下鉄で久しぶりで乗り間違えしながら赤坂の宿まで。こ ちらは妙に暖かい。


2021年12月24日
定山渓2日目、国際スキー場行きバスの時刻を15分ずれて記憶し慌てて通過時刻に神社前バス停に行くと程なくバスが来たが、降雪で遅れた30分ほど前の便。悪運強い?
午前中曇りのなか轍の少ないゲレンデを滑る。高齢者と若者たちでコロナ前の人出。午後時折日も差しちらと石狩湾も見えたような。荷を倶知安に送りバスで宿に戻る。
ビューホテルの名は露天から豊平川が見えるためか。寒い石の階段を降りて浸かっていると、子どもや幼児を連れたお客さんが多く、「やっぱり露天はいいな」と3歳くらいの子。レストランも凄い混みようだが、皆楽しそう。
明日から天気はどうなるのか。


2021年12月23日
朝は晴れ、中島公園よこの歩道は昨夜来の雪で幅は人ひとり分、皆さんお互い譲り合いながら歩く。
やはり例年より空いているバスに乗り国際スキー場に着くが、宅急便で送った荷はお昼頃に届くと。たしかに24日プレーと記していた。リフト券購入してゴンドラで上がって下る途中iPhone6のバッテリーが急にダウンするなどやはり珍道中。ベースの食堂で早めのお昼を食べると荷が着き、午後今シーズン初滑り。
ウッディコースは長い中斜面で快適だが数本で足が疲れた。3 時に切り上げバスで定山渓に戻り宿に入る。渓流沿いの露天のあとレストランに行くと結構な混みようだが美味しくいただく。明 日も雪、明後日から数年ぶりの荒れ模様とか。


2021年12月22日
2年ぶりに年の瀬北の国徘徊。
朝のポートライナーは市民病院などて働く人で混むが、閑散とする神戸空港から千歳行きも空席半分ほど。地表を覆う白雲の遠くに富士山は見えた。
札幌で旧道庁まえのジビエの店に入ると、経営とメニューが変わっていた。一昨年から改修中の道庁は閉まったまま。
便数が減った定山渓行きバスを小金湯で降りて松の湯を訪ね、硫黄の露天に入るとこちらも訪れる人はまだ少ない。
真駒内経由で戻り、訪ねたさっぽろっこではメニューが少なめ だが、鮭ルイベなどいただく。狸小路よこで夜の市電を見て中島公園手前の宿まで歩く。こちらも閑散としている。


2021年12月21日
ここ数日亡くなった長尾さんと農芸定時制で行った行事や旅行、吉祥寺などでの会合の映像や写真そして頂いたメールなどを、大きな欠落と惜別の思いと共に見かえしている。
 どんな時にも温厚で、さまざまな個性とそれぞれに課題を抱えている生徒や教職員に、号令や指図とは正反対の寛容な姿勢で接する姿がどの資料からも偲ばれる。昨日も触れたが唯一の例外が、今も続くこの国と東京都による学校と教育に対する儀式での起立斉唱の強制と介入への憤りを、校長に遠慮も忖度もなくぶつけておられたこと。
 2007年わたしとスキー教室を共に担っていたN先生が共に移動し、翌年3月の卒業式に隅っこにでも参加したいと希望していたのだが、都教育庁と「支援センター」なるものの「教育課程の正常な実施に支障を来す虞がある」とやらの方針で校長は参加を拒んだ。
 わたしたちの移動によりこの年からスキー教室はなくなったが、3月末にわたしと長尾さんで自主スキー・ボード教室を従来通り白馬で(さらに翌年はニセコで)行った。農芸に再雇用教員として残った長尾さんは校内で孤軍奮闘。
 2008年3月13日の長尾さんからのメールに、その経緯と長尾さんの生徒への熱い思いと優しい眼差しに満ちた所作が伝わってくる。わたし以外の名はすべてイニシャルにして、下に掲げたい。
福山さん
杉並のSさんに当てたメールですが、読んで見て下さい。事実関係でおかしなところ等ありましたらご指摘を。  長尾
S様
 ご無沙汰してます。杉並ももうすぐ卒業式ですね。
 さて、最近は年々卒業式に関する騒擾が少なくなる一方で、職員会議で議論するという光景も見られなくなって来ました。校長が一方的に提案して、それに対して教員は何も言えずにだんまりを決め込むばかりです。そしてお決まりの職務命令を振りかざしてこれでやらせてもらいます、です。
 農芸は今年例の福山、N先生を追い出してから校長が急に威勢が良くなって、やりたい放題。式次第が提案されてももはや君が代、日の丸に関してはもの言えば唇寒しと、誰も意見が無いので、せめてもと思って、来賓招待者について校長の見解を質しました。それは私が杉並の卒業式に列席を希望していることでもあって、都教委の今年の姿勢を探る意味で言ったのです(この後の校長の不条理な対応を想定していた訳ではないのです)。これまでのように過去1年の旧職員に宛てて招待状を出すのかと確認すると、その通りだと言うから、仮にもっと前の先生が来たいと言ったら校長判断で参列させることは可能なはずだ、是非そのように計らってくれと言うと、「一応聞き置く」と役人言葉を持って応じました。去年は父母家族以外にも是非参加したいと言ったSさんの事例があったのと、この段階で既に2人の招待拒否が既定の路線だったに違いありません。彼らは慎重に返事を選んだのだと今にして思います。
 さて、その後3月に入ってから福山さんと西荻で飲んだ時に、卒業式の案内が来たかと確認すると、まだだと言う。それはおかしいので週が明けたらせっついておくよと言って置きました。翌週、私が確認するよりも前に福山さんが副校長に電話してどうなってるのかと質したところ、福山、Nについては1年目だが招待できないと言ったというので怒って私のところに電話が入りました。理由を聞くと、「教育課程の正常な実施に支障を来す虞がある」というようなことでしょう。つまり教育課程に明記された日の丸、君が代の式次第の実施を妨げる可能性を持った人達だから式場内に入れるなという訳です。分会にこのことを問題にしろと本部員と分会長に要求したのですが、まず事実確認(明白なる事実なのに)を事務室にしてから校長に抗議しますと言う、余りにも他人事みたいな姿勢だったのと、急がねばとの思い、そして彼らは当てにできそうもないからと、その日のうちに直ぐに副校長をつかまえて、約束通りではない、彼らは昨春異動したばかりだから招待者リストに当然入らなければならない。他の2人の異動者には早々と案内状を出していました。これは差別じゃないか。彼らは去年のSさんと同じく保護者席の一番後でそっと座っているだけでいいと言っているのだから何の問題も無いじゃないかと責めましたが、この1、2年農芸は問題校として注目されてるからきちんとやりたい。つまり校長も副校長もそろそろ異動の時期だから、最後くらいはきちんと挙行できたという実績を残して異動を有利にしたいのだろうと思います。副校長に至っては私の業績評価は「C」ですからと自嘲気味にか、あるいはその「C」評価の原因を作ってくれた2人だから招待する訳にいかないのは当然と言いたかったのか。
 2月7日に都教委に対して東京地裁が不起立者を嘱託採用からはずしたのは裁量権の濫用、1年分の給料相当分を不採用教員に支払えという判決を出したばかりです(勿論すぐ控訴しましたが)。それなのに都教委は校長を集めて今年も従来通りの姿勢で卒業式には臨む、当日休暇申請しても時季変更権を行使して許可するなと発破をかけたようです。その際、式場にはあらかじめ決めた人物以外は決して入れるなというようなことも指導したようです。このへんは支援センターの方から指示が出されたのであって、都教委の方ではそこまではやってないと、このことで抗議に行った都高教の執行部に返事をしたようですが。
 もしもそういうことが無かったら校長が早手回しに主観的に気に入らない人物を外したのだろうと思いました。しかし副校長は農芸は特に注目されているから万全を期したいとの返事に終始しました。それ以上は直接校長に掛け合えというようなことも言いました。
 後日分会長にどうなったか聞くと、一応抗議して来た、向こうは同じようなことを言ったようで、長尾の要求は一応果したよと言う態度でしたからこれは駄目だと思いました。組合と言ってもセクトが違うとこんな事例はよくあることですから。
 そして11日の卒業式の当日。受付係がリストを持って来てどういう人が保護者で、誰が福山かNかと、今年来たばかりの先生だからそれとなく聞きに来ましたので、いいんだ皆保護者関係者で入れていいよと応えてふと見せてもらったリストに、石原伸晃以下、校長のマニュアル通りの人物名がありましたが、その中に数年前退職した元校長の名前があったのです。それでぶち切れました。副校長が慌ててやって来て、全日制の卒業式に参列して、今日は体調がいいから夜の方にも出たいと言ったというのです。
 当日開式直前の職員打ち合せの席で、校長がやって来て、今日は皆さん職務命令通りよろしくと言ったので、ふざけるな、この元校長は予定に無かったじゃないか! 数年前の旧職員でも校長ならOKで教員は1年前なのに駄目とは筋が通らないぞ、と皆の前で怒鳴り上げたのですが、彼はゆでだこのように顔を赤らめ、意固地になって「私が決めた通りにやるんだ」の一点張り。納得できねえなあ、納得できなくても結構です、と答弁を放棄しました。来賓あつかいでなくても、そっと式場の片隅に置いてくれればいい、生徒の晴れの日を自身が関わった生徒の為に心からお祝いしたいというN先生のささやかな願いも、君は拒否するのか、それでも君は教育者なのか、これはいじめじゃないか、と怒鳴り合い。副校長がN先生には電話で場外待機でとお願いしておきましたのでととりなし、時間切れでした。
 その後式開始まで副校長が猫なで声ですり寄って来て、元校長は長年本校に貢献された方で、毎年祝電をくれるので特別な方、出席して下さるというのを断れないのです、そこのところをご理解頂きたい、とか何とか言って校長室に下りて行きました。それからまた程なく上がって来て、長尾先生が指摘された、本校だけが突出して不起立者を排除してるという点を、確認したところ、たった今下に来た支援センターの副参事はそんなことは無い、どこでも同じだと言っていた、とつい今しがた言い合ったことの補強をする。最後にはくれぐれも節度を保って式に臨むようにと校長はそのことを一番心配してますというから、冗談じゃない、今不起立を決意したからな。君らの履歴にまた一つ勲章が加わることになるぜ、というと、肩を抱くようにしてそれはお止め下さいとお愛想笑いをするのでした。
 後で聞くと元校長は校長が色々世話になった関係で断れないとのことでしたが、その前にNさんは今度の卒業生の中のM君という生徒が池坊のデザインコンクールで全国2位の朝日新聞社賞をつい先月受賞した(新聞にその写真が大きく載ったのでご覧かもしれない)ことと、3年間英語の課外授業をして来たことから格別な思いがあって、是非卒業証書を手にする姿をひとめ見たかったのです。それが叶えられず、今の生徒の誰も知らない昔の校長が来賓席にふんぞり返って、いちいちそれに向かって敬礼させられる姿は見るに忍びない。生徒が主役であるべき式の場を利用し、矮小なる権威を示すさびた勲章を後生大事にぶら下げて、生徒を平伏させるカリカチュアを想像して、そのおぞましさに身を震わしました。
 福山さんは年休も余り残っていないし、自分が式場に入れば確実にまた不起立するから、拒絶されるのなら行かないと決め学校外待機と決めましたが心底不本意であったと思います。Nさんはあくまで押し掛けると副校長に談判し、当日も直前まで交渉をしたようですが、式場外で待機することで不満ながら落着したというから、Nさんは1月にスキーで大けがをして松葉杖で来るのだがどこで待ってもらうのかと聞くと職員室だというから、放送室なら全体が見下ろせるので、そういう方法もあるなあと言うと、いや実は密かにそうするように考えてるんです、と暗にそれなりに先生方の為に計らっているような言い方をする。でもNさんはそれは断るだろうなと思いました。これでは敵の軍門に下るなにものでもないのですから。案の定彼は終わるまで外で待っていたようでした。
 折角の式も実に不愉快に進行しました。教員席を予行の時に横向きに直しておいたのに、またも当日斜め正面向きになって名札が貼られてあったのを、監視している副校長の前で、小学生じゃあるまいし、こんなもの貼るなよと引き剥がし、椅子を生徒席に向けて真横に直しました。生徒席で福山、N先生の招待拒否を知る一部の生徒達が、君が代ですとんと座って、私の方を見て笑ってみせましたが、さすがにすぐ立ち上がり大きな騒ぎにはなりませんでした……。来賓挨拶に立った小さな女副参事が、気を付け,礼の号令に合わせて、精一杯上半身をのけぞらせて応じる姿は,ナチスの親衛隊の分身じゃないかと見まがうようで滑稽でした。挨拶の中身も、石原都知事の都政の業績を並べ立てて見せると言う、こちらもまた上に対して腰を屈めてみせるというマニュアル通りの内容でした。終わって中央日の丸に敬礼して降壇するのを、袖で待ち受けて敬礼をして迎える校長、権威にへつらって叩頭する大きな男と、背をのけぞらせて応じる小女、生徒達も後で聞くと腹で笑っていたということでした。
 式終了後の祝う会は生徒と教員と保護者が今年は少ない参加で寂しく、去年は福山さんの不起立で事情聴取やらに追われて出席できなかった校長が、今年は大過なく終えられた満足感一杯で、ニコニコ顔で参加しています。ソフトドリンクで乾杯の後挨拶に立った校長が、今日は実にいい式ができました。Nさんの送辞には思わず涙でしたと持ち上げてみせた後、私に番が回って来たので、40年間定時制一筋、(一般教員は卒業式を欠席することは厳禁されていますが、嘱託は非番にしてもいいんだと、副校長が私に今度のことで教えてくれたのですが)卒業式は高校教育の集大成と位置づけて一度も欠席したことがありません。40回の熱い思いを味合わせてもらいました。校長が今言ったけど、私もNさんの送辞に感動してもらい泣きしました。しかしあれがもっと一杯いっぱいあるのが定時制の卒業式でした。それがどんどんそぎ落とされて来ているのです。昨今の東京の教育行政は形式的な押しつけと監視と処分を年々強めてきて、無味乾燥な式に成り下がって来ました。今日も実は校長とこのことを巡って打ち合いをしたばかりなのです。
 そこにいるM君は生け花の栄誉に輝きました。それはこちらの市民講師T先生のお陰です。そしてN先生という本日式場に入ることを拒まれた先生が、毎日放課後英語の個人授業をしてくれていたお陰で、この一年間はこちらのI先生が引き継がれて、今お母さんが仰ったように嫌いだった英語を好きにさせてもらえ、進学も手中にしたのです。学校は多くの先生方が地道な指導を通じて、一人一人の生徒と関わってこの日を迎えるのであって、その点で言えば本校の先生方はとてもいい先生が揃っています。と話しながらちらちらと校長の方に視線を流すと、本来こういうことは校長が言えなきゃならないんだが、彼は次第にまた顔を赤くして、だんだんと肩を落としてゆくのが見え、はらわたの煮えくり返っている心境が手に取るように分かって気持ちよかった。側に侍る副校長や主幹も誰も話し相手にならず、何故か皆さん私と話し始めるのが可笑しかった。PTAの司会者が時間を持て余しているのを見かねて、参加している生徒の4年間の学校生活等をこちらから話題にしてあげました。そのたびに私に視線が集まる、それに反比例して彼の存在が薄くなり、とうとう最後まで校長は針のむしろだったのじゃないかな。最後に司会者がさすがに校長に一本締めをと振って何とか救われたようでしたが。私は少し溜飲を下げました。
 農芸3年間でいろいろ彼とは言い合いもして来ましたが、これほどまで怒声を発したのは初めてでしたので、後で何人かの先生が千の谷の意固地さには呆れますねと、私にシンパシーを示してくれもしました。
 15日は杉並に是非来てくれとKさんから誘われましたので、行くよと言ってあります。IM君からも手紙が来ました。先生に言われた通り漢字の勉強をして、4年生大学に合格したと誇らしげな内容に胸を熱くしました。後日保健室から電話もくれました。お祝いを言いに行くよと言ってあります。果たして杉並はどう対応するか見物だと思います。農芸の職員会議で絶対に入れてくれるはずだと大見得を切ったのですが、果たして?
 ともあれ、終わったら皆で一緒に飲もうよということで楽しみにしています。そこでいろいろ話しましょう。
長尾 和彦





2021年12月20日
長尾和彦さんが亡くなった。
18日久しぶりに長尾さんの携帯から電話があり、楽しみに受けると御子息から、ゴルフの後帰宅されて浴室で12日亡くなったようで16日自宅の新聞が溜まっていると連絡があり発見したとのこと。突然の訃報に驚きと悲しみが止まらない。
ラテンギターそしてバラライカなどロシア民族楽団のご活躍で高名だが、わたしたちとの出会いは16年前定年退職されて都立農芸高校定時制に国語の再雇用教員で赴任されて以来。音楽クラブの指導や文化祭でのコンサートそして3月のスキー・ボード教室の引率で生徒交々お世話になった。
冬場に草津や乳頭鶴湯温泉などにご一緒し、私の退職後は2016年神戸から城崎温泉に御同道していただいた。一昨年10月北川記念ロシア民族楽器オーケストラ団長として最後の公演を聴きに上京して、その日お宅に泊まり翌朝田無駅まで送って頂いたのが、最後にお会いしたことになってしまった。
誰に対しても寄り添うように対応され、声を荒げることのない方だった。わたしが記憶する唯一の例外は、2007年卒業式前の職員会議で、式典における教職員への起立斉唱の職務命令に固執する校長に対して「生徒の前で教員に強制するのはむしろその旗や歌を貶めることだ。ならば私は座る」と述べられたこと。御出身は周防大島の神職の御家で、音楽と共に38年間定時制一筋で務められた。その気迫に満ちた訴えだった。これからのこの国と世界が、対立や分断を乗り越えていく、その象徴のようなかたと私には思えた。
わたしが異動し、長尾さんは再雇用期間を終えても音楽サークルの指導は続けられ、月一のペースで卒業生も交えて吉祥寺界隈で飲み会が続いた。
コロナ禍が終わったらまた温泉や飲み会などご一緒できることを楽しみにしていたのだが。卒業生たちに連絡していると、皆同じ思いなのが伝わる。生徒やわたしたち後輩を温かく見守ってくださる稀有の存在だった。残念でならない。
告別式は 12月 26日(日)10時00〜11時00 (受付8:30〜)
      日華 多摩火葬場内 思親殿斎場
      東京都府中市多摩町2-1-1





2021年12月19日
もう年の瀬。
 少し早いが食べ納め、地元温泉の入り納めで 14日calmoを訪ねると火曜はランチお休みで北野Mont dorでミックスピザのあと神戸クアハウスに浸り納めて帰宅。
 17日は寒波襲来、天候不順のなかアシスト車で六甲川沿いを降り灘温泉水道筋店。食材買う頃雨だったが帰路晴れて六甲の山並みがよく見えた。
 昨日は元町nomadikaに行くとランチタイムは貸し切り、以前の賑わいが戻ってきたよう。栄町通のDays kitchinでレンコンのジェノベーゼをいただく。美味。こちらも12時過ぎにほぼ満席になった。「良い年を」と挨拶して大丸地下でカワハギ見つけて帰宅。
 夕刻長尾和彦さんの携帯から電話があり、出ると埼玉の古民家に暮らす御子息からで、なんと12日長尾さんがご自宅で亡くなったと驚愕の連絡。その後26日告別式が府中の思親殿斎場で行われるとメールも寄せられた。
 農芸定時制以来16年間温厚なお人柄とギターやバスバラライカそして北川記念ロシア民族楽器オーケストラ団長など多彩なご活躍ぶり。2年前団長を退役されて、このコロナ禍が終わったらまた卒業生も交えて飲み会や温泉行を是非にと思っていたのだが。私が知る10数年前の元同僚や卒業生にほそぼそと連絡しているが、衝撃と落胆、悲しみの反応ばかり。
 そうした連絡を取り合いながら、今日は地元il ventoでボロネーゼとHATなぎさの湯に行く。




2021年12月16日
「ーーだけど、現実は違った。第5波では、本来入院すべき人の多くが入院できず、『医療崩壊』としか言いようのない状態に陥りました。自宅療養ではなくて、言ってしまえば自宅待機でしたし、待機できているのかもわからない。『自宅放置』されていたのが現実です。自分は絶対になりたくない、とさえ思わされました」
「自宅療養は、軽症でリスクの少ない人が氷囊を載せて休んでいるというイメージです。呼吸が困難な中等症以上の人には、自宅療養との言葉は使うべきではない。重症化するタイミングが予見しにくく、治療は酸素とステロイドしかない。戦場に竹やりだけで挑むようなものです。ーーコロナに感染した途端、医療体制から断絶されているという非常に逆説的なことが起こっていたのが、自宅療養の現場でした」
「糖尿病を患い、インスリン注射の治療をしている50代の男性がいました。ーー夕方5時過ぎに救急隊から引き継いで、診た瞬間、呼吸状態と臭いで、『これは糖尿病の致命的な合併症だ。死ぬかも』と直感して、とにかく早く入院させないとと思い、また救急隊を呼んだんですよ。だけど、ずっと入院先が見つからず、ICU(集中治療室)でやるような治療を家でやっていました。翌日の正午に入院したけど、結局、亡くなりました。すぐに入院できたら救えた命だったと思う」
「8月は往診から入院まで平均4日間かかりました。12日間入院できない人もいました。『あなたが1日でも早く入院できるように、全力は尽くします。あなたも頑張って』と言うしかない。苦しみながら、命を乞うように言葉を絞り出す患者さんを前に、何もしてあげられない無念さ。まさに地獄絵図という言葉は過言ではありませんでした」
「基礎疾患が多く、悪化の恐れがある人や症状の重い人が入院できないのに、療養期間が終わろうとしている軽症者が入院するという場面がありました。入院させる順番に疑問を感じることもありました」
「入院できるかどうかのやり取りの中で、医療機関や保健所に『人工呼吸器の希望はありますか』と聞かれる。つまり人工呼吸器が空いていないので、『人工呼吸器がない病院だったら行ける。どうする?』と。初対面の人にそれを聞かなければならなかった」
「コロナ病床として確保された病床に入院できない『幽霊病床』をなくすことです。コロナ病床を引き受けるのならば、とりあえず患者を受けてほしい。病院に『これ以上悪くなったら何もできないから、受けられません』と断られたこともあった。そうなれば結局、僕らが『入院先が見つかりません。もうだめです。すみません』と患者さんに自宅で伝えることになる。どんどん下請けに流れてきているだけじゃないですか」
「神奈川県や千葉県は第5波でも病床使用率が80%を超えていました。東京では最も厳しい8月中旬でも6割程度だったのに、どこへ掛け合っても『満床』と告げられていました。『マンパワー不足』だけで説明がつきますか。『助けられないかもしれないけど、連れてこい』と言って欲しかった。90%までいっていたら、医療崩壊なんて起きなかった。検証されるべきだと思います」
「第6波が来たときにうちのクリニックが第5波の時と同じことができるかと問われたら、なんとも言えないです。通常診療を制限しなくてはいけません。スタッフは疲労もあるし、家族との時間も犠牲になった。いつまで続くのか、波の高さも幅もわからないのに、苦しんでいる自宅療養者のためにとにかく全力でやろうと、情熱で頑張ってくれた。また、同じことをやろうというのは、なかなか大変だと思います」
「感染爆発が起きたときに末端の医療機関が情熱で乗り切るような根性論ではどうにもなりません。幽霊病床をなくし、空床情報を一元化して、医療機関全体が均等な負担で治療できる体制を作らないといけません」
「患者の立場だったらどっちが納得できるかという話なんです。『当院でやれる治療はこれが限界です』と言われて亡くなるのと、『入院させられませんでした』と言われて家で亡くなるのと。どう考えても前者でしょう。コロナ病床を確保することで補助金をもらっているのだから、受け入れ病院には覚悟を持ってほしいと思う」
「第5波で多くの人が自宅の中で医療から断絶させられ、苦痛と孤独と絶望の中で過ごさざるを得ない時期が生じたわけですよね。これって近代国家の敗北だと思っています。衆院選では、政治家が『国民の皆さんに苦しい思いをさせて、医療崩壊を招いてしまって申し訳なかった』とは言わなかった。それで『命を守る』と言われても僕には全然響きませんでした」
「自宅療養を強いられる人には、自分の身を守りながら往診して医療を届けるのが、新たな感染症で求められる役割だと思います。ただ、自宅診療を責任ある形で提供するには、いざという場合の後方医療機関を確保することが必要不可欠だと感じています」
 2019年大田区で「ひなた在宅クリニック山王」を開業し、コロナ禍で「自宅療養」を強いられた患者たちに寄り添い続けた田代和馬院長の壮絶な体験に基づく真摯な語りを伝える記事。
 高齢でも基礎疾患を有していても「自宅待機・調整中・療養」という名で自宅に放置された、13万人という夥しい数の感染者の地獄のような体験と死。都では40%のコロナ病床が「対応できない」「人工呼吸器がない」などと感染者の入院を拒むなかで最前線の現場に立ち、死に行く人びとを支え続けたひたむきな訪問医療従事者の苦悩と悔恨そして提言。
「医療崩壊」「戦場に竹槍だけ」「まさに地獄絵図」「近代国家の敗北」という、このコロナ禍で医療の最先端に立ち続けた医師の非常に重い指摘を、この国の政権担当者や自治体の首長らはどれだけ噛み締めているのか。そのことの本質的な検証と総括なしに、亡くなった人々への慰謝も次の第6波への備えもそしてこの国の再生もありはしない。

《病床が逼迫(ひっぱく)した新型コロナの第5波では、ピーク時に自宅療養者が全国で13万人に上り、命を落とす人が相次いだ。自宅療養の現場で何が起きていたのか。新たな変異株の脅威が迫る中、第6波に向けて何を教訓とすべきか。東京都内で約210人の自宅療養者を診察した「ひなた在宅クリニック山王」の田代和馬院長に聞いた。
 ――コロナ患者はそもそも自宅で療養できるものなのでしょうか。
 「『自宅療養』への最初のイメージは、入院する必要のない人を自宅で治療すると、文字通りそういう意味だと思っていました。確かに患者全員の入院は、感染が爆発した状態では非現実的で、我々が家でできる治療をする必要が出てくるとは思っていました」
 「だけど、現実は違った。第5波では、本来入院すべき人の多くが入院できず、『医療崩壊』としか言いようのない状態に陥りました。自宅療養ではなくて、言ってしまえば自宅待機でしたし、待機できているのかもわからない。『自宅放置』されていたのが現実です。自分は絶対になりたくない、とさえ思わされました」
 ――8月にツイッターで「コロナ療養のリアルを伝えることが、陽性者数を抑制することにつながって欲しい」と発信しました。
 「手当ての優先順位をつけなければならないトリアージを迫られるという意味では、災害現場の救急医療と一緒でした。ですが、それは平和な日常の屋根の下で起きていたのです。実情を知ってもらわなければいけないと考えました。僕も現場を見ていなければ『ふーん』で終わったかもしれません」
しんどさで動けなくなった患者、入院を断られ続けて亡くなった糖尿病の患者……。田代さんは第5波をめぐる状況を「患者が自宅の中で医療から断絶させられた」「近代国家の敗北だ」と指摘します。今後の感染拡大に備え、「幽霊病床」の検証の必要性も強調しました。
 ――実際に見た現場は。
 「初診時に半数の107人が『中等症U』でした。呼吸不全があり、酸素投与が必要な患者です。患者の中には息が吸えず、顔色が真っ青になっていく人がいて、本当に死をリアルに感じ続けた期間でした。あまりにもしんどくて動けず、汚物を漏らして尊厳が完全に失われた環境に身を置かざるを得ない人もいました」
 「自宅療養は、軽症でリスクの少ない人が氷囊(ひょうのう)を載せて休んでいるというイメージです。呼吸が困難な中等症以上の人には、自宅療養との言葉は使うべきではない。重症化するタイミングが予見しにくく、治療は酸素とステロイドしかない。戦場に竹やりだけで挑むようなものです。入院できないのはある程度仕方ないと思う半面、十分な治療ができなかったことが一番の問題だと思います。コロナに感染した途端、医療体制から断絶されているという非常に逆説的なことが起こっていたのが、自宅療養の現場でした」ーーー






2021年12月14日
「日本が大好きです。偏向報道をするマスコミは嫌いです。国会中継を見てます」
「近財職員は杉尾秀哉や小西洋之が1時間吊るしあげた翌日に自殺」2020年10月25日Dappi https://twitter.com/dappi2019
・「Dappi」を名乗っていたアカウントはもう一つあり、2015年安保法案をめぐる審議が続く中で始まり野党の対応やメディアの報道を批判する内容が目立ったが、「ツイッターのルールに違反した」として19年6月に凍結。
・2019年6月にdappi2019として再開、フォロワーは約17万8千人。19年6月22日〜21年10月1日に5110件のツイートやリツイート。投稿数は1日平均6件。投稿は平日の日中に集中。
・立憲民主党の小西洋之、杉尾秀哉両参院議員はまずツイッター社を相手取り、投稿の際に使われたネット回線のプロバイダー(接続業者)を開示するよう求める仮処分を昨年12月に東京地裁に申し立て、今年1月に認める決定が出た。その後、3月にプロバイダーを相手取り、発信者情報の開示を求め提訴。
・東京地裁は9月、両議員側の主張を認め、プロバイダーに発信者の情報を開示するよう命じる判決を言い渡し、判決は確定。Dappiは10月1日以降投稿を停止。
・発信者は01年11月創設の東京・世田谷区の従業員15人のウェブコンサル会社で取引先は自民党や大手出版社。2007年以降に複数の自民党支部や自民党議員の政治団体から仕事を受注し、少なくとも88件計約2708万円の支払いを受けていた。大半がサーバー代やウェブサイト制作費などのIT関連の費用。
・両議員は今年10月5日、この投稿が名誉毀損に当たり「投稿はウェブコンサル会社の役員、従業員または同社から業務委託を受けた者であると推認される」として、回線契約者を相手取り計880万円の支払いを求める訴訟を起こした。
・その運営にかかわっていた企業の社長は自民党本部元宿事務総長の親戚で、利用する銀行が「りそな銀行衆議院支店」であると赤旗日曜版10月24日号。
「その社長とは会ったことがある。『元宿さんの親戚』と紹介され、本人もそう名乗り、名刺交換もした。自民党本部や都連を闊歩していた」自民党関係者
「野党攻撃のツイッター「Dappi」運営企業社長、自民党本部事務総長と親戚」
・週刊文春は11月28日号でこのDappiを運営するのが、ウェブコンサルタント会社『ワンズクエスト』であるとし、「ワンズクエストに、都連や小渕氏の団体から事業を受注した経緯や、自民党とDappi運用の関係などについて確認を求めると、以下のような回答があった。「国会議員が弊社を提訴したと聞きました。訴状を見ていないのでコメントのしようもなく、回答は差し控えさせていただきます」と報じている。
「小渕優子氏の資金管理団体も…自民党が「Dappi」運営会社に759万円支出していた」https://bunshun.jp/articles/-/49469
「「Twitterにおける「Dappi」なるアカウントについて、内閣情報調査室が有する一切の文書」の存否を明らかにしない理由 本件対象文書の存否を明らかにした場合、内閣の情報機関である内閣情報調査室の情報関心等が推察されることとなり、それによって、悪意を有する相手方が対抗・妨害措置を講じるなど、当室が行う業務の適正な遂行に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」2020年7月13日内閣官房内閣情報調査室「行政文書不開示決定通知書」
「【みんな大好き内調】Dappiについて存否応答拒否…そりゃそうか。」https://note.com/kaijiwada/n/n02ab85f4e900
「インターネットとコンサルティングの業者の代表取締役として昨年11月ごろに克行先生から依頼されて、パソコンデータを復元不可能な状態に消去しました。ーー克行先生にネガティブな書き込みがあれば、検索に表示しにくくする、逆にポジティブなことを表示しやすくして、イメージを良くする、そのような業務をしていました。ーー参院選では案里さんのイメージを向上させるようなウェブサイト、SNS、ネガティブ記事の対策を講じていました。克行先生から(参院選広島選挙区に立候補した)溝手(顕正)先生のイメージを悪くするよう言われ、溝手先生のネガティブな記事を投稿していました。架空の人物を名乗り、ブログを書き込み、溝手先生や県連が案里さんをいじめるようなことをしていると、克行先生に確認して記事を投稿しました。私の独断で投稿しているのではなく、具体的な内容は克行先生に指示されていました。ブログの内容も指示を受けました」2020年10月19日 公選法違反罪に問われた河井案里被告=参院広島=の第21回公判で検察側が読み上げたインターネット業者の供述調書 中国新聞「ネット業者供述調書<1>克行被告「流出したらまずいもの消したい」」
 2013年2月米国情報セキュリ ティー企業マンディアントは米政府機関や企業から設計図や製造工程、事業計画などの情報を盗み出しているハッカー攻撃 が、中国人民解放軍の秘密部隊「61398部隊」によるものであると報告した。翌2014年5月、米司法省は米国の原子 力・太陽光発電や金属分野の企業などにサイバー攻撃を行ない、企業秘密を盗んだとして、中国人民解放軍当局者5人を訴追 した。2014年マンディアントを買収した同じく米情報セキュリティー企業FireEyeの報告によると、「5人は、2 時間の昼休みをはさんで平日午前8時から午後6時まで、まるで公務員のように働いて」おり、また報告に添付された表のよ うに土曜、日曜には攻撃がほとんどないという。
https://www.cnn.co.jp/tech/35028448.html
https://www.icr.co.jp/.../global.../2014/Gpre2014052.html
 10月11日にこの問題を最も早く報 道したbuzzfeedの籏智 広太記者が分析したDappiの投稿も、最新600件の投稿の多くが「平日の朝9時ごろ〜午後9時ごろまでが中心で、土日の投稿は、ほぼない」とのこと。 午後5時ではなく9時まで伸びているのがいかにも日本的ではあるが。
「野党批判を繰り返すアカウント 「Dappi」の運営法人?自民党支部や国会議員が取引、政治資金収支報告書などで明らかに」
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/dappi-1
 我が国の国会は通常土日祝日を除 く日の日中の時間帯に開催される。「国会中継を見てます」というDappiは、日中の勤務時間帯に国会などを見てビ デオを前後の脈絡を無視して編集し、野党や個人に対する批判または誹謗のコメントをつけて投稿しているが、これは中 国人民解放軍の秘密部隊と同じく当該ウェブコンサル企業の正規の営業時間に行われたと捉えるのが妥当だろう。職員が 会社に隠れてまたは片手間で行ったものではあり得ない。
 この企業の社長と近縁で長く自民 党事務総長を務めた元宿仁(76)は2010年に一旦退職するが、2013年第二次安倍政権誕生と同時に事務総長に 復帰し、2019年参院選の河井夫妻による選挙買収事件に検察がその周辺を捜査し、1億5000万円の巨額の選挙資 金を自民党本部が案里陣営に投入したのは、安倍首相の指示を受けて元宿が動いた結果ではないかとリテラは報じてい る。
リテラ「Dappi運営会社と“安 倍の懐刀”自民党事務総長・元宿氏との関係! 社長は“自民党事務総長の親戚”を名乗り、元宿氏の親族の土地に家を」
 この2019年参院選河井夫妻の 選挙買収事件においても、克行被告の依頼によってウェブ関連企業経営者が犯罪の証拠となるパソコンデータの消去だけ ではなく、同じ自民党公認である「溝手(顕正)先生のイメージを悪くするよう言われ、溝手先生のネガティブな記事を 投稿していました。架空の人物を名乗り、ブログを書き込み、溝手先生や県連が案里さんをいじめるようなことをしてい ると、克行先生に確認して記事を投稿しました」と供述していることの意味は大変重い。
 12月9日Newsweek日本 版は昨年フェイスブックなどで「アメリカがWHOに圧力をかけている」「新型コロナの中国起源説をアメリカが無理に 定着させようとしている」と主張するスイス人生物学者ウィルソン・エドワーズを名乗るアカウントが、メタ社(旧フェ イスブック社)の調査で科学者でないばかりか、存在すらしない人物であった可能性が高いとして他の600件とともに 削除されたと報じている。
 メタ社はさらにこのアカウントと その投稿を拡散したフェイクアカウントが中国企業によって作成され、四川省成都市のIT企業と複数の中国インフラ企 業の海外拠点が関係し、このうち成都市の企業は同社のウェブサイトで中国公安当局のIT支援部隊を名乗っており、ま た投稿の拡散に関与した「本物のアカウント」のほとんどが、「4大陸にまたがる、中国国営インフラ企業の従業員た ち」であるとした。
 おまけに8月10日、北京のスイ ス大使館は@ウィルソン・エドワーズという名のスイス人は実在しないAこの名前で書かれた生物学の学術出版物も存在 しないBこのフェイスブックアカウントは数日前に作られたばかりで、「友達」は3人だけ、投稿はこの1件だけである とツイッターで声明を発表したとスイス公共放送協会国際部は報じている。
「存在しないスイス人科学者、中国 がねつ造か 偽アカウント600件...武漢説めぐり」
「「ウィルソン・エドワーズを探し ています」 偽スイス人学者に大使館が反撃」
 あちらでは中国共産党とその公務 員、国有企業従業員らが架空アカウントでフェイクニュースやハッキングに携わり、この国では自民党政権と元首相側近 や事務総長らが、ゆかりのウェブ関連企業を介在させてフェイクニュース拡散に携わるという疑惑。
 米国も、アメリカ国家安全保障局 (NSA) 職員でNSAの仕事を請け負うコンピュータ会社デルの社員として2009年に来日し2年間米空軍横田基地内にある日本のNSA本部で勤務していたエドワー ド・スノーデンが、2013年6月米国ブッシュ・オバマ政権による全米国市民と各国駐米大使館や各国首脳への盗聴や 監視そしてインターネット・電話回線の傍受を暴露したが、米国は内部通報者としてあつかうことなく犯罪者としていま も指名手配している。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49507?page=2
 政権を担うものたちの政治・ 広報活動は、国民そして世界に対して何より公正・透明なものでなければ、世界は再び憎悪と分断による混乱と破局 に向かうことになる。Dappiに関して、内閣情報調査室の調査、関与の有無を含め政権と与党による関係を明ら かにすることは、この国の民主主義に不可欠。
《匿名のツイッターアカウント「Dappi」による、野党幹部らについて誤った印象を与える投稿が問題となった。Dappiとは何者なのか。投稿に使ったネット回線は東京都内のウェブコンサルティング会社が契約していたとされ、政治資金収支報告書を調べると、この会社は自民党の地方組織と10年以上にわたる取引関係があることが分かった。ただ、取材を続けても投稿者が誰なのかはなお判然としない。
 都心に近い駅から徒歩5分ほどの4階建ての雑居ビル。入り口のフロア案内板によると、この2階がウェブコンサル会社の事務所のようだ。
 記者はDappiとのつながりについて聞こうと、10月以降に何度か訪れたが、インターホンを押しても反応はなかった。社長や取締役らにも接触を試みたが、一度も会えていない。
 アカウント(@dappi2019)は2019年6月に開設され、フォロワーは約17万8千人(12月3日現在)。朝日新聞がSNS分析ツール「ブランドウォッチ」を使って調べたところ、19年6月22日〜21年10月1日、5110件のツイートやリツイートをしていた。投稿数は1日平均6件。投稿は平日の日中に集中していた。10月1日を最後に新たな投稿はない。
 投稿内容を、言葉の出現頻度などを調べることができるテキスト分析ソフトを使って分析したところ、名詞で最も多く使われていたのが「野党」で1151回。「立憲」(1082回)、「民主党」(710回)、「共産党」(381回)といった言葉も多かった。野党の党名が出てくる投稿では、野党幹部の名前をあげ、「屑(くず)の中の屑」といった形でたびたびつぶやいていた。
 安倍晋三元首相の「安倍」も多く登場。「安倍」を含む706件のツイートで最もよく使われたフレーズが「野党『ギャーギャー』」だった。「マスコミ」(433回)という言葉も頻繁に登場していた。
 国会での質疑については、資料や動画とともに即座にコメントする「速報性」があり、一部を削除するなどした上で誤った情報を流すこともあった。
 昨年10月25日には、立憲民主党の小西洋之、杉尾秀哉両参院議員の名前を挙げ、公文書改ざんを強いられ自殺した財務省近畿財務局の職員について「近財職員は杉尾秀哉や小西洋之が1時間吊(つ)るしあげた翌日に自殺」などと投稿。両議員は今年10月、この投稿が名誉毀損(きそん)に当たるとして、回線契約者を相手取り計880万円の支払いを求める訴訟を起こした。(牛尾梓、篠健一郎)
 ■自民側、回線契約会社に支出 「投稿依頼してない」
 ウェブコンサル会社の事業内容を調べると、自民党の地方組織などと長年にわたって取引があることがわかった。
 政治資金収支報告書によると、ウェブコンサル会社は2007年以降に複数の自民党支部や自民党議員の政治団体から仕事を受注し、少なくとも88件計約2708万円の支払いを受けていた。大半がサーバー代やウェブサイト制作費などのIT関連の費用だった。
 最も多かったのは、自民党東京都支部連合会(都連)で約1805万円。07年以降はほぼ毎年支払いがあった。11月17日に東京都選挙管理委員会が公表した20年分では、サーバー代やテープ起こし代として約78万円が支払われていた。都連広報担当の川松真一朗都議は取材に「事務局職員だけでは手が回らないので、大臣の講演会のテープ起こしなどを(同社に)お願いしていた。投稿を依頼したことはないし、依頼と受け止められるようなこともない」と話す。
 都連で同社との契約を担当する職員は「05年の郵政解散の際に都連のウェブサイトを改修することになり、そのころからの付き合いだと記憶している」と説明。「価格が良心的で、土日も関係なく対応してくれるなど融通も利いた」という。Dappiについて職員は「アカウント自体知らなかった」と話した。
 自民党本部にウェブコンサル会社との関係を尋ねたところ、「取引はない」と文書で回答。Dappiについては「まったく存じ上げません」と記した。ウェブコンサル会社にも、Dappiとの関係や自民党関連の仕事を請け負った経緯を文書で質問したが、回答はなかった。(保坂知晃、貞国聖子)
 ■ミスリード散見、事実と推測見極めて
 ファクトチェックの研究をしている早稲田大政治経済学術院の瀬川至朗教授(ジャーナリズム論)は、Dappiの投稿について、「事実と異なる情報発信や一部の情報を切り取ったミスリーディングな内容が散見される」と指摘する。著名人の発言や動画内のやり取りを引用した体裁で投稿する手法が特徴的で、「著名人の主張のように見せつつ、文意を変えている点は巧妙」と言う。
 一方、投稿に使われたネット回線の契約者が自民党東京都連から仕事を受注するウェブコンサル会社だと明らかになったことで「『自民党が組織的に投稿をさせていたのではないか』という仮説があたかも事実かのように広がっているのも問題だ」と指摘する。
 回線契約者がウェブコンサル会社だとしても、投稿 者が誰かはわかっていない。「投稿の根拠や発信源をたどり、何が事実で、何が推測なのかを分けて考えることが重要 だ」と話す。》




2021年12月12日
日記がわりに。
やや暖かい9日久しぶりに岡本に出る。春先に火事があったお寺は改築のためか平地に。日差しのもと庭のあるカフェでグラタンをいただき、今年最後か住吉うはらの湯に浸かり御影で食材買って帰宅。
9日夜のコズミックフロントは地球温暖化がテーマだったが、宇宙船の映像で地中海上サルデーニャ、コルシカ、シチリアとマヨルカなどが映し出されていた。20年ほど前にうろついていたところ。煌々とした陸地の灯も温暖化も人類の所産だが、生身の人間はなんともちっぽけな存在だ。
昨日も晴れで暖かく、これも今年最後かハーバーランドで赤煉 瓦を抜けて散策。昼はこれも久しぶりにumieのフードコートでイタリアンをと訪ねるが、カレー店に代わっていた。 mozaikの店のテラスでマルゲリータを食べアンパンマン館前の席でコーヒー。コロナが落ち着いて子供も大人も皆さんゆっ たりしている。改修中のポートタワーを経てメリケンパークから途中食材とちいさな鏡餅買って三宮に戻り帰宅。紫陽花の葉も落 ちる寸前か色づいている。



2021年12月 9日
・勤務先の校長から「今後、国歌の起立斉唱の職務規律に従うか」と意向を確認され、「答えられない」と回答。府教委は「職務命令や規範に従う意識が希薄」として再任用を認めず、男性は同年3月末で退職。
・控訴審判決で、大阪高裁は9日、男性の請求を退けた1審・大阪地裁判決を変更し、府に315万円の賠償を命じた。
当然の判決。
国旗・国歌に愛着を持つか持たないか、その掲揚や斉唱にどう対応するかは、ひとりひとりの国民が本質的に持つ自由に委ねられる。これが「民主主義」の基幹の意義。かつての皇国史観、天皇主権の残滓を残す歌なら尚更だ。
《卒業式の国歌斉唱時に起立しなかったことを理由に、定年後の再任用を認められなかった大阪府立高校の元教諭の男性が、府に約550万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は9日、男性の請求を退けた1審・大阪地裁判決を変更し、府に315万円の賠償を命じた。
大阪高裁
 判決によると、男性は2012、14年にそれぞれ勤務先の学校の卒業式で、国歌斉唱時に起立せず、府教委から戒告処分を受けた。
 定年退職前の17年1月、勤務先の校長から「今後、国歌の起立斉唱の職務規律に従うか」と意向を確認され、「答えられない」と回答。府教委は「職務命令や規範に従う意識が希薄」として再任用を認めず、男性は同年3月末で退職した。》



2021年12月 7日
「テレビや新聞は真珠湾攻撃から始まった、と報道してきました。今夏にあった共同通信社と加盟社で構成する日本世論調査会の世論調査では『1941年12月に日本が米ハワイの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まったことを、あなたは知っていますか』という設問がありました。質問の前提の事実が異なります」
「マレー半島への上陸は、アジア太平洋戦争が日本が東南アジアに侵略する戦争だったということにつながるため、関心を向けたくないという心理も社会に働いたと見ています」
「帝国主義国同士の戦いで、どっちもどっちだった、という話に収めておきたいということです。列強同士の植民地争奪戦ということなら、不都合はありません。ですが、日本軍はそのためにアジアの人々が生活する地域に攻め込み、危害を加えました。住民の虐殺、食料の強奪など中国大陸と同じことを東南アジアでもやっています。実情は今も変わらないアジア蔑視が根底の侵略行為だったのです」
「シンガポールでは、日本軍は華僑を『日本軍の敵対者』とみなして、多くの住民を虐殺しました。旧陸軍憲兵隊のOBで作る憲友会の全国組織が刊行した『日本憲兵正史』には当時の軍作戦主任参謀の辻政信中佐が「シンガポールの抗日勢力を一掃するのだ」「シンガポールの人口を半分にするのだ」などと激励して歩いていたことなどが記されています。この華僑の粛清事件は戦後の戦犯裁判でも裁かれていますが、『正史』でも『この事件は大東亜戦争史上一大汚点となった』と書かれています」
「マレー半島に上陸した広島の第5師団歩兵第11連隊第7中隊の陣中日誌には、シンガポール攻略後の42年3月2日に第1大隊命令として『鉄道線路と道路の両側500メートル以外の中国人と英国人は老若男女を問わず徹底的に掃蕩(そうとう)する』などと記された命令書も保存されています。命令書に従って日本軍はマレー半島各地で組織的に、敵性華僑狩りを行いました。全体の犠牲者数ははっきりしませんが、マレーシアには70を超える追悼碑があり、それぞれの地で1500人とか数百人、数十人の単位で犠牲者数が伝えられています」
「研究を待っていたら、戦争を知る人たちがいなくなってしまうと考え、ならば自分たちでと、83年から戦争の傷痕に学ぶスタディーツアーを始め、証言を集め、記録していった。毎年、タイやマレーシアを訪ね、新型コロナの感染拡大前の一昨年までに45回を数えています。86年からは8月15日に日本で行われる全国戦没者追悼式の時間に合わせて、現地で毎年『アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ(は)、心に刻む集会』を開き、現地の方々と共に黙禱(もくとう)を捧げてきました」
「広島で被爆し左足を失った沼田鈴子さん(故人)が89年に参加したツアーでは、1500人が抹殺されたという村で交流集会を開きました。沼田さんが『私の住む広島にいた若者がみなさんの家族や親族を殺した。申し訳ない』と謝罪の言葉を口にすると、会場にいた若者が彼女の周りに殺到しました。抗議ではなく、彼女の言葉に感動して集まってきたのです。現地の人の願いは、歴史を忘れないでほしい、ただ謝罪がほしいということなのだ、と長年の活動を通して感じます」
「12月8日は、日本が東南アジアに侵攻する起点の日です。アジア太平洋戦争というと、米国と戦ったという点が繰り返し教えられ、報じられてきました。しかし、そこには、あの戦争はなんだったのかという問いかけがありません。アジアの人々にどれほどの被害を与えたのか、アジアの犠牲者に思いを馳せながら、日本の戦争を見つめるきっかけにしてほしいと思います」
 明日12月8日はアジア太平洋戦争開戦から80年。
 東京教育大(現筑波大)付属高校の社会科教員として「マレー半島戦争追体験の旅」などを通して旧日本軍によるマレーシア、シンガポールなどアジアにおける侵略と住民殺害を調査・研究した高嶋伸欣琉球大名誉教授のインタビュー記事。
 日本軍は日中戦争中40年頃から中国で八路軍の抗日根拠地を村ぐるみ殲滅する掃討作戦「三光政策(焼光=焼きつくす・殺光=殺しつくす・搶光=うばいつくす)」を遂行、12月のアジア太平洋戦争開戦後は日本軍によってシンガポールでは数万人の華僑が抗日分子とみなされて膚殺され,フィリピンでも対日非協カを埋由に多くの人々が42年1月の日本軍マニラ占領直後に殺され、それは44年10月からの米軍再侵攻によるレイテ、マニラの戦い(45年2~3月の「マニラ大虐殺=死者10万人」)まで続いている。
 フィリピン戦での旧日本軍人と民間人の死者は51万8000人、大戦での戦没者310万人の6分の1、軍人では4分の1に達するが、フィリピン人の死者も110万人に及ぶ。私の母方の唯一の兄であった叔父はレイテ島で戦死したとされるが、遺骨も帰っていない。
 さきの平成天皇・皇后は終戦70年の翌2016年1月、皇太子時代に続くフィリピン親善訪問にあたり「フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたいと思っています」と述べた。
 これはマレーシア、シンガポールそして中国などでも同じ。原爆による被害を受けながらも自らの加害者性と向き合う、記事の沼田鈴子さんと彼女を囲んだマレーシアの若者たちの姿こそ希望の証。開戦から80年、戦争における加害責任と向き合うことを忘れるとき、この国はふたたび「敵基地攻撃力」などという無謀な戦争のための準備を始めるのではないか。
《1941年12月8日は、日本では、真珠湾攻撃により太平 洋戦争が始まった日として知られています。その1時間前にマレー半島に上陸していたことを思いおこす人はさほど多くはないで しょう。そこにこそ日本が80年間、直視しようとしない歴史がある、と琉球大名誉教授の高嶋伸欣さんは言います。話を聞きま した。ーーー



2021年12月 5日
日記がわりに。
12月最初の週末(と言ってもこちら毎日週末なのだが)ひだまりはまだ温かいなか神大を通りil ventoでマリナーラ。三宮に出て大丸地下でカワハギ見つけ、紅茶とコーヒー豆(いつもの六甲道駅近の店は値上がりだがこちらは比べると安い)、久しぶりにロフトにも寄って来年の手帳、六甲駅前の100均で来年のカレンダー買って帰宅。
今日は阪急で西宮北口に行き、津門川沿いのSIOSAIで前菜とパスタ。阪急今津線を越えて家並みは震災で全焼し建て替えられたが道のりは残る高木町を歩き、56年前に卒業した高木小横の公園で一休み。学校は建て替えられた体育館と給食調理棟以外は門の位置も校舎の佇まいも昔と変わっていない。
これも以前と同じ地下道を通り、かつての阪急球場跡の阪急 ガーデンズに寄り、子供たちで賑わう屋上でコーヒー。食材買い4時前には帰宅。明日から天気は下り坂。



2021年12月 5日
・竹内善彦さん(当時43)ーー大阪に住む姉の高田かおりさんに電話がかかってきたのは、8月10日のことだった。沖縄県警からだった。弟の遺体が、沖縄の自宅から見つかった。そう言われた。
 弟の遺体を確認した保健所職員は、弟と「一度もお話しできなかった」と苦しそうに話した。「この人も精いっぱいやったんやろうな」。責める相手は、現場の人じゃない。そう感じた。4人家族で両親は他界し、弟も亡くなった。毎日、声をあげて泣いた。
・西里昌徳さん(当時73)ーー高血圧の持病があり、過去に大病もした父は急変を恐れ、入院したがった。「保健所に何度電話してもつながらない」と西里優子さんに訴えた。陽性判明から5日が経った8月13日夕。父に電話をすると「保健所につながったけれど、入院できないと言われた」と言った。
 同日午後7時半ごろ。父の様子がおかしい、と母から電話があった。電話越しに「うー」「うー」と、父のうめき声が聞こえた。実家に着くと、担架に横たわった父が救急車に乗せられるところだった。同日夜。搬送された病院で、死亡が確認された。
「流行当初から弟が亡くなる『第5波』まで相当の時間があったが、行政は患者を守る態勢・制度を作れなかった。このままでは『第6波』でまた犠牲者が出る。コロナ禍で大変な中でも、見過ごして仕方ない命なんてない。弟の人生は、何のための43年やったの。絶対に繰り返さず、弟の死を無駄にしないで欲しい」姉の高田かおりさん
 新型コロナウイルス感染第五波で今年8月、陽性が判明しても自宅に放置されたまま亡くなった人たちとその遺族の言葉を伝える記事。
 自公の菅政権がオリンピック開催に固執したこの8月中、自宅などにいた人が亡くなって警察が事件性の有無の確認などをしたうち新型コロナウイルスへの感染が確認された死者は全国で計250人、7月の31人の8倍に達していた。
「自宅死」は昨年12月に56人に急増し第3波の今年1月は132人、第4波の4、5月は180人を超えている。昨年3月から今年9月まで警察が取り扱った事案のうち、コロナ感染が確認された死者は計817人。
 この記事の高田さんたち適切な医療や健康観察を受けられないまま自宅で亡くなった人の遺族は「失った命は戻らない。せめて同じ悲劇を繰り返さない社会に向かうきっかけにしたい」「医療が逼迫(ひっぱく)していたとはいえ、自然災害とは違う。避けられない死ではなかったのではないか」と9月「自宅放置死遺族会」を発足させた。
 遺族が語るように、政権と自治体による感染症対策のどこに重大な欠陥がありこのような「自宅放置」による死者を出し続けたのか、厳正な検証と再発防止の備えがオミクロン型そして今後の新たな感染症パンデミックのためにもいま必要だ。
《沖縄が好きで大阪から移り住み、那覇市で居酒屋を営んで9年。竹内善彦さん(当時43)は、人と争うのが嫌いなのんびりした性格で、どこにいても周囲に愛された。
 野球少年で、料理は大学を出てから学んだ。居酒屋でチャンプルーや新鮮な刺し身を出し、客から「安くてうまい」と喜ばれた。
 今年4月からは新型コロナウイルスの感染拡大で休業したが、「コロナには負けない」とメニュー表を作り直し、営業再開を待ち望んでいた。
 大阪に住む姉の高田かおりさん(47)に電話がかかってきたのは、8月10日のことだった。ーーー


2021年12月 3日
・終身雇用・年功序列型賃金を前提とした日本型雇用システムが収縮して、非正規雇用が増加し、雇用が不安定化ーー貯蓄ゼロ世帯(2人以上世帯)は1987年に3.3%だったのが、2017年には31.2%にまで増え、ここ30年間の上昇傾向は明らかです。とりわけ深刻なのが20代、30代の単身世帯で、貯蓄ゼロ世帯が激増し、多くの人が、基本的な生活を維持していくことすら困難な状況に陥っています。
・富裕層を見れば、アベノミクス下での日本では年間所得が1億円以上の世帯が1万以上増えました。世界的にも(アマゾン創業者の)ジェフ・ベソスや(テスラCEOの)イーロン・マスクら大富豪トップ8人は、この5年間でそれぞれ資産を2倍以上に増やしています。株価も日米ともにコロナ禍でGDPが大幅に下がったにもかかわらず、歴史的な高値を記録しました。富める者たちは安全なテレワークで働きながら、株高を利用して資産を運用し、さらに富を増やしているわけです。
・一方、経済が落ち込み、非正規雇用を中心に多くの人が失業しました。仕事があったとしても、テレワークができない介護・保育・医療などに従事するエッセンシャルワーカーたちは健康を危険にさらしながら、低賃金、過重労働を強いられています。困っている側がますます困窮する一方、持てる側はさらに富を増やしていく。その格差拡大の構図がはっきりしたのがこのコロナ禍だと思います。
・先進国全般で労働者の賃金が下がり、競争が激化し、雇用も不安定化している。ギグエコノミーのような、アプリ一つで注文が来たときだけ「働き」が成立する、超不安定雇用まで蔓延しています。資本主義の発展とともに労働者がどんどん貧しく苦しくなるという、かつてマルクスが唱えた窮乏化法則が、現在の状況に当てはまっている。しかも、資本主義によって人間性が破壊されるだけでなく、地球環境問題も修復不可能な状態になりつつある。
・人類の経済活動の痕跡が地層に残る時代という意味をもつ「人新世」という地質学の用語があり、国連なども使用するようになっていますが、そこに含意されているのは資本主義が引き起こした深刻な環境危機です。
・気候変動をはじめとする環境危機をとりわけ加速させたのが、冷戦終結後のグローバル化です。この30年間で資本主義が世界中を覆い、ファストファッションで安い洋服が買え、ファストフードでは300円でご飯が食べられるようになった。けれども、その安い農産物・畜産品を生産するために、手つかずだった自然、とくに中南米、東南アジアの熱帯雨林まで乱開発をし、人々の生活も自然環境も破壊していった。
・こうした過程で、未知のウイルスを持った動物が森から追い出されて人間の生活圏に入ってくる。さらに複雑な生態系を壊してブタだけを育てるようなモノカルチャーは、ウイルスが変異しやすい環境を作り出す。このようなことを続けていれば、未知のウイルスがグローバルなパンデミックを起こすはずだと以前から警告されていました。
・もちろんコロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります。すでにアフリカの人たちは飢饉に苦しんでいます。格差があると危機に対応できないということが一つの認識になりつつあるわけですが、それはどこか遠い国の出来事ではなく、日本の経済的弱者や中間層も遅かれ早かれ、同様に苦しむようになるでしょう。
・無限の利潤獲得を目的とする資本主義のために働くのではなく、自然環境も人間の身体も有限であることを前提に、持続可能なペースで幸福を追求する。労働者も環境も食いつぶすような経済システムとは手を切り、経済自体をスケールダウン、スローダウンさせていく。それが脱成長です。そこに向かう過程として、人間誰もが必要とするもの、たとえば水道、電力、住宅や医療・教育などを共有財産にして、人々の手で管理し、無償もしくは、安価に提供する「コモン」化が必要だと考えています。
・資本主義は技術を発展させて生産効率を上げ、さらに大量に作ろうというモデルです。ですが、高めた生産力については違う使い方をして、今までと同じ量を作り、その分労働時間を減らす。そうすれば過剰な生産が減り、環境にも優しい。
・かつての社会は、女性に家事や子育てを押し付け、パートとして差別的な雇用を採用してきました。労働時間の短縮は、家事や子育てなどもより平等に行う社会の条件です。そうした共通経験が、環境に優しいエッセンシャルワークやケアを重視する社会の価値観を生み出していくのではないでしょうか。
・これまで経済の成長だけを考えていたところに、環境とか、「コモン」を拡大して不平等を解消する視点を取り入れることで、私たちの考え方自体が大きく変わる。我慢と捉えられがちだった環境対策のイメージがむしろ生活の豊かさに結びついていく。そんな発想の転換もできるんじゃないかと考えています。
・経済格差の是正を同時に進めるためにも、大企業や富裕層への課税を強化すべきです。金融資産課税でもいいし、不動産などの資産に直接、富裕税として課税をしてもいい。ここまで下げられてきた法人税や所得税ももっと上げていけばいい。とにかく、大胆に格差を是正し、社会を平等にしていく必要がある。先進国の貧困問題は、富が偏りすぎているせいで、サービスや必需品にアクセスできない人が多いだけなので、格差是正が実現すれば、今ある貧困問題はかなりの部分が解決すると考えています。
・今、世界中で若者たちが怒っています。1990年代にはすでに、気候危機は確実に起こると言われていた。にもかかわらず、この30年間資本主義は世界中をマーケットにして富むものを富ませる一方で、地球環境をもはや待ったなしにまでさせてしまった。そのツケを払わされる10代、20代の世界中の若者たちが今、絶望と同時に怒りをもって、新自由主義、さらに資本主義自体に異議申し立てをしています。現在の社会システムを抜本的に変えなければ、見捨てられるのは自分たちだと。
・日本では岸田さんが総裁就任前に新自由主義批判、金融資産課税などを持ち出していましたが、結局腰砕けに終わった。政治も経済も、全体の状況を大きく動かしていくためには、やはり若者をはじめとしたさまざまな人たちが声を上げて、変化を求める運動が不可欠です。「今の社会はおかしい。変えていくべきだ」と、声を上げてほしいと思います。
 若く気鋭の研究者による、現代世界におけるそれぞれ関連している格差拡大と大量生産・大量消費そして環境破壊についての的確な分析と提言。
 いわゆる「先進国」のなかで唯一日本はこの20年間で実質賃金が89.7%にまで低下(OECD調査)。とりわけこの10数年自公政権が進めてきた派遣労働制など非正規労働の拡大と不安定化が正規雇用の賃金も下げ、物価上昇もないまま実質賃金の低迷が続いている。このコロナ禍で多くの不安定雇用者とエッセンシャルワーカーが失業と収入源そして生命に関わる困難な状況に晒されながら、政権と深くつながる派遣業パソナは2021年5月期の連結純利益が前期比10倍。
 世界の一部地域の「飽食」のため、「牛肉1kgの生産に必要な穀物の量はとうもろこし換算で11kg、同じく豚肉では6kg、鶏肉では4kg」(農水省)と大量の穀物が必要とする人々に届かず「先進国」を中心とした肉の消費に回される。WFPは昨2020年世界人口の10人に1人にあたる最大8億1100万人がアジア、アフリカ、ラテンアメリカとカリブ海で飢餓に苦しんでいたと推定し、その要因は紛争、異常気象、その他の経済的不振、大きな格差、コロナパンデミックそして世界の食糧システムと指摘する。「食料安全保障を達成し、栄養状態を改善し、すべての人が健康的な食生活を手に入れられるようにするためには、食料システムの変革が不可欠」と訴える。
「国連報告書: パンデミックの年に世界の飢餓が急増」 https://ja.wfp.org/.../un-report-pandemic-year-marked...
 このまま一部の国がその社会内部に格差拡大を温存しながら「成長」と「飽食」を続けるのでは、2030年気候変動対応も飢餓ゼロも達成はできない。
 ここで齋藤氏が提唱する「コモン」(公共)とは、歴史的にはラテン語に由来し中世自由都市を呼ぶフランス語「コミューヌ」(共同体・基礎自治体)に通じ、フランス革命時1792年そして1871年の「パリ・コミューヌ」に触発されてマルクスが共産主義=「コミュニズム」の言葉として用いたものだが、暴力革命や一党独裁という概念とは切り離して21世紀の人類が直面する課題の解決に大きな意義を有する理念だろう。食糧生産と分配のシステムの変革、化石燃料やプラスチックゴミを含めて経済のスリム化、雇用の安定と労働時間の短縮、教育・医療・福祉など公共財の公平・公正な配分を目指す以外、この国と世界の未来はない。
《「格差社会や気候変動の根本原因は資本主義にある」と指摘し、晩年マルクスの思想を援用し「脱資本主義」「脱成長」を説く斎藤幸平氏(34)。マルクス研究における最高峰の賞「ドイッチャー記念賞」を日本人初、史上最年少で受賞した気鋭の経済思想家は、同世代や近い世代の若者の貧困をどう見ているのか。
貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」4日目の第2回は、その解決策を斎藤氏に聞いたーーー










                                                                                                                                                                 
  
     





























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