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2023年 8月30日
「(関東大震災当時の朝鮮人虐殺について)政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」松野博一官房長官30日記者会見
内閣府 防災情報のページ  災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成21年3月
1923 関東大震災【第2編】
第4章 混乱による被害の拡大
 関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。
第1節 流言蜚語と都市
警視庁編『大正大震火災誌』(1925年7月)の「2日以降5日までの「災害時下殺傷事犯」一覧」は75件の流言蜚語による殺人・傷害事件を記録している。
第2節 殺傷事件の発生
「既に見てきたように、関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。また、横浜を中心に武器を携え、あるいは武力行使の威嚇を伴う略奪も行われた。
 殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1〜数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。」
「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある。 」
「この資料(震災直後に内務大臣を務めた後藤新平の文書中に残る「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」)に挙げられた朝鮮人殺傷事件は、「犯罪行為に因り殺傷せられたるものにして明確に認め得べきもの」として起訴された事件だけであり、朝鮮人が受けた迫害としては一部分にとどまる。9月2日から6日までに発生した53件の事件で、合わせて朝鮮人233名を殺害し、42名に創傷を負わせたことにより、11月15日現在、367名が起訴されていた。」
「朝鮮人被殺害者数の全体について、朝鮮総督府の記録によれば、10月22日現在、内務省は「朝鮮人被殺人員」を約248名と把握していた。しかし、朝鮮総督府東京出張員はこれを前提に「内査したる見込数」として、東京約300、神奈川約180、埼玉166、栃木約30、群馬約40、千葉89、茨城5、長野3の合計約813名を挙げている(大正12年12月朝鮮総督府警務局,「関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル影響」,斉藤実文書,『関東大震災朝鮮人虐殺問題関係史料W』影印)。内務省の把握が部分的であることは、当時の植民地官僚の目にも明らかだったのである。」
「 「刑事事犯等調査書」は、中国人への反感に起因する事件はなく、朝鮮人と誤認して中国人を殺傷した事件が9月4日と5日の4件に発生して、被害者の死亡3名、負傷5名が生じたとする。これに関する起訴被告人は12名である。」
「 「刑事事犯等調査書」には、民間人が朝鮮人と誤認して日本内地人を殺傷した事件として、8つの府県で9月2日から7日までに46件を挙げている。これにより死亡した内地人58名、負傷者31名、関係する同日現在の起訴者は187名、起訴猶予者19名である。警視庁の『大正大震火災誌』によれば、このうち東京の1件は朝鮮人を隠匿したとして、内地人を内地人と認識しながら殺害した事件である。」
 100年前の関東大震災における流言蜚語による朝鮮人らの虐殺事件について、内閣府防災情報のページに「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成21年3月」があり、その中で公文書である警視庁編『大正大震火災誌』、内務大臣を務めた後藤新平の「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」などが引用され、厳然たる事実として大震災時に多くの朝鮮人らが理不尽に虐殺されたことが記されているにもかかわらず、岸田内閣官房長官が「政府内において記録は見当たらない」と言う出鱈目さ。韓国発の日本国民を収奪するカルトと癒着しながら野党や政権批判者を「反日」扱いする安倍派の本質はこの醜悪さと無知さ。
 「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」(ワイツゼッカー)の通り、過去から何も学ばないものは再び同じ過ちを繰り返し続ける。福島第一原発処理水放出でも国内に反対が根強いのは、政権に対する信頼が欠如していることが原因。さっさと退陣せよ。
《松野博一官房長官は30日の記者会見で、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べ、コメントを避けた。反省や教訓の言葉もなかった。関東大震災は9月1日に発生100年となる。
 虐殺を巡っては、事実そのものを疑問視したり否定したりする言説が広がっており、歴史の風化や歪曲が懸念される。松野氏は、事実関係を政府として調査する考えはあるかとの問いに、否定的な認識を示した。
 在日コリアンを含むマイノリティーへのヘイトスピーチを解消できない現状について聞かれ、具体的な回答には踏み込まなかった。》

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2023年 8月29日
「取り出した汚染水は、特殊な設備を使用して放射性物質を除去する浄化処理が行われた後、タンクに貯水されています。この浄化処理過程で使われているのが多核種除去設備(ALPS=アルプス)で、ALPSによって処理された処理水のことを「ALPS処理水」といいます」自民党「福島第一原発処理水の海洋放出ALPS処理水の安全性は確認されています」2023年1月27日
☞フェイク
「福島第1原発で発生する汚染水は、多核種除去設備(ALPS)でトリチウム以外の放射性物質の大部分を取り除いた上で「処理水」としてタンクに保管している」産経2022/3/11
☞フェイク
「処理水は放射性物質トリチウム(三重水素)などが含まれた水で、5月12日現在、約130万トンが敷地内のタンクに保管されている」読売2022/05/18
☞フェイク
「福島第一原発では、事故の直後から発生している汚染水を処理したあとに残るトリチウムなどの放射性物質を含む処理水が1000基余りのタンクに保管され、容量の98%にあたる134万トンに上っています」NHK2023年8月24日
☞フェイク
「原発の敷地に並ぶ大量のタンク。大半の放射性物質を取り除いた「処理水」が入っています。政府と東電は、処理水を海水で100倍以上に薄めたうえで、海底トンネルを通じて1キロ先の沖で放出する計画です」TBS2023年6月28日
☞フェイク
「東京電力福島第1原発で汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水に、他の放射性物質が除去しきれないまま残留していることが19日、分かった。一部の測定結果は排水の法令基準値を上回っており、放射性物質の量が半分になる半減期が約1570万年の長寿命のものも含まれている。
 第1原発でたまり続けるトリチウム水を巡っては、人体への影響は小さいなどとして、処分に向けた議論が政府の小委員会で本格化し、今月末には国民の意見を聞く公聴会が開かれるが、トリチウム以外の放射性物質の存在についてはほとんど議論されていない」西日本新聞2018年08月19日「基準値超の放射性物質検出、福島 トリチウム以外、長寿命も」
「福島第一原発の敷地内のタンクにたまる汚染水について、東京電力は28日、一部のタンクから放出基準値の最大約2万倍にあたる放射性物質が検出されていたことを明らかにした。今回分析した浄化されたはずの汚染水約89万トンのうち、8割超にあたる約75万トンが基準を上回っていたという」朝日新聞2018年9月28日「汚染水、浄化後も基準2万倍の放射性物質 福島第一原発」
「東京電力福島第一原子力発電所におけるALPS処理水の処分に関する基本方針の決定を機に、風評被害の防止を目的に、「ALPS処理水」の定義を変更します。今後は、「トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」のみを「ALPS処理水」と呼称することとします」2021年4月13日経済産業省
〈「ALPS処理水」とは
トリチウム以外の放射性物質が、安全に関する規制基準値を確実に下回るまで、多核種除去設備等で浄化処理した水(トリチウムを除く告示濃度比総和1未満)を「ALPS処理水」
多核種除去設備等で浄化処理した水のうち、安全に関する規制基準を満たしていない水(トリチウムを除く告示濃度比総和1以上)を「処理途上水」〉
「福島第一原子力発電所では、発生した汚染水に含まれる放射性物質を多核種除去設備(ALPS)等で浄化し、ALPS処理水等およびストロンチウム処理水として敷地内のタンクに貯蔵しています。
なお、ALPS処理水等の貯蔵タンク基数は1,046基(測定・確認用タンク:30基含む)です」
「ALPS処理水約3割 処理途上水約7割」 東京電力「処理水ポータルサイト」
「ALPS処理⽔等の告⽰濃度⽐(推定値)毎の貯蔵量」
告示濃度比1倍以下は418500m3(35%)、
1~5倍は369700m3(31%)、5~10倍は209400m3(17%)
10~100倍は157600m3(13%)、100~19909倍は56700m3(5%)
                 (2023年3月末)東京電力
 福島第一原発事故による核汚染水を多核種除去設備(ALPS)等で処理し敷地内タンク1046基に貯蔵する134万m3のうち、その約7割はトリチウム以外のストロンチウムなど62種の許容基準最大2万倍の放射性核種を含む汚染水であることを、東電やそれを指導する経産省すらその事実を前にタンク貯蔵水の多くを「処理水」ではなく「処理途上水」と言いなおしていることも、知っていて知らないふりあるいは本当に知らない、政権与党自民党とそれに追従して虚偽を報道する大手メディア。
 「原発は安全」「チェルノブイリ原発事故のようなことは日本では起こらない」「津波予測の長期評価は根拠がない」などとして巨大地震・津波への対策を怠り、全電源喪失による最悪の原発事故を招きながら誰も責任を取らない東電経営陣と政府自民党。
 ALPS設備の不具合やわずかひと月で消耗する吸着剤の交換を効率優先で怠った結果、2011年以来原発敷地に設置した処理後のタンク貯蔵水の7割が放射線許容基準を越え、新聞報道を機に慌てて公表し、海洋放出を具体化する段階でようやく「処理水」を「処理途上水」に言い換える無責任さ。
「多核種除去設備等処理水の性状について」東京電力2018年10月1日
 東電は2020年この「処理途上水」の放射性核種削減の再処理試験を行ったが、告示濃度比総和100以上の二つのタンクから取り出して「告示濃度比総和が1 未満となることを、社内分析により確認」としているが、サンプルはわずか各1000立方メートルでしかない。10年かけてALPSで除去処理して残ったタンク7割の汚染水をこれから再処理するのに、今後も新たな汚染水は一日100トンづつ増加する中、どれだけの期間を要するのか。
「多核種除去設備等処理水の二次処理性能確認試験等の状況について」東京電力2020年11月16日
 国会での審議も太平洋諸国など国際社会との対話もなく、福島県内をはじめ国内の多くの自治体や漁業関係者らの反対の声も受け入れず、一方的に汚染水の海洋放出を決めながら、「科学的な根拠に基づいた議論を」「風評被害に責任を持って対応」とする岸田首相。放出に賛同する自民党や大手報道機関が貯蔵タンクに溜まった高濃度汚染水について、事実に反するフェイクを垂れ流していることをまず止めさるべき。





2023年 8月26日
城崎二日目。
 宿と提携している近くのお店うつろいで朝食を食べ、薬師源泉から温泉寺薬師堂を往復。鴻の湯に浸かり、宿をチェックアウト後も使える入浴券でふたたび御所の湯。外湯の前に流れ落ちる人工の岩滝が涼しげ。
 またこもれびカフェを経て大溪川沿いの店でお昼を食べ、やはりかつてない暑さのなか城崎駅からjr、福知山からバスで昨日来た道を戻る。4時半三宮、やはりうだるような暑さで食材買って5時半に帰宅したが、6時頃から天気が急変し物凄い雷雨が2時間ほど。まだしばらく猛暑は続くとか。



2023年 8月25日
25日城崎温泉灯籠流しの日、2年ぶりに訪ねる。
 バス発着所近くのスーパーikariで簡易な鱧べん探すが見当たらず、穴子弁と思って買ったのが鱧重だった。福知山行きのバスは三田から丹後の落ち着きのある景色の中を進み、90分で福知山駅。jr普通に乗り換えてやはり90分ほどで城崎まで。
 駅前から温泉街を歩き、宿に荷を置いて御所の湯。3年前の改修で湯船が皆外湯になり、酷暑でも過ごしやすい。木もれびカフェで地ビールのあといつもの魚の店に行くが、カワハギはなく地魚の作り。7時から大溪川の灯籠流しが始まり、一番前の愛宕橋の上から眺める。小一時間ほど居て隣の一の湯に浸かり、一旦宿に戻り、9時からのこの夏最後の花火を見に戻ると、どの橋もコロナ禍前よりも多い人だかり。
 大溪川沿いを歩き、地蔵湯の辺りで打ち上げが始まる。橋の上でなく道沿いは花火と照明、木々が重なりがちだが、どうにか最後の大きさ打ち上げはよく見れた。この夏城崎もかつてない暑さ、宿もエアコンのないスペースはうだるようだが、夜窓を開け続けると涼しくなった。
 





2023年 8月24日
「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」2015年政府と東電の福島県漁連への回答
「経済産業省が15年に福島県漁連に回答した『関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない』との方針は順守する」松野官房長官6月28日記者会見
「漁業者の皆様が安心して生業を継続できるように、必要な対策を取り続けることを、たとえ今後、数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することをお約束いたします」8月22日岸田首相
「漁業者・国民の理解を得られない、ALPS処理水の海洋放出に反対であるということは、いささかも変わりはありません。一方で、IAEAによる国際的な安全基準に合致するという包括報告書や、安全性における漁業者や国際社会への説明、これを通じて、科学的な安全性への理解というものは、私ども漁業者も深まってきた。科学的な安全と社会的な安心は異なるものであって、科学的に安全だからといって風評被害がなくなるわけではない。国の対応をしっかりと見極めながら、最後の一滴、この放流放出を見極めるまで、漁業者の受け止めは予断を許さない」全漁連 坂本会長
「私はあれほど海が好きだったのに、事故の後は、一度も海に入っていません。せっかく復興してきたというのに、また海に放射性物質を含んだ水を放出するなんて、本当に悲しい。1日460トンも流すんですよ。それを、後の世代にどういうふうに説明すればいいのか。決めたのは私たちの世代だから、謝らなければいけないのかなと思う。ーー事故によって、多くの人が命を失った双葉病院は今も、そのままの姿で残っています。12年間かけたのに、海洋放出とか、そんな案しか出てこないのかという思いです。やりきれない。岸田首相は月に1回くらい廃炉作業に来て欲しい。小児甲状腺がんについても、国や東電は否定しているけど、何が起きているのか、現実をもうちょっと見ようよと言いたいです」〈「まさか本当に流すとは」甲状腺がんの孫を持つ祖母が双葉海岸で語ったこと〉
・福島第一原発では、トリチウムの年間の総放出量は、22兆ベクレルに対し、「中国原子力エネルギー年鑑」によると、2021年、中国国内の原子力発電所のうち少なくとも13か所で、これを上回る量のトリチウムが放出、東部浙江省にある秦山原発ではおととし1年間で218兆ベクレルと、福島第一原発の年間総放出量のおよそ10倍にあたるトリチウムが放出された。
・日本政府は巨額の費用を投じたIAEAに海洋放出計画の評価を依頼し、報告書を受け取った。被災者団体「原発事故被害者相双の会」の国分富夫氏(78)=福島県相馬市=は「IAEAは加盟国に原発推進の国が少なくない上、日本からいくらも受け取るとなれば、中立な評価を下せるのか」といぶかしむ。国分氏は「IAEAが福島でトリチウムの海洋放出に『待った』をかけると、世界の原発でトリチウムの放出に『待った』がかかる。原発を稼働させる国はトリチウムの処分に困ることになる。裏を返せば原発が稼働できなくなる」と見立て、今回の海洋放出計画に対するお墨付きを「原発推進派による茶番劇」と話す。〈原発処理水の放出にお墨付き…IAEAは本当に「中立」か 日本は巨額の分担金、電力業界も人員派遣〉
・ALPS処理水にヨウ素129、ストロンチウム90など、トリチウム以外の核種が残留していることがメディアの報道(注)により明らかになりました。FoE Japanおよび原子力規制を監視する市民の会が東京電力の公開データから確認したところ、ヨウ素129、ストロンチウム90、ルテニウム106に関して、以下のように告示濃度超えが確認されました。
・ヨウ素129…(告示濃度限度:9 Bq/L)2015年4〜9月では、既設ALPSで最大121Bq/Lを観測しており、増設ALPSでも基準値超えが続出。2017年4月〜では、既設ALPSで最大27.83Bq/L、増設ALPSで最大62.24Bq/Lを観測
・ストロンチウム90(告示濃度限度:30 Bq/L)…最大141Bq/L(2017年11月30日)
・ルテニウム106(告示濃度限度:92.5 Bq/L)…2015年5月に告示濃度限度を超える値が頻発(最大1100Bq/L)
(東電のデータをもとに、FoE Japanおよび原子力規制を監視する市民の会が確認)
 12年前の水素爆発と原子炉崩壊という過酷事故の教訓も学ぶことなく原発再稼働と新増設にのめり込み、被災地での子供達の著しい甲状腺がん発症と摘出手術に放射線被曝との因果関係を頑なに認めようとせず、賠償責任も否定する東京電力と政府が、今度は「理解」という言葉を矮小化し7年前の漁業者との約束も反故にして、処理水放出にのめり込む。
 確かに、自国内の原発から膨大なトリチウムを含む処理水を放出していながら日本からの水産物の輸入全面停止する中国の対応は論外だが、他方で「原発事故による放射線の健康影響が確認される可能性は小さい」「福島の住民への放射線被ばくによる健康影響は見られない」と市民、子どもたちの甲状腺がんへの影響を否定するWHOやUNSCEARそしてIAEAが今回も、「国際的な安全基準に合致」「(海洋放出で放射線が人や環境に与える影響は)無視できるほどごくわずか」と容認していること自体が、今回の放出に漁業者や被災者だけではなく広く国内外の市民の理解と支持を得られない理由だ。
 2018年共同通信などが報じた東電資料の分析によって、福島ALPS処理水にはトリチウムだけではなくヨウ素129、ルテニウム106、ストロンチウム90などそれ以外の核種も基準を超えて残存することも明らかになった。
 「数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することをお約束」??? 7年前の約束も反故にする岸田政権が今後30~40年も続くわけがない。どうしても処理水放出を「安全だ」として固執するなら、まず東京電力と政府は福島における甲状腺がん多発を、原発事故によるものと認めたうえで本社を福島に移転させ、処理水は最大の電力消費地である東京湾に流したらどうか。それが責任の取り方。
《東京電力は24日午後1時ごろ、東京電力福島第一原発にたまる処理水を太平洋に放出する作業を開始したと発表した。
東京電力はこの日、海洋放出時の遠隔操作室の様子を報道陣向けにライブ中継。海水輸送ポンプ付近のバルブが開く様子などを公開した。
福島第一原発では2011年3月の東日本大震災以降、原子炉の冷却に使用された134万立方メートルの水が処理され、貯められてきた。これまでに1000基以上のタンクが満杯になっている。
日本政府は22日、処理水の放出作業を24日にも開始すると決定。これを受けて東電は、処理水を海水で希釈する作業を始めていた。
放出完了には、30年程度という長期間が見込まれている。最初となる今回の放出は、7800トンの処理水を海水で薄めた上で17日間の予定で連続して行う方針。今年度の放出量は約3万1200トンを予定しているという。
日本政府は2021年4月に、海洋放出計画を発表。国際原子力機関(IAEA)は2年にわたる評価の末、今年7月に計画を承認した。
しかし、原発周辺に住む住民や近隣のアジア・太平洋諸国の一部からは、海洋汚染や風評被害への懸念の声が上がっており、なお物議をかもしている。
<関連記事>
【解説】 福島原発処理水の海洋放出計画、国内外から不安と怒り
福島第一原発の処理水放出、恐怖と事実が対抗する地元を取材
放射能に汚染された水の安全性、福島原発の水槽で証明できるのか
Presentational white space
東電は福島原発の汚染水を多核種除去設備(ALPS)でろ過し、トリチウムと炭素14以外のほとんどの放射性物質を、許容できる安全基準まで減らしている。
トリチウムと炭素14はそれぞれ、水素と炭素の放射性同位体で、水から分離するのは困難だ。ともに地球の大気中で生成されて水循環に入り込むため、広い範囲で存在しており、自然環境、水、そして人体にも存在する。どちらも放射線量は非常に少ないが、大量に摂取すると危険だという。
多くの科学者が安全性指摘
今回の海洋放出について、多くの科学者が安全だと述べている。
水の処理過程と放出計画は、国際機関によって綿密に精査され、保守的な安全基準さえ順守していることが判明している。IAEAは報告書で、処理水の放出が人や環境に与える影響は「無視できる程度」だとした。
予測される一般市民の被曝線量は、年間0.002〜0.030マイクロシーベルトの範囲。一方で、年間1000マイクロシーベルトまでは安全だとされている。
たとえば、歯科での簡単なレントゲン撮影での被ばく量は約5マイクロシーベルト、乳がん検査のマンモグラフィーで浴びる量は200〜300マイクロシーベルトだ。
中韓からは激しい反発
韓国ソウルでは、処理水の海洋放出に抗議する人たちが、国会議事堂前にLEDろうそくを持って集まった(23日、ソウル)
画像提供,REUTERS
画像説明,
韓国ソウルでは、処理水の海洋放出に抗議する人たちが、国会議事堂前にLEDろうそくを持って集まった(23日、ソウル)
日本は、処理水の放出が安全であることを近隣諸国に保証するために、あらゆる手段を講じてきた。IAEAもこの計画を受け入れている。
しかし、誰もがその言葉を受け入れているわけではない。
中国外交部は24日、処理水の放水が始まった直後に声明を発表。日本が「利己的な利益」のために人々に「二次的な被害」を与えていると非難した。また、汚染された水の処理は国境を越えた原子力安全上の大きな問題だと指摘した。
中国の税関当局は同日午後、日本の水産物の輸入を全面的に禁止すると発表した。同国はこれまでも、福島県や周辺地域の水産物を禁止していたが、これをさらに拡大した。
中国は、日本の水産物の最大輸出先。
中国政府は先に、海洋環境や食の安全、公衆衛生を守るために「必要な措置」を取ると表明していた。
香港とマカオ当局は、24日から東京や福島周辺の水産物の輸入を禁止すると発表した。
韓国でも野党・民主党や市民団体による抗議があり、ソウルでは23日夜、発光ダイオード(LED)ろうそくを持った人々が国会議事堂前に集まった。
民主党の李在明党首は、日本の計画は「水のテロリズム」であり、「第2の太平洋戦争だ」と批判した。
24日には、大学生とみられるグループが在韓日本大使館に突入しようとし、騒ぎとなった。
BBCのジーン・マケンジー・ソウル特派員は、6月の世論調査では回答者の84%が処理水の放出に反対すると答えたと報じた。
太平洋諸国からは
太平洋地域でも、海洋放出に反対する声が上がっている。
太平洋の島国には約230万人が住んでおり、そのほとんどが食料と収入を海に頼っている。各国首脳らは、海洋放出が人々に与える長期的な影響が分からないことに懸念を表明している。
また、太平洋諸島フォーラム(PIF)は6月、日本の放出計画が核廃棄物の処分を検討している他の国々にとって危険な前例となると指摘した。
しかしその後、クック諸島やフィジーなどは日本の計画に理解を示していると表明した。
クック諸島のマーク・ブラウン首相は22日、IAEAの評価や説明、日本政府の説明を踏まえ、「放出が国際的な安全基準を満たしていると考える」と声明を発表した。
フィジーのシティヴェニ・ランブカ首相もこれまでたびたび、IAEAの科学的評価に納得していると発言。反対派の中には、処理水放出をまるで太平洋での原爆実験のように語る発言もあるが、それはいたずらに恐怖をあおり立てているだけだと、首相は批判している。
豪シドニーで取材するBBCのティファニー・ターンブル記者は、「太平洋地域にとって、他国の核活動の結果に対応するのは初めてではない。アメリカとフランスが20世紀の数十年間、この地域で核実験を行ったからだ」と指摘し、「こうした事情から、日本の処理水の放出計画は多くの島々に既視感を与えている」と説明した。
日本国内でも反対の声は根強く、東京の東電本社前では24日朝、海洋放出に反対する人々が集まって抗議を行った。
NHKなどによると、北海道や香川県を含む日本各地で抗議集会が開かれている。今週初めには、首相官邸前でも抗議が行われた。ーーーー



2023年 8月24日
日記がわりに。
 14~5日台風7号は紀伊半島から神戸を直撃。長く激しい東風の後しばらく落ち着いてそのあとは西風。仏2はウクライナのロシアによって破壊された街で、瓦礫を利用して市街を再建しようとする若者、ロシアが市街地に投下した爆弾をモニュメントとして保存する市民を、独zdfはロシアが繰り返す人道にも国際法にも違反した夜間のウクライナ市民への攻撃を伝える。
 16日一月ぶりに岡本に出てgreen feeldを訪ねると台風のためか休みで、初めてインド料理の店でホウレンソウカレーをいただく。美味。住吉うはらの湯に浸かり阪神御影で食材買って帰宅。
 19日久しぶりに三宮に出て栄町通りday's kitchenに行くと2階のエアコン故障中で開店時がら空き。好みの窓際の席で美味しいズッキーニピザを食べていると、やがて若者たちでほぼ満席に。その後二週間前は暑さで撤収したHATなぎさの湯に入り、食材買って帰宅。
 20日巣篭もりだが、10年以上使った電池式に換えてフリマで買ったマックの中古充電式マウス3500円が届く。綺麗で快適。月曜は歯の治療のためお馴染みの医院がお休みで、紹介頂いた歯科医院にアシスト車で往復したが、この辺りでかつてない酷暑。
 火曜、これも10年使った座椅子の人口皮革が破れたところを皮を張って修理。昨日猛暑のなかアシスト車でpiza track往復してプロシュート。なぜかベランダのポーチュラカ、今まではバラパラだったのが一斉に咲いていた。
 ここ数日夕方は雷つきの激しい雨。今日は巣篭もり。



2023年 8月24日
政府は23日の実務者協議で、移転三原則と運用指針に基づき、共同開発・生産する武器は相手国に限って輸出できるとしてきたルールの転換に言及。「日本から第三国に直接輸出できるようにすることが望ましい」との見解を示した。
・政府はこれまで、武器の輸出は「救難・輸送・警戒・監視・掃海」の5類型に限り、殺傷能力のあるものは認めてこなかった。しかし、中間報告書では「明確な整理がなされてこなかった」とし、殺傷能力のある武器であっても一定の要件を満たせば輸出は可能だとの意見で一致したと説明。政府も23日の実務者協議で、「5類型に該当すれば殺傷能力のある武器の輸出を認めうるとの方向性で検討していただきたい」と要望。
「直接人を殺傷することを目的とする防衛装備移転がこれら(5類型)に該当することは基本的には想定されていない」防衛装備庁土本英樹長官4月国会審議答弁
・政府が今回改めて考え方を整理した結果、警戒や監視目的における相手の艦船への停船射撃用の機関銃や、掃海目的で機雷を除去するための弾薬を搭載した艦船など、「5類型に必要な武器の搭載は認めうる」と判断した。
・従来は輸出できないとしてきた説明を変更し、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機を念頭に、国際共同開発の武器について、日本から第三国への輸出を解禁したいとの考えも説明した。
・航空自衛隊の次期戦闘機を共同開発する日本、英国、イタリアの3カ国企業が「共同企業体(JV)」を組織し、英国に本社機能を置く方向で検討。
・出資するのは、日本の三菱重工業、英国の防衛大手「BAEシステムズ」、イタリアの航空・防衛大手「レオナルド社」の3社。いずれも各国で開発の中核となる。
 三菱重工業は総額1兆円を投下した国産初のジェット旅客機「スペースジェット」の開発事業から2020年に撤退した企業。
 他にも東芝は、福島第一原発事故後に始めたイギリス中部セラフィールドでの原発建設や米テキサス州での原発建設事業からいずれも巨額の損失を出して撤退している。
 憲法に基づき禁止した武器輸出を、カルトと癒着した安倍政権が2014年「防衛装備品」と言い直し、「救難・輸送・警戒・監視・掃海」の5類型は容認するとしたものを、岸田政権は停船射撃や機雷除去のためなら容認し、明らかに強力な殺傷兵器である戦闘機も、自国開発機は輸出すると言い始める。
 現在までこの国の「防衛装備品輸出」はほぼゼロ、20年三菱電機製の警戒管制レーダー(4基で約1億ドル)のフィリピン国防省との契約のみ。国内で防衛事業から撤退した企業は、過去20年で100社を超える。
 原発を削減させていく、Co2を吐き出す航空機のあり方を見直す、そして何より核兵器をはじめとする人を殺傷する武器の開発と生産、軍事産業を抑制していくという、21世紀の人類の大きな課題に対して、そっぽをむく企業と国が落ちいくのは巨額の浪費・損失と軍備拡大競争そして自らの国土を戦場とし多くの人命を犠牲にする愚か極まる戦争。
 原発再稼働、原発処理汚染水の海洋放出、健康保険証廃止など、論理的な思考も倫理的な判断も全くできない政権がこの平和国家日本に取り憑いていることの不幸。妄想の「防衛装備移転三原則」は妄想のままで終了させ、軍事産業の育成、武器開発と輸出などというさらに悪質な妄想も即座に終わらせるべし。
《武器輸出の運用ルールの見直しについて、政府は23日、殺傷能力のある武器の輸出を認める方向にかじを切った。日本が英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機は「武器の最たるもの」(自民党の防衛族議員)だが、日本から第三国への輸出を可能にするべきだとの立場を初めて明らかにした。国会などでの議論を置き去りに、安全保障政策の大転換が足早に進められようとしている。
共同開発の次期戦闘機、政府が第三国への輸出容認 自公に見解示す
 政府は昨年末に決定した国家安全保障戦略に、「防衛装備移転三原則」で示す紛争当事国への武器輸出の禁止など「三つの原則そのものは維持」しつつ、制度の見直しを検討すると明記。武器輸出は望ましい安全保障環境の整備や、国際法違反の侵略を受けている国の支援にとって「重要な政策手段」とした。国内の防衛産業の強化につなげたいとの狙いもある。
 これを受けて、自民、公明両党は4月から見直しに向けた実務者協議を重ね、7月に論点を整理した中間報告書をとりまとめた。秋以降に議論を再開する予定だったが、岸田文雄首相の指示を受けて前倒しした。
 政府は23日の実務者協議で、移転三原則と運用指針に基づき、共同開発・生産する武器は相手国に限って輸出できるとしてきたルールの転換に言及。「日本から第三国に直接輸出できるようにすることが望ましい」との見解を示した。
 念頭にあるのは日本が英国、イタリアと共同開発する航空自衛隊の次期戦闘機や部品だ。実務者協議のあるメンバーは「日本から直接輸出できなければ流通量が少なくなり、次期戦闘機が世界で主流になれない」と指摘する。
 英国は、日本からの直接輸出を認めるよう求めているという。首相官邸幹部は「直接輸出ができないと、共同開発に支障が出る」と話す。
 輸出拡大の焦点は、もう一つある。
 政府はこれまで、武器の輸出は「救難・輸送・警戒・監視・掃海」の5類型に限り、殺傷能力のあるものは認めてこなかった。しかし、中間報告書では「明確な整理がなされてこなかった」とし、殺傷能力のある武器であっても一定の要件を満たせば輸出は可能だとの意見で一致したと説明した。
 政府も23日の実務者協議で、「5類型に該当すれば殺傷能力のある武器の輸出を認めうるとの方向性で検討していただきたい」と要望した。
 ただ、4月の国会審議で防衛装備庁の土本英樹長官(当時)は、「直接人を殺傷することを目的とする防衛装備移転がこれら(5類型)に該当することは基本的には想定されていない」と答弁している。
 次期戦闘機を含め、殺傷能力のある武器の輸出拡大に踏み切れば、抑制的だった輸出方針の転換につながることになる。(田嶋慶彦)
コメントプラス
星野典久
(朝日新聞政治部次長)
【視点】記事のリードにある「国会などでの議論を置き去りに」。国葬然り、安保3文書然り。「国会軽視」で突き進むこのスタイルが岸田政権で常態化しつつあります。選挙で有権者に問うてもいいような政策転換が、政権の意向で国会での議論すらなく進められていきます。国民が気付かないうちに「この国の形」が変えられていく。国会=国民です。我々国民が問われているんだろうと思います。》



2023年 8月23日
1991年夏の旅の写真の最後。
 コルチナからバスと列車を乗り継いでチェルビニア。チェルビーノ(マッターホルン)の氷河で夏スキーのあとアオスタで野宿してサン・ベルナール峠を越えてスイス。湖と農地が連なる道をルツェルンからチューリッヒまでツーリングで珍道中が終わる。
 今年世界各地も地中海沿岸も何処も40°越え、各地で熾烈な山火事も。人類に戦争やってる暇はない。





2023年 8月21日
1991年旅の続き。
 フィレンツェからボローニャまではトスカナ北部の丘陵、パドヴァからヴェネツィアまでは川沿いの平坦な道をようやく自転車ツーリング。コルチナまでは鉄道とバス。
 ヴェネツィアも今ほど混んではいなかった。もっと路地やお店を写したらよかったと反省。



2023年 8月20日
2001年イタリアの旅を写真追加などで編集し直す。
 当時も今も、古代以来民家や宿、食堂に冬の暖房はあるがエアコンはなく、街中の噴水や泉で涼をとる文化。それが今年は「気候沸騰」で地中海沿岸は連日40度越えと。日本も含めて、エアコンで凌げばいい、という問題ではない。



2023年 8月17日
1991年の旅つづき。
 アマルフィー、カプリそしてシチリアも今ほど混雑せず、その日に宿が見つけられた。ローマ近郊でツーリング二日目に自転車と荷物を無くし、その替えをパレルモで見つけ、フィレンツェまで輪行という珍道中。


2023年 8月17日
この夏気候変動による猛暑と台風で巣篭もりが増え、むかし1991年と2001年夏のイタリアの旅写真のhpを編集し直した。
 1991年のは後年自分でスキャンしたものはフィルムによってはかなり色褪せ、その前にフィルムをお店でCDにデジタル化してもらったものの方がネガで色合いは薄いがまだマシ。ローマからシチリアのアグリジェントで止まっていたページをフィレンツェまで終える。
 ローマ、ナポリなど今年は茹るような暑さのようだが、かつては噴水や海風で真夏も快適だった。



2023年 8月16日
「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」
「未だ争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります」岸田文雄首相15日
・「積極的平和主義」は安倍が2020年の式辞で用いて以来4年連続で盛り込まれた。
・1993年以降、歴代首相が「深い反省」などと言及してきたアジア諸国への加害責任は13年の第2次安倍政権から文言が消え、今年も触れられなかった。
・長野県飯田市が昨年5月に開設した平和祈念館の「クロロホルムを注射し、生きている人間をパタッとやった」「300体もの生体解剖をした」。(旧731)部隊での行為を本に書いたり、講演で話したりしていた元隊員らの証言を、名前や顔写真とともに展示する企画は宙に浮いたまま。
・証言が展示されるはずだった清水英男さん(93)=長野県宮田村=は、少年隊員だった1945年7月、部隊の本部棟2階の標本室で、瓶の中でホルマリン漬けにされた人体を目にした。おなかの大きな女性は、胎児が見えるように腹が切られていた。 
・朝日新聞が2015年に国立や都道府県立の施設にアンケートしたところ、満州事変(1931年)以降の戦争資料を展示する85施設のうち、旧日本軍の加害行為を常設展示しているのは約3割(26施設)。〈残響 78年後の「戦争」:5)加害の証言、見せぬ公共施設〉
・長春の博物館で一枚の写真を見た。写っていたのは、日本人の将校。軍刀を高く掲げ、笑っている。その足元には、中国人青年の生首がいくつも転がっていた。その人たちの目が、写真の中からこちらをじっと見つめていた。ーー写真の中の将校が父と重なった。父の軍刀には、この中国人たちの血がこびりついている、と感じた。父がうなされていたのは、きっと彼らが「私の命を返せ。返すまであなたのそばを離れない」と、夢の中で父を揺さぶっていたからではないか――。〈戦犯だった父、殴られ続けた母、そして自分も…演劇で向き合う「業」〉
・軍医だった父は、1937年に中国戦線に出征。その後、関東軍防疫部に配属された。後に細菌戦部隊として知られる「731部隊」の前身だ。男性は、「東郷村」と呼ばれた隊員宿舎で生まれた。ーーー終戦の年の秋、父は復員して長野県の山村で診療所を開いた。男性には、強烈な記憶がある。父が復員後すぐ、男性が6歳か7歳のころだった。父は村の有力者を酒盛りに招き、しばしば自慢げに戦争談を披露していた。空から爆弾が降り注ぐ野戦病院で負傷兵の手術をしたこと、苦労したジャングルでの戦闘。それらとまったく同じ調子で、旧満州で行った人体実験や細菌爆弾の話をしていた。731部隊の存在が広く知られるより30年以上も前のころだ。細かい内容はよく分からなかったが、小学生だった男性にとって、驚くような話ばかりだった。父のあっけらかんとした口調と、その内容の異様さに、ふすまの陰で身震いした。〈細菌戦部隊にいた父は酒と薬物に溺れた 息子が刻む「壊れた家族」史〉
 戦後78年目の終戦の日。
 日本兵戦死の6割は餓死。満州からは先んじて関東軍将校らが逃げ出した。これがこの国の78年前。
 日本国民を収奪する反日カルトと癒着した安倍政権が唱えた空虚極まる「積極的平和主義」とは、自衛の解釈を憲法や司法の裏付けもなしに勝手に拡大させ、予算のあてもなく防衛予算をGDP2%まで増大、敵基地攻撃力やスタンドオフミサイルなど専守防衛すらかなぐり捨てた、沖縄南西諸島をはじめとする軍事基地化を住民の意思を無視して強行し、相手方の軍備増強をさらに煽り、東アジアの不安定化と戦場化を招くだけの極めて愚かしい妄想に過ぎない。
 731部隊や占領地における旧日本軍の残虐極まりない住民虐殺や人体実験などについて、なんの反省もなく戦後復員した元軍医や兵士らがどれだけ家族を巻き込んだ地獄を生きたか、一連の記事は記録しているが、この国の政府は加害責任など忘れたフリあるいはロシア軍のウクライナにおける非道極まる戦争犯罪に対するプーチンと同じく、それらをフェイクだと否定して居直り続けるだけ。
 「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」はワイツゼッカーが1985年、敗戦40年のドイツ国民への戒めとして語った言葉だが、731部隊、南京大虐殺、日本軍慰安婦などの旧日本軍に関わる犯罪・加害責任については黙り込み、広島長崎での原爆投下、都市爆撃、沖縄戦を掲げても歴史に記憶される普遍的価値を有する発言とはなり得ない。
 日本にふさわしい積極的平和主義と呼べるものがあるとすれば、それはみずから進んで軍備と戦争を放棄し、世界の紛争や戦争に外交を尽くして仲裁・和平をもたらす努力をすることだ。それは現日本国憲法が定めていることでもある。カルトと癒着し続ける政権は退場させるしかない。
《岸田文雄首相は15日、東京・日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べ、戦没者や遺族らに哀悼の意を表した。式辞の内容は前年の表現をほぼ踏襲し、安倍晋三元首相が言及した「積極的平和主義」にも前年同様に言及した。▼1面参照
 首相は式辞で、広島や長崎での原爆投下や沖縄での地上戦などでの戦没者への追悼に触れ、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります」と述べた。
 ロシアによるウクライナ侵攻を念頭に「未(いま)だ争いが絶えることのない世界」との現状認識を示したうえで「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります」と述べた。
 「積極的平和主義」は安倍氏が2020年の式辞で用いて以来4年連続で盛り込まれた。式辞について、首相周辺は「政府として言えることは限られている。(盛り込むべき)要素を組み合わせていくと毎年同じ(内容)になってしまう」と説明した。
 一方、追悼式に出席予定だった細田博之衆院議長は、体調不良を理由に欠席した。衆議院事務局によると、衆院議長が出席を見送るのは1971年以来という。(佐藤瑞季、鬼原民幸)
 ■首相式辞(全文)
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
 今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
 未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります。
 戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
 戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります。未だ争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、そして、これからの世代のために、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
    令和5年8月15日    内閣総理大臣 岸田文雄》





2023年 8月13日
日記がわりに。
 9日酷暑の下アシスト車でpizza track往復してオルトラーナ。高山で帰路の夕飯にと買った盛岡の地ビールベアレントが栓抜きがなく飲めなかったのを飲む。濃い味がピザに合う。
 11日これもかつてない酷暑のなか二週ぶりにil vento。カッペリーニにローズマリーを入れて頂くと香りも味もやはり超旨。最寄りのバス停から六甲道に行き、ご無沙汰の灘温泉に浸かる。夏場加温なしの露天が心地よい。食材買って帰宅。
 昨日はすごもり、夜録画でnhk「島の戦争遺産」を観る。山口県周南市大津島の「回天」訓練施設での若い兵士らの母親への辞世の言葉がなんとも痛々しい。彼らの「青春のまひる前」無謀な戦争に若い命を犠牲にさせた当時の軍部や政治家らと、彼らを「英霊」などと美化して自らは安全な場所で台湾有事を煽る今の老害麻生某に何も違いはない。
 今日もすごい暑さ。西宮北口に出てゆいたばのテラスで島そばをいただきガーデンズで食材買って帰宅。台風7号は明後日近畿直撃の予報。


2023年 8月 9日
・13歳の森本幸恵(さちえ)さんは寺の門の下敷きに。はい出すと、周囲の友だちは目の玉が飛び出し、頭の髪や服が焼け、口々に叫んでいた。
 「お父ちゃん助けて」
 「お母ちゃん助けて」
 「先生助けて」
 その場にかがんでいたが、熱くて熱くてとても我慢できない。
 そこで、目玉の飛び出ていない友だちと3人で「逃げられるだけ逃げましょう」と避難を始めたが、「私死ぬる」と1人が倒れた。ーーー
 被爆から7日後。
「お父ちゃん、お母ちゃん、お姉ちゃん永らくお世話になりました。私はお先にいきます。さようなら、さようなら」。
 そう言って亡くなった。
・幸恵さんが通う広島市立第一高等女学校(現・市立舟入高校)では、1、2年生計541人が建物疎開に動員され、全滅した。幸恵さんら約8千人の生徒が広島市中心部に集められ、約6千人が亡くなった。
・広島県立広島第一中学校(現・県立国泰寺高校)1年の山本真澄さん(当時13)も、建物疎開に出かけて被爆した。
 2時間後、家に戻った真澄さんの姿を父の康夫さんは書き残した。
「全身の皮膚はむけてしまって、赤い裸体が、そこに立っているではないか。(中略)直感というものがなかったら、恐らくわが子であることを否定したであろう」(秋田正之編「星は見ている」)
自宅に寝かせていると、夜の11時ごろ、真澄さんが突然聞いた。
 「ほんとうにお浄土はあるの?」
 「ええ、ありますとも、それはね、戦争も何もない静かなところですよ」
 母親がろうばいして答えると、真澄さんは続けた。
 「そこにはようかんもある?」
 「ようかんでもなんでも……」
 「ほう、そんなら僕は死のう」
 日が変わる頃、真澄さんは亡くなった。
・進徳高等女学校(現・進徳女子高校)2年の吉村博子さん(当時14)も建物疎開中に被爆して帰宅した。
 医者はおろか薬もなく、家族は患部に湧いたウジ虫を取るしかない。
 ほがらかで口笛をよく吹いていた博子さんが「痛い痛い」と声を上げた。
 被爆から11日後。
 「お母さん」
 博子さんの声が聞こえたので母親が駆けつけると、亡くなっていた。
・博子さんの妹、嘉屋重(かやしげ)順子さん(84)は被爆したが生き延びた。戦後、広島で美術の教員を務めながら、子どもたちに被爆体験を語ってきた。
 手に残るケロイドを見るたびに姉を思い出す。「『もう忘れたのか、私のことを。ウジ虫に食い殺された私のことを』と、しかり飛ばされている気になります。だから、広島の夏は黙って過ごすことはできません」
 5日朝日新聞の、当時学校関係者が反対するなか軍部が主導した「密集家屋の倒壊疎開」のために八千人の子ども達が広島原子爆弾投下時、広島市中心部に集まっていて被爆した状況を伝える記事。
 家族の手記や証言によって、原子爆弾の熱線と爆風そして放射線にさらされて1日から10日あまりの苦悶の末に亡くなった子ども達の悲惨極まる最後の様子が、核兵器がどれほど残酷に一般市民・非戦闘員そして子ども達の命を奪うかが鮮烈に示されている。
 核兵器は非人道的で、あらゆる国際法に反する、人類にとって最も酷い兵器であることは明らか。「核抑止」「相互確証破壊」とは、残虐で非人道的な究極の暴力装置に依存した、不安定で愚か極まる平和という妄想でしかない。
「今、私たちに何が必要なのでしょうか。「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです」
「核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。
 核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます」(8月9日平和祈念式典・鈴木史朗長崎市長「長崎平和宣言」)
 6日広島と共に今日長崎市長が訴えた「核抑止」からの脱却と核兵器廃絶への道を進むほか、この国と世界に未来はない。
《「行って参ります」
 13歳の森本幸恵(さちえ)さんはその朝、元気に家を出て、広島市中心部に向かった。
 建物を取り壊して空襲時の延焼を防ぐ「建物疎開」の作業に、同級生らと動員されていた。
 午前8時に休憩になったので友だちと座っていると、しばらくして周囲が騒ぎ出した。
 「落下傘が三つ」
 「きれいきれい」
 「自分も見よう」。1歩前に出て、上を向いた瞬間。
 ぴかりと光った。
 原爆投下時、米軍は爆発の威力を測定する装置も落下傘に付けて投下していた。
 幸恵さんは寺の門の下敷きに。はい出すと、周囲の友だちは目の玉が飛び出し、頭の髪や服が焼け、口々に叫んでいた。
 「お父ちゃん助けて」
 「お母ちゃん助けて」
 「先生助けて」
 その場にかがんでいたが、熱くて熱くてとても我慢できない。
 そこで、目玉の飛び出ていない友だちと3人で「逃げられるだけ逃げましょう」と避難を始めたが、「私死ぬる」と1人が倒れた。
「長らくお世話になりました。私はお先にいきます」
 残った2人で「離れまいね(離れないようにしようね)」と手をつないで川まで下りたが、その友だちも「死ぬる」と水の中に倒れた。
 友だちを水のない場所まで引きずった後、幸恵さんは気を失った。
 兵隊が救護所に運んでくれ、数日後に母親と再会。しかし、原爆の放射線を大量に受けた影響で熱と下痢が続いた。
 被爆から7日後。
 「お父ちゃん、お母ちゃん、お姉ちゃん永らくお世話になりました。私はお先にいきます。さようなら、さようなら」。
 そう言って亡くなった。
 幸恵さんが通う広島市立第一高等女学校(現・市立舟入高校)では、1、2年生計541人が建物疎開に動員され、全滅した。
 幸恵さんは被爆時の様子を母親に言い残し、母親が同校の追悼集「流燈(りゅうとう)」に後年、手記を寄せた。
 8月6日の朝。
 幸恵さんら約8千人の生徒が広島市中心部に集められ、約6千人が亡くなった。
 多くが中学1、2年生。
 すでに都市への空襲が相次いでいた時期。
 なぜ、危険な市中心部に大勢の子どもが集められたのか。
「避難場所は皆無」 紛糾した会議、結論は…
 原爆投下の約1カ月前。
 学校と軍、広島県、広島市の関係者が県庁の会議室に集まっていた。
 議論は紛糾する。
 会議の議題は、中学1、2年生を建物疎開に出動させるかどうか。
 元県職員の長谷川武士さん(故人)の手記=広島県立文書館所蔵=は、この時の議論を克明に記録している。
 都市への空襲が相次ぐ中、「一日も早く密集家屋を倒壊疎開し、火災防止に万全を期せねばならない緊急事態」になっていた。
 しかし、作業中に空襲があっても、「多人数の避難場所は皆無」――。
 学校関係者は「口をそろえて危険な作業に出ることを極力反対した」。
 軍関係者は「防災計画上一日を争う急務だ」と主張して譲らず。
 会議は長時間にわたり平行線をたどった。
 そんな中、「○○中将は、いらだち、左手の軍刀で床をたたき、作戦遂行上、学徒の出動は必至である」と議長に決断を迫った。
 議長を務めた県の内政部長は「沈思黙考」する。
 最終的に、引率の教員を増やし、終了時間を2時間短縮して子どもたちを動員することが決まった。
 そして、8月6日の朝を迎える。
 原爆を搭載したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島に向かう中、約8千人の子どもたちが広島市中心部を目指した――。
 親たちは必死に我が子を捜し求めたが、即死したり避難途中で亡くなったりした子どもも多く、亡くなる前に家族に会えた子どもは一部だった。
「ようかんもある?」「そんなら僕は死のう」
 広島県立広島第一中学校(現・県立国泰寺高校)1年の山本真澄さん(当時13)も、建物疎開に出かけて被爆した。
 2時間後、家に戻った真澄さんの姿を父の康夫さんは書き残した。
 「全身の皮膚はむけてしまって、赤い裸体が、そこに立っているではないか。(中略)直感というものがなかったら、恐らくわが子であることを否定したであろう」(秋田正之編「星は見ている」)
 自宅に寝かせていると、夜の11時ごろ、真澄さんが突然聞いた。
 「ほんとうにお浄土はあるの?」
 「ええ、ありますとも、それはね、戦争も何もない静かなところですよ」
 母親がろうばいして答えると、真澄さんは続けた。
 「そこにはようかんもある?」
 「ようかんでもなんでも……」
 「ほう、そんなら僕は死のう」
 日が変わる頃、真澄さんは亡くなった。
 進徳高等女学校(現・進徳女子高校)2年の吉村博子さん(当時14)も建物疎開中に被爆して帰宅した。
 医者はおろか薬もなく、家族は患部に湧いたウジ虫を取るしかない。
 ほがらかで口笛をよく吹いていた博子さんが「痛い痛い」と声を上げた。
 被爆から11日後。
 「お母さん」
 博子さんの声が聞こえたので母親が駆けつけると、亡くなっていた。
 「なんぼほど、苦しかったろう」
 母親は戦後、手記に書き残した。
 博子さんの妹、嘉屋重(かやしげ)順子さん(84)は被爆したが生き延びた。戦後、広島で美術の教員を務めながら、子どもたちに被爆体験を語ってきた。
 手に残るケロイドを見るたびに姉を思い出す。「『もう忘れたのか、私のことを。ウジ虫に食い殺された私のことを』と、しかり飛ばされている気になります。だから、広島の夏は黙って過ごすことはできません」(大滝哲彰、長富由希子)
     ◇
 1945年8月の広島、長崎への原爆投下で子どもたちが受けた被害について、遺族への取材や手記、広島原爆戦災誌などから連載でたどります。写真は遺族らから提供を受け、一部は早稲田大理工学術院の石川博教授の協力を得て、同研究室が開発した人工知能(AI)技術を用いてカラー化しました。



2023年 8月 9日
この春嵐山天龍寺、竹林の小径、嵐山公園で撮った動画をUチューブにupした。
 コロナ禍が落ち着いて人出が戻った。頭に乗せてブラブラなので視点が動くのはご容赦。
https://www.youtube.com/watch?v=s8-hxu5-7iQ
https://www.youtube.com/watch?v=B3qepzYEVAk
https://www.youtube.com/watch?v=5hNSPuIoNsA



2023年 8月 8日
日記がわりに。
 神戸の気温は昼は低めで夜は高めだが、標高180で風も通るのでusbミニ扇風機でまあ快適。しかし日中の猛暑は半端ない。
 5日花隈からアーケードを経てALBARでこの時期ならではのイカ墨のピザ。日差しを避けるためか人通り少なく、久しぶりになぎさの湯に向かったが、なぎさ小横であまりの暑さにあえなく撤退。春日野道駅そばのスーパーで食材買って帰宅。なでしこJはWC予選最後も勝って決勝トーナメントに快進撃。
 日・月は巣篭もり。イギリスでは今更ながら海底油田・ガス開発に進むスナク首相の私邸にグリーンピースがあっけなく侵入して抗議。
 今日はひと月ぶりに谷上を経て有馬まで。堂加亭でいつものサラダランチは塩分が効いて夏バテ回復。有馬御苑で金銀の湯に浸かり、三ノ宮で食材買って帰宅。停滞する台風6号のためか風は強い。






2023年 8月 6日
「今、平和への思いを一つにするときです。
被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。
身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。
誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます」こども代表
広島市立牛田小学校6年   勝岡かつおか 英玲奈えれな
広島市立五日市東小学校6年 米廣よねひろ 朋留ともる
「しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています」松井一實広島市長
「私は、そのような核抑止論者に問いたい。あなたは、今この瞬間も命を落としている無辜のウクライナの市民に対し、責任を負えるのですか。ウクライナが核兵器を放棄したから侵略を受けているのではありません。ロシアが核兵器を持っているから侵略を止められないのです。核兵器国による非核兵器国への侵略を止められないという現在の状況は、「安定・不安定パラドックス」として、核抑止論から予想されてきたことではないですか。
 また、あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。
 核兵器は、存在する限り人類滅亡の可能性をはらんでいる、というのがまぎれもない現実です。その可能性をゼロにするためには、廃絶の他ない、というのも現実なのです」広島県知事 湯崎 英彦
「「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを進める上で原点となるのは、被爆の実相への正確な理解です。本年5月のG7広島サミットでは、世界のリーダーたちに、被爆者の声を聞いていただき、被爆の実相や平和を願う人々の思いに直接触れていただきました。また、世界の指導者のみならず、若者らによる広島、長崎訪問を促しました。各国首脳による胸襟を開いた議論や「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」の発出を通じ、核軍縮の進展に向けた国際社会の機運をいま一度高めることができました」岸田首相あいさつ
「核兵器禁止条約は重要な条約だが、核兵器国は1か国も参加していない。核兵器国を条約に、どれだけ近づけさせることができるかが唯一の戦争被爆国であるわが国の大きな責任だ」被爆者団体の代表との面会で岸田首相
「核兵器が完全に廃絶されるまで、核保有国は決して核を使用しないことを約束しなくてはなりません。
そして核のリスクを排除する唯一の方法は、核兵器を廃絶することです。
国連は、核兵器不拡散条約や核兵器禁止条約を通じて、国際的な核軍縮・核不拡散体制の強化に向け、世界の指導者たちと引き続き協力していきます。
核兵器の廃絶は、依然として、国連における軍縮の最重要課題です。
核による破滅の脅威が、この世から影も形もなく消え去るまで、私たちの努力は続きます。
もう二度と、広島の悲劇を引き起こさないでください。
もう二度と、長崎の惨禍を繰り返さないでください。
軍縮は、夢物語ではありません。
軍縮は、すべての人々にとって、より安全な世界を実現する唯一の方法なのです」国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス(代読:国連 軍縮担当上級代表 中満 泉)
 被爆78年目の広島平和記念式典とその後の会談での言葉から。
 広島市長と県知事そして国連事務総長がいずれも、ロシアのウクライナ侵攻に照らしても核抑止力論は破綻し、核保有国による侵略と対立が人類を核戦争の危機に直面させている現実を示し、核廃絶こそがその唯一の解決法であることを語り、小学6年生の児童が今こそ「平和への思いを一つにするとき」であることを語るのに、生まれれも育ちも東京でありながら選挙地盤として「広島出身」を自称する岸田首相は、G7を自ら「世界のリーダー」と僭称してそのわずか数十分の平和祈念館訪問などを自慢げに語り、被爆者の願いは「他人ごと」で自らは核兵器禁止条約に参加せず、同じく同条約に背を向ける核保有国と非核国の「橋渡し役」を無内容に自認するだけ。
 戦後長く米国の核の傘に依存してその先制不使用宣言に一貫して反対してきた自民党政権。それを継承する岸田政権に本気で核抑止力論を脱却して核兵器禁止条約に加盟する意図も気概もない。
 「被爆者の思いを自分事として受け止め」「誰もが平和だと思える未来」をつくるのは、この子どもたちをはじめとする国を超えたひろい世界市民一人一人に託されている。
〈みなさんにとって「平和」とは何ですか。
争いや戦争がないこと。
差別をせず、違いを認め合うこと。
悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。
身近なところにも、たくさんの平和があります。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
耳をさくような爆音、肌が焼けるほどの熱。
皮膚が垂れ下がり、血だらけとなって川面に浮かぶ死体。
子どもの名前を呼び、「目を開けて。目を開けて。」と、叫び続ける母親。
たった一発の爆弾により、一瞬にして広島のまちは破壊され、悲しみで埋め尽くされました。
「なぜ、自分は生き残ったのか。」
仲間を失った私の曽祖父は、そう言って自分を責めました。
原子爆弾は、生き延びた人々にも心に深い傷を負わせ、
生きていくことへの苦しみを与え続けたのです。
あれから78年が経ちました。
今の広島は緑豊かで笑顔あふれるまちとなりました。
「生き残ってくれてありがとう。」
命をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。
私たちにもできることがあります。
自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。
友だちのよいところを見つけること。
みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。
今、平和への思いを一つにするときです。
被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。
身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。
誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます。
令和5年(2023年)8月6日
こども代表
広島市立牛田小学校6年   勝岡かつおか 英玲奈えれな
広島市立五日市東小学校6年 米廣よねひろ 朋留ともる 〉


2023年 8月 3日
「輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」2012年11月安倍晋三
「経済や財政に悪影響を与える。現実的ではない」2013年1月14日白川方明日銀総裁
「市場に流すお金の量を2倍にし、2年程度で物価上昇率2%を実現する」2013年4月4日黒田記者会見
「量的な指標としては、やはり信用創造の基礎になっているのはマネタリーベースなので、マネタリーベースを採用するのが望ましい。年間でマネタリーベースを60兆円や70兆円といった規模で増やす必要がある」リフレ派岩田規久男副総裁
「量の効果はないとする分析もあり、コンセンサス(意見の一致)が得られているわけではない。実験的な面はあるが、新たな政策を実施してみてから、その後にその効果について検証すべきである」経済学者出身の白井さゆり審議委員
「効くか効かないか、いずれにせよギャンブル性の強い政策となることは覚悟すべきであろう」「物価が顕著に回復しない場合でも、大量の国債買い入れを続けることで財政ファイナンスへの懸念がより強まる」「量を調節することで、インフレ期待や現実のインフレ率を中央銀行があたかも自在にコントロールできるかのような考え方があるとすれば、政策効果のあり方について重大な誤解があると言わざるを得ない」佐藤健裕審議委員
「市場を通じた国債購入と、国債の直接引き受けとの違いが薄れ、(日銀が政府の借金を肩代わりする)財政ファイナンスという観測が浮上するリスクを高めてしまう」エコノミスト出身の木内登英審議委員
「実体経済の改善につながっていく波及経路が実際に起こってこないと、期待が単なる期待で終わってしまう懸念もある」「目指すべきはマネタリーベースであり、そのマネタリーベースの規模については2年で2倍程度に思い切って拡大する」黒田
「緩和でお金の量を増やすことが物価上昇につながるなんて、日銀の人たちの多くは信じていなかった。日銀だけでは物価は上がらないことが分かった。金融政策の限界が示された」当時を知る複数の日銀幹部
・大規模緩和開始から1年半が過ぎた14年10月、黒田日銀は「バズーカ2」とも呼ばれた追加緩和に踏み切る。国債買い入れを増やし、マネタリーベースを年80兆円のペースで増やすことなどを決めた。
・2%目標を達成できないまま、日銀は16年1月にマイナス金利政策を始め、同年9月には異例の金融政策である、長期金利も低く抑え込む「イールドカーブ・コントロール(YCC)」を導入。量を増やしても、物価目標を達成できないまま、当初2年としていた大規模緩和は10年を超えた。
・日銀が持つ長期国債はこの10年間で約6倍に膨らみ、7月20日時点では582兆円超。緩和が始まる前の12年末に11%だった発行残高に占める日銀の保有割合は50%を超えた。
・第2次安倍政権は終わり、黒田総裁も退任。異次元緩和導入時、政府や与党、日銀で存在感を示していたリフレ派は退潮。アベノミクスを支え、強力な金融緩和を求めた自民党のリフレ派議連は22年10月、その活動を終えた。
 経済学とりわけ偏狭なリフレ派の経済論が一国の経済を発展させるという幻想は、「輪転機をぐるぐる回す」安倍が「同じ未来を見ている」という、自分は安全な地下室で戦争を弄ぶプーチンら偏狭極まる政治家が、隣国への侵略でロシアを偉大にするという幻想と同じ愚か極まる空論に過ぎない。
 派遣労働など不安定雇用が蔓延し、「技能実習」に名を借りた海外からの安い労働力に依存する、サービス残業塗れの正規雇用者の賃金も低迷させるこの国の労働のあり方そのものを根底から改善することなしに、自分は安全なところにいて国民の困窮には無関心な黒田らエコノミストが通貨や金利を弄んで日銀が通貨・円をどれだけばら撒こうとも、国債という名の借金が増えるだけでその国の国民経済もひとびとの暮らしも豊かにはならない。
 政府による国債発行残高は1068兆円、対GDP比256.9%(安倍政権発足前189%)で世界一。この莫大な借金の支払いというツケを少子高齢化・人口減少の将来世代に積み残し、いまや国債の保有額が50%を超える銀行券=紙幣発行機関である日銀の財務の健全性が破綻すれば、この国の経済も間違いなく破綻する。
 政権の長きにわたるカルト集団との癒着とともに、アベノミクスなる陳腐かつ重大な負債をもたらした愚劣な政策を徹底して検証することなしに、この国の経済と暮らしが未来に向けて立ちいくことはない。
《2013年4月4日午前10時23分、東京・日本橋の日本銀行本店。10分間のコーヒー休憩が終わって金融政策決定会合が再開し、黒田東彦(はるひこ)総裁(当時、以下同)が口を開いた。
 「私自身は、量・質ともにこれまでと次元の違う金融緩和を行う必要があると考えている」
 「分かりやすく情報発信することで、市場や経済主体の期待を転換させる必要がある。その際できることは全部やる、すなわち戦力の逐次投入はしない」
異次元緩和の「原点」明らかに 日銀が10年前の全議事録を公表
 第2次安倍政権が掲げたアベノミクスの柱である、大規模な金融緩和をどう実行するか。
 日銀が新たに公表した会合の議事録によると、政権に起用されたばかりの黒田氏がこう切り出すと、賛同者が相次いだ。
 金融機関出身の石田浩二審議委員は「政策については、次を期待させぬよう十分コミュニケーションをとっていくことが特に必要と考えている」と指摘。民間エコノミストから転じた佐藤健裕審議委員は「金融緩和強化の規模については、市場に緩和の出尽くし感が醸成されるほどの圧倒的なものとし、本行が先行き漸進的な緩和拡大策を取り得ないであろうと市場に思わせることが重要だ」と述べた。日銀出身の中曽宏副総裁も「次を期待させないという意味で思い切った金額で」と同調した。
 会合を経て、同日午後3時半に始まった記者会見。多くの記者が詰めかける会見場で、黒田氏は数字の「2」を強調したパネルを用いながら、「市場に流すお金の量を2倍にし、2年程度で物価上昇率2%を実現する」と宣言した。
 デフレに沈んでいた日本経済。国債を大量に買い入れて市場に供給するお金の量(マネタリーベース)を増やし、ETF(上場投資信託)などリスク性資産の買い入れ額も年1兆円規模に増やす。先進国では例がない「異次元緩和」の始まりだった。
 ただ、効果に確信を持てないとする意見や、副作用に対する懸念があったことも、議事録には記録されていた。
 経済学者出身の白井さゆり審議委員は「量の効果はないとする分析もあり、コンセンサス(意見の一致)が得られているわけではない」と指摘。「実験的な面はあるが、新たな政策を実施してみてから、その後にその効果について検証すべきである」と述べていた。佐藤審議委員は「効くか効かないか、いずれにせよギャンブル性の強い政策となることは覚悟すべきであろう」と述べた。
 黒田氏自身、確信は持てなかったのだろう。デフレ脱却に向けて人々の「期待」に変化が見られるとした上で「実体経済の改善につながっていく波及経路が実際に起こってこないと、期待が単なる期待で終わってしまう懸念もある」とも言及していた。
 当時を知る複数の日銀幹部は明かす。「緩和でお金の量を増やすことが物価上昇につながるなんて、日銀の人たちの多くは信じていなかった」
 だが、黒田氏は公の場で、こうした緩和の効果への疑問や懸念は封印し続けた。
 日銀は、政策の中身をマイナス金利や長期金利を低く抑えるイールドカーブ・コントロール(YCC)に変えながら、大規模な金融緩和を続けてきた。しかし、2%の物価上昇目標は10年経った今も達成できていない。
 「日銀だけでは物価は上がらないことが分かった。金融政策の限界が示された」。当時を知る日銀関係者らは言う。10年前から持たれていた緩和への懸念は、次々に現実のものとなっていく。(山本恭介、土居新平)
「物価目標2%」、圧力で押し切った政府
 日本銀行総裁に就任したばかりの黒田東彦(はるひこ)氏が「異次元緩和」をぶち上げる3カ月ほど前の2013年1月14日。東京は大雪に見舞われていた。
 日銀の迎賓館「氷川寮」(東京・赤坂)に、前任の白川方明(まさあき)総裁(当時、以下同)、甘利明経済再生相、麻生太郎財務相が集まった。3人は、大規模緩和の「原点」とも言える日銀と政府の共同声明の文言を調整していた。
 甘利氏は思い起こす。「日本庭園が雪に包まれていて感動的だった。ここからアベノミクスがスタートするという感慨があった」
 日本経済は円高と、物価が下がり続けるデフレに苦しんでいた。この問題を解決するためとして、大規模な金融緩和を掲げた自民党は前年12月の総選挙で大勝。発足した第2次安倍政権がやり玉に挙げたのが日銀だった。
 日銀の独立性を認めた日銀法の改正をちらつかせ、年2%の物価上昇目標と大規模な金融緩和を迫っていた。
 白川氏は当初、「経済や財政に悪影響を与える。現実的ではない」としてあらがった。だが、民意を背にした政権も譲らなかった。
 「ここで抵抗しても事態が改善するわけではない、という雰囲気だった。ある種の敗戦ムードが漂っていた」。当時、日銀理事だった早川英男氏はそう語る。
 政府は共同声明に、「2年」などの期限を切って2%目標を定めるよう求めていた。一方、日銀は時期を明示しないよう主張。2%目標の実現は日銀だけの責任ではなく、政府の成長力強化の取り組みも必要なことを明記するよう求めた。
 日銀の担当理事だった門間一夫氏は「期限は定めないけれども、早期に達成するように頑張る、という表現で落としどころを見つけた。文章上は、どちらの責任なのか厳密には分からない、玉虫色の表現となった」と振り返る。
 最終的な共同声明は、2%目標を「できるだけ早期に実現することを目指す」となった。成長戦略など政府の役割も盛り込まれた。
 日銀は1月21、22日に開いた金融政策決定会合で、共同声明を正式に決めた。議事録によると、共同声明の核である2%目標について「適当だ」と支持する意見が大勢を占めた一方、運用に釘を刺す発言も相次いだ。
 経済学者出身の白井さゆり審議委員は「急いで2%を達成しようとすると、家計の購買力や企業の価格競争力が低下し、経済活動が損なわれる恐れがある」と指摘。エコノミスト出身の佐藤健裕審議委員も「率直に言って、いきなりそれを目指すとするとかなり高いなという印象を持っている」と語った。
 白川氏も実現のハードルは高いという認識を示していた。「2を掲げるだけですぐに物価上昇率が上がるわけではなく、それを達成する十分な手段をなかなか持ち合わせていない」。こうした懸念は、杞憂(きゆう)ではなかった。
黒田氏抜擢で変わる日銀 甘利氏「強烈だった」
 日銀は2%の目標をめざすが、期限は設けない――。白川日銀が譲ってこなかった一線だ。それを破ったのは、第2次安倍政権に抜擢(ばってき)され、13年3月に白川氏の後を継いだ黒田東彦(はるひこ)総裁(当時、以下同)だった。
 同年4月3、4日の初会合で黒田氏はいきなり踏み込んだ。
 「目標をできるだけ早期に実現するということを目指すべきだと思う。具体的な期間としては、私自身は2年程度の期間を念頭に置いている」
 経済再生相として会合に出席していた甘利氏は「強烈だった。総裁によってこうまで変わるんだと思った」と振り返る。
 日銀が政府の借金を肩代わりする「財政ファイナンス」を防ぐための規定も、黒田日銀は無力化する。長期国債の保有を銀行券発行残高より小さくするという、01年に設けられた「銀行券ルール」を停止したのだ。
 日銀は歯止めなく国債を買えることになる。会合では「財政ファイナンス」という言葉が30回近くも使われた。
 佐藤審議委員は「物価が顕著に回復しない場合でも、大量の国債買い入れを続けることで財政ファイナンスへの懸念がより強まる」と発言。エコノミスト出身の木内登英審議委員も「市場を通じた国債購入と、国債の直接引き受けとの違いが薄れ、財政ファイナンスという観測が浮上するリスクを高めてしまう」と案じた。
 これに対し、積極的な金融緩和でデフレを脱却できると主張する「リフレ派」の代表格である岩田規久男副総裁は強く反論した。
 「そもそもインフレ目標を設定すること自体が、財政ファイナンスにならないということを担保しているということを、もう少し市場に伝える必要がある」
 「というのは、目標を達成した後、政府が日銀に国債購入をどれほど望んでも拒否する訳である」
 2%目標を達成してしまえば、日銀は国債を買う必要がなくなるため、財政ファイナンスにはなりえないという主張だ。会合後に日銀が公表した文書は「長期国債の買い入れは金融政策目的で行うものであり、財政ファイナンスではない」と明記した。
 足元で物価上昇率は2%を超えているが、輸入物価の高騰が主因で、日銀が目指す形での2%目標は今も達成できていない。一方、日銀が持つ長期国債はこの10年間で約6倍に膨らみ、7月20日時点では582兆円超。緩和が始まる前の12年末に11%だった発行残高に占める日銀の保有割合は50%を超えた。木内氏は「財政ファイナンスに近い」と話す。
 黒田氏は13年、報道各社の取材に「物価目標が達成されれば、出口ということになる。銀行券ルールはいずれ復活してくる」と述べていた。しかし、一時停止のはずだった銀行券ルールは、今も凍結されたままだ。
深まらなかった「出口戦略」 植田日銀の重責に
 議事録から浮かび上がるのは、緩和の「出口」を示す必要性が指摘されていたのに、その準備の議論も避けようとしていた日銀の姿勢だ。
 象徴的なやりとりがある。大規模緩和が始まって2カ月が経った13年6月の会合。経済学者出身の宮尾龍蔵審議委員が「2%達成後の出口戦略に関する情報がない。少なくとも短期金利の見通しについては検討を始めるべきだ」と提案すると、反論を受けた。
 日銀幹部として06年、緩和の出口に向かう「ゼロ金利解除」を経験している中曽宏副総裁は「今回は(06年と比べて)大変論点も多く難しい。議論していること自体がメッセージ性を帯びてしまう」と慎重だった。
 黒田氏も「内部で議論していくことはいいと思うが、外に向かって言うのはややプリマチュア(時期尚早)」と述べ、出口に向けた議論は深まらなかった。
 2%目標を達成できないまま、日銀は16年1月にマイナス金利政策を始め、同年9月には異例の金融政策である、長期金利も低く抑え込む「イールドカーブ・コントロール(YCC)」を導入。金融政策は複雑さを増し、出口への道はいっそう険しくなった。
 黒田氏は今年4月の退任会見で「緩和は様々な効果を上げてきており、これまでの政策運営は適切なものであった」と誇る一方、出口戦略について「時期尚早だ」と最後までスタンスを変えなかった。
 ただ、昨年来の物価上昇を受け、市場では出口が意識され始めている。
 その道筋を描く重責を担うのは、黒田氏の後任として4月に就任した植田和男新総裁だ。
写真・図版
会見する日本銀行の植田和男総裁=2023年7月28日午後3時47分、東京都中央区、竹花徹朗撮影
 植田日銀は3回目となる7月28日の金融政策決定会合でYCCの修正を決め、長期金利の上限を事実上引き上げた。
 それでも植田氏は「金融政策の正常化へ歩み出すという動きではない」と強調した。10年に及ぶ異次元緩和からの正常化をどう進めていくのか。その構想は、まだ明らかにしていない。(山本恭介、土居新平)》



2023年 8月 2日
もう8月で晩夏。
 この夏2回目で海浜公園一つ先の須磨駅前の海岸を訪ねる。ラーメンでお昼のあと海岸は日射は強いが日光浴・ナトリウム冷水浴は快適。2時間程いて三宮阪急地下で久しぶりに小ぶりで廉価なカワハギ見つけて帰宅。
 この夏は温暖化ならぬ沸騰化で世界中が酷暑だが、雨が降らず乾燥しているためか自宅でまだエアコンは使っていない。








                                                                                                                                                                 
  
     





























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