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2022年 6月30日
日記がわりに。
 24日ロシアの侵攻4ヶ月、市民の犠牲が止まらない。
 25日土曜は三宮Day's kitchenでズッキーニとアンチョビのピザをいただき、なぎさの湯に寄って帰るが、携帯の充電忘れて電源落ち。
 翌日曜ひと月ぶりに西宮北口に行き、11時半前にRyuryuを訪ねると既に待つ人の列。30分以上待って案内されたのは四人掛けの席で、やがてカウンターが空いたので変更してもらう。阪急ガーデンズ屋上でコーヒーのあと一階のスーパーに寄ると「西宮野菜」のコーナーがあり、ほうれん草とパック寿司買って帰宅。
 28日関西も異常に早い梅雨明け。神戸は夏の気温が京都・大阪より2~3度低く、拙宅は標高200mでさらに下がるのだがベランダに日除けを設置。午後アシスト車で御影クラッセを往復して食材購入。
 昨日フランス2は27日ロシア軍のミサイルで破壊され多くの市民の犠牲者を出したウクライナ中部ポルタワ州のクレメンチュクのショッピングモールを記者が取材し、破壊された建物内にロシアのミサイルの破片が残され、隣接する道路機械工場の入り口や施設は無傷で北辺の棟に二発目のミサイルが着弾して破壊されていることを伝える。夜wowwow4kで大林監督の「さびしんぼう」を見る。映像が美しく再現されなんとも素晴らしい。
 今日も晴れて6月とは思えない気温だが、バスと電車乗り継ぎ、送迎がなくなって北鈴蘭台から歩いて先月再開した北区のすずらんの湯を訪ねる。先に食堂で冷やしうどん700円也をいただくと、南高梅と共に麺も絶品の旨さ。露天にゆっくり浸かり、帰りは流石に北鈴蘭台駅までタクシーに乗り、三宮で食材買って帰宅。梅雨は開けたが六甲台では紫陽花が暑さに耐えて咲いている。

               

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2022年 6月29
・27日ウクライナ中部ポルタワ州のクレメンチュクでショッピングモールにロシア軍のミサイルが撃ち込まれた攻撃による死者は、28日の時点で18人。25人が市内の病院の集中治療室に収容され、36人が行方不明に。
・ウクライナ当局者らによると、攻撃には最大1トンの弾頭を搭載できるロシア製の長射程空対艦ミサイル「Kh―22」が使われた。
「ロシア軍はクレメンチュクで、米国と欧州から受け取った兵器が保管されている武器庫を高精度の航空兵器で攻撃した。保管されていた西側の兵器用の弾薬が爆発し、武器庫の隣にあった営業していないショッピングセンターに火災が発生した」28日ロシア国防省
・3月9日ロシア軍はマリウポリの産科・小児科病棟を爆撃し、担架で運び出された母親と生まれる直前だった赤ちゃん、6歳の少女を含む5人が死亡し少なくとも17人が負傷。
「患者はいなかった。爆撃の3日前、ロシアは国連理事会にくだんの病院がウクライナのネオナチ部隊に占拠されていると報告済みだった」3月10日ロシアのラブロフ外相
・3月16日ロシア軍による包囲攻撃が続くウクライナ南東部マリウポリで、600人近くが避難していた劇場へのミサイル攻撃が行われ死者は推定300人に上る。
「ロシアはこの日マリウポリに対して空爆はしておらず、ウクライナ側が劇場を爆破した」ロシア国営のタス通信
・4月8日ウクライナ東部クラマトルスク(Kramatorsk)で女性や子どもを中心に東部を逃れようとする4000人の民間人で混雑する朝の時間帯に、駅が2発のミサイルにより攻撃され、子ども5人を含む少なくとも50人が死亡。ミサイルの残骸にはロシア語で「われわれの子どもたちのために」と白い塗料で書かれており、これは親ロシア派武装勢力がしばしば使う表現。
「4月8日にロシア軍がクラマトルスクの鉄道駅に『ロケット攻撃』を行ったとする、ウクライナの民族主義政権が出した全ての発表は挑発であり、全くの虚偽だ」ロシア国防相
 27日午後の買い物客で混雑するクレメンチュク市ショッピングモールへのロシア軍のミサイル攻撃で、またも多くの民間人の犠牲者を出しながら、「営業していない」「西側の兵器用弾薬が爆発し火災」と虚偽説明を繰り返すロシア。
 この記事の写真はショッピングモール中央から正面側の天井が吹き飛び、建屋が大きく損傷している状況が写されている。明らかにこれは隣の施設からの延焼ではなくミサイルが着弾したもの。
 この中にいた多くの市民が犠牲となりまだ行方不明者も多いが、今日のフランス2の報道ではセンターの北側に隣接する道路機械工場は弾薬庫などではなく、正門や正面建屋などに損傷はなく操業中で、その最北部の棟に同じくミサイル一機が着弾して建屋が壊れているが、その間の建物に損傷も延焼もない。
 英国のロシア大使館は28日「工場と(クレメンチュク市)駅を攻撃してショッピングセンターに飛び火した」と受け取れる説明をツイートしたが、これに対してOSINT分析のべリングキャットはPlanet Labs社の衛星画像で確認し、駅に損傷は無かったと結論付けたと、既に国内でも報じられている。
「ロシア軍のKh-22巡航ミサイルがショッピングセンターに着弾する瞬間」
 「ロシアとウクライナは一体」と唱えながら、その隣国で自らが行ない続ける市民の殺傷という重大な戦争犯罪を、まるで確信的犯罪者のように平然と出鱈目な説明をして言い逃れるロシア政府。国際的な批判の声とともに、ウクライナの検察当局や国際人権団体そして国際刑事裁判所による徹底した調査と責任者の処罰が是非必要だ。
《ウクライナ中部ポルタワ州のクレメンチュクでショッピングモールにロシア軍のミサイルが撃ち込まれた攻撃による死者は、28日の時点で18人に上っている。
ポルタワ州軍政トップのドミトロ・ルニン氏が発表した。
同氏は「あと36人が行方不明になっている。救助作業を続ける」と述べた。これまでに25人が市内の病院の集中治療室に収容されたという。
ウクライナ当局者らによると、攻撃には最大1トンの弾頭を搭載できるロシア製の長射程空対艦ミサイル「Kh―22」が使われたとみられる。
現場では損壊したショッピングセンターの建物を重機などで解体する作業も進められているという。
ルニン氏は「救助隊員、警官、医療従事者、ボランティアなど、1000人を超える人々が徹夜で作業を続けた」と語った。》




2022年 6月23日
「びじゅつかんへお出かけ
 おじいちゃんや
 おばあちゃんも
 いっしょに
 みんなでお出かけ
 うれしいな
 こわくてかなしい絵だった
 たくさんの人がしんでいた
 小さな赤ちゃんや、おかあさん
 風ぐるまや
 チョウチョの絵もあったけど
 とてもかなしい絵だった
 おかあさんが、
 七十七年前のおきなわの絵だと言った
 ほんとうにあったことなのだ
 たくさんの人たちがしんでいて
 ガイコツもあった
 わたしとおなじ年の子どもが
 かなしそうに見ている
 こわいよ
 かなしいよ
 かわいそうだよ
 せんそうのはんたいはなに?
 へいわ?
 へいわってなに?
 きゅうにこわくなって
 おかあさんにくっついた
 あたたかくてほっとした
 これがへいわなのかな
 おねえちゃんとけんかした
 おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
 そして仲なおり
 これがへいわなのかな
 せんそうがこわいから
 へいわをつかみたい
 ずっとポケットにいれて
 もっておく
 ぜったいおとさないように
 なくさないように
 わすれないように
 こわいをしって、へいわがわかった」
ことしの「平和の詩」に選ばれた沖縄市立山内小学校の2年生、※トク元穂菜さんの詩、「こわいをしって、へいわがわかった」
 小学校2年生がおしえてくれる「こわいをしって、へいわがわかった」という、この世のあらゆる戦争や災害に通じる究極の真実。
 「せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットにいれて もっておく ぜったいおとさないように なくさないように わすれないように」



2022年 6月23日
「ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛烈(かれつ)を極めた地上戦の場となりました。
 鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺産や緑豊かな自然を破壊しました。ーーー平和で真に豊かな沖縄の発展に向けて、貴重な自然環境や沖縄独自の文化を、未来を担う子や孫達に引き継いでいくことが私たちの責務です。
 世界においては、依然として地域紛争は絶えることがなく、難民、貧困、飢餓、差別、人間としての尊厳がじゅうりんされるなどの深刻な問題が存在しています。
 ウクライナではロシアの侵略により、無辜(むこ)の市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、 筆舌に尽くし難い衝撃を受けておりますーーー平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか」玉城デニー沖縄県知事「平和宣言」
「那覇市から、沖縄本島北部に避難しましたが艦砲射撃で人が死んでいくのを見ました。戦争は人殺しです。ロシアのウクライナ侵攻は沖縄戦の経験者として、胸が痛くなって何とも言えないです」「対馬丸」で兄2人を失い、自身も沖縄で戦争を経験した南城市の83歳の男性
「父には『平和で暮らしているので見守ってほしい』と語りかけました。ウクライナの戦争で子どもが殺された話を聞くとつらいです。この世から戦争がなくなってほしいです」当時27歳の陸軍兵士だった父親の知念牛さんを亡くしたが遺体は見つからない仲村光子(77)さん
「私が生まれる直前に亡くなっているので、父の手触り感はないが、私のような思いをする人を出さないような世の中になってほしいと願い、毎年、来ている。アメリカ軍基地のない平和な沖縄になってほしい」父親がアメリカ兵に銃撃されて命を落とした76歳の女性
「沖縄戦で亡くなった若い子や、戦争孤児の存在を学んで、平和祈念公園に足を運びました。ウクライナでも戦争があって平和は大事だと思います。アメリカ軍基地問題も少なくなってほしいと思います」母親と平和祈念公園を訪れた14歳の女の子
 沖縄の一般市民12万人を含め24万人が亡くなった沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日から77年目の「慰霊の日」。
 玉城知事と平和の礎に集う人びとが語る、肉親や友人が亡くなった状況も遺骨の収拾もままならない沖縄戦の実態は、町や住居が破壊され幼児から高齢者まで市民が殺され、遺体の収容もできずミサイルや砲撃の恐怖にさらされ続けるいまのウクライナの状況に通じる。
 ロシアのウクライナ侵攻を理由にして、沖縄本島や南西諸島に軍事基地を置き続けさらに拡充することは、再び沖縄を「本土の捨て石」にすること。
 知事が語る「核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立」のための、相互の尊重と対話による平和の追求。これが、「 命どぅ 宝」「万国津梁」を掲げた沖縄=琉球王国が沖縄戦を経ていまの日本と世界に示すかけがえのない規範だ。
《平和宣言  
 ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛烈(かれつ)を極めた地上戦の場となりました。
 鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺産や緑豊かな自然を破壊しました。
 あれから77年目となる6月23日を迎えました。
 戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した県民は、一人一人の不断の努力と揺るぎない信念を持って、戦後の廃墟と混乱から懸命に立ち上がり、共に手を取り合って幾多の困難を乗り越えてきました。
 今年、沖縄は本土復帰50年の節目の年です。
 復帰の前年1971年、当時の琉球政府が日本政府・国会に提出した復帰措置に関する建議書においては、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。
 しかしながら、今なお国土面積の約0.6%しかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70.3%が集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌等の環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。
 このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小や、日米地位協定の抜本的な見直し、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念等、沖縄の基地問題の早期の解決を図ることを強く求めてまいります。
 平和で真に豊かな沖縄の発展に向けて、貴重な自然環境や沖縄独自の文化を、未来を担う子や孫達に引き継いでいくことが私たちの責務です。
 世界においては、依然として地域紛争は絶えることがなく、難民、貧困、飢餓、差別、人間としての尊厳がじゅうりんされるなどの深刻な問題が存在しています。
 ウクライナではロシアの侵略により、無辜(むこ)の市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、 筆舌に尽くし難い衝撃を受けております。
 沖縄県としては、人道支援の立場から、ウクライナからの避難民受け入れ等の支援を行っており、一日も早い平和の回復を強く望みます。
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と、ユネスコ憲章の前文に記されております。
 平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか。
 沖縄には、独自の歴史や文化によって培われた寛容の心と万国津梁の精神で多くの国々と交流し、平和を維持してきた歴史があります。
 このような歴史を積み重ねてきた沖縄県では、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻銘した「平和の礎」を建設しました。
 今年も新たな追加刻銘を行い、24万1686人の方々が刻銘されており、この取組は今なお続いております。
 私たちは、激動が続く世界情勢の中で、今こそ、平和の礎に込められた平和と命の尊さを大切にする「沖縄の心・チムグクル」を国境を越えて世界に発信していくことが重要だと考えております。
 戦後77年が経ち、戦争を知らない世代が大半を占めるなど悲惨な沖縄戦の記憶が薄れていく中で、忌まわしい戦争の記憶を風化させないために、沖縄戦の実相や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
 沖縄県では、復帰当時の県民の願いを引き継ぎ、復帰から50年経った現在においてもなお残る課題の解決と、県民が望む沖縄21世紀ビジョンで描く沖縄のあるべき姿の実現に向け、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をとりまとめました。
 令和4年度から始まった「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」に基づき、県民が望む「平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向けて、沖縄県の持つ様々な特性を活かしながら、「誰一人取り残すことのない優しい社会」の実現に全力で取り組んでまいります。
 私たちは、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。
 「 命(ぬち) どぅ 宝(たから)」んでぃ 言(いゅ) る格言(いくとぅば)や、私達(わったー)御先祖(うやぐゎんす)ぬ 遺(ぬ)くちくぃみそーちゃる何事(ぬーぐとぅ)にん勝(まさい)る黄金言葉(くがにくとぅば)やい(ゐ)びーん。
 くぬ命宝(ぬちだから)やる格言(いくとぅば)や、何時(いつぃ)ぬ時代(でー)までぃん 継(つぃ)なじいちゃびらな。
 誰一人(たーちゅい)やてぃん命奪(ぬちぼー)らってぃんならん、あんし奪(ぼー)い(ゐ)んさんぐとぅ 御万人(うまんちゅ)が心穏(なだやし)くそーてぃ暮(く)らさりーる安寧(くくるやっさ)る世(ゆ)ぬ中(なか)んかい(ゐ)なさびらな。
 子供達(わらびんちゃー)ぬ瞳(みー)が輝(ふぃちゃ)い(ゐ)かんてぃ、 全(まじり)ぬ方々(ぐにんじゅ)が幸(しぇーえー)やんでぃ いゅる実感(うむい)ぬない(ゐ)る希望(ぬじゅみ)ぬ満(み)っち溢(あん)でぃーる社会(ゆぬなか)なしみてぃ 今世(なまぬゆー)から未来(あとぅぬゆー)までぃん築(つぃみかさび)てぃいちゃびらな。
 Your lives matter
 It is life, itself, that matters more than any treasure 
 Nobody has the right to take another life
 Nobody should be left behind or have to live with fear  
 We will pass our faith of “Nuchi-du-takara”(命どぅ宝) on to the succeeding generations
 So that we can create a society where our children’s eyes brightly with hopes, and all people are able to live in peace
 Let's work together to hand down our compassionate society that embodies the spirit of the Okinawan People
 Let’s continue building a bright future for our children and grandchildren!
  本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和の尊さを正しく次世代に伝え続け、国際平和の実現に貢献し、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。  
令和4年6月23日  沖縄県知事玉城デニー 》




2022年 6月22日
「『幸せな人生をありがとう』とか、別れを告げることができない。どんな人生を歩んだか残すことができない。このような死が人間の死として認められるでしょうか。(核兵器は)人権と共存できない非人道的な絶対悪」
「原爆は無数の命を奪った。そのほとんどが子供、女性、老人の弱者だった。家族にみとられて亡くなったのはわずか4%だ。どこで死んだのか、遺骨がどこにあるのかも分からない人がたくさんいる。このような死が人間の死として認められるだろうか。絶対に許されない」
「被爆者の不安、苦しみは時が経って消え去るものではない。子どもへの不安、孫への不安、全ての人に広がっていく。私たちは核兵器をなくすこと、戦争をなくすことを求めてきた。この願いが核兵器禁止条約の成立につながった。条約は被爆者の願いそのものです」日本原水爆被害者団体協議会事務局長 木戸季市(すえいち)さん(82)
 77年前5歳のとき長崎で被曝した方の、核兵器禁止条約第1回締約国会議前日の「核兵器の非人道性に関する国際会議」(ウィーン)での言葉。
 人間らしく生きることも死ぬことも許さない、人の死に際しての尊厳すら奪う核兵器の惨たらしさと非人道性は、今ウクライナでロシア軍の攻撃で亡くなる市民にも共通する。
 この前日の会議にだけ参加した外務省課長の迷走する言葉とは真逆の、人類の未来を切り開く被爆者の声。約80カ国・地域の人々が深く傾聴し長い拍手が続いたと伝えられるが、何より日本政府こそが真剣に耳を傾けるべきだ。
《核兵器禁止条約の第1回締約国会議が、ウィーンで21日(日本時間同日夕方)に始まる。前日の20日、オーストリア政府主催で核兵器の「非人道性」をテーマにした国際会議があり、長崎原爆の被爆者が「人間らしく生きることも許されない」とスピーチした。
 木戸季市(すえいち)さん(82)=岐阜市=が、約80カ国・地域の代表を前に語り始めた。
 77年前の1945年8月9日、長崎市。5歳だった。爆心地から南に2キロほどのところにいた。
 配給に向かう母を追いかけ、自宅を出た。飛行機の音が聞こえ、空を見上げた。ピカッと光ったかと思うと、ドーンという音が響く。20メートル吹き飛ばされ、気を失った。
 目覚めると、顔の左半分が熱かった。母も顔にやけどをしていた。2人で山の斜面を掘っただけの防空壕(ごう)へ逃げ込んだ。うめき声があちこちから聞こえてきた。
 光がもたらしたのは「死」だった。壇上で声を詰まらせながら、木戸さんは訴えた。「『幸せな人生をありがとう』とか、別れを告げることができない。どんな人生を歩んだか残すことができない。このような死が人間の死として認められるでしょうか」。核兵器を「人権と共存できない非人道的な絶対悪」とも表現した。
 私は3度、被爆者になった――。木戸さんがよく口にする言葉だ。
 最初は実際の被爆。2度目は、あの日の写真を見たときだ。
 終戦後、原爆関連の報道は連合国軍総司令部(GHQ)が規制していた。禁止が解かれた52年、被爆直後の広島・長崎を撮った写真が、アサヒグラフに載った。
 12歳だった木戸さんがこの写真誌を手にとることはなかったが、ニュースで写真に触れた。やけどで横たわる人、真っ黒になった遺体。被爆した翌日、爆心地近くを歩いたときに見た光景と同じだった。被爆者だと自覚させられた。
被爆者と明かせなかった
 「被爆したことはしゃべったらいけない」。高校生のころ、担任の友人で被爆者の女性教師から言われた。京都の大学に進学すると、被爆者と明かすことがはばかられた。
 「長崎出身」と言えば、原爆が投下された日のことを聞かれた。いつも理由をつけて話さなかった。
 大学3年のとき。友人に初めて体験を語った。隠し続けることが耐えられなかった。友人は「わかっていた。必ず話をそらすから」とうなずいた。
 罪悪感が晴れた気がして、ふと思った。「僕らが被爆の記憶のある最後の世代。将来、何かをしなければならない時が来るだろう」と。
 大学を出て、岐阜市の短大で講師をした。90年、被爆者団体がなかった岐阜県で、被爆者向けの相談会に参加した。
 100人以上が集まった会で、団体をつくるよう求める声が上がった。若手だった自分に白羽の矢が立ち、翌年に発足した県原爆被爆者の会(岐朋会)の事務局長になった。
 以来、国内外で原爆の悲惨さと核の廃絶を訴えてきた。被爆者としての役割を見つけたとき、「3度目の被爆者」になった。
生き方を見つけた
 「今は4度目と思っている」と言う。ウィーンには、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長として来た。
 過去3度は、外からもたらされた出来事が影響した。今は、自己の内面から出てくる思いがある。80歳を過ぎ、生き方をやっと見つけた気がしている。
 谷口稜曄(すみてる)さんや山口仙二さん、坪井直(すなお)さん……。スピーチをすることが決まってから、被団協をつくってきた故人たちの顔が、頭に浮かぶようになった。
 志を受け継げているだろうか。十分ではないにしても、大学時代からあった「何かをしなければならない時」は、今だと思う。
 マイクに向かい、力を込めた。「被爆者の不安、苦しみは時が経って消え去るものではない。子どもへの不安、孫への不安、全ての人に広がっていく」
 「私たちは核兵器をなくすこと、戦争をなくすことを求めてきた。この願いが核兵器禁止条約の成立につながった。条約は被爆者の願いそのものです」(ウィーン=岡田真実)》




2022年 6月22日
・被爆者からは日本も参加すべきではないか、との声がある。不参加の背景は?=テレビ朝日
「核禁条約は『核兵器のない世界』の出口として、非常に重要な条約だと認識している。他方で、核兵器国の関与がないと核軍縮は進まない。核兵器禁止条約には核兵器国が1カ国も参加していない。そういったことを考えて今回、締約国会議には参加しないということだ」
「NPT再検討会議、核兵器国が参加するNPT会議の方で、意義ある成果をめざすというのが、まずやらなくてはいけないことだ」
(日本がかねて軍縮分野で自任してきた「橋渡し役」とは、なにか?=朝日)
「核兵器国と非核兵器国が分断した状況で、核兵器国の関与を得るということが極めて重要なので、そういう意味で橋渡しをして、関与が得られるように努力をしていく」
・締約国会議に出なくても、橋渡しをするのに十分なほど、核禁条約の推進国から理解は得られる、という考えなのか?=朝日
「理解が得られるかというのは相手国との関係もあることなので、独りよがりに私から断言はできない。努力しなければいけないのは核兵器国の『関与』を得ること、というのが我々の立場。そちらに注力していきたい。特にNPTを重視していきたい」
「NATOは28カ国(正しくは30カ国)ある中で、いろんなポジションを取っている。日本としては核兵器国がちゃんと入っているNPTで、ちゃんとした有意義な結果を出すことが目下最大の課題。核兵器国の関与をどのように引き出すのかが中心課題と考えている」
・日本が核軍縮に向けて、核保有国を巻き込むことは現実的に可能なのか?=毎日
「本当にできるかどうか。結果についてはなかなか、私の口からは申し上げにくい。核軍縮の世界は厳しい状況にあることは認めざるをえない。そういう時だからこそ、NPTについて再度、核兵器国を関与させる、という方針のもとでがんばっていくことがミッションだと考えている」
・82歳の木戸さん(日本被団協・事務局長)がわざわざウィーンまで来て、被爆証言をして、条約の批准も求めている。どのように受け止めているのか?=中国新聞
「まず当然ながら、被爆者の方々の今回の出席は非常に重視していますし、被爆の実相を広めるのは核軍縮外交で極めて重要。それは、核禁条約の前から取り組んできたことだ」
・表面的に被爆者を利用しているのではないか、という声がある。なぜ、豪州やノルウェーに(締約国会議への出席が)できて、日本にできないのか?=中国新聞
「日本の方針としては、核兵器国の関与だ。被爆者の声は当然受け止める、というのは政府の姿勢。たとえば、来年G7(主要7カ国)を広島で開催する、被爆地に要人を呼ぶ、というのは我々の掲げている重要な政策だ」
・いかにしてNPT会議で核兵器国を関与させるのか?=朝日
「相手がある話なので、簡単に答えが出るようであれば難しい話ではない。たとえば総理は『国際賢人会議』を立ち上げると言っているし、いろんな人の知見を得ながら」
・核禁条約はNPTを補うものだという「補完性」について?=毎日
「核禁条約がNPTに補完的かどうか。核禁条約の支持国はそう(補完的だと)言うし、条約にも書いてある。他方で、国によっては、そもそも核禁条約は核兵器の保有と使用を禁止しているが、NPTには書いてないのだからどうやって両立させるのか、という声があるのも事実だ」
・国際社会の中における地位の低下が懸念されるのでは?被爆国としてのアイデンティティーが薄まるのでは?=各社
・締約国会議にオブザーバーとして出ると、どんなデメリットがあるのか?=朝日
「少なくともいまの段階では、核禁条約には核兵器国が1カ国も入っていない。そういうことが一番大きいーーそこは、それ以上はなかなか説明できない」外務省石井良実・軍備管理軍縮課長
 核兵器禁止条約に核保有国が一国も参加していないから、唯一の戦争被爆国で「核兵器のない世界」を共有する日本は条約にも締約国会議へのオブザーバーにも参加しない、核兵器国の関与を求め「橋渡し」はするが日本は核禁条約に関与しない、という全く破綻した論理を、核兵器禁止条約の第1回締約国会議の前日ウィーンで報道陣に開陳する無責任極まる外務省軍備管理軍縮課長。
 この課長は、現在NATO加盟国が2017年モンテネグロ、2020年北マケドニアの加盟により30か国であることも、NPTが1970年発効以来締約国数は191か国・地域に増えたが、インド、パキスタン、イスラエル、南スーダンは参加せず北朝鮮は2003年に脱退し核保有国が増加していること、1995年以降5年ごとに開かれるNPT運用検討会議も2005年、2015年には核軍縮・不拡散の現実的措置を含む何らの合意文書も採択せず、2010年の会議も「核兵器のない世界」の達成に向けた言及と核軍縮に関する「明確な約束」を再確認するだけで終わっていることも知らないらしい。
 NPTに書いていない「核兵器の保有と禁止」を核禁条約は明示しているから日本は核禁条約には参加せず「NPTで成果を目指す」が、核禁条約参加国からの理解を得られるか、NPTで結果を出せるかは「私から断言はできない」「私の口からは申し上げにくい」と。
 森友・加計に忖度した財務・文科官僚と同じく、核保有国に忖度し自粛する日本政府に忖度し全く筋の通らない説明を記者そして国民に述べる外務官僚。この国の政府と官庁がどんどん矮小化している。
 ロシアが核の脅しを使って隣国ウクライナに侵攻する今こそ、唯一の戦争被爆国であるこの国は核兵器の非人道性と残虐性を世界に訴え、率先して核兵器の禁止と廃絶を目指す核兵器禁止条約に参加すべきだ。核保有国が参加すれば参加するとは、外交の放棄そのもの。
《核兵器禁止条約の第1回締約国会議が21日午前10時(日本時間21日午後5時)から、ウィーンで始まる。日本政府はなぜ、会議に参加しないのか。オブザーバーとして出ることに、どんなデメリットがあるのか。会議開幕を十数時間後に控えた20日夕(日本時間21日未明)、外務省の石井良実(よしざね)・軍備管理軍縮課長が30分にわたって日本メディアの取材に応じた。
日本、核禁条約なぜ不参加? 初会議前のウィーンで外務省課長が説明
 取材は現地時間午後6時45分、コンベンションセンターの建物横で始まった。石井課長はここで、「核兵器の人道的影響に関する会議」に参加していた。
 外はまだ明るい。報道陣は二十数人。石井氏はその多さに、「すごいな」と驚いた声をあげた。
 報道陣は被爆地である広島や長崎、さらには東京やニューヨークから、一連の取材をするためにウィーンを訪れている。複数人で取材に当たる社も多い。朝日新聞も、締約国会議は広島、長崎の記者も含めて4人で取材する。全社合わせれば、日本の報道陣は40人を超すとみられる。世界のメディアの中でも突出して多い。
 だが、その対象となる締約国会議に、日本政府は来ない。なぜか。最初にテレビ朝日の記者が「被爆者からは日本も参加すべきではないか、との声がある。不参加の背景は」と聞いた。
日本は橋渡し役になれるのか
 石井課長は答える。
 「核禁条約は『核兵器のない世界』の出口として、非常に重要な条約だと認識している。他方で、核兵器国の関与がないと核軍縮は進まない。核兵器禁止条約には核兵器国が1カ国も参加していない。そういったことを考えて今回、締約国会議には参加しないということだ」
 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のフィン事務局長は19日、「日本が橋渡し役になりたいなら、姿を見せ、相手の話に耳を傾ける必要がある」と語っていた。
 石井課長が強調したのは、核不拡散条約(NPT)の重要性だ。1970年に発効し、半世紀以上の歴史がある。米国、ロシア、中国、英国、フランスの5カ国を核保有国として認めつつ、核軍縮の努力義務を課す。8月には再検討会議があり、核軍縮の履行状況などが話し合われる。
 石井課長「NPT再検討会議、核兵器国が参加するNPT会議の方で、意義ある成果をめざすというのが、まずやらなくてはいけないことだ」
 ただ、北大西洋条約機構(NATO)からドイツ、ノルウェー、オランダ、ベルギーの少なくとも4カ国が参加し、さらに「核の傘」に頼る豪州も会議に出ると表明している。テレ朝の記者がさらに尋ねる。日本にとって、参加することのデメリットは何か。同盟国である米国に誤ったメッセージを与えてしまうと考えたのか。
 石井課長「うーん、そういうことよりも先ほど申し上げた通り、核兵器国が1カ国も参加しないと。そういう人たちの協力を得ることに努力を集中したい、ということ」
 私は日本のスタンスを改めて尋ねた。日本がかねて軍縮分野で自任してきた「橋渡し役」とは、なにか。
 石井課長が答える。
 「核兵器国と非核兵器国が分断した状況で、核兵器国の関与を得るということが極めて重要なので、そういう意味で橋渡しをして、関与が得られるように努力をしていく」
 ただ、日本政府の不在はどうしても目立つ。核禁条約をないがしろにしているとの印象を与えれば、「橋渡し役」は一定程度困難にならざるをえない。
 私「核禁条約の締約国会議に出なくても、橋渡しをするのに十分なほど、核禁条約の推進国から理解は得られる、という考えなのか」
 石井課長「理解が得られるかというのは相手国との関係もあることなので、独りよがりに私から断言はできない。努力しなければいけないのは核兵器国の『関与』を得ること、というのが我々の立場。そちらに注力していきたい。特にNPTを重視していきたい」
「NPTで結果を出すことが目下の課題」
 するとここで、毎日新聞の記者がさらに尋ねた。
 「他の国が『対話を模索する』として参加を決める中、今回の出席見送りは政策判断として誤っていた、とは考えないか」
 石井課長は「我々として考えた上で今回の決断になったので、そのように(誤っているとは)考えてはいない」と言い切り、言葉を続けた。
 「NATOは28カ国(正しくは30カ国)ある中で、いろんなポジションを取っている。日本としては核兵器国がちゃんと入っているNPTで、ちゃんとした有意義な結果を出すことが目下最大の課題。核兵器国の関与をどのように引き出すのかが中心課題と考えている」
 ただ、核軍縮は進展の兆しが見えない。それに対する不満が、2017年の核禁条約採択につながった。核禁条約の締約国は現在、62カ国・地域に上る。日本が核軍縮に向けて、核保有国を巻き込むことは現実的に可能なのか。
 「本当にできるかどうか。結果についてはなかなか、私の口からは申し上げにくい。核軍縮の世界は厳しい状況にあることは認めざるをえない。そういう時だからこそ、NPTについて再度、核兵器国を関与させる、という方針のもとでがんばっていくことがミッションだと考えている」
 広島に本社がある中国新聞の記者がぶつけた質問は、被爆者のことだった。
 「82歳の木戸さん(日本被団協・事務局長)がわざわざウィーンまで来て、被爆証言をして、条約の批准も求めている。どのように受け止めているのか」
 木戸さんはこの3日間、精力的に核廃絶を訴え続けてきた。20日にあった「核兵器の人道的影響に関する会議」では、長崎で被爆した5歳のときの体験を証言し、会場からこの日一番の拍手を浴びていた。
 中国新聞記者と石井課長のやりとりが続く。
 石井課長「まず当然ながら、被爆者の方々の今回の出席は非常に重視していますし、被爆の実相を広めるのは核軍縮外交で極めて重要。それは、核禁条約の前から取り組んできたことだ」
 中国新聞記者「表面的に被爆者を利用しているのではないか、という声がある。なぜ、豪州やノルウェーに(締約国会議への出席が)できて、日本にできないのか」
 石井課長「日本の方針としては、核兵器国の関与だ。被爆者の声は当然受け止める、というのは政府の姿勢。たとえば、来年G7(主要7カ国)を広島で開催する、被爆地に要人を呼ぶ、というのは我々の掲げている重要な政策だ」
オブザーバー参加のデメリットは
 では、重要になるのは、いかにしてNPT会議で核兵器国を関与させるのかだ。
 私がそれを石井課長にぶつけると、こう答えが返ってきた。
 「相手がある話なので、簡単に答えが出るようであれば難しい話ではない。たとえば総理は『国際賢人会議』を立ち上げると言っているし、いろんな人の知見を得ながら」
 石井課長はまた、核禁条約はNPTを補うものだという「補完性」について、毎日新聞記者の質問に答えた。
 「核禁条約がNPTに補完的かどうか。核禁条約の支持国はそう(補完的だと)言うし、条約にも書いてある。他方で、国によっては、そもそも核禁条約は核兵器の保有と使用を禁止しているが、NPTには書いてないのだからどうやって両立させるのか、という声があるのも事実だ」
 報道陣の中には、明らかないらだちを見せる記者もいた。「国際社会の中における地位の低下が懸念されるのでは」「被爆国としてのアイデンティティーが薄まるのでは」。言葉に怒気が含んだ質問もあった。
 私は終盤、もう一度聞いた。締約国会議にオブザーバーとして出ると、どんなデメリットがあるのか。
 石井課長「少なくともいまの段階では、核禁条約には核兵器国が1カ国も入っていない。そういうことが一番大きい」
 核兵器国との距離が遠くなってしまう、ということか。
 石井課長「そこは、それ以上はなかなか説明できない」
 質問がなくなるまで石井課長は答え続けた。ただ、核保有国の関与を重視するという答え以上のものはなく、取材対応は終わった。
 締約国会議では、オブザーバーとして参加した場合、発言や資料配布をすることができる。意思決定にこそ加われないが、少なくとも核廃絶に対する思いは同じだと、伝えることができる。
 日本政府の不参加が覆りそうな気配はない。では、8月のNPT再検討会議で存在意義を示せるのか。「橋渡し役」として機能できるのか。
 歴史的な会議で欠席の道を選んだ日本政府は、それを問われることになる。(ウィーン=藤原学思)》



2022年 6月22日
日記がわりに。
7日nhk国際報道は車に乗った両親をロシア軍の銃撃で亡くしたマリウポリの8歳の少年が記した日記を伝える。
12日鶴甲コープへの買い出しで道すがら満開の紫陽花。14日関西も梅雨入りだそうだが、英BBCが伝えるウクライナ東部ドネツクでロシアの砲撃のなか祈る住民と破壊された街並み。
17日晴れてひと月ぶりに岡本に出てガーデンテラスでグラタンをいただき住吉うはらの湯に浸かって帰宅。夜朝方録画した国際ニュースを見ると戦死したウクライナ兵士の墓の列と遺族の悲しみの姿。
18日三週ぶりにil ventoでパターテピザをいただき三宮で食材買って帰宅。残念ながら地元農家のマーケットは終了していた。
夏至の昨日はようやく梅雨らしい雨、お昼にじゃがいもでシンプルなパスタを作ると、意外と美味しい。やはり国際ニュースが戦時下の大道芸でウクライナの子供たちが久しぶりに楽しい時を過ごす一コマを伝える。
今日は午後晴れて、久しぶりにアシスト車で水道筋灘温泉に寄って六甲道で食材買って、最後は夏らしい暑さで汗をかきながら帰宅。明日も晴れ予報。



2022年 6月19日
「岸田首相は『核兵器のない世界』と口にするが、実現の道は会議に行くことだ」広島県原爆被害者団体協議会 佐久間邦彦理事長
「ロシアのウクライナ侵攻で、核兵器による平和はあり得ないことが明らかになった。政府の不参加は『残念』で済む問題ではない」原水爆禁止広島県協議会 高橋信雄代表理事
「最後まであきらめず、政府にオブザーバー参加を求めたい」カクワカ広島 田中美穂共同代表
 21日に始まる核兵器禁止条約第1回締約国会議に、NATO加盟国ドイツとノルウェーに続き昨日オランダとベルギーも新たにオブザーバー参加を表明。13日には中米グアテマラが同条約の批准書を国連に送り中米8カ国すべてが締約国となり、同条約批准は62カ国となった。
 最大の核保有国かつ国連安保理常任理事である国が核使用の恫喝と共に隣国を残虐に侵略するなか、唯一の戦争被爆国であり非核三原則を唱える日本が、広島出身の首相のもと核兵器禁止条約に背を向けることなどあってはならない。ロシアのウクライナ侵攻は、核抑止論の虚構、理性的でない政権担当者による核戦争勃発の危険が常に存在するという事実を人類に突きつけている。今必要なのは、発効から50年経ても核保有国自らの核廃絶の道筋が立たない「核拡散防止」ではなく、核兵器の違法性・非人道性を確認しその保有と使用を禁止する国際的な合意であり、その実現に率先して取り組むのが壮絶な被曝経験を有するこの国の責任だ。
《オーストリアの首都ウィーンで21日から開かれる核兵器禁止条約の第1回締約国会議を前に、広島県内の被爆者団体などが18日、広島市中区の原爆ドーム前で集会を開き、日本政府に条約への参加や核兵器廃絶を訴えた。
 岸田文雄首相は15日、会議へのオブザーバー参加を見送ると発表した。約80人の参加者は横断幕や紙を掲げて「条約に今すぐ参加を」「核共有より核兵器禁止を」などと訴え、署名を集めた。
 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(77)は「岸田首相は『核兵器のない世界』と口にするが、実現の道は会議に行くことだ」と指摘。原水爆禁止広島県協議会の高橋信雄代表理事(83)は「ロシアのウクライナ侵攻で、核兵器による平和はあり得ないことが明らかになった。政府の不参加は『残念』で済む問題ではない」と話した。
 「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)は、岸田首相が会議にオブザーバー参加するよう求めるオンライン署名(https://chng.it/sgZ57LnTkx)を23日まで集めている。田中美穂共同代表(27)は「最後まであきらめず、政府にオブザーバー参加を求めたい」と呼びかけた。【根本佳奈】》



2022年 6月17日
「現実に発生した地震は長期評価に基づいて想定される地震よりはるかに規模が大きかった。津波も試算より規模が大きく、到来した方角も異なり、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても大量の海水の浸入は避けられなかった可能性が高い」最高裁判所第2小法廷 菅野博之裁判長
「今回の地震があまりに大きな地震で、津波があまりに大きな津波であったたため長期評価を前提に行動したとしても、事故を回避することができたと判断するのは無理が大きすぎるからだ」菅野裁判官補足意見
「『長期評価』は、地震防災対策の強化を図るためにそれまでに得られた科学的・専門技術的な知見を用いて適切な手法で策定されていて、基本的な信頼性は担保されていた。長期評価の公表後、国がみずから、または東京電力に指示をして、津波を試算していれば、最大で15.7メートルの高さの津波が襲来することが想定され、今回と同様の事故が発生するおそれがあることは明らかだった。国も東京電力も対策を適切に検討しなかったことは明らかで、住民の生存や生活を守るための法律がないがしろにされていたというほかない。事故は回避できた可能性が高く、国が対策を命じなかったことは違法だ」三浦守裁判官反対意見
「防潮堤の設置に加え、浸水対策を合わせてとることを前提に国が規制の権限を行使していれば事故は防ぐことができた」国の責任を認めた千葉、愛媛の訴訟2審判決
「私たちのように原発事故による放射線におびえながらも避難をする手立てもなく福島県内にとどまった人は多くいます。原発事故による“生きる苦難”がいまも続いている中できょうの判決は絶対に許せないです」福島訴訟原告団団長 中島孝さん
「避難して11年間、原発事故で失ったものや取り戻せないものはたくさんあります。国に謝ってほしい。償ってほしい。実態に見合った救済を進めてほしいと思ってきて、わずかな光として裁判所が事故の責任を明らかにしてくれると信じていました。判決は残念でならず、国民を守らない国に原発を動かす資格はないと思います」群馬訴訟原告 丹治杉江さん
「まことに残念な判決でした。原発は絶対安全・安心と国と東電が言い続け、それを信じていたのに災害が起き、避難を余儀なくされている。なぜ、安全・安心と言っていたのか国の判断は正しかったのか裁判所に国の責任を認めてほしかった」千葉訴訟原告代表 小丸哲也さん
「私たちは、苦しい生活から早く抜け出したい。前に進みたいという切実な願いを持ちながらも国がこれまで応じてくれなかったために司法に頼ってきました。東電だけに責任を負わせて終わらせてしまうのでは、原発事故を起こした社会の誤りも正せないまま終わってしまいます。非常に許せない判決でした」愛媛訴訟原告 渡部寛志さん
「国の責任を認めない判決は、全く受け入れられない。結論だけでなく、判決に至る判断の過程も原発事故の被害に全く向き合っていない。この判決が全国で行われている同様の訴訟に影響を及ぼすことがあってはならないし、この判決を乗り越えるために最後まで戦っていきましょう」福島訴訟弁護団 馬奈木厳太郎弁護士
「『長期評価』の信頼性や、巨大な津波が襲うことを予測できたかについて明確な判断を示しておらず、争点をそらした判決だ。被害を救済するために何をすべきかと考えれば、争点をそらすような判断をすることはないはずだ。10年間、被災者に対して国が積み上げてきた支援や、将来の原子力行政に影響が出ることを嫌ったのではないか」立命館大学 吉村良一名誉教授(民法)
 「あまりに大きな地震」「あまりに大きな津波であったたため」「必要な措置を命じていても防げなかった可能性が高い」ので、「原発は安心・安全」と根拠なく唱え政策として原子力発電を進めて来た国の責任は免除するという無責任極まりない司法判断。
 東日本大震災で高さ約13メートルの津波が襲来した東北電力・女川原発(宮城県)は、津波防護壁を高くしていた非常用ディーゼル発電機8台中2台は止まったが、残りは稼働し緊急停止した原子炉を冷却し続け冷温停止させた。全電源喪失により世界でも未曾有の原子炉建屋三つの爆発と炉心溶融、甚大な放射能汚染に至った福島第一原発は、保安院が2003年各原発の炉心損傷事故に至る確率を公表した沸騰水型軽水炉(BWR)で、事故確率が高いワースト5位に福島第一の1〜4号機がすべて入っていた。非常用電源を高台に設置するなど、対策を講じていれば重大事故は防げた可能性がある。巨大地震多発国である日本で、最悪の地震・津波を想定しなかったから責任を問われないとは、まさに倒錯した理論でしかない。
 福島原発事故によって住居と生活を奪われ、放射線に怯えながら避難生活を余儀なくされた多くの人びとに対して、原発政策を推進し電力会社を指導する立場にあったこの国の政府には重大な責任がある。司法の独立を自ら放棄しその政府の無責任を追認するだけの司法は、政府の無責任をさらに増長させるだけのこの国にとって重大な宿痾でしかない。
《福島第一原子力発電所の事故で各地に避難した人などが、国と東京電力に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で、最高裁判所は、「実際の津波は想定より規模が大きく、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても事故は避けられなかった可能性が高い」と判断し、国に責任はなかったとする判決を言い渡しました。
原発事故の国の責任について最高裁が統一的な判断を示すのは初めてで、全国各地で起こされている同様の訴訟に影響するとみられます。
判決が言い渡されたのは、原発事故のあと各地に避難した人などが国と東京電力を訴えた集団訴訟のうち、福島、群馬、千葉、愛媛の4つの訴訟です。
東京電力の賠償責任は確定していて、2審で判断が分かれた国の責任について最高裁判所が審理していました。
焦点は国の地震調査研究推進本部が、東日本大震災の9年前、2002年に公表した『長期評価』の信頼性で、これを踏まえ国が▽巨大津波を予測できたか、▽東京電力に対策をとらせていれば事故を防げたかどうかが争われました。
17日の判決で、最高裁判所第2小法廷の菅野博之裁判長は「現実に発生した地震は長期評価に基づいて想定される地震よりはるかに規模が大きかった。津波も試算より規模が大きく、到来した方角も異なり、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても大量の海水の浸入は避けられなかった可能性が高い」と述べ、原発事故について国の責任はなかったとする判断を示しました。
4人の裁判官のうち、1人は結論に反対しました。
原発事故の国の責任について最高裁が統一的な判断を示すのは初めてで、全国各地で起こされている同様の訴訟に影響を与えるとみられます。
裁判の争点
争点は
▽国が、巨大な津波が来ることを震災前に予測できたか。
▽予測できた場合、
東京電力に有効な対策をとらせていれば事故を防げたかどうかでした。
「長期評価」が焦点
その中で地震や津波などの専門家でつくる「地震調査研究推進本部」が、2002年7月に公表した「長期評価」が焦点となりました。
「長期評価」は、過去の地震などを踏まえて将来、大きな地震や津波が起きる地域や発生確率の推計で、この「長期評価」に基づいて、東京電力の子会社が原発事故が起きる3年前の2008年に福島第一原発に到達する津波の高さを試算しました。
試算の結果、津波の高さは当時、東京電力が想定していた最大5.7メートルを、大きく上回る最大15.7メートルで、現場の担当者からは対策が必要だとする声もあがっていました。
一方で、専門家の一部から「長期評価」の信頼性を疑問視する意見もあったことなどから、これまで津波高さを評価してきた土木学会という別の組織に研究を委ね、対策は具体的に進みませんでした。
裁判では、国と東京電力が原発事故が起きる前の段階で、大きな津波を伴う巨大地震を科学的な根拠に基づいて見通せたかが焦点の1つで、「長期評価」がその根拠と言えるかどうかが争われました。
判決の詳細
判決は、争点となっていた長期評価の信頼性や、震災前に巨大津波を予測できたかどうかについては明確な判断を示しませんでした。
ポイントとなったのは「対策をとらせていれば事故は防げたのか」という観点です。
想定や試算と実際の地震や津波の規模が大きくかけ離れていたことを重視しました。
判決はまず、国が長期評価に基づいて東京電力に適切な措置を講じるよう命じていた場合、長期評価で想定される最大の津波を前提に防潮堤を設置した可能性が高いという考えを示しました。
そのうえで、仮に防潮堤が設置されていたら事故が防げたかどうか検討するため地震や津波について想定と実際の規模などを比較。
長期評価で示された地震の規模がマグニチュード8.2前後だったのに対し、実際の地震の規模は9.1だったことから、「実際の地震は長期評価で想定される地震よりはるかに大きかった」と指摘しました。
さらに津波についても
▽長期評価に基づく試算では浸水の高さは2.6メートルかそれ以下だったのに、実際は5.5メートルとはるかに上回っていたこと
また、
▽想定されていなかった敷地の東側からも大量の海水が浸入していたこと
を挙げ、「防潮堤を設置しても大量の海水の浸入を防げなかった可能性が高い」と判断しました。
そして「国が権限を行使して東京電力に適切な措置を講じさせていても事故が発生する可能性は相当あるといわざるを得ない」として、国の責任を否定しました。
また、千葉と愛媛の訴訟の2審判決は「防潮堤の設置に加え、浸水対策を合わせてとることを前提に国が規制の権限を行使していれば事故は防ぐことができた」と判断していましたが、これについても「原発事故の前に原発の主な津波対策として敷地が浸水することを前提とした防護措置が採用された実績はうかがえない」などとして判断を覆しました。
裁判長 結論に賛成の立場で補足意見
今回の判決について、裁判長を務めた菅野博之裁判官は、結論に賛成の立場で補足する意見を述べました。
この中で、菅野裁判官は、「平成14年の長期評価の公表から平成23年の東日本大震災の発生までの時間経過に照らすと、東京電力も国も長期評価の正確性や重要性を検証し、それをもとに津波防護措置の検討を行うペースがあまりにも遅すぎたのではないかという感は否めない」と指摘しました。
一方、判決で国の賠償責任を認めなかったことについては、「今回の地震があまりに大きな地震で、津波があまりに大きな津波であったたため長期評価を前提に行動したとしても、事故を回避することができたと判断するのは無理が大きすぎるからだ」と述べました。
裁判官の意見は3対1で分かれる
国の責任を認めるかどうか、判決を出した4人の裁判官の意見は3対1で分かれました。
このうち検察官出身の三浦守裁判官は、国には責任があったとする反対意見を述べました。
反対意見では「『長期評価』は、地震防災対策の強化を図るためにそれまでに得られた科学的・専門技術的な知見を用いて適切な手法で策定されていて、基本的な信頼性は担保されていた」として、長期評価の信頼性を認めました。
そのうえで、「長期評価の公表後、国がみずから、または東京電力に指示をして、津波を試算していれば、最大で15.7メートルの高さの津波が襲来することが想定され、今回と同様の事故が発生するおそれがあることは明らかだった」と指摘し、国は事故のおそれを予測できたと指摘しました。
そして、「国も東京電力も対策を適切に検討しなかったことは明らかで、住民の生存や生活を守るための法律がないがしろにされていたというほかない。事故は回避できた可能性が高く、国が対策を命じなかったことは違法だ」と述べました。
原告団「残念だ」「許せない」
判決のあと、福島と群馬、千葉、愛媛の4件の集団訴訟の原告などが、東京都内で記者会見を開き、国の責任を認めなかった判決ついて、「残念だ」とか「許せない」などと憤りの思いを話しました。
このうち、福島訴訟の原告団の団長を務める中島孝さんは、「私たちのように原発事故による放射線におびえながらも避難をする手立てもなく福島県内にとどまった人は多くいます。原発事故による“生きる苦難”がいまも続いている中できょうの判決は絶対に許せないです」と話していました。
また、群馬訴訟の原告の丹治杉江さんは、「避難して11年間、原発事故で失ったものや取り戻せないものはたくさんあります。国に謝ってほしい。償ってほしい。実態に見合った救済を進めてほしいと思ってきて、わずかな光として裁判所が事故の責任を明らかにしてくれると信じていました。判決は残念でならず、国民を守らない国に原発を動かす資格はないと思います」と話していました。
千葉訴訟の原告代表を務める小丸哲也さんは、「まことに残念な判決でした。原発は絶対安全・安心と国と東電が言い続け、それを信じていたのに災害が起き、避難を余儀なくされている。なぜ、安全・安心と言っていたのか国の判断は正しかったのか裁判所に国の責任を認めてほしかった」と話していました。
愛媛訴訟の原告の渡部寛志さんは、「私たちは、苦しい生活から早く抜け出したい。前に進みたいという切実な願いを持ちながらも国がこれまで応じてくれなかったために司法に頼ってきました。東電だけに責任を負わせて終わらせてしまうのでは、原発事故を起こした社会の誤りも正せないまま終わってしまいます。非常に許せない判決でした」と話しました。
原告弁護団「全く受け入れられない」
判決のあと、福島訴訟の弁護団の馬奈木厳太郎弁護士が最高裁判所の前に集まった原告や支援者に向けて判決への受け止めを述べました。
このなかで馬奈木弁護士は「国の責任を認めない判決は、全く受け入れられない。結論だけでなく、判決に至る判断の過程も原発事故の被害に全く向き合っていない。この判決が全国で行われている同様の訴訟に影響を及ぼすことがあってはならないし、この判決を乗り越えるために最後まで戦っていきましょう」と述べ、憤りをあらわにしていました。
全国各地から集まった原告や支援者からは「ふざけるな」といった声があがったり、涙を流したりする姿も見られました。
弁護団は、国の責任を認めない判決を想定していなかったとして、裁判所の前で判決の内容を紙に掲げる旗出しは行いませんでした。
松野官房長官「福島の復興、再生に全力で取り組む」
松野官房長官は、午後の記者会見で「最高裁判所において、国の規制権限の不行使が違法とは言えないとする判決が出されたと承知している。引き続き、被災された方々に寄り添って、福島の復興、再生に全力で取り組んでいきたい」と述べました。
東京電力「責任を痛感」
最高裁判所の判決を受けて東京電力は、
「原発事故により、今なお、福島の皆さまをはじめ広く社会の皆さまに、大変なご負担とご迷惑をおかけしていることに心から深くおわび申し上げます。当社の起こした事故が地域の皆さまにもたらした影響の大きさ、深さは計り知れず、事故の当事者としてその責任を痛感するとともに、原告の皆さまに対し、心から深く謝罪いたします。あのような事故を起こしたことを深く反省し、二度とこうした事故を起こさぬよう、根本原因や背後要因を詳細に分析し、事故の反省と教訓を全社の事業活動に生かす取り組みを進めております。当社にとって『福島への責任の貫徹』は最大の使命です。その責任を果たすために存続を許された会社であることを改めて肝に銘じ、福島のために何が出来るのか考え続け、引き続き、『復興と廃炉の両立』『賠償の貫徹』に向けて、全力で取り組んでまいります」とコメントしています。
原子力規制委 更田豊志委員長「規制の不断の見直しに努める」
最高裁判所の判決を受けて原子力規制委員会は更田豊志委員長の談話を発表しました。
談話では、
「原子力規制委員会は、東京電力福島第一原発の事故の教訓に学び、二度とこのような事故を起こさないために設置されました。判決においては規制権限不行使に関する国家賠償法上の違法性は認められませんでしたが、各種の事故調査報告書において、従前の原子力規制に関し、自然の脅威に対する備えが不十分であり、新たな科学的知見を規制に取り入れるためのバックフィット制度がないなど種々の問題点が指摘されてきました。規制委員会は、従前の原子力規制に対する深い反省のもと、これまで、地震、津波を始めとする自然現象に対する備えの強化や過酷事故への対策を盛り込んだ新規制基準の策定、新たな科学的知見を規制に取り入れるためのバックフィット制度の運用など事故の教訓を規制に生かすための取り組みを行ってきました。規制委員会は、引き続き、自然の脅威に謙虚に向き合い、新たな知見の収集を怠らず、規制の不断の見直しに努めてまいります。また、福島の復興に向け、福島第一原発の廃炉作業が安全かつ着実に進むよう、原子力規制の立場から十分な監視や指導などを行ってまいります」としています。
専門家「争点をそらした判決」
民法が専門で原発事故などの賠償問題に詳しい立命館大学の吉村良一名誉教授は「『長期評価』の信頼性や、巨大な津波が襲うことを予測できたかについて明確な判断を示しておらず、争点をそらした判決だ」としています。
そのうえで「被害を救済するために何をすべきかと考えれば、争点をそらすような判断をすることはないはずだ。10年間、被災者に対して国が積み上げてきた支援や、将来の原子力行政に影響が出ることを嫌ったのではないか」と指摘しました。
一方、4件の訴訟では原発事故の賠償の目安として国の審査会が定めた基準を上回る賠償額が確定していることなどを踏まえ、「事故に関する国の法的な責任は否定されてしまったが、社会的、政治的な責任は変わらないし、今の基準を上回る賠償が認められている以上、基準の見直しの必要性も変わらない。判決の結果にかかわらず国はまじめに対応してほしい」と話していました。
専門家「原子力規制委員会だけでなく協力体制が必要」
原子力規制庁の元幹部で、原子力の安全規制に詳しい、長岡技術科学大学の山形浩史 教授は、17日の判決について、「不確かさが大きい自然現象にどう向き合うかを問いかけた判決だった。原子力の規制が地震が起きてもひび1つ入らないとか、津波が来ても海水を1滴も入れないという考え方で臨むと、議論が長期化したり、対策にすぐに結び付かなかったりしてうまくいかないので、工夫が必要だ」と指摘しました。
そのうえで、今後の規制のあり方については、「国の責任が認められなかったからといって安心してはいけない。最新の知見を広く集めて理解し速やかに判断するのは難しい。高度な専門性を持つ人材の確保や速やかに共有する仕組みも欠かせないし、世界中の知見を集めるにはコストもかかる。原子力規制委員会だけではなく電力会社や大学などの協力を得られる体制を作る必要がある」と指摘しました。
専門家「電力会社の責任が大きくなった」
国の原子力委員会で委員長代理を務めた原子力政策に詳しい長崎大学の鈴木達治郎 教授は、17日の最高裁判所の判決について「規制当局が最善を尽くしたかどうか判断されず残念だ」と述べました。
そのうえで「原発事故の責任が国にはないということは、電力会社の責任が法的にもモラル的にも大きくなったと考えなければならない。電力会社は、事故が起きた場合の責任はみずからにあることを認識しできる限りの対策を取る姿勢がこれまで以上に求められるようになる」と話していました。
また、原子力政策を進める国の責任について、鈴木教授は「今回の裁判はあくまでも安全規制の責任が対象で、原子力政策を進めてきた責任には触れられていない。この点については今後も引き続き議論する必要がある」と指摘しました。》



2022年 5月16日
「僕はよく眠りました。それから起きました。笑いました。本を25ページ読みました。それと、おじいちゃんが4月26日に死にました」
「僕の背中には傷があります。皮膚がむけています。お姉ちゃんは頭にけがをしました。お母さんは手の筋肉が切れて、脚に穴が1個開いています」
「(武装集団や戦車、ヘリコプター、爆発する建物などの絵とともに)大きい音が怖かったです」「ここを出て行きたくてたまりません」
「家族の元へ持って行って見せると、皆泣いていた。もしかしたらあの子は、全ての感情を心の内に抱え込まなくて済むように、自己表現する必要があったのかもしれない」母ベロニカさん
「(弟の日記が)いつか誰かの役に立つといいと思う」姉オレナさん
 自宅がロシア軍のミサイル攻撃を受けて天井が崩落し家族全員が負傷して、マリウポリの地下壕で母、姉、亡くなった祖父とともに数週間避難し続けた8歳の少年エホル・クラフツォフ(Yegor Kravtsov)君が書きとめた日記から。
 ロシアの侵攻によって、ウクライナでは少なくとも275人の子どもが死亡し、451人が負傷、約3分の2の子どもが自宅を追われ国内外に避難した(14日国連児童基金欧州・中央アジア地域事務所)。ロシア軍は砲爆撃によって5月半ばまでに幼稚園や音楽学校も含めウクライナの1873の教育施設を破壊している。
 2月24日のロシア軍侵攻以来、ウクライナの子どもたちは命を奪われ、身体と心を傷つけられ、家族を失い、家と学校そして病院を破壊されて地下壕での生活か国内外への避難を余儀なくされている。
 これが、「ロシアとウクライナは一体」「ネオナチからの解放」「奪い返し、強くなる責務がわれわれにもある」と唱えるプーチンらが実際に隣国ウクライナで行っていること。このエホルくんの日記が記した事柄を含め、これらが重大な戦争犯罪として国際社会の審判を受けないなら、人類に未来はない。
《ロシアの侵攻を受けたウクライナ南東部マリウポリ(Mariupol)で、8歳の少年がひそかに日記をつけ、自らの体験を言葉と絵で小さな青いノートにしたためていた。
 攻勢を強めるロシア軍に対しウクライナ軍が必死の抵抗を続ける中、エホル・クラフツォフ(Yegor Kravtsov)君は家族と共に何週間も地下生活を余儀なくされた。
 エホル君は、母親のオレナさんと姉のベロニカさん(15)と共にロシアの支配下にあるマリウポリを脱出し、現在は100キロ離れたザポリージャ(Zaporizhzhia)に避難している。
 同市でAFPの取材に応じたエホル君に、ある日の日記を読んでもらった。「僕はよく眠りました。それから起きました。笑いました。本を25ページ読みました。それと、おじいちゃんが4月26日に死にました」
 マリウポリ市内にあるエホル君の自宅は、ミサイル攻撃を受けて天井が崩落。家族全員が負傷した。エホル君はこの被害についても、絵を添えて記録していた。「僕の背中には傷があります。皮膚がむけています。お姉ちゃんは頭にけがをしました。お母さんは手の筋肉が切れて、脚に穴が1個開いています」
■戦車や爆発する建物などの絵も
 ザポリージャに移ったエホル君はある晴れた日、バドミントンをしたり自転車に乗ったりして遊んでいた。日記に青いペンでつづった「破壊」の日々とは対照的だ。
 ノートには、武装集団や戦車、ヘリコプター、爆発する建物などの絵が描かれており、「大きい音が怖かったです」との記載もある。家族で互いに包帯を巻き合ったり、水を探しに行ったりする様子を書いた日もあれば、「ここを出て行きたくてたまりません」と吐露した日もあった。
 エホル君とベロニカさんを一人で育てているオレナさんは、息子の日記を初めて見つけた時には号泣したという。「家族の元へ持って行って見せると、皆泣いていた。もしかしたらあの子は、全ての感情を心の内に抱え込まなくて済むように、自己表現する必要があったのかもしれない」とAFPに語った。
 ベロニカさんは、弟の日記が「いつか誰かの役に立つといいと思う」と話した。
 オレナさんは、エホル君は依然ショック状態にあり、自分の体験を口にはしたがらないと語る。エホル君にこれからも日記を書きたいかと尋ねると、少年は「多分」とだけ答えた。(c)AFP/Marina Moyseyenko 》




2022年 6月15 日



2022年 6月15 日
「当時も今も、先進国で日本だけ賃金が上がらない異常な状況は変わっていない」吉川洋東大名誉教授
「家計の値上げ許容度も高まってきている」日本銀行黒田東彦総裁
「実質的な賃金がこれだけ目減りしては、家計が値上げを許容できないのは当然」大和証券末広徹氏
・末広氏の実感に近い物価指数では12年平均と比較した22年4月の物価は公表値の6.6%の上昇を超える15.4%の上昇。この実感に近い物価に基づいて算出した実質賃金は、同期間で11%も減っていた。
「持続的に賃金を上げることが重要との認識が共有されてきた今こそ、具体的で将来を見据えた経済政策の選択が重要になる」ニッセイ基礎研究所上野剛志氏
「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀に(国債として)買ってもらっている。日銀は政府の子会社、満期が来たら、返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない」自民党安倍晋三元首相
 この25年間で韓国は3倍近く米・英が2倍を越えるなか、唯一「先進国」で名目賃金が低下し続ける日本。低金利政策を9年続けても物価上昇2%を実現できず、中央銀行を政府から自立させる日銀法の趣旨も理解せず子孫に1000兆円もの借金を積み上げるだけの、生活者の視点も道義心も欠落させた元首相と総裁。
 今年度一般会計歳出で、「文科および科学振興」5兆3901億円(5%)、「防衛」5兆3687億円(5%)に対して「国債費(債務償還費+利払費等)」24兆3393億円(22.6%)と、既に国家予算の4分の1近くはたんに国債の返済に充てられている。
 これで金利が上がればどうなるのか。国債の償還と利払いだけで間違いなくこの国は破綻する。間違っても「防衛費増額」などではなく、子育て・教育・研究予算の拡充と派遣労働法等の抜本的改正による賃金待遇の改善、暮らしの安定こそがいまひつようだ。
《物価高と賃金の伸び悩みへの対応は、参院選の大きな焦点になる。30年近く上がらない賃金では、現在の物価急騰をカバーできないからだ。アベノミクスの柱といわれた金融緩和は円安を助長し、さらに物価を押し上げる副作用も指摘されている。与野党には生活の防衛策の提示だけでなく、現在の政策が国民に及ぼす影響への検証も求められている。(渥美龍太)
◆米国、英国、韓国では賃金上昇
 「日本だけが異常だ」。
 東大の吉川洋名誉教授は2013年1月、日本経済がデフレに陥った原因を「賃金の下落」と主張する著書を出版し注目された。吉川氏は今月、取材に対し「当時も今も、先進国で日本だけ賃金が上がらない異常な状況は変わっていない」と強調した。
 経済協力開発機構(OECD)によると、名目賃金は1995〜2020年にかけて米国や英国で2倍超、韓国は3倍近く上がり、物価の上昇率を超えた。一方、日本は賃金が下落し物価の上昇率に届かない。 
 ただ12年末の衆院選では、当時野党だった自民党の安倍晋三氏はデフレの原因を「(金利を低く抑えてお金の量を増やす)金融緩和の不足だ」と主張して論戦に挑んだ。日銀OBは「緩和さえやれば日本は変わるという、すさまじい空気だった」と振り返る。
◆「値上げ許容できないのは当然」
 政権を奪還した安倍氏は、日銀総裁に黒田東彦はるひこ氏を任命し主張通り緩和を始めた。だが、9年以上をかけても経済の好循環は実現していない。黒田総裁は今月「家計の値上げ許容度も高まってきている」と発言して批判を受けた。国民が値上げに耐えられない背景には吉川氏らが言う「上がらない賃金」の問題がある。
 大和証券の末広徹氏は、上昇を続ける社会保険料や住宅価格など、総務省の消費者物価指数の公表値(生鮮食品を除く総合)に含まれない要素も加えた「実感に近い」物価指数を作った。12年平均と比較した22年4月の物価は公表値の6.6%の上昇を超える15.4%の上昇。この実感に近い物価に基づいて算出した実質賃金は、同期間で11%も減っていた。
 末広氏は「実質的な賃金がこれだけ目減りしては、家計が値上げを許容できないのは当然」と解説する。
◆日銀の政策、参院選で「議論すべき」
 値上げされる食品が年内に1万品目を突破する見通し(帝国データバンク調べ)となるなど、当面は物価上昇による実質賃金の低下が避けられない。参院選で与野党は、賃上げ策をアピールするとみられる。
 過剰な金融緩和も円の価値低下を伴い、輸入品価格の高騰の要因になっている。日本総研の河村小百合氏は「日銀は各国と同様、緩和政策を柔軟化して金利を上げるかどうかの検討が必要だ。生活に大きな影響を与える以上、日銀の政策も参院選で議論すべきだ」と強調する。
 ニッセイ基礎研究所の上野剛志氏は「持続的に賃金を上げることが重要との認識が共有されてきた今こそ、具体的で将来を見据えた経済政策の選択が重要になる。衆院解散がなければ、今回の参院選後は3年間も国政選挙がない可能性があるのだから…」と話した。
  ◇
 通常国会が15日に閉幕し、夏の参院選に向けた論戦が本格化する。急速に進む円安や物価高で、私たちの日々の生活は厳しさを増している。ロシアによるウクライナ侵攻で平和が脅かされ、コロナ禍も収まらない。切実な問題に直面している人々の声に耳を傾け、私たちのくらしの今を5回にわたって考える。》



2022年 6月11 日
「彼(ピョートル大帝)がスウェーデンとの戦いで何かを奪ったかのような印象を受けるかもしれないが、何も奪っていない。奪い返しただけだ。欧州のいずれの国もその地をロシア領と認めなかった。誰もがスウェーデン領とみなしていた。しかし、はるか昔からそこではスラブ人がフィン・ウゴル系民族と共に暮らしていた。奪い返し、強くなる責務がわれわれにもある。わが国は歴史の中で後退を余儀なくされこともあったが、最終的には力を取り戻し、前進してきた」9日
 「同じ民族」ウクライナの町や村を熾烈な戦場と化して破壊し、無辜の市民や兵士に甚大な被害を与え、ウクライナ産穀物輸出を止めて世界に未曾有の食糧危機を招来させ、1万5000人を超えるロシア兵士らも戦死しているなか、戦火の及ばぬモスクワで浅薄な歴史認識と武力への愚かしい信仰を自慢げに語るなんとも卑小な指導者。
 さらに「ウクライナのナチスからの解放」が単なる口実にすぎないことを自ら暴露してそれに気がつかない愚鈍さ。
 「北方戦争」(1655 - 1661)「大北方戦争」(1700 - 1721)はいずれも当時の強国スウェーデンに対抗したロシアだけではなく、互いにデンマーク・ノルウェー、ポーランド・リトアニア、プロイセン、ハプスブルクそしてオスマンなど多くの国が参画したものであり、ロシアの孤立した戦争ではない。
 バルト海東岸のイングリアと西カレリアなどは、1617年ストルボヴァの和約でスウェーデン領となり1721年二スタット条約でロシア領としたが、それらはかつてノルマン系のルーシによるキエフ大公国(882~1240)、ノブゴロド公国(1136~1478)の領地であり「欧州のいずれの国もその地をロシア領と認めなかった」ということはない。
 ただし、サンクトペテルブルクを含むイングリアとカレリア地方は、スラブ族以前に紀元前4千年紀からコーカソイドとモンゴロイド系双方の遺伝子を持つフィン・ウゴル語派が居住し、特にカレリアは1919年独立したフィンランドにとってフィンランド人と文化発祥の地とされるが、1939年独ソによるポーランド分割後、同地がレニングラードと国境が近すぎるという理由で始められた「冬戦争」と「継続戦争」によりフィンランド湾の4島と共にソビエトに割譲され、現在に至っている。
 フィンランドはソ連軍による侵攻を受けて闘ったが、独ソ戦開始後ドイツ軍の支援を受けたため第二次大戦の「枢軸国」とされ、戦後処理で戦勝国ソビエトによるポーランド、フインランド侵攻と領土簒奪は問題とされず、戦後も国連常任理事国ソビエトそしてロシアによる他国への侵攻が繰り返されることになる。
 軍事力による領土奪取への異常なまでの拘泥と隣国の主権と歴史、文化、人命への軽侮。これを21世紀の現代において臆面もなく語る人物。ウクライナ、フィンランド、スウェーデンそして世界にとって負の遺産そのものだ。
《ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は9日、ウクライナ侵攻について、スウェーデンに勝利した1700〜21年の北方戦争(Northern War)になぞらえる発言をした。
 北方戦争では、ピョートル1世(大帝、Peter the Great)率いるロシアがスウェーデンに勝利を収め、バルト海(Baltic Sea)沿岸を手中に収めた。
 プーチン氏はモスクワで開かれたピョートル大帝生誕350周年を記念する展覧会を視察した後、若手企業家を前に「彼(ピョートル大帝)がスウェーデンとの戦いで何かを奪ったかのような印象を受けるかもしれないが、何も奪っていない。奪い返しただけだ」と語った。
 また、ピョートル大帝がサンクトペテルブルク(St. Petersburg)を建設し、ロシアの首都と宣言した時には「欧州のいずれの国もその地をロシア領と認めなかった」と指摘。「誰もがスウェーデン領とみなしていた。しかし、はるか昔からそこではスラブ人がフィン・ウゴル系民族と共に暮らしていた」と述べた。
 さらに「奪い返し、強くなる責務がわれわれにもある」と主張。「わが国は歴史の中で後退を余儀なくされこともあったが、最終的には力を取り戻し、前進してきた」と語った。
 こうした発言は、現在のウクライナ侵攻に言及したものとみられる。
 ロシアは北方戦争で勝利したことでバルト海の覇権を握り、欧州で大きな影響力を持つようになった。ただ、ウクライナ侵攻で西側諸国との関係が悪化する中、ロシア当局はピョートル大帝について、欧州と密接な関係があったことにはあまり触れず、領土拡大で果たした役割をことさら強調している。(c)AFP 》



2022年 6月7日
「演習だと言われていて、ウクライナに進軍するとは知らなかった」
「キエフに進軍するが、キエフではバラライカとマトリョーシカが待っている。ウクライナ政府と話がついている。良いことずくめだと言われてきた」
「ウクライナでは捕虜になると過酷な拷問にかけられて、ひどい目にあわされる。ウクライナはナチスばかりだ、絶対に捕虜にはなるなと言われて来た」
「(目的は?)わからない」「(モチベーションは?)モチベーションなどない。軍隊に入って給料をもらっているだけだ」
「クリミア半島併合の2014年の後、ロシアでは何ひとついいことがない。炭鉱は閉じるし、物価は上がるし、仕事はない」ロシア兵捕虜
・英国防省は5月15日、ロシアがウクライナに投入した地上戦力の3分の1を失った可能性が高く、約5万人が死亡または負傷したとみられると発表した。
・ロシア語メディア「メディアゾナ(Mediazona)」は、公表されている情報のみでも、5月6日までにロシア兵2099人の死亡を確認できたと報じた。年齢が公表されている死者では21〜23歳の割合が最も多く、20歳未満も74人含まれていた。地域別では、戦死者の大半をロシア南部出身者が占めていた。イスラム教徒が多い北カフカス(North Caucasus)地方のダゲスタン(Dagestan)共和国の兵士が最多で135人。次いで、シベリア(Siberia)連邦管区のモンゴル系少数民族ブリャート(Buryat)人が住むブリャート共和国出身者が98人。
「ウクライナ全土を完全に解放し、非軍事化し、非国有化しない間は、どうにもならない」2日ロシア下院副議長ピョートル・トルストイ
「ジョー・バイデンはロシアのベルゴロドからキーウまで428キロと知っているのか。ロシアや(東部で親ロシア派が名乗る)ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国に、軍事的な脅威となる全地域の非武装化を完了させる以外の選択肢が残っていない」2日ロシア上院議員アンドレイ・クリモフ
「ロシアが2月24日のラインまで後退する可能性はゼロ。キーウを制圧し、ウクライナ西部まで進軍する可能性は50%」5月29日ロシアの政治学者マラト・バシロフ
「短期もしくは中期で(東部)ドンバス地方のウクライナ軍は片付く。(侵攻の)第3段階は、(南部)ミコライウとオデーサ、(北東部)ハルキウの各州の占領」6月1日ロシアの軍事専門家イーゴリ・コロチェンコ
 すでに自国の若者らロシア兵15000人が命を落としている熾烈な戦場から遠い後方の、ミサイルや砲弾が決して飛んでこないモスクワという安全な場に身を置きながら、核戦力行使で世界を恫喝しつつ戦場におけるロシア軍による人道に反する残虐な行為や自軍の戦死者数すら正確に把握することなく、ロシア侵攻の強硬論だけを唱えるプーチン政権取り巻きらと、彼らオリガルヒだけが富を独占し経済的にも停滞するロシア社会で給与が出る職として兵士となったが、何の目的も知らず演習からいきなり隣国への侵攻に投じられ命を落とし、負傷しあるいは捕虜となるロシアの地方出身・少数民族を中心とした若者たちの落差。
 豊かな中央と貧しい地方における命とひとの尊厳の格差と自国軍兵士の命への無関心。これはいまのロシアだけの問題ではなく、督戦隊により後退する自国兵を射殺した旧ソビエト軍、戦時国際法を無視して捕虜となることを禁止した旧日本軍と敗戦時に旧満州開拓民を放置したかつての日本、ベトナム・イラクなどの戦争で地方出身と移民希望者を多用した米国も同じ。そして現在の「防衛費増額」を叫ぶ中央政治家と基地負担を押し付けられる沖縄の問題にも通じる。
 侵攻開始後キーウにとどまり抵抗を続けるゼレンスキー大統領は5日東部ドンバス地域を訪問。しかしロシアでも日本でも、プーチンら強硬論を唱えるものらは自身は最前線に行くことは決してない。肝に銘ずべき。
《ウクライナのユーチューバー、ボロディミル・ゾールキン氏は、ロシア軍の侵攻が始まってから、ウクライナの遺体安置所に収容されるロシア兵の遺体を撮影し、ネットにアップしようと思いついた。戦争犯罪につながる証拠を押さえられるかもしれないという思いと、持ち物やネームタグ、番号なども撮影してアップすることで、行方不明となっている兵士の、ロシアに残された家族から反応があるかもしれないと考えたからだった。
ウクライナ軍との関係ができたゾールキン氏は、今度はロシア人捕虜とのインタビューを記録に残すことを提案した。この提案も実現し、これまでに200人以上の捕虜をインタビューした。ウクライナ国防省によれば、戦争開始以来、ロシア軍兵士の捕虜の数は1000人前後ということだから、その2割の声を聞いたことになる。
この記事は、5月24日にウクライナのウェブサイト”V gostyakh u Gordona”にアップされたゾールキン氏の話を筆者がまとめたものである。
ゾールキン氏によれば、ロシア軍兵士のほとんどが貧しい地方出身の、軍務経験のない若者で、支給される給与を当てにして志願兵契約を結んだという。
捕虜の中には武器さえ持たされずに国境を越え直後に攻撃を受けた者、自ら武器を置き投降した者など様々いるが、総じて戦闘へのモチベーションは低く「自分の考えも持っていない」とゾールキン氏は指摘している。
ゾールキン氏はキーウに住む41歳のユーチューバー。米国の雑誌『ニューヨーカー』(3月21日)や英国の有力紙『ガーディアン』(4月5日)にもその活動は詳しく紹介されている。
ANN元モスクワ特派員・武隈喜一(テレビ朝日)
◆大多数が地方の貧困層出身 入隊は「最低限のチャンス」
これまでに200人の捕虜にインタビューした。1日で16人にインタビューしたこともある。全員と心を開いて話をするというわけにはいかなかったが、具体的な質問を繰り返すことで、その答えから平均的な兵士像が見えてきた。
ロシアでは、若者は兵役に行かないと、その後まともな就職口がないという実情がある。彼らから直接聞いた話だ。モスクワやサンクトペテルブルクに住んでいて高等教育を受けていれば、なんとかそれなりの仕事に潜り込むことはできる。だが、兵士たちは多くが地方の出で、田舎では兵士になる以外の道はない。モチベーションもなく、国を守りたいという強い気持ちがなくても、そうせざるをえないのだ。
しかも地方からの徴集兵は、徴集兵役期限の1年が終わるのを待たずに、すぐに志願兵契約にサインしてしまう(徴集兵と志願兵契約については『前線へ送られるロシア兵の現実――「兵士の母の会」の告発』4月3日、参照)。ーーー




2022年 6月 6
「『骨太の方針』においては国民の生命、財産、領土、領海、領空を守り抜くという覚悟を示す。GDP比2%の防衛費を確保していくということは当然のことなんだろうと。この国家意思を『骨太の方針』に記していくことが求められている」「世論がここまで防衛に関心を持つ機会は、もう2度とないだろうから」
 在任中この国の憲法の平和主義をねじ曲げて「集団的自衛権」への拡張を図り、政治を私物化して有権者への供応を続け国会で118回も嘘をついた男が、「安倍外交」なるもので14年ロシアのクリミア侵攻を棚に上げた北方領土交渉には何の進展もなく、「同じ夢を見ている」プーチンのウクライナ侵攻を利用してまさに「火事場泥棒」の防衛費2%を画策する。
 1%で6兆円に昇る財源についても相変わらず「国債発行」を言いたて、世界でもまれな1000兆円の負債を超え、次世代に重すぎる負担を無責任に押し付けるだけ。
 労働の規制緩和と派遣労働拡大という「働き方改革」なるもので、この国の実質賃金はこの20年間先進国で唯一低迷している。岸田内閣が発足時の「所得倍増計画」を捨て、賃金上昇よりも「資産所得倍増プラン」なるものを掲げても、国民の34%は「投資に回す貯蓄がない」で、「投資に回そうと思わない」が40%、「今後、貯蓄を投資に回そうと考える」は23%のみ。
 後援会が「桜を見る会」前日に主催した夕食会にサントリーホールディングスが酒類を無償提供した違法献金、賄賂問題にも、ダンマリを決める。社会に「自己責任」を蔓延させたが自らの責任は全くとらない。この輩に、この国の安全と未来を語る資格はない。



2022年 6月 4日
日記がわりに。
 ロシアに占領されたマリウポリでは名前でなく番号がつけられた仮の墓地が広がり、激戦が続く東部から避難する幼児、高齢者の悲しみに満ちた姿が伝えられる。
 晴れて暑いなかアシスト車で一昨日は石屋川沿いを阪神御影、昨日は都津川沿いで水道筋灘温泉を往復。
 今日は2年ぶりに武庫川、淀川を越え阪急で梅田に出る。ジェのベーゼピザが美味しいバストーニュに行くと開店11時半にすでに若者が並ぶ列があり、よく見ると別のお店に変わっていた。駅横のESTADIOの快適なテラスでお昼をいただき、やはり2年ぶりに中崎町を訪ねる。蔦のカフェは健在でコーヒーのあと昭和レトロで活気付く界隈を散策。グランフロント地下でバケット、阪急地下で廉価なエビ天丼買い阪急で帰宅。
 ベランダの机上は一鉢100円未満の夏の花、明日から天気 は下り坂。
 




                                                                                                                                                                 
  
     





























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