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2023年 7月


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2023年 7月31日
日記がわりに。
 神戸も梅雨明けで空気は澄み青空も綺麗で京都などより気温は2~3度低いが、それでもかつてない酷暑。土曜は神大周りの木陰の下を歩いてil ventoへ。前菜のポテトが黄緑の野菜に変わっていて、暑さ対応にはgood。ローズマリー入りのローマ風マルゲリータも大変美味。駅前で食材買って帰宅。
 留守中の海外ニュースを録画で見ると、シチリアやロードスなどかつて訪ねた地中海の町々が猛暑による火災で大変な様子を伝える。国外からの消防隊の支援もあり、ロードスでは市民やボランティアも消火作業にあたるとか。人類に戦争や戦争ごっこをやっている暇はない。
http://fukupulio.org/italy/SIRACUSA/1991italy8.html
http://fukupulio.org/greece/rodos1/1995greece13.html
 昨日はすごもり、7月最後の今日は午後バスで徳井まで降りおとめ塚の湯。そこから歩いて阪神御影クラッセで食材買い、バスで帰宅。
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2023年 7月28日
平湯最後の夜はやはり涼しい。
 テントを日光で乾かし荷物をまとめて受付に託し、バスターミナルで高山行きバス券を買って民俗館露天と休憩所でしずかな時を過ごし、地ビール飲んで高山行き路線の濃飛バスに乗る。
 平湯も高山市、梅雨明けの澄んだ空気と緑とゆったりした民家の佇まいが車窓を流れる。古い街並み口バス停で降りると、ちょうど食べようと思っていた飛騨ラーメンの店の前。テラスで麺と健在のコロナビールをいただき、帰りのバスまで街を歩くと24日祇園後祭の京都と同じ灼熱の暑さ。
 夕飯用に柿の葉寿司を買い、1時半バスターミナルで大阪行きバスに乗る。飛騨から郡上八幡と愛知北部を経て滋賀から京都宇治までは快調だったが、週末金曜の夕方のためか京都へ入る高速道はやや渋滞、京都八条口に25分ほど遅れる。その後バスは梅田へ国道1号の追越車線を時折渋滞で爆走。30分ほど遅れて梅田東に着き、金曜夜の賑わいのなか阪急に乗って8時半過ぎ帰宅。神戸もこれまでにない茹だるような暑さ。
 この3~4日間テレビも見なかったが日本中が酷暑、世界も国連グテーレス事務総長は温暖化ではなく沸騰化と述べたとか。標高1500メートルの上高地は空気も冷涼、水も冷たい別世界だったのか。





2023年 7月27日
平湯から7年ぶりに上高地。
 大正池が鏡面のように焼岳を写す。鶯の声を聞きながら田代池から河童橋に行くと凄い賑わい。
 海外を含め老若男女の観光客と登山者が皆楽しげ。明神池まで歩き、嘉門次小屋でお昼をいただき右岸を河童橋まで戻ると曇天になり雷鳴も。
 2時のバスで平湯に戻り、今日も平湯の森で温泉と夕飯。硫黄泉が心地よい。



2023年 7月26日
昨日は夕方1ミリの雨が1時間との予報が外れ、深夜まで滝のような土砂降りでテントに浸水。
今朝は晴れ、着衣をキャンプ場のランドリーで洗う。上高地は明日にして、平湯民芸館の露天に浸かり洋食店でカレーをいただく。美味。バス停三つ先の福地温泉を訪ねるが、鄙びた内湯と露天が良い石動の湯は本日休業。
平湯に戻るころには再び雨だがすぐ上がる。平湯の森に浸かり夕飯。明日明後日も午後は雨予報。山に三日続きの晴天はない。






2023年 7月25日
高山二日目、宿の屋上の露天、宮川沿いの鯉が集まる水辺は快適。お昼に蕎麦を食べて12時40分発の濃飛バスで7年ぶりに平湯。
民芸館の露天に浸ってキャンプ場でテントを張り、となりのひらゆの杜温泉に入り夕飯にラーメンを食べていると、滝のような大雨。油断大敵か。





2023年 7月24日
京都二日目。
 御池通の日陰で後祭りの山鉾巡行を見る。炎天下、それぞれの山車が趣向を凝らし元気な掛け声とお囃子で行進。道沿いには海外からの観光客も多い。保育園児も座ってお行儀よく鑑賞中。
 アーケードの祇園花笠はほかの通りに移ったようで、11時半開く店でランチを食べ、12時からのジブリ新作を少し遅れて鑑賞。外は酷暑だが半ズボンにシャツ一枚で冷え込む。
 京都駅南口の高速バス停から夕方高山行きに乗る。夕景を見ながら弁当の夕飯。定刻9時前に高山着。宿に入ると海外からの旅行客が多い。屋上の露天に浸かると疲れは消えた。


2023年 7月23
今日も晴れ。
 自分としては四年ぶりに祇園後祭りを見に阪急で嵐山に出て芳泉でお昼のあと渡月橋を渡り嵐電で天山の湯。京都の暑さもこれまで以上。
 嵐電と阪急を乗り継ぎ烏丸から3時過ぎ室町通りの宿に着く。夕方宵山の室町通り、新町通りの山車を巡って海鮮処一でむろあじの造りなどを食べる。美味。帰りも役行者など宵山を巡る。皆さん楽しげ。
 


2023年 7月22日
「おいおい、この子、落とすところだったよー。プラチナ住所、気づかなかった? ダメだよこういうのをちゃんと見なきゃ。実家住所にさ、○○○ヒルズって書いてあるでしょう?これは親がなにがしだ、ってことだよ。いいか、この『成功者』のご子息、落としちゃだめだよ。面接に呼ぼう。ウチ(の会社)ときっと合うと思うなぁ。評価項目の『カルチャーフィット』(企業文化との親和性)のとこさ、◎に変えておいて」
「(片親に育てられ、「早く一人前になって支えてくれた人に恩返しがしたい」と語る就活生、地方出身。公立小中高を経て塾にも行かず、大学は某名門国立大学)優秀だろうけど、やめておこう。え? わかんないの?ウチっぽくない、ってのは大きい。『カルチャーフィット』が弱いんだ。あと、なんていうか、『チャーム』がない。育ててあげたい、って思えないのは致命的」
 筆者がかつて関わったという外資系企業のサマーインターンシップ採用選考での採用責任者の言葉。
 これらは明確に、「何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない」と規定した職業安定法第三条と、厚労省「職業紹介事業者、求人者、労働者の募集を行う者、募集受託者、募集情報等提供事業を行う者、労働者供給事業者、労働者供給を受けようとする者等がその責務等に関して適切に対処するための指針」に抵触する違法行為。
「公正な採用選考を行うためには・・・・
ア 公正な採用選考を行うことは、家族や生活環境に関することなどといった、応募者の適性・能力とは関係のない事項で採否を決定しないということです。
 そのため、応募者の適性・能力に関係のない事項について、応募用紙に記入させたり、面接で質問することなどによって把握しないようにすることが重要です。これらの事項は採用基準としないつもりでも、把握すれば結果としてどうしても採否決定に影響を与えることになってしまい、就職差別につながるおそれがあります」厚生労働省・公正な採用選考の基本
 リクルート事件の贈賄側主犯江副浩正は、大学新聞部で企業の求人広告による運営費を捻出した経験から、自分は就職せず他人の就職に仲介して利を得るという、当時の職業斡旋を禁じる職業安定法スレスレの求人広告を業とする会社を立ち上げ、リクルートという他人の職業斡旋と人材派遣に特化した企業の経営者となったが、未公開株による大規模贈収賄で時の首相も退陣させるリクルート事件を起こして表舞台から消えた。
 今この国には他人の職業斡旋と仲介を業とする民間の斡旋・紹介事業所数は2006年30600、2015年77956、2020年42448で世界一。公務員や公立図書館と学校の司書そして職安の職員も今や派遣労働など非正規雇用。
 この国の婚姻と出産の減少、人口減と少子化、全く伸びず減少する被雇用者の実質賃金と国の経済全体の停滞の要因は、まさしくこうした雇用の不安定化と低賃金化そして民間企業の雇用における根深い差別体質にある。
 電通が介在した東京五輪の汚職事件もそうだが、遵法精神の欠落したこの国の経済界を包む愚かしい風土は、この記事が指摘する人材・能力開発業界の採用担当者の人権意識が欠落した、歪みきった違法な差別意識とともに広く人材派遣業やコンサルティング界を超えて官僚らの天下りを許す経済界に染みついたもの。政治と企業の在り方を根底から変えなければ、この国に未来はない。
《暑い。夏が来れば思い出す――。ある企業でサマーインターンシップの選考をお手伝いしていたときのことを。
 大学院で教育社会学を修めたあと、「敵地視察の就職」と称して、人材・能力開発業界へ飛び込んでいった私だが、採用という現場は特に感慨深かった。「P.ブルデューが見たらなんて言うだろか」と思いながら、履歴書やエントリーシートにある、「休暇中の連絡先」(「現住所以外に連絡を希望する場合」もある)という実家住所記入欄を眺めていた。今日はそんな話からしようと思う。誰しも様々な立場なりに、近しい経験があるのではないかと思っている。
 いつかの、梅雨が明けるか明けないかの、とても暑い日。創業者の写真が大きく飾られた大会議室で私も、SPI(能力・適性検査)の結果一覧とエントリーシートとをずらりと並べながら、1次通過(○)・ボーダー(△)・不採用(×)の三つの山に「分け」ていた。部長である採用責任者が、確認のため最後に、×の山をパラパラと見返して、これにて会議終了、となりかけたときのことだった。採用責任者が皆の視線を集めるように声を発した。
 「おいおい、この子、落とすところだったよー。プラチナ住所、気づかなかった? ダメだよこういうのをちゃんと見なきゃ」
 プラチナ住所? 意味がわからなかった。
 「実家住所にさ、○○○ヒルズって書いてあるでしょう?」
 離れたところで作業していた人もいそいそと見えるところに集まる。不合格にすべきでない人をしていたのなら大変な落ち度だ。後学のために皆、真剣に確認する。
 「わお、ほんとだ、失礼しました」と謝る人もいる。すかさず、「これは高級マンションの中でも最高級。ハイソの中のハイソ」と採用責任者。「賃貸でもファミリータイプならここは、家賃は月200万円はしますよね」と相場情報を付言する人までいる。そして、採用責任者はこうとりまとめ、「リーダーシップ」を発揮した。
 「これは親がなにがしだ、ってことだよ。いいか、この『成功者』のご子息、落としちゃだめだよ。面接に呼ぼう。ウチ(の会社)ときっと合うと思うなぁ。評価項目の『カルチャーフィット』(企業文化との親和性)のとこさ、◎に変えておいて」
 私もご多分に漏れず、恥ずべきことだが、その場にいた誰一人、「この採用プロセスって問題ないんでしょうか」とは言わなかった。
 ちなみに、そのとき選ばれた人は、職務遂行に適切な「能力」を備えていたようで、その後の面接もパスし、入社。順調にその企業で昇進していると風の便りに聞く。採用責任者の「人を見る目はたしかだった」、そういうことかもしれない。
 他方、片親に育てられ、「早く一人前になって支えてくれた人に恩返しがしたい」と語る就活生もいた。地方出身。公立小中高を経て塾にも行かず(というか予備校はなかったらしい)、大学は某名門国立大学という猛者らしい。学力はもとより、野心、明確かつリアルな仕事への動機もあって、1次通過だと私は思ったのだが、先の採用責任者はこう言う。
 「優秀だろうけど、やめておこう」
 今回こそは意を決し、二の句を継いでみた。「あの、ちなみに、どういう点が、ってありますか?」と。
 「え? わかんないの?」と返され、焦る。でもここは言語化してもらわなければ。「すいません」と言いながら御大の解説を待った。
 「ウチっぽくない、ってのは大きい。『カルチャーフィット』が弱いんだ。あと、なんていうか、『チャーム』がない。育ててあげたい、って思えないのは致命的」
 会議は滞りなく終了した。
 この企業は外資系だったため、横文字が多いのだが、要は、「相性」と「かわいげ」(素直さ、周りに気に入られやすいか、と言ってもよい)という本来、個人の「好み」のような、主観的で理屈のないものを、あたかも客観性が担保された「能力」かのように使って、「分ける」こと――選抜――がしめやかに行われていた。
 採用する側の「好み」だと明言しては問題になるだろうが、採用会議の議事録には、「企業文化との親和性が低い」や「協調性に問題あり」と「能力」をジャッジしたかのようなコメントがついているので、問題ナシ。
 つまり、企業が個人を選抜する現場は、かように実はツッコミどころが満載なのに、採用側からすれば「『能力』を見極めましたよ。『能力』不足で不合格にしたまでです」の一言で事足りてしまう――。そのタイパよき単純化された「仕事」ぶりにモヤッとしたのだった。
一歩進んだようで、二歩下がっていないか
 けしからんですよね、なんて言いたいわけでは毛頭ない。かつての「学歴偏重」と批判された時代を経て、社会が個人に求める「能力」は変化してきた。「学力」に代表されるような、わかりやすい個人技的な「能力」以外にも、ここ四半世紀ほどは、「人間力」「コミュ力」「生きる力」といった、他者との関係性も重視するかのような「能力」の要請が目立って叫ばれるようになったのだ。
 一面的ではなく、全人的にみて人を「分け」、「わかる」よう努めましょう――。
 一見、進化しているようだが、そうなったらなったで、先のインターンの例のように、学生本人がどうすることもできない微妙な話まで、採用側によって「全人的」な能力の一つとされ、それによって「分け隔てる」ことは正当化されるようになったのだから、悩ましい。
 範囲も定義も選ぶ側の都合によって変わる「能力」。これでは身分制度の時代から一歩進んだようで、恣意(しい)的な運用を許すも同然だ。それはすなわち、公平性の観点からすると、進化どころか二歩下がっていやしないだろうか。
 連載初回でも申し上げたが、「よりよい社会」と言うならば、「社会をよくしようとして、悪くなっていないか?」と、いま一度問いたい。
 大義名分や社会的な潮流の目くらましに遭わず、自分自身がふと感じる違和感や、身近な人の様子の変化に、目を、心を、配っていたい。
 昨年末に出版した拙著『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)を読んでくださった方々からお便りが届くのだが、口ぐちに「もう能力も、競争も、疲れました」とある。「生きづらさ」は依然として社会を覆っているのだ。そう簡単に「よりよい社会」とは言えない。ーーー




2023年 7月22日
日記がわりに。
 関西梅雨明けの20日、岡本でランチのあと花卉店でポーチュラカ買い、ひと月ぶりに住吉うはらの湯に浸かる。住吉小は150周年とか、子供達が夏休みに向けて荷物を持って下校していた。御影で食材買って帰宅。
 マイナカード強制による混乱について、ドイツはナチスの反省から国民番号制をとらず、日本国内の医療機関も医療情報の一元化などに懸念を持つと報道1930。ロシアはウクライナの穀物輸出拠点をミサイル攻撃。これも世界の食糧難をもたらすプーチンの戦争犯罪。フランス2は温暖化による気温上昇で昨年地中海で珊瑚の白化が進み、今夏の気温上昇は大西洋の北部とともに3度を超えると報道。ギリシャ、イタリア、スペインでは連日40度越え。人類に戦争の準備などにかまけている暇はない。
 今日も晴れ、これもひと月ぶりに堺町通りのDay's Kitchenで野菜とマリナーラ、kokosicaでコーヒー。夏の気温は神戸は京都などより2~3度低く、自宅でエアコンはまだ使っていないが陽の差す通りは流石に暑い。ビルに入っていく救急隊も。食材買って帰宅。



2023年 7月18日
梅雨明け宣言はないが列島に気候変動による酷暑三日目。
 jr兵庫で普通に乗り換えて須磨海浜公園まで。子どもたちに人気の須磨水族館と隣の公園は大規模改修中。去年も訪ねたイタリアンは三連休の翌日も開いていて、自分は逆立ちしても作れない美味なペペロンチーノをいただく。
 海岸に出るのに大回りしてどうにか須磨の渚に到着。ナトリウム冷泉に浸かる気分で日光浴と海水浴。暑さは厳しいが海水はやや冷たい。無料の冷水シャワーや更衣室など施設も整う。三宮で食材買って帰宅。身体が夏向けにリセットしたような気が。



2023年 7月16日
日記がわりに。
 梅雨末期の束の間の晴れ間、11日谷上から神姫バスですずらんの湯に行くと、保守点検のため露天は閉鎖で入浴料半額。まーいいか。三宮で食材買って帰宅。国際報道はロシアによるウクライナ市民への無差別攻撃、戦争犯罪を伝え続ける。
 九州北部や北陸、東北各地で大雨による土砂崩れと浸水が続くが、神戸は昨日は曇りで二週ぶりにil ventoを訪ねてシンプルなジャガイモのピザ。そのまま道を南下し15分ほどでおとめ塚温泉に入り、日がさすなか御影クラッセで食材買って帰宅。
 今日は朝から晴れ、気温は高いが湿気は少ない。ひと月ぶりに西宮北口に行き、ガーデンズ向かいの島食堂ゆいたばテラスで島そば。日よけと風で心地よい。ガーデンズで産地野菜など買って帰宅。梅雨明けか?



2023年 7月16日
・1895年台湾の日本への割譲などを決めた下関条約調印。当時の台湾では人口300万人の1割以上がアヘンを吸引。内務省衛生局長だった後藤新平の「台湾島阿片制度ニ関スル意見」に基づき、翌年台湾でアヘンの使用や売買を禁じるが、中毒と診断された者に限って「治療用」を供給するアヘン専売制(「漸禁主義」)が発足。初年度に計上された台湾総督府の歳入予算668万円のうち、アヘン収入は355万円(53%)を見込む。この「漸禁主義」の実態は人道的配慮よりも、植民地や傀儡(かいらい)国家の財源確保が主な目的。後藤は1898年、台湾総督府の民政局長、後に民政長官に抜擢され、1906年南満州鉄道(満鉄)初代総裁として転出。
・1897年総督府製薬所がに出した「調査書」には、重度中毒者がアヘンを断たれた牢の中でどうなるか観察し、1週間ほどは吐き気やうつ、不眠などの禁断症状に苦しむが、死に至る事例はなくそれどころか日を経るにつれて回復し、やがて働けるようになったとの報告がある。山田豪「満洲国の阿片専売」2002年
「後藤には先見の明があり、専売制を考え出す知恵もあったが、それは植民地官僚としてであり、台湾の住民を対等と見ない視点で成り立っていた。ーー後藤がアヘンを財政収入とするために発揮した知恵は後年、中国大陸でさらに露骨で悪質なやり方で継承されていった」東京女子大学名誉教授 栗原純(76)
・1906年、前年ポーツマス条約で日露戦争終結後日本が租借した関東州の大連に阿片総局を設立、専売制によるアヘンの販売開始。
・1912年アヘン煙膏の輸出入を禁止または制限したハーグ国際アヘン条約調印。だが、生アヘンの生産・輸出入は禁止されず、批准国も少なかった。日本は未批准で、アジアの植民地や傀儡国家でアヘンの販売を続けた。
・1915年関東州阿片総局を廃止し、業務を民間団体「大連宏済善堂」に引き継ぐ。中国風の慈善団体の名を借りたこの販売組織は、表向きは「中毒者の救済」を掲げながらアヘンで膨大な利益を上げ続ける。
・1919年4月、関東都督府が関東庁に改組され、関東州と南満洲鉄道(満鉄)付属地の守備にあたった関東都督府陸軍部を前身として関東軍設置。6月第1次世界大戦講和、ベルサイユ条約調印。関連規定で日本もハーグ阿片条約を批准。
・1931年9月関東軍参謀石原莞爾らの謀略による満洲事変。奉天で特務機関長土肥原賢二、甘粕正彦と共に諜報、宣伝、宣撫の活動を担当したのが新聞記者で中国語が堪能な里見甫(のちの「アヘン王」)。
・1932年「満州国」建国を宣言。この頃、ハルビンではアヘン窟が市内で1000軒超、 奉天(現・瀋陽)では同750軒。密売業者は治外法権を示す「日の丸」を掲げる。11月日本国内で満州国の建国公債を募集。日本の外務省は「満州国のアヘン専売はハーグ阿片条約などの精神に合致」と、各国に回答。11月8日付の朝日新聞は、満州国の建国公債がアヘンで得た利益などを担保に日本で募集されることを報じたが、翌日以降は関連記事から「アヘン」の語が消える。
「時々日本の国旗凌辱事件が起こり外交問題に発展することがあったが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、阿片の商標だと思っていた」関東軍の参謀副長などを務めた池田純久
・1933年1月11日満州国がアヘンを独占的に販売する制度「阿片法」を施行。表向きはアヘンを禁止し、「治療の必要」が認められた人間だけが、政府が売るアヘンを摂取できるとした。アヘンの供給は、政府の担当部局「専売公署」が管理。警察署に届け出て「吸食者証」を受け取った人間が、専売公署が指定した小売人の店でアヘンを買うことができた。
・1933年3月関東軍の熱河作戦に同行のアヘン工作班、軍閥のアヘン部門を接収、熱河地方でケシ栽培の宣伝工作を開始。やがて熱河アヘンを満州国内から中国へ密輸。この年、日本は世界中のヘロインの51%、コカインの22%を生産。「アヘン大国」。
・1934年密造ヘロイン技師の山内三郎、大連でヘロインを裏の本業とする南満製薬株式会社を設立。この頃、モルヒネやヘロインの密造が横行し、大連の花街はヘロイン景気に沸く。
・1936年10月岸信介満洲国国務院実業部総務司長に就任。翌年7月には産業部次長、39年3月には総務庁次長に就任。「満州は自分の作品」と岸。
・1937年7月7日盧溝橋事件、日中戦争始まる。9月15日に満州では「阿片法」と同じ仕組みの「麻薬法」が施行され、警察に登録すればヘロインやモルヒネが入手できた。アヘンの登録者は最大で81万人余、麻薬登録者は同2万8千人余。
・「満州国」の実権を握り、その傀儡国家であることを象徴するのが世に二キ三スケと称された星野直樹(総務長官)、東条英機(関東憲兵司令官、関東軍参謀長)、岸信介(産業部次長、総務庁次長)、鮎川義介(満洲重工業総裁)、松岡洋右(満鉄総裁)。
・アヘンの販売収入は、最盛期には満州国の歳入の2割を超えていたという試算がある。さらに、関東軍は謀略やスパイ活動を受け持つ特務機関を使って満州国から中国の隣接地域にアヘンを密輸出、巨額の裏資金を得ていた。
・1939年日本占領下の上海に、アヘンの流通を担う「華中宏済善堂」(里見機関)設立。組織は表向き維新政府の指揮下にあったが、日本の内閣直属機関「興亜院」が指導監督。この販売組織を取り仕切ったのが、1931年9月の満洲事変後奉天で特務機関長土肥原賢二、甘粕正彦と共に諜報、宣伝、宣撫の活動を担当し、中国語が堪能な里見甫(「アヘン王」)。ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費などに充てる。「華中宏済善堂」の1941年度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円、現在の物価で約600億円に相当)だったと報告。
・1942年、上海の「興亜院華中連絡部」は太平洋戦争の開戦で日本が勢力下に置いた「大東亜共栄圏」を舞台に蒙疆産のアヘンを東南アジアなどにも流通させる、「大アヘン政策」を提唱。
・1943年4月「満州国」でアヘン・麻薬中毒者らの強制労働が始まる。
・1945年7月関東軍は新京周辺に貯蔵のアヘンをすべて引き渡すよう満州国政府に命令。
・1945年8月8日ソ連が対日宣戦布告、9日満州へ侵攻開始。15日昭和天皇が終戦の詔勅を放送。 関東軍が集積したアヘンは多くが略奪に遭い一部は地下に隠される。9月15日岸信介は連合国軍からA級戦犯被疑者として逮捕され東京の巣鴨拘置所へ拘置されるが、東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年12月24日、やはりA級戦犯だった右翼の児玉誉士夫、笹川良一とともに不起訴となり放免。
・中国でアヘンや麻薬の流通に関わったとされる人物は元首相の大平正芳、ロッキード事件に関与した政界フィクサーの児玉誉士夫ら。大平は中国内陸部のアヘン生産地帯で政府の出先機関の管理職を務めた記録が残り、児玉は陸軍の依頼を受け、中国を舞台にヘロイン密売による軍需物資の調達に関わったとする証言。
・1946年3月、里見甫は民間人第一号のA級戦犯容疑者としてGHQにより逮捕され、巣鴨プリズンに入所。9月極東国際軍事裁判に出廷して証言、不起訴となり釈放。
・1965年3月里見甫死去。千葉県市川市国府台の總寧寺にある墓の墓碑銘「里見家之墓」は岸信介の揮毫。
「満州国ではアヘンの吸引は厳重に禁止した。里見を知ったのは帰国後で、満映(満州映画協会)にいた茂木久平の紹介です。里見が死んで墓碑に字を書いたことがあるけれど、これも茂木に頼まれたから」岸信介
「(満州国政府での岸の職務上)岸と里見は密接な関係にあった」原彬久「岸信介 権勢の政治家」(岩波新書1995年)
「旧軍の隠匿物資の多様な品目が、様々な形で換金されて敗戦直後の日本に流れ、一部は保守政界の基盤にされた。その一つにアヘンがあった可能性が高い。多くの中国人をむしばんできた歴史的な経緯を含め、最も深い闇を抱えているのが、アヘンだと言えるでしょう」東海大学教授 小林元裕(60)
 日清戦争から第二次大戦後までの、台湾、中国東北部(満州)そして日本軍占領地における住民へのアヘン専売制(「漸禁主義」)による莫大な利益を国債、総督府・国家財政、軍備費そして闇の資金として利用し続けた、この国の近現代史の深い闇を検証する朝日の記事を年代順に並べてみる。
 傀儡国家「満州国」の成立から崩壊まで、謀略や侵略の中心となった軍人と官僚、民間人の主要な人物は、石原莞爾(関東軍作戦主任参謀)、土肥原賢二(関東軍奉天特務機関長)、板垣征四郎(関東軍高級参謀)、梅津美治郎(関東軍司令官)、東條英機(関東憲兵隊司令官・関東軍参謀長・陸軍大臣・東條内閣首班)、甘粕正彦(元憲兵大尉・満洲映画協会(満映)理事長)、星野直樹(満洲国国務院総務長官・東條内閣書記官長)、岸信介(総務庁次長・東條内閣商工大臣・軍需次官)、松岡洋右(南満洲鉄道(満鉄)理事・満鉄総裁・外務大臣)、鮎川義介(日産コンツェルン創始者・満洲重工業開発株式会社(満業)初代総裁)、里見甫(新聞記者・南満洲鉄道南京事務所嘱託・満洲国通信社主幹・宏済善堂副董事長)。
 この中で東京裁判(極東軍事裁判)で有罪判決を受けたのは、東條、土肥原、板垣、梅津、星野(終身刑)であり、甘粕は終戦後自殺、松岡は審議中に病死、岸、鮎川、里見はA級戦犯容疑者などとして勾留されるがいずれも釈放、石原は戦犯リストから外されて勾留もない。
 本来は鎮痛剤や麻酔薬として、医療用に限定して使用されるべき「麻薬」類を、表向きは「禁止」しながら国の専売制によって広く中毒者等に売り捌き、その利益で国家や軍隊を運営するのは、明らかに人道に反する政策で、これを半世紀にわたり続けた「大日本帝国」はまさに負の遺産。
 同じ第二次大戦の敗戦国でニュルンベルグ国際軍事裁判で裁かれたドイツは、戦後自らの手で1958年「ナチス犯罪追及センター」を設置してナチス犯罪、ホロコーストの責任者を追求し続けた。大戦後の戦勝国による国際軍事裁判は、ソ連によるフィンランドやポーランド、バルト三国への侵略、米国の原爆投下や無差別爆撃など、戦勝国の戦争犯罪を検証することをせず、それが今日のロシアによるウクライナ侵攻や戦勝5大国を中心とする核兵器保有、国連安保理の拒否権による機能不全などに繋がる。
 日本も、かつての近隣諸国への侵略と犯罪行為に目を瞑り、岸らそれらを正当化し美化する政治家を許容してきたことが、現在の男女格差や難民排斥、LGBTQ差別、低廉かつ不安定な非正規雇用拡大による生活苦の放置、そして国民を収奪するカルト集団と政権与党の長い癒着につながっている。
 傀儡「満州国」でのアヘン売買とそれによる財政・軍備運営と闇資金の流れ、それらが岸という人物を介して現在とどう繋がっているのか、その検証・解明を是非しなければならない。
第1回
皇后はアヘンに溺れた 日本の人工国家「満州国」を支えた闇の資金源
《ーーー満州とアヘン。その両者を結びつけた、かつての「支配者」の痕跡が長春市内に残る。
 市の中心部に立つ、まるで日本の城の天守閣のような建物。一瞬、日本の観光地かと錯覚するが、建物の前には中国国旗がはためく。
 ここはかつて旧日本軍の関東軍司令部だった建物だ。
関東軍
 中国東北地方に駐留した日本陸軍の部隊。日露戦争後にロシアから得た遼東半島南部に設置された関東都督府守備隊を前身とする。大陸での権益の維持を掲げ、日本政府や軍中央の統制から外れた独自の行動を取るようになり、張作霖爆殺事件など多くの謀略に関与した。1945年8月のソ連侵攻を受け、壊滅した。
 いまは中国共産党吉林省委員会の庁舎として使われており、制服を着た警備員がじっと街ゆく人々を見つめる。
アヘン中毒患者の救済よりも財政収入
 関東軍はもともと、日本が経営していた南満州鉄道(満鉄)を守るために置かれた軍隊だった。
 だが、東京の陸軍中央部の制止を振り切って暴走。1931年、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破する「柳条湖事件」を起こした。
柳条湖事件
 日中間の緊張が高まる中、石原莞爾ら関東軍の参謀が武力による満州占領を目的として起こし、満州事変の発端となった事件。1931年9月18日夜、奉天北郊の柳条湖付近で満鉄線路を関東軍の将校らが爆破した。関東軍は中国側の張学良軍の仕業として、自衛を理由に軍事行動を開始した。満鉄沿線の都市を次々と陥落させ、翌年1月には満州全域を占領した。
 関東軍はこれを中国側の仕業だとして軍事行動を拡大、中国東北部を占領した。
 この「満州事変」の後の32年、関東軍は清朝最後の皇帝・溥儀を執政(34年に皇帝)として迎え入れ、満州国を建国した。45年の日本の敗戦で崩壊するまで、この「国」を実質的に支配した。
 関東軍の仮想敵は、世界初の社会主義革命を経て急速に工業力と軍事力を増した旧ソ連だった。
 関東軍にとって満州国は、長大な国境線を挟んでにらみ合うソ連軍との「緩衝地帯」だった。
 一方、「関東軍にとって満州国は軍資金づくりの巨大な装置だった」とする見方が近現代史の研究者のなかにある。
 著書「キメラ―満洲国の肖像」で知られる京都大学名誉教授の山室信一(71)は、「旧陸軍がアジアで広範な活動ができたのも、満州国から吸い上げる資金があったためだと言われる。基本的な資金源は、アヘンだった」と指摘する。
 アヘン貿易は国際法違反とされていたが、日本は内外で生産したアヘンを満州国で大量に流通させ、膨大な利益をあげ続けた。
 そして、利益の一部は関東軍に流れていたことが、近年の研究で分かっている。
写真・図版
満州国の街なかにあった「煙館」では、「吸食者証」を持つ者にアヘンを吸引させた=1934年
 その根本となっていたのが、満州国政府がアヘンを独占的に販売する専売制だった。同国が建国された1932年度に始まった。
 満州国政府は表向きアヘンを禁止しながら、「中毒者」は当局に登録させ、「治療」の名目で政府が販売するアヘンの吸引を許可した。ただ、実態は、届け出をすれば誰でもアヘンを吸えた。
 生涯をかけて戦前日本のアヘン問題を追及した歴史家・山田豪一の著作「満洲国の阿片専売」(2002年)によれば、関東軍の占領下となった奉天(現・瀋陽)では、地元政権の取り締まりがなくなり、日本人の経営する商店の多くが公然とアヘンを販売・吸引させる「煙館」に転業した。煙館は同市だけで750店舗に達したという。
 満州国のアヘン専売はこうした密売市場を囲い込む狙いがあった。主目的は、中毒患者の救済よりも財政収入の獲得だった。
 それを示す資料がある。関東軍は柳条湖事件の翌日には奉天(現・瀋陽市)の主要部分を占領し、次の日に臨時市政を施行している。関東軍参謀部が臨時市政を施行した1931年9月20日付で作った「市政実施計画」によれば、奉天市の歳入には地元の軍閥政権が得ていた歳入のほか、アヘン販売に関する収入を計上していた。
 アヘンを吸引する者は住所や氏名を市長あてに届け出をさせ、市が独占販売するアヘンを指定の小売人を経て購入させる仕組みを制令で定める計画だった。これにより、同市だけで年額360万円(現在の物価で41億円余)もの収入を見込んでいる。
 関東軍が当初から、アヘンを主要な収入源とみていたことがうかがえる。
「後ろめたい収入源」 占領地をアヘン依存症に
 満州国「建国」から間もない1933年2月、関東軍はアヘンの産地として知られていた熱河地方を攻略した。
 この「熱河作戦」の表向きの目的は交通の要衝を押さえるためだったが、軍閥が握っていたアヘンの利権を奪うことが隠れた目的だった。
 ケシの栽培管理やアヘンの買い付けの拠点を接収するため、関東軍とともに、満州国政府の派遣した「阿片工作班」が最前線で活動した。
 作戦を機に、同地方と北京方面を結ぶ一日一往復のトラック便が整備され、後年、アヘン密輸の定期便となった。その実態を、現地を視察した参謀本部の元将校が戦後、書き残している。
 1937年7月7日の盧溝橋事件を機に、日中は全面戦争に突入した。
盧溝橋事件
 1937年7月7日夜、北京南西の盧溝橋一帯で演習をしていた日本軍が何者かに射撃を受け、兵士1人が行方不明となったことを発端に、日中両軍が衝突した。停戦協定が一時成立したが、日本政府は内地3個師団の派遣などを決め、全面戦争へと拡大していくきっかけとなった。
大東亜共栄圏
 1940年7月に日本政府が決定した「基本国策要綱」の中で掲げられた構想。白人の植民地支配を打破して、日本を盟主とする共存共栄の経済圏をアジアに確立することを主張した。中国や東南アジアの支配を正当化するためのスローガンとして使われた。
 「戦争になれば紙幣は暴落して紙切れになるが、銀と同じ値打ちの阿片の価値は変わらない」「栽培農民はみな阿片を売り惜しんだ」と、山田は記す。
 満州国でも、37年度のアヘン会計は「未曽有の増収を記録」した。
 交通事故が元で2005年3月に死去した山田は生前、記者の取材に、アヘンを「後ろめたい収入源」と表現した。
 「当初は戦争経済を支える目的で日本が占領地に投じたアヘンが、投じた側を次第に『依存症』にし、流しても流しても止めどがなくなっていった」と、語っていた。
 日本が満州国で完成させたアヘンによる収益の仕組みは、中国の戦線にも広がっていった。
 太平洋戦争の開戦とともに、「大東亜共栄圏」の全域に拡大する構想も出されたが、日本の敗戦で霧消することになる。《敬称略》(丘文奈、編集委員・永井靖二)》
第2回
上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり
《ーー2008年、極端な秘密主義で知られた里見が、自分の仕事の内容を明かした極秘資料が発見された。
 里見が「華中宏済善堂」の事業概要を、日本の政権中枢にあてて自ら解説した文書だ。
 国立国会図書館の資料室に収められた元大蔵官僚の旧蔵文書に含まれていたもので、内容から1942年後半の作成とみられている。
 それによると、事業の目的は戦時下のアヘンの流通を日本の管理下に置くこと。地元の中国人を束ね、販売組織を作り出す任務を里見に託したのは、上海で活動する日本軍の特務機関だった。
 アヘンの供給源は、当初は中東からの輸入品だったが、やがて中国・内モンゴル地区に日本軍が作った傀儡の「蒙疆(もうきょう)政権」産に置き換わったという。
 これとは別に、満州国政府からも依頼され、同国の熱河産のアヘンも扱っていたと資料にある。
 後年、里見が証人として出廷した極東国際軍事裁判(東京裁判)では取引を否定したモルヒネなども在庫の存在を明記。このモルヒネも満州国政府の製品だった。
 アヘンや麻薬の取引代金の決済はすべて、興亜院と大蔵省に委ねていたという。1941年度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円、現在の物価で約600億円に相当)だったとも報告している。
 この文書から、軍が描いた構想を里見が具体化し、アヘンや麻薬の流通で巨額の資金を得ていた実態が浮かび上がる。
 戦後の研究によれば、上海にあった「興亜院華中連絡部」は1942年、太平洋戦争の開戦で日本が勢力下に置いた「大東亜共栄圏」を舞台に、「大アヘン政策」を提唱していた。
 蒙疆産のアヘンを、東南アジアなどにも流通させる構想で、その流通の要として期待されたのも華中宏済善堂だった。
 だが、計画が軌道に乗る前に戦況は悪化し始め、日本の敗戦で立ち消えとなった。
 満州国も崩壊へと向かっていった。
 戦局の悪化を受け、関東軍の部隊は次々と南方の戦線へ転出。人手不足を補うため、満州国の青壮年を鉱山や土木労働に従事させる国民勤労奉公法が42年11月に公布された。
 アヘンや麻薬の中毒者も43年4月から、炭鉱などでの強制労働にかり出された。
 大戦末期の1945年7月、関東軍は新京周辺に貯蔵されているアヘンをすべて引き渡すよう、満州国政府に命令した。
 8月9日、アメリカやイギリスとの密約を受け、ソ連が満州へ侵攻した。敗走を始めた関東軍は、備蓄したアヘンを運び出し、紙くずと化した紙幣の代用にしようとした。だが、トラックに積まれたアヘンは住民たちに奪われたという。
 一部はソ連軍が新京へ進駐する直前に地中に埋めたとされるが、その後の行方は不明だ。
 敗戦とともに「アヘンの国」は崩壊した。
「アヘン王」の墓碑に揮毫 彫られた名は「岸信介」
 「アヘン王」と呼ばれた里見は戦犯訴追を免れ、表舞台に現れることなく死去した。
 千葉県市川市の寺に里見の墓がある。カラスがしきりに鳴き交わす丘を背に、「里見家之霊位」と彫られた墓碑が立つ。
 その側面に、墓碑に揮毫(きごう)した人物の名前が彫られている。
 「岸信介」
 元首相の岸は、戦前、満州国政府の産業部次長や総務庁次長を歴任。満州国の産業開発を主導し、「満州国は私の作品だ」と述べた。
 その岸が、78年、出版社の長期インタビューに応じた。60年間に及ぶ官界政界の活動を回顧するなかで1度だけ、「アヘン」に言及した。
 「満州国ではアヘンの吸引は厳重に禁止した」という「建前」を強調した上で、「上海のアヘン王」についてこう言及した。「里見を知ったのは帰国後で、満映(満州映画協会)にいた茂木久平の紹介です。里見が死んで墓碑に字を書いたことがあるけれど、これも茂木に頼まれたから」
 聞き手を務めた東京大学教授(現・名誉教授)の伊藤隆(90)は、「彼にとって一番聞かれたくない事柄だったのだろう」と、当時を振り返る。「質問とは関係のない流れで、こちらが挙げてもいない里見の名前を、彼の方から口にしたんだ」と明かした。
 「重要なのは、里見を『まったく知らない』とは決して言わなかったこと。後で修正しやすい、非常に頭の良い言い方だったと思う」
 後年の評伝「岸信介 権勢の政治家」(原彬久著、岩波新書、1995年)は、満州国政府での岸の職務上、「岸と里見が密接な関係にあった」と指摘している。
アヘンマネーは「敗戦直後の日本へ」 その一部は…
 戦時中、里見と関わりがあったとみられる元首相が、もう1人いる。
 80年に在職のまま急死した大平正芳だ。
 1936年に大蔵省(現・財務省)の官僚となった大平は、39年5月から興亜院蒙疆連絡部に出向し、蒙疆政権の首都があった中国・華北地方の張家口で翌年10月まで働いた。
 華中宏済善堂を指揮監督した興亜院。大平はその興亜院がアヘン生産地を指導するために置いた現地機関で、経済課の主任や課長を務めた。
 評伝「大平正芳 『戦後保守』とは何か」(福永文夫著、中公新書、2008年)は、「大平が職務としてアヘン政策に関わったことはたしかである」と断定する。
 「この仕事は、大平にとって決して愉快なものでなく、彼自身書き残すことはもちろん語ることすらなかった」と、同書は記す。近親者にただ一言「嫌だった」と、漏らしただけだったという。
 アヘンや麻薬で築かれた巨額な資金の一部は、敗戦時の混乱に紛れて戦後の政界に環流された――。当時の資料や関係者の証言から研究者らはそう指摘している。
 アジア全域を視野に入れたアヘン問題を研究している東海大学教授の小林元裕(60)は語る。「旧軍の隠匿物資の多様な品目が、様々な形で換金されて敗戦直後の日本に流れ、一部は保守政界の基盤にされた。その一つにアヘンがあった可能性が高い。多くの中国人をむしばんできた歴史的な経緯を含め、最も深い闇を抱えているのが、アヘンだと言えるでしょう」〈敬称略〉(丘文奈、編集委員・永井靖二)》




2023年 7月13日
・21年の相対的貧困率は15.4%。経済協力開発機構(OECD)が公表する各国の貧困率の最新値でみると、米国(15.1%)、韓国(15.3%)に抜かれ先進国最悪となった。『ルポ貧困大国アメリカ』が大ベストセラーになった08年から15年、日本は貧困大国に。
・前回調査時点の18年の貧困率からは0.3ポイント改善した。子どもの貧困率は2.5ポイント改善して11.5%に、ひとり親世帯は3.8ポイント改善して44.5%となった(図表1)。政府の公表値だけをみれば、貧困率は若干の改善傾向にあると評価することもできるだろう。ーーしかし、OECDの国際比較をみると、評価は一変する。先進国のなかで貧困率が最悪であることが確定。
・OECDのグラフにおける日本の最新値は、18年の15.7%である。これを今回公表された数値(15.4%、最新値21年)に置き換えると、米国(15.1%、最新値22年)、韓国(15.3%、最新値21年)よりも高い結果となる。日本よりも貧困率が高いのは、メキシコ、ルーマニア、コスタリカなどを残すのみ。
・グラフをみると、韓国の貧困率が継続して改善傾向にあることがわかる。これは、日本の生活保護制度にあたる「国民基礎生活保障制度」を利用しやすくし、最低賃金を大幅に引き上げるなどの再分配政策に取り組んだ成果。
・米国の貧困率は20年から急速に改善し、韓国を追い抜いている。もっとも貧困率の改善は、コロナ対策による生活保障の貧困削減効果が大きく、その対策は一過性、または期限付きで、インフレが高まるなかで、その効果も急速に薄れているとの指摘も。
・先の木下論文では、米国では月次で貧困率の推移を追っていることが紹介されている(p.57)。韓国も、毎年、貧困率を公表している。これに対して、日本の貧困率が更新されるのは、現状のままでは3年後になる。数字の根拠となる国民生活基礎調査が、3年に1度しか実施されないからである。
・23年6月16日、岸田文雄政権は「経済財政運営と改革の基本方針2023(骨太の方針)」を閣議決定した。民間の立場で貧困者の支援に取り組む稲葉剛氏は、「包摂社会」「外国人との共生社会」「孤独・孤立対策」「こどもまんなか社会」などの美しいフレーズがちりばめられた政府方針を、実態の伴わない「SDGsウオッシュ」であると批判。
・骨太の方針で触れられているのは、「こどもの」という形容詞のついた貧困解消の取組でしかない。そこでは、「大人の」貧困はないものとされている。その内容を具体的にみていくと、就業支援、養育費の支払い確保、安心・安全な親子の交流といった「自助」と、こども食堂、こども宅食・フードバンク等への支援といった「共助」を表す言葉が並ぶ。政府の責任を示す「公助」の言葉はどこにもない。これが、貧困率が先進国最悪となった日本の姿。
・日本の最低賃金の伸びが世界に見劣りすることが経済協力開発機構(OECD)の統計で改めて浮き彫りになった。OECDは11日、2023年の雇用見通しを発表。日本の最低賃金の伸び率は、名目・実質とも平均値の3分の1にとどまる。
・インフレ率などに連動して最低賃金が伸びるポーランドは名目で34.2%増、米国、英国、ドイツは16〜28%伸びた。米国を除く29カ国の平均では名目29.0%増、実質2.3%増で、日本はいずれも平均の3分の1にも届いていない。
・英国の最低賃金は22年1月時点で8.91ポンド、フランスは10.57ユーロと円換算でいずれも約1600円だ。日本が1000円を達成しても海外との開きはなお残る。韓国も22年8月、23年の最賃を前年比で5.0%上昇となる9620ウォン(約1000円)へ引き上げた。
「日本の最低賃金の伸び、OECD平均の3分の1未満」日本経済新聞
 7月の経済協力開発機構(OECD)による各国の相対的貧困率と最低賃金の比較を報じる二つの記事から。
 ひとり親世帯の貧困率44.5%をはじめ相対的貧困率は米国、韓国にも抜かれて先進国最低、最低賃金も円換算でいずれも約1600円の英仏の6割ほどで額も伸び率も低迷、国による貧困率など国民生活基礎調査は3年に1度だけというこの国の現状。そのうらで防衛予算2%化や原発回帰などは頑迷に固執する。
 「包摂」「異次元の」など言葉は美辞麗句を連ねるが、わずか3%アップの最賃1000円化と「子ども食堂」支援など民間ボランティアに依存するだけの岸田政権「経済財政運営と改革の基本方針2023」。カルトと癒着した3代目政治家らと彼らに尻尾を振る官僚らが行うのは、所詮この程度の愚策でしかない。
 そもそもこの現状を導いたのは、陳腐な「アベノミクス」を唱えたここ10年の自公政権の責任。最低賃金の1500円と正規雇用の抜本的拡大。それに手をこまねく政権はさっさと退場させるべき。
《 2023年7月4日、厚生労働省から『国民生活基礎調査』の最新値が公表された。21年の相対的貧困率は15.4%。経済協力開発機構(OECD)が公表する各国の貧困率の最新値でみると、米国(15.1%)、韓国(15.3%)に抜かれ先進国最悪となった。『ルポ貧困大国アメリカ』が大ベストセラーになった08年から15年、日本は貧困大国になろうとしている。
相対的貧困率は改善しているが……
 厚生労働省は、国民生活基礎調査をもとに3年ごとに相対的貧困率を公表している。相対的貧困率とは、等価可処分所得が中間値の半分未満の世帯員の割合を指す。
 日本では127万円未満が基準となり、おおよそ6.5人に1人が貧困状態にある計算になる。なお、以降は慣例にならい相対的貧困率を、単に貧困率と表記する。
 前回調査時点の18年の貧困率からは0.3ポイント改善した。子どもの貧困率は2.5ポイント改善して11.5%に、ひとり親世帯は3.8ポイント改善して44.5%となった(図表1)。
 政府の公表値だけをみれば、貧困率は若干の改善傾向にあると評価することもできるだろう。朝日新聞の取材に対して、厚生労働省は「貧困率が改善した要因として、コロナ禍に経済的支援策として配った特別給付金の効果のほか、働く女性の増加などによって所得が押し上げられた」とコメントしている(朝日新聞デジタル、2023年7月4日)。
 しかし、OECDの国際比較をみると、評価は一変する。先進国のなかで貧困率が最悪であることが確定したからである。
 OECDのウェブサイトでは、各国の貧困率(Poverty rate)を公表している。最新値の表示はもちろん、高齢者や子どもなど類型別の貧困率や、経年変化の国際比較もできる。OECD加盟国の最新値をみると、日本が米国や韓国よりも貧困率が高くなっていることがわかる(図表2)。
 ただし、OECDのグラフにおける日本の最新値は、18年の15.7%である。これを今回公表された数値(15.4%、最新値21年)に置き換えると、米国(15.1%、最新値22年)、韓国(15.3%、最新値21年)よりも高い結果となる。日本よりも貧困率が高いのは、メキシコ、ルーマニア、コスタリカなどを残すのみとなった。
 つまり、少なくとも現時点の最新値において、日本の貧困率が先進国で最悪であることが確定したのである。
米国、韓国とは異なる傾向
 18年の公表値では、日本の貧困率(15.7%)は、米国(18.1%)、韓国(16.7%)を下回っていた。「日本の相対的貧困率は、主要7カ国(G7)でワースト2」といった表記を使って危機感を煽っていたが、日本よりも貧困率が高い国があるという事実は揺るがなかった(グラミン日本「POVERTY 日本における貧困の実態」)。
 かつて、米国は格差社会を体現する国であり、不十分な社会保障や不安定な雇用などにより貧困率が高いと説明されてきた。08年に発行された堤未果氏の『ルポ貧困大国アメリカ』は、日本エッセイスト・クラブ賞および新書大賞を受賞し、シリーズ累計で70万部を超えるベストセラーとなった。
 韓国では、19年に映画『パラサイト 半地下の人々』が公開され、観客動員数は1000万人を突破。日本でも瞬く間に大ヒットとなり、20年公開の外国映画では最高の興行収入を記録した。アカデミー賞の最多4部門を受賞するなど、韓国の厳しい貧困の実態は社会の注目を浴びてきた。
 OECDのウェブサイトでは、各国の貧困率の経年変化をみることができる。日本、米国、韓国の貧困率の推移をみてみよう(図表3)。
 グラフをみると、韓国の貧困率が継続して改善傾向にあることがわかる。これは、日本の生活保護制度にあたる「国民基礎生活保障制度」を利用しやすくし、最低賃金を大幅に引き上げるなどの再分配政策に取り組んだ成果といえる(金明中「韓国における所得格差の現状と分配政策:新しい尹政権の「選択的福祉」政策は所得格差を解消できるだろうか」)。
 また、米国の貧困率は20年から急速に改善し、韓国を追い抜いている。もっとも貧困率の改善は、コロナ対策による生活保障の貧困削減効果が大きく、その対策は一過性、または期限付きで、インフレが高まるなかで、その効果も急速に薄れているとの指摘もある(木下武徳「アメリカにおけるコロナ禍の低所得層への経済給付:公的扶助を中心に」)。
 これに対して、日本の貧困率は18年に15.7%の表記があるのみである。貧困率の推移をみることさえできない。先に紹介した図表1をよく見ると、18年より前と後でグラフが分断されていることに気づく。これは、日本にはOECD基準で計算した17年以前のデータが存在しないためである。
国際標準は貧困率を毎年公表、周回遅れの日本
 日本(15.4%)、米国(15.1%)、韓国(15.3%)の数値だけをみれば、その差は僅かだと抗弁することもできるだろう。しかし、この3国の経年変化の数値をみたうえで、「今後、どの国が貧困率を改善できそうか」という問いにどう答えるだろうか。
 なお、先の木下論文では、米国では月次で貧困率の推移を追っていることが紹介されている(p.57)。韓国も、毎年、貧困率を公表している。
 これに対して、日本の貧困率が更新されるのは、現状のままでは3年後になる。数字の根拠となる国民生活基礎調査が、3年に1度しか実施されないからである。
 日本政府がEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)の推進を掲げて久しい。EBPMとは、政府の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすることをいう。
 国際比較をするための基礎データを算出することもなく、月次どころか経年でのデータ収集さえ行わない。企業経営や税制の議論をする際に同様の対応をしたら関係者はそっぽを向くだろう。
 国民生活基礎調査の過年度データに遡ってOECDの基準で貧困率を算定し直すことは、今すぐにもできるだろう。毎年度のデータを出すことも、他の国ができて日本ができない理由はない。
置き去りにされる「大人の」貧困
 23年6月16日、岸田文雄政権は「経済財政運営と改革の基本方針2023(骨太の方針)」を閣議決定した。
 民間の立場で貧困者の支援に取り組む稲葉剛氏は、「包摂社会」「外国人との共生社会」「孤独・孤立対策」「こどもまんなか社会」などの美しいフレーズがちりばめられた政府方針を、実態の伴わない「SDGsウオッシュ」であると批判している(稲葉剛「日本政府の美辞麗句と『SDGsウオッシュ』」)。
 骨太の方針を、「貧困」というキーワードで検索すると、該当するのはわずか2カ所である。該当する部分を紹介しよう(なお、もう1カ所は、沖縄振興・北海道開発などの地域振興において、基地跡地の利用やクリーンエネルギーなどと列記されているだけで、具体的内容はない)。
就業支援や養育費の支払確保と安全・安心な親子の交流の推進などひとり親支援の推進、こども食堂、こども宅食・フードバンク等への支援を始めとした、こどもの貧困解消や見守り強化を図るほか、食育を推進する。(内閣府「経済財政運営と改革の基本方針 2023 について」p.18)
 骨太の方針で触れられているのは、「こどもの」という形容詞のついた貧困解消の取組でしかない。そこでは、「大人の」貧困はないものとされている。
 その内容を具体的にみていくと、就業支援、養育費の支払い確保、安心・安全な親子の交流といった「自助」と、こども食堂、こども宅食・フードバンク等への支援といった「共助」を表す言葉が並ぶ。
 政府の責任を示す「公助」の言葉はどこにもない。これが、貧困率が先進国最悪となった日本の姿である。》




2023年 7月10日
「G7議長国の日本も、人権保障の国際水準では先進国最下位どころか、後進国レベルにあるといえます。世界経済フォーラムのGGI(ジェンダーギャップ指数)では政治分野の男女格差は146カ国中139位で世界ワーストテンに入っていますし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの2022年版報告書でも、国内人権機関や差別禁止法が無い点が問題視されています」 
「憲法13条は『個人の尊重』を定めていますが、個人の尊重を利己主義と誤解しているのです。戦後の改憲論議で繰り返されてきたのが、日本国憲法が行き過ぎた個人主義という風潮を生んできたという保守層からの批判でした。それは2012年の自民党の憲法草案が、『個人』を『人』に書き換えていることにも表れています」
「一般的に言えば、国籍や人種・性別などにかかわらず、すべての人間が持っている不可侵・不可譲の権利のことです。ここでは、すべての人間というところが大事です。1789年のフランス人権宣言などで普遍的な近代人権論が確立され、20世紀後半には国連などを中心に、現代的な人権保障が進展しました。近代には自由権や形式的平等が中心であったのに対して、現代では社会権や新しい人権(環境権など)が保障され、実質的平等が求められています。これは近代の人権に限界や批判があったことに由来します」
「ところが、日本は『すべての人に』をうまくとらえられなかったように思います。例えば、外国人差別はいけないとか女性差別はいけないという文脈でとらえられたため、もっぱら差別を禁止した14条の問題として考えられ、13条の個人の尊重や幸福追求権が重視されてこなかったという事情があります」
「1789年人権宣言では、すべての人が自由で平等であると定めながら、実際には女性や奴隷などの権利が保障されず、白人・ブルジョア・男性の権利に過ぎなかったという限界がありました。これを最初に批判して1791年に『女性と女性市民の権利宣言』を書いたのが、オランプ・ドゥ・グージュです。女性にも『処刑台にのぼる権利があると同時に演壇にのぼる権利がある』と述べた彼女は、皮肉にも、反革命容疑で1793年にギロチンの露と消えました」
「しかし、フランスはこの1789年宣言の限界と問題点を、1946年憲法で補います。そして現在の1958年憲法(第5共和政憲法)は、1789年宣言が1946年憲法で補塡(ほてん)され、現行の憲法として効力を有しているとみるわけです。1789年宣言が持つ限界が最初から批判されていたということが大事だと思います。グージュの存在は長い間忘れられていたのですが、私は彼女の宣言や伝記などを1970年代から翻訳出版し、今では、高校の世界史教科書や大学入試問題などで扱われることも増えてきました」
「1789年の人権宣言はまず、アルベール・シャルル・デュ・ブスケというフランスのお雇い外国人の手で初めて訳されます。ブスケが話したものを、日本人が聞きとって書いた口訳です。その後、自由民権運動のなかで中江兆民が、1789年宣言に続く、1793年の人権宣言を翻訳・出版しました。これは画期的で、人民主権や社会保障、蜂起(抵抗)の権利などを定めていました。当時の人々がこの兆民の訳本を手に持ち歩き、各地で読んでいた様子を想像するだけでも、すごいことだと思います」
「女性の選挙権なども土佐の一部で実現しましたが、明治政府は選挙権から女性を排除し、女性の政治参加を禁止しました。天皇主権を採用した明治憲法では普遍的な人権は認められず『臣民の権利』として、表現の自由などが制限され、やがて戦争の時代へと入っていきます。しかし、自由民権運動が教えてくれたのは、人権は権力者によって与えられるものではなく民衆の運動によって闘いとるものであり、権力者は謙虚に人権を認めるべきだということでした」
「フランスのような市民革命の経験がない日本でも、人権を要求する運動が存在していたということは知っておくべきです。そうした流れは、敗戦後の新憲法の制定過程にも反映されます。憲法学者の鈴木安蔵たちが作った「憲法研究会」が、社会権規定などを盛り込んだ憲法草案要綱をまとめますが、それを連合国軍総司令部(GHQ)が参照し、日本国憲法にも取り入れたのです。日本の憲法史を考えるうえでも重要なことでした」
「日本ではとくに政治・経済・学術分野での男女共同参画の遅れが問題ですが、その原因は、戦前からの家父長主義的家制度と性別役割分業構造・意識の残存、働き方改革と積極的改善措置(ポジティブ・アクション)の遅れなどです。そこにいきあたらざるを得ません。今では単身家庭が38%、男性の生涯未婚率が28%、夫婦のいる家庭のうち専業主婦家庭が23%になるなど、生活環境が変化しているにもかかわらず、昭和の高度経済成長期と同じような性別役割分業や雇用・就労形態、配偶者控除制度などが残存し、法制度改革が現状の変化に追いついていないことが原因でしょう」
「ところが、男性の政治家たちにはこうした認識が決定的に欠けています。例えば、最近でも自民党の麻生太郎副総裁が講演で、少子化問題について『一番、大きな理由は出産する時の女性の年齢が高齢化しているからです』と述べ、複数の子どもを出産するには『体力的な問題があるのかもしれない』と発言したと報じられています。構造的な差別の下に置かれていた女性に責任を転嫁する発言で、事態をまったく理解していないことをよく表していると思います」
「最高裁の女性裁判官が、圧倒的に少ない。15人中2人です。例えば、フランスの憲法院は9人中3人、アメリカの連邦最高裁は9人中4人が女性で、いずれも3割を超えています。日本は三つの小法廷に分かれているわけですから、最低でも3人は必要だと、だれが考えてもわかるはずです。こんないびつな人的構成の中で人権に関する判断が行われているのが、問題です」
「例えば、夫婦同氏を強制する民法750条の違憲性が争われた裁判をみてみましょう。2015年12月の最高裁判決は、『違憲』と判断したのが15人中5人でしたが、当時いた女性裁判官3人すべてが違憲の判断でした。決して、偶然ではありません。多数意見が言っている『通称使用』ではだめだと肌身をもって知っていて、問題点を指摘しているわけです。私自身、通称使用のため、パスポートにある名前と違うため、国際会議場に入れてもらえなかったり、ホテルの宿泊を拒否されたりと、大変な目にあったことがあります」
「最高裁では、法的安定性と同時に立法裁量を重視した結果、違憲判決が極めて少ない状況です。こうして司法権が自己抑制しているのであれば、本来、国会、とくに政権与党が十分な法改正をすべきなのですが、人権感覚の欠如や積極的改善措置を取ることを怠ることによって、それができないままになっています。最高裁裁判官の国民審査制度を実効的なものにするほか、人権感覚に優れた少数意見に従って、議員立法など法制度改革を進めることを期待したいと考えています」
「強調したいのは、教育です。人権教育を小学校の低学年からやってほしいと思います。そして、主権者教育。教育現場では、教科書の枠内でしか行えず、権力を批判することがいえず、政治的なテーマがタブー視されていると聞きます。日本のジェンダー不平等を支えているのは日本社会の構造であり、人権意識の欠如です。こうしたことを学ぶ場を作る必要があります」
「立法府の怠慢や政権与党、とくに、保守派の議員たちの人権感覚が問題であるとすれば、選挙で選んだ主権者市民やマスコミにも責任があります。選挙の際に個々の人権問題を争点化して公開質問状を出したり、必要に応じて落選運動のような意思表示をしたりすることも有益ではないでしょうか」
 例えばジェンダーギャップ指数の男女格差は146カ国中139位というこの国の低迷する人権状況についての、辻村みよ子・東北大学名誉教授(憲法)の近現代史を俯瞰した分析と提言。
 フランス革命で女性の権利(「女性の市民権の承認について」1790)を説いたコンドルセは恐怖政治に反対して94年獄中で自死、「女性と女性市民の権利宣言」(1791)を発表したグージュは93年「反革命」で断頭台に。いまの1958年憲法(第5共和政憲法)に至るまで市民の長く不断の努力があった。日本も同じく、いまの憲法は米国に与えられたものではなく、明治初期の自由民権運動(さらに辿れば「百姓の持ちたる国」加賀一向一揆)以来の努力と無謀な侵略戦争の反省によるもの。
 この憲法を押し付け憲法として改憲を安直に唱える政治家は、家父長制に拘泥し復古主義的な価値観と宗教カルトに癒着する、世界史も日本の歴史も知らない人権感覚の劣後した暗愚な者に過ぎない。
 いまだに女性首相も実現せず閣僚のほとんどが男性(さらに爺)で、難民受け入れや男女同権など国連機関からの数々の提言を頑なに拒む政治、男性に偏重した裁判官と「統治行為論」によって行政と立法に対する検証と人権への問題意識を減衰させた司法、構成の圧倒的多数が男性の議会。
 今問題噴出のマイナカード強制も、漢字とカナ表記、読み仮名の多様さやすでに多くの別姓使用などの現状から、本籍、住民票、銀行口座、保険証など「登録名の一致」のシステム設計自体が出来ていないが故の混乱で、責任は政府にある。経済は古いモデルでも人権意識は高い、外界と隔絶して独自の進化を遂げるなど「後進国」「ガラパゴス」に日本を喩えるのは「後進国」「ガラパゴス」に失礼だが、間違いなくこのままでは日本は衰退する。
《日本政府はこれまで、国連機関から長年にわたって選択的夫婦別姓制度の実現や死刑廃止に向けた検討など様々な勧告を受けてきたにもかかわらず、政治は真剣に向き合おうとしていないように見える。問題はどこにあるのか、人権の歴史と理論に詳しい辻村みよ子・東北大学名誉教授(憲法)に話を聞いた。
 ――人権状況をどうご覧になっていますか。
 「G7議長国の日本も、人権保障の国際水準では先進国最下位どころか、後進国レベルにあるといえます。世界経済フォーラムのGGI(ジェンダーギャップ指数)では政治分野の男女格差は146カ国中139位で世界ワーストテンに入っていますし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの2022年版報告書でも、国内人権機関や差別禁止法が無い点が問題視されています」
 ――「人権」に関して、ガラパゴス化が進んでいるように見えます。原因はどこにあるのでしょうか。
個人の尊重、「利己主義」と誤解する保守層
 「憲法13条は『個人の尊重』を定めていますが、個人の尊重を利己主義と誤解しているのです。戦後の改憲論議で繰り返されてきたのが、日本国憲法が行き過ぎた個人主義という風潮を生んできたという保守層からの批判でした。それは2012年の自民党の憲法草案が、『個人』を『人』に書き換えていることにも表れています」
 「つまり、55年体制以降の長期保守政権が、憲法とその人権規定を尊重しない改憲論の立場をとり、国内人権機関や小学校などでの人権教育の制度化を怠ってきたことに原因があるのではないでしょうか。道徳と人権が混同され、個人尊重主義が利己主義と誤解される傾向とあいまって、十分な人権論議や人権教育の場が確保されない状態が続いてきたと考えています」
 ――人権とはそもそもどんなものなのでしょうか。
 「一般的に言えば、国籍や人種・性別などにかかわらず、すべての人間が持っている不可侵・不可譲の権利のことです。ここでは、すべての人間というところが大事です。1789年のフランス人権宣言などで普遍的な近代人権論が確立され、20世紀後半には国連などを中心に、現代的な人権保障が進展しました。近代には自由権や形式的平等が中心であったのに対して、現代では社会権や新しい人権(環境権など)が保障され、実質的平等が求められています。これは近代の人権に限界や批判があったことに由来します」
 「ところが、日本は『すべての人に』をうまくとらえられなかったように思います。例えば、外国人差別はいけないとか女性差別はいけないという文脈でとらえられたため、もっぱら差別を禁止した14条の問題として考えられ、13条の個人の尊重や幸福追求権が重視されてこなかったという事情があります」
 ――近代の人権の限界と言えば、フランス人権宣言も女性の権利は排除されていました。
女性の人権を認めなかったフランス人権宣言の限界
 「1789年人権宣言では、すべての人が自由で平等であると定めながら、実際には女性や奴隷などの権利が保障されず、白人・ブルジョア・男性の権利に過ぎなかったという限界がありました。これを最初に批判して1791年に『女性と女性市民の権利宣言』を書いたのが、オランプ・ドゥ・グージュです。女性にも『処刑台にのぼる権利があると同時に演壇にのぼる権利がある』と述べた彼女は、皮肉にも、反革命容疑で1793年にギロチンの露と消えました」
 「しかし、フランスはこの1789年宣言の限界と問題点を、1946年憲法で補います。そして現在の1958年憲法(第5共和政憲法)は、1789年宣言が1946年憲法で補塡(ほてん)され、現行の憲法として効力を有しているとみるわけです。1789年宣言が持つ限界が最初から批判されていたということが大事だと思います。グージュの存在は長い間忘れられていたのですが、私は彼女の宣言や伝記などを1970年代から翻訳出版し、今では、高校の世界史教科書や大学入試問題などで扱われることも増えてきました」
 ――フランス人権宣言は日本にどんな影響を与えたのでしょうか。
 「1789年の人権宣言はまず、アルベール・シャルル・デュ・ブスケというフランスのお雇い外国人の手で初めて訳されます。ブスケが話したものを、日本人が聞きとって書いた口訳です。その後、自由民権運動のなかで中江兆民が、1789年宣言に続く、1793年の人権宣言を翻訳・出版しました。これは画期的で、人民主権や社会保障、蜂起(抵抗)の権利などを定めていました。当時の人々がこの兆民の訳本を手に持ち歩き、各地で読んでいた様子を想像するだけでも、すごいことだと思います」
 「女性の選挙権なども土佐の一部で実現しましたが、明治政府は選挙権から女性を排除し、女性の政治参加を禁止しました。天皇主権を採用した明治憲法では普遍的な人権は認められず『臣民の権利』として、表現の自由などが制限され、やがて戦争の時代へと入っていきます。しかし、自由民権運動が教えてくれたのは、人権は権力者によって与えられるものではなく民衆の運動によって闘いとるものであり、権力者は謙虚に人権を認めるべきだということでした」
 「フランスのような市民革命の経験がない日本でも、人権を要求する運動が存在していたということは知っておくべきです。そうした流れは、敗戦後の新憲法の制定過程にも反映されます。憲法学者の鈴木安蔵たちが作った「憲法研究会」が、社会権規定などを盛り込んだ憲法草案要綱をまとめますが、それを連合国軍総司令部(GHQ)が参照し、日本国憲法にも取り入れたのです。日本の憲法史を考えるうえでも重要なことでした」
 ――女性の人権状況についてお伺いします。日本国憲法は条文上、13条(個人の尊重)、14条(性差別の禁止)、24条(男女の本質的平等)がフルスペックで装備され、諸外国と比べて見劣りしません。しかし、ジェンダーギャップ指数が先進国で最下位です。何が問題なのでしょうか。
ジェンダー不平等 背景にある性別役割分業の意識
 「日本ではとくに政治・経済・学術分野での男女共同参画の遅れが問題ですが、その原因は、戦前からの家父長主義的家制度と性別役割分業構造・意識の残存、働き方改革と積極的改善措置(ポジティブ・アクション)の遅れなどです。そこにいきあたらざるを得ません。今では単身家庭が38%、男性の生涯未婚率が28%、夫婦のいる家庭のうち専業主婦家庭が23%になるなど、生活環境が変化しているにもかかわらず、昭和の高度経済成長期と同じような性別役割分業や雇用・就労形態、配偶者控除制度などが残存し、法制度改革が現状の変化に追いついていないことが原因でしょう」
 「ところが、男性の政治家たちにはこうした認識が決定的に欠けています。例えば、最近でも自民党の麻生太郎副総裁が講演で、少子化問題について『一番、大きな理由は出産する時の女性の年齢が高齢化しているからです』と述べ、複数の子どもを出産するには『体力的な問題があるのかもしれない』と発言したと報じられています。構造的な差別の下に置かれていた女性に責任を転嫁する発言で、事態をまったく理解していないことをよく表していると思います」
 ――人権の番人は最高裁判所だと思いますが、日本の司法もその期待に十分に応えていないように思えます。
 「最高裁の女性裁判官が、圧倒的に少ない。15人中2人です。例えば、フランスの憲法院は9人中3人、アメリカの連邦最高裁は9人中4人が女性で、いずれも3割を超えています。日本は三つの小法廷に分かれているわけですから、最低でも3人は必要だと、だれが考えてもわかるはずです。こんないびつな人的構成の中で人権に関する判断が行われているのが、問題です」
 「例えば、夫婦同氏を強制する民法750条の違憲性が争われた裁判をみてみましょう。2015年12月の最高裁判決は、『違憲』と判断したのが15人中5人でしたが、当時いた女性裁判官3人すべてが違憲の判断でした。決して、偶然ではありません。多数意見が言っている『通称使用』ではだめだと肌身をもって知っていて、問題点を指摘しているわけです。私自身、通称使用のため、パスポートにある名前と違うため、国際会議場に入れてもらえなかったり、ホテルの宿泊を拒否されたりと、大変な目にあったことがあります」
 「ようやく、男女共同参画白書の中に、『検察官、裁判官、弁護士など司法分野における女性の参画状況を毎年公表する』という項目が入りました。司法におけるジェンダーの統計がなかったのです。裁判所を変えないと、人権問題を裁く条件が整いません。女性裁判官を増やすのは、そのための第一歩です」
 ――多数によっても奪ってはならないものが人権である、というメッセージが最高裁からは伝わってきません。
学校現場での人権教育と主権者教育の充実を
 「最高裁では、法的安定性と同時に立法裁量を重視した結果、違憲判決が極めて少ない状況です。こうして司法権が自己抑制しているのであれば、本来、国会、とくに政権与党が十分な法改正をすべきなのですが、人権感覚の欠如や積極的改善措置を取ることを怠ることによって、それができないままになっています。最高裁裁判官の国民審査制度を実効的なものにするほか、人権感覚に優れた少数意見に従って、議員立法など法制度改革を進めることを期待したいと考えています」
 ――外国人の収容施設での人権侵害、SNSで拡散されるヘイトスピーチや他者への匿名の攻撃など人権状況は厳しいものがあります。これを改善していくために、どんな視点で議論を始めるべきでしょうか。
 「強調したいのは、教育です。人権教育を小学校の低学年からやってほしいと思います。そして、主権者教育。教育現場では、教科書の枠内でしか行えず、権力を批判することがいえず、政治的なテーマがタブー視されていると聞きます。日本のジェンダー不平等を支えているのは日本社会の構造であり、人権意識の欠如です。こうしたことを学ぶ場を作る必要があります」
 「立法府の怠慢や政権与党、とくに、保守派の議員たちの人権感覚が問題であるとすれば、選挙で選んだ主権者市民やマスコミにも責任があります。選挙の際に個々の人権問題を争点化して公開質問状を出したり、必要に応じて落選運動のような意思表示をしたりすることも有益ではないでしょうか」(聞き手 編集委員・豊秀一)》


2023年 7月 9日
日記がわりに。
 6日梅雨の晴れ間におとめ塚温泉に入り、水遊びの幼児らで賑わう石屋川を超えて御影アーケードを歩くとNPOの施設から歌声あり。クラッセで食材買ってバスで帰宅。
 スペインTVEはウクライナのバフムト近郊の村落で避難できない年金生活の高齢者の姿を伝える。年金は郵便局職員が配布し、ガスも電気もとまり水も食事も配給が頼みと。さらにロシアの独立系メディア「ノーバヤ・ガセータ」の調査報道記者エレナ・ミラシナ(Elena Milashina)さんが人権侵害の取材で入国したチェチェンで暴行を受けた様子を伝える。プーチン政権を批判し続けた同誌の記者アンナ・ポリトコフスカヤは2006年10月7日モスクワの自宅前で暗殺されている。ドイツZDFは6日ロシアのミサイルでウクライナ西部リビウの集合住宅が破壊され5人が死亡、36人以上が負傷した現場を伝える。いずれもロシアの犯罪、戦争犯罪。
 昨日曇天の下久しぶりに地元calmoを訪ねてナポリピザをいただき、六甲道に降って食材買って帰宅。ドイツZDFは米国がウクライナへの提供を検討するクラスター爆弾について、110カ国が加盟する禁止条約(オスロ条約)とともにベトナム戦争でも使われたその非人道性を伝える。これはこの戦争の非人道性を拡張させ、核使用のレベルにまで繋ぎかねないのではないか。この7日でロシアのウクライナ侵攻500日。WHOはウクライナ民間人死者が少なくとも9000人を超えた、実際ははるかに多いと発表。
 今日は一日中雨で巣篭もり。しばらく梅雨空が続く予報。

 


2023年 7月 8日
「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表します」安倍晋三2021年9月12日統一教会(天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合)フロント組織『天宙平和連合(UPF)』の大規模集会で
「日本は特に第二次世界大戦の戦犯国だということ。原罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょう、被害を与えた国に。今の日本の政治家たちは統一教会に対して、何たる仕打ちなの。家庭連合を追い詰めているじゃない。政治家たち、岸田を、ここに呼びつけて、教育を受けさせなさい。分かってるわね」旧統一教会総裁韓鶴子6月28日韓国・清平で
「報道については承知しておりますが、韓鶴子氏の発言の逐一について、私からコメントすることは差し控えさせていただきます」松野官房長官7月4日
「安倍氏の遺志に報いるためにも先送りできない課題に取り組む思いで職務を務めてきた。これからも今申し上げた姿勢を大事に職責を果たしていきたい」7日岸田首相
 政権とカルト集団の癒着による国民の甚大な被害に起因する安倍元首相銃撃事件から1年。
 韓国発のカルト集団と自民党との長きに渡る癒着の歴史を、ただ関係遮断のみを唱えてなんら検証することなく、その癒着の大もとであった元首相の問題も棚に上げ、あたかもその遺志であるかのように、「集団的自衛権」「敵基地攻撃力」「防衛費倍増」「原発復帰」「国債依存拡大」(債務残高対GDP比は世界最悪水準の224%)「難民受け入れ拒否」「LGBT差別温存」「健康保険証取上げでマイナカード強制」を議会多数派による数の力で押し通す岸田首相。
 みずからの意志や理念は希薄で、8年間の長期政権を私物化して国民の格差と分断を煽り、経済、研究、教育、子育てそして「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」と外交をも陳腐化・停滞させた者を賛美して、その愚かな政策を引き継ぐだけの3代目政治家。このままではこの国は、平和国家の名を捨ててただ衰亡していくだけの存在となる。統一教会だけではなく、自民党にも解散請求が必要。
《政府や与野党から7日、選挙期間中に銃撃で死去してから8日で1年を迎える安倍晋三元首相に関する発言が相次いだ。岸田文雄首相は「安倍氏の遺志に報いるためにも先送りできない課題に取り組む思いで職務を務めてきた」と述べた。
首相官邸で記者団に語った。「これからも今申し上げた姿勢を大事に職責を果たしていきたい」と話した。
松野博一官房長官は7日の記者会見で、安倍氏の事件を振り返り「自由で公正な選挙は民主主義の根幹をなすものだ。選挙の中での卑劣な暴力行為は断じて許されない」と強調した。
林芳正外相は安倍氏について「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交を実践し、多大な功績を残した」と言明した。衆院小選挙区の「10増10減」により新たに山口3区の支部長になったことには「責任の大きさを痛感している」と話した。
加藤勝信厚生労働相は「将来にわたって今ある世界に誇る社会保障制度を次の世代に継承していくという安倍氏の思いを受け継いで努力していく」と説いた。
自民党の菅義偉前首相はコメントを発表した。「まだ昨日のことのようで、もう1年経つのかという思いだ。喪失感は未だに大きく、事あるごとに安倍氏ならどう考えるだろうと思いを巡らせてしまう」と記した。
「大局観、歴史観、国家観があり、常に先を考える政治家だった。安倍氏のやり残した課題で一つ一つ結果を残していくことが私の役割だ」とも強調した。
公明党の山口那津男代表は自公両党の選挙協力の話題に関連して安倍氏の言葉を振り返った。「『連立政権の安定を保って課題を解決していくことが国民への責任の果たし方だ』と強く言っていた」と話した。
「与党全体として再び共有しながら国民の期待に応えたい」とも発言した。
立憲民主党の泉健太代表は7日の記者会見で「首相在任期間が非常に長く功罪が問われる」と述べた。アベノミクスや森友学園に関する財務省の決裁文書改ざん問題について批判した。
昨年安倍氏の追悼演説をした立民の野田佳彦元首相は一周忌を前に自身のホームページを更新した。
演説について「日本の未来について訴えているときに後ろから襲われる無念さを党派を超えて共有したかった」と説明した。「民主主義を後退させないために覚悟を固めて街頭に立たなければならない」と訴えた。
「具体的な政策に違いがあってもどこまで一緒に行けるかを探り当てるのが分断の時代の政治だ」とも唱えた。
日本維新の会の馬場伸幸代表は7日に発表したコメントで、安倍氏の外交・安全保障政策を「日本の国際的立場を向上させ、激変する安保環境に備える基盤をつくった」と評価した。
共産党の志位和夫委員長は6日「言論を暴力で封殺する行為を許さない社会をつくるために力をつくす決意だ」と表明した。》
 



2023年 7月 7日
はいはい。で、すいません。これはプライベートなことなので。どなたにもご迷惑はおかけしていなくてこちらの家族も……(木原さんのご家族もご存知なんですか?)はい、もちろんです。で、私、ちゃんと育てるということでやっております。何の法律も犯しておりませんので」木原官房副長官2021年12月4日横浜市内の神社に“七五三詣で”に訪れて
「彼女とは交際したこともなくて、本当に友人なんです。才能豊かな方で、それで非常に親しくなったといいますか、同じ仲間内グループの友人としてお付き合いをしてきました。それは下世話な意味での男女の関係とは違うんです。あの子にはお父さんがいないので、仲間のみんなが不憫に思っていろいろと世話を焼いてきました。私が“育てる”と言ったのも、彼女に万一のことがあったら仲間内で子どもの面倒を見るという意味なんです」木原官房副長官、デイリー新潮の取材に電話で 「岸田総理の側近・木原誠二官房副長官の“隠し子”疑惑 直撃に「ちゃんと育てる」」デイリー新潮21年12月23日
「仲間とみんなで行きました。私は泊まってない。(翌朝ディズニーに)戻りました。ただ、園に着いたくらいで仕事が急に入っちゃったので、1時間くらいですぐ戻りました」木原官房副長官2023年3月東京ディズニーランド訪問後
「(自宅訪問やディズニーは)都度妻の了承を得てのことであって、なんら不適切なことはありません。(A子さんとの交際やB子ちゃんの名づけは)事実ではありません」週刊文春の木原事務所への質問状に対する代理人弁護士からの文書 「岸田首相最側近・木原誠二内閣官房副長官(53) シングルマザー愛人との“ディズニーデート”写真」週間文春23年6月14日
「(A子さんへの金銭援助について)出してないです。そんなものは。私にそんな能力はありません」木原官房副長官2023年週刊文春の取材に対して
「(A子さんに入籍や認知を求められたことは)事実ではありません。金銭贈与等した事実はありません」週刊文春の書面での質問に対する代理人弁護士の書面での回答 「「胎児認知しとけばよかった」木原誠二官房副長官の"隠し子"巡る説明に虚偽の疑い 愛人の告白音声入手」 週刊文春23年6月21日
・21日この報道の直後、A子さんの代理人弁護士が、司法記者クラブに、A子さんの娘は、認知は受けていないが、木原氏との間に生まれたことを認める文書を送る。 「愛人が婚外子を認める文書送付 木原誠二官房副長官は養育費を払っていないと説明 岸田政権方針に反する疑い」週刊文春23年6月28日
・7月5日、2018年10月9日愛知県名古屋市と東京・豊島区の自民党政調副会長兼事務局長の木原誠二衆院議員のマンションに警視庁捜査一課が2006年の木原の妻の当時の夫の不審死事件で、家宅捜査と妻の重要参考人としての任意同行を求めた経緯を週刊文春が報じる。
「岸田最側近・木原誠二副長官〈衝撃音声〉「俺がいないと妻がすぐ連行される」」週刊文春23年7月05日
・7月5日、木原の代理人弁護士が司法記者クラブに「御通知(至急)」と題したA4判で3枚にわたる文書を送付し、木原誠二官房副長官(53)が、この記事に関して「週刊文春」を発行する(株)文藝春秋を刑事告訴するとした。通知書は、〈週刊文春の記事は、事実無根のもの〉〈捏造されたであろう風説〉とし、〈マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害〉と批判し、即刻記事を削除するよう求めている。木原自身も「事実無根の内容であるばかりでなく、私と私の家族に対する想像を絶する著しい人権侵害。文藝春秋社に対し刑事告訴を含め厳正に対応いたします。週刊文春の取材姿勢に対し、あらためて強く強く抗議をいたしたく思います」と
「「マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害」木原誠二官房副長官が「週刊文春」記事を巡り文藝春秋社を刑事告訴へ」週刊文春23年7月05日
 デイリー新潮、週刊文春が報じた岸田内閣の木原誠二官房副長官(53)に関する隠し子、不倫疑惑と妻の前夫の不審死に関する疑惑についての、本人の変遷する言葉の一覧。
 実の父親として、婚外子とその母あるいは自身の家族を守るのではなく、ただ自分を守るためだけにメディア取材に嘘をつき続けている。
 本人のHP(https://kiharaseiji.com/)には、「子育て支援の充実・強化」に「政務調査会長副会長兼事務局長として、幼児教育・保育の無償化を主導し、実現させました」「岸田文雄政務調査会長の下で政務調査会副会長兼事務局長として、2018年〜2020年までの経済成長戦略、全世代型社会保障戦略、財政構造改革戦略を含めて政府与党の政策全般について策定、とりまとめました。特に、経済成長戦略では、デジタル化、イノベーション推進など先取りで提言をしてきました」「DX(デジタル・トランスフォーメンション)の推進」などとあるが、岸田政権の官房副長官、内閣総理大臣補佐官としてGDP2%化の大軍拡、「DX推進」に名を借りた健康保険証を取り上げてのマイナカード強制など各種「異次元の」取り組みを主導してきたのがこの人物だろう。
 週刊誌に虚偽を言い続けた最後は、妻の前夫の不審死に関する疑惑報道で出版社を刑事告訴? そもそも刑事事件の重要参考人として警察が捜査する人物を各メディアが報道することが、即「事実無根」「人権侵害」となるわけではない。その対象者が政治家やその関係者であれば尚更、有権者である国民は知る権利があり、報道機関は伝える義務がある。
 「隣に住んでいたら嫌だ 見るのも嫌だ」総理秘書官、「首相公邸で大ハシャギ 」総理秘書官の次は、なんとも陳腐な〈マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害〉で文藝春秋社を刑事告訴する官房副長官兼内閣総理大臣補佐官。この政権はさっさと終わらせるべき。
《岸田文雄首相の最側近とされる木原誠二官房副長官(53)が、「週刊文春」を発行する(株)文藝春秋を刑事告訴することがわかった。7月5日、木原氏の代理人弁護士が司法記者クラブに「御通知(至急)」と題したA4判で3枚にわたる文書を送付し、明らかにした。
〈司法記者クラブ  新聞社 各位 テレビ局 各位〉にあてた通知書によれば、対象となるのは、7月5日(水)12時に「週刊文春 電子版」配信及び、7月6日(木)発売の「週刊文春」に8ページにわたって掲載される記事「岸田最側近 木原副長官 俺がいないと妻がすぐ連行される 衝撃音声」。
 同通知書は、〈週刊文春の記事は、事実無根のもの〉〈捏造されたであろう風説〉とし、〈マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害〉と批判し、即刻記事を削除するよう求めている。
週刊文春編集部は「政権中枢にある政治家のこうした対応に驚いております」
〈事実無根の内容であるばかりでなく、私と私の家族に対する想像を絶する著しい人権侵害〉、〈文藝春秋社に対し刑事告訴を含め厳正に対応いたします〉とした上で、〈週刊文春の取材姿勢に対し、あらためて強く強く抗議をいたしたく思います〉と結んでいる。
 代理人弁護士も、〈速やかに文藝春秋社及び記事掲載にかかる関与者について刑事告訴を行い、法治国家における、このような取材及び報道のあり方の公正さ、社会的相当性について公に問うとともに、法務省の人権擁護機関に対しても救済を求めることとなります〉としている。
「週刊文春」編集部は「本件記事は、ご遺族、警視庁が事情聴取した重要参考人、捜査関係者などにじゅうぶん取材を尽くした上で、記事にしており、削除に応じることはできません。木原氏は、婚外子を巡る取材に虚偽の回答を小誌に寄せた後、それが明るみに出ると、取材を拒否。そして、本件記事では個別の事実確認に対して一切応じることなく、一括して『事実無根』として刑事告訴されるとのことです。政権中枢にある政治家のこうした対応に驚いております」としている。ーーー



2023年 7月 5日
〈「ウソでしょ」。千葉県内の店舗で働くパート女性は昨年12月、耳を疑った。ガスも電気も食材も値上がりしているにもかかわらず、時給が1月から下がるというのだ。「私たち何も悪いことしていないのに」
 女性がこの店舗で働き始めたのは2014年。時給は950円だった。19年に最低賃金の引き上げに伴い50円上がり、能力に応じた加算給30円を含めて計1030円に。だがそれ以降、時給は増えなかった。靴関連商品の販売実績で21年に全国7位、22年は6位に輝いたが、もらえたのは表彰状と靴べらだけだった。〉
〈そこで強く訴えたのが、交渉の中で明らかになった創業家の存在についてだ。同社の株の約6割を持ち、年間約80億円の配当を得ていた。一方、パート・アルバイト5千人の人件費は組合側の推計で約40億円。女性たちはこう強く訴えた。
「パート・アルバイトの10%賃上げは年間5億円でできる。労働者の生活を守るべきではないですか」
 交渉開始から90分過ぎたころ、相手の弁護士が休憩を取りたいと席を立った。誰かと打ち合わせに出たようだった。しばらくして戻ると、6%の賃上げでの妥結を提案した。〉
 9年間ABCマートで働いたが今年1月から時給が減らされ、全国ユニオンに加入して一人でストライキもして全国5千人のパート・アルバイトの6%賃上げを実現させた女性の奮闘を伝える記事。
 ABCマートの2022年3〜11月期の連結決算は、売上高が前年同期比15.5%増の2085億円(国内事業の売上高は14.1%増の1436億円)、営業利益が46.1%増の289億円と増収増益。22年11月末時点での国内店舗数は1081店。
 1年に換算すると2800億円の売り上げ、385億円の利益から創業家に80億円の株式配当を払うが、1000件の店舗で働く5千人のパート従業者には時給千円ほどで計40億円、一人100万円にも満たない。
 6%の賃上げはこの方とユニオンの努力の賜物だが、いっそ賃金を2倍にしても創業家にはまだ40億円、3倍にして創業家には1億ほどで丁度ではないか。
 この20数年、自公政権が非正規雇用制度を拡大して低賃金を押し付け、正規雇用者の賃上げも怠った結果、日本は実質賃金でG7最低、2021年からは韓国をも下回っている。労働組合組織率はなんと16.9%(2021)。
 大学などの研究職の正規雇用化を含め、広く雇用の安定化と最低賃金の1500円、2000円への引き上げと株式配当金への税高額化を含む抜本的な賃上げを行わなければ、少子高齢化の先端をいくこの国に真っ当な経済も市民の暮らしもない。
《物価高で生活が苦しい中、会社の業績は好調なのに、時給が下がる――。靴小売り大手のABCマートで今年初め、そんな出来事があった。会社に労働組合はなく、声を上げたのは一人のパート女性(47)。社外の労働組合に入って交渉した末、減給につながった新制度を撤回させ、さらに全国5千人のパート・アルバイトの6%賃上げを勝ち取った。30年ぶりの大幅な賃上げを人ごとにしないため、一人でストライキまでして臨んだ「春闘」。その舞台裏を追った。
 「ウソでしょ」。千葉県内の店舗で働くパート女性は昨年12月、耳を疑った。ガスも電気も食材も値上がりしているにもかかわらず、時給が1月から下がるというのだ。「私たち何も悪いことしていないのに」
 女性がこの店舗で働き始めたのは2014年。時給は950円だった。19年に最低賃金の引き上げに伴い50円上がり、能力に応じた加算給30円を含めて計1030円に。だがそれ以降、時給は増えなかった。靴関連商品の販売実績で21年に全国7位、22年は6位に輝いたが、もらえたのは表彰状と靴べらだけだった。
「あり得ない」 労基署に相談
 1月からの減給は、会社が従業員の評価方法を見直したためだった。女性は加算給が20円減り、まわりのパートも軒並み下がった。
 「あり得ない。絶対におかしい。売り上げも減っていないのに」。女性は労働基準監督署に相談した。労基署は会社側に話し合いの場を設けるよう働きかけてくれた。だが、面談した販売エリアの幹部は「弁護士も問題がないと言っている」と取り合わなかった。
 ABCマートに、労働組合はなかった。労基署の担当者が「問い合わせる価値があるかもしれません」と言って、教えてくれたのが「ユニオン」だった。
 ユニオンとは一人でも入ることができる労働組合だ。労働組合といえば企業別に組織されるイメージがあるが、実際には従業員一人でも外部のユニオンに加わり、会社側と労使交渉ができる。
 そうしたことを知らなかった女性にとって、労働組合のイメージは「デモをしていてちょっと怖い」。それでも、職場の年長者という立場もあり、「納得できない」と行動に出ることにした。
「僕らは会社に飼いならされているんだよ」
 ただ、周りの反応は冷ややかだった。「やるだけムダなんじゃない?」「プライドのためにやっているの?」。誰もが時給が下がることをおかしいと思っているのに、一緒に行動してくれる人はいなかった。ある社員はこうつぶやいた。「僕らは会社に飼いならされているんだよ」
 ネットで調べて、ヤマト運輸の労働環境の改善で実績のあった総合サポートユニオン(東京)に連絡を取った。2月4日、日暮里駅の近くのカフェで青木耕太郎共同代表(33)に会った。女性が思いの丈を一通り伝えると、青木さんは言った。
 「賃下げ撤回だけでなく、10%の賃上げを求めてみませんか」
 ちょうど小売り大手のイオングループが全国のパート40万人の時給を平均7%上げると報道されていたころだった。
 2月16日、ユニオンは賃下げの撤回と10%の賃上げを会社に申し入れた。だが会社側は書面で「賃下げは撤回しない」と拒否した。
 3月9日、ユニオンはストライキを14日に行うことを会社側に通告し、本社前や店舗で抗議活動をした。するとその夜、会社側は女性の賃下げを撤回すると電話で伝えてきた。ただ、他のパートの賃下げも撤回されるかは分からず、求めていた物価や働きに見合う賃上げの話は出なかった。
「人として見てくれているんですか」
 ストライキの前日。会社側と初めての労使交渉が開かれた。場所は東京都渋谷区の貸会議室。先方はABCマートの労務担当の幹部と弁護士の計6人、こちらは女性や青木さんたち10人ほどだった。女性は緊張と怒りで、机の下で足をガタガタ震わせていた。けれど、はっきりと言った。
 「いくら売っても給料で認めてくれない。人として見てくれているんですか」
 業績を考えても、時給アップはできるはずだ。女性に代わり、青木さんたちが会社の財務状況を徹底的に調べていた。コロナ禍から脱し、23年2月期は売上高が前年比12%増、純利益は33%増という増収増益の見通しだった。
 会社側は、賃下げとなる評価方法については全面的に撤回することを明らかにした。一方、賃上げについては「従業員の雇用を守るため」「まわりの相場に比べ低いとは考えていない」と応じなかった。
 翌日、女性は予告通りストライキをした。たった一人で。15分早帰りにしただけだ。職場の仲間には迷惑をかけたくなかったから。それでも、賃上げを求めるストライキがあったことは会社側へのプレッシャーになった。
 3月30日の2回目の団体交渉で、会社側は全パート・アルバイトを5%賃上げすると回答した。うれしさはあったが、なぜあと5%の賃上げができないのか。会社側は「今後、新店舗や設備の導入で、大型投資もあり得る。内部留保を手厚くしたい」などと主張した。
 だが、同社は自己資本比率が8割を超え、十分な内部留保がある。大型投資であれば銀行からの借り入れもできるはずだ。「あと半分、まだ妥結はできない」。4月21日に2度目のストライキをすると予告し、その前日に3回目の団体交渉が開かれた。
創業家には年間配当80億円
 そこで強く訴えたのが、交渉の中で明らかになった創業家の存在についてだ。同社の株の約6割を持ち、年間約80億円の配当を得ていた。一方、パート・アルバイト5千人の人件費は組合側の推計で約40億円。女性たちはこう強く訴えた。
 「パート・アルバイトの10%賃上げは年間5億円でできる。労働者の生活を守るべきではないですか」
 交渉開始から90分過ぎたころ、相手の弁護士が休憩を取りたいと席を立った。誰かと打ち合わせに出たようだった。しばらくして戻ると、6%の賃上げでの妥結を提案した。
 女性は「納得はいかないけれど、早く賃上げしないとみんなの生活も苦しい。業界トップ企業として来年も賃上げを続けてほしい」と求め、提案を受け入れた。
 ABCマートは朝日新聞の取材に「全国地域展開をしている手前、現地人材採用の競争力を保つため、毎年適正、相当の賃金水準を踏まえて適時賃上げを行っている」と答えた。5月分の給与までに、パート・アルバイト約5千人の賃金を平均6%引き上げたという。組合との交渉内容については「コメントを差し控える」とした。
パートだからって・・・
 この間、女性に対して、もっと時給のよいところに移ればいいじゃないかと言ってくる人もいた。確かに電車に乗れば、同じ靴販売で時給が300円高い店もあることを知っている。けれど、「パートだからって、簡単に言ってほしくない」。女性が今の店で働くのは、年老いた両親の実家の近くにあるからだ。実際、父が急に倒れ、救急車を呼んで駆けつけたこともあった。「自分の働く場所をよりよくしたい。当たり前のことじゃないですか」
 労働組合の中央組織・連合の集計(5月8日時点)によると、今年の春闘でパートら非正規雇用者の時給は平均5・35%増と大きく伸びている。ただ、大企業の賃上げが全体を引き上げている面があり、そもそも組合がない企業も少なくない。全国17のユニオンが初めて連携して実施した「非正規春闘実行委員会」では36社で交渉があったが、賃上げを勝ち取ったのはABCマートを含む11社にとどまる。今年は物価高を受けて30年ぶりの大幅な賃上げとなったが、蚊帳の外の非正規労働者は少なくない。
 女性がいま注目するのは今年10月の最低賃金の改定だ。その引き上げ幅を上回る賃金アップが、自分たちにも必要だと思っている。もしそうならなければ、「働く人の当たり前の権利」として、また行動するつもりだ。(西尾邦明)》



2023年 7月 4
日記がわりに。
 梅雨の中休み、快晴のもと六甲登山口から布引までバス、地下鉄と神戸鉄道乗り継いで有馬まで。高校は期末テスト期間で午前の車両に高校生多いが皆静か。
 堂加亭テラスにはミストが設置され快適。サラダランチをいただき、訪ねた康貴は火曜日帰り定休、御苑も休みで火曜隔週休みの金の湯に浸かる。「含鉄-ナトリウム-塩化物強塩」が身体に染みる。
 来た道を戻り、三宮で食材買って4時前に帰宅。週末は雨続きの予報。


2023年 7月 4
「日本は特に第二次世界大戦の戦犯国だということ。原罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょう、被害を与えた国に。今の日本の政治家たちは統一教会に対して、何たる仕打ちなの。家庭連合を追い詰めているじゃない。政治家たち、岸田を、ここに呼びつけて、教育を受けさせなさい。分かってるわね。私を“独生女”(救世主)だと理解できない罪は許さないと言ったのに、その道に向かっている日本の政治はどうなると思う。滅びるしかないわよね」先月28日韓国・清平で旧統一教会韓鶴子総裁
「ご出席の皆さま、日本国、前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPFの主催の下、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたことを光栄に思いますーー今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表します」2021年9月12日統一教会(天の父母様聖会世界・世界平和統一家庭連合)フロント組織『天宙平和連合(UPF)』の大規模集会で
「皆様こんにちは!ただ今ご紹介賜りました、自民党衆議院議員の山本ともひろです。本日は母の日、孝情文化フェスティバルin Tokyo開催、まことにおめでとうございます。またお招きをいただきましてありがとうございます。日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長、また世界平和連合の太田会長を始め本当に皆様には我々自民党に対して大変大きなお力をいただいていますことを改めて感謝を申し上げたいと思います。おかげさまで安倍政権も5年目を迎えまして『長期安定政権』そのように評価をいただいているところでございます。ーーー今日は、マザームーンと共に皆さまと特別な一日を過ごしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いをいたします」2017年5月14日に開催された統一教会・家庭連合の大規模信者集会で(山本は文部科学大臣政務官・復興大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、内閣府大臣政務官(第3次安倍内閣)、防衛副大臣・内閣府副大臣(第3次安倍改造内閣・第4次安倍内閣、第4次安倍再改造内閣)等)
「本日のテーマは、太平洋文明圏時代の日韓米の連携だと伺いました。日本の置かれた状況から意義あるテーマです。北朝鮮のミサイル問題、中国の外交など東アジアの安全保障環境は厳しさを増すばかり。ーー韓鶴子総裁をお迎えして、日韓米の国会議員をはじめてとして多くの方々が集まりました。ーーー韓総裁のご指導で家庭再建、真の家庭運動について、結婚と家庭の価値の重要性を訴え、夫婦の絆を訴えていることに心から敬意を表したい」自民党工藤彰三衆議院議員、2019年10月5日名古屋市内のホテルで統一教会友好団体のUPF(天宙平和連合)が開催した「ジャパンサミット&リーダーシップカンファレンス」(JSLC)で
「韓鶴子は2018年のさいたまスーパーアリーナ2万人信者集会において日本人を「人間的に考えれば赦すことのできない民族」と指摘。さらに日本から韓国への上納金を正当化するように日本をこう評した。「自分を顧みず全てを惜しみなく与えるエバ国家=vまた同年、日本の幹部が全員参加した韓国での修練会において、広島に原爆が「落ちた」ことを引き合いに日本へ「悔い改め」を迫り「国家復帰」のために「日本の最高指導者」を「打ち負か」して「屈服」させ「教育」する指令を出した。安倍政権と蜜月の関係を築く一方、教団内では日本や安倍首相を見下していていたのだ」鈴木エイト寄稿 統一教会と安倍元首相の関係とは2022.07.12
「教団には蕩減復帰という教えがあり、簡単にいえば、罪を犯すことで大きな穴を掘ってしまったので、その埋め合わせをして罪の清算をするというものです。日本人は韓国人に対して多くの罪を犯してきた。そのためにメシヤの生まれた韓国に財物(お金)を捧げて罪の清算をしなけばならない。こうした言葉を信者時代に散々聞いて、必死に伝道と、お金集めの活動をしてきました」多田文明氏コメント
「カルト教育研究所代表リック・アラン・ロスによれば、「宗教」とは異なる有害な「カルト」とは、@絶対的で、説明責任を一切とらない指導者が崇拝の対象とされ、信者には一切異論や反抗が許されず、A思想改革プログラムがあり、信者が自由に意思決定できる状況なら到底とらない行動をとるよう不当な影響力が行使され、B信者が経済的・性的、様々な搾取のもとにあるものと定義される。教団に関する報道が収束気味だが、問題は解決していない。日本も「カルト」概念とその対策を発展させていくべきではないか」三牧聖子同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科准教授コメント
 3日報道1930が伝えた旧統一教会総裁韓鶴子が28日韓国・清平で日本人信者に語った言葉。
 自らをメシアと称した前総裁文鮮明と同じく、自らを「独生女」と呼ばせるこれらの言葉に、この集団がまさに「カルト」であることが端的に示されている。
 日本の植民地支配を糾弾し、その「賠償」として日本人信徒から霊感商法と多額の献金による収奪を続けたこれら教祖と教団と野合し礼賛しながら、岸信介から安倍晋三に至るこの国の「保守」政治家らは、他方で日本による植民地支配や侵略の責任を認めず「日韓条約」に賠償の性格はないと否定し続け、軍慰安婦や徴用工問題で頑なに賠償を認めず国民には嫌韓を煽り、歴史的・法的責任の履行を唱える国内の意見に対しては、「反日」「パヨク」「裏切り」などと罵倒し続けた。
 これら自民党清和会・安倍派など安倍政権を支えた者たちは、韓国カルト教団による自国民収奪に目を瞑るなど、保守、右翼ではなく政治を家業とし単に宗教右派に阿り利権に群がる暗愚なポピュリスト政治屋にすぎない。
 韓によばれて韓国で教えを受けるのか、この教団を解散させるのか。宏池会出身でありながらひたすら党内多数の安倍派などに擦り寄り、旧統一教会と自民党の癒着にメスを入れることなく、その解散請求にもだんまりを続け及び腰の岸田首相。こういう政権はゴミ箱に捨てなければ、この国にまともな未来はない。
《旧統一教会、「世界平和統一家庭連合」の解散命令請求に向け、国が「質問権」を行使する中、教団の韓鶴子総裁が日本の幹部らおよそ1200人を前に、「岸田総理や日本の政治家を韓国に呼びつけて、教育を受けさせなさい」と発言していたことがわかりました。
韓鶴子氏のものとされる音声
「日本は特に第二次世界大戦の戦犯国だということ。原罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょう、被害を与えた国に」
この音声は、旧統一教会の韓鶴子総裁が先月28日、教団が「聖地」と呼ぶ韓国・清平で日本の幹部らに語ったとされるもので、BS-TBSの報道番組「報道1930」が独自に入手しました。
この中で、韓鶴子氏は日本での教団への質問権行使の動きを念頭に政府の対応を批判し、岸田総理や政治家を韓国に呼びつけるよう幹部らに指示しました。
韓鶴子氏のものとされる音声
「今の日本の政治家たちは統一教会に対して、何たる仕打ちなの。家庭連合を追い詰めているじゃない。政治家たち、岸田を、ここに呼びつけて、教育を受けさせなさい。分かってるわね」
信者
「はい」
さらに、韓鶴子氏を「救世主」として認めない日本は滅びるしかないとも訴えました。
韓鶴子氏のものとされる音声
「私を“独生女”(救世主)だと理解できない罪は許さないと言ったのに、その道に向かっている日本の政治はどうなると思う」
信者
「滅びます」
韓鶴子氏のものとされる音声
「滅びるしかないわよね」
旧統一教会をめぐっては、文部科学省が宗教法人法に基づく質問権を6度にわたって行使していて、文科省はこれまでの回答も踏まえ、解散命令を請求するかについて検討を進めています。
今回の韓鶴子氏の発言について教団側は、「日本の家庭連合の広報では詳細について把握していない」としています。》


2023年 7月 2日
日記がわりに。
 このところ荒天続きだが、昨日昼は雨もいっとき止みil ventoでバンビーニをいただいて駅前で食材買って帰宅。今日はほぼ曇りで1日巣篭もり。







                                                                                                                                                                 
  
     





























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