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2022年 8月29日
・4週間の議論の末36ページのNPT2022「最終文書案」は、会議最終日26日の昼、ロシアによる、ザポロジエ原発とブダペスト覚書をめぐる文書案記述に対する「五つの項目」の反対により不採択。「残念ながら、たった一つの国が反対した」スラウビネン議長
・中国は、NATOの核共有、AUKUSにおける原子力潜水艦の技術移転、東電福島第一原発の処理水放出などで文書に懸念を盛り込むよう激しく要求し、終盤、要求取り下げと引き換えに、核兵器用核分裂性物質について生産の一時停止を「宣言するよう求める」と書かれた部分を、自国の核戦力増強を進めるため削除させた。
・最終文書案には当初から核軍縮の目標数値、期限や具体的な行動計画がなく、文書案の核兵器「先制不使用」政策の採用を核保有国に促す記述は、米国や英国、フランスなどの反対で25日未明に出た改訂版で合意案から削られ、唯一の被爆国である日本は了解。6月に第1回締約国会議が開かれた核兵器禁止条約の意義を含む文書案の文言も削除された。
「再検討会議と(核を保有する米英仏中ロの)5カ国だけでは、巨大な安全保障上の脅威に対応できないことがはっきりした」核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)ベアトリス・フィン事務局長
「残念だ。ロシアが何としても核兵器を手放さないことをよりあからさまに示した」7月下旬に訪米し、ロシアの外交官とも対面して被爆体験を語り、核兵器廃絶を求めた広島県原爆被害者団体協議会理事長 佐久間邦彦さん(77)
「『ノーモア・ヒバクシャ』の訴えが、ないがしろにされた」長崎で被爆し、5日再検討会議のNGOセッションで演説し、2000年の再検討会議で核保有国が合意し、10年の再検討会議でも再確認された「核兵器廃絶の『明確な約束』」の履行を議論してほしいと訴えた和田征子さん(78)
「核軍縮に向けた進展が図られなかったことに大きな失望を感じるとともに、強い憤りを感じている。(ロシアを含む核保有国は)特別な責任を負っていることを自覚し、(核軍縮に向けた)即時の行動をとるよう強く求める」広島市の松井一実市長
「(米国と英国などの反対で決裂した)2015年と同じ失敗を繰り返し、NPTは機能不全に陥った。1国の『拒否権』によって4週間の議論のすべてが消えてしまう。各国は『核軍縮のためにないよりはまし』という最終文書の採択に努力したのだが、徒労感に陥っているようだ」国連本部で再検討会議の最終日を傍聴した長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の鈴木達治郎・副センター長
「私たちは、私は、結果に失望している。ただ待っていてはいけない。関係国間における真剣な関与と対話、交渉が必要になる」国連軍縮部門トップ 中満泉・事務次長
「2回連続で再検討会議が合意に失敗し、NPTが効果的に機能していないのは明らかだ。各国は次の再検討会議までに、軍縮や不拡散外交に取り組む必要がある。日本は核なき世界に向けて各国に圧力をかけ、取り組みを支援すべきだ」米シンクタンク「軍備管理協会」会長 ダリル・キンボール氏
「ロシア1カ国の反対により、コンセンサスが成立しなかったことは極めて遺憾。NPTは国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石で、NPTを維持、強化することが『核兵器のない世界』に向けた唯一の現実的な道だ」岸田文雄首相
 5年に一度のNPT再検討会議は、4週間の議論の末、たった一か国の反対で最終合意文書の採択に至らず26日閉会した。
 反対したロシアは最大の核保有国であり、今まさに核使用の脅しと共に隣国ウクライナを侵略している。自分達が他国への侵略と脅迫に最も有効と捉える核兵器を、プーチンのロシアはみすみす手放す気は微塵もないということ。
 しかしロシアだけが問題なのではなく、核先制不使用、非保有国への核使用の禁止、核兵器用核分裂性物質について生産の一時停止、核軍縮の目標数値、期限や具体的な行動計画の設定など、核削減に向けた大切な論点はいずれも核保有国によって無視され続けている。
 前回2015年は、中東非核地帯構想の記述をめぐり、NPT不参加の核保有国イスラエルを支持する米・英・カナダなどの反対でやはり最終文書採択ができず、核兵器削減に何の進展ももたらすことなく終わっている。
 核兵器禁止条約に背を向け、「核保有国と非保有国の橋渡し」を標榜する岸田首相は今会議冒頭で発言したが、唯一の戦争被爆国として何の役割も果たせず、今後もただNPTに縋り付くだけ。
 高齢となった被爆者の方々が訴えるように、核兵器の非人道性と違法性を世界に広め、核兵器の保有と使用に反対の声を高めて核保有国を包囲する以外、「NPTを維持、強化」と唱えるだけでは何の足しにもならない。そのためにも日本政府は率先して核兵器禁止条約に参加すべき。それを否定する広島出身の首相は、日本にも世界にも負の遺産でしかない。
《191の国と地域が加盟する核不拡散条約(NPT)の再検討会議が、土壇場で決裂した。ロシアが核使用をちらつかせるなか、多岐にわたる争点で議論は紛糾。核軍縮への道筋を示すことはできなかった。▼1面参照
ここから続き
 米東部時間25日夜(日本時間26日午前)、NPTに加盟する国や地域の代表団に、36ページのファイルが届いた。題は「最終文書案」。採択されれば、4週間の会議の成果になるはずだった。
 スラウビネン議長は、ロシアの代表に何度も念押しをしていた。「これで大丈夫か?」。ロシアの代表からは、会議最終日の26日の朝を迎えても、反対の意見はなかった。
 文書案は、ロシアの意向を一定程度反映したものだった。ロシアを名指しで非難するような文言はなかった。ロシアが占拠するウクライナのザポリージャ原発についても、22日時点の原案で「ロシアの管理」下にあるとしていた部分が、削除されていた。
 強い不満を抱いている国はなく、採択できるはずだ――。加盟国や国連、専門家の間では、そんな見方が広がっていた。
 だが、26日昼、スラウビネン氏のもとにロシアから連絡が入った。「文書案は受け入れられない」。ロシアが突きつけた文言調整の要求は、微修正で済むようなものではなかった。
 文書案の採択をはかる見込みだった最終会合は、開始予定の午後3時からどんどんずれ込んでいった。「4時半に」「5時半に」「あと20分……」。結局始まったのは、午後7時20分だった。
 ようやく登壇したスラウビネン氏が告げる。「残念ながら、たった一つの国が反対した」。議場は静まりかえった。
 ロシアの代表は直後に発言を要求し、文書案には「政治的な性格」を持つ「五つの項目」があったと主張した。また、文書が採択できなかったのは、ウクライナやその支援国に「完全な責任がある」と語った。
 「五つの項目」は、ザポリージャ原発とブダペスト覚書をめぐる記述だった。文書案は原発周辺の現況に「重大な懸念」を表明。「軍事活動の結果、ウクライナ当局による管理が失われた」などと記されていた。ロシア国内では原発周辺への攻撃はウクライナによるものだとの論調一色で、ロシアの責任と読み取られる可能性を排除したかったとみられる。
 ブダペスト覚書は1994年、ウクライナが領内の核兵器を放棄する代わりに、安全を保証されたものだ。ロシアと米英が署名したが、ロシアはそれを守らず、クリミア併合や今回の侵攻に踏み切った。
 文書案では、非核保有国に関して安全を保証する既存の枠組みを順守するよう訴え、その具体例として、ブダペスト覚書が挙げられていた。ロシアはかねて、「覚書の義務を履行していないのはウクライナだ」との持論を展開しており、25日の非公開協議でも不満を述べていた。
 とはいえ、ロシアにとってNPTは、自らの核保有に正当性を与えてくれる重要な国際条約であることも事実だ。決裂後、ロシアの代表は「共通点を見つける努力をする」と協力姿勢をアピールすることも忘れなかった。
 26日午後11時、スラウビネン氏が会見場に姿を見せた。「本当にあと少しのところだった」「4週間映画を撮って、最後に記念撮影をしなかったからといって、映画が存在しなくなるわけじゃない。私たちは、やるべきことをやった」。手ぶりを交え、そう話すのが精いっぱいだった。(ニューヨーク=藤原学思)
 ■「妥協の産物」文案に批判
 「ロシアは、ロシアを名指しすらしていない成果文書を投げ出した」。米国の代表は26日の会議で不満をあらわにした。会期中、米国は最終文書の採択をめざし、妥協できる部分は受け入れたうえで、他国の説得も担っていた。
 ただ、日本政府関係者によると、対立する米ロは直接協議を行わず、最後にロシアの説得を試みたのは中国だったという。
 非核保有国は核保有国に対する不信感を募らせる。メキシコは核兵器禁止条約の批准国を代表し、決裂後に演説した。核で核を抑えるという核抑止論や、核軍縮の停滞ぶりを批判。NPTには「新しいモメンタム(勢い)」が必要だと、核禁条約の有用性を訴えた。
 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のフィン事務局長の怒りの矛先は、ロシアだけでなく、最終文書案自体にも向けられた。文書案は各国の「妥協の産物」で、2000年の再検討会議で合意された核廃絶への「明確な約束」を再確認するにとどまり、行動計画や数値目標は示さなかった。
 発言力が増す中国は、北大西洋条約機構(NATO)の核共有や、米英豪の安全保障協力枠組み「AUKUS(オーカス)」における原子力潜水艦の技術移転、東京電力福島第一原発の処理水放出といった様々な論点を持ち出し、文書に懸念を盛り込むよう激しく要求した。
 そして中国は終盤、要求を取り下げるのと引き換えに、自国に不都合な記述を削除させることに成功した。核兵器用核分裂性物質について、生産の一時停止を「宣言するよう求める」と書かれた部分が、中国の意をくむ形で消された。
 フィン氏は会議決裂を受け、記者団に「NPTの重要性はますます下がるだろう」と語った。「(次回に向けて)各国や市民社会が平等に声を上げられるようになっていてほしい。もう核保有国だけに支配されたくない」(ニューヨーク=清宮涼、藤原学思、北京=冨名腰隆)
 ■現地で演説、岸田首相痛手
 「核なき世界」を重要な政権課題に掲げる岸田文雄首相は出ばなをくじかれた形となった。
 首相は27日、記者団の取材に応じ、「ロシア1カ国の反対により、コンセンサスが成立しなかったことは極めて遺憾」と批判。「NPTは国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石で、NPTを維持、強化することが『核兵器のない世界』に向けた唯一の現実的な道だ」と強調した。
 今回のNPT再検討会議に日本の首相として初めて参加し、演説した。首相は「核保有国が動かないと何も変わらない」との理由から核禁条約には参加せず、NPT再検討会議を重視する立場をとっている。首相の指示で、外務省から武井俊輔副大臣らが現地入りするなど「重厚な布陣」(同省幹部)で協議に臨んだが、決裂に終わった。
 首相は今回のNPT再検討会議を、11月に広島で開催する「国際賢人会議」や、来年5月の広島での主要7カ国首脳会議(G7サミット)につなげる道筋を描いていただけに、決裂は大きな痛手だ。
 政権では今後、「厳しい安全保障環境」という「現実」を踏まえ、抜本的な防衛力強化に向けた議論が本格化する。一方で「核兵器のない世界」という「理想」への道筋は不透明さが増している。首相がいかに「理想」に近づく具体的な成果をあげられるかが問われる。(野平悠一)
 ■NPT再検討会議をめぐる経過
 <1970年> 発効。その後、加盟国は191カ国・地域に
 <2010年5月> 前々回の再検討会議で、核廃絶への具体的措置を含む行動計画を盛り込んだ最終文書を採択
 <15年5月> 前回の再検討会議で、中東の非核地帯構想をめぐって交渉が決裂し、最終文書を採択できず
 <20年3月> 翌月開催予定の再検討会議がコロナ禍で延期に。その後も延期が続く
 <21年1月> 核兵器の保有や使用を禁じる核兵器禁止条約が発効
 <22年6月> 核兵器禁止条約の第1回締約国会議。政治宣言で核廃絶への決意を表明し、50項目の行動計画を採択
 <22年8月> 7年ぶりとなる再検討会議で、ウクライナに関する記述をめぐりロシアが合意せず、最終文書を採択できず
コメントプラス
藤田直央
(朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
2022年8月28日9時32分 投稿
【視点】この記事の終盤に、岸田首相が記者団の取材に応じ、その冒頭で決裂はロシアのせいだと述べた発言が出てきます。このNPT再検討会議の序盤で首脳としては異例の出席をしながら、これまで唱えてきた核保有国と非核保有国の「橋渡し役」という言葉を演説で使わなかった岸田首相。その時から感じていましたが、こんな物腰では、来年のG7広島サミットに多くは望めないなという思いです。
 NPTは締約国に誠実に核軍縮交渉を行う義務を定めています。率先すべきは核大国の米ロ、次いで軍拡著しい中国です。かたやG7は日米欧中心で中ロは入っていません。「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と語る岸田首相が、来年の広島サミットを本気で「核兵器なき世界」への礎としたいのなら、そこに中ロを招くぐらいのしたたかな外交が欠かせません。
 ただ、ウクライナ危機やペロシ訪台騒動に鮮明ですが、最近のG7はむしろ中ロと対立しがちです。では今回のNPT会議でその溝を日本が埋めるべく、具体的に踏み込んだ姿勢を示したのか。例えば日本は「核兵器の先制不使用」が幻の合意案から削られたことに応じており、相変わらずです。米国の核の傘は日本への通常兵器による攻撃にも対応することと矛盾するからです。
 しかし「核兵器の先制不使用」に関しては、中国は一般的に、ロシアはウクライナに関し、表向きには語っています。そこでなぜ日本は一歩踏み込み、米国も巻き込んで一致点を探らないのか。いくら首相などの異例のクラスを国際会議に送り込んでも、従来の延長線上でなく身を切るような提案がなければ、核保有国が国益をかけしのぎを削る核軍縮交渉には何ら響かないでしょう。
 「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という岸田首相の言葉は、「核兵器なき世界」ではなく、やはり年末に方針を示す「抜本的な防衛力強化」向けのようです。ホスト国の首脳がこれでは、G7広島サミットは国際社会の協調どころか分断を深めるおそれもあります。このままではまずいという危機感は岸田首相にあるのか。前にも書きましたが、残された時間は多くありません。 》


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2022年 8月28日
日記がわりに。
酷暑が続く13日再び花隈から南へ降り、初めてピザの店ALBARを訪ねる。若いスタッフで店内は気取らず外壁にピザ窯が張り出していて、流石に美味。三宮まで歩き、阪急地下で久しぶりにカワハギ見つけて帰る。
16日アシスト車で六甲側沿いを水道筋の灘温泉往復。露天の加温しない湯が心地よい。
19日久しぶりにモーニングショーは自民と統一教会の癒着問題を報じる。公安調査庁の統一教会「特異集団」記述が、2007年第一次安倍政権で消えた由。このカルト集団が安倍自公政権にとって何ら「特異」ではなくなったということ。
お盆明けの20日神大を抜けてil ventoで美味しいカッペリーニ。コロナ拡大のためか、或いは皆さんまだ遠出のためか、比較的空いていた。24日アシスト車でPiza Track往復しこれも美味しいプリンチペッサ。店長氏は元気そう。
暑さが少し和らいだ昨日は久しぶりに栄町Day's Kitchenを訪ね、大丸手前の席でコンビニコーヒーのあと、これも久しぶりにHAT渚の湯に浸かる。
今日も運動がてら7週ぶりに阪急で西宮北口に行く。津門川ぞ いのShiosaiでお昼をいただき、60年前の小四の頃を思い出しながら反対側の阪急ガーデンズまで歩き、小さい子たちが 噴水で遊ぶ屋上でコーヒーのあとスーパーなどで食材買って帰宅。この週後半は秋雨前線停滞とか。

     


2022年 8月25日
・2012年9月野田内閣「30年代原発ゼロ方針」
→14年4月安倍内閣「重要なベースロード電源」「依存度を可能な限り低減する」
→昨年10月エネルギー基本計画閣議決定「可能な限り依存度を低減する」
→今年6月経済財政運営指針「原子力の最大限活用」
→今回「原発の新増設や運転期間延長の検討、新たに7基再稼働」
・「次世代革新炉の開発・建設」「原則40年の運転期間の延長」を検討課題に
「なぜ私たちの事故の被害が政策に生かされないのか。11年経った今も解決していないことがたくさんある」原発事故被害者団体連絡会共同代表 武藤類子さん
 この8月日本のコロナ新規感染者数は5週連続世界最多、 死者数は2番目で23日コロナ感染による死者343人の過去最高に達し首相自ら感染しながら、水際対策や待機日数、全数把握の緩和という破綻したコロナ対応に終始する岸田首相は、2011年未曾有の福島第一原発事故で崩落した核燃料デブリの取り出しも原子炉の廃炉もままならず、プルトニウム再利用の「核燃料サイクル」も破綻し、膨大な使用済み核燃料や高濃度放射性物質の最終処理の計画すらまったく成り立たないなか、ロシアによるウクライナ侵攻を理由に「危機」を言い募ってこの10年積み上げられた「原発依存を減らす」を火事場泥棒のように反故にする。
 「次世代革新炉」の「従来の軽水炉よりも耐震性を高め、航空機が衝突しても耐えられる」は、ウクライナのザポリージャ原発や日本の原発と同じく巨大地震や津波そしてミサイル攻撃に耐えられるものではなく、再生エネルギー・自然エネルギーの台頭を脅威とする原子炉メーカーなど原子力ムラが描く希望的観測、画餅にすぎない。
 コロナ対策や統一教会と自らの後援会の関わりの問題もそうだが、事態を真摯に受け止めず党内最大派閥や財界の意向に従うだけでいとも簡単に前言を撤回する、こうした政権こそがこの国にとっての最大の「危機」だろう。
《政府は東京電力福島第一原発の事故後の原子力政策を転換させる方針を明確にした。24日のGX(グリーン・トランスフォーメーション)実行会議で「政治決断」の名の下に、岸田文雄首相がかじを切った。
 参院選から1カ月。原発の新増設や運転期間延長の検討、新たな再稼働と、踏み込んだ推進方針を一気に打ち出した。GX実行推進担当相も兼ねる西村康稔経済産業相は会議後「検討を加速し、年内をめどに結論を得たい」と話した。
 この日の会議には岸田首相や西村経産相のほか、学識経験者や経団連の十倉雅和会長など政府が選んだ12人の委員が参加した。その場で、原子力政策の今後のあり方については時間軸を分けて課題が示された。
「次世代革新炉」を開発
 2050年の脱炭素の実現や電力の安定供給に向けて「次世代革新炉の開発・建設」が検討課題として盛り込まれた。東京電力福島第一原発の事故後、政権が避けてきた「建設」の議論が始まることになる。ただ、原発に対する世論は二分している。再稼働の地元同意も政府が思うようには進んでいない。新増設は与党内でも慎重意見があり、ハードルははるかに高い。
 次世代革新炉について、政府は「既存の原発に安全性や経済性の観点から優れた新技術を取り入れたもの」と主張。会議でも新増設などの検討に反対の声は上がらなかったという。
 経産省は7月に、革新軽水炉、小型軽水炉、高速炉など複数の技術を挙げ、各国が建設を進めている革新軽水炉の開発を「最優先に取り組む」とした。経産省の担当者は「革新軽水炉はかなり今ある技術と言ってよい」と語る。
 さらに、原則40年の運転期間の延長も検討課題とした。具体的な期間は示されなかったが、法令の改正も必要になるとみられる。運転期間には原子力規制委員会の審査で停止している期間も算入するが、10年以上止まっている原発もある。原発推進側は、この期間を除くことで事実上運転期間を延ばすよう求めるが、こうしたやり方には安全性を懸念する声もある。
 中短期的には、原子力規制委員会の主要な審査を通った7基について、来夏以降に再稼働を進める方針だ。ただ、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)は、事故を起こした東電が事業主体で、不祥事も続発しており、地元の不信感は根強い。西村経産相は会議後、記者団に「地元の理解にも国が前面に立ってという方針は既に示しているが、今後専門家の意見も伺いながら方向性を出していきたい」と述べるにとどめた。(岩沢志気)
全国の原発の状況
 自民党の一部や電力業界は新増設を求めてきたが、政府は世論の反発も想定し慎重だった。岸田首相も最近まで「現時点では想定していない」としていた。
 今回踏み込んだのは、原発をとりまく状況が大きく変わったことがある。この日の会議の政府側資料には「危機克服」という文言があった。今年2月にロシアがウクライナに侵攻し原油や天然ガスが高騰。ガソリンや電気料金が値上がりし家計を圧迫した。エネルギーを輸入に頼る日本のもろさが意識され、原発推進の声が一部で高まった。
 脱炭素の流れも強まる。電力会社は火力発電への投資に消極的で、発電能力が不足しがちになっていた。今年3月には東電や東北電管内に初めて電力需給逼迫(ひっぱく)警報が出た。政府は今夏、全国的な節電を要請し、冬に向けて消費者の不安が広がっていた。首相官邸幹部は「脱炭素の流れのなかで2、3年前から電力需給は厳しい状況だった。だめ押しとなったのがウクライナ侵攻だ」と主張する。
 昨年10月に閣議決定したエネルギー基本計画では原発について「可能な限り依存度を低減する」としていた。今年6月の経済財政運営の指針(骨太の方針)には原子力の「最大限活用」が盛り込まれ、前向きな姿勢が強まった。官邸周辺からは「再稼働だけでなくリプレース(建て替え)の議論も年内に表明しないといけない」といった意見も出ていた。7月の参院選で与党が大勝し推進の勢いは増した。
 旧統一教会問題やコロナ禍の影響で内閣支持率は低下傾向だが、このタイミングを逃すと原発推進を表明できないとの見方もあった。政府関係者は「支持率がある程度あって国政選挙も終えた今の状況でやらなければ、もうこの先もずっとできない」と漏らす。(西村圭史、岩沢志気)
使用済み核燃料の「後処理」問題はそのまま
 ただ、原発の課題は解決されていない。その一つが「後処理」の問題だ。
 政府は、使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出して再び発電に使う「核燃料サイクル政策」を推進している。だが、青森県六ケ所村の再処理工場は1993年に着工したものの、トラブルが相次ぎ、完成していない。22年度上期としていた完成時期は26回目の延期が確実視されている。建設費は当初の7600億円から約3兆円に膨らみ、稼働後の運営費などを含めた総事業費は14兆円を超す見通しだ。
 行き場のない使用済み燃料は、全国の原発敷地内などで保管されているが、貯蔵能力の約8割に達している。このままでは保管場所が不足し、原発が運転できなくなる可能性もある。
 再処理で出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場も決まっていない。放射能が安全なレベルに下がるまでに数万年から10万年かかるとされる。国の選定プロセスの第1段階にあたる文献調査が北海道の2町村で始まったが、地元の反対は根強く、実現は見通せない。
 政府や大手電力が原発のメリットと主張してきた「安さ」も揺らいでいる。
 経済産業省が21年8月に示した30年度の発電コストの試算では、これまで「最安」とされていた原発は、事業用の太陽光発電より高くなった。安全対策費や事故時の賠償費用が増え続けているためだ。
 国民の理解が得られるかも不透明だ。原発事故被害者団体連絡会の共同代表で、福島県に住む武藤類子さんは「なぜ私たちの事故の被害が政策に生かされないのか。11年経った今も解決していないことがたくさんある」。原発に依存しない社会をめざすとする公明党の竹内譲政調会長は会見で、「重要な方針転換をしたとは聞いていない」とした一方、「原発に対する信用の回復が大事。それが第一歩だ」と語った。(関根慎一、山野拓郎)
〈視点〉「危機」ばかり強調で理解を得られるか
 岸田政権が、原発を新しくつくることを検討する方針を打ち出した。原発事故を経験した日本が、将来にわたって原発に頼ることになれば、依存度を下げるとしてきた原子力政策の大きな転換になる。
 にもかかわらず、今回の打ち出しは唐突に映る。ロシアによるウクライナ侵攻で、エネルギーの安定供給が揺らいでいると政府は説明している。この日の会議資料には、「危機」という言葉が並んでいる。
 ただ、原発はひとたび事故が起きれば、取り返しがつかない被害をもたらす。政府が原発のメリットとしていた「安さ」は薄れている。使用済み核燃料などの課題も解決していない。
 岸田首相は年内にも政治決断するという。政府は再生可能エネルギーも最大限導入するとしているが、将来も原発が本当に必要なのか。課題も含めた議論が必要だが、会議は非公開で進められる。透明性の確保は事故の教訓だったはずだ。
 原発事故後、自公政権は世論の反発が根強い原発が国政選挙で争点になるのを避けてきた。7月に参院選が終わったタイミングで、「危機」ばかりを強調し、一気に原発回帰を進めるのであれば、多くの国民の理解を得るのは難しい。(長崎潤一郎)》




2022年 8月24日
「まず戦争とは何か。
それは常識では考えられない狂いですね。ーー
相手を殺さなければこちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。ーー
戦場の第一線に立てば、もう神経が狂い始めます。これに耐え得るのはせいぜい三日ぐらいですね。あとはもうどうとでもなれ、本能に導かれるようにして道徳観が崩れます。
だからどこの場所でも戦争があると女性に乱暴したり、ものを盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。
これが戦場で戦う兵士の姿です。その兵士を指導する軍のお偉方は何を考えるか?
どこの軍隊も同じです。敵の国民をできるだけたくさん、できるだけ早く殺せ、そのために部下を働かせろ、すると勝てるね。
これが戦争の実態です」
「二番目の私が言いたいことは、本当に無様な戦争をやって、無様な尻拭いをして、そして残ったのは何か?
憲法9条です。
憲法9条は二つの顔を持っています。
マッカーサー司令部の方から見れば、ナチスドイツとファッショの日本は国家としては認めない。だから交戦権は認めない。戦争はやらせない。軍隊は持たせない。本当に泣いても悔いても足りないほどの屈辱だったはずなのに、古い私たち日本人はそれを感じ取りませんでした。
そして何か? 私もその一人ですが、この憲法9条こそは人類に希望をもたらす、そういう受け止め方をした。
そして70年間、国民の誰をも戦死させず、他国民の誰をも戦死させなかった。これが古い世代にできた精一杯のことです」
「道は間違っていない。じゃあどうなるのか? 私は今、国連に加盟している約200か国のどこの国の憲法にも日本国憲法9条と同じ条文はありません。
日本だけが星のようにあの9条を高く掲げて、こうして働き続けているのです。これが通るかどうか。必ず実現する。断言します。
それはこの会場の光景がもの語っています。
ごらんなさい。若いエネルギーが燃え上がっているではありませんか。いたるところに女性たちが立ち上がっているではありませんか。これこそ新しい歴史が大地から動き始めたことなんです。
とことん頑張り抜きましょう。
第三次世界大戦を許すならば、地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許すわけにはいきません。
戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格はない。
その覚悟をもってとことん頑張りましょう」2016年5月3日憲法記念日
6年前の憲法記念日に101歳のむのたけじ氏が語った最後の講演を、岩永直子さんが伝える記事から。
 プーチンのロシアによるウクライナ侵攻から6ヶ月。
 非戦闘員を拘束、暴行、殺害し学校や病院、劇場、住宅など民間施設への攻撃などでウクライナ市民の死者は国連の統計で5500人を超え、ウクライナ側の発表の合計ではすでに4月に2万3千人を超えている。ウクライナ軍のザルジニー総司令官は22日ウクライナ兵の死者は推定9千人、ロシア兵死者は既に4万5千人と発表している。
 かつて隣国への無謀な侵略戦争を行い、世界大戦となって完膚なき敗北を喫した国の、戦中・戦後を生き抜いたジャーナリストが伝える戦争の地獄は、まさに今のウクライナと同じ。
 「戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格はない」
 ウクライナからロシア軍を撤収させること、東アジアで同じ侵攻と戦争を起こさせないこと。これを自国の軍備拡張や核兵器などに頼ることなく追求することが、かつての戦争で亡くなった人びとに対する、そしてこれからの未来を担う子どもたちに対する、わたしたちの責任だ。
《101歳で亡くなるまで反戦を訴え続けたジャーナリスト、むのたけじさん。公の場で話す最後の機会となった憲法集会で、「三つのことを申し上げたい」と言いながら、二つしか話しませんでした。三つ目に話したかったこととは?
岩永直子 BuzzFeed Medical Editor, Japan
101歳で亡くなるまで、反戦を訴え続けたジャーナリスト、むのたけじさん。
その七回忌に当たる8月21日、亡くなる3ヶ月前に公の場で話す最後の機会となった憲法集会での「伝説の演説」が東京都内で上演された。
「三つのことを申し上げたい」と言いながら、二つしか話さなかったむのさん。
最後の一つは何だったのか。晩年を共にした次男、武野大策さんが語った。
語られなかった三つ目の言葉
この上映会を主催したのは「むのたけじ平和塾」の設立準備会。
「憲法を考える映画の会」の花咲哲さんと武野大策さんが話し合い、戦争をしない世の中にするために何ができるかを、むのさんの生前の訴えを元に語り合う会を作ろうとしており、むのさんの七回忌に準備会のイベントを開いた。
この日は、反戦を訴え続けるむのさんの姿を追ったドキュメンタリーと、最後の演説となった憲法集会での反戦アピールの映像が上演された。
戦争中、むのさんは朝日新聞の従軍記者として国内外で取材し、十分な医療を受けさせられないまま3歳だった長女のゆかりさんを病気で失った経験がある。1945年8月15日の終戦の日、新聞記者として戦争の真実を十分に伝えられなかった責任を感じて、辞表を提出した。30歳のことだ。
その後、故郷の秋田県に帰って、民衆と社会をつなぐ週刊新聞「たいまつ」を創刊。草の根から民主主義を育てることに力を注ぎ、死ぬまで反戦を訴え続けた。
亡くなる3ヶ月前に開かれた憲法集会では、車いすを大策さんに押され登場したむのさんは、「歳をとった人間としてより若い人のために三つのことを申し上げたい」と語り出す。
一つ目は、戦争がいかに人間性を失わせるかということ。二つ目は一度始めたら止められない戦争を抑止する憲法9条の大切さだ。
ところが三つ目は語らないまま、「戦争を殺さなければ現代の人類は死ぬしかくはない。その覚悟をもってとことん頑張りましょう」と呼びかけて演説を終えた。
「三つ目に父が言いたかったことは...」
このビデオを上演し終えた後に、晩年を共に過ごした次男、武野大策さんが父について語った。
大策さんは、現在もウクライナで戦争が起きていることを挙げ、戦争を防ぐために憲法集会でむのさんが語ったことがヒントになると語った。
そして、むのさんが三つ話すと言いながら、二つしか語らなかったことについて、集会の数日前に準備していた三つ目の言葉を明かした。
「父は『黙祷はダメだよ。声をあげて戦争はダメだ!と口に出して言わないと。黙祷していたのでは誰も気がつかない』と言っていました。たぶん、それが三つ目に言いたかったんじゃないかと思うのです」
そして、参加者にこう呼びかけた。
「自分達の思いを語り合うことがとても大切だと思うのです。戦争をやめさせる、第三次世界大戦をやめさせるためには、黙祷して祈っているだけではダメで、戦争はイヤだ!と私たちが言うことが大切だと思うのです」
「それぞれが一生懸命考えることからしか始まらない」
続くシンポジウムに登壇したむのさんと親交のあったジャーナリスト、佐高信さんは、憲法集会でのむのさんの発言を聞きながら「痛々しい」と感じたという。
「100歳を過ぎた人を先頭に立たせて、『むのさん立派だ!』と言うだけでは済まない。もちろんむのたけじという人は立派に戦っていたわけですが、100歳の人をそういう風に『立派だ!』ということは、私たちが力が足りないということですよね?」
「そのことを忘れて、『むのさん立派だ』と言うだけではダメなんだろうと、むのさんを知っているだけに私はつくづく思いました」
そして、会場から「戦争を止めるために個人で具体的にできることは何でしょうか?」と質問が出ると、こう答えた。
「具体的に何をやるかはそれぞれが考えないとダメですよ。(人に聞くのは)何かを預けるという話でしょう?それぞれが一生懸命考えることからしか始まらない」
10月10日に平和塾を設立、1回目を開催
大策さんらは、改憲の動きが強まり、ロシアのウクライナ侵攻など世界の平和が揺るがされている状況に、市民として何ができるか考えようと「むのたけじ平和塾」を10月10日に設立する。
第1回の会合は文京区民センターで午後1時半から開かれ、映画『笑う101歳×2 笹本常子 むのたけじ』を上演後、反戦について語り合う。
問い合わせは、メール(dmuno@jcom.home.ne.jp)
むのたけじさん憲法集会での演説全文
むのさんの憲法集会での演説全文はこちら。
むのたけじでございます。
今日の集まりは戦争を絶滅させる目的を実現できる、その力を作る集会です。
でもこの会場にお集まりの方々の中で満70歳より若い方々は、戦争がどういうものかを国内で体験する機会をもちませんでした。
私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海の外でも経験しました。そういう歳取った人間として、より若い方々のために短い時間ですが三つのことを申し上げたいと思います。
まず戦争とは何か。
それは常識では考えられない狂いですね。
私どもは従軍記者として出かけたから、武器を一つも持っていません。それでも両軍の行動している場所で取材活動をやれば、兵隊と全く同じ心境になります。
それは何か?
相手を殺さなければこちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。
戦場の第一線に立てば、もう神経が狂い始めます。これに耐え得るのはせいぜい三日ぐらいですね。あとはもうどうとでもなれ、本能に導かれるようにして道徳観が崩れます。
だからどこの場所でも戦争があると女性に乱暴したり、ものを盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。
これが戦場で戦う兵士の姿です。その兵士を指導する軍のお偉方は何を考えるか?
どこの軍隊も同じです。敵の国民をできるだけたくさん、できるだけ早く殺せ、そのために部下を働かせろ、すると勝てるね。
これが戦争の実態です。
こういう戦争によって社会の正義が実現できるでしょうか? 人間の幸福が実現できるでしょうか?できるわけはありません。
だからこそ戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまいました。しかも戦争の進み方は誠に恥ずかしい姿でした。
日清戦争以来、10年ごとに戦争を続け、昭和6年の満州事変から十五年戦争をやって、結局ナチスドイツと同様、ファシズムの日本とは一緒くたにされて近現代史に例のない無条件降伏、条件なしの敗北で戦争を終わらせました。
なんとも申し訳ない。特に私どものように新聞の仕事に携わって真実を国民に伝えて道を正すべき人間が何百、何千人いて何もできなかった。
これはなぜなのか、二番目に申したいと思います。
戦争を始めてしまったら止めようがないということを力説したいのです。明治憲法と言われた大日本憲法(大日本帝国憲法)は最も古めかしい君主制度の下で、我々国民は憲法の中で国民とも人民とも言われず、臣民、家来でした。
戦争が始まってしまって、もし国家の方針に反対することを言ったり書いたりすれば、治安維持法で無期懲役ないし死刑が決まっていた、そういう状況だったんです。
だからこそどういうことになったのか、二番目の私が言いたいことは、本当に無様な戦争をやって、無様な尻拭いをして、そして残ったのは何か?
憲法9条です。
憲法9条は二つの顔を持っています。
マッカーサー司令部の方から見れば、ナチスドイツとファッショの日本は国家としては認めない。だから交戦権は認めない。戦争はやらせない。軍隊は持たせない。本当に泣いても悔いても足りないほどの屈辱だったはずなのに、古い私たち日本人はそれを感じ取りませんでした。
そして何か? 私もその一人ですが、この憲法9条こそは人類に希望をもたらす、そういう受け止め方をした。
そして70年間、国民の誰をも戦死させず、他国民の誰をも戦死させなかった。これが古い世代にできた精一杯のことです。
道は間違っていない。じゃあどうなるのか? 私は今、国民に加盟している約200か国のどこの国の憲法にも日本国憲法9条と同じ条文はありません。
日本だけが星のようにあの9条を高く掲げて、こうして働き続けているのです。これが通るかどうか。必ず実現する。断言します。
それはこの会場の光景がもの語っています。
ごらんなさい。若いエネルギーが燃え上がっているではありませんか。いたるところに女性たちが立ち上がっているではありませんか。これこそ新しい歴史が大地から動き始めたことなんです。
とことん頑張り抜きましょう。
第三次世界大戦を許すならば、地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許すわけにはいきません。
戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格はない。
その覚悟をもってとことん頑張りましょう。 》



2022年 8月22日
「国葬で言論を封じ、政治と宗教の癒着をうやむやにし、党内派閥の力関係を調整するつもりでしょう。本気で教団との関係を断つつもりなら内閣総辞職、解散総選挙をすべきです。日本政府はいわば、国内外のロビイストたちが相乗りするバスのようなもので、政治家はロビイストに利益誘導をしつつ私腹を肥やすのです。担ぎやすいみこしであり、格好のイエスマンだったのが安倍氏でしょう。カルト集団のお陰で、当落線上の自民党議員たちは延命してきたわけです。本来、警察の捜査が入るべき教団が、政治的な力で守られたとも指摘されています。銃撃事件の後、自民党から『民主主義の危機』という声が聞こえてきましたが、民主主義をゆがめた当事者がそれを言うなと思いました。ここで問題を徹底的に追及、検証し、過去の不正、遺恨を改めておくことが、第2、第3のテロを防ぐ最も有効な手段になります。それは、無謀な戦争に突き進んだかつての過ちを繰り返さない努力とも重なる」
 作家島田雅彦氏二回め?のインタビュー記事。
 毎日新聞世論調査で安倍国葬に「賛成」30%、「反対」53%。「文春オンライン」編集部の「安倍晋三元首相の国葬緊急アンケート」では「賛成」が499人(16.7%)、「反対」が2375人(79.7%)。さらに毎日新聞と社会調査研究センターによる世論調査で岸田内閣の支持率は内閣発足以降最低の36%、前回調査から16ポイント下落した。 
 自民党最大派閥会長で総裁、首相であるものが、信者・国民を収奪するカルト集団と癒着して長期政権を築くが、「『モリ・カケ・桜』などの疑惑のもみ消しにしか政治力を発揮しなかった」その安倍・菅政権を派閥均衡のまま引き継ぎ、それらの疑惑以上に旧統一教会と自民党との癒着問題を「議員個人の問題」として矮小化し、国会を開かず元首相の「国葬」で蓋をしようとする岸田政権。かつての宏池会には宮澤喜一らずっとまともな首相がいたものだが。本気でこの国をよくしたいなら、カルト集団と癒着する議員らと袂を分ち、党を解体・再編して出直したらどうか。それほどの膿がこの三つの内閣には滲み出している。
《静かな語り口に、憤りがにじみ出ている。「国葬で言論を封じ、政治と宗教の癒着をうやむやにし、党内派閥の力関係を調整するつもりでしょう」。そう推察するのは、かねて政治に物申してきた作家の島田雅彦さん(61)である。宗教団体「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)を巡る問題が政界を揺さぶる中、安倍晋三元首相の国葬に異を唱えるのだ。
 教団との関係が露見する自民党議員が後を絶たない。「本気で教団との関係を断つつもりなら内閣総辞職、解散総選挙をすべきです」。うだるような猛暑が続く東京都内で、島田さんはそう鋭く切り出した。安倍氏の銃撃事件以降、政界の動きに心底うんざりしているという。
 亡くなった安倍氏も、旧統一教会の関連団体にビデオメッセージを寄せるなど、長年つながりを持っていたとみられている。改めて、安倍政治への評価を尋ねると、痛烈な言葉が返ってきた。「『モリ・カケ・桜』などの疑惑のもみ消しにしか政治力を発揮しなかった。そんな人物が首相の在任記録を更新したこと自体、政治の劣化を如実に物語っています」。憲政史上最長の8年8カ月にわたって首相を務めた安倍氏だが、なぜかくも長く宰相でいられたのか。
 「日本政府はいわば、国内外のロビイストたちが相乗りするバスのようなもので、政治家はロビイストに利益誘導をしつつ私腹を肥やすのです」。特定の主張の実現を求めて集まってくるロビイスト。ここでは、大企業や右派組織の日本会議、あるいは米国の軍産複合体、国際金融資本などを指すという。
 「担ぎやすいみこしであり、格好のイエスマンだったのが安倍氏でしょう」。振り返れば、米国のトランプ政権下で日本政府が戦闘機や武器を「爆買い」したのは周知の通りだ。また、自主憲法制定などを求める日本会議は、安倍政権を支えた岩盤保守層の象徴的存在である。
 そして、今回の銃撃事件で旧統一教会がロビイストとして政界に巣くっていた実態が白日の下にさらされた。とりわけ自民党との関係では、国政選挙での応援が問題視されている。教団サイドにビラ配りやポスター張りを手伝わせるだけでなく、信者の票を振り分けてもらっていたことも報じられている。
 「カルト集団のお陰で、当落線上の自民党議員たちは延命してきたわけです。本来、警察の捜査が入るべき教団が、政治的な力で守られたとも指摘されています。銃撃事件の後、自民党から『民主主義の危機』という声が聞こえてきましたが、民主主義をゆがめた当事者がそれを言うなと思いました」
 政治的な意見を言いにくい昨今の風潮の中、島田さんは積極的に発言を続けている。ツイッターにも、しばしば政権批判を投稿する。その原動力を尋ねると、「文学者も戦争協力をした暗い過去を持っているので、時の権力者の顔色をうかがったりせず、我が道を行くのが理想です」と返ってきた。
 そんな問題意識は小説にも投影されている。「特に今、10代や20代の自民党支持者が多い。第2次政権時代に8年近く首相の座にいたので、彼らは物心ついた時からずっと安倍さんの顔を見てきた。もし自民党的な事なかれ主義が内面化されているとしたら、誰も異議申し立てをしなくなる。現状の日本を絵解きし、この絶望の国をリセットするような作品を書かなければならないと思ったのです」
 今年3月に刊行した長編「パンとサーカス」のテーマはずばり、世直し。米国にひたすら追従し、内部で不正がはびこる政府に変革を迫る目的として、政権中枢にいる要人の暗殺が描かれている。賛否を呼ぶ大胆な設定の中で、随所に見られるのが現実政治を思わせる表現だ。「与党」については、こう書かれている。<半分が世襲議員で、極右系の宗教団体の全面的支援を受けている>
 作中では、世直しの手段としてテロが選択される。現実では断じて許されないことだとしながらも、島田さんは実際に起きるかもしれない恐れを抱いてきたという。「政治の劣化が極まれば、社会も荒廃します。将来起きうることを予想し、社会の変容をシミュレーションし、心構えを促すのがフィクションライターの仕事です」
 小説が世に出てから3カ月半後、実際に起きたのがあの銃撃事件だった。ネット上では今、「事件を予言していた」などと島田さんの作品を評する声が上がっている。その反応について、「こんな予言が的中しても、いいことは何一つありません。暗い予言は外れた方が、社会にとってはいいに決まっていますから」と複雑な心情を吐露する。
 銃撃事件では、旧統一教会によって容疑者の家庭が崩壊し、その恨みが安倍氏に向かったと報じられている。島田さんはその見立てに反論するつもりはないとする一方で、単に動機や背景を私怨(しえん)という視点だけで捉えるのは不十分だとも考えている。はっきりと、「これは政治テロです」と言い切るのだ。
 「事件がもたらした影響を考えれば、そう認めるべきだと思います。政治と宗教団体の不適切な関係があらわになり、政治不信が一層深まり、社会不安が募ったのだから、政治家は露呈した現実を直視することが求められます」
 だが、現状は追及というにはほど遠い。自民党は党としての調査を否定し、岸田文雄首相も「それぞれ丁寧に説明するのが大事」などと繰り返すばかりである。メディアも一枚岩になって、真相を解明しようとしているとは思えない。そんな中で島田さんが危惧するのが、9月27日に行われる安倍氏の国葬を境に問題の幕引きが図られる事態だ。「自分たちの保身に国葬を利用しようという自民党議員の不謹慎な意図が透けて見えます」。島田さんはそう語りつつ、「ただし」と続けた。
 「その思惑は結果的に外れると思います。国葬は、政権が反社会的なカルト教団と持ちつ持たれつだったという恥ずべき実態を世界に発信する機会になるからです。海外メディアは日本のメディアのように忖度(そんたく)しません。国葬の費用対効果は絶望的に低いでしょう」
 各種世論調査によれば、国葬に反対する声はおよそ5割を占める。強行したとしても自粛ムードにはならず、反対世論が一層過熱することになる、と島田さんは感じている。それでも、国葬後の社会の雰囲気を正確に見通すことは難しい。厳粛な空気が広がれば、幕引きされる可能性もやはりゼロではない。
 今回の銃撃事件は断じて許されないことである。だが、その遠因に政治の不作為があったとしたら、看過すべきではない。そう考える島田さんは、教団との関係をなし崩し的に「なかったこと」にしようとする政治家の動きを何より懸念するのだ。
 「ここで問題を徹底的に追及、検証し、過去の不正、遺恨を改めておくことが、第2、第3のテロを防ぐ最も有効な手段になります。それは、無謀な戦争に突き進んだかつての過ちを繰り返さない努力とも重なる」
 現実を予見した小説家の、未来への警句である。【金志尚】》



2022年 8月20日
「私はあくまでお誘いをされた会合の冒頭でご挨拶したというのは、確かにそういう事実はありましたけど。特別、承知の上でお付き合いをしているというのではなく、地元のみなさんで、その中にそういう関係者がいたのかもしれないという認識です」2日
「旧統一教会につきましては、関連団体のイベントへの出席をしたことを私は報告しております」10日
「地元の支援者の中にボランティア活動を熱心にやっている皆さんがいらっしゃって、その方たちが国連NGOの(世界平和)女性連合の会員の皆さんでした。その関係者のご縁で今回、いまご指摘の施設を訪問することになりました。お名前はちょっとわからないのですけれど、八王子の子安町にある施設でありまして。正直申し上げて(旧)統一教会の昭和の時代の関連商法(霊感商法)などのことは承知をしておりましたが、その後悪い噂を聞くこともなかったですし、そういった報道に接する機会もなかったものですから。正直申し上げてその団体と統一教会の関係っていうのは名称は非常に似てますので、そういう思いはあったんですけれども、あえて触れなかったというのが正直なところです。未だいろんなことで苦しんでらっしゃる方がいらっしゃる。このことには、少し思いが足りなかったと反省をしております」18日
「新潮さんの記事の中に、『2009年から2012年の間に毎月2回教会を訪れて私が講演をしたり青年部のみなさんに説教していた』と書いてあるんですけど、こういう事実は全くありません。もしかしたらご支援いただいている方の中にそういう方がいらっしゃったということは否定できないかもしれませんが、私はわかりません」」19日いずれも萩生田光一自民党政調会長
「第7回目は政界より萩生田光一氏(前衆議院議員、前文部科学大臣政務官)をお招きし、講演をいただきます」2011年5月20日旧統一教会から青年部の若手信者らに送られた「青年指導者フォーラム」のメール
「萩生田光一議員が来ていました。自民党が政権とるまでは月1とか月2回とか、結構来ていました。教会に実際来て、教会長の隣に座って説教をするみたいな感じ。選挙じゃなくても挨拶回りの一環で教会には来ていました」「VIP対応で萩生田さんはされてますね。司会の人が教会員に対して萩生田議員が来るので盛大にお迎えしましょうと言って拍手でお迎えする。私たちからすると萩生田議員が来たということって教祖が来たぐらいのお迎え度合いだった」「ご父母様という教祖の写真があるんですけど、そこに敬礼していました」「自民党が政権取らないと、日本がもう滅ぶ的な話は、神様の計画で自民党が担っているみたいな感じで、それは教会長的な方が言うのですけれど。(萩生田氏は)それに便乗して、あなたたちの信仰で、日本の未来がかかっているから死ぬ気でこの自民党を復活させてほしいだとか、自民党を応援してほしいと言われていた。萩生田さんはその『ご父母様』と言うのですけれど、教祖のこと。私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょうみたいな、そういう風に言っているから、萩生田議員が政界に必要だと(信者は)思っている。そうやって言ってくれるから。自民党を応援するっていうよりは、神様の計画を達成するためにやりますという教会員が多かった。教会員はそのためにやっていたと思います」元信者
「『政界に戻らせてください』と言っていたので。『浪人生』って自分で言ってたと思うんですけど」「安倍さんの側近というか、一番お近づきになっている方が萩生田さんなので。八王子教会は萩生田さんを政界に戻すことが、神様の計画というか使命みたいな感じで言われていました」「地元の皆さんとかじゃなくて、教会員しかいないんで。家族として萩生田さんのことを思うくらいに自分の時間を全部(教会の)若い人たちは使ってたのに、『そういうのは関係ない』って言われたら。いきなり今日から友達やめるねって言われてるくらいの…あの…絶望っていうんですかね、残念とかじゃなくて。なんでそんなこと言うんだろうって」元信者
 これが、経済産業大臣(第27・28代)、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、原子力経済被害担当大臣、GX実行推進担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)、文部科学大臣(第25代・第26代)、教育再生担当大臣、内閣官房副長官(政務担当、第3次安倍第1次改造内閣、第3次安倍第2次改造内閣)、内閣人事局長(第2代)、文部科学大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)を歴任した、国会で少なくとも118回嘘をついた安倍元首相の側近、現自民党政調会長がメディアと国民に語る嘘の限り。
 萩生田が2014年に参加した催しは「世界基督教統一神霊協会 多摩東京教区」主催と記載、関連団体ではなく統一教会そのものが開いたイベントに来賓として参加している。6月参院選公示前に生稲候補と訪ねたのも、八王子市にある旧統一教会=世界平和統一家庭連合八王子家庭教会であり「お名前はちょっとわからない」どころではない。
 かつて朝鮮を植民地支配した日本をアダム国たる韓国に奉仕すべきエバ国家とし、日本人信者・家族を高額献金と霊感商法などで収奪する旧統一教会と、議員選での票目当てで密接な関係を築き講演などを続け、「八王子教会は萩生田さんを政界に戻すことが、神様の計画というか使命みたいな感じ」とされながら、「昭和の時代の関連商法(霊感商法)などのことは承知をしておりましたが、その後悪い噂を聞くこともなかった」とは、愚かしい言い間違いも含めて、宗教法人を所管する文化庁を掌握する大臣としてまったく失格。認識も責任感も欠落している。これまでどれほどこの国の政治を歪めてきたのか。こういう輩が政調会長とは、この党と政権の政策に何の期待も持てないということ。
《「ビデオは回さないように」と指示
 第2次岸田改造内閣の発足により、政調会長に就任した萩生田光一氏。その萩生田氏が先の参院選で、生稲晃子氏への支援を要請するため、生稲氏を伴って教会の関連施設を訪問していたことが明らかになった。
 萩生田氏は統一教会との関係について、これまで、意図したものではなかったと弁明している。ところが、統一教会の関係者は「実情は違う」と反論する。萩生田氏は2009年、自民党が下野するきっかけとなる衆院選で落選し、12年まで3年間、浪人生活を余儀なくされているが、
「ちょうどその間、月に1〜2回のペースで八王子市内の教会施設を訪ねてくれました。その施設は3階が講堂になっており、そこに数十人の信者を集めて演説をなさっていたのです」
 そして、萩生田氏の演説の場では“ある特別なお触れ”が出されたそうだ。
「萩生田さんがみんなの前で演説する場合、教会長や青年部長ら幹部が“ビデオは回さないように”と信者たちに指示していました」
 どうやら証拠を残さぬように、という意図らしい。
信者に取って萩生田氏は「家族同然」
 さらに、
「今さら、統一教会との関係を一切なきものにしようだなんて、人間として薄情すぎやしませんか。以前は、礼拝を兼ねた日曜日のバーベキュー大会にジャージ姿で駆け付けてくれたりもしてたんです。萩生田さんが来ると、やっぱりその場がパッと盛り上がるし、みんなそうやって楽しく過ごした時間を覚えています。信者たちからすれば“家族”同然だと思っていたんですから」
 地元八王子の政界関係者によると、毎年クリスマス・イブの前後に八王子市内の宴会場で、統一教会の関連団体である「世界平和女性連合」が主催するクリスマス会に、萩生田氏の秘書は必ず出席し、本人も夫人同伴で何度か顔を出していたという。
生稲氏の支援を統一教会に要請
 萩生田氏と統一教会の関わりは、先の参院選にも影響を及ぼしていた。
 東京選挙区で初当選を果たした元おニャン子クラブのメンバー・生稲晃子氏。彼女の擁立工作を主導した萩生田氏は選挙中、生稲氏を伴って八王子市内の統一教会関連施設を訪ね、支援を要請していたというのである。この件について、生稲氏の事務所に質すと、
「八王子での演説終了後、演説を聞いていた方から、“ここに来られなかった仲間が近くにいるので生稲さんのお話を直接聞かせてもらいたい”とのお話しがあり、スタッフが相談をして次の日程への移動の合間に(教会の施設に)立ち寄らせていただきました。その際に(演説の)現場にいらっしゃったご地元の萩生田先生に同行していただきました」
 萩生田氏は生稲氏とともに施設に立ち寄ったことを認めた上で、自身と教会の関係については、
「選挙の際、当方から支援依頼をしたことはなく、選挙戦のお手伝いをしていただいた事実はありません。旧統一教会が主催する礼拝やバーベキューに参加した事実はございません」
 と回答した。8月17日発売の「週刊新潮」では、統一教会ベッタリ内閣の全容について詳報する。》




2022年 8月17日
・第2次岸田改造内閣で副大臣・政務官に任命された計54人のうち、約4割にあたる23人が「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」側と接点。
・安倍派は13人のうち5人が接点を持っていた。このほか岸田派は8人中1人、麻生派が7人中6人、茂木派が7人中5人、二階派が7人中4人、谷垣グループが3人中2人。
・国土交通副大臣の豊田俊郎は教団主催のイベントに来賓として出席し、あいさつした。デジタル兼内閣府政務官の尾崎正直は昨年の衆院選前、教団の地方組織の月例会に出席し、15人ほどの前であいさつした。
・5人が選挙支援を受け、4人に政治資金のやりとり。デジタル兼内閣府副大臣の大串正樹と外務副大臣の山田賢司が友好団体などにパーティー券を購入してもらっていたほか、外務政務官の高木啓は友好団体の会合に秘書が代理出席し、会費を支払った。
・「同性カップルには生産性がない」(2016)「統一教会信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない」(2018)の総務政務官杉田水脈は15日の会見で教団関係団体の講演について尋ねられて、「関係団体の定義がわからず確認できていない」などと否定。
・新内閣の閣僚で教団側との接点を認めたのは7人。
・井出庸生文科副大臣「過去に社会的に問題があったりそういうことが指摘されている団体・個人そうした方と私の政治活動との関係は慎重でなければならないと思っているので一層厳しく見直していきたい」
・政調会長に就任した萩生田光一が先の参院選で、生稲晃子候補への支援を要請するため、生稲を伴って地元八王子の統一教会の関連施設を訪問していた。信者にとって萩生田は「家族同然」と。
               (すべて敬称略)
「家庭連合は、統一教会と称していた頃から、信者の人権を抑圧し、霊感商法的手口による反社会的行為による違法な資金獲得とその資金の韓国文鮮明ファミリーへの献金を継続してきました。私達は、全ての政治家に対し、反社会的団体である家庭連合やそのダミー団体から支援を受けたり、連携していると見られかねない活動をひかえるよう要請致します」(2019年9月27日全国霊感商法対策弁護士連絡会の「国 会 議 員 の 先 生 方 へ」の要請文)
 内閣府、総務省、文科省、国交省、環境省の大臣、副大臣、政務官はほぼすべてカルト教団縁故者。統一教会に一線を引いたはずの宏池会系岸田内閣は、結局はカルト掃き溜め、ゴミ箱内閣でしかない。
 この数十年霊感商法や高額献金などで多くの国民を搾取するカルト集団と票目当ての利害関係を結び、その前時代的性差別論、平和主義憲法の否定論などを共有する輩たちに、まともな問題認識も政策決定もできるわけがない。
 コロナ対応、外交、経済、格差是正、教育のいずれでも、まともな政策が期待できないこんな内閣はいらない。「自民党をぶっ壊す」が今ほど必要な時はない。
《第2次岸田改造内閣で副大臣・政務官に任命された計54人のうち、約4割にあたる23人が「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」側と接点を持っていたことが15日までに確認された。教団側のイベントへの参加や選挙支援を受けたことなどを朝日新聞の取材に認めた。また、葉梨康弘法相も教団側との接点があったと明らかにした。
「票を分けましょうか」 政治家をつなぐ旧統一教会の「集票」機能
 自民党の派閥別では、最も多く副大臣・政務官を出した安倍派は13人のうち5人が接点を持っていた。このほか岸田派は8人中1人、麻生派が7人中6人、茂木派が7人中5人、二階派が7人中4人、谷垣グループが3人中2人だった。
 内容別では、教団側の会合への出席が15人で最も多かった。
「当時は被害起きている団体という認識なく」
ここから続き
 国土交通副大臣の豊田俊郎氏は教団主催のイベントに来賓として出席し、あいさつした。デジタル兼内閣府政務官の尾崎正直氏は昨年の衆院選前、教団の地方組織の月例会に出席し、15人ほどの前であいさつしたという。尾崎氏の事務所は「当時は被害の起きている団体だという認識はなく、問題はないという判断だった」と説明している。
 法務政務官の高見康裕氏は島根県議時代、友好団体が開いたフォーラムに出席した。同僚県議からの紹介で出席したといい、高見氏事務所は「関連団体との認識はなく、目的も『家庭教育の大切さについて考える』という趣旨で全く疑問に思わなかった」としている。
 次いで、9人が会合へ祝電などを出していた。
 また、5人が選挙支援を受けていた。内閣府副大臣の和田義明氏は昨年の衆院選前に教団側から名簿を受け取ったという。農林水産副大臣の野中厚氏は選挙期間中の街頭演説に来てもらったとしている。
 このほか、4人に政治資金のやりとりがあった。デジタル兼内閣府副大臣の大串正樹氏と外務副大臣の山田賢司氏が友好団体などにパーティー券を購入してもらっていたほか、外務政務官の高木啓氏は友好団体の会合に秘書が代理出席し、会費を支払ったという。
 一方、15日の会見で教団関係団体への講演について尋ねられた総務政務官の杉田水脈氏は、「関係団体の定義がわからず確認できていない」などと説明した。
 法相の葉梨氏は15日、教団友好団体が発行する2008年の月刊誌にインタビューが掲載されたと会見で明らかにした。新内閣の閣僚で教団側との接点を認めたのは7人になった。
旧統一教会側と接点のあった23人
@選挙での支援
A政治資金のやりとり
B会合への本人や秘書の出席
C会合への祝電やメッセージ
【副大臣】
大串正樹(谷垣G・デジタル兼内閣府)A、C
星野剛士(谷垣G・内閣府)@、B、C
和田義明(安倍派・内閣府)@、C
山田賢司(麻生派・外務)A、B
井出庸生(麻生派・文部科学)@、C
野中厚(茂木派・農林水産)@、B
中谷真一(茂木派・経済産業兼内閣府)B
豊田俊郎(麻生派・国土交通)B
石井浩郎(茂木派・国土交通兼内閣府兼復興)B
山田美樹(安倍派・環境)B
小林茂樹(二階派・環境兼内閣府)B
【政務官】
尾崎正直(二階派・デジタル兼内閣府)B
中野英幸(二階派・内閣府兼復興)B
国光文乃(岸田派・総務)C
中川貴元(麻生派・総務)B
高見康裕(茂木派・法務)B
高木啓(安倍派・外務)A、B
吉川有美(安倍派・外務)C
山本左近(麻生派・文部科学兼復興)C
古川康(茂木派・国土交通)B、C
清水真人(二階派・国土交通)C
柳本顕(麻生派・環境兼内閣府)B
木村次郎(安倍派・防衛兼内閣府)@、A  》



2022年 8月15日
〈3〜4歳に見える女の子が、ひどい栄養失調になっていた。蒸したサツマイモを少し食べたが、翌朝には死んだ。
 駅員のような人が来た。先端に刃が付いた長い棒で、女の子の肩あたりを刺してひっかけた。女の子は引きずられていった。
「今日はあいつが死んだ」「昨日はあいつや」
 そんな会話が子どもたちの間で普通だった。ーー
 1948(昭和23)年の厚生省(現・厚生労働省)の調査によると、米軍統治下だった沖縄県を除く46都道府県に12万3511人の孤児がいた。ーー
 戦時中、国は戦争で親を亡くした子を「国児」と呼ぶ案を出すが、戦後は一転して「浮浪児」と呼んだ。
 山田さん(山梨県立大山田勝美教授)は「戦意高揚の『道具』として孤児を持ち上げた戦時中も、放置した終戦直後も、本当の意味で子どもたちの福祉に重きを置かなかった点で国の姿勢は一貫していた」と話す。〉
 無謀極まる戦争の終結から77年。
 上野駅地下で亡くなった3~4歳の女の子の遺体を駅員は鎌で刺して引き摺る。戦時中、軍部と政府は戦意高揚のため戦死した兵士の子を「誉の子」「靖国の遺児」ともてはやしたが、終戦後12万人を超える戦争孤児は路頭に迷うまま「浮浪児」と冷酷に切り捨てた。
 この戦争と深く関わる柳条湖事件の関東軍参謀石原莞爾、インパール作戦司令官牟田口廉也そして満州国総務庁次長、東条内閣商工大臣岸信介らは戦犯容疑を免れて反省もなく揚々と戦後を生きたが、満州など各地の居留民や戦場、焼け野原となった国内各地で孤児たちは国から冷酷に扱われれた。
 沖縄や東京などで彼らに温かい手を差し伸べたのは、この記事にもあるように、各地の数少ない善意の個人たちだった。
 カルト集団に選挙支援を依存して教祖らを賛美しながら、その信者家族たちの悲惨には気付かないふりをするこの国の今の愚劣な与党政治家らは、自らの保身や栄達のために国民を犠牲にして憚らない戦中・戦後のこの国の「指導者」らと本質は同じ。
 そしていま戦犯容疑者の孫でみずからの政権維持にカルト教団を利用し尽くしたものの「国葬」にうつつを抜かす。このままではまた同じ道を行くことになる。
《1945年6月7日の3回目の大阪大空襲で、12歳の筒井利男(としお)さんは家族とはぐれた。自宅も焼けた。
 「大阪駅に行くと同じような子どもが大勢いて、仲間に入れてもらった」。生きるため、盗みに手を染めた。
 8月15日、日本の敗戦が伝えられた。
 行き先も知らず、仲間と汽車に乗った。着いたのは東京の上野駅。地下には、戦争で親を亡くした孤児らが多く暮らしていた。
 鮮明に記憶している光景がある。
 3〜4歳に見える女の子が、ひどい栄養失調になっていた。蒸したサツマイモを少し食べたが、翌朝には死んだ。
 駅員のような人が来た。先端に刃が付いた長い棒で、女の子の肩あたりを刺してひっかけた。女の子は引きずられていった。
 「今日はあいつが死んだ」「昨日はあいつや」
 そんな会話が子どもたちの間で普通だった。
 「狩り込み」にも遭った。行政による強制的な保護措置だ。数人の大人に路地をふさがれて施設に連れて行かれた。ただ、環境が悪く、逃げ出した。
 ある日、「いい施設がある」と仲間に聞き、東京・中野を訪れた。
 主婦の石綿貞代(さたよ)さんが戦争孤児のために開いた「愛児の家」だった。貞代さんは、「しばらくいなさい」と言ってくれた。
 家には数十人の孤児が暮らしていた。おおらかでよく笑う石綿さんは、みんなから「ママ」と呼ばれた。
 筒井さんは子どもらしさを取り戻した。庭で遊び、川でカニを捕った。
 「大きい兄ちゃんを見習いなさい」。幼い子たちにママはそう言った。
 数年後、母親が健在だったとわかり、筒井さんは大阪へ戻った。
 89歳になった今もママに感謝し続けている。
 「ママは本当のお母さんのようだった。愛児の家は第二のふるさとや」
 ■自宅に100人住ませる
 愛児の家はなぜうまれたのか。貞代さんの三女、裕(ひろ)さん(90)によると、終戦からまもない1945年の秋ごろ、貞代さんの友人が戦争孤児の男の子を保護し、貞代さんが自宅に住まわせたことが始まりになった。
 翌年から、貞代さんは上野駅で寝る孤児たちに声をかけ、本人が希望すれば保護するようになった。連れ帰ってくる子は増えた。夫が商売をしていて自宅は広く、ピーク時は100人超が暮らしたという。
 着物や別荘を売り払って子どもたちの生活費に充てていた。「『子どもたちをなんとかしなくちゃ』と母は必死だったと思う」
 愛児の家は48年に養護施設になり、戦争孤児以外の子も受け入れるようになった。
 貞代さんは亡くなる数年前まで毎日、子どもたちと同じ部屋で眠り、89年に92歳でこの世を去った。(長富由希子)
 ■孤児12万人超 国は「浮浪児」と呼称
 1948年の厚生省の調査によると、米軍統治下だった沖縄県を除く46都道府県に12万3511人の孤児がいた。
 山梨県立大の山田勝美教授によると、国は養子縁組などの対策を打ち出し、民間篤志家が各地に施設をつくって一部を保護したが、「街頭で死亡した子や性的な仕事に『身売り』された子、国の支援の薄さを背景に劣悪な状態の施設も少なくなかったとされる」と話す。
 戦時中、国は戦争で親を亡くした子を「国児」と呼ぶ案を出すが、戦後は「浮浪児」と呼んだ。山田さんは「戦意高揚の『道具』として孤児を持ち上げた戦時中も、終戦直後も、子どもたちの福祉に重きを置かなかった点で国の姿勢は一貫していた」と話す。》




2022年 8月12日
「中学にはいると、ゲートルを巻いて登校した。やがてゲートルのことを巻脚絆(まきぎゃはん)と呼ぶようになる。教練と勤労奉仕の時間がふえ、私は予科練か少年飛行兵に志願する計画をたてていた。鬼畜米英を殲滅(せんめつ)するために一日でも早く戦争に参加して、十代で死ぬ覚悟だったのだ。ーーー
 そんな中学一年生の夢を、八月十五日のラジオ放送が一挙に消滅させた。私にとっての本当の戦争は、その日から始まったのである。ーーー
 私にとっての本当の戦争は、その夏に始まったと言っていい。私たちは難民ではなく、棄民(きみん)として異国に取り残されたのだ。
 難民とは国を離れた人びとのことである。しかし、棄民はそうではない。棄民とは国に捨てられた国民のことだ。私はこれをデラシネという言葉で呼んでいる」
 ロシアのウクライナ侵攻とも似ている、柳条湖で関東軍による鉄道爆破の謀略で始まった満州事変の翌1932年生まれの、軍国少年だった五木寛之の重い回想。
 「婦人公論」に五木の思いが詳しく語られている。
「ウクライナの惨状、国を追われる難民の姿に、昔の自分が重なる。引き揚げ体験は、70歳まで語れなかった」
 「東亜新秩序」「五族共和」「王道楽土」から「鬼畜米英」「一億総特攻」まで、この国の二十世紀前半の時代を少年として生き、13歳の時の敗戦で平壌から自力で帰国し戦後を生き抜いた人が語る、この国の「棄民」。
 関東軍中枢は731部隊も含めソ連参戦で一番に帰国し、中国東北部と朝鮮半島に数多くの移民たちが政府と軍によって捨てられた。それは戦後もこの国で未だ救済されない「黒い雨」関連の原爆被爆者、水俣病患者など公害被害者、甲状腺がんなど福島原発事故放射線被爆者ら、被雇用者の待遇切り下げのための不安定な非正規・派遣労働しか保証されないロス・ジェネ世代、そしてこの10年ほど政権と強く結びついたカルト教団による犠牲者らを、同じようにこの国は見捨て続けてきた。
 敗戦から77年、歴史から何も学ばないかつてのA級戦犯の孫の取り巻きらが唱える「防衛費増大」「防衛力強化」「反撃能力」は再びこの国を東アジアでの戦争に引き摺り込むのか。五木が言う「大きな戦争の季節」をこの国は二度と始めてはならない。それはまた数多くの棄民を産むだけ。
《私は昭和七年の生まれだ。一九三二年、満州国建国の年である。
 その年に五・一五事件がおこり、犬養首相が殺害された。犯行におよんだ青年将校たちへの国民の共感は圧倒的で、裁判所には罪の軽減を求める嘆願書が山をなしたという。そういう時代だった。
 物ごころついたときには、すでに日中戦争がはじまっていた。当時は支那事変といった。
 ある日の夜、父親につれられて街へいくと花電車が走っていた。車両全体をイルミネーションで飾りたてた市街電車である。提燈(ちょうちん)行列の渦が通りを練り歩き、空には花火があがり、人びとはみな酒に酔ったように興奮していた。万歳、万歳の声が夜の街に渦巻いていた。
「なにがあったの」
 と、父にきくと、
「漢口(かんこう)が陥落したんじゃないか、バカ」
 と言われた。
     *
 学校の教師だった父は、その頃からソフト帽のかわりに戦闘帽をかぶり、背広をやめて国民服を着るようになった。私が入学した小学校は、やがて国民学校に変(かわ)り、大きな戦争の季節がはじまった。
 父は国語と漢文の教師で、武道家でもあったので、毎朝、私に剣道の切り返しと、詩吟の特訓を強制した。
 学校では、教育勅語や青少年学徒に賜はりたる勅語などはもとより、軍人勅諭まで全文を暗記させられた。いまでも軍人勅諭は前文から各条まではっきり憶(おぼ)えている。
 夏は海洋少年団の合宿に参加した。そこで叩(たた)き込まれた手旗信号とモールス信号は、どうしても記憶から消えない。トツー、トツートツー、ツートトト、などと夢の中で信号を打ったりすることもある。
 中学にはいると、ゲートルを巻いて登校した。やがてゲートルのことを巻脚絆(まきぎゃはん)と呼ぶようになる。教練と勤労奉仕の時間がふえ、私は予科練か少年飛行兵に志願する計画をたてていた。鬼畜米英を殲滅(せんめつ)するために一日でも早く戦争に参加して、十代で死ぬ覚悟だったのだ。
♯わが大君に召されたる
 生命(いのち) 光栄(はえ)ある朝ぼらけ
 たたえて送る一億の
 歓呼は高く天を衝(つ)く
 いざゆけ つわもの 日本男児
 そんな歌を合唱していると心が震えた。一日でもはやく戦場におもむきたいと少年の心が滾(たぎ)っていたのである。
「特攻隊に志願する者は前に出よ」
 と、言われたときに、躊躇(ちゅうちょ)なく進み出ることができるかどうか、それだけが不安だった。
     *
 そんな中学一年生の夢を、八月十五日のラジオ放送が一挙に消滅させた。私にとっての本当の戦争は、その日から始まったのである。
 私たち一家は、当時、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に住んでいた。呆然(ぼうぜん)と立ちすくんでいる間に、ソ連軍の戦闘部隊が進駐してきた。さまざまな事があり、母が死んだ。北朝鮮での引揚(ひきあ)げは、なぜか全くすすまなかった。
 発疹チフスのパンデミックがおこり、多くの人が死に、多くの赤ん坊が現地の人びとの手に渡った。
 私にとっての本当の戦争は、その夏に始まったと言っていい。私たちは難民ではなく、棄民(きみん)として異国に取り残されたのだ。
 難民とは国を離れた人びとのことである。しかし、棄民はそうではない。棄民とは国に捨てられた国民のことだ。私はこれをデラシネという言葉で呼んでいる。
 私たち一家は自力で脱北する計画をたて、何度か痛い目に遭ったのちに、ようやく徒歩で三十八度線を超え、開城(ケソン)に近い米軍の収容キャンプにたどりついた。さらに紆余(うよ)曲折のあと、仁川(インチョン)から米軍のリバティ船で日本本土へ向かった。私にとって本当の戦争は、あの夏から始まったのだ。
     ◇
 いつき・ひろゆき 作家 1932年福岡県生まれ。『さらばモスクワ愚連隊』で作家デビュー。『青春の門』『親鸞』など。》



2022年 8月11日
北半球はどこも酷暑か水害の八月。ウクライナでの残虐な戦争は続く。
 ベランダの朝顔は厳しい環境で咲いている。3日岡本に出て久しぶりにい蔵でぶっかけを食べ、住吉うはらの湯に浸かる。
 広島の日の6日、初めて元町より西のピザの店を訪ねようと花隈から南へ歩き、最初に見つけた店でマルゲリータとフンギのハーフピザ。美味しいが自分には大きすぎた。帰りに乙中通りを歩くと、目指していたお店を発見。壁沿いの窯がなかなか。来週は絶対来よう。大丸前でコンビニコーヒーの後、食材買って帰宅。
 ニュースは政権忖度ばかりのNHKだが、ドキュメンタリーは頑張っていて、夜に放送は西日本だけかもしれないが、丸木夫妻の原爆の絵を修復する若者たちと、戦後広島で開設された戦災児のための育成所を丹念に取材した番組を見る。元寮母の方は「戦争は嫌だね、子どもがかわいそうだよ」と。いまも同じ。
 今日も暑いが、ひと月ぶりに北谷から数少ないバスで最寄りのバス停まで乗って北区すずらんの湯を訪ねる。露天から望む青空と若竹の青葉が心地よい。復活してくれた送迎バスに乗り、北谷から同じ経路で帰宅。少し暑さも和らいできたか。
       


2022年 8月 9日
「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」渡辺千恵子さん(1956年原水爆禁止世界大会)
「核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが」
「核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません」
「日本政府と国会議員に訴えます。「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください」
「世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です」
「私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう」
「長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します」
 この10年ほど永田町などで聞こえる政治家らの浅薄な言葉とは真逆の、核戦争の危機が人類に起こり得る紛うことない現実であること、過去も現在も世界で戦争や暴力で理不尽に命と未来を奪われ苦しむ人びとが存在すること、そして未来を創り出すのは世界の連帯による以外にないことが、6日の広島に続き深い洞察と人間性に満ちた言葉で語られている。
 原爆投下から77年。これから遠くない将来、核兵器廃絶の喜ばしい祝意がこれらの都市で語られる日が来るのか、それとも大規模核戦争で地上が地獄と化し、生き延びたわずかな人々が悔恨と共に思い出す日となるのか。すべてはわたしたちの選択にかかっている。
「核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。
 被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚(た)きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。
 その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
 「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」
 核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。
 今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。
 この出来事は、核兵器の使用が“杞憂(きゆう)”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
 核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
 今年、核兵器をなくすための二つの重要な会議が続きます。
 6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。
 そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
 核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
 日本政府と国会議員に訴えます。
 「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
 非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
 そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
 世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。
 私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
 長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。
 被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
 長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。」
 2022年(令和4年)8月9日
 長崎市長 田上富久




2022年 8月 8日
「警察としては、違法行為があれば法と証拠に基づいて適切に対処していかなければならないが、私が申し上げた(2010年)以降はそういうことがない。被害届があれば別だが、警察として特別、動きはないということです」二之湯智国家公安委員長8月5日閣議後会見
・「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の集計では、2010年から2021年の12年間で、確認できた被害金額は138億円、相談件数は2875件。
「(2009年の『新世事件』のあと)旧統一教会の責任者が、自分たちの機関紙の中で『政治家との繋がりが弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は、政治家と一生懸命繋がっていかなきゃいけない』と『私たちの反省』として述べていた。わたしたちが国会議員の方々に、旧統一教会の応援をするのをやめてくださいよ、と呼び掛けている理由も、そこにあります。やっぱり旧統一教会の被害者にとっては、政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれないというような思いがずっとあると思います。私どもにもあります」「全国弁連」渡辺博弁護士
 これも8月5日閣議後の会見での職務不適格の言葉。
 国家公安委員長たる者が、霊感商法などで問題となってきたカルト教団について2010年以降まったく問題はないと誤った認識を平然と語り、自身で訂正するのではなくその人物が所管する警察庁が後で訂正するという無知と杜撰極まる醜態。
 2018年統一教会関連団体のイベント「ピースロード」で京都府実行委員会の委員長を務め、あいさつをしながら「名前を貸しただけ」と弁明。国家公安委員長がこれで済むのなら、多くの犯罪容疑者の責任が「名前を貸しただけ」で済むということ。
 この人物も岸田内閣改造で続投はないだろうが、それで済ませてはならない。責任感が同じく欠如した者たちが、雲霞の如くこの党に集まっている。
《8月5日、二之湯智国家公安委員長は閣議後の会見で、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の霊感商法に関して、2010年を最後に「被害届はない」と発言した。ところが、会見終了後、警察庁は「被害届」ではなく、2010年を最後に「検挙がない」と訂正した。
  二之湯国家公安委員長は、こう語っていた。
「警察としては、違法行為があれば法と証拠に基づいて適切に対処していかなければならないが、私が申し上げた(2010年)以降はそういうことがない。被害届があれば別だが、警察として特別、動きはないということです」
それを警察庁が、あわてて2010年を最後に「検挙がない」と訂正したのだ。
 旧統一教会による霊感商法被害の根絶や、被害者の救済を目的に活動している「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の集計では、2010年から2021年の12年間で、確認できた被害金額は138億円、相談件数は2875件にのぼる。ところが、この期間中、「検挙」はなかったわけだ。
「2005年から2010年にかけて、警察は、霊感商法による販売行為や献金勧誘に絡む物品販売について検挙し、13件で30人以上の旧統一教会信者が摘発され、逮捕・勾留されました。2009年の『新世事件』では、東京の統一教会信者2名が執行猶予つき懲役刑の判決を受けています。それが2010年以降は、一度も検挙されなくなってしまったわけです」(社会部記者)
 7月12日に開かれた「全国弁連」の記者会見で、渡辺博弁護士は、こう憤っていた。
「(2009年の『新世事件』のあと)旧統一教会の責任者が、自分たちの機関紙の中で『政治家との繋がりが弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は、政治家と一生懸命繋がっていかなきゃいけない』と『私たちの反省』として述べていた。わたしたちが国会議員の方々に、旧統一教会の応援をするのをやめてくださいよ、と呼び掛けている理由も、そこにあります。やっぱり旧統一教会の被害者にとっては、政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれないというような思いがずっとあると思います。私どもにもあります」
 全国弁連の代表世話人をつとめる山口広弁護士は「日刊ゲンダイ」の取材にこう語っている。
「新世事件以降の政治の横やりも影響したのか、2010年ごろに撃ち方やめとなってしまったんです。(新世事件に関して)警視庁は当初、統一教会の松濤本部までガサ入れする方針だったのに、警察庁出身の自民党有力議員から圧力がかかり、強制捜査は渋谷教会などにとどまった。この話はいろんなところから何回も聞きました」
 国家公安委員長による「被害届はない」という発言を、警察庁が「検挙がない」と訂正したことに対し、ネット上でも不安視する声があがっている。
《冷静に考えると、警察庁からの訂正も「被害届はあるが、ここ12年間一件も検挙できていない」という事になる。それまでは検挙できていたのに、2010年から後は検挙できなくなったというのはどういうことか》
《意味が180度違う。「被害届がない」のが事実であれば問題がない団体だということ。ところが「被害届が出ているのに、検挙がない」というのことなら、問題のある団体であるにもかかわらず、警察は一件の検挙もしていないということになる》
《被害の事実を確かめもせずに、国家公安委員長ともあろう人が公の場で「被害届はない」と断言したことの責任は重いと思われます》
 二之湯国家公安委員長は、2018年に旧統一教会の関連団体が開催したイベントで、京都府実行委員長を務めていたことを認めている。旧統一教会と関連がある政治家が、国家公安委員長という要職にあること自体、おかしいと思う人は多いはずだ。》



2022年 8月 8日
「こういうのってどこでもそうだと思いますけど、いろんなとこから頼まれたら全部出しますけどね。だからまったく(問題)意識はありません。もう1回、言いますよ。どこからでも来たものは全部出してます。よっぽどおかしい団体でなければ。もうこれからは出しません、それだけです」8月5日閣議後記者会見 山口壯環境相(外務副大臣、内閣府副大臣、衆議院安全保障委員長)
 「よっぽどおかしい団体でなければ」頼まれた祝電は全部出す、としながら「もうこれからは出しません」??説明能力ゼロ。旧統一協会に対する認識はどちらなのか。祝電を送ることでその教団と関連組織の権威づけに加担したみずからの責任はどうするのか。
 昨年10月の環境相就任時から、新興カルト宗教への傾倒と秘書への壮絶パワハラを報じられていた人物が笑いながら語る、まったく無責任で稚拙極まる弁明。民主党政権時代も含めて環境相、外務副大臣、内閣府副大臣、衆議院安全保障委員長のいずれにもまったく不適格な者が政権の一翼を担ってきたという笑えないこの国の政治の劣化。
 まさか明後日の岸田内閣改造とやらでこの人物の続投はあり得ないだろうが、それで旧統一協会と安倍元首相を中心とした自民党との癒着の問題に蓋をして済ましてはならない。
《8月5日、山口壯(つよし)環境相は閣議後の記者会見で、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関係イベントに、祝電を送ったことがあると明らかにした。
「こういうのってどこでもそうだと思いますけど、いろんなとこから頼まれたら全部出しますけどね。だからまったく(問題)意識はありません」
 記者から、旧統一教会との関係は分からなかったのか、と問われると、こう繰り返した。
「もう1回、言いますよ。どこからでも来たものは全部出してます。よっぽどおかしい団体でなければ。もうこれからは出しません、それだけです」
 この会見の様子を同日、『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)が報じると、山口環境相の笑顔とともに《どこからでも来たものは全部出してます》とテロップがつけられた画像が拡散。SNSでは《#山口環境大臣に祝電を頼もう》がトレンド入りし、祝電を打ってもらう理由をめぐって大喜利状態となった。
《この度東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラクターであるつば九郎が主催2000試合出場を達成したので是非とも祝電をお願いします》
《日本共産党は党創立100周年を迎えました!》
《このたび、お陰さまで国会議員を続けられることになりました 祝電をお願いします  吉川赳》
《大喪の礼を「たいものれい」と言った三浦瑠麗氏に祝電を送ってやって下さい》
 立憲民主党の蓮舫参院議員も8月6日、自身のTwitterで、《タグのセンス、最高》と賛辞を贈った。
「山口氏は元外務官僚で、民主党政権時代には、外務副大臣を歴任しました。ところが、民主党が野党に転落するとあっさり見切りをつけ、2013年に離党。
 自民党の二階俊博前幹事長と新進党で行動をともにした経緯から、自民党に入党後は二階氏を支え、二階派の事務総長をつとめました。2021年、二階派の力もあり、環境大臣として念願の初入閣をはたしましたが、自らの公式Twitterでアダルト系のアカウントをフォローしていたと指摘され、フォローを解除したことも。
 大臣就任後は『週刊新潮』で、オカルトへの傾倒ぶりと、秘書へのパワハラを報じられてもいます。旧統一教会との関係も、大ごとになるとは思っていなかったのでしょうが、開き直りともとれる発言は、脇が甘いといわざるをえません」(政治部記者)
 SNSでは、山口氏の国会事務所や兵庫の地元事務所の連絡先とともに《#山口環境大臣に祝電を頼もう》とタグを添えるケースも。
《大喜利で盛り上がるのは良いと思うけど、ホントにやったらあかんよ》
と注意する投稿も見られた。もちろん、山口氏の大臣としての資質を問う声も多くあがった。
《どう弁明しようが開き直ってこのニヤついた言動、アウトですよね…》
《一般の会社でも、祝電打ったりする際は反社会組織が否かチェックします。ましてや国の機関で税金使って電報打つのにノーチェックはありえない》
 岸田首相の内閣改造が、8月10日に予定されている。次々と出てくる、認識の甘い閣僚たちのなかで、“続投”できるのは、はたして――。》




2022年 8月 7日
こども代表「平和への誓い」
 あなたにとって、大切(たいせつ)な人(ひと)は誰(だれ)ですか。
 家族(かぞく)、友(とも)だち、先生(せんせい)。
 私(わたし)たちには、大切(たいせつ)な人(ひと)がたくさんいます。大切(たいせつ)な人(ひと)と一緒(いっしょ)に過(す)ごす。笑(わら)い合(あ)う。
 そんな当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)はとても幸(しあわ)せです。
 昭和(しょうわ)20年(ねん)(1945年(ねん))8月(がつ)6日(か) 午前(ごぜん)8時(じ)15分(ふん)。
 道(みち)に転(ころ)がる死体(したい)。
 死体(したい)で埋(う)め尽(つ)くされた川(かわ)。
 「水(みず)をくれ。」「水(みず)をください。」という声(こえ)。
 大切(たいせつ)な人(ひと)を一瞬(いっしゅん)で亡(な)くし、当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)や未来(みらい)が突然(とつぜん)奪(うば)われました。
 あれから77年(ねん)経(た)ちました。
 今(いま)この瞬間(しゅんかん)も、日常(にちじょう)を奪(うば)われている人(ひと)たちが世界(せかい)にはいます。
 戦争(せんそう)は、昔(むかし)のことではないのです。
 自分(じぶん)が優位(ゆうい)に立(た)ち、自分(じぶん)の考(かんが)えを押(お)し通(とお)すこと、それは、強(つよ)さとは言(い)えません。
 本当(ほんとう)の強(つよ)さとは、違(ちが)いを認(みと)め、相手(あいて)を受(う)け入(い)れること、思(おも)いやりの心(こころ)をもち、相手(あいて)を理解(りかい)しようとすることです。
 本当(ほんとう)の強(つよ)さをもてば、戦争(せんそう)は起(お)こらないはずです。
 過去(かこ)に起(お)こったことを変(か)えることはできません。
 しかし、未来(みらい)は創(つく)ることができます。
 悲(かな)しみを受(う)け止(と)め、立(た)ち上(あ)がった被爆者(ひばくしゃ)は、私(わたし)たちのために、平和(へいわ)な広島(ひろしま)を創(つく)ってくれました。
 今度(こんど)は私(わたし)たちの番(ばん)です。
 被爆者(ひばくしゃ)の声(こえ)を聞(き)き、思(おも)いを想像(そうぞう)すること。
 その思(おも)いをたくさんの人(ひと)に伝(つた)えること。
 そして、自分(じぶん)も周(まわ)りの人(ひと)も大切(たいせつ)にし、互(たが)いに助(たす)け合(あ)うこと。
 世界中(せかいじゅう)の人(ひと)の目(め)に、平和(へいわ)な景色(けしき)が映(うつ)し出(だ)される未来(みらい)を創(つく)るため、私(わたし)たちは、行動(こうどう)していくことを誓(ちか)います。
令和(れいわ)4年(ねん)(2022年(ねん))8月(がつ)6日(か)
こども代表(だいひょう)
広島市立(ひろしましりつ)幟町(のぼりちょう)小学校(しょうがっこう)6年(ねん)バルバラ・アレックス
広島市立(ひろしましりつ)中島(なかじま)小学校(しょうがっこう)6年(ねん)山崎鈴(やまさきりん)
「母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂(さくれつ)したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄(すさ)まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります」
「ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません」
「今年初めに、核兵器保有5カ国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです」
「今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます」松井一実広島市長・平和宣言
 原爆投下77年目の広島平和記念式典での子ども代表と松井市長の「平和の誓い」と「平和宣言」の言葉。
 核使用の脅しをしかけながら隣国を侵略し多くの子供や高齢者など一般市民を残虐に殺傷する者たちが語る虚偽に満ちた浅薄な言葉や、この国で国民を収奪するカルト集団と癒着しながら長期政権を築いた政治家らが語る、無知、無責任極まる薄っぺらな言葉とまったく逆の、77年前の広島の地獄絵図のような体験を真摯に学び、核兵器と戦争が厳然と存在する現在の世界に警鐘を鳴らし、平和な未来をつくろうとする誠実な語りが、「本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」と、広島の小学6年生によってなされている。 
 広島出身の岸田首相は非核三原則は堅持するとしながら、式典あいさつでまたしても核兵器禁止条約に何も触れなかったが、唯一の戦争被爆国として核不拡散条約NPTと共に核兵器の開発・威嚇・使用の違法性を確認し核廃絶を目指す核兵器禁止条約に真摯に向き合うことなく、その責任を果たすことはできない。
「世界中の人の目に、平和な景色が映し出される未来を創るため、私たちは、行動していくことを誓います」
 その未来は、広島・長崎の経験から核兵器の違法性と非人道性を深く知るこの国がその廃絶の先頭に立つのでなければ、ましてや核共有という暴論で邪魔をするなら、決して創られることはない。
《広島への原爆投下から77年がたった6日、広島市であった平和記念式典では、広島市立幟町(のぼりちょう)小6年のバルバラ・アレックスさん(12)と同市立中島小6年の山崎鈴(りん)さん(11)が「平和への誓い」を読み上げた。
 ロシアの侵攻で、ウクライナ各地で戦闘が続く。バルバラさんは「今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます」。山崎さんは「本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること」と述べ、「本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」と訴えた。
 2人は最後に「平和な景色が映し出される未来を創(つく)るため、私たちは、行動していくことを誓います」と声を合わせた。
 イタリア出身のバルバラさんは取材に「今は戦争の悲惨さを知るとき。いろんな国に届くように発信したい」、米国で5年ほど暮らした山崎さんは「一人でも多く平和について考えてもらいたい」と話した。(黒田陸離)ーーー





2022年 8月 6日
〈あたりは焼け野原で、家がどこかわからない。
 焼け残った台所の一部を見つけた。
 洗い場には、見慣れたタイル。
 ここが家だ。
 焼け焦げて、2人とも顔がわからない。
 その瞬間。子どもをぎゅうっと抱きしめたのだろう。
 2人の胸が強く合わさった部分だけ、服が焼け残っていた。
 お母さんと、末っ子の公乃(きみの)さん(2)のものだった。
 近くには、大人の遺体。
 そばに小さな遺体。
 お父さんと、三女の裕乃(ひろの)さん(5)だ。
 市内中心部で学徒動員の作業をしていたかよちゃんは、ついに遺骨も見つからなかった。ーーー
「恐ろしい」「恐ろしい」。智津子さんがそう繰り返し、待合室から動けなくなった。
 家族写真を撮ったら、だれかが死んでしまうのではないか。〉
 原爆投下から77年目の今日、投下の前に疎開をするために家族写真を撮り、原爆で父母と三人の妹をころされ、ただ一人生き延びて両親が一代で築いた日本茶専門店「綿岡大雅園(だいがえん)」を再建した綿岡智津子さん(当時16歳)をつたえる記事。智津子さんは妹かよちゃんがこの日学徒動員で居たが骨も見つからない平和祈念公園に戦後ずっと近づくこともできなかったという。 
 残されたいくつかの家族写真は元は白黒写真だが、朝日が早大研究室の協力を得てカラー化した。もとの写真も鮮明で写るひとびとの優しい佇まいをよくつたえるが、カラー化されたことで、写真が昔の記録ではなくまさに今という時を生きる身近な人であること、そしてこのかけがえのない人びとの生命と人生を一瞬で奪う原子爆弾がいかに非人頭的であるかが伝わる。
 朝日など大手メディアはこの国の宿痾である自民党とカルト教団の繋がりを取材し報道する姿勢は及び腰だが、地方局と記者は良い報道をしてくれる。そう思う77年目の夏。
《娘たちの笑顔を撮っては黒い台紙に貼り、お母さんが説明を添える。
 ちづちゃんのうれしそうな顔。かよちゃんのおちょぼ口。
 「ちづちゃん」と家族に呼ばれる綿岡智津子さん(16)は、4人姉妹の長女。おちゃめで明るい、広島のお茶屋さんの娘だ。
 すぐ下の妹の香代子(かよこ)さん(12)と、きょうだいげんかをよくしては「あんたらは、いっつもけんかする」とお母さんをあきれさせている。
 真夏のある日。
 ちづちゃんは、朝から外出した。
 午前8時15分。
 ちづちゃんが働いていた工場が、突然崩れ落ちた。
見慣れたタイル たどり着いた自宅で
 大きなけがはない。
 何かあったら、ここに集まろう。
 家族とそう決めていた高台の民家で待ったが、誰も来ない。
 自宅に向かう。
 あたりは焼け野原で、家がどこかわからない。
 焼け残った台所の一部を見つけた。
 洗い場には、見慣れたタイル。
 ここが家だ。
 焼け焦げて、2人とも顔がわからない。
 その瞬間。子どもをぎゅうっと抱きしめたのだろう。
 2人の胸が強く合わさった部分だけ、服が焼け残っていた。
 お母さんと、末っ子の公乃(きみの)さん(2)のものだった。
 近くには、大人の遺体。
 そばに小さな遺体。
 お父さんと、三女の裕乃(ひろの)さん(5)だ。
 市内中心部で学徒動員の作業をしていたかよちゃんは、ついに遺骨も見つからなかった。
家族写真を撮ったら… 頭では分かっても
 戦後、智津子さんは、街で声をかけられた。
 「写真、焼けんで残っとるよ」
 町の写真屋さんだ。
 撮ったのは、家族が死んだ日の数日前か、前日だったかもしれない。
 両親は家に写真屋さんを呼び、6人全員で家族写真を撮った。
 4姉妹を守ろうと、田舎に疎開する直前だった。戻ってきた時には、空襲で家が焼けているかもしれない。そう思って撮影した。
 お母さんのひざの上には、末っ子の公乃さんがちょこんと座っている。
 お父さんは、三女の裕乃さんの手を優しく握っている。
 私の隣には、家族がいない場所で1人で亡くなったかよちゃん。
 みんなまじめな顔でカメラを見つめている。
 戦後、智津子さんは叔母に育てられた。結婚し、2人の子をもった。
 「明るくてよく笑う、普通のおかあさん」。長女の岩田美穂さん(64)はそうはなす。
 ショックを受けたのは、美穂さんに子どもが生まれ、みんなで写真館に行った時だ。
 「恐ろしい」「恐ろしい」。智津子さんがそう繰り返し、待合室から動けなくなった。
 家族写真を撮ったら、だれかが死んでしまうのではないか。
 そんなことはあるわけがないと、頭ではわかる。
 でも、あの日。原爆投下のすぐ前。
 家族全員で写真を撮ったら、すぐに自分1人だけになってしまったじゃないか。
癒えぬ傷、それでも 両親の店を再建
 平和記念公園にも近づかない。近くに用事があっても、遠回りした。
 そこはあの日、かよちゃんが学徒動員でいたはずの場所だ。
 「言うても、わからん」。智津子さんは原爆について口が重かった。晩年、「お母さんに会いたいな」「妹たちは、生きてたら何歳かな?」と口にし、82歳で亡くなった。
 人間が落とした原子爆弾で、家族全員を突然殺され、癒えることのない心の傷を16歳でつけられた。
 そうした中で、智津子さんは強く生きた。
 智津子さんの両親が一代で築いた日本茶専門店「綿岡大雅園(だいがえん)」は、原爆で消えてしまった。
 それと同じ場所に同じ店名で、智津子さんは夫と戦後に店を再建した。
 長女の美穂さんが小学1年の時に夫が病死した。それでも、智津子さんは1人で、2人の子を育てながら、店を守り続けた。
 智津子さんの両親が開いた「綿岡大雅園」は現在、美穂さんに引き継がれ、広島の街中で、今も店を開けている。(長富由希子)
     ◇
 朝日新聞は核兵器の非人道性を伝えるため、1945年8月の広島、長崎への原爆投下で亡くなった子や両親を失った子がいる家族を取材し、その記憶をたどった。被爆前の子らの白黒写真の提供も受け、早稲田大理工学術院の石川博教授の協力を得て、同研究室が開発した人工知能(AI)技術を用いてカラー化した。》




2022年 8月 5日
「参院選に(自民党で)4回チャレンジしたが、4回とも旧統一教会から支援は受けていない。私は関係ありません」山谷えり子元国家公安委員長(拉致問題担当大臣、海洋政策・領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当))
「山谷えり子先生必勝のためご尽力宜しくお願いいたします」「山谷先生、安倍先生なくして私たちのみ旨は決して成就出来ません」「山谷事務所も30万票必勝体制で臨んでおります」「対策上直接山谷事務所に連絡することはやめて下さい」元参院議員有田芳生氏が公表した2010年参院選での統一教会による山谷候補への組織的な選挙応援を呼びかける内部文書
 嘘つきは泥棒の始まり。その嘘つきと泥棒予備軍がこの国の国家公安委員長、拉致問題担当相だったという、ブラック企業体質そのもの。
 公表された文書は、自らの宗教目標達成のため、いかがわしい組織による選挙支援を自民公認候補者に、秘密裏に行うという工作そのもの。これが元国家公安委員長の実像。即刻議員を辞職せよ。
《自民党の山谷えり子元国家公安委員長は4日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から選挙応援を受けたと指摘されていることに関し、「参院選に(自民党で)4回チャレンジしたが、4回とも旧統一教会から支援は受けていない」と否定した。首相官邸で記者団に語った。山谷氏は同日、岸田文雄首相と拉致問題を巡り面会したが、記者団に「首相と旧統一教会の話はしていない」と述べた。
 旧統一教会の活動に詳しいジャーナリストの有田芳生氏がツイッターに、旧統一教会に関連する政治団体の国際勝共連合が2010年とみられる参院選で、山谷氏への投票を全国に呼びかけたとする内部文書を入手したと投稿していた。山谷氏は3日の毎日新聞の取材にも「私は関係ありません」と話している。【安部志帆子】》



2022年 8月 4日
「(「世界平和女性連合」主催のイベントに出席したが)私は(旧統一教会の関連団体だと)知らなかった」猪口邦子元少子化担当相
「私は関係ありません。(選挙支援は)してもらっていない」山谷えり子元国家公安委員長
 世界平和女性連合(WFWP)は統一協会教祖文鮮明の妻,韓鶴子によって1992年創設され、韓国で開催された創設大会で文は次のように語っている。
21 人類の始祖アダムとエバが犯した原罪によって、偽りの父母となったため、再臨されるメシヤは人類の善なる始祖として、全人類を新しく生み直す真の父母として来られるようになるのです。
22 真の父母は、空中で雲に乗って再臨されるのではなく、今日この時代、我々が生きているこの地上に、韓国人として来られ、平和の統一世界を主導されるようになるのです。
23 私は過ぎ去った七十年の歳月において数多くの迫害を受けながらも、屈することなく、このような教えを全世界で実践してまいりました。このように見る時、私の妻である韓鶴子総裁は、私と共にこの苦難の道を歩んできた全世界の女性の代表者であると言わざるを得ません。
27 私の妻が総裁を務める「アジア平和女性連合」のソウル大会に、世界七十カ国の女性代表が列席する中で、きょう「世界平和女性連合」を創設する趣旨もここにあります。大韓民国が神様の救援摂理の中心国家であり、その祖国であるためです。
 東北大学大学院経済学研究科 川端望教授はこの「世界平和女性連合」について、
「この団体は,一見,普通の非営利組織に見えるのだが,実は,世界基督教統一神霊協会(通称,統一協会または統一教会。現在は世界平和統一家庭連合と改称)という破壊的カルトと一心同体の組織だ。ここで破壊的カルトとは,「入信勧誘の際に、ターゲットの精神の不安定化を図って取り込み、やがて社会常識を捨てさせ、全てを教団の論理で行動させるような団体」のことを指す。この定義は,カルト予防策や社会復帰策等の研究を行う,日本脱カルト協会によるものだが,同会では統一協会をオウム真理教と並ぶ破壊的カルトの例としている。」
と警鐘を鳴らしている。
 創設大会での文の言葉を見れば、この世界平和女性連合が明らかに統一教会と創設者が同一で、さらに大韓民国を摂理の中心とする宗教思想を共有する組織であり、霊感商法や高額献金で日本の信者を収奪するカルト教団の片割れであることは明らかだろう。「知らなかった」はあまりに不見識、無責任。
 有田芳生氏は2010年参院選での山谷えり子候補の支援を統一教会がまさに組織的に行なっていた内部文書を公開している。
 この国の政府の閣僚とくに国家公安委員会委員長であったものらが、この組織の問題を知らず?選挙支援などを受けながら「知らなかった」「関係ない」などと平然と嘘をつくという愚劣さ。
 国家公安委員長がカルト教団支援候補とは、まさにこの国の政権がカルトにどっぷりと染まっているということ。安倍政権で旧統一教会への捜査摘発が無くなったことと同じ、極めて根深い問題。今後の関係は「なしなし」の前に、自らのカルト教団との関わりを厳正に検証・反省することが先であり、本来なら議員辞職が当然だ。
《自民党の猪口邦子元少子化担当相は3日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体「世界平和女性連合」主催のイベントに出席し、同団体の関連月刊誌で対談したことについて「私は(旧統一教会の関連団体だと)知らなかった」と説明した。国会内で毎日新聞の取材に答えた。
 猪口氏は自身のフェイスブックで2017年のイベント出席のほか、20年の対談を報告していた。これらの経緯について「(対談は)男女共同参画の雑誌。一切、統一教会的なものはなく、(団体側は)何もアプローチしてこなかった。それよりも純粋にアフリカの女児の進学とかをやっているわけで、そこの接点だけ」などと話し、団体からの選挙での支援は「全然なかった」と否定した。
今後は「なしなし」
 今後の関係については「なしなし。もう無理だね。男女共同参画とはいえ、悪いけど。旧統一教会はだめですよ。(霊感商法などで)多くの人を惑わせて」と述べた。【大野友嘉子】》




2022年 8月 3日
「安倍晋三元首相を暗殺した容疑者の動機は生々しい怨恨だ。旧統一教会に家庭を破壊され、家族一人一人が悲惨な目に遭った男の復讐は、自民党と旧統一教会の癒着を表沙汰にした。元首相はその広告塔を務め、閣僚等の重要ポストにあった34名を含む自民党議員の半数がこのカルト教団に資金や組織票、実働に依存していたという事実に国民はもっと怒るべきだ」
「憲法嫌いの議員たちは平然と「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条を踏みにじっていたのである。しかも、その事実は以前から知られていたにもかかわらず、事件後もそこに触れようとしないNHKほかマスメディアは、報道の自由度のランクを下げることに貢献している」
「殺された安倍元首相は顕彰すべき功績などほとんどなく、無駄に最長在任記録を作っただけで、その間に民主主義と経済を破壊した。GDPや民間の所得、年金は下落し、倒産、自己破産は増加、数々の疑惑に対し、国会で虚偽答弁を重ね、公文書の改竄、破棄を促し、公金を濫用し、バラマキ外交に終始し、ロシアとの領土交渉に失敗し、ポンコツ戦闘機の爆買い等、米政府のATMとして奉仕し、改憲と軍備増強を訴え、レイプ事件のもみ消しを図るなどの悪行の方が目立つ」
「にもかかわらず、戦死した軍人を軍神に奉るかのように、元首相の神格化を政府は率先して図ろうとし、マスメディアが追従している。議論もないまま拙速に国葬を決めたのも、一連の罪状が蒸し返されるのを避けるため、また旧統一教会との癒着関係の追及をかわすためであろう。つまりは臭い物に蓋をするのに国葬を使うという甚だ不謹慎なことをしている。「死ねば、全て免罪」となるのなら、誰も生前に罪を償う気にはなるまい」
「世直しを希求しながら、現実にはそれがなされないという絶望が一層深まれば、テロに打って出ようとする者が現れてもおかしくない。もちろんテロはあってはならない。しかし、ありえないことやあってはならぬことがしばしば、政治の世界では起きる。安倍が君臨した時代はその具体例に事欠かなかった。政治の劣化が極まれば、社会もそれに合わせて荒廃する」
「策略の真相は闇に葬られ、真相を暴こうとする者も排除され、テロを実行した者に全ての罪を被せ、一件落着が図られることになるのだ。
テロの連鎖は食い止められなければならないが、テロに強烈な動機を与えるような悪政や不正、搾取を改めるより、国家の無法は放置され、監視治安体制と言論弾圧の強化だけが図られる結果になるだろう」
「日本政府はホワイトハウスや国際金融、多国籍企業、CIA、宗教団体などのロビイストが相乗りするバスみたいなもので、首相も大臣も官僚もそれに奉仕する番頭に過ぎない。自民党もその補完勢力も率先して憲法を軽視するが、それは憲法が独裁や戦争、人権軽視を許さない法典であり、市民を守る盾になっているからだ。憲法の条文にはアメリカには絶対服従などとは書かれておらず、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から消し去る努力を宣言している」
「有権者がこのままカルト政権を黙認し続ければ、自由や諸権利が制限され、賃金も年金も上がらず、飢え死にに追い込まれる危険さえある。売国奴政権が防衛費を倍増したところで、アメリカの軍産複合体が潤うだけで、私たちの安全は守られるどころか、今よりもっと他国の攻撃を受けやすくなる」
「何処を見ても敵だらけ。私たちを搾取し、服従を強いるアメリカ。その忠犬として自国民を虐げる世襲議員たち。彼らに取り入り、権勢を振るう官僚たち。税金を逃れ、富を独り占めする資産家たち。彼らの犯罪を見過ごし、私たちに無実の罪を問う警察、検察、裁判所。私たちは今日、立ち上がり、明日、奴らを追い出し、明後日には新しい国を作る。
これに「ただし暴力を用いることなく」とあえて付け加えておこう」
 要人暗殺をテーマとした「パンとサーカス」(2022)の作者島田雅彦氏による安倍元首相銃撃事件の分析と今後の見立て。
 カルト教団に汚染された政治がもたらした日本社会の歪みと深い暗黒が、歯に衣着せぬ単刀直入な言葉で的確に提示されている。
 統一教会と深く繋がった旧清和会・安倍派と異なる現在の岸田政権も、自民党と統一教会の問題解明を行う姿勢とは逆の「国葬」で問題を封印するなか、追求すべきメディアもNHKや朝日などは週刊誌や独立系の後追い記事だけというお粗末さ。
 無謀な侵略戦争の敗戦から77年、この国の一市民として、暴力ではない、言論とたった一票の力がこれほど試されている時はない。
《国民はもっと怒るべきだ
――世の中の全てが愚かな選択の結果だ。
――世直しにはもっと愚かな選択が必要だ。
(以下太字は『パンとサーカス』からの引用)
――『カタストロフ・マニア』でパンデミックと社会の冬眠状態を予言したかと思ったら、今度は要人暗殺を予言しましたね。
『パンとサーカス』を読んだある人にそういわれたが、全然嬉しくない。別の人には半ば冗談で「共謀罪、テロ教唆罪に問われる恐れがある」といわれた。それだけは勘弁願いたいが、作中では主人公の御影寵児が裁判官に向かってこう問いかけている。
小説に書かれている通りの犯罪が起きたら、小説家も逮捕しますか? 腐敗した政権の打倒を夢想したら、罪になるんですか?
「テロを誘発した」などと偏見の目で見られることに耐えなければならないし、暗殺後の社会の趨勢を考えると、深い憂愁に囚われる。私の予言が外れた方が、世の中はいい方に向かうのだが、このままでは確実に暗黒時代のドアが開く。ただ、『パンとサーカス』ではそれに対する心構えを提唱したつもりである。多少のワクチン的効果はあるはずなので、不安を和らげるのにもご活用を。また我が身の安全を確保するためにはもう少し売れて欲しくもある。
安倍晋三元首相を暗殺した容疑者の動機は生々しい怨恨だ。旧統一教会に家庭を破壊され、家族一人一人が悲惨な目に遭った男の復讐は、自民党と旧統一教会の癒着を表沙汰にした。元首相はその広告塔を務め、閣僚等の重要ポストにあった34名を含む自民党議員の半数がこのカルト教団に資金や組織票、実働に依存していたという事実に国民はもっと怒るべきだ。
憲法嫌いの議員たちは平然と「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条を踏みにじっていたのである。しかも、その事実は以前から知られていたにもかかわらず、事件後もそこに触れようとしないNHKほかマスメディアは、報道の自由度のランクを下げることに貢献している。
殺された安倍元首相は顕彰すべき功績などほとんどなく、無駄に最長在任記録を作っただけで、その間に民主主義と経済を破壊した。GDPや民間の所得、年金は下落し、倒産、自己破産は増加、数々の疑惑に対し、国会で虚偽答弁を重ね、公文書の改竄、破棄を促し、公金を濫用し、バラマキ外交に終始し、ロシアとの領土交渉に失敗し、ポンコツ戦闘機の爆買い等、米政府のATMとして奉仕し、改憲と軍備増強を訴え、レイプ事件のもみ消しを図るなどの悪行の方が目立つ。
にもかかわらず、戦死した軍人を軍神に奉るかのように、元首相の神格化を政府は率先して図ろうとし、マスメディアが追従している。議論もないまま拙速に国葬を決めたのも、一連の罪状が蒸し返されるのを避けるため、また旧統一教会との癒着関係の追及をかわすためであろう。つまりは臭い物に蓋をするのに国葬を使うという甚だ不謹慎なことをしている。「死ねば、全て免罪」となるのなら、誰も生前に罪を償う気にはなるまい。
国葬による神格化にはもっとせこい利害が絡んでいる。自民党内の派閥の均衡を保つため、安倍派に配慮したということもあるが、神輿を失った安倍友たちの生き残り作戦でもあろう。国葬の場でのテロを未然に防ぐ名目で、治安強化を図る意図も見え隠れする。
大転向の嵐
今後は大転換ならぬ、大転向の嵐が吹き荒れるに違いない。政権批判をトーンダウンさせることから、言論自粛は始まる。今回の暗殺事件は安倍批判をしていた者たちが誘発したかの短絡や、自民党と旧統一教会の癒着をなかったことにする論調も一部の論客たちに見られたが、そういう「腰砕け」はより顕著になるだろう。右翼による吊るし上げやSNSでの炎上を恐れて、「民主主義を守る」などと紋切り型に終始するような態度も同様である。
元々右翼サイドについていた者たちは増長し、さらにリベラル攻撃を強め、自発的服従を競い合うが、リベラルサイドの切り崩しも始まっている。すでに国民民主党や日本維新の会などは完全に自民党の補完政党であり、清和会に近い外部派閥になっているが、立憲民主党の足元もおぼつかず、立民と共産党との協力関係を妨害し、自民党に秋波を送る連合と同じ轍を踏み、宏池会となら組んでもいいような雰囲気になってきた。このように中道リベラルの右への転向が一層進むことによって、全体主義国家への道筋が既定路線となってゆく。ここはリベラルの踏ん張りどころである。ーーー




2022年 8月 2日
「これまで一切の関係を持っていないと確認できた。関係部門に改めて確認するよう党として指示をして、その結果、これまで一切の関係を持っていない、このような確認でありました。組織的に応援を受けている、こういった一部の発言があるようだがそのような事実は全くありません」自民党茂木敏充幹事長2日
「今日ほど文総裁・韓総裁ご夫妻が説いておられる共生・共栄・共義の精神が切実に必要とされる時代だろうと思っています」安倍晋三元首相 20年8月9日世界平和統一家庭連合=旧統一教会などが主催するイベントにオンラインで
「実は、私も統一教会系団体から選挙で推薦を受けた経験がありまして……推薦を受けるに当たっては団体のトップと面談をします。そこから次のステップまで進むには、二つの条件を満たす必要がある。これまで不倫のスキャンダルがないこと、金銭トラブルを起こしていないこと。それに加えて、安倍元総理の応援している候補、という三つ目の条件がそろえば支援獲得は“鉄板”になります」元国会議員
「喜文。長野から出てる。これを前回(2016年の参院選)で『どうだろう?』と安倍さんが(聞いて)、『統一教会に頼んでちょっと(票が)足りないんだウチが』と言ったら、『わかりました、そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう』ということで」伊達忠一前参議院議長
「(参院選前に)良心的な議員がわたしにこう語りました。『所属する派閥の長から(旧)統一教会の選挙の支援を受けるようにと指示されたが、断った。そのため派閥の長は、その分の票を別の議員に割り振ったようだ』ーーー安倍さんが健在であれば、それも諫言申し上げたと思うので…無念の限りですね」自民党 青山繁晴参議院議員
「日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長、また世界平和連合の太田会長を始め本当に皆様には我々自民党に対して大変大きなお力をいただいていますことを改めて感謝を申し上げたいと思います。おかげさまで安倍政権も5年目を迎えまして『長期安定政権』そのように評価をいただいているところでございます。政治の安定は平和への一歩であります、そういった意味合いからも皆様には引き続き我々に大きなお力を賜りたいと思います」山本朋広衆議院議員(文部科学大臣政務官、復興大臣政務官、内閣府大臣政務官、防衛副大臣、内閣府副大臣)
記者
「『自民党に対して大きな力をいただいている』とは、具体的にどういう意味でしょうか?」
自民党 山本元防衛副大臣
「きちっと事務所にご連絡いただければ、対応いたしますので」
記者
「山本部会長自身は(旧)統一教会とは?」
自民党 山本元防衛副大臣
「あ、ごめんなさい」
 政権与党幹事長であるものが、元首相、党総裁そして派閥の長や参院議長などが、カルト教団と組織的・継続的な関係を保ちその教祖らを賛美して自らを教団の広告塔としながら、国政選挙でさまざまな応援を得てきた事実を調べようとも見ようともせず、意味不明の「関係部門に調査を指示」「一切の関係を持っていない」とまったく出鱈目な発言に終始する。
 まさにカルト教団に汚染されたこの国の政権が自らを検証することもできず権力に縋り付く醜悪極まる姿。カルトのイベントで「我々自民党に対して大変大きなお力をいただいています」といった元防衛・内閣府副大臣はメディアの質問からみっともなく逃げるだけ。
 こういうカルトに染まり腐敗を極めた政治家を国会や政府から放逐するのでなければ、この国の政治と社会が真っ当さを取り戻す道はない。
《自民党の茂木幹事長は、旧統一教会との関係について、「これまで一切の関係を持っていないことが確認できた」と述べ、組織的なつながりを改めて否定しました。
 自民党・茂木幹事長:「関係部門に改めて確認するよう党として指示をして、その結果、これまで一切の関係を持っていない、このような確認でありました。組織的に応援を受けている、こういった一部の発言があるようだがそのような事実は全くありません」
 茂木幹事長は、関係部門からの報告で、旧統一教会とは党として連絡をとったり、党の会合に招待したことなどもないとの回答だったと説明しました。
 そのうえで、個人の活動について、「それぞれの議員が適切に説明を行うべきだ」と述べ、党として所属議員に対し、丁寧に説明するよう促す考えを示しました。》




2022年 8月 1日
もう八月。
ベランダの紫陽花は手すりの上まで来たが、花びらが一部引っ付いている。
先週に続き三宮からjrで海浜公園ひとつ先の須磨に出ると適度な賑わい。ビールとラーメン、コーヒーをいただき、海岸で日光浴とナトリウム冷泉(海水)浴。子供連れと若者たち中心に皆さん楽しそう。
二時間ほどいて、jrで六甲道に寄り、食材買ってバスで帰宅。コロナ禍の二年間の運動不足、日当たり不足を解消するようで、心身ともに心地よい(気がする)。
           





                                                                                                                                                                 
  
     





























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