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2023年 4月28日 「笹川(勝共連合の名誉 会長)は右翼団体では最高の幹部。部下に児玉誉士夫がいます。利用価値があるからです」68年3月3日 「日本政治、世界の実力者である岸首相、岸信介という人が日本で信望がよいので、この人を笹川のおじいさんと組ませ、私たちの計画通り踊らせたのです」69年5月12日 「今回は安倍が首相になるはずでした。中曽根も私(文)の世話になった人です。ところが1時間でひっくり返った。安倍が首相になることが公知の事実でした」87年11月1日 「日本の首相になろうとする人たちにも、私の力が必要です。安倍がならなければならなかった。安倍晋太郎。誓約書。誰と? 秘密です」同年11月15日 「日本で霊感商法という台風が吹いてくることはわかっていました。国家的な戦いをしなければならない。朝日、読売、赤旗や5大新聞が特集で取り上げ、自民党から共産党、社会党も合わせて統一教会を排除することに乗り出した。その戦いを私は一人でやりました」88年2月18日 「261人の国会議員を304人にしたのが私です。勝共議員が自民党内に180人います。一昨年の選挙当時に日本のお金で60億円以上使いました。統一教会は怖いです。40人なら1人当選させることができます。訓練された精鋭部隊。1人何軒訪問できるかといえば最低で300軒、最高の記録は1300軒です」88年2月18日 「国会内に教会を作るのです。そこで原理を教育することなど、すべてが可能になる。国会議員の秘書を輩出し、国会内で組織体制を形成する。自民党の安倍派などを中心に、久保木{日本教会の久保木修己(くぼきおさみ)会長(当時)}を中心として超党的に議員の数を徐々に増やしていかなければならない。ーー全国的な行動結束と挙国。ーー日本の中央の国会議員だけでなく、地方にはみなさんがいますよね」89年7月4日 「岸首相のときから私が手を出したのです。中曽根のときは130人の国会議員を当選させました」04年9月16日 「安倍が首相になったと聞いています」06年10月3日 「安倍晋三が首相ですよね。それは先生(文の自称)と近いですよ。安倍晋太郎を先生が日本の首相にすれば、漢南洞(ハンナムドン)を訪問すると約束していました」同年11月23日 「日本の統一運動が何よりも重点を置いたのは議員渉外と原理教育。後援会の結成を通じて多くの議員を支援し、統一原理セミナーで数多くの議員を教育した。16年の世界平和国会議員連合の日本での大会で、現役国会議員と議員秘書ら100人以上が集った。国会議員に真(まこと)の父母様(文鮮明・韓鶴子〈ハンハクチャ〉夫妻)のみ言(ことば)と理念、『原理』を教育し、天の願われる方向で政策を推進するようにします」宋龍天17年1月川崎市研修会 自らを「再臨したメシア」と妄言する旧統一教会創始者文鮮明の「(御言〈みことば〉)選集」(615巻・韓国語)を検証する、毎日に続く朝日の記事からの文の言葉。 笹川、児玉そして岸ら日本の右翼と結託してそれらを利用しながら、朝鮮半島だけでなく世界を統合するという野望のために、この国の政治と宗教に内政干渉どころではなく深く介入して霊感商法、高額献金さらに政権の私物化まで目論んだこの教団とこの国の政治の深い闇が、「教祖」自身の言葉で語られている。 日本を「アダム国」韓国に奉仕すべき「エバ国」とする外国教団に岸信介以来骨の髄まで染み込まされた自民党こそ、徹底的にこのカルトとの関わりを検証すべき責任があるが、岸田政権は萩生田政調会長や加藤、高市、西村、岡田らの閣僚らと磯崎・木原官房副長官など副大臣、政務官を合わせ30人が旧統一教会と祝電、選挙支援、パーティー券購入などの接点があるにも関わらず、全て不問のまま。 しかもその教団の解散命令すら、今年3月までの年度内に行わず質問権を行使するだけで、所管の文化庁合田哲雄次長は「週刊文春」の取材に対して、6回目の質問権行使にも「全く見通しが立っていない」とする現状。 「夫婦別姓は家族の解体を意味する。左翼的かつ共産主義のドグマ」(安倍晋三)と骨の髄まで「統一教会」「国際勝共連合」の家父長制と冷戦思考に染まった自民党において、それらを何ら反省せず安倍派や日本会議など時代遅れの右翼思想に諂いながら、わずか5区の衆参補選の結果を国民の信任と解釈する岸田政権に、この国の未来を切り開くことなど出来はしない。 《世界平和統一家庭連合(旧統一教会)創始者の文鮮明(ムンソンミョン)氏が、日本の政界との関係強化を繰り返し信者に訴えていたことが、過去の発言録から明らかになった。発言には真偽不明な部分もあるが、特に自民党の岸信介氏、安倍晋太郎氏、安倍晋三氏の3代の政治家を重要視していたことが浮かび上がってくる。 発言録は教団系の出版社が韓国で発行した「文鮮明先生マルスム(御言〈みことば〉)選集」。教団創設2年後の1956年から2009年までの約53年間に、文氏が信者らを前にした韓国での説教などで語った言葉が韓国語で記され、文氏が死去した12年まで計615巻が発行された。日本の教団広報は「文教祖が韓国で語った説教をまとめた内容。信者が拝読するが、信者の行動指針として特別に使われることはない」と説明している。 日本政治に関する発言で何度も文氏が言及したのが晋太郎氏の名前だ。 87年10月、中曽根康弘首相の後継を競った晋太郎氏と竹下登、宮沢喜一両氏の「ニューリーダー」3人が自民党総裁選に立候補したが、中曽根氏により竹下氏に一本化された。「中曽根裁定」と言われ、晋太郎氏はその後首相になることなく、91年に亡くなった。 89年7月4日(192巻)には、「(日本の)国会議員との関係強化」を説いた。「国会内に教会を作るのです」「そこで原理を教育することなど、すべてが可能になる」と述べた。 安倍晋三首相にも言及 中曽根裁定から約20年後。晋太郎氏の次男、晋三氏が首相に就任した1週間後の06年10月3日(541巻)、文氏は「安倍が首相になったと聞いています」と発言している。同年11月23日(545巻)には「安倍晋三が首相ですよね。それは先生(文氏の自称)と近いですよ。安倍晋太郎を先生が日本の首相にすれば、漢南洞(ハンナムドン)を訪問すると約束していました」と述べた。文氏は87年以来、晋太郎氏が首相になればソウルの漢南洞にあった自宅を訪れる約束だったと、たびたび語っている。 文氏が日本の政治家との関係強化を求めたきっかけは60年代、晋三氏の祖父・岸氏の時代にさかのぼる。 文氏は「共産主義に打ち勝つ」ためと
して「国際勝共連合」を68年に韓国と日本で相次いで設立。勝共連合の機関誌「世界思想」(2012年11月号)による
と文氏は67年、山梨県で日本船舶振興会会長の笹川良一氏らと開いた「アジア反共連盟結成準備会議」で日本での活動につ
いて合意した。勝共連合の名誉会長には笹川氏が就いた。
文氏は68年3月3日(159巻)の発言で「笹川は右翼団
体では最高の幹部。部下に児玉誉士夫がいます。利用価値があるからです」と評した。さらに69年5月12日(160巻)には
こう語った。「日本政治、世界の実力者である岸首相、岸信介という人が日本で信望がよいので、この人を笹川のおじいさんと組
ませ、私たちの計画通り踊らせたのです」
岸氏は笹川氏とともに戦後、起訴は免
れたがA級戦犯容疑者として収監された経緯もあって親しく、勝共運動を後押しした。
「霊感商法という台風」 文氏が岸氏ら政治家に接近し始めた60 年代、原理研究会の勧誘活動で大学生の子どもを奪われたとする親たちが、父母の会を結成して反対運動を展開した。87年 には「霊感商法」を追及し被害救済に取り組む弁護士連絡会が結成された。 霊感商法追及の動きに対し、文氏は88年2月18日(173巻)にこう語った。「日本で霊感商法という台風が吹いてくることはわかっていました。国家的な戦いをしなければならない。朝日、読売、赤旗や5大新聞が特集で取り上げ、自民党から共産党、社会党も合わせて統一教会を排除することに乗り出した。その戦いを私は一人でやりました」 「勝共議員が自民党内に180人」 選挙支援についての発言も残されている。中曽根政権下で衆参同日選となった86年7月、自民党は追加公認も含め衆院で解散時より50議席以上多い304議席を獲得して圧勝した。 文氏は88年2月18日(173巻)、選挙結果をこう振り返った。「261人の国会議員を304人にしたのが私です。勝共議員が自民党内に180人います」 さらにこうも語った。「一昨年の選挙当時に日本のお金で60億円以上使いました」「統一教会は怖いです。40人なら1人当選させることができます。訓練された精鋭部隊。1人何軒訪問できるかといえば最低で300軒、最高の記録は1300軒です」 04年9月16日(468巻)にも「岸首相のときから私が手を出したのです。中曽根のときは130人の国会議員を当選させました」と述べた。 文氏が創刊にかかわった教団系の日刊紙「世界日報」は86年7月の衆参同日選の翌日、国際勝共連合の名で「勝共推進議員130人の当選を祝す」と題する全面広告を載せた。当選した自民党や民社党の衆参両院議員計117人の名を並べている。 金丸氏への銃撃 文氏は他の自民党大物議員との深い関係についても述べている。 文氏は92年3月26日に来日し、金丸信・元副総理と31日に会談した。文氏は84年、米国で所得税法違反などの罪で禁錮1年6カ月の有罪判決を受けて服役。日本の入管法令上は入国できなかった。ところが「国会議員の会との意見交換」の目的などで、法相が入国を特別許可した。 働きかけたのが、実力者の金丸氏ら自民党の政治家だった。金丸氏は92年4月、朝日新聞の取材に「入国できないというので、私が便宜を図ってもらえるように法務省にかけあった」と認めている。 金丸氏は会談前の3月20日、栃木県で演説中に右翼団体の男から銃撃された。3〜5メートルの至近距離から3発撃たれたが、弾がそれてけがはなかった。 会談を終えた文氏は4月1日に韓国に帰国。3日(228巻)にこう語った。「金丸は私を招待した人です。5メートルの距離で3発撃った弾が体には一つもかすらず、どこかへ行ってしまいました」「神に守られました。文総裁に会わなければ日本とアジアの間に事故が起きてよくないので、文総裁のおかげで生かしてくれたのです」 旧統一教会元信者の仲正昌樹・金沢大教授(政治思想史)の話 大学生時代から計11年半、信者だった。発言録の内容は、「お父様(文鮮明氏)のお考えはこうだ」と教団幹部から伝えられた内容とほぼ一致している。岸信介元首相の娘婿である安倍晋太郎氏の首相就任に期待したが、中曽根康弘氏に裏切られたという話も聞いたことがある。 文氏は教団では「再臨したメシア(救世主)」と位置づけられ、その発言「御言葉(みことば)」は「神の啓示」や「摂理」(神の導き)と受けとめられている。文氏の説教を聞いた教団幹部は、内容の矛盾や過激な表現を整えて信者に伝えた。信者は「御言葉をノートに記録したり、外部にそのまま伝えたりしてはいけない」と指示されていた。 文氏らが「反共」を旗印に日本の保守政治家との関係強化をめざしたのは、日米の有力政治家と結びつくことが、韓国内での教団の政治的影響力を強め、教団主導で南北朝鮮統一を果たすため必要と考えたからだ。文氏が日本統治時代に生まれて日本留学経験もあり、日本語を母語のように話せることも、日本との特別なつながりの背景にある。 岸氏や安倍氏ら、教団が重視する自民党政治家の名は口頭で伝えられ、多くの信者も知っていた。しかし対外的にはまずいので、教団外で口外したり機関紙などの印刷物に書いたりしないよう指示されていた。 文鮮明氏と教団 文鮮明(ムンソンミョン)氏は1920年に日本統治下の朝鮮北部・平安北道で生まれた。41年に来日し早稲田大付属早稲田高等工学校に入学。43年に朝鮮半島に戻り、54年に韓国で世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)を設立。日本での布教は58年に始まり、64年に宗教法人の認証を受けた。 共産主義に打ち勝つためとして68年に国際勝共連合を創設。東西冷戦の崩壊に伴い、91年に訪朝し金日成主席と会談した。2012年の死去後、教団は妻の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁が継いだが、息子らとの後継争いで分裂している。15年には「世界平和統一家庭連合」とする名称変更が文化庁に認められた。》 |
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2023年 4月27日
久しぶりの快晴。
夙川からさくらやまなみバスで有馬に向かうが、白水渓での土砂崩れで同御苑は止まらず迂回ルートで初めての景色を眺めながら有馬着。
海外客もいるが連休前だからか人出は多くなく、まさに名前通りのスプリングテラスでお昼をいただき二ヶ月ぶりに康貴の銀・金泉につかる。桜の開花は過ぎた川沿いを温泉駅まで歩き神鉄を経て三宮で食材買って帰宅。
明日も晴れだが、残念ながらGWは曇天続きの予報。
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