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2022年 5月30日
ーロシアの中の抗議、沈黙の意味を翻訳する 歴史が示す「今の危険度」ー
「ロシアの友人たちの顔が思い浮かびました。ウクライナに何のつながりもない人はまれで、両方に出自を持つ友人も、ウクライナに家族がいる友人もいます。私も身を引き裂かれる思いでした。友人や作品を翻訳してきた作家に連絡を取ると、侵攻に賛成している人は誰一人いませんでした。『これまで何をしても政府を止められなかったんだから、今さら止められないのはわかってる。でもだからといって“自分がやったんじゃない”なんて言えない。僕たちがやったんだ』といった友人たちの無念の言葉、『長い時間をかけて真綿で首を絞めるように言論の自由が弾圧され、人権が無視され(中略)その果ての戦争なのだ』(父がロシア人・母がウクライナ人である作家のミハイル・シーシキン)といった知識人たちの言葉を、緊急に翻訳しました」
「日本の報道からは、抗議している人の姿が見えないと感じたからです。ロシア=悪と、国という属性で中にいる人のことを決めつけるようになると怖い。一番問題なのは、意図せず、日本人の抱くロシア像がロシア政府の望む『私たちは国民に支持されている』という姿に近づいてしまっていることです。無理解な状態に暴力性や攻撃性が加わると、ロシア語やロシア文化など『ロシア』的なものをひとくくりにした上での攻撃が生まれてしまうのも危険です。世界にそうした状況があると、国外に逃げてそこで仕事を得て生活することはできない、というロシアの一般国民の絶望につながります」
「シュリマンは出国直後に『外国エージェント』に認定されました。外国エージェント制度は12年にできたもので、表向きは『外国からの資金援助を受けている団体』を認定する制度ですが、もはや政府の独断によるレッテルです。判断の根拠も定かではありません。報道機関や市民団体などの団体だけでなく、学者や作家やユーチューバーなど目立つ発信をしている個人も認定されるようになりました。ーー即座に逮捕されるわけではないですが、これまでも反体制派ジャーナリストが殺害される事件などがあったので、かなり具体性を帯びた恐怖があります。認定は政府が『裏切り者』とみなしたことを意味するので、世論はあおられて、認定された人の家の玄関に豚の首が置かれるなど、身の危険を感じるようなことが起きています」
「政府が『戦争』という言葉や批判を禁止すると、歴史を語る人が急増しました。現在と共通点のある出来事を語ることで意思疎通しようとする行為です。しかし状況がさらに悪化した今は、歴史を知っているからこそ今がいかに危険かを感じ取れてしまい、侵攻に反対する人の多くが沈黙か出国かの二択を迫られています。アメリカに滞在している作家のドミトリー・ブィコフは、スターリンの時代ですら『戦争』という言葉そのものが禁じられることはなかった、と言っています。それもそのはずで、ロシアの歴史上、今ほど馬鹿げたことはやっていないわけです。たとえば第2次世界大戦は、攻められたから守るという一応の大義名分がありました。今政府は人々を説得できる理由を何も持たないので、暴力的に黙らせる以外にない。やっていることの悪さに比例して国内の弾圧がひどくなっています」
「街で白い紙を掲げたり、トルストイの『戦争と平和』を持って立ったりしただけで拘束された人たちがいました。彼らはそんなことで侵攻が止まると思っているわけではない。身を危険にさらしてまで訴えているのは、社会の異常さと恐ろしさです。私たちは、『そういう社会にしてはいけない』という彼らの訴えを受け取らなくてはいけません」
「日本では、『戦争反対を訴えるのは簡単だけれどそれだけでは何も変えられない』と言われますが、本当は『訴えるのは簡単』ではありません。現に『反対』と言っただけで大変なことになる場所がある。プーチンが大統領になった2000年代以降のロシアの動きは、戦争をしようとする国家が戦争の前に何をするのかのお手本の山です。権力者の親しみやすさのアピール、我が国は侵略戦争をしたことがないという歴史観の教育、軍隊の賛美……。その一つが平和・人権運動に対する冷笑的な世論作りであったことから学んだ方がいい。日本は、戦争に反対することへの冷笑や批判が危険なレベルに高まっていると思います。笑っている人は、政府が強権国家を作るのに非常に都合がよい状態を生みだし、笑っている自分自身の首を絞めていることに気づいていません」
「留学で初めてロシアを訪れた02年ごろは、ソ連崩壊の混乱の雰囲気がまだ少し残っていました。その分自由で、教育や民主主義についてたくさん議論しました。ところがチェチェン紛争に関わるテロの頻発、警察組織の強化や中央集権化によりどんどん息苦しくなりました。報道機関や文化施設の上層部は政府に都合のいい人材に入れ替えられました。文芸誌の編集部もモスクワ中心部から移転させられました」
「ロシア正教会と政府の距離が近くなると、『宗教心の侮辱の禁止』をはじめ言論弾圧にまつわる奇怪な法律が次々とできていきました。通っていた国立ゴーリキー文学大学は四六時中思想や信仰の話をしている所なので、仲のいい友達とは、また変な法律ができたね、どうしたらいいんだ、という話はよくしていました。ただそういう大学でさえ、授業で先生が、詩の中の聖職者の描写を当時の社会の退廃と結びつけただけで、それを『宗教心の侮辱』と受け止めて教室を出て行く学生がいました。国定教科書の検閲が厳しくなり、国の利益や軍の賛美という視点が重視されるようになりました。文学史の教授が『ロシア語の方がウクライナ語より優れている』と話すこともありました。規制が生活のさまざまな面に及び、身動きが取れなくなっていきました」
「言葉を文脈からはぎ取る暴力的な行為は、戦争という壮大な欺瞞(ぎまん)の前後にはとりわけ多いものです。プーチンは愛読書の一つとして詩人のセルゲイ・エセーニンを挙げています。エセーニンが『ルーシ』(現在のロシアやウクライナなどにまたがる地域)を賛美したのを、両国は一体だという都合のいい記号として解釈しているのではないでしょうか。エセーニンが、非戦の姿勢や脱走兵を賛美したことには触れられません。現代のロシアの国定教科書では、このように詩人を文脈からはぎ取り、すべての詩人が愛国者であったかのような記述がなされています。文学を読むことで、言葉の文脈を無視する行為に対して非常に敏感になれます。権力者やメディアが言葉を文脈から剝奪(はくだつ)して用いているとき、文脈を読むことに慣れていれば、その不自然さに気づくことができるようになります」
「言葉によってしか超えられないものはたくさんあります。たとえば第2次大戦後何年も経ってから、ドイツ政府が謝罪の言葉を発したことには大きな意味がありました。政治レベルで、加害側の政府が謝罪の言葉を発するのが重要なのは当然です。しかしもっと重要なのは、一般の市民レベルの関係も、言葉を交わすことからしか始まらないということです」
「(互いの言語に対してさえ、憎しみが生まれているのでは)ーーそうだとしてもロシア語話者全員が悪いということはないわけです。どんな言葉が武力と対立につながり、どんな言葉が平和と和解につながるのかを、片時も忘れずに考え続けることが必要だと思います。人を『分類する』ことには暴力性が伴うことを、『何々人は本質的にこうである』といった言葉は、その内容がたとえ肯定的なものであったとしても、人を国籍や人種によってひとまとめにしてしまう言葉であることを、忘れないことです」
「今年も例年と同じく、バレエや音楽が好きという理由でロシア語を選択している学生がいます。その気持ちを大切にして欲しいと話しています。そうした文化はこの先、人々が和解するためにとても重要なものです。私も、侵攻があっても、自分が好きだった文学や人からは、何も裏切られていないと感じています。『ロシアと聞いて爆弾しか思い浮かばなくなりそうだから学びたい』という学生がいて頼もしく思いました。国家同士が友好関係にない時、とりわけ言語は重要です。無理解はさらなる憎悪と暴力につながるからです。他言語を学びその言語を使って生きる人々を深く知っていくことは、それぞれが無理解と憎悪を絶つ術を学ぶことにつながります」
 ロシア軍による理不尽なウクライナ侵攻でウクライナの町や村が破壊され、なんの罪もない幼児や子ども、女性、高齢者が殺傷されて双方の兵士にも甚大な被害が生まれ、ロシア国内でも厳しい言論統制と社会の監獄化が進行しているいま、ロシア文学研究・翻訳者が語る大変大事な言葉の数々。
 プーチンとその取り巻きは文脈を無視して都合よく言葉を乱用し、メディアと宗教そして教育を利用して国民に国や軍を賛美させ、歴史を改竄し愛国者と外国の代理人=裏切り者を分類して国内を「浄化」しながら隣国への残忍な侵略を行いそれを正当化する。
 プーチンと「同じ夢を見ている」この国の元首相らは、靖国参拝で「英霊」を利用しかつての侵略戦争を否定して歴史を改竄、メディアと教育への統制を強め、隣国の脅威を喧伝しながら反対するものを「反日」「売国者」とし、平和憲法を「お花畑」と笑いながら踏み躙って憲法改悪と軍備拡張に勤しむ。沖縄は再び捨て石にしようとする。
 ロシアによるウクライナ侵攻のいま、この国がなすべきは東アジアと世界における言葉による交流と相互理解を通した歴史認識と和解の構築そして軍縮と緊張緩和の呼びかけだろう。ロシア語を学びたいという学生は、その希望の象徴のようだ。
《奈倉有里さん|ロシア文学翻訳者   聞き手・高重治香
 ウクライナ侵攻のさなか、ロシアの中にいる人たちは何を考えているのか。言論弾圧下のその声は聞こえにくい。言論の自由はいかに失われてきたのか。侵攻が終結した時、残った憎しみを超えるため言葉に何ができるのか。侵攻開始後に中の人たちが語る言葉を翻訳してきたロシア文学翻訳者・研究者の奈倉有里さんに聞いた。
――ウクライナ侵攻の開始をどんな思いで見ましたか。
 「ロシアの友人たちの顔が思い浮かびました。ウクライナに何のつながりもない人はまれで、両方に出自を持つ友人も、ウクライナに家族がいる友人もいます。私も身を引き裂かれる思いでした。友人や作品を翻訳してきた作家に連絡を取ると、侵攻に賛成している人は誰一人いませんでした」ーーー


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2022年 5月30日
・あの日は中学校の卒業式でした。友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。ーー「家が潰れる。」揺れが収まるまで、長い地獄のような時間が続きました。
・3月16日は高校の合格発表でした。地震の影響で電車が止まっていたので中学校で合格発表を聞きました。歩いて学校に行き、発表を聞いた後、友達と昇降口の外でずっと立ち話をして、歩いて自宅に戻りましたが、その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした。
・私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。
・精密検査を受けた病院にはたくさんの人がいました。この時、少し嫌な予感がしました。血液検査を受け、エコーをしました。やっぱり何かおかしい。自分でも気づいていました。そして、ついに穿刺吸引細胞診をすることになりました。この時には、確信がありました。私は甲状腺がんなんだと。
・10日後、検査結果を知る日がやってきました。あの細胞診の結果です。病院には、また、たくさんの人がいました。結果は甲状腺がんでした。ただ、医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。
・手術の前日の夜は、全く眠ることができませんでした。不安でいっぱいで、泣きたくても涙も出ませんでした。でも、これで治るならと思い、手術を受けました。
・手術の前より手術の後が大変でした。目を覚ますと、だるさがあり、発熱もありました。麻酔が合わず、夜中に吐いたり、気持ちが悪く、今になっても鮮明に思い出せるほど、苦しい経験でした。今も時折、夢で手術や、入院、治療の悪夢を見ることがあります。
・手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようようになりました。
・手術の後は、声が枯れ、3ヶ月くらいは声が出にくくなってしまいました。病気を心配した家族の反対もあり、大学は第一志望の東京の大学ではなく、近県の大学に入学しました。でも、その大学も長くは通えませんでした。甲状腺がんが再発したためです。
・大学に入った後、初めての定期健診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。
「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい。」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。
「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。
・そんな辛い思いをしたのに、治療はうまくいきませんでした。治療効果が出なかったことは、とても辛く、その時間が無駄になってしまったとも感じました。以前は、治るために治療を頑張ろうと思っていましたが、今は「少しでも病気が進行しなければいいな」と思うようになりました。
・病気になってから、将来の夢よりも、治療を最優先してきました。治療で大学も、将来の仕事につなげようとしていた勉強も、楽しみにしていたコンサートも行けなくなり、全部諦めてしまいました。
・でも、本当は大学を辞めたくなかった。卒業したかった。大学を卒業して、自分の得意な分野で就職して働いてみたかった。新卒で「就活」をしてみたかった。友達と「就活どうだった?」とか、たわいもない会話をしたりして、大学生活を送ってみたかった。今では、それは叶わぬ夢になってしまいましたが、どうしても諦めきれません。
・一緒に中学や高校を卒業した友達は、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。そんな友達をどうしても羨望の眼差しでみてしまう。友達を妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い。病院に行っても、同じ年代の医大生とすれ違うのがつらい。同じ年代なのに、私も大学生だったはずなのにと思ってしまう。
・通院のたび、腫瘍マーカーの「数値が上がってないといいな」と思いながら病院に行きます。でも最近は毎回、数値が上がっているので、「何が悪かったのか」「なぜ上がったのか」とやるせない気持ちになります。
・体調もどんどん悪くなっていて、肩こり、手足が痺れやすい、腰痛があり、すぐ疲れてしまいます。薬が多いせいか、動悸や一瞬、息がつまったような感覚に襲われることもあります。
また、手術をした首の前辺りがつりやすくなり、つると痛みが治まるまでじっと耐えなくてはなりません。
・自分が病気のせいで、家族にどれだけ心配や迷惑をかけてきたかと思うととても申しわけない気持ちです。もう自分のせいで家族に悲しい思いはさせたくありません。
もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。
 5月26日東京地裁甲状腺がん裁判での原告女性Aさんの陳述全文。
 2011年3月11日中学校卒業式の日から、大震災と東京電力福島第一原発事故によって平穏な日常が大きく奪われ、さらに高濃度放射線を知らないうちに被曝し、度重なる辛い穿刺吸引検査によって甲状腺がんが見つかり、医師からは「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われて不安のなかで手術を受け、しかし大学入学後に再発と肺への転移が見つかり、大学を辞めて二回目の手術と肺転移の病巣のアイソトープ治療も受けて2回ヨウ素材を飲むが癌は消えず、3回目の入院をして辛い隔離治療を経ても容体は改善せず不眠や吐き気など様々な症状や体調不良に苦しみ、勉学も就職もままならない実態が語られている。
 福島県では事故後11年間に福島県民健康調査で266人、それ以外で27人、少なくとも合計293人と小児甲状腺がんが多発し、この原告のようにそのうち少なくとも222人が甲状腺の片葉または全葉の摘出術を受け、県立医大が手術した54人について、8割超の45人は腫瘍の大きさが10ミリ超かリンパ節や他の臓器への転移などがあり、診断基準では手術するレベルであり2人が肺にがんが転移していた。これが、「過剰診断」「手術しなくていい子どもの腫瘍」である訳がない。 
 体外あるいは体内放射線被曝による発がん性の閾値はない。2005年米国科学アカデミーは、「放射線被曝には、これ以下なら安全といえる量つまり「閾値」はない」、国際放射線防護委員会(ICRP)の職業人の規制値である「5年間で100ミリシーベルト(mSv)の被ばくでも約1%の人が放射線に起因するがんになる」と勧告している。
 原発事故当時、国によって食品中の放射性物質に関する暫定規制値が設定されたのは3月17日、食品の出荷制限が始まるのは事故後10日過ぎた3月21日である。その間放射性セシウムなどに高濃度に汚染された食品を地域の人々は食べ続けねばならなかったということ。
 独立ジャーナリスト白石草氏による検証では、福島市中央卸売市場は 3 月 11 日の地震で甚大な被害を受けたものの,震災翌日には開いており、さらに週明けの 14 日には青果のセリも再開。 当時の資料によると,取扱量は普段よりは 1 割 減少しているが,3 月 12 日から 31 日までの間に, 2140.1 トン(3 億 4786 万円)の野菜が取り引きされた。 非常事態にありながらも,卸売市場は懸命に生鮮 食料品を流通させ、東京都でも19 日築地市場で入荷した千葉県産春菊から暫定規制値を超える 4300 Bq/kg の放射線性ヨウ素を検出し、厚労省がこれら一部の野菜の出荷制限を始めたのは22日。
 東電など電力会社をはじめとする原子力関連の企業や研究者そして政府、福島県そしてそれに便乗するメディアなどが、原発事故後福島などで多発する子どもたちの甲状腺がんを「過剰診断」「手術しなくていい子どもの腫瘍」「原発事故の影響は考えにくい」などと責任回避することは、米国で続く小学校などでの痛ましい銃乱射事件を受けても、あらゆる「銃規制」に反対し続ける全米ライフル協会(NRA)や一部知事、議員らの腐敗と見苦しい限りの無責任と同じ構図。それがこうした声を上げる被害者にさららなる迫害を生むということに、いい加減大人は気づくべきだろう。
「あの日は中学校の卒業式でした。
友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。そのとき、少し雪が降っていたような気がします。
地震が来た時、友だちとビデオ通話で卒業式の話をしていました。最初は、「地震だ」と余裕がありましたが、ボールペンが頭に落ちてきて、揺れが一気に強くなりました。
「やばい!」という声が聞こえて、ビデオ通話が切れました。
「家が潰れる。」
揺れが収まるまで、長い地獄のような時間が続きました。
原発事故を意識したのは、原発が爆発した時です。「放射能で空がピンク色になる」
そんな噂を耳にしましたが、そんなことは起きず、危機感もなく過ごしていました。
3月16日は高校の合格発表でした。
地震の影響で電車が止まっていたので中学校で合格発表を聞きました。歩いて学校に行き、発表を聞いた後、友達と昇降口の外でずっと立ち話をして、歩いて自宅に戻りましたが、
その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした。
甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。
この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。
その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。
検査は複数の医師が担当していました。検査時間は長かったのか。短かったのか。首にエコーを当てた医師の顔が一瞬曇ったように見えたのは気のせいだったのか。検査は念入りでした。
私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。
精密検査を受けた病院にはたくさんの人がいました。この時、少し嫌な予感がしました。
血液検査を受け、エコーをしました。
やっぱり何かおかしい。自分でも気づいていました。そして、ついに穿刺吸引細胞診をすることになりました。この時には、確信がありました。私は甲状腺がんなんだと。
わたしの場合、吸引する細胞の組織が硬くなっていたため、なかなか細胞が取れません。
首に長い針を刺す恐怖心と早く終わってほしいと言う気持ちが増すなか、3回目でようやく細胞を取ることができました。
10日後、検査結果を知る日がやってきました。あの細胞診の結果です。病院には、また、たくさんの人がいました。結果は甲状腺がんでした。
ただ、医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。
その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。
手術の前日の夜は、全く眠ることができませんでした。不安でいっぱいで、泣きたくても涙も出ませんでした。でも、これで治るならと思い、手術を受けました。
手術の前より手術の後が大変でした。
目を覚ますと、だるさがあり、発熱もありました。麻酔が合わず、夜中に吐いたり、気持ちが悪く、今になっても鮮明に思い出せるほど、苦しい経験でした。今も時折、夢で手術や、入院、治療の悪夢を見ることがあります。
手術の後は、声が枯れ、3ヶ月くらいは声が出にくくなってしまいました。
病気を心配した家族の反対もあり、大学は第一志望の東京の大学ではなく、近県の大学に入学しました。でも、その大学も長くは通えませんでした。甲状腺がんが再発したためです。
大学に入った後、初めての定期健診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。
「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい。」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。
「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。
1回目で手術の辛さがわかっていたので、
また同じ苦しみを味わうのかと憂鬱になりました。手術は予定した時間より長引き、
リンパ節への転移が多かったので傷も大きくなりました。
1回目と同様、麻酔が合わず夜中に吐き、
痰を吸引するのがすごく苦しかった。
2回目の手術をしてから、鎖骨付近の感覚がなくなり、今でも触ると違和感が残ったままです。
手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。
手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようようになりました。
手術の後、肺転移の病巣を治療するため、
アイソトープ治療も受けることになりました。
高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被曝させる治療です。
1回目と2回目は外来で治療を行いました。
この治療は、放射性ヨウ素が体内に入るため、まわりの人を被ばくさせてしまいます。
病院で投薬後、自宅で隔離生活をしましたが、
家族を被ばくさせてしまうのではないかと不安でした。2回もヨウ素を飲みましたが、がんは消えませんでした。
3回目はもっと大量のヨウ素を服用するため入院することになりました。
病室は長い白い廊下を通り、何回も扉をくぐらないといけない所でした。
至る所に黄色と赤の放射線マークが貼ってあり、
ここは病院だけど、危険区域なんだと感じました。病室には、指定されたもの、指定された数しか持ち込めません。汚染するものが増えるからです。
病室に、看護師は入って来ません。
医師が1日1回、検診に入ってくるだけです。
その医師も被ばくを覚悟で検診してくれると思うととても申し訳ない気持ちになりました。
私のせいで誰かを犠牲にできないと感じました。
薬を持って医師が2、3人、病室に来ました。
薬は円柱型のプラスチックケースのような入れ物に入っていました。
薬を飲むのは、時間との勝負です。
医師はピンセットで白っぽいカプセルの薬を取り出し、空の紙コップに入れ、私に手渡します。
医師は即座に病室を出ていき、鉛の扉を閉めると、スピーカーを通して扉越しに飲む合図を出します。私は薬を手に持っていた水と一緒にいっきに飲み込みました。
飲んだ後は、扉越しに口の中を確認され、放射線を測る機械をお腹付近にかざされて、お腹に入ったことを確認すると、ベッドに横になるように指示されます。
すると、スピーカー越しに医師から、
15分おきに体の向きを変えるように指示する声が聞こえてきました。
食事は、テレビモニターを通じて見せられ、
残さずに食べられるか確認し、汚染するものが増えないように食べられる分しか入れてもらえません。
その夜中、それまではなんともなかったのに、急に吐き気が襲ってきました。
すごく気持ち悪い。なかなか治らず、焦って、
ナースコールを押しましたが、看護師は来てくれません。
ここで吐いたらいけないと思い、必死でトイレへ向かいました。
吐いたことをナースコールで伝えても
吐き気どめが処方されるだけでした。
時計は夜中の2時過ぎを回り、
よく眠れませんでした。
次の日から、食欲が完全に無くなり、
食事ではなく、薬だけ病室に入れてもらうことのほうが多かったです。2日目も1、2回吐いてしまいました。
私は、それまでほとんど吐いたことがなく、
吐くのが下手だったため、眼圧がかかり、
片方の目の血管が切れ、目が真っ赤になっていました。扉越しに、看護師が目の状態を確認し、目薬を処方してもらいました。
病室から出られるまでの間は、気分が悪く、
ただただ時間が過ぎるのを待っていました。
病室には、クーラーのような四角い形をした放射能測定装置が、壁の天井近くにありました。その装置の表面の右下には数値を示す表示窓があり、私が近づくと数値がすごく上がり、離れるとまた数値が下がりました。
こんなふうに3日間過ごし、ついに病室から出られる時が来ました。
パジャマなど身につけていたものは全て鉛のゴミ箱に捨て、ロッカーにしまっていた服に着替えて、鉛の扉を開け、看護師と一緒に長い廊下といくつもの扉を通って、外に出ました。
治療後は、唾液がでにくいという症状に悩まされ、水分の少ない食べ物が飲み込みづらくなり、味覚が変わってしまいました。
この入院は、私にとってあまりにも過酷な治療でした。二度と受けたくありません。
そんな辛い思いをしたのに、治療はうまくいきませんでした。治療効果が出なかったことは、とても辛く、その時間が無駄になってしまったとも感じました。以前は、治るために治療を頑張ろうと思っていましたが、今は「少しでも病気が進行しなければいいな」と思うようになりました。
病気になってから、将来の夢よりも、治療を最優先してきました。治療で大学も、将来の仕事につなげようとしていた勉強も、楽しみにしていたコンサートも行けなくなり、全部諦めてしまいました。
でも、本当は大学を辞めたくなかった。卒業したかった。大学を卒業して、自分の得意な分野で就職して働いてみたかった。新卒で「就活」をしてみたかった。友達と「就活どうだった?」とか、たわいもない会話をしたりして、大学生活を送ってみたかった。
今では、それは叶わぬ夢になってしまいましたが、どうしても諦めきれません。
一緒に中学や高校を卒業した友達は、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。
そんな友達をどうしても羨望の眼差しでみてしまう。
友達を妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い。
病院に行っても、同じ年代の医大生とすれ違うのがつらい。同じ年代なのに、私も大学生だったはずなのにと思ってしまう。
通院のたび、腫瘍マーカーの「数値が上がってないといいな」と思いながら病院に行きます。
でも最近は毎回、数値が上がっているので、「何が悪かったのか」「なぜ上がったのか」とやるせない気持ちになります。
体調もどんどん悪くなっていて、肩こり、手足が痺れやすい、腰痛があり、すぐ疲れてしまいます。薬が多いせいか、動悸や一瞬、息がつまったような感覚に襲われることもあります。
また、手術をした首の前辺りがつりやすくなり、つると痛みが治まるまでじっと耐えなくてはなりません。
自分が病気のせいで、家族にどれだけ心配や迷惑をかけてきたかと思うととても申しわけない気持ちです。もう自分のせいで家族に悲しい思いはさせたくありません。
もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。 (了)」


2022年 5月29日
日記がわりに。
 20日BBCはロシアから屋根をウクライナ国旗の色に塗り、壁に戦争反対などと記す市民の声を伝えていた。夜録画していたロシア独立テレビ「ドシチTV」のドキュメンタリーを見る。この10年来のロシアの選挙不正とプーチン退陣を求める運動の盛り上がり、そして2014年クリミヤ・ドンバス侵攻に関わる政権の嘘として若いロシア兵がドンバスに派兵されたこと、親ロシア派による旅客機撃墜に関する虚偽報道、さらにプーチンの憲法改正に対する虚偽説明を正確に伝えていた同局は、しかしこの2月ロシア軍のウクライナ侵攻の6日後閉鎖に至った。
 21日六甲カトリックの二度咲きのツツジを経て久しぶりに六甲駅前のcalmoでジェノベーゼピザをいただき三宮でカワハギ見つけて帰宅。翌日曜午後アシスト車で石屋川沿いを御影クラッセまで食材買いに往復すると網敷神社で祭礼中。
 24日はひと月ぶりに岡本に出て庭の席でグラタンをいただき、住吉うはらの湯に浸かって六甲道経由で帰宅。このところウクライナ軍は東部で劣勢らしく、亡くなった兵士の仮の墓と破壊された村そして残された住民の映像が痛々しい。
 昨日は快晴、4週ぶりにハーバーランドに行き、umieのテラスでお昼の後ドック沿いを辿ると大きな帆船が停泊中。神戸は30度は超えないがそれでも暑く、三宮で食材買って帰宅。今日も晴れ、昨日以上の暑さのなかil ventoでマリナーラをいただき、春日の道からアーケードを歩いて渚の湯往復。六甲台の紫陽花も咲き始め。




2022年 5月28日
「暴力行為に関与した全ての人物、民衆の安全に危害を加える重要人物を捕らえなければならない。捕らえるべき者をすべて捕らえるのだ。罪状が極悪で許されない者には法に基づいて厳重に処罰し、重い刑を科す。(刑期が)5年以下であれば(過激思想から)抜け出させる。すなわち再教育だ。中国語や技術、法律を学ぶ。いつになれば「転化」するのか。いつになれば就職できるか。1年でだめなら2年。2年でだめなら3年。長期的な考えが必要だ」
「特に海外からの帰国者は片っ端から捕らえるのだ。重大犯罪者の取り扱いに従い、まず手錠をかけ、覆面をかぶせろ。ーー拘束した人間が数歩でも逃げれば射殺せよ。逃げる者を射殺するのに何の問題があるのか。とっくに許可している」陳全国 ウイグル自治区党委書記(17年5月28日自治区「安定維持司令部」のオンライン会議)   
「習総書記は繰り返し強調してきた。いかなる組織、政党や個人も、いかなる形や方法であろうとも、わずかな領土でも中国から分裂させることは絶対に許さないと。ーー全新疆の情勢の調和と安定を確保し、習総書記を核心とする党中央を安心させよ」同18年6月18日  毎日「新疆公安文書 流出したファイル」 
「反中勢力が新疆をおとしめようとする最新の事例であり、彼らのこれまでのやり口と全く同じだ。新疆社会の安定と繁栄、人々が安らかに暮らし働いているという事実を隠すこともできない」中国外務省汪文斌副報道局長24日定例記者会見
・中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、中国共産党幹部の発言記録や、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど、数万件の内部資料が流出した。
・写真では、手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている。
・ゼンツ氏は、数千人分を含む452枚の(収容者)リストを検証。17〜18年の時点で、シュフ県の少数民族の成人のうち12・1%(2万2376人)以上が「再教育施設」、刑務所、拘置所に何らかの形で収容されていると推計した。
・資料を見ると、1980、90年代にモスクでイスラム教を学んだなどとして17年に拘束され、テロ行為の準備罪で懲役15年の判決を受けたケースなど、テロとの結びつきが疑問視されるものが目立つ。中国当局が少しでも宗教色があると判断すれば「再教育施設」や刑務所に収容しているケースが多いとみられる。
・今回流出した資料には、ウイグル族らの身分証番号や拘束理由などを記した名簿▽中国政府が過激思想の排除などを名目に運用してきた「職業技能教育訓練センター(再教育施設)」や刑務所などの収容者名簿▽収容者家族の名簿――などが含まれる。
・「再教育」のケースでは、「1984年から85年の間、父親からイスラム教の経典を学んだ」(17年に拘束の女性)▽「他人に酒を飲ませず、たばこを吸わせなかった」(18年に拘束の男性)――など、少しでもイスラム教の宗教色があると見なされただけで対象になった人が目立つ。
・資料では「イスラム教の経典を6カ月学び、ひげを生やし、親戚に10日間経典を教えた」という男性が「社会秩序を乱すために人々を集めた罪」で懲役16年11月の判決を受けたといったケースが並ぶ。
「中国政府が家族をターゲットにする理由なんて何もない。私たちは模範的な市民だったのに。彼(父)は礼拝やラマダンの断食もしなかった。退職後に礼拝はしていたが、共産党員だからモスクには行かなかった。危険なことになると分かっていたから、私にコーランや礼拝の仕方さえ教えなかった」両親や弟が2年前、テロに関する罪で懲役10年以上を受けて服役中のヌルシマングル・アブドゥレシッドさん(34)(在トルコ)
「彼女の生活は家族中心で他人との交流はあまりなかった。どうやって大勢を集められたというのか」17年12月に「社会秩序を乱すために人々を集めた罪」などで懲役16年の実刑判決を受けた妻のトゥヌサグル・ヌルメメトさん(26)の夫アブドゥラハム・ハサンさん(在アムステルダム)  毎日「「父は共産党員、テロなんて」 収容者の家族訴え」
 24日この毎日新聞、英BBCを含む世界の14のメディアが、在米ドイツ人研究者エイドリアン・ゼンツ博士が入手した中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らの「再教育施設」などに関わる中国共産党幹部の発言記録、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど数万件の内部資料の存在を一斉に報じた。
 「大ロシア」再興を夢想するプーチンのロシア軍による隣国ウクライナへの残虐な侵略と無辜の市民の大量殺害と同じ、「中華民族復興」を唱える習近平の中国共産党政権によるウイグルの人びとへの厳しい弾圧と強権支配の問題。
 東西交易とオアシス国家として栄えたこの地域は、10世紀頃からトルコ系民族のウイグル人が定住してイスラム教が浸透し東トルキスタンと呼ばれ繁栄したが、満洲族による清の乾隆帝の1759年までに征服され、「新疆=新しい土地」とされた。第二次大戦の前後にはウイグル人による「東トルキスタン共和国」であったが1949年中国人民解放軍が侵攻、1951年チベット=7世紀吐蕃王朝~18世紀ガンデンポタン=にも侵攻し中国に併合した。
 いずれも、独自の民族・宗教・文化・歴史を持つ隣国を武力によって併合したものであり、その本質は武力侵攻に伴う不当な拘束、拷問そして殺害など現在ロシアがウクライナで行おうとしていることと変わらない。国内で勇気を持って反対の声を上げる人びとや真実を報道するメディア、人道上の問題を批判する他国政府を「裏切り者」「反ロシア」「反中勢力」「フェイク」などと弾圧・批判して自らの侵略・犯罪行為を正当化する手法もまったく同じ。国際社会は民族自決と深刻な人道問題として批判の声をあげ続けねばならない。
《中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、中国共産党幹部の発言記録や、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど、数万件の内部資料が流出した。「(当局に)挑む者がいればまず射殺せよ」などと指示する2018年当時の幹部の発言や資料からは、イスラム教を信仰するウイグル族らを広く脅威とみなし、習近平総書記(国家主席)の下、徹底して国家の安定維持を図る共産党の姿が浮かぶ。
 今回の資料は、過去にも流出資料の検証をしている在米ドイツ人研究者、エイドリアン・ゼンツ博士が入手した。毎日新聞を含む世界の14のメディアがゼンツ氏から「新疆公安ファイル」として事前に入手し、内容を検証。取材も合わせ、同時公開することになった。
 幹部の発言記録は、公安部門トップの趙克志・国務委員兼公安相や自治区トップの陳全国・党委書記(当時)らが会議で行った演説。特に陳氏の発言記録は「録音に基づく」とあり、正式な文書にまとめられる前の感情が交じった言葉が並んでいる。
 収容政策で重要な役割を果たした陳氏は17年5月28日の演説で、国内外の「敵対勢力」や「テロ分子」に警戒するよう求め、海外からの帰国者は片っ端から拘束しろと指示していた。「数歩でも逃げれば射殺せよ」とも命じた。
 また、18年6月18日の演説では、逃走など収容施設での不測の事態を「絶対に」防げと指示し、少しでも不審な動きをすれば「発砲しろ」と命令。習氏を引用する形で「わずかな領土でも中国から分裂させることは絶対に許さない」と述べ、「習総書記を核心とする党中央を安心させよ」と発破を掛けていた。
 内部の写真が流出したのは、自治区西部イリ・カザフ自治州テケス県の「テケス看守所(拘置所)」とされる収容施設。抵抗や逃走防止の訓練とみられる様子などが撮影されている。
 写真では、手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている。また、銃を持つ武装警察らが制圧訓練をしているとみられる写真や、収容者が注射のようなものを受けている写真もある。
 これらは、中国当局が過激思想を取り除くためなどとして運用した「再教育施設」の元収容者が証言した内容とも一致した。
 収容者のリストには、身分証番号や収容の理由、施設名などが記されている。主に自治区南部カシュガル地区シュフ県在住のウイグル族など少数民族のもので、ゼンツ氏は、数千人分を含む452枚のリストを検証。17〜18年の時点で、シュフ県の少数民族の成人のうち12・1%(2万2376人)以上が「再教育施設」、刑務所、拘置所に何らかの形で収容されていると推計した。別に警察署などで撮影された収容者約2800人の顔写真も流出した。
 資料を見ると、1980、90年代にモスクでイスラム教を学んだなどとして17年に拘束され、テロ行為の準備罪で懲役15年の判決を受けたケースなど、テロとの結びつきが疑問視されるものが目立つ。中国当局が少しでも宗教色があると判断すれば「再教育施設」や刑務所に収容しているケースが多いとみられる。
 この問題をめぐっては、国連のバチェレ人権高等弁務官が23日から6日間の日程で中国を訪問中だ。欧米諸国が人権侵害を指摘する自治区を訪れる。しかし、中国側は「政治的に利用することに反対する」として、人権問題の調査が目的ではないと強調している。国連外交筋は「(何も問題はないという)中国側の宣伝に利用される危険がある」と警戒を示している。
 中国政府は「職業技能教育訓練センター」と呼ぶ「再教育施設」について、イスラム教の過激思想の影響を受けた人物によるテロ行為を防ぐために設置し、19年後半に運用を終えたとしている。中国語の学習や食品加工などの職業訓練を行ったとも主張。欧米からの「ジェノサイド」との指摘には「荒唐無稽(むけい)で、下心あるデマだ」と反論している。
 流出文書を検証した14のメディアは、事前に内容について共同で中国外務省にコメントを求めたが、直接回答はなかった。
 中国外務省の汪文斌副報道局長は24日の定例記者会見で「反中勢力が新疆をおとしめようとする最新の事例であり、彼らのこれまでのやり口と全く同じだ。新疆社会の安定と繁栄、人々が安らかに暮らし働いているという事実を隠すこともできない」と反論した。【ニューヨーク隅俊之】
   ◇
 流出した内部資料は、情報提供を受けた世界の14のメディアが取材・確認を進めた上で、取材結果を共有して検証の精度を高めた。
 ゼンツ氏によると、資料は新疆ウイグル自治区南部カシュガル地区シュフ県と西部イリ・カザフ自治州テケス県の公安当局のコンピューターに保存されていたもので、第三者がハッキングを通じて入手し、ゼンツ氏に提供したと説明している。
 14のメディアは、収容者リストに載っている人の家族への取材や流出写真の撮影情報の確認、衛星写真との比較、専門家への鑑定依頼などを行った。毎日新聞は検証で確認された情報の信ぴょう性と社会的意義から報道する価値があると判断した。
   ◇
 今回の報道に参加したメディアは以下の通り。
 BBC News(英)▽ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)▽USA TODAY(米)▽Finnish Broadcasting Company YLE(フィンランド)▽DER SPIEGEL(独)▽Le Monde(仏)▽EL PAIS(スペイン)▽Politiken(デンマーク)▽Bayerischer Rundfunk/ARD(独)▽NHK WORLD-JAPAN(日本)▽Dagens Nyheter(スウェーデン)▽Aftenposten(ノルウェー)▽L'Espresso(イタリア)▽毎日新聞 》



2022年 5月27日
「どんなに願っても元の体に戻ることはできません」「生涯を体調不良と再発の不安の中で生きていくことを余儀なくされた」「元の体に戻りたいとどんなに願っても、もう戻ることはできません。裁判を通じ、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います」原告女性
「有意な放射線被ばくを受けていない可能性がある」東京電力
・福島原発事故前は発症数が年間100万人に1〜2人といわれた小児甲状腺がんが、福島県では、事故後11年間に、福島県民健康調査で266人、それ以外で27人、少なくとも合計293人と多発していること、そのうち少なくとも222人が甲状腺の片葉または全葉の摘出術を受けていて、「多くの子供たちが苦しんでいること」は紛れもない事実である。
・福島県県民健康調査のスキームは、甲状腺がんにラテントがんがあることを十分認識しつつ、過剰診断、過剰治療に陥ることのないように慎重に作られている。がんを見つけたら拙速に切除するのではなく、その進行状況を見極め、周辺の組織への浸潤状況、周辺リンパ節への転移状況等も慎重に調査して、甲状腺治療ガイドラインが定める手術適応を満たした事例についてのみ手術を実施している。福島県で小児甲状腺がんの摘出術をした甲状腺外科医は、過剰診断であることを明確に否定している。(311子ども甲状腺がん裁判弁護団 2022年2月4日)
26日の当時6歳から16歳だった10代、20代の男女6人が東電に損害賠償を求める裁判「311子ども甲状腺がん裁判」の法廷陳述から。
 100万人に1~2名と言われる小児甲状腺がんが原発事故後福島で多発し、原告6人を含めて少なくとも222人が摘出手術を受け、原告のうち4人は再発により甲状腺を全摘出し、4回手術した人や肺に転移した人もいる。
 この子どもたちにとって大変辛い状況を、「過剰診断」「放射線の影響とは考えにくい」「有意な放射線被ばくを受けていない可能性がある」などとして放置する権利は、津波予想を無視してメメルトダウンと原子炉建屋爆発いう甚大な事故を引き起こした東京電力や原発政策でそれを支えた国に存在しない。
 子どもたちへの甚大な被害を前にして、自らの責任を否定し続ける醜く卑劣な姿勢は、米国テキサス州で繰り返された小学校銃乱射事件について「銃規制」を否定し続ける知事や上院議員らと同じ。いい加減に東電そして政府は、自らの責任を認め子どもたちに真摯に謝罪したらどうか。
《原発事故のあと、甲状腺がんを発症した若者が東京電力を訴えた裁判が始まりました。
26日は原告の女性が法廷に立ち「どんなに願っても元の体に戻ることはできません」などと、涙ながらに語りました。
この裁判は、当時6歳から16歳だった男女6人が、原発事故の後、甲状腺がんを発症し「生涯を体調不良と再発の不安の中で生きていくことを余儀なくされた」などとして、東電に対し6億円あまりの損害賠償を求めているものです。
原告全員が甲状腺の摘出手術を受け、そのうち4人が再発しました。
26日から東京地裁で始まった裁判で、東電は争う姿勢を見せました。
原告側によりますと、東電は「有意な放射線被ばくを受けていない可能性がある」などと主張したということです。
また、裁判では原告の女性が「元の体に戻りたいとどんなに願っても、もう戻ることはできません。裁判を通じ、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います」と20分にわたって涙ながらに意見陳述しました。
子どもの甲状腺がんは一般的に100万人に2人とされていますが、県が原発事故後に行った検査などでは、約300人に、がんやその疑いが見つかっています。
原発事故と甲状腺がんの因果関係を問う初めての裁判。
司法がどう判断するかが、注目されます。》


2022年 5月26日
「彼女を知っているすべての人への光」「マケナはどこへ行っても友達になった。マケナは家族にメモを書き、後で見つけられるように隠された場所に置いておくのが大好きでした」10歳のマケナ・リー・エルロッドの家族
「彼女は大きな心を持っていました。ジャッキーは誰かを助けることを厭わない人でした」「少なくとも40人の法執行官が武装していたが、手遅れになるまで何もしなかった」「私は銃の所有者であり、この悲劇で使用された武器は非難しない。それを購入することが若くてもどれほど簡単かと腹が立つ」10歳のジャックリン・ジェイレン・カザレスの父親ジャシント・カザレス
「彼女はとても幸せで、とても社交的だった。彼女はダンスとスポーツをするのが好きでした。彼女は家族に夢中になり、家族と一緒にいるのを楽しんでいました」10歳のエリアンナ・ガルシアの親戚
「私が今までに知った中で最もかわいい男の子。私の孫だったからといって、それを言っているのではありません」8歳のウジヤ・ガルシアの祖父
「彼女は見つかりました。私の小さな愛する人は今、空の天使たちと一緒に高く飛んでいます。当たり前のことと思わないで、あなたの家族を抱きしめ、あなたが彼らを愛していると伝えてください。アメリー、私はあなたを愛しています」10歳のアメリー・ジョー・ガルザの父エンジェル・ガルザ
「両親がバーベキューをしたとき、彼はいつもパーティーの生命でした...彼はダンスが好きでした。彼はいつもお母さんと一緒に何かをするのが好きでした」10歳のザビエル・ロペスの祖母
「いつも笑顔を浮かべていた。天使」10歳のジェイス・カルメロ・ルエバノスのいとこ
「娘は火曜日に学校に行きたくないと、何かが起こるだろうと感じていたようだ」10歳の娘ジャリア・ニコール・シルゲロの母ベロニカ・ルエバノス
「とても賢くて愛情深い子供」10歳のロジェリオ・トーレスの母
「これらの銃撃が続くことに私は激怒している。これらの子供たちになんの罪もない。ライフルはすべての人が簡単に利用できるべきではない」小学校4学年の教師エヴァ・ミレレスの叔母リディア・マルチネス・デルガード
・コネチカット州ニュータウンのサンディフック小学校での銃乱射事件の翌年の2013年以降、米国での銃乱射事件(少なくとも4人が負傷または死亡)はほぼ3倍に。すでに2022年には213件の銃乱射事件が発生しており、2017年5月までの141件の銃乱射事件から50%増加し、2013年5月までの84件から150%増加している。
「恐ろしく、理解できない」アボット・テキサス州知事(共和党)
「銃規制はうまくいかない。効果的ではない。犯罪を防がない」同州選出テッド・クルーズ上院議員(共和党)
「いったい我々は何をしているんだ。我々は何のためにここにいるんだ。存亡の危機にかかわるこれほどの問題を解決するために、ここにいるのでないなら。この子供たちは運が悪かったわけじゃない。このようなことは、この国でしかおきない。小さい子供たちが、今日学校で撃たれるかもしれないと思いながら学校に行くなど、この国だけだ。しかもそれを、私たちは選んでそうさせている」コネチカット州選出のクリス・マーフィー上院議員(民主党)
「いったいいつになったら我々は、銃ロビーに立ち向かうのか。もう、うんざりだ。自分たちがこの殺戮に何もできないなど、言わないでほしい。18歳の子供が店に入って、アサルトウェポン(殺傷力の高い攻撃用銃器)を2丁買うことができるなど、ひたすら間違っている。こんな乱射事件は、世界のほかの場所ではめったに起きない。なぜ我々はこの殺戮を受け入れているのか。どうして同じことが繰り返されるのを、我々は許しているのか。いったい我々の気骨はどこにあるのか」バイデン米大統領
「これはあなたの責任だ。何か違うことをすると選択するまで、あなたの責任だ。この5年間で、米国史上で最もひどい乱射事件のうちの五つが、テキサス州で起きている。そのたびに彼はこのような会見を開くだけだ。唯一したことは、銃所持を容易にしたことだ」ベト・オルーク元下院議員(民主党)25日アボット州知事の記者会見中
 24日テキサス州ユバルディのロッブ小学校で7歳から10歳の生徒19人と教師2人合わせて21人が死亡した銃撃事件。
 国連人権高等弁務官事務所 (OHCHR)は、2月24日ロシアの軍事侵攻開始以来確認されたウクライナの民間人3153人(5月2日)、子ども202人(4月27日)の死亡を「最低限」として公表している。
 プーチンがロシア軍を使ってウクライナでおこなっていることは、この18歳のサルヴァドル・ラモス容疑者がロッブ小学校でおこなった残虐極まる銃撃事件と本質は同じ、なんの罪もない子供や市民の虐殺。
 容疑者が事件で使用したAR-15ライフルと大容量弾倉は18歳の誕生日から6日後の22日、事件の2日前に地元の連邦政府認定ディーラーから合法的に購入したもの。
「銃規制」に後ろ向きな同州知事アボットは昨年9月「テキサス州に自由を浸透させた」と宣言して銃規制緩和の法律を施行し、免許を持たない一般住民が安全講習を受けなくても公共の場で銃を人目に見える状態で携行することを可能にした。それに合わせるように、テキサス州で2020年に入って発生した銃撃は約3200件、前年同期の約2800件から14%増え、銃暴力事案は2100件だった2019年同時期に比べて50%増えているという。
 同じく「銃規制」に後ろ向きな共和党上院議員テッド・クルーズは、昨年2月17日テキサス州が歴史的な寒波に襲われ停電や断水が続き、暖をとるためにエンジンをかけた車の中にいた女性と女の子が一酸化炭素中毒で死亡、火事で亡くなった人や3日間停電した自宅で凍死した人もいるなか「私たちの家も停電、悪天候で娘の学校が休校になったため」家族とメキシコのリゾート地カンクン行き航空機に搭乗して批判された人物。
 地元でなんの罪もない子供たちが学校の銃撃事件で多数殺害されても、「理解できない」「銃規制はうまくいかない」とまるで他人事。全米の昨年の銃による死者数は自殺を除いて2万803人、1日に50人が銃で殺害され続けている。
 米国は党派を超えて厳格な銃規制に直ちに取り組むこと、同じく世界は隣国を侵略するロシアのような違法・非道な行為が繰り返されないために、核兵器をはじめとする軍備管理・軍縮に全力で取り組むことが未来をつくる唯一の道。
《4th-grade teacher, 10-year-old boy who was 'life of the party' among Texas school shooting victims
Amerie jo Garza, Xavier Lopez and Uziyah Garcia were among the Robb Elementary School students killed.
UVALDE, Texas -- A fourth-grade teacher and children who were "loving" and "full of life" were among those killed in a mass shooting at a Texas elementary school on Tuesday, ABC News has learned.
At least 19 children and two teachers were killed after a gunman opened fire at Robb Elementary School in Uvalde, west of San Antonio, according to the Texas Department of Public Safety.ーーー



2022年 5月23日
「今、大事なのは、禁じられていようとも『戦争反対』の声を上げることです。こんなことを国民として受け入れてしまうとしたら、自分の子どもたちの未来を考えるのをやめることになります。私は声を上げ続けてきました。沈黙は、自分の国で起きていることに賛成するのと同じだからです。だから、私は抗議に行くのです」
「(幾度の拘束も)とうの昔に怖くなくなりました。自分の国で恐れてはいけません。自分の国を愛するなら、その国の責任は自分にあると思うべきです」
 「ロシアとウクライナは同じ」と唱えて隣国を侵略するプーチンの決定から3ヶ月。
 ウクライナの子供や女性、高齢者ら一般市民を残酷に殺傷し、双方の兵士らにも甚大な被害を出しながら、無謀極まる侵攻が止まらないなか、真実を語ることが「フェイク」とされ罰せられるロシア国内サンクトペテルブルクで反戦の声をあげ続ける画家のエレーナ・オシポワさん(76)の言葉。
 すでに侵攻まえの2月に「ウクライナとの軍事紛争はロシアの国益にはならない」としていたミハイル・ホダレノク退役大佐が、16日ロシア国営テレビのトーク番組「60 Minutes」に登場して「(ロシアの)軍事的・政治的状況の最大の問題は、どんなに認めたくないとしても、我々が政治的に完全に孤立し、全世界を敵に回している点だ」と述べるなど、ロシア国内の雰囲気も変わり始めているのは、「ロシア兵士母の会」やこのオシポワさんのように小さくても反対の声を上げる人々がいるからでもあるだろう。
 やはり公共放送NHKや大手メディアの報道統制や政権への忖度が止まらない日本は、プーチンと「同じ夢を見ている」ものたちが行った解釈改憲、集団的自衛権の容認と今回のウクライナ問題を口実とする防衛予算GDP2%化や「反撃能力」そして米国の核兵器に依存する「拡大抑止」という不毛で危険な戦争体制の構築ではなく、憲法が掲げる平和主義のもと、率先して世界の核廃絶と軍備管理・軍縮に努める責任がある。それが「子供たちの未来を考え」てこの国が進むべき道。
《ロシアが第2次世界大戦(World War II)の対ドイツ戦勝記念日(Victory Day)を迎えた9日、画家のエレーナ・オシポワ(Yelena Osipova)さん(76)はほとんど寝ずに、ウクライナ侵攻に抗議するプラカードを仕上げた。
 しかし、ロシア第2の都市サンクトペテルブルク(St. Petersburg)にある自宅を出た途端、見知らぬ男性2人にプラカードを奪われ、持ち去られた。
「明らかに組織的な妨害でしょう」。それでもオシポワさんは、めげることなく代わりのポスターをつかむと、再びデモへ向かった。
 大学で芸術を教えていた元教授でもあるオシポワさんは、2000年にウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)氏が政権の座に就くと、その2年後から20年間、街頭デモを行ってきた。地元では「サンクトペテルブルクの良心」として知られる存在だ。オシポワさんが機動隊にたびたび拘束される映像は、ソーシャルメディアで広く拡散されている。
「今、大事なのは、禁じられていようとも『戦争反対』の声を上げることです」
 ロシア政府が「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻を開始して以降、各地の抗議デモは容赦なく弾圧され、侵攻を批判すると15年の実刑に処される可能性がある。
 オシポワさんは、2014年にはロシアによるウクライナ南部クリミア(Crimea)半島の併合や、ウクライナ東部での武力衝突に抗議した。今は、ウクライナ侵攻を批判している。
■「国を愛するなら、責任は自分に」
「こんなことを国民として受け入れてしまうとしたら、自分の子どもたちの未来を考えるのをやめることになります」
 アパートの部屋にある自作のプラカードには、反戦と反政権を掲げるメッセージがあふれている。「私たちは子どもたちにどんな世界を残していくのか──それがプラカードに込める思いです」
 他にも「使い捨ての兵士にされるのはごめんだ」、「妻よ、母よ、戦争を止めよう」、「私たちは帝国主義による挑発的な政治の犠牲者だ」といった言葉が書かれたポスターが並ぶ。
「私は声を上げ続けてきました。沈黙は、自分の国で起きていることに賛成するのと同じだからです」とオシポワさんは言う。「だから、私は抗議に行くのです」
 何度も拘束されたせいで警察にすっかり顔を覚えられ、最近では連行されずにまっすぐ家に帰されることもあるという。
「とうの昔に怖くなくなりました」とオシポワさん。「自分の国で恐れてはいけません。自分の国を愛するなら、その国の責任は自分にあると思うべきです」 (c)AFP》



2022年 5月16日
日記がわりに。
GW後もほぼ地元で過ごす。10日アシスト車で降り水道筋の灘温泉に浸かり都賀川をさらに降ってコーナンで一鉢78円のポーチュラカ5鉢、六甲道で食材買って六甲八幡宮を経て帰宅。9日のロシア戦勝記念日で、自分は決して地獄のような最前線に出ることなく、多くのロシアの若者とウクライナの民間人を地獄に突き落としている人物が、第二次大戦で負傷した父親の写真を抱えて通りを歩く欺瞞ぶり。
PCのデスクトップ画像をずっとジブリ漫画にしてきたが、この5月からYumico Haraさんの「ワンダフル新聞」の絵に変えてみた。ジブリに負けないほどいい。
http://2014princes365.blogspot.com/?view=flipcard
14日二週ぶりにil ventoでピザをいただき、そのまま石屋川沿いを降り綱敷天満神社にも寄って阪神アーケード沿いを歩いて阪神御影まで。
16日すずらんの湯再開はどうなっているのか見ると、なんと「本日再オープン」と。
https://suzurannoyu.jp/news/open/
18日の今日、2年ぶりに地下鉄で北谷を経て神戸電鉄で北鈴蘭台に出て、送迎車はなくなり20分ほどやはり神戸らしい坂道を歩いて到着。まずお昼を食べて広い庭園の露天巡り。経営は変わったようだが、料金はあまり変わらず脱衣場も湯船もすべてリニューアルされて快適。帰りは車の多い国道を避けて同じ経路を三宮まで戻り、阪神で御影に寄り食材買ってバスで帰宅。ポーチュラカはまだたまに一輪咲くくらい。


2022年 5月15日
「復帰50年がたっても、県民が最も望んでいた「基地のない平和な沖縄」はいまだ実現されていない。米軍専用施設の面積は全国の70.3%が沖縄に集中し、沖縄本島の面積の14.6%を占める。米軍人・軍属による犯罪、訓練や演習に伴う事故、日常的な航空機騒音による健康被害など現在でもさまざまな問題が発生している」
「復帰50年という長い時間が経過しても、基地が県民の安全安心を脅かす状況は変わっていない。この状況を変えていきたい。取り組むべき課題には、日米地位協定の抜本的な見直しも含まれている」
「米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、沖縄県は反対を続けている。19年2月の県民投票で投票総数の71.7%が「埋め立て反対」と明確に示されたが、日米両政府は「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えず、県民の思いを顧みることなく工事が強行されている。辺野古移設では普天間飛行場の一日も早い危険性の除去にはつながらない」
「中国の軍事力強化、台湾海峡を巡る緊張、ロシアのウクライナ侵攻など、日米安全保障体制の必要性や日本の安保環境が厳しさを増していることは十分に理解している。それでもなお、米軍基地負担の沖縄への集中は異常だと言わなければならない」
「沖縄は地理的特性を生かして、琉球王国の時代からアジア各地と交流し、国々との懸け橋となることを目指してきた。米中の対立が続き、台湾海峡の緊張が注目される現在、緊張緩和や信頼醸成は待ったなしで取り組むべき喫緊の課題であり、その積極的な役割を担いたい」
 沖縄の「復帰」50年に際して玉城デニー・沖縄県知事による基調講演の言葉。
 琉球新報は復帰後50年で米軍構成員等(米軍人、軍属、その家族)の刑法犯による摘発は6109件、摘発者は6018人に上ること、そのうち殺人や強盗、強制性交等の凶悪犯の摘発は584件、757人に上り、強盗が398件553人、強制性交等が134件157人であることを4月28日伝えている。また、同紙と沖縄タイムズは近年の在沖米軍と米兵に関わる犯罪・事件・事故の記事を項目ごとに伝えるページを、ウェブサイトに設置している。
 日本の他のどの地域でも、これだけの米軍・米兵に関わる事件・事故が記録されているところはない。しかしこれらは「氷山の一角」でしかなく、米兵による交通事故の多くは「公務中」を理由として日本側の捜査権の外に置くなど日米地位協定の規定に基づき県警の捜査の対象とされないまま米軍内で軽微な処置で済まされてきたことは、様々に指摘されてきた。
 1959年6月30日石川市(現うるま市石川)の宮森小学校米軍ジェット機墜落炎上による死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)を出す事故や、2016年12月普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが名護市安部の海岸で墜落、大破事故など米軍機墜落事故は、昨年までで沖縄で49件、年1回ペースで最多はF15の10件、さらに墜落に至らない不時着事故は沖縄県の8年前の調査で、固定翼機411件、回転翼機58件に昇っている。
 玉城知事が指摘するように、沖縄はかつて琉球王国(1429年~1879年)であり、東アジアの架け橋として五代尚泰久王は「万国津梁の鐘」を製作して交易による繁栄を願い、国際交易によって中国やアジアそして西欧世界からもLequio Maior=「大琉球国」と呼ばれて平和国家として繁栄した。オランダの地理学者オルテリウスが制作した世界地図にも、日本の南西に伸びる島々には“Lequio maior”(大琉球)、“Lequio minor”(小琉球)と記され、それぞれが沖縄と台湾を指しているとされる。
 明治維新後琉球王国は1872年「沖縄藩」とされ、さらに1879年明治政府は「琉球処分」によりそれを「沖縄県」としたが、それに反発する沖縄の人びとと従来の冊封関係維持を求める清国への対処として明治政府は1880年北京での交渉において、清国内の通商権と引換えに宮古・八重山諸島を清国領とする「分島改約論」さえ提起している。この、沖縄をゲームのカードか捨て石のように扱う無慈悲で浅薄な姿勢は、沖縄が太平洋戦争時の国内唯一の地上戦とされ甚大な被害に見舞われたときも、敗戦後沖縄を日本から切り離し米軍施政権下に置く事にも遺憾なく発揮された。そしてそれは沖縄「返還」後50年経っても、いまなお米軍基地の7割を沖縄に押し付け続ける姿勢に引き継がれている。
 「同じ民族」としながら隣国ウクライナを残虐に侵略するプーチンを大統領とするロシアの人びとと同じく、わたしたち日本人にはこの百数十年日本という国が沖縄に行ってきたことに正対して向き合うことが、歴史的にも道義的にも求められている。
《沖縄が日本に復帰して5月15日で50年となるのを記念したシンポジウム「沖縄復帰50年を問い直す」(毎日新聞社、琉球新報社、一般社団法人アジア調査会共催、BS−TBS後援)が4月28日、東京都内で開かれ、玉城デニー・沖縄県知事らが基調講演した。玉城氏の基調講演の要旨は次の通り。
 ◇ ◇
 沖縄は日本本土に復帰後、目覚ましい発展を遂げた。人口は復帰当時から1.5倍となり、社会インフラの整備も進んだ。県民総所得は名目上で1972年度の5000億円から、2018年度には4兆7000億円と約10倍に増加した。
 だが、米軍基地は沖縄経済をフリーズ(凍結)させている要因だ。沖縄の経済的発展を目指す上でも、米軍基地のさらなる整理縮小は当然だ。
 復帰50年がたっても、県民が最も望んでいた「基地のない平和な沖縄」はいまだ実現されていない。米軍専用施設の面積は全国の70.3%が沖縄に集中し、沖縄本島の面積の14.6%を占める。米軍人・軍属による犯罪、訓練や演習に伴う事故、日常的な航空機騒音による健康被害など現在でもさまざまな問題が発生している。
 復帰50年という長い時間が経過しても、基地が県民の安全安心を脅かす状況は変わっていない。この状況を変えていきたい。取り組むべき課題には、日米地位協定の抜本的な見直しも含まれている。
辺野古移設は容認できない
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、沖縄県は反対を続けている。19年2月の県民投票で投票総数の71.7%が「埋め立て反対」と明確に示されたが、日米両政府は「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えず、県民の思いを顧みることなく工事が強行されている。辺野古移設では普天間飛行場の一日も早い危険性の除去にはつながらない。
 中国の軍事力強化、台湾海峡を巡る緊張、ロシアのウクライナ侵攻など、日米安全保障体制の必要性や日本の安保環境が厳しさを増していることは十分に理解している。それでもなお、米軍基地負担の沖縄への集中は異常だと言わなければならない。
 沖縄は地理的特性を生かして、琉球王国の時代からアジア各地と交流し、国々との懸け橋となることを目指してきた。米中の対立が続き、台湾海峡の緊張が注目される現在、緊張緩和や信頼醸成は待ったなしで取り組むべき喫緊の課題であり、その積極的な役割を担いたい。アジア太平洋地域の安保環境を改善することで在沖米軍基地の整理縮小が可能な環境を作り出し、沖縄がさらに発展し、地域全体の安定や発展にも貢献し、日本経済にも寄与する好循環をつくる。これが我々が目指す道だ。》



2022年 5月14日
「日本政府と企業は、主流メディアの管理に日常的に圧力をかけています。その結果、汚職、セクハラ、健康問題(Covid-19、放射線)、汚染など、デリケートと見なされる可能性のあるトピックに対する厳しい自己検閲が発生します」NGO「国境なき記者団」5月3日
「国際的なジャーナリストの団体が世界各国の報道の自由度に関することしの報告書を発表し、日本は「強まっている大企業の影響力がメディアに自己検閲を促している」として去年から順位を4つ下げて71位でした」NHK「報道の自由度 日本 世界71位 “大企業の影響力 自己検閲促す”」5月4日
「日本についてRSFは、大企業の影響力が強まり、記者や編集部が都合の悪い情報を報じない「自己検閲」をするようになっている国の例として韓国やオーストラリアとともに言及した」毎日新聞「報道自由度、香港80位から148位に大幅後退 日本は71位」5月3日
「国際ジャーナリスト団体の「国境なき記者団」が世界各国の報道自由度ランキングを発表しました。日本は71位で、ロシアは「非常に悪い」に分類される155位に順位を下げました。ーーー一方、日本も去年から4つ順位を下げて71位でした。政府などからの圧力で厳しい自己検閲が生じているとしています」テレビ朝日「報道自由度ランキング ロシア「非常に悪い」155位に下落」5月3日
 2014年7月の「クローズアップ現代」国谷キャスターによる菅義偉官房長官への集団的自衛権に関するインタビューに対する安倍官邸の介入とのちのキャスター降板をはじめとする、政府による「日常的な圧力」を受け続けるNHKが、「国境なき記者団」が公表した「報道の自由ランキング」をめぐって、介入主体の「日本政府」を省いて報道するという、まさに「自己検閲」をみずから証明して恥じない報道ぶり。日経や毎日も「パリ共同」でやはり「日本政府」を省略した同じ文で、唯一の例外はテレビ朝日。
 他国への侵略戦争と一般市民の殺害や拘束などの重大な人道犯罪が、国内の厳しい言論・報道統制と不可分のありようであることは、今のロシアによるウクライナ侵攻やかつてのナチスドイツやこの国の歴史からも明らか。
 政府による報道への統制と介入そしてそれを理由に日常的に自主規制する報道機関の姿勢は、真実を追求すべきジャーナリズムや報道の自由を侵害するだけではなく、医療、環境そして戦争などでその国と世界の重大な危機を招く。そのことを、報道に関わるものも私たち市民も、肝に銘じるべきだろう。
《日本
議会制民主主義である日本は、一般にメディアの自由と多元主義の原則を尊重しますが、伝統とビジネス上の利益のために、ジャーナリストが監視役としての役割を果たすことを完全に妨げることがよくあります。
メディアの状況
日本では、伝統的なメディアはニュースのウェブサイトよりも影響力があります。主流の新聞と放送局は、読売、朝日、日本経済、毎日、フジサンケイの5つの主要メディアコングロマリットが所有しています。読売と朝日は世界で最も新聞発行部数が多く、それぞれ1日700万部と500万部です。同時に、日本放送協会(NHK)は世界第2位の公共放送です。
政治的背景
2012年ナショナリストの権力の台頭以来​​、多くのジャーナリストは彼らに対する不信、さらには敵意の風潮について不平を言ってきました。確立された報道機関が政府の行事にアクセスし、当局者にインタビューすることのみを許可する「記者クラブ」(「レポーター」クラブ)のシステムは、ジャーナリストを自己検閲に誘導し、フリーランサーや外国人レポーターに対する露骨な差別を表しています。
法的枠組み
2021年に制定された漠然とした言い回しの規制は、ジャーナリストを含む一般市民の、福島発電所などの「国家安全保障上の利益」と見なされる防衛施設やインフラストラクチャの近くの特定の地域への立ち入りに、2年の懲役および/または最大200万円(約18,240米ドル)の罰金を科す。政府はまた、「特別に指定された秘密」を保護する法律を改正することを拒否している。この法律は、最長10年の懲役で「違法に」入手した情報の公開を罰する。
経済的背景
この世界で最も高齢化した国では、紙を中心としたモデルが依然として主要な経済モデルですが、視聴者の減少により、その将来は不透明です。日本には新聞と放送局の持ち合いに対する規制がないため、メディアが極端に集中し、2,000人を超える記者がいることもあるかなりの規模のメディアグループが成長しています。
社会文化的文脈
日本政府と企業は、主流メディアの管理に日常的に圧力をかけています。その結果、汚職、セクハラ、健康問題(Covid-19、放射線)、汚染など、デリケートと見なされる可能性のあるトピックに対する厳しい自己検閲が発生します。 2020年、政府は記者会見に招待されるジャーナリストの数を劇的に減らし、Covid-19の健康対策を言い訳にし、重大な国家危機の場合は「指示」に従うことになっている組織のリストに公共放送NHKを含めました。
安全性
日本のジャーナリストは比較的安全な職場環境を楽しんでいますが、「中傷的」と見なされるコンテンツをリツイートしただけで政治家に起訴された人もいます。ソーシャルネットワークでは、ナショナリストグループは、政府に批判的なジャーナリストや、福島の災害によって引き起こされた健康問題、沖縄での米軍のプレゼンス、第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪などの「反愛国的な」主題をカバーするジャーナリストにも日常的に嫌がらせをしています。》「国境なき記者団」5月3日


2022年 5月13日
「深い悲しみ、深い恐怖の念を覚える。この悲惨な状況は人間ができる最悪のことを示している。世界から大量破壊兵器を廃絶しなければならない。この街はそれが急務であるとまざまざと思わせる」「(ウクライナ侵攻は)世界全体で核のリスクを危険なまでに高めている。世界のリーダーたちは(広島の)歴史を理解し、世界の平和、安全保障のために正しい決断ができることを願う」」EUミシェル大統領13日
「核兵器が存在する限り、人類は甚大な危機におびえ続けなければならない。訪問を機に、核兵器廃絶を願う『ヒロシマの心』を多くの人に伝えてほしい」松井一実広島市長
 今日被爆地広島の原爆資料館を訪れ原爆慰霊碑に献花したEUミシェル大統領と松井広島市長の言葉。
 冷戦終結後も「核抑止」などという迷妄な論理で米ロなどに莫大な核兵器保有を許してきたことが、今日の核超大国ロシアが核使用の恫喝を背景に隣国ウクライナを侵略するという事態を招いている。核兵器を保有する国の政治指導者が、常に冷静沈着で合理的、倫理的な思考と判断ができるという保証はどこにもない。
 77年前に「人間ができる最悪のこと」を経験した唯一の被爆国である日本こそ、「核共有」「核ミサイル配備」などではなく世界の核廃絶の先頭に立つべき厳粛な義務を有することを示している。日本政府は率先して核兵器禁止条約を署名・批准し、世界の核兵器削減と廃絶に尽力すべき。
《欧州連合(EU)のミシェル大統領が13日、広島市を訪れ、原爆資料館を視察し、原爆慰霊碑に献花した。ミシェル氏はウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領が核兵器の使用に言及したことについて、「恥ずべきで許しがたい」と非難し、被爆地から「世界の平和を守り、強化しなければならない」と訴えた。
 2月にロシアがウクライナに侵攻して以降、国家元首級の広島訪問は初めて。ミシェル氏は滝川卓男館長の案内で資料館を約45分、見学し、原爆がさく裂した瞬間の広島の様子を再現した展示などに見入った。芳名録に記帳した後、報道陣を前に声明を発表。広島と長崎への原爆投下について、「深い悲しみ、深い恐怖の念を覚える。この悲惨な状況は人間ができる最悪のことを示している」と感想を話し、「世界から大量破壊兵器を廃絶しなければならない。この街はそれが急務であるとまざまざと思わせる」と述べた。
 ウクライナ侵攻については、「世界全体で核のリスクを危険なまでに高めている」とし、「世界のリーダーたちは(広島の)歴史を理解し、世界の平和、安全保障のために正しい決断ができることを願う」と求めた。
 ミシェル氏は原爆慰霊碑に献花した後、松井一実市長と懇談。松井氏は「核兵器が存在する限り、人類は甚大な危機におびえ続けなければならない。訪問を機に、核兵器廃絶を願う『ヒロシマの心』を多くの人に伝えてほしい」と語った。ミシェル氏も「展示を見て非常に心が動かされた。政治的な行動を取らなければならないという勇気が湧いた」と応じた。【中村清雅、手呂内朱梨】》



2022年 5月10日
「ロシアのために、正義の戦いで英雄的な死を遂げた戦友を悼もうではないか。1分間の黙とうをささげよう。(1分間の黙とう)兵士や将校、一人ひとりの死は、われわれ全員にとって悲しみであり、その親族と友人にとって取り返しのつかない損失だ。国家、地域、企業、そして公的機関は、このような家族を見守り、支援するために全力を尽くす。戦死者や負傷者の子どもたちを特別に支援する。その旨についての大統領令が、本日署名された」5月9日戦勝記念日プーチン
「ロシア政府は、戦死者の数を正式に発表して弔意をあらわしたことのない政府だ。戦死者も負傷兵も戦場に残されたまま、「行方不明」とされて終わりだ」ロシア「兵士の母の会」ヴァレンチナ・メリニコワ会長
・「母の会」にも手紙がたくさんきている。ある女性は、「自分たちにはチェルニヒウに親戚がいる。もし息子がウクライナに送られることになったら耐えられない」と書いてきた。以前はロシアにもジャーナリズムがあったから、情報発信の場があったが、いまは会の活動を広報する場もないため、兵士の母親や妻たちはどこに照会していいのかわからない。捕虜になったか、戦死したのか、国防省に照会しても取り合ってくれない。ようやく国際赤十字委員会がその作業を肩代わりし始めたところだ。
・今回は今までの紛争や戦争と大きく異なっている。まず戦闘の範囲がずっと広い。両軍の兵士の数が多い。そして破壊の程度がすさまじいことだ。チェチェン紛争でも首都グローズヌイは廃墟になったが、長い時間をかけてのことだった。
・以前は「母の会」が捕虜になった息子たちを連れ戻したこともある。ロシア軍も協力的だった。しかし今は何もかもが違っている。この活動を30年やっていて、初めて恐怖を感じている。プーチン大統領が核の使用さえちらつかせて脅しをかけているからだ。
・今でもモスクワの軍幹部とはコンタクトがあるが、わたしたちが持っているロシア軍の死傷兵リストは、ウクライナ側が提供してくれたものだけだ。IDナンバーやデータも正確だ。IDバッヂもある。チェチェン紛争の時はIDバッヂがなかったため、兵士の遺体は誰かわからないままグローズヌイの街路で野ざらしになっていた。
・1月の演習時には兵員数はつかめていたが、今の兵員数はわからない。損害が大きくてロシアに戻った部隊も多いからだ。わたしたちはロシア軍中央医療局に、戦場に出た兵士たちの心理的なリハビリの実施を依頼しているところだ。
・(ロシア軍兵士の死者数は)正確にはわからない。ウクライナ側から提供されたリストしかない。そこには名前もあるので信頼できる情報だと思う。住民のための人道回廊が話題になっているが、死んだ兵士や捕虜を回収する、戦場の人道回廊、一時的な停戦が必要だ。遺体は戦場に残されたままになっている。不思議なことにロシア側がウクライナ軍の死者をどうしているのか、捕虜をどこに収容しているのか、まったく明らかになっていない。明らかにすべきだ。
・ロシア国内でウクライナの戦場の実態が伝えられていないからだ。もし戦場の動画がアップされ、テレビでも流れるようになればはじめて気づくのだろう。ある地方の18歳の徴集兵たちがまとめて部隊に入れられ、どこか戦場に送られるのを知って、母親たちはようやく、何か変だ、と情報交換をするようになり、事態が急変してからやっと、まとまって市や州やモスクワに陳情にいくことになる。それぞれがバラバラである間は動かない。
・ロシア政府は、戦死者の数を正式に発表して弔意をあらわしたことのない政府だ。戦死者も負傷兵も戦場に残されたまま、「行方不明」とされて終わりだ。わたしは、早急に死者の遺体、捕虜の交換をすべきだと思う。十字架を立ててやれないまま、名もなく朽ち果てていくことを見過ごすわけにはいかない。
・ウクライナの「不明兵士家族連絡会」との接触は2014年から続いていて、今もZoomで連絡を取り合っている。しかし捕虜の交換にはウクライナ兵の捕虜がどこに何人いるのか、ロシア側が明確にする必要がある。「いない」というのなら、ロシア軍が銃殺したのだろう。
・今回の「特別軍事作戦」で死亡した兵士の家族には500万ルーブル(約690万円)が一時金として支払われることになっている。保険金、補償金としては家族に742万ルーブル(約1023万円)が支払われる。合計で1242万ルーブル(約1713万円)だ。国防省が保険をかけている。また負傷の程度に応じて保険も支払われる。しかし国防省に資金はない。多くの人は「行方不明」とされ「死亡」したかどうかわからないままになってしまう。
・わたしは停戦協議のロシア側、ウクライナ側双方に失望している。双方とも国際法や戦争法の知識がない。共感力もない。わたしたちは国際社会の支援を望んでいる。状況は大変困難だ。大統領府や人道機関からの反応がゼロなのだ。2002年までは、プーチン大統領の軍事顧問と直接電話で話すことができた。捕虜の交換が必要な時は軍事顧問に電話して、実現したこともあった。それ以降の20年間、誰に電話したらいいのかわからない。
・ロシア側の停戦協議の代表がメジンスキー(大統領補佐官)だと知って驚いた(註:メジンスキーは人権や仲裁には無縁の超保守派の人物として知られている)。人間の生死にかかわる場合には、この状況の中に飛び込む、という感受性が必要だ。遺体を葬ってあげたい、捕虜を故郷に返してやりたい、という意欲が大切なのだが、停戦協議のメンバーにそういったものはまったく感じない。
・「母の会」が戦争を止めることはできない。一歩一歩できることをやるしかない。わたしたちは本能で活動している。チェチェン紛争当時の1995年には全ロシアでたくさんの「母の会」が作られた。チェチェン側にもロシア側にも医薬品や食料などを届けることができたし、州知事たちもバスやクルマを用意してくれた。
・戦争を止めることができるのは軍最高司令官のプーチンだけだ。しかし今回の「特別軍事作戦」の大統領令さえ、わたしは見つけけることができなかった。極秘にされているのだ。
・心配なのは、捕虜となったウクライナ兵にロシアが何をしているかだ。もしルハンシクで虜囚にしているならとんでもないことだ。ロシア国内に捕虜として連れてきているのなら、救えるチャンスはあるかもしれない。だが、誰に問い合わせても回答がない。
・2014年にプーチンがクリミアを急襲し、併合したときも、わたしたちは西側に警告を発したのに、欧州議会や人権団体は耳を貸さなかった。「ロシアと事を構えたくない」と当時も言っていた。「ロシアとは合弁事業がたくさんあるから」と。そしてこうなってしまった。(ロシア「兵士の母の会」ヴァレンチナ・メリニコワ会長)
 自らが引き起こした隣国への無謀極まる侵攻によって、相手国の一般市民や兵士だけでなく自国の兵士・将校にも甚大な被害を生みながら、ひたすらその侵攻を正当化し、実数も定まらない戦死者を悼む振りだけは取り繕う、自らは最前線に立つことを絶対にしない愚かしい最高司令官。
 ロシア独立系メディア「Скажи Гордеевой」によるロシア「兵士の母の会」ヴァレンチナ・メリニコワ会長インタビューを翻訳・紹介した記事からは、自国の兵士だけではなく相手国兵士の人命や人道的な取扱いへの懸念も併せ持つ深い思いと、この侵攻へのプーチンそしてそれを止められなかった欧州への強い憤りが伝わる。
 ウクライナ侵攻によるロシア兵の損害について、3月20日、政権寄りのタブロイド紙コムソモリスカヤ・プラウダのウェブサイトがロシア国防省関係者の話として、ロシア軍の死者を9861人、負傷者を1万6153人と報じたがすぐに削除され、3月25日ロシア国防省はウクライナ侵攻で自国軍の兵士1351人が死亡、3825人が負傷したと発表して以来、ロシア兵士の損害を更新していない。
 イギリスのウォレス国防相は4月25日英議会下院での証言で、英国の分析ではウクライナ侵攻開始以降のロシア軍の死者数は約1万5000人、戦車500台あまりを含む装甲車2000台以上、ヘリコプターと戦闘機あわせて60機が破壊されたと述べている。
 ロシア軍が撤退したキーウ近郊などウクライナの多くの地域で、小型誘導弾などによって大破し砲塔も吹き飛んだロシア軍戦車などが多数放置されているが、「戦死者も負傷兵も戦場に残されたまま、「行方不明」とされて終わり」とメリニコワ会長が述べるように、亡くなった乗員は放置されたままではないか。
 「行方不明」とされた兵士は、ウクライナの国土や破壊された戦車などに放置されたまま、9日プーチンが述べた「支援」の対象にもならない。ロシアがこのままこの無謀な侵攻を続ければ、「十字架を立ててやれないまま、名もなく朽ち果てていく」甚大な損害がさらに増えるだけ。
《ロシアがウクライナ侵攻で苦戦している理由として、ロシア兵の未熟さ、士気の低さがよく俎上に上る。前線に送られる若きロシア人兵士がどのように生み出され、どんな実情に晒されているのか、ロシア「兵士の母の会」ヴァレンチナ・メリニコワ会長のウェブテレビのインタビューでよく分かる。
今回掲載するのは”Skazhi Gordeevoy”と”Popularnaya Politika”にアップされたロシア語のインタビューを筆者がまとめたものだ。
「兵士の母の会」は、ソ連時代、ペレストロイカの流れの中で作られた、軍隊での人権侵害の実態を公表して兵士の権利と尊厳を守るための団体が母体となっている。1994年チェチェン紛争が始まるとロシア全土に草の根的に広がり、捕虜の交換に積極的な役割を果たしたり、消息不明の兵士の生死を軍に照会したりするなど、ロシア社会に反戦の機運を高めてきた。紛争地帯に赴いて人権状況を査察するなど、大きな信頼が寄せられている。
まず、前提としてロシアでは毎年、春と秋の二度に分けて、18歳から27歳までの男子を徴兵する。兵役期間は1年で、大学に在籍する者は徴兵が免除されるが、大学での軍事教練が必修となっている。今年は、ウクライナとの戦争を理由に、4月1日に総動員令が発せられるのではないかと懸念されていたが、7月15日までに例年並みの13万4500人を徴集することを目標とした。
徴兵対象者は、すぐに軍事作戦に送られることはないとされていて、プーチン大統領も約束したのだが、すでに多数の徴集兵たちがウクライナの最前線に投入されて犠牲となっていることが確認されている。また、入隊契約に署名した場合には職業軍人として扱われる。兵員不足から、署名への強制的な圧力が強まっていると言われている。一方で、いわゆる志願兵は入隊契約に署名し職業軍人として扱われる。
「兵士の母の会」のメリニコワ会長はインタビューで、こうした徴兵、軍務契約の実態と懸念について詳細に答えている。
(文中、1ルーブルは4月2日6時現在の1ルーブル=1.38円で計算)
ANN 元モスクワ支局長 武隈喜一
===以下、「兵士の母の会」メリニコワ会長のインタビュー===
◆戦闘員の実態について
徴兵対象者が前線に送られることはないというのは誤解だ。数カ月後には前線に送られる可能性がある。以前から、徴兵対象者に圧力がかけられ入隊契約を結ばされることがあった。心理的圧迫や、時には暴力で契約書に署名させられるケースが跡を絶たず、特に最近はこうした、「本人の意思」でない入隊契約が増えている。ーーー



2022年 5月 9日
「全ての侵略は自衛の名目で行われるからこそ、先制攻撃を禁じる9条がある。ナチス・ドイツの指導者ヒトラーも大日本帝国も、自衛と称した先制攻撃の末に滅びた」「イラクで死んだ米兵もウクライナで死ぬロシア兵も、米ロが9条を持たないゆえの犠牲者。自衛の名で侵略する権限を、時の権力者に与えないという憲法の知恵は深く尊い」日本総合研究所 藻谷浩介主席研究員
「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」エマヌエル・カント『永遠平和のために』
 政治体制として共和制、世界市民法の確立、国家間での国際法遵守と共に「常備軍の全廃」を唱えたカント「永久平和のために」は1795年、現カリーニングラード、当時のプロイセン公国発祥の地ケーニヒスベルクでのフランス革命戦争時18世紀末の著作。
 そこは第二次対戦後ソ連・ロシアの支配下にあるが、21世紀の現在、世界で戦争を起こさない・起こさせない唯一の方法は、米露をはじめ軍事大国が核兵器を含めて軍備管理・軍縮を徹底して他国への侵攻の手段を持たないようなすること。その歴史の最前線に今わたしたちはいる。
《ロシアによるウクライナ侵攻を受け、自民党や野党の一部から、憲法改正を主張する声が高まっている。有事の際に自国を守るのは当然だが、そのために「不磨の大典」と呼ばれる憲法に手を加えることは不可欠なのだろうか。論客2人に現状への見方や提言を聞くと、辛辣な意見が返ってきた。(共同通信=岩橋拓郎、草加裕亮)
 ▽強まる加憲論
 まず、憲法改正を巡る現状を見てみよう。憲法の中でも、平和主義を規定した9条の扱いが争点になることが大半だ。9条は1項で戦争放棄、2項で戦力不保持と国の交戦権否定を定めている。自民党は2012年、2項を全面改定した憲法改正草案を策定し、「国防軍」の保持を明文化した。2017年には、当時の安倍晋三首相が1、2項を残しつつ自衛隊を明記する改憲案を提起。国論を二分する議論に発展した。
 保守派の作家・評論家古谷経衡さんによると、保守派の改憲論議では2項の削除ないし改定論が伝統的に支持されてきた。最近では、自衛隊の存在を追加するとの安倍氏のいわゆる加憲論が主流になりつつあるという。「9条全てを書き換えたいというのが保守派の本音ですが、他党との関係を考慮し、現実的には安倍氏の主張が受け入れられてきています」と解説する。ーーー



2022年 5月 8日
日記がわりに。
週末二日続けて晴れ。昨日は三宮に出て乙仲通りのDay's kitchinでジェノベーゼピザとkokosikaでコーヒーをいただき、阪急地下で長ハゲなど買って帰宅。タモリという魚もあった。
今日も陽気に誘われて西宮北口を訪ね、地元の開店45年という店Ryuryuに11時15分に行くとすでに満席。程なく入れてジェノベーゼパスタがやはり美味しい。
横手の空き地でよく草野球をしていた旧阪急球場跡地の西宮ガーデンズ手前の高松町に、かつて小学校時代の友人二人が住んでいたことを思い出し、しばらく界隈を歩く。家並みは震災で変わったが、路なりは昔と同じなのだろう。食材買って2時過ぎには帰宅。週後半から天気は下り坂予報。



2022年 5月 6日
「(どういった場合に反撃するかについて)相手側の攻撃が、明確に意図があって、既に着手している状況であれば、判断を政府が行う」安保調査会長を務める小野寺五典元防衛相
第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(国際連合憲章)
・少し想像してみるといい。今年2月にロシア軍がウクライナに侵攻する前、アメリカ政府は「ロシア軍がウクライナ侵攻を準備している事実」を正確に探知し公表していた。もしあの時点で、ウクライナが「自国が攻撃される予兆を捉えた」と言ってロシア国内のロシア軍の一部を攻撃していたらどうなったか。
 国際社会はウクライナの行動を「国際秩序の破壊」として厳しく非難しただろう。そして、自衛権の行使というポジションを得たロシア軍が、ウクライナ軍に対する「国際法で正当と見なされる全面報復」を開始しても、今のような国際的支援をウクライナは得られなかっただろう。国連も味方しない。
 自民党安倍グループや元自衛隊の将官が、調子に乗ってほざいている「専守防衛の放棄と反撃能力の保有」とはこういうこと。外国の攻撃も受けていないのに「攻撃される前に攻撃して潰す」というのは明白な「外国への先制攻撃」であり、憲法違反かつ国際法違反。メディアはたわごとを宣伝するな。(戦史・紛争史研究家 山崎 雅弘氏)
 「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えても、自民党安保調査会「提言」の中身は、日本国憲法はおろか国際連合憲章をも重大に毀損する「先制攻撃」を可能とする実に稚拙な暴論に過ぎない。
 これを元防衛相や元首相らが何の躊躇もなくおこなっていることに、この国の政権与党の国際政治と法治主義に対する最低限の知識とモラルの欠如が如実に表れている。
 秘書らが「安倍が公職選挙法上で規制されている有権者に対する寄付を行ったなどとして問題視されかねない」と当然にも認識していた「桜を見る会」前夜祭の費用負担を、「契約主体はあくまで参加者個人」「事務所は関与していない」「明細書は無い」「差額は補塡していない」などと、公職選挙法に照らして確認すればただちに虚偽とわかる愚かしい説明を、国権の最高機関たる国会で118回も繰り返したものとそれを8年間も首相に担ぎ続けた政党の愚かしさと同じ問題。
 しかしその先制攻撃の結果は、国内政治と選挙の公正・公平と政治倫理の凋落にとどまらず、国際社会における孤立と多大な人命の犠牲を生じさせる最悪なものとなる。こういう政党に政権を担当させるのは、「同じ夢を見ている」プーチンのロシアと同じ苦しみを国民と相手国民そして世界にもたらすだけ。
《憲法に基づく専守防衛の原則に反する恐れもあるとの指摘があった「敵基地攻撃能力」を、自民党が「反撃能力」という言葉に置き換えて保有することを岸田文雄首相に提言した。攻撃を受けていない段階で「反撃する」と受け取れる内容だが、被害がないのに反撃するとはどういうことなのか。防衛用語をめぐる微妙な言い回しの背景とは。
「着手」とは
 「反撃能力」は、自民党の安全保障調査会が4月27日に岸田首相に提出した提言に盛り込まれた。「弾道ミサイル攻撃を含むわが国への武力攻撃に対する反撃能力の保有」により、「攻撃を抑止し、対処する」ことを求めている。
 敵のミサイル基地などへの攻撃は、これまでも「敵基地攻撃能力」として自民党内などで議論が続いてきた。
 今回、新たに言葉を変えたことについて、安保調査会長を務める小野寺五典元防衛相は「わかりやすく表現できるとすればこの言葉ということで、最終的にさせていただいた」と説明した。
 どういった場合に反撃するかについて、小野寺氏は「相手側の攻撃が、明確に意図があって、既に着手している状況であれば、判断を政府が行う」と話し、敵が攻撃に着手したと認定すれば攻撃が可能とした。
 ただ、肝心の「着手」が何を指すかは明らかにされていない。防衛省関係者の間で想定されている事態は次のようなものだ。
 一つは「弾道ミサイルが発射され、あと5分で日本に着弾する」という状況だ。その時点ではまだ被害は出ておらず、日本はまだ攻撃は受けていない。だが、相手国は発射という攻撃をすでに行っているとみなす。
 もう一つは、弾道ミサイルは発射されていないが、燃料の注入が終わり、発射準備が整っているという状況だ。発射に向けた一連の準備を含めて攻撃と位置づけ、すでに攻撃が始まっていると認定するというものだ。
 ただ、相手が発射していない段階で攻撃すれば憲法との整合性を問われかねない。今回の言い換えについて、防衛省内には「専守防衛のイメージにつながる『反撃』という言葉を前面に出し、国民の批判を避けようとしているのでは」との見方もある。
 今回の提言を踏まえ、岸田首相は国の外交・安全保障政策の基本方針「国家安全保障戦略(NSS)」などを年内に改定する方針だ。どういう事態で相手に攻撃できるのかについても、今後政府内で詰めることになりそうだ。
 これに対し、武器取引反対ネットワークの杉原浩司代表は「『反撃能力』と言っても政府の一存で先制攻撃が可能になる。日本のこれまでの防衛政策を覆すものだ」と指摘。NSSの改定についても「本来なら、国民投票にかける必要があるほど重大なものだ。なぜ政策変更が必要なのか、堂々と主権者に明快な言葉で説明し、主権者の認識を問うのが筋ではないか」と話す。
防弾チョッキは「武器」? 「武器」じゃない?
 「反撃能力」に限らず、防衛用語は意味が取りづらいものが多い。ロシアから侵攻を受けるウクライナへの支援でも、そんな実態が浮かび上がった。
 外国への輸出を規制する「防衛装備移転三原則」は、「紛争当事国」に「防衛装備」を送ることを禁じている。だが、紛争当事国の定義が「国連安全保障理事会の措置を受けている国」などとされているため、ロシアと戦闘状態にあったとしてもウクライナには送ることができた。
 三原則が規制する防衛装備にあたるかどうかもわかりづらい。
 防衛装備とは「武器および武器技術」のこととされ、「武器」については外為法に基づく輸出貿易管理令でリスト化されているもののうち、軍隊が直接戦闘に使うものとしている。ただ、ウクライナに送るドローンはリストに含まれておらず、規制の対象外となるという。
 「武器」としてリストにあるのは防弾チョッキや防護マスク、防護衣だ。ただ、別の定義だとこれらは武器ではないという。
 政府が1976年にまとめた見解では、武器は「火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺傷し、または武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする器具、装置」としている。防衛省によると、これには弾薬は含まれないほか、ウクライナへ送った防弾チョッキや防護マスク、防護衣もあてはまらないという。
 武器の定義が二つあることについて、防衛省関係者は「両方に当てはまったり、一方にしか当てはまらなかったりするものがあり、ややこしくなっている」と認めつつ「どちらの定義の武器も含んだ装備品という言葉が使いやすい面がある」と言う。
 防衛装備移転三原則そのものも従来の「武器輸出三原則」を変更したものだが、防衛省によると、「装備品」を明確に定義した法令はない。
 ただ、防衛省設置法で、同省がつかさどる事務の内容として「装備品、船舶、航空機及び食糧その他の需品」に関することという一文があり、装備品は自衛隊が持つ物品のうち、船舶や航空機のほか、食料などの消耗品を除いたものと解釈される。この一文は、旧保安庁時代からほぼ変わっていないという。
 ちなみに「兵器」という言葉は、日本も締約する「化学兵器禁止条約」に位置づけられた「化学兵器」などで使うことがあるが、日本の法令上にはなく、自衛隊が持つものには使っていないという。
戦闘機が発着できても「空母」でない理由
 歴代内閣が保有できないとしてきた「攻撃型空母」にあたるとの指摘を、「多機能の護衛艦」と位置づけて濁している例もある。
 海上自衛隊が持つ船舶は、防衛庁時代の60年に制定された訓令で分類されている。それによると、船舶には「自衛艦」と自衛艦を支援する「支援船」の二つがあるとし、自衛艦は警備のために使う「警備艦」と警備艦を補助する「補助艦」に分ける。警備艦のうち、機動力が優れる「機動艦艇」とされるのが護衛艦と潜水艦だ。
 では、何が護衛艦に当たるのかと言えば、海上防衛の主力となる海自の護衛艦隊が使う艦艇は全て護衛艦であり、性能による分類はないという。ただ、現状の護衛艦は海外の駆逐艦やフリゲート艦といった機関砲を備えた戦闘艦艇の系統が当てはまる。基準排水量もコンパクトな2千トンから、「いずも」「かが」の1万9950トンまで様々だ。
 最大の護衛艦「いずも」「かが」は、最新鋭のステルス戦闘機F35Bが発着できるよう改修を進めることになっている。艦載する戦闘機の発着が可能な艦艇は、海外では空母とされるのが一般的だ。
 ただ、政府見解では憲法に基づく専守防衛で「攻撃型空母」の保有は認められないとしている。このため岩屋毅防衛相(2018年当時)は「他に母基地がある航空機を時々の任務に応じて搭載するのは、決して攻撃型空母には当たらない」と説明し、常時艦載しないので空母ではないとした。18年の中期防衛力整備計画では「多機能の護衛艦」と表現し、「空母」という言葉を避けている。
日報問題でも 防衛用語、なぜわかりづらい?
日報問題でも
 防衛をめぐる言葉の問題で過去に国会が紛糾したこともある。17年、南スーダン国連平和維持活動(PKO)で現地の状況が日報で「戦闘」と記されていることが明らかになり、大きな問題となった。
 PKO派遣の根拠は1992年に成立したPKO協力法だ。同法は、派遣する場合は紛争当事者間で停戦合意が成立しているなどの参加5原則を満たす必要があるとしている。
 だが戦闘が行われているとしたら停戦合意が崩れており、違憲ではないのか――。そんな野党の指摘に対し、政府は日報で記述された戦闘について「法的な戦闘行為ではなく武力衝突」と答弁した。
 このとき説明に使った「戦闘行為」は、周辺事態法が「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」と定義する。政府としては停戦合意は続いていることから「戦闘行為」ではなく、あくまで散発的、偶発的な「戦闘」だったと整理し、わかりやすく説明するために「武力衝突」と言い換えたという。
 これについて、当時の論戦を知る防衛省幹部は「確かに苦しい言い換えだったかもしれない」と認める。「『戦闘』と『戦闘行為』という言葉が何度も出てくれば国民は間違いなく混乱する。そこで『武力衝突』と言い換えたが、余計に議論が紛糾してしまった」
 苦しい言い換えをせざるを得なかったことについて、この同省幹部は、「戦後、日本はある面で軍事を遠ざけてきたところがある。わかりやすい言葉を使えば、国民の批判にもさらされる」と打ち明ける。
 日本の防衛政策は、常に憲法9条との兼ね合いが問われてきた。「憲法には理念しか載っておらず、何がどこまでできるかの明確なルールが書いていない。そこで仕方なく解釈をこねくり回し、新たに法律を作るなどして、ギリギリのところで何とかやってきたというのが実態だ」(同省幹部)
 ただ、それは一方で、言葉の解釈によって批判をかわし、実情を見えづらくさせているとも受け取れる。別の防衛省幹部は「言葉でごまかしつつ、力を高めるというやり方はもうやめるべきだ。国民にきちんと説明し、日本がどんな力を持つべきなのか、そもそも必要なのかを国民の間で議論することが大切ではないか」と話している。(成沢解語)》



2022年 5月 5日
日記がわりに。
5月2日アシスト車で六甲道に下り、灘温泉に浸かり食材買って帰宅。
昨日は久しぶりにミニベロで六甲川、厳島神社、五毛天神を下り王子公園横を過ぎると、3年ぶりに制限なしのGWのためか入園前に1時間という長蛇の列だが、子供たちは楽しそう。
生田川沿いをメリケンパークまで降りてHajiを尋ねると、テラス席は予約で満席とかで、唯一室内の6人用テーブルが空いていた。早めにおいしいサラダランチをいただきドック沿いを回って賑わうumie周辺を巡ってコーヒー。
午後に港沿いを北上してこれも久しぶりにHATなぎさの湯に浸かり、そのあと自転車を漕いで水道筋のスーパーで食材買い、あとはひたすら坂を登ると汗でもとの木阿弥。GWはひたすら地元で過ごす。





2022年 5月 3日
「契約主体はあくまで参加者個人で、主催者である後援会の収入支出は一切ない」2020年2月6日
「事務所は関与していない」70回、「明細書は無い」20回、「差額は補塡していない」28回、衆院本会議で計118回の虚偽答弁。衆院調査局2020年12月21日。
「そして私は、マスコミ等に注目される中で、安倍に選挙区に在住する地元支援者ら有権者を夕食会に招待し、飲食の提供などを行うようなことをすれば、安倍が公職選挙法上で規制されている有権者に対する寄付を行ったなどとして問題視されかねないと考えました」
「平成25年4月に開催する夕食会の会費を一人当たり5000円と設定した当時から、その程度の会費を集めたところで、おそらくその会費の総額では、ホテルとの契約で決まる会場代などを含めた宴会一式全体の代金を賄うことはできないだろうとも思っており、その不足分を安倍側で補った場合、公職選挙法で規制された寄付に該当し、そのことが発覚して問題視されるおそれがありましたので、対策をよく考えておかなければいけないと思っていました」
「私がホテル側にホテル名義の領収証を発行してもらい、各参加者に手渡すこととしたのは、今お話ししたとおり、各参加者の便宜を図り、夕食会で会費を払ってもらっていることを参加者はもとより対外的にも示してアピールするためであり、夕食会に関する契約関係がホテル側と各参加者個々人の間にあることを装って会計処理をするというところまで考えていたわけではありませんでした」
「後援会が夕食会の主催者でしたので、あくまでも後援会とホテル側との間で飲食代や会場代、その他の費用など宴会全体にかかる1つの契約を締結するものと考えており、ホテル側と参加個々人との間で契約を結ぶなどといった意識は全くありませんでした」
「特に、私の経験上、ANAホテルなどの高級ホテルが請求してくる会場代や設備代といった名目の費用については、ホテル側の一方的な都合で請求金額の振れ幅が大きくなりがちであり、夕食会に関する契約交渉でもホテル側が最終的にどれくらいの金額を実際に請求してくるか読めないところがありましたし、新規で将来性の受注が見込めるような顧客であればまだしも、既に付き合いが長い安倍ないしその事務所のような顧客との関係では、ホテル側としては、値引き交渉などを積極的に受けることはないだろうという感覚を持っていました」
「そのため、私は、先ほどお話ししたように、夕食会の会費を5000円という金額に設定した当初から、夕食会全体の費用を参加者から集めた会費の総額では賄いきれず、その差額分について、主催者である後援会で負担することとなる可能性が高く、公職選挙法上の寄付にあたるのではないか、あるいは少なくともそういった疑念を持たれるおそれがあるのではないかという問題意識を持っていました」
「このように、私は、夕食会については、安倍の地元の選挙区である山口県第4選挙区や下関市内や長門市内などから、有権者たる安倍の支援者を集めて開催する宴会と認識していたため、とにかく公職選挙法上の寄付の問題については、シビアな問題となりかねないと当時認識していたのでした」
「要するに私は、公職選挙法で規制された寄付をしたと問題視されないようにする必要があり、その点において後援会の収支報告書に実際の収支をそのまま載せることはできないという問題意識はあったものの、実際にどのように後援会の収支報告書を作成するかという点については、ーーーどのような内容で後援会の収支報告書を作成すれば参加者に対する寄付だと騒がれないかといったことを含めて、配川とも検討してからでないと決めようがないという、いわば問題解決を先送りするような認識でいました」
「ただ、配川は配川で まあ、契約は東京でやってるんだから、請求書が来たら、そこも含めて考えてもらわんと  などと言って、まずは、議員会館事務所側でその問題の対策などを整理し、後々後援会として夕食会にかかる収支を収支報告書に載せる段階になって、公職選挙法上の寄付の問題で騒ぎにならないように対処してほしいという意味のことを伝えてきました」
「平成24年10月頃、朝日新聞が、当時、自民党総裁となった安倍に関し、地元事務所が作成、公表した、安倍が代表者となっている自由民主党山口県第四選挙区支部の収支報告書を丹念に調べ上げて、福岡市内のいわゆるキャバクラ店などの接待を伴う飲食店で支出が計上されていることを報じたことから、大問題となり、安倍も激怒して配川を厳しく叱責したという出来事もありました」
「そのようなこともあって、赤字となった夕食会の収支をそのまま収支報告書に載せた場合、寄付の問題が表面化しかねず、私と配川との間には、夕食会の収支をそのまま正直に収支報告書に載せて公表することなど到底できないという共通認識はあったと思うのですが、実際に収支報告書をどのような内容で作成するかといった点については、適法な打開策を見いだせなかったので、結局、きちんとした話し合いをしないまま、互いに相手に対応を任せるような形になってしまっていたのでした」
「このように、夕食会は、あくまでも後援会の主催で開催され、夕食会の会場となったホテル側との間では契約当事者も後援会であり、ホテル側との契約を担当していた議員会館事務所のAらは後援会の事務担当者として、ホテル側と夕食会の契約などを行っていたのでした。ーーーですから、夕食会の契約当事者は、あくまでも後援会とホテル側であり、参加者個々人とホテル側というようなことはありませんでしたし、先ほどもお話ししたとおり、夕食会の契約当事者がホテル側と参加者個々人であった、あるいはそのように装うために、ホテル名義の領収証を参加者個々人に渡すなどという考えも、当時の私には一切ありませんでした」
「その後、平成26年以降も、平成25年の時と同様の事前準備をするなどして、毎年後援会の主催で夕食会を開催していましたが、結局、差額分を負担する問題については解消しないままでいたものの、後援会の収支報告書についても、特に問題視されることはなかったので、その作成方法を配川と検討するということもしないままでいました」
「幸い、平成25年分から平成27年分の後援会の収支報告書に関して、夕食会の収支が記載されていないなどとして問題視されることもなかったことから、私は、本来であれば夕食会の収支を収支報告書に記載するために必要となるホテル側からの請求書などの帳票類を配川らに送らないことにしました」
「もちろん、安倍に対しては、私ども秘書らが不正な形で夕食会の経理処理をしたり収支報告書を作成していることなど伝えられるはずがありませんでしたから、夕食会において差額が生じていることはもとより、その差額を安倍側で補っていることなど一切伝えておらず、私が配川らに請求書などを送っていなかったといった実情についても一切伝えませんでした」
「この現金の使途や管理状況については、毎年年末に安倍に対してまとめて概略の報告はしていたものの、安倍から個別に指示があった支払は別として、一々安倍にあらかじめ了解を得たり報告をしたりはしていませんでしたし、当然のことながら、毎年後援会主催で開催していた夕食会においてホテル側への支払いが会費収入だけでは賄えず差額が生じており、その差額を議員会館事務所で管理していた現金で補っているということについても安倍には伝えていませんでした」   安倍晋三元首相の東京事務所の秘書(乙)の2020年12月11日付供述調書
「安倍氏に責任が及ばないよう、秘書たちが示し合わせている印象だ。公職選挙法違反の恐れがある問題を報告しないとは普通考えられない。プール金から何百万円も勝手に補填したのも不可解だ。やはり安倍氏が知らなかったとは思えない」上脇博之・神戸学院大教授(憲法)
「実態は明らかに公選法違反だ。結局安倍氏は何の責任も取らず、政治とカネを巡る法制度の見直し機運も高まらなかった。これだけの証拠が明らかになった今、再び安倍氏の責任追及に世論が高まるかどうか、この国の民主主義が問われている」 「『桜を見る会』を追及する法律家の会」の泉沢章弁護士
 今日は憲法記念日。8年間の首相在任中公職選挙法さえ理解できずに自らの地元有権者への饗応を毎年平然とつづけたものは、自国の憲法も理解・尊重できるわけがない。
 公設第一秘書が有罪とされたのは、後援会収支報告書の不記載だが、東京事務所秘書らが「桜を見る会」前夜祭で行い、心配したのはその費用補填が有権者への買収に当たるということ。
 まさに「君と僕は同じ夢を見ている」プーチンのロシアによるウクライナ侵攻の説明と同じく、「契約主体はあくまで参加者個人」「事務所は関与していない」「明細書は無い」「差額は補塡していない」は全て嘘。
 これは本来、公職選挙法違反の連座制で当選無効になるべき事象。しかし、2013年から19年まで地元有権者への不法な饗応を続けた当人は今に至るまで、何の責任もとっていない。そのような輩が語る「憲法改正」に何ら価値はないということ。
《「桜を見る会」前日の夕食会を巡る疑惑は、安倍晋三元首相の当時の秘書2人の供述調書などが検察庁から開示され、全容解明に一歩進んだ。だが今回の記録は、略式起訴された配川はいかわ博之元公設第一秘書の政治資金規正法違反事件に関する証拠に限られる。安倍氏は本当に秘書の不正を知らなかったのか、118回も虚偽答弁を繰り返した理由は何か、国民の政治不信を招いた事件への疑問は残ったままだ。
◆補填分700万円の原資は?
 安倍元首相は「桜を見る会」前日に開かれた夕食会の費用補填ほてん問題について、首相在任中、国会などで事実と異なる説明を繰り返した。
 会費5000円の金額設定に関して「800人規模を前提に、その大多数がホテルの宿泊者である事情などを踏まえ、ホテル側が設定した価格だ。価格設定通りのサービスが提供された」と説明。「事務所側が(差額を)補填したという事実も全くない」などと強調した。
 だが自らの不起訴処分後の20年12月、現職首相としての国会答弁が事実に反していたと認め、謝罪。発行がなかったと断言したホテルの明細書については「事務所の者に確認しても、明細書を見た記憶はないということだった」と変更し、「請求書を見て費用を支払った」と付け加えた。
 夕食会の費用を補填した約700万円の原資については、自分の預金を下ろして事務所に預けていた「手持ち資金」から支出したと語った。ただ補填の原資はなおも判然としていない。(村上一樹)
◆安倍氏の記録なし 検察の忖度?
 「安倍氏に責任が及ばないよう、秘書たちが示し合わせている印象だ」。告発人の上脇博之・神戸学院大教授(憲法)は、供述調書の内容を踏まえてそう語る。「公職選挙法違反の恐れがある問題を報告しないとは普通考えられない。プール金から何百万円も勝手に補填したのも不可解だ。やはり安倍氏が知らなかったとは思えない」
 秘書らの調書では、安倍氏の答弁については言及がなかった。また2020年末に東京地検特捜部が行った安倍氏への任意聴取の調書は開示記録になかった。
 自身も記録を閲覧した「『桜を見る会』を追及する法律家の会」の泉沢章弁護士は「国会を空転させた虚偽答弁の経緯は国民が知るべき情報だった」と強調。安倍氏の調書についても「共犯の可能性もあるのだから調書はあってもおかしくない。検察の『忖度そんたく』が働いたのでは」とみる。
 泉沢弁護士は、秘書らが当初から、補填が寄付に当たると違法性を認識していたことを問題視し「実態は明らかに公選法違反だ」と指摘。「結局安倍氏は何の責任も取らず、政治とカネを巡る法制度の見直し機運も高まらなかった。これだけの証拠が明らかになった今、再び安倍氏の責任追及に世論が高まるかどうか、この国の民主主義が問われている」と語る。(小沢慧一)
◆開示の申請、閲覧方法は?
 憲法の公開裁判の原則にのっとり、刑事訴訟法は「何人も、被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる」としており、略式起訴の場合もこの対象となる。確定後の記録は一審を担当した検察庁が保管。東京地検の場合は総務部の記録担当に申請する。
 確定が3年以上前の記録は「正当な理由」が認められない限り公開されない。許可が出るまでに通常数カ月かかる。閲覧には収入印紙150円が必要。被告や被害者などの当事者以外はコピーや撮影は不可。ノートやパソコンでメモを取ることは可能だが、東京地検では電源は使わせてもらえなかった。
 今回公開されたのは、起訴状や配川氏らの供述調書のほか、ホテル側が提出した明細書や領収書、参加者に配られた領収書などで、厚さ約十数センチ分の資料がファイルにとじられていた。調書は、配川氏と安倍氏以外の名前は全て黒塗りだった。
 不開示に異議がある場合、準抗告が可能。裁判記録の公開に詳しい専修大の澤康臣教授は「制度は使わなければ検察側もますます情報を出さなくなる。積極的に活用すべきだ」と話す。(小沢慧一) 》


2022年 5月 3日
3月2日投稿の一部を修正後再投稿。FBはロシア兵捕虜を扱ったウクライナ内務省のページを「スパム」としているようで、やむをえず原文からそのリンクを削除。
母:どうしてこんなに返事が来ないの?本当に訓練中なの?
兵士:ママ、私はもうクリミアにいないんだ。訓練じゃないんだ。
母:それなら、どこにいるの?お父さんが小包を送れるかどうか聞いているの。
兵士:ママはどんな小包を送ってくれるの?僕は今すぐにでも首を吊りたいんだ。
母:何を言ってるの? 何があったの?
兵士:ママ、私は今ウクライナにいるんだ。ここでは本当に戦争が起きているんだ。怖いよ。私たちはすべての都市を同時に爆撃しているんだ。民間人さえも標的にしている。彼らは私たちを歓迎すると聞いていたけど、装甲車の下に倒れ込み、車輪の下に身を投げ出して、通さないようにするんだ。彼らは私たちをファシストと呼んでいる。とてもつらいよ。
 (キスリツァ国連大使が読み上げた、戦闘で死亡したロシア兵から回収したスマートフォンに残されていたという、兵士と母親の対話)
「首都キーウ(ロシア語表記:キエフ)は四方八方から包囲されている。 断続的な攻撃に直面する300万人の住民は自宅、間に合わせの防空壕、地下鉄への避難を余儀なくされている」
「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、すでに50万人のウクライナ人が国境を越えて避難しているという」
「ロシアの攻撃は、主にウクライナの軍事施設を標的にしていると言われているが、住宅や重要な民間インフラなど非軍事的な目標が大きな被害を受けたという信頼できる証言がある」
「暴力がエスカレートし、子どもを含む民間人の死者が出ていることは、まったく容認できない」
「もう、うんざりだ。兵士は兵舎に戻る必要がある。指導者たちは、平和のために動く必要がある。一般市民は保護されなければならない。国際人道法および人権法が遵守されなければならない」
「国際的に認められた国境線内におけるウクライナの主権・独立・領土保全は、総会決議に基づき尊重されなければならない」グテーレス事務総長
 28日40年ぶりに開催された国連緊急特別会合でのウクライナ大使と事務総長の発言。
 24日に始まったロシア軍のウクライナへの侵攻で、27日までに子ども14人を含む民間人352人が死亡し、負傷者は1684人に上っているとウクライナ保健相は伝え、さらに1日ロシア軍はウクライナの首都キエフのテレビ塔を攻撃し第2の都市ハリコフでも州庁舎や住宅地をミサイルなどで攻撃し、少なくとも10人が死亡、35人が負傷したと伝えられている。
 こうしたロシアと歴史・文化を広く共有し親族を互いに持つウクライナへのロシア軍の侵攻に、演習の名目で動員された若いロシア兵の動揺と苦しみが、単なる宣伝戦としてではなく大使のメッセージから伝わる。
 この侵攻でロシアとウクライナの兵士双方にどれだけの戦死者や負傷者そして捕虜・投降者が出ているのか。ウクライナは初期にはウクライナ兵の損害を知らせていたが現在正確な死者の数などは伝えていない。ロシアは初めから自国の兵士の損害を伝えなかったが、26日ウクライナ大統領府がロシア兵死者3500人、捕虜200人と公表したことを受けて国防省は27日夜、ウクライナへの侵攻でロシア軍に死者が出ていることを「ウクライナ軍の損失の数分の1に過ぎない」としてだが公式に認めた。同日ウクライナ副国防相はウクライナへの侵攻でロシア軍兵士約4300人が死亡しロシア軍は戦車146台と航空機27機、ヘリコプター26機も失ったと明かした。
 同じ27日ウクライナ内務省は、ロシアのウクライナ侵攻で死亡したり捕虜になったりしたロシア兵を検索できるウェブサイトを、ロシア兵家族の支援を目的として開設したとAFPが伝えている。ロシア軍はただ戦死者の数などを公表しないだけではなくロシア国内の家族に息子、兄弟、夫、父の戦士を伝えていないようで、ウクライナのロシア人死者と捕虜のサイト開設はそれに対抗したものだろう。
 このサイトの上部に「このサイトはロシア連邦検察庁の決定に基づいて、ロシア連邦でブロックされています。主な情報チャネルはTelegramチャネルです 」と表示されておりロシア国内では閲覧ができないようだが、ここに動画で登場するロシア兵はいずれも国連でウクライナ大使が読み上げたメッセージと同趣旨の、戦争に反対もしくは同意できないままウクライナに入ったことを悔やみ家族に伝えたいと述べている。これを「プロパガンダ」「情報戦」と言って済ませられない、この侵攻の抱える大きな問題が提示されている。
 侵攻開始から4日で戦死者3500人または4300人という数は、個々の遺体を記録したものではなく、同時に示されている破壊したロシア軍戦車や航空機などの推定搭乗員数を実際の戦闘で確認した戦死者数に加えたものだろう。
 去年8月米軍などが撤収したアフガニスタン戦争(2001~2014)における米軍の派遣人数と死者数は、派遣90000人と死者2436人、イラク戦争(2003~2011)における米軍の派遣人数と死者数は派遣168000人、死者4486人とされる。ロシアのチェチェン紛争における死者数は、第一次(1994~96)で派遣70500人、死者5732人、第二次(1999~2009)で派遣80000人、死者7000人以上とされている。
 ウクライナ側が公表した数字という前提はあるが、このロシア軍のウクライナ侵攻4日間でロシア兵戦死者3500人あるいは4300人という数は、これまでの米国、ロシアによる戦争の侵攻国側の、数年から10数年かけての戦死者の数字にすでに達している。
 かつて太平洋戦争で米軍にとって最も熾烈な戦いでもあった沖縄の地上戦で、米軍は45年3月から陸軍と海兵隊合計278800人を上陸させ、6月23日の司令官自決後停戦の9月7日までの戦闘で12520人の兵士が戦死した。
 今回のロシア軍の侵攻は、装備や人員などで圧倒的に有利とされたロシア軍による侵攻後わずか数日で、これら最悪の長期に及ぶ侵攻戦における侵攻国側の戦死者に、数や割合ですでに達している。ロシア兵の命はこの無謀な侵攻を指揮するプーチンという人物には軽いのかもしれないが、ロシアの家族や国民にとっては別だろう。
 沖縄戦で日本兵の戦死者は94,136人(うち沖縄県出身者28,228人)、住民の死者は94,000人に及ぶ。同じく米軍などが侵攻したアフガニスタンにおける一般住民の死者は42,000人、イラク戦争では推定50万人とされている。
 さらに米国ではイラク・アフガニスタン戦争から帰還しPTSDによって自殺した現役・退役軍人は戦死者の4倍以上の3万177人と推計されている。
 首都キエフなど都市部へのロシア軍の侵攻がこれから続けば、ロシア兵だけではなくウクライナ兵とウクライナ市民の被る被害は想像を絶する甚大なものになるだろう。それで得られるものは、ロシアの若者の夥しい死と同じくウクライナの人びとの甚大な被害そしてロシアの経済的没落と国際社会からの孤立でしかない。ロシアは一刻も早く武器を収めウクライナから撤収すべき。
《「ママ、怖いよ…」ウクライナの国連大使は「戦死したロシア兵と母の会話」とされるメッセージを読み上げた。
ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、国連では2月28日から総会緊急特別会合が始まり、国連幹部や各国の代表らが演説した。
ウクライナの国連大使は「ウクライナが生き残らなければ、国際平和は生き残れない」と発言。戦闘で死亡したロシア兵から回収したスマートフォンに残されていた母親との会話とされるテキストメッセージを読み上げ、戦争の悲惨さを各国に訴えた。ーーー










                                                                                                                                                                 
  
     





























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