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2024年8月31日
日記がわりに。
 8月21日翌日から灯籠流しの城崎を例年通り訪ねる予定だったが、37度酷暑予報でやめにし、久しぶりに北野mont dorを訪ねると満席。北野工房に行くとなんとこちらは昨年12月から閉館。知らなかった。酷暑のなかトアロードを下り栄町通りday's kitchenは平日はどうにか座れて久しぶりに玉ねぎピザをいただく。これまでやや高額で避けていたが一度体験しようと、ドック沿いのみなと 温泉 蓮まで歩くと山登りよりきつい。温泉は露天もあって心地よいが、自分には半額以下のなぎさの湯でいいか。帰りにスーパーに寄って食材買うが、コメ棚は空。
 23日も猛暑だがil ventoで美味しいローマ風マルゲリータをいただき、バスを徳井まで乗り、おとめ塚の湯に浸かり、やはり米棚は空の御影クラッセで食材買って帰宅。秋刀魚があったが高価。25日アシスト車で降りたコープで廉価な秋刀魚を見つけて帰宅。小ぶりだが美味。
 27日久しぶりに有馬に出て堂加亭テラスでサラダランチをいただき、有馬御苑で金泉、銀泉に浸かると夏バテ解消。22日発生して上陸前で各地に豪雨をもたらす台風10号は29日鹿児島に上陸。こちらは雨は小休止で最寄りのバス停から六甲道に下り灘温泉。
 31日も雨は降らずまたil ventoに行き、ボロネーゼをいただく。両親と一緒の二歳ぐらいの子が「おいしいおいしい」と。南へ歩いて下りやはりおとめ塚の湯に浸かって帰宅。
   
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2024年8月31



2024年8月30日
「想定以上に、ぽろっと言ったことがどんどん伝わっていくところがすごくあると思った。言いすぎたという面があったと思うので、ちゃんと反省して、これから襟をただしていきたい」
「厳しい上司だと思われていると思う。仕事は厳しくするというのが私のこれまでのスタイルなので職員にどう思われているかは、いろいろあると思う」
「処分は適切だったと思う。事実ではないことが多く含まれ、ひぼう中傷性の高い文書だと県として認識したので、調査をして処分した」
「案件によっては遅い時間や休日に連絡したことはある。知事として報告、連絡、相談をしっかりしてほしいという思いが強かった。ただ、休日や深夜に連絡をしたのは適切ではなかった面もあるかもしれない。必要な指導だと思っていたが、不快に思った人がいれば、心からおわびしたい。パワハラかどうかは私が判定するというより、百条委員会などが判定するものだ」
「歩かされたことを怒ったのではなく、円滑な車の進入経路を確保していなかったことについて注意した。当時は車の進入禁止のエリアだと認識しておらず、当時の判断としては適切だったと思っている」
「自分なりに1つ1つの質問に懸命に答えた。自分の行為がハラスメントにあたるかどうかは、これから百条委員会や第三者機関で作業していく。改めて私の行為や言動を不快に思った職員には率直におわびし、県民にもおわびしたい」
「改めるべきところを受け止め、日々の仕事から変えていくことが大事で、県政を前に進めていきたい」
『知事から非常に強い調子で叱責された。社会通念上必要な指導の範囲とは思わない』30日知事の尋問に先立って県職員ら4人の証人尋問で
3月12日西播磨県民局長だった渡瀬康英(60)氏が斎藤知事ら県幹部の違法行為の「告発文」を県議、報道機関に配布。
【齊藤元彦兵庫県知事の違法行為等について(令和6年3月12日現在)】
3月27日兵庫県は西播磨県民局長を解任、3月末の退職を停止。「事実無根の内容が多々含まれている。業務時間中に嘘八百含めて文書を作り流す行為は、公務員としては失格」斎藤知事会見
4月4日前西播磨県民局長が県の公益通報制度を利用して通報。
5月2日元県民局長の処分が検討された綱紀委員会で、委員の県職員3人が処分に否定的な意見を述べたが、知事側近の井ノ本知明・総務部長(当時)は「全て問題がない」と発言した。
5月7日兵庫県人事課が前西播磨県民局長を停職3カ月の懲戒処分に。「告発文は核心的な部分において全てが事実無根」コーヒーメーカーを受け取った産業労働部長(55)は訓告処分。
6月13日兵庫県議会は、地方自治法に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置する議案を賛成多数で可決。
7月7日、証人として百条委員会に出席予定だった前西播磨県民局長が「死をもって抗議する」と言う趣旨のメッセージを残して死亡。
7月24日、プロ野球・阪神、オリックスのリーグ優勝記念パレードを担当し、告発文で「疲弊し療養中」と指摘されていた元県民生活部総務課長の男性(53)が療養中の4月20日に急死していたことが明らかに。
7月30日、元西播磨県民局長が作成した文書で前回知事選で斎藤候補の事前運動に関与したなどと指摘されたが、前西播磨県民局長を停職3カ月の懲戒処分にした井ノ本知明・総務部長は体調不良を理由に病欠。8月16日兵庫県は19日付けで井ノ本知明総務部長を総務部付とする人事を発表。
8月23日、県議会の調査特別委員会(百条委)が全職員約9700人を対象に実施したアンケート調査で約6700人が回答し、回答者の4割がパワハラを見聞きしたと答えた県職員アンケート公表。
 プロ野球リーグ優勝記念パレード資金集めに、違法性がある過酷な職務を強いられて疲弊し死亡した課長と、知事らのパワハラと違法行為を公益通報などで告発したが、調査結果を待たず知事選で事前運動に関わった総務部長を使って停職3ヶ月とされ、自死に至った西播磨県民局長。
 斎藤知事の、なんとも薄っぺらくお粗末で他人事の百条委員会証言。「厳しい上司」が自分には甘い出鱈目ぶり。ひたすら醜悪に知事という職にしがみ付きながら、人の命をなんと思っているのか。「県政を前に」は、唯一本人が責任を取り職を辞することだけ。とっとと辞職せよ。
《兵庫県の斎藤知事のパワハラの疑いなどを告発する文書をめぐって、30日、県議会の百条委員会で知事への証人尋問が行われ、斎藤知事は告発文書などで指摘された言動について、必要な指導だったという認識を重ねて示した上で、「不快に思った人がいれば心からおわびしたい」などと述べました。
尋問は、2時間半にわたって、告発文書や県庁職員へのアンケートなどに記載されていた知事のパワハラの疑いを中心に質疑が行われました。
この中で斎藤知事は、委員から「出張先で玄関の20メートルほど手前で公用車を降りて歩かされ、出迎えた職員らをどなり散らした」という記載が事実か問われたのに対し、「歩かされたことを怒ったのではなく、円滑な車の進入経路を確保していなかったことを注意した」などと説明しました。
また、「夜間、休日など時間おかまいなしの指示が矢のようにやってくる」という記載については「案件によっては遅い時間や休日に連絡したことはある。知事として報告、連絡、相談をしっかりしてほしいという思いが強かった」と述べました。
その上で、「必要な指導だと思っていたが、不快に思った人がいれば、心からおわびしたい。パワハラかどうかは私が判定するというより、百条委員会などが判定するものだ」と述べました。
さらに、告発文書を作成した元局長を懲戒処分としたことについては、「事実ではないことが多く含まれ、ひぼう中傷性の高い文書だと県として認識したので、調査をして処分した」として、適切だったという認識を重ねて示しました。
一方、30日は知事の尋問に先立って県職員ら4人の証人尋問も行われ、この中では、「知事から非常に強い調子で叱責された。社会通念上必要な指導の範囲とは思わない」などといった証言が出されました。
委員会では、来週6日にも知事に出席を求めて証人尋問を行い、出張先で贈答品を受け取った疑いになどについて質疑を行うことにしています。
【斎藤知事の発言】
「襟をただしていきたい」
斎藤知事は県庁職員へのアンケートで指摘されたみずからの言動について「想定以上に、ぽろっと言ったことがどんどん伝わっていくところがすごくあると思った。言いすぎたという面があったと思うので、ちゃんと反省して、これから襟をただしていきたい」と述べました。
「仕事は厳しくするのが私のスタイル」
斎藤知事は職員からどのような評価をされていると考えるか問われたのに対し、「厳しい上司だと思われていると思う。仕事は厳しくするというのが私のこれまでのスタイルなので職員にどう思われているかは、いろいろあると思う」と述べました。
「元局長の処分は適切」
斎藤知事は告発文書を作成し、公益通報した元局長を懲戒処分としたことについて、「処分は適切だったと思う。事実ではないことが多く含まれ、ひぼう中傷性の高い文書だと県として認識したので、調査をして処分した」と述べました。
「遅い時間や休日に連絡したことはある」
斎藤知事は「夜間、休日など時間おかまいなしの指示が矢のようにやってくる」などという告発文書の記載が事実か問われたのに対し、「案件によっては遅い時間や休日に連絡したことはある。主に、私への報告漏れや相談がなかったものについての指摘が多かったと思う。知事として報告、連絡、相談をしっかりしてほしいという思いが強かった。ただ、休日や深夜に連絡をしたのは適切ではなかった面もあるかもしれない」と述べました。
「記憶にない 1つひとつ覚えていないこともある 」
斎藤知事は「自分が知らないことがテレビで取り上げられ、評判になったら『聞いていない』と担当者を呼んで執ように責めたてる」という告発文書の記載が事実か問われたのに対し、「記憶にない。なんらかの指摘をしたとしても、いろいろなレクを受けているので、1つひとつ覚えていないこともある」と述べました。
「当時の判断は適切」
斎藤知事は「出張先で玄関の20メートルほど手前で公用車を降りて歩かされ、出迎えた職員らをどなり散らした」という告発文書の記載が事実か問われたのに対し、「歩かされたことを怒ったのではなく、円滑な車の進入経路を確保していなかったことについて注意した。当時は車の進入禁止のエリアだと認識しておらず、当時の判断としては適切だったと思っている」と答えました。
証人尋問を終えて
証人尋問のあと、斎藤知事は記者団に対し「自分なりに1つ1つの質問に懸命に答えた。自分の行為がハラスメントにあたるかどうかは、これから百条委員会や第三者機関で作業していく。改めて私の行為や言動を不快に思った職員には率直におわびし、県民にもおわびしたい」と述べました。
また、進退については「改めるべきところを受け止め、日々の仕事から変えていくことが大事で、県政を前に進めていきたい」と述べ、辞職しない考えを重ねて示しました。
維新の対応は
3年前の選挙で、斎藤知事を推薦した日本維新の会は、31日、藤田幹事長が神戸市で、党の兵庫県の地方組織や県議団の幹部と会談し、30日の斎藤知事の発言を受けた今後の対応を協議することにしています。
維新の会 佐藤県議「断定するためにはもう少し調べたい」
百条委員会の委員を務める維新の会の佐藤良憲 県議会議員は、証人尋問のあとNHKの取材に対し、「いろいろと事実は出てきていて核心に迫っている気はするが、断定するためにはもう少し調べたい。維新としては、もともと是々非々でやってきているので、まずは事実を解明していきたい。県議団としての対応はこれからの協議になると思う」と話しました。》



2024年8月28日
「我々はこの(普天間)基地を失い、辺野古の代替施設に移転しなければならないという最悪のシナリオに基づいて計画をしている。純粋に軍事的な観点からはここ(普天間)にいたほうがいい。当初は普天間と同じような滑走路を建設する計画だったが、技術的な調査の結果、難しいとわかり、妥協案として(現在の)『V字形滑走路』が考えられた。今後、代替施設の建設をめぐる政治的闘争も考えると、滑走路ではなく、ヘリポートの形になってしまうのではないか。あくまで私の推測だが」
「(辺野古の新基地の完成は)早くても2037年になる」在沖縄米軍幹部2023年11月上旬沖縄でのブリーフィング〈<独自>普天間飛行場の補修に217億円 辺野古移設の裏で10年以上も税金投入 「居座るつもりか」沖縄の怒りに米軍は…〉
「海兵隊の現場レベルでは、皆が知っている問題だ。辺野古の代替施設の工事は、問題解決につながらず、より大きな問題を生みつつある。皮肉なことに、普天間を使い続けることが目的のようだ。長期的に、米国や沖縄県などだれも勝者にならないだろう」米ジョンズ・ホプキンス大高等国際関係大学院(SAIS)博士課程のショーン・ハーディング
「工事に巨額のコストをかけるが、悪い投資だと思う。マヨネーズ並みといわれる軟弱地盤など不明点が多く、工期もはっきりしない。本当に完成するのかさえ誰も自信が持てないのではないか。工事が長引くほど、普天間は維持され続け、不満が募るばかりだ」同
「辺野古の代替施設の現行計画は、現在の米軍の戦略構想(「遠征前進基地作戦(EABO)」)に合わず、時代遅れと言わざるを得ない。冷戦期や冷戦後も日本の基地は米軍の航空優勢が保たれて安全だったが、もはやそうではない。(中国の)ミサイルの脅威のために脆弱(ぜいじゃく)になった。(辺野古移設計画は)一昔前の計画」」同
「(辺野古移設にかかる工費は)現在の米軍の分散戦略に合った他の航空基地や民間空港の改良に使う方がはるかに良い。沖縄の負担軽減にもつながるだろう。日米両政府、沖縄県の三者で信頼関係を構築し、合意の道筋を探ることが最優先だ」同
「中国の多数のミサイルと近接し、最も脆弱な拠点の一つ。(辺野古代替施設は)費用と工期が未定。米軍にとって運用上の有用性は限定的」米戦略・予算評価センター(CSBA)22年報告書
「(軟弱)地盤の難しさや環境問題などがあり、工事には明らかに課題がある。(19年の県民投票で7割超が埋め立てに反対したことについて)地元の懸念には気を配っている。(辺野古移設は)日米両政府の合意であり、辺野古に代替施設が完成すれば、部隊を移転させる」在沖縄米軍トップのロジャー・ターナー4軍調整官(海兵隊中将)3月末
・1996年「米軍基地の中に新たにヘリポートを建設するなどの措置が取られた後、5年ないし7年ぐらいに、(普天間基地は)全面返還されることになる」橋本首相
・1999年日本政府は普天間の移設先を名護市辺野古にすると閣議決定。
・2013年に日米両政府がまとめた名護市辺野古への移設計画では、埋め立てなどの工期は5年で、早ければ2022年度に返還が可能になるとした。
・2014年時点で政府は移転総工費を「少なくとも3500億円以上」(当時の小野寺五典防衛相)とする。
・2016年までにキャンプ・シュワブ北東側の海底に軟弱地盤が広がっていることが判明、2019年に防衛省は軟弱地盤への対応で大幅な地盤改良が必要になったため設計の見直しを進め、地盤改良や埋め立てなどにおよそ9年半かかり、飛行場としての機能を持たせる整備も含めると移設までおよそ12年かかるとする工期の概略を示す。普天間基地の返還時期は2030年代に大幅にずれ込む見通しとなり、経費も当初見積もり(3500億円)の2.5倍以上となる、およそ9300億円に上るとした。〈辺野古移設 アメリカ軍担当者が垣間見せていた本音とは〉
・2022年度末時点で工事には4000億円以上が投入されるが、22年度末時点の工事の進捗を見ると、事業全体の埋め立て土量2020万立方メートルのうち、4年余りで埋め立てた量は14%。しかも、これまで埋め立ててきた場所は、工事がしやすい水深の浅い海域に限られる。〈「辺野古」工事費 底なし 埋め立て14%すでに半分近く使い切る 米軍幹部も「ドローンの時代に不要」〉
 甘い見通しと米軍基地を沖縄に押し付け続ける冷酷かつ杜撰な計画で、危険な普天間飛行場の移転先をやはり沖縄の辺野古に決めて25年。沖縄に駐留する米軍の主体である海兵隊は戦略構想を、拠点基地をミサイル対策でグアムなど後方に退かせ、離島・有人島(石垣、宮古、与那国島など)に前進基地を展開する「遠征前進基地作戦(EABO)に変更し、これまでわずか14%の埋め立てに当初予算をすでに超え、19年見直し予算の40%超4000億円以上を使い、これから実績もない軟弱地盤埋め立ての辺野古新基地建設とは、万一の有事に最も脆弱な拠点にただ数兆円規模の税金を無駄遣いする時代遅れの実現不可能な、そして有事の際は再び沖縄を戦場として犠牲にする無責任極まる計画でしかない。
 日本国憲法を蹂躙するこの腐り切った政権の右往左往の一連の対応に、地元沖縄の人びとへの配慮や尊重は微塵もない。カルトと裏金に塗れた政権は退場あるのみ。
《米軍キャンプ・シュワブ(沖縄県名護市辺野古)では現在、オスプレイ部隊などの駐留する米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を移設するための建設工事が進んでいる。今月中旬にはキャンプ・シュワブの面する大浦湾で本格工事も始まっており、滑走路を造るために湾内で埋め立てが行われることになる。実際に完成後の基地を使うことになる在沖縄米軍は、この辺野古移設計画をどう受け止めているのか。
 2023年11月上旬、在沖縄米軍が地元メディアなどを対象に沖縄の米軍基地についてブリーフィングを行っている最中のこと。在沖縄米軍幹部の次の言葉に、説明を聞いていた記者は耳を疑った。
 「我々はこの(普天間)基地を失い、辺野古の代替施設に移転しなければならないという最悪のシナリオに基づいて計画をしている」
 幹部はさらにこんな本音を吐露した。
 「純粋に軍事的な観点からはここ(普天間)にいたほうがいい」
 日米両政府が「唯一の解決策」と強調する辺野古移設計画。基地を使用することになる当事者が真っ向から異論を唱えたことは衝撃だった。
 この在沖縄米軍幹部が具体的に指摘した問題点は、米軍キャンプ・シュワブに建設中の「普天間飛行場の代替施設(FRF)」の(1)滑走路の短さ(2)地理的な制約の2点だった。
 (1)について、普天間の滑走路は約2700メートルだが、辺野古のV字形の2本の滑走路はともに約1800メートルしかないと指摘。「米軍の能力に大きな影響を与える」と懸念を示した。
 (2)については、西海岸に近い高台にある普天間は「(レーダーなどで)主要な敵対国がある西や北の方向への視界が良い」(幹部)という利点があるが、東海岸に面する辺野古は「大きな山に覆い隠され、その方向が見えにくい」と語った。
 在沖縄米軍幹部が記者団に示した普天間飛行場移設をめぐるスライドの題名は「不朽の政治的道具」。日米両政府は1996年に普天間飛行場返還に合意したにもかかわらず、30年近く経っても辺野古移設が実現していないことへの米軍側のいら立ちとも受け取れる。
 スライドでは移設後に完成する代替施設(FRF)については「夢(Dream)」と書かれ、「1996年 直線の滑走路」、「2006年 V字形滑走路」、「2030年? ヘリポート」のイラストが描かれていた。
 記者の一人が「2030年? ヘリポート」の絵の真意を問うと、幹部は「当初は普天間と同じような滑走路を建設する計画だったが、技術的な調査の結果、難しいとわかり、妥協案として(現在の)『V字形滑走路』が考えられた。今後、代替施設の建設をめぐる政治的闘争も考えると、滑走路ではなく、ヘリポートの形になってしまうのではないか」と語り、「あくまで私の推測だが」と付け加えた。
「本当に完成するのかさえ誰も自信が持てない」
 米軍普天間飛行場には、朝鮮半島や台湾海峡での有事の海兵隊の出撃拠点となる役割がある。この普天間飛行場の辺野古への移設計画は、軍事的な観点から問題がある――。実は、こうした認識はこの在沖縄米軍幹部に限らず、米海兵隊の現場では広く認識されているという。
 米海兵隊で在日米軍再編に関わった米ジョンズ・ホプキンス大高等国際関係大学院(SAIS)博士課程のショーン・ハーディング氏は「海兵隊の現場レベルでは、皆が知っている問題だ」と明かす。
 そして、こう続けた。
「辺野古の代替施設の工事は、問題解決につながらず、より大きな問題を生みつつある。皮肉なことに、普天間を使い続けることが目的のようだ。長期的に、米国や沖縄県などだれも勝者にならないだろう」
 どういうことか。
 ハーディング氏も、前述の在沖縄米軍幹部と同様に、辺野古の滑走路の短さを問題点として挙げ、「多くの航空機は使えない」と述べた。また、辺野古には船舶を係留できる岸壁もできるが、「大きさが十分ではなく、艦船の使用も限られる」と指摘した。「自衛隊と共同使用する計画にもなっていない」とも付け加え、「政治的な理由でとても限定された計画になっている」と語った。
 ハーディング氏は、日本政府が約1兆円と試算する工費と、完成まで12年とする工期も疑問視する。
 「工事に巨額のコストをかけるが、悪い投資だと思う」「マヨネーズ並みといわれる軟弱地盤など不明点が多く、工期もはっきりしない。本当に完成するのかさえ誰も自信が持てないのではないか。工事が長引くほど、普天間は維持され続け、不満が募るばかりだ」
辺野古代替施設建設、米軍の分散戦略との矛盾
 さらに、ハーディング氏が本質的な問題として強調したのが「辺野古の代替施設の現行計画は、現在の米軍の戦略構想に合わず、時代遅れと言わざるを得ない」という点だった。
 現在、米海兵隊は「遠征前進基地作戦(EABO)」という新たな作戦構想のもとに、既存の固定基地に依存せず、中国の攻撃圏内に分散して部隊を移動させながら攻撃や補給の「前線基地」をつくる戦略を推し進めている。
 米空軍も「機敏な戦力展開(ACE)」という作戦構想に沿って、常駐する航空戦力を幅広い拠点に分散させることでリスクを減らす戦略をとっている。
 ハーディング氏は「冷戦期や冷戦後も日本の基地は米軍の航空優勢が保たれて安全だったが、もはやそうではない。(中国の)ミサイルの脅威のために脆弱(ぜいじゃく)になった」と説明する。このため、辺野古移設計画は「一昔前の計画」という認識を示す。
 ハーディング氏は「(辺野古移設にかかる工費は)現在の米軍の分散戦略に合った他の航空基地や民間空港の改良に使う方がはるかに良い。沖縄の負担軽減にもつながるだろう。日米両政府、沖縄県の三者で信頼関係を構築し、合意の道筋を探ることが最優先だ」と語った。
 米国の有力シンクタンクにも、完成後の辺野古基地に軍事的な観点から懐疑的な見方がある。
 米戦略・予算評価センター(CSBA)は22年の報告書で、沖縄の基地を「中国の多数のミサイルと近接し、最も脆弱な拠点の一つ」と指摘。辺野古代替施設は「費用と工期が未定」とし、「米軍にとって運用上の有用性は限定的」と記述した。
在沖米軍トップ、「工事には明らかに課題」
 こうした疑問の声を、米海兵隊の上層部はどう認識しているのか。
 在沖縄米軍トップのロジャー・ターナー4軍調整官(海兵隊中将)が3月末、記者のインタビューに応じた。
 ターナー氏は直前に、辺野古の建設現場を現地視察したことを明らかにした上で「(軟弱)地盤の難しさや環境問題などがあり、工事には明らかに課題がある」と率直に認めた。19年の県民投票で7割超が埋め立てに反対したことについて問うと、「地元の懸念には気を配っている」と強調した。
 ただ、それ以上は「(辺野古移設は)日米両政府の合意であり、辺野古に代替施設が完成すれば、部隊を移転させる」と米政府の公式見解を述べるにとどめた。
    ◇
 米海兵隊内部で軍事的な有用性について疑問がもたれている辺野古基地。なぜこうした計画が策定されたのでしょうか。当時の日米両政府の水面下の交渉を取材すると、政治的妥協のもとでV字形滑走路の現行案が生まれたことがわかってきました。次回は、日米両政府が合意した2006年当時の交渉で、米側代表を務めたリチャード・ローレス元国防副次官(東アジア・太平洋担当)の証言に迫ります。(渡辺丘)》



2024年8月27日
21日アルジャジーラは、カタールでの協議を終えたブリンケンについて、イスラエル情報筋、イスラエル12チャンネルによる治安当局と交渉団メンバーの話として、二つの回廊への駐留などでネタニヤフに贈り物を与えたことで合意の可能性を消滅させたと、さらに人質の家族は交渉の成否はネタニヤフに完全な責任があると述べたと報じる。
 22日同局はイスラエル地元紙の報道として政府高官が、ハマスとの合意の有無に関わらずハマスへの圧力としてガザでの戦闘を続けるとの姿勢を報じる。人質の家族は双方の合意なしに全ての人質は帰らない、時の経過とともにその命は失われかねないと訴えるが、ガザではイスラエルの無人機などによる攻撃でさらに避難所の学校や民家が攻撃され、死傷者が増え続ける。
 23日ドイツZDFは、ガザで25年前に根絶したポリオの生後11ヶ月の幼児への感染が再確認され、衛生状態が最悪ななか早急な戦闘停止とワクチン集団接種が必要、そうしなければポリオが蔓延すると報じる。仏2と米PBSはウクライナ東部ポクロウスクでロシアの攻撃から避難する、子どもたちや生後1月半の乳児と母など人びとの苦難を報じる。幼い子と別れ、医師として残りただ一人列車を見送る女性も。アルジャジーラは、この日もイスラエルはガザ中・南部の難民キャンブなどを空爆し、パレスチナ人25人が死亡と。プーチン、ネタニヤフがしていることは同じ戦争犯罪。
 25日イスラエルはレバノン南部を、ヒズボラもイスラエル北部を空爆。26日ロシアはウクライナ各地をこれまでで最大規模の空爆。キーウで人々は地下鉄駅に避難。ヨルダン川西岸でまたイスラエル人入植者が集団でパレスチナ人を襲撃し、複数の死傷者。その前極右の国家治安相ベングビールは、エルサレムのアルアクサーモスク一帯にシナゴーグ建設を示唆し、イスラエルの内相や国防相ガラントすらそれは「流血をもたらす」とし、最大野党の党首ラピドは「ネタニヤフは内閣を統制できず、国家の安全を脅かす発言が閣僚から出る始末」と批判したとアルジャジーラ。
 27日IAEAのグロッシ事務局長がクルスク州の戦線から50キロの原発を視察。ロシアが占領するザポリージャ原発で今月初め冷却塔で火災が発生。ロシアはモスクワの赤の広場で核兵器の威力を誇示しているとBBC。
 NHKドキュメンタリー「アメリカ 揺れるユダヤ系新世代」27日放送。米国には最大のユダヤ系団体ADL(名誉毀損防止同盟)と、親イスラエル政策を掲げる政治家を民主・共和問わず、資金面などで支えてきたロビー団体AIPAC(「米国・イスラエル公共問題委員会」)があり、初の黒人系大統領オバマもバイデンも頭が上がらない。アラブ系パレスチナ人を追放して建国したイスラエルによる避難を強いられた「ナクバ」以来、米国のユダヤ教徒の多くもイスラエルの建国と占領を支持し、若者がイスラエルを訪れて兵役に就くなどしていたが、パレスチナ人への暴力に疑問を感じて考えを変えたりイスラエルの政策を批判しパレスチナとの連帯を求める若者たちが最近増えていることを取材。
 他方、米国では政府のイスラエル支援を批判する大学生や若者、教職員らは「反ユダヤ主義」で停学や逮捕、解雇の対象とされるが、ナチスの鉤十字を模した旗を掲げるユダヤ人排斥の極右ネオナチ組織NSM「国家社会主義運動」は「表現の自由」「私にはカギ十字旗を掲げる権利がある」「人間は平等ではない。私は白人男性。劣等民族でなく優秀な民族に属していて、幸運だ」などと野放し。米国社会の分断というよりも極端な劣化を示す。
https://mainichi.jp/articles/20180625/k00/00m/030/078000c
 パレスチナとの連帯と共存を求める若者たちにこそ、米国そして世界の未来が託されている。






2024年8月26日
1968年立川高校に入学した時、前年銀行員だった父を交通事故で亡くした同級生は定時制に入学。5時にクラブやその他の活動を終えて下校するとき、たまにすれ違い挨拶した。1969年10月21日の国際反戦デーに、ベトナム戦争に加担する政府に抗議してバリスト派による全学封鎖となり、それに参加していた3年のサッカー部長の話を聞きに部員数人で一晩教室に入ったりした。学校側の働きかけで封鎖は解除しなかったが、「自分たちの学びの場を奪わないでくれ」との定時制生徒会の申し出でバリケードは4日間で解除となった。定時制の存在は、全日制の生徒、教員にとってダラダラと学校に居続ける過剰な勉学や勤務を止めるだけではない、貴重な学びの機会でもある。夜間定時制を最後の学習の場とする生徒たちを切り捨てる薄っぺらな都知事と職員のために、東京の公教育は名実ともに衰退するばかり。





2024年8月 23日
8月13日イスラエルの攻撃によるガザの死者は39929人、負傷者92240人になったとアルジャジーラ。
 同局は14日、10日に避難者が集まる学校をイスラエル軍が空爆し、100人以上が死亡した攻撃に関し国連安全保障理緊急会合が開かれ、人道問題調整事務所は国際人道法への違反行為を止めるため全ての加盟国があらゆる影響力を行使することを、多くの理事国による停戦のための国連決議の実施を求める声を伝える。BBCはロシア・クルスクで国境地帯から避難した住民の姿を伝える。戦争で犠牲になるのは何処でも一般市民。ガザではこの日もイスラエルによる空爆で40人以上が死亡。病院に子どもの遺体と負傷者が運ばれ、子ども達は逃げ惑う。「家が崩れて中にいた家族皆が殺され、頼れる人はいない」と叫ぶ高齢女性。カタールでの協議開始の前にネタニヤフは、ガザ南部のフィラデルフィ回廊へのイスラエル軍駐留と北部へ帰還するパレスチナ人の治安検査を条件付け。市民を殺戮し続ける者が何をいうのか。
 16日仏F2は15日ヨルダン川西岸でイスラエル人入植者数十人によって殺害されたパレスチナ人の若者の葬儀と襲撃の模様を伝える。監視カメラは家や車に火をつける入植者を記録。車を燃やされた英語教師の男性。自宅のドアの前を燃やされた家族。米政府も「受け入れられない」と。ではイスラエル支援を止めることだ。アルジャジーラは二日間のカタールでの協議が合意なく終わり、米国は再提案の姿勢だが、ニューヨークタイムズは、ネタニヤフは新たな条件付けにより如何なる取引も妨害しようとしていると報じたと伝える。バイデンは「これまでで最も停戦に近づいている」と。何処のパラレルワールドなのか。
 19日BBCはブリンケンが国際法違反の殺人者ネタニヤフらと笑いながら会談し、イスラエルが人質解放へのアメリカの新提案に賛成したと伝える。その最中もイスラエルはガザを攻撃。疲弊し切った人々は停戦協議を信用していないとスペインTVE。さらに同局は、ロシアで見せつけのための核実験をはじめ戦争に核兵器の使用を求める、政権寄りの「キノコ好き」の動きを伝える。職業的な殺人犯プーチンが、核のボタンを押さないと誰が断言できるのか。18日夜テルアビブでは18年ぶりに自爆攻撃。イスラエルはガザの難民キャンプなどを空爆し子どもたちが死傷。これも間違いなくテロ。
 米PBSはシカゴでの民主党党大会会場の外で、政権のイスラエル支援に抗議する人々を伝える。アルジャジーラは米アクシオスのイスラエル高官の話として、ネタニヤフはハマスが受け入れないことを知りつつ米国の提案を受け入れた、交渉チームは首相の姿勢では合意に到達できないと伝えたと報じる。まさに頭が腐っている。
 20日イスラエル軍はガザ南部ハンユニスの地下トンネルで人質6人の遺体を発見。「イスラエルとハマス双方に叔父の死の責任がある」と遺族。そのハンユニスではこの日もイスラエルの攻撃で死者が増え続ける。
 22日仏2はウクライナ東部ポクロウスクに戦火が迫り、家屋を爆撃されて避難を強いられる人びとを取材。ガザではこの24時間でイスラエルの空爆で学校などでパレスチナ人50人が死亡とスペインTVE。イスラエルでは徴兵が義務化されたユダヤ教超正統派の抗議活動。「軍に行く前に死んだ方がマシ」と。この日イスラエル軍はガザ市西部で国連UNRWAが運営する学校などを攻撃し、多数の死傷者。
 23日報道特集は米大統領戦でハリスの、「武器禁輸を支持しない」とのイスラエル寄りの姿勢が激戦州での敗北となる可能性を分析。米国がイスラエル支援をやめて国際司法裁のイスラエルは国際法違反との指摘を受け入れれば、中東問題は劇的に改善するだろうに。




2024年8月23日
「戦力の不保持」「交戦権の否認」を国是とする国が、米国に尻尾を振り主権者である住民にも自治体にも説明も了解も無く進める南西諸島軍事化。
憲法も国民の命も蹂躙する、カルトと裏金に塗れた政権を終わらせなければ、この国に未来はない。



2024年8月18日
日記がわりに。
 平湯から帰って神戸も例年にない暑さ。3日久しぶりに前回は満席だった地元calmoでマルゲリータ。三宮で食材買って帰宅。7日須磨のビーチで今年初の海水浴。ナトリウム冷泉で暑気に慣れたか、体調は悪くない。
 10日やはり地元il ventoでカッペリピザ。そのあと道を日陰伝いに歩いておとめ塚の湯に浸かり六甲道経由で帰宅。翌11日も酷暑のなか西宮北口のゆいたばのテラスで島そば。ガーデンズで食材買って帰宅。14日一月ぶりにすずらんの湯に行こうと谷上の神姫バス停に寄ると、なんと4月から土日休日は運休で、お盆期間も運休だった。やむなくタクシー利用で家族連れで賑わう露天と内湯を堪能し、帰宅。
 昨日も35度超え、栄町通りDay's Kitchenはやはり満席でALBARでマルゲリータをいただき、三宮経由帰宅。今日も35度超え、一月ぶりにハーバーランドに出て地ビールの店の日傘のテラス席でアヒージョ。ビールが一際美味しい。アンパンマン館よこのテラスでコーヒーのあとドック沿いを歩くと、自転車でテント泊ツーリング中の海外の若者がいた。三宮で食材買って2時過ぎには帰宅。夕方東の地平に満月。明日から気温は高いまま曇り続きの予報。
   


2024年8月17日
「(「尊い犠牲の上に、今の平和がある――」)またか。国が戦没者を追悼するのは当然。だけど、なぜありきたりの言葉しか言えないのだろうか」福岡県田川市の看板絵師、篠原光雄さん(95)
「今回の総裁選挙では、自民党が変わる姿、新生自民党を国民の前にしっかりと示すことが必要です。そのためには、透明で開かれた選挙、そして何よりも自由闊達(かったつ)な論戦が重要です。その際、自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くことであります。私は、来る総裁選には出馬いたしません。総裁選を通じて選ばれた新たなリーダーを、一兵卒として支えていくことに徹してまいります」8月14日総裁選挙について岸田内閣総理大臣記者会見
「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(とうと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません」8月15日全国戦没者追悼式総理大臣式辞
「岸田文雄首相を端的に評すれば、首相になることだけが目的で、首相になってやりたいことのなかった政治家だろう。保守本流のリベラルな派閥、宏池会出身で30年ぶりの首相として期待されたが、中身は空っぽだった。ーー逆に、やりたいことがないからこそ敵基地攻撃能力(反撃能力)保有や防衛費の倍増、憲法改正など清和会的な政策を簡単に取り入れた。専守防衛の国是を事実上葬ったことは、後世に禍根を残すだろう」岸田首相「自民党を清和会化させた」 中島岳志・東京工業大教授8月14日
 「尊い犠牲の上に、今の平和がある」
 アジア・太平洋戦争の日本軍で「戦場に斃(たお)れた方々」の60%は餓死。歴史学者の故・藤原彰は、旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析し、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算。「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた。作家の半藤一利は「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」と指摘する。
 陸海軍の特攻で6000人の若い将兵が亡くなったが、終戦の日に「彗星」11機22名を道連れに特攻した海軍中将宇垣纏、終戦の翌日自決した海軍神風特別攻撃隊創始者の大西瀧治郎を除いて、人間魚雷・回天の開発を提案した海軍少将黒島亀人、人間爆弾「桜花」など軍令部で特攻を強力に推進、開発した海軍大佐源田実、特攻作戦採用の第一の責任者である台湾海軍航空隊司令官・海軍少将中澤佑、海軍中将大森仙太郎、陸軍少将正木博、陸軍中将菅原道大ら多くの参謀、司令官らは戦後までなんら責任を取ることなく生き残っている。
「俺は死ぬ係じゃないから」中澤佑少将
 この無惨極まる無責任さは、国家の戦争責任や加害責任を否定し、裏金問題の罪を会計担当秘書に被せ、自身は議員であり続ける醜悪な自民議員らの姿につながっている。
 終戦時鈴木貫太郎内閣は、旧満州に残された移民を現地に捨てる決定をしている。関東軍中枢は731部隊も含めソ連参戦で一番に帰国し、中国東北部と朝鮮半島に数多くの移民たちが政府と軍によって捨てられた。1945年5月30日大本営はソ連参戦を見越して「満洲の四分の三を放棄」するとの「満鮮方面対ソ作戦計画要綱」を策定、ソ連が参戦した8月9日に大本営は「戦後将来の帝国の復興再建を考慮し、なるべく多くの日本人を大陸の一角に残置することを図るべし」との命令を出し、他方で翌10日関東軍に「満洲全土放棄も可」の命令を発出、終戦後もこの方針は変わらず8月31日、日本政府は終戦処理会議で改めて「現地土着方針」を指示、9月2日降伏文書に調印したのち9月24日次官会議は「海外部隊竝に海外邦人帰還に関する件」で「現地残留方針」を再確認している。
 岸田首相が終戦記念日前日に総裁選辞退を発表して、15日メディアの多くがカルトと裏金に塗れた陳腐極まる自民党総裁選記事で埋められるというこの国の現在。A級戦犯も合祀し戦争を美化する靖国神社に木原、高市ら数名の閣僚が参拝、首相は「自民党総裁」として玉串料を奉納、政教分離の憲法を公然と蹂躙する。さらに自分は決して「一兵卒として」前線にも行かず、塹壕にも篭らず、戦車にも乗ることはないものが平然と「一兵卒」と開陳する愚かしさ。
 310万人の犠牲者をだして多くの街が灰燼にきした79年前の戦争への反省を「尊い犠牲」で済まし、他国への侵略も餓死も特攻も人々の置き去りもすべて無かったことにして、ふたたび「敵基地攻撃力」「防衛費倍増」「有事に備える気概」「憲法改正」を吹聴する自称広島出身の首相ら。「新生自民党」などいらない。とっとと解党すべし。
《多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。
 終戦の日の15日、テレビでは日本武道館での全国戦没者追悼式で式辞を述べる岸田文雄首相の姿が流されていた。「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれた」
 福岡県田川市の看板絵師、篠原光雄さん(95)は思った。「またか」。尊い犠牲の上に、今の平和がある――。「国が戦没者を追悼するのは当然。だけど、なぜありきたりの言葉しか言えないのだろうか」
 篠原さんは元特攻兵だ。1944年7月、15歳でパイロットを養成する海軍飛行予科練習生(予科練)となり、45年2月に広島県大竹市に送られた。割り当てられた役目は、特殊潜航艇「蛟竜(こうりゅう)」の乗組員。事実上の特攻兵器の一つだ。
 でも、肝心の蛟竜が足りず、訓練で1度乗っただけで終戦。故郷の福岡市に帰り、戦後が始まった。
知覧で感じた悔しさ
 8歳ほど離れた兄はフィリピンで戦死し、父は別人のようにふさぎ込んで、49年に亡くなった。近所の「元軍人」への視線は冷ややかで、「特攻に行って親に心配をかけた」「予科練くずれ」と陰口をたたかれた。
 いたたまれず、船に乗る仕事を見つけて家を離れた。闇市での仕入れ、石炭運び……。20歳で映画の看板絵師となり、生活が落ち着いた70年代から戦友会活動に参加する。あの戦争はなんだったのか、振り返るようになったのはそのころからだ。
 87年に開館した知覧特攻平和会館(現・鹿児島県南九州市)も戦友会の仲間たちと訪ねた。
 並ぶ遺書と遺影が当時の自分と重なり、目を背けた。「近い年代ばかり。どうして死ななければいけなかったのか、かわいそうで」
 大戦末期の軍隊生活はひどいものだった。訓練のための兵器も無く、ひたすら運動場を走らされ、理由もなく「精神注入棒」で殴られた。しごきに耐えかねて脱走したり、追い詰められておねしょしたりする仲間もいた。
 「当時は必死だったが、あんなばかなことをして、戦争に勝てるはずがなかった」と思う。
 こんなに多くの若者が死ぬ必要があったのか。誰が死なせたのか。
 毎年繰り返される「尊い犠牲の上に、今の平和がある」という語りには、その「尊い犠牲」を出したことへの責任が感じられない、と思う。
国のために死んでこい、という社会にならないために
 来年はあの敗戦から80年、反省が忘れられていないか気がかりだ。今年は「祖国のために命を捨てるのは、高度な道徳的行為だ」という政治家の発言もあった。
 自分も軍国少年だった。「国のために死ぬのは当然」と思い込み、深く考えていなかった。
 市民グループなどで、戦争体験を証言している。戦争を知らない世代にこう伝えたい。「国のために死んでこい、とならないよう、政治家の言葉には疑問を持つことが大事だ」(関口佳代子)
「尊い犠牲の上の平和」 なぜ多用される?
 アジア・太平洋戦争では1937年以降、日本だけで310万人が犠牲になった。「今の平和や繁栄は、尊い犠牲の上に築かれた」という言い方は、戦没者追悼式で繰り返されている。岸田文雄首相の言葉は昨年も22年もほぼ同じ。それ以前の菅義偉首相や、安倍晋三首相も同様だ。
 ただ、戦後の言説の変遷などを研究している福間良明・立命館大教授(歴史社会学)によると、このフレーズは元々、多くの国民を死に追いやった国の責任を追及し、補償を求める意味も含む言葉だったという。
 終戦直後、働き手を失った遺族らは困窮した。日本遺族会の前身・日本遺族厚生連盟の会報創刊号(49年2月10日付)にはこう記されている。
 「父や、夫や、息子が、自分で好んで戦争に行つたのではない、命令で止(や)むを得ず戦場に赴き、而(し)かも戦没したのである。この亡き人たちもゆはば今日の新しい平和日本の礎になつた(中略)徹底した援護の手が延べられるよう願つている」
 会報にはその後も「(遺族を)等閑(なおざり)に附して国の立直りは出来ない」(50年5月15日)、「いつまでも遺族を社会的冷遇の中に放置してはならない」(50年6月15日)など、政府への訴えが並ぶ。
 日本が52年に主権を回復すると、経済復興が進み、東西冷戦の中で戦犯らの公職追放が解除されるといった「逆コース」の中で、同年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立。53年には旧軍人らへの恩給制度も復活し、遺族会の関心は戦没者の顕彰へと移っていった。そういう空気の中で、当たり障りのない弔辞として定着していったと福間教授は指摘する。
 「『尊い犠牲のおかげで今の平和がある』と言うだけなら、遺族も納得しやすく、政府は『戦争責任』に触れずに丸く収まる。だから、特に追悼の場で使われ続け、今に至ったのだろう」(関口佳代子)
コメントプラス
小松理虔
(地域活動家)
2024年8月15日21時57分 投稿
【視点】尊い犠牲のおかげで今の平和がある。よく聞く言葉です。遺族も納得しやすく、政府は戦争責任に触れずに済む。双方丸く収まる・・・。だけじゃないな、と感じました。戦後を生きる我々こそ、都合よくそんな言葉を使ってきたのではないか。「尊い犠牲」の上であぐらをかいてきたのは自分たちかもしれないなと。
長島美紀
(SDGsジャパン 理事)
2024年8月16日11時20分 投稿
【視点】戦没者追悼式で繰り返される「今の平和や繁栄は、尊い犠牲の上に築かれた」、靖国神社を参拝する政治家が述べる「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げる」といった言葉は、耳当たりの良い、差しさわりのない文言です。であるからこそ、そこに戦争責任を問う気持ちがあるのか、篠原さんが問う理由があります。
戦後、元軍人であるがゆえに、存在を忌避された篠原さんの経験は、戦争責任が曖昧にされ、戦時中の国民が翼賛体制下で動員され、また軍国教育を受けていたとはいえ、戦争に賛成し、運動に参加をしたという事実は残ります。その事実をなかったことにしたいが故に、篠原さんをはじめとする元軍人の存在を「尊い犠牲」に連なる存在としてではなく、否定すべき存在としたのでしょうが、それで歴史を変えることはできません。
平和を謳う一方で、着々と進められているのが、日本の安全保障政策です。2022年12月に日本政府が発表した「国家安全保障戦略」では、日本が「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境」に直面しているとの認識を示し、防衛体制の強化の意義が強調されました。2024年度の防衛関連予算も、合計がGDP比1.6%になっており、増加傾向にあります。
防衛費の増加と戦後繰り返されてきた「平和への誓い」はどう整合性をつけられるのか、日本としての戦争責任だけではなく、日本「人」としての戦争責任をどう考えるべきなのか、第二次世界大戦をめぐり様々な報道がされる今こそ、立ち止まって考える必要があります。》



2024年8月16日
・おとすのはばくだんではなくはなのたね
「爆弾で壊された街をニュースで見ると悲しくなってしまう。代わりに花の種をまけば一面の花畑が見られるのに」鈴木悠日(はるひ、8歳) 東京都目黒区
 ウクライナ、ガザで生まれたばかりの赤ん坊から高齢者まで毎日毎日市民が殺戮されるなか、沖縄、南西諸島の軍事化を平和憲法を蹂躙して進め、いつもながら空疎な総裁選辞退を終戦記念日前日にぶつける首相ら愚かしい大人の対極にいる8歳の子。
 爆弾の代わりに花の種。核弾頭の代わりに桜の苗木。戦闘機や戦車の代わりにグライダーと人力車。これが憲法9条が掲げる平和主義そのもの。
《おとすのはばくだんではなくはなのたね
  鈴木悠日(はるひ、8歳) 東京都目黒区
 「爆弾で壊された街をニュースで見ると悲しくなってしまう。代わりに花の種をまけば一面の花畑が見られるのに」。俳句にそう思いを込めた。トキワ松学園小学校(東京都目黒区)の2年生。授業で習ったのをきっかけに俳句を始めた。
鈴木悠日さん=坂本亜由理撮影
 校長が昨年、朝礼で読んでくれた絵本「地雷ではなく花をください」(自由国民社)の内容がずっと心に残っていた。過去の戦争で埋められた地雷で、命を落としたり、けがをしたりする人がいる。そのことを主人公のウサギが伝え、撤去を呼びかける。絵本から花畑を思い浮かべた。
 ロシアによるウクライナ侵攻などのニュースを見ながら、母の悠花さん(40)と戦争について話すことがある。「世界中から戦争がなくなって、みんなが幸せに暮らせるといいな」
◆曽祖母から聞いた79年前の終戦当時の話
 昨年8月に95歳で亡くなった曽祖母の松山昭子さんから、終戦当時の話を聞いていた。食料不足の中で貴重なミカンの缶詰を開け、家族に誕生日を祝ってもらったという。79年前まで日本が戦争をしていたことを想像するのは難しい。
 でも、当時の苦労を聞くたびに思うようになった。「戦争をしてはいけない」(服部展和)
 ◇  ◇
 若者を兵器にする人間魚雷が保管された洞穴、空襲で犠牲になった友の家にあったサルスベリ…。今も残る場所や草木が、戦争を経験した人たちにいや応なく「あの日」を思い起こさせてきた。東京新聞が8月中に掲載している、読者が詠んだ「平和の俳句」。ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで今も戦火がやまぬ中、つづられた「平和の俳句」には、悲しみ、怒り、不戦への願いが宿っている。》



2024年8月13日
7月27日イスラエルが占領するゴラン高原でロケット弾によりサッカー場にいた少年少女12人が死亡。29日英国サウスポートの幼い子たちのダンス教室で、刃物を持った男が押し入り6歳の子ら三人が死亡、止めに入った大人を含め7人が重体とBBC。町の追悼集会に多くの鎮痛な表情の参加者。イスラエルは先日のゴラン高原の攻撃はヒズボラによるとし、報復としてレバノン首都ベイルートを無人機攻撃。
31日ハマスの最高幹部ハニヤが滞在先のイランのテヘランで新大統領と会談後殺害される。イスラエル政府は何のコメントもないが、以前「ガザへの原爆投下も一つの選択肢」と発言したアミハイ・エリヤフ文化遺産担当大臣はXに「妄想上の譲歩に意味はなく、死ぬ運命の彼らにかける慈悲もない」と投稿したとアルジャジーラ。ベイルートでは、サッカー場への攻撃を指揮したとするヒズボラの司令官へのイスラエルによる30日の攻撃で亡くなった10歳と6歳の二人の兄妹の葬儀。兄はサッカー少年。大人たちの争いで、子どもたちが命を奪われ続ける。同日イスラエルはガザの取材を続けていたアルジャジーラの記者とカメラマン二人を車ごと殺害。国連事務総長報道官は、殺害された二人の記者に哀悼の意と非難を表明し、透明な調査の必要を強調。国連安保理緊急会合で、国連事務次長は「全ての当事者に自制を求めてきたが、もはや自制だけでは不十分。情勢の流れを変える外交努力が必要」とし、他国での暗殺や記者の殺害を問題とする声の中、米国はイランだけを非難、イスラエル次席大使は「双方に自制を求めるのは、イスラエルのような民主主義国家とハマスのようなテロ組織を同等に扱うことで不当。地域の安定を求めるなら、テロリストの抹殺を歓迎すべき」とまたも妄言。
8月3日フェンシング女子サーブル団体でウクライナが優勝するが、イスラエルはガザの避難所となっている学校2箇所を爆撃し子供たち30人が死亡。イスラエルはオリンピック停戦も、国際法も全く無視。米国はイスラエル防衛に空母、巡洋艦、戦闘機を配備、ネタニヤフは「イラン率いる悪の枢軸との多方面の防衛・戦闘準備中」と。
5日米PBSは英国の極右らによる移民排斥の暴動について、背に鉤十字の刺青をした男らの醜悪な姿を報道。さらにレバノン南部でイスラエルによる占領から避難して暮らすパレスチナの人々を記者が取材。ハマスの若い戦闘員、ファタハ軍事部門リーダー、ハマス関係者と対面し、「何も譲歩しないイスラエルから自分たちの土地を取り返すには武力闘争しかない」と難民キャンプから多くの若者がパレスチナ解放機構ファタハよりハマスに参加している状況と。ブリンケンは「全ての当事者は事態の激化を控えるべき。誰の利益にもならない」と。イスラエルに軍事支援し、やりたい放題させるどの口が言うのか。米中央軍司令官はイスラエルで参謀総長と会談、イランに対する共同対応を約す。5日イスラエルのガザ攻撃でパレスチナ人22人が死亡。
6日英国では極右らの暴動が続き、400人以上が逮捕される。デマ情報拡散の一翼を担うXのイーロン・マスクは「内戦は避けられない」と投稿。極右の暴動、内乱を煽る輩がデマを許容するSNSの経営者という末期状況。スペインTVEはイスラエルがガザ攻撃を続ける中国連UNRWAが10/7のハマスの越境攻撃に職員9人が関与していた疑いがあるとして解雇を発表と伝える。
7日米PBSはかつてバイデンの演説に「ジェノサイドジョーは去れ」と抗議し、民主党予備選で抗議の白票を投じた激戦地ミシガン州の、イスラエルへの対応を問題視してバイデンと面会を拒否したディアボーツ市長を取材。市長は「ハリスが大統領候補となり、ガザへの対応でどういう違いを示すのか扉が開かれ、対話の機会が生まれた。ネタニヤフへの批判だけではなく厳しい政策を実行することを期待している。恒久的な停戦、パレスチナの自決権とICJやICCが判断した国際法を遵守することが必要」と。アルジャジーラはハマスの指導者にシンワルが選ばれたことに、イスラエルのカッツ外相が「殺人者の任命は彼を殺害しハマスの記憶を地上から消し去る新たな理由となる」と述べたと報道。外交担当が外交ではなく相手方の殺害・ジェノサイドを公然と語る、まるでナチスと同じ冷酷さ。イスラエル公共放送は「彼の任命は驚き。彼は強く、ハマス指導部は健在で今後も存続するというメッセージ」と遥かに冷静。、米ブリンケンは「彼はこれまでもこれからもガザ地区の問題、停戦合意に決定権を有している。必要な停戦合意は最終段階に」と甘い見通し。
7日BBCは英国各地で極右に対抗する大規模かつ冷静な集会と、極右逮捕者に懲役刑などの判決が続くことを報じ、翌日相次いだ移民排斥の暴動にSNSで拡散された偽情報が関わり、最初の投稿は容疑者の名をイスラム風に変え、不法移民であるとするデマ記事であり、それをカナダ、パキスタン、米国に住む親子らが拡散したと伝える。
8日ウクライナ軍はロシア西部クルスク週に越境し攻撃。非難した住民は支援を求めるが、プーチンは「ウクライナのテロ」と事態を矮小化。スペインTVEはイスラエルで、収監されたパレスチナ人に対する性的虐待・拷問などの人権侵害に関する報告書がネタニヤフに提出されたと報じる。イスラエル人権組織は収容所の閉鎖を最高裁に訴えるが、極右のベングビール国家治安相は記者の問いかけにふんぞりかえり、収監環境の劣悪化を政策化していると。アルジャジーラは、イスラエルによるガザの学校などへの攻撃が続き、8日56人が死亡、現地での特派員の取材を伝える。避難民に水を供給する給水車も破壊され、男性は子供の遺体の一部を手にし、遺体はまだ瓦礫の中にあると。
米国では副大統領候補バンスが相手候補ワルツの軍歴をイラク派兵から逃げたと批判。バンスはイラクに6ヶ月派遣されたが、戦闘広報係で実戦経験は同じく無い。米PVSは終了したパリ五輪でのフランス政府によるパリからの移民などホームレス排除を報道。遠隔地に移されたテントで暮らす人びとに支援NPOがなんとか支援し、移民担当のパリ副市長もこの政策を批判。
9日BBCはウクライナ軍の越境攻撃の続報と、ロシアによる東部ドネツク州のショッピングセンターへのミサイル攻撃で市民14人が死亡、40人以上が負傷したと伝える。
三連休でNHK海外ニュースは休み、13日復活しスペインTVEは12日までの二日間でガザ地区南部ハンユニスなどへのイスラエルの攻撃で140人が死亡したと伝える。爆撃で遺体は激しく損傷、甥の頭から脳が飛び出していたと泣きながら訴える女性。歩行者が歩く道路に爆弾が落ちて遺体が横たわる映像も。夥しい市民を殺傷し続けながら停戦協議などイスラエルのフェイクでしかない。TVEはさらに、ウクライナが先週第二次大戦後80年間で初めて、ロシア国境を超えて行った越境攻撃について、プーチンは会議で「28の集落が制圧された」と報告するクルスク州知事代行の発言を遮り、「状況は把握している。住民の支援に集中しろ」と。クルスクからは12万人が非難したとされるが、その責任を全て知事らに押し付ける。戦争で被害を受けるのはいつも一般の地域住民。国際赤十字によれば世界で今120以上の武力紛争が起きており、8月12日は、市民保護を定めたジュネーブ条約締結から75周年と伝える。
英BBCはモスクワから、ウクライナの越境攻撃について「私たちが望むのは平和、この紛争が迅速に解決されること」と話す若者と、クルスクからの避難者を食糧・衣料などで支援するボランティアの活動を取材。ロシア国民はプーチンやその取り巻きほど愚かなのではない。米PBSもイスラエルが指定して人道エリアへの激しい攻撃で甥の頭が割れた女性の姿や、今月4回目の避難指示で困惑する子供達を伝える。
アルジャジーラも、ハンユニスやラファなどへのイスラエルの攻撃と、ガラント国防相の「イスラエルこそが捉えられている人々を取り戻す合意を遅らせている原因だ。絶対的な勝利を語るのは全くのナンセンス。軍の義務は複数の段階を踏もうとも、軍事的圧力と取引を通じて捉えられている人々を取り戻す環境を整えることだ」と述べ、イスラエル首相府は「国防省こそアンチイスラエル。人質交換合意を妨害」と述べ、さらにイスラエル紙は「首相はがラントを解任出来ない」と記したと報道。もはや政権の体を全くなしていない。このネタニヤフの顔は、まさに大量殺戮犯罪者、悪魔の形相。





2024年8月12日
「アニメーション作家、プロデューサー、広島国際アニメーションフェスティバル・ディレクターの木下小夜子さん作『ピカドン PICA DON』(1978年、カラー、10分、35mm)。原爆投下当時の様子をできるだけ正確に再現しており、平和への祈りが凝縮されている1本。全て手書きで描いたアニメーション。各国映画祭で入選し、特別賞を受賞。また、2003年の高校美術の教科書(日文)に所収」とか。不勉強で、FBで短縮版?見るまで知らなかった。
http://www.takasakiweb.jp/news/article/2015/04/1001.html...
 8月6日当日朝の静謐な情景と、広島原爆資料館で展示されている被爆者みずからが描いた原爆投下後の凄惨な、階段に座っていて熱線を浴びて影だけが残された人たち一人一人の被爆者の姿がリアルに描かれている。youtube海外のサイトから。




2024年8月12日
この3代山口、秋田、広島出身の首相の元、米軍基地がある青森三沢、横田、横須賀、岩国、佐世保や自衛隊基地所在地では「避難準備」「避難訓練」は行わず、沖縄・南西諸島のみに避難は法令上の義務としてそれを強いる自公政権の、根深い矛盾と無責任さを指摘する八重山新聞社説。
 長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)などの国際研究グループが4月発表した「北東アジアにおける核使用リスクの削減(NU-NEA)」プロジェクトの最終報告書は、ケース5「台湾でうまくいっていない」では中国が台湾への武力侵攻に踏み切り、米軍が台湾を支援。中国は「核の先制不使用」の宣言を放棄して米軍基地に核ミサイルを打ち込み、米中の核の応酬に発展する−というもの。使われる核兵器は24発と試算。ほとんどが長崎原爆(TNT火薬換算で21キロトン前後)を上回る威力で、最大で約14倍の300キロトン。数カ月で260万人が犠牲になり、長期的には放射線による影響で9万6千〜83万人が死亡する、と見込んだ。在日米軍基地なども狙われ、「死の灰」などの放射性降下物は西日本側を覆い、東南アジアまで拡散することが予想されるとした。
 ちなみにこのケースでは台湾本土に核弾頭は投下されない。台湾の帰属をめぐる争いに最も大きな被害を出すのはこの日本である。仮に通常兵器使用のみに留まったとしても、最大の被害を出すのはやはり日本。
https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/.../Year_3_NU-NEA...
 カルトと裏金に塗れた政権が、首都東京や地元の有権者を大いに不安にさせるリスクを避けるために、「有事」や「避難」を自らに都合よく沖縄に限定させるという愚か極まる政治。



2024年8月10日
まさに正論。
米兵による性犯罪を自治体に報告しないことこそ、米軍基地への批判を封じるための事件の政治利用。
駐日米大使エマニュエルらが平和式典不参加の理由とした「長崎市がイスラエルを式典に呼ばないのは政治的決定」も、ICC国際刑事裁判所検察が逮捕状を請求し、ICJ国際司法裁判所がパレスチナ占領を重大な国際法違反としたネタニヤフとイスラエルの犯罪を無かったことにする、まさに政治的な言動そのもの。
平和憲法のもとで本来外交努力で解決すべき諸問題を見せかけの脅威論で国民を煽り、米軍、自衛隊基地・軍事力を拡大させて再び沖縄など南西諸島を米中対立の戦場とする安倍内閣以来のこの国の自公政権自体が、カルトや裏金を含め全ての問題を「政治利用」してきたということ。こんな政治にまともな未来は作れない。




2024年8月09日
戦時中マラリヤ強制疎開で多くの犠牲を住民に強いた国は、戦後80年近くなってもカルトと裏金に塗れた自民政権の元で、防衛省は環境保護規制と農林業、住民の意志を公然と逸脱して南西諸島をミサイル基地化する。歴史から何も学ばない者たちがまた愚行を繰り返す。政権交代あるのみ。


2024年8月07日
「式典で平和のメッセージを共に伝えることの重要性を理解している。イスラエルを招待しなければ、(同じく)招待されていないロシアやベラルーシなどの国とイスラエルを同列に置くことになる。このような事態は不幸と誤解を招く。イスラエルが除外されれば、我々も高官が参加することは難しくなる」米欧6カ国と欧州連合(EU)書簡
 「中東地域で我々が直面している切迫した状況の中で、広島は平和の象徴だ。我が国は事態の深刻化を避けるためにあらゆる努力をしているが、一部の勢力、特にイスラエルが(核の恫喝(どうかつ)やイスラム組織ハマス壊滅などの)瀬戸際外交を続ければ、全世界を後戻りできないところまで追い込みかねない。(ハマスに対して)完全な勝利を得ようとする考えは幻想だ。広島は、だれもが平和に取り組み、ここで起きた過去に向き合うことが必要だと思い起こさせる場所だ。核兵器を廃絶し、暴力を根絶するしか、人類が生き延びる道はない」広島の式典に参加したエジプトのモハメド・アブバクル大使
「平和のメッセージを送るなら、排除するのではなく、あらゆる関係者と関わるべきだ。なぜパレスチナが招待されないのか。広島市は政府ではない。パレスチナの都市は(広島市の主導で核廃絶を目指す166カ国・地域の8400を超える地方自治体の国際機構)平和首長会議にも加盟している。仲介のさなかに一方の当事者が相手方を殺害すれば、仲介は成り立たない。あらゆる問題は戦争ではなく、対話によって解決できるはずだ。戦争のない平和な世界をつくる。ピースメーカー(調停者)になるのが我々の政策だ。宗教や人種、国籍にかかわらず、民間人が殺害されることに反対する。すべての人にこの流血を止めるように呼びかけたい。(5日には献花の後、広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪問し)忘れることのできない写真を見た。外交官として我々は、二度と核兵器が使われないよう懸命に努力しなければならない」同じくカタールのジャベル・マッリ大使
「現在の地域情勢はあまりに難しく、コメントできない。ここに来て日本国民と被爆者の家族らに連帯の意を示すことは義務だ」モロッコのラシャド・ブフラル大使
「広島は抑圧された人々の側に立つのではなく、抑圧する側を招待することを選んだ」駐日パレスチナ常駐総代表部ワリード・シアム代表が取材に
 2022年3月16日、国連の国際司法裁判所(ICJ)は、ロシアのウクライナへの侵攻について、ロシアに対し即時停止を命じ、23年3月17日国際刑事裁判所(ICC)はプーチンにウクライナの子どもたちの誘拐容疑で逮捕状を発行。24年5月20日ICC検察官がネタニヤフに国際人道法違反、殺害容疑で逮捕状を請求、24年5月24日国際司法裁(ICJ)もイスラエルにラファ軍事作戦の「即時停止」を命令、7月19日にはイスラエルによる「1967年以来占領されているパレスチナ領土」における56年間の統治は「違法」と判断している。ロシアとイスラエルに、国際法上何ら違いはない。
 広島の式典にパレスチナ代表部が呼ばれなかったことは意に介さず、長崎市がイスラエルを式典に呼ばなかったことには拘泥し「我々高官」の出席を拒否する、イスラエルの戦争犯罪には寛容で高慢極まる米大使エマニュエルら英仏独伊カナダの大使たち。
 南西諸島を訪問して沖縄を米中戦争の主戦場とすることに熱心な米大使らご都合主義者たちに比べ、広島の式典に参列したエジプト、カタール大使の言葉は遥かに人間性に満ちている。 原爆投下によって数多くの子ども、女性ら一般市民が殺略されたことに無関心な者たちは、イスラエルによるガザそしてパレスチナにおけるジェノサイドにも無関心ということ。
《駐日米国大使館は7日、エマニュエル米大使が、長崎市が9日の「長崎原爆の日」に開く平和祈念式典を欠席すると発表した。同市がイスラエルを式典に招待しないことを受けた対応だという。
 米欧6カ国と欧州連合(EU)が先月、長崎市にイスラエルへの対応を巡り、懸念を示す書簡を送っていたことも明らかになった。
 英国のロングボトム駐日大使は既に不参加を表明。外交関係者によると、EUやカナダ、イタリア、オーストラリアの大使も参加しないといい、波紋が広がっている。
 書簡は7月19日付で、主要7カ国(G7)から日本を除いた米欧6カ国(米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ)とEUの大使や代表の連名となっている。
 書簡は「式典で平和のメッセージを共に伝えることの重要性を理解している」としつつも、「イスラエルを招待しなければ、(同じく)招待されていないロシアやベラルーシなどの国とイスラエルを同列に置くことになる。このような事態は不幸と誤解を招く」と強調。「イスラエルが除外されれば、我々も高官が参加することは難しくなる」と述べていた。
 パレスチナ自治区ガザ地区の戦闘を巡り、米欧諸国はイスラエルの「自衛権」を支持しており、各国の大使は式典に参加しないことで、市の対応に不満を示した形だ。
 長崎市は6月、ガザ地区の情勢を見極める必要があるとして、招待の代わりに「即時停戦を求める」などとした書簡をイスラエル大使館に送っていた。ガザ地区の戦闘は継続しており、市は7月31日、「式典で不測の事態が発生するリスクへの懸念がある」として、イスラエルを式典に招かないと発表。イスラエルのコーヘン駐日大使は同日、X(ツイッター)で「遺憾であり、長崎市がこれまで表明してきた姿勢の根本に反し、世界に誤ったメッセージを送ることになる」と投稿していた。
 エマニュエル米大使は9日、東京都内で長崎の被爆者を追悼する別のイベントに出席する予定。長崎市の式典には、在福岡米国領事館のアシーケ首席領事が出席する。
 アシーケ氏は7日、「私の式典への参列は、過去を追悼し、平和な未来を見据え、世界平和に向けた日本との協力に対する米国の献身を強調するものです」とするコメントを出した。【松倉佑輔】》



2024年8月 7日
晴れて神戸も35度予報、今年初めて須磨海岸に出る。
ビーチ沿いの店でラーメンを食べ、ナトリウム冷泉いや海水浴。今年はまだ台風の影響がなく、海水はセーヌ川よりは綺麗。2時間ほど居て三宮で食材買って帰宅。このところ時折豪雨だが、今日は晴れ続き。






2024年8月 6日
「NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい」松井一実広島市長 
「いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です」湯ア英彦広島県知事
「広島の皆さまは、何十年にもわたって、核兵器が二度と使用されぬよう、たゆまぬ活動を続けてこられました。
私たち国連は、皆さまが献身的に活動を続ける姿に感銘を受け、1945 年の惨事から学んだ教訓を、生かし続けなくてはならないと、痛感しています。
核兵器のいかなる使用も、壊滅的な人道的結末をもたらすということ。
核兵器の脅威をなくす唯一の道は、核兵器の完全な廃絶であるということ。
核兵器のいかなる使用も容認できないということ。
「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」ということ。
そして今こそ、軍縮が必要だということ。昨今、世界的な不信と分断は深まる一方です。
核戦争を起こさずに冷戦を終わらせることができたのは、単なる幸運に過ぎなかったという事実に、あまりにも多くの人が気づいていません。
私たちは、同じような「運試し」をすることはできません。ーー
私たちは 1945 年 8 月 6 日の教訓を、決して忘れません。
ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ」
国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス 代読:軍縮担当上級代表 中満泉
「七十九年前の広島と長崎にもたらされた惨禍、人々の苦しみは二度と繰り返してはなりません。被爆の実相を後代に伝えつつ、非核三原則を堅持して、「核兵器のない世界」の実現に向けて努力を着実に積み重ねていくことは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命です」岸田文雄首相
「閣僚は、米国の核政策及び核態勢並びに同盟における核及び非核の軍事的事項の間の関係性について緊密に協議する両国のコミットメントを再確認した。閣僚は、日米の抑止力及び抑止の方策に係る議論を継続する意図を改めて確認した。ーー閣僚は、抑止力を強化する上での閣僚会合の重要性を強調し、日米両国がEDDを通じて、地域の安定を促進し、紛争の発生を抑止するために拡大抑止を強化する最善の方法を探求し続けることを確認した」拡大抑止に関する日米閣僚会合(2+2)共同発表 7月28日
 8月6日平和宣言で、NPT(核兵器不拡散条約)だけではなく核兵器禁止条約の締約国となることを政府に求める広島市長。核廃絶を単なる理想ではなく、人類存続に関わる差し迫った現実の問題として今必死に取り組むべき課題とした広島県知事。広島の惨禍に真剣に向き合い、「核兵器の脅威をなくす唯一の道は、核兵器の完全な廃絶である」「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と核兵器廃絶運動の原点を語る国連事務総長。
 それに対して、広島出身を自称するこの国のカルトと裏金に塗れた政権の首相は、「非核三原則」「核兵器のない世界」を空虚に述べながら、9日前の米国との「拡大抑止に関する日米外務・防衛閣僚会議」で、「米国の核政策及び核態勢並びに同盟における核及び非核の軍事的事項の間の関係性について緊密に協議」と、広島・長崎に原爆を投下した米国の核戦力に全面的に依存する醜悪な姿勢を示すばかり。
 「非核三原則」「核兵器廃絶」を言いながら「拡大抑止」。こういう詭弁・嘘つきは政治家以前に人として恥ずかしい。もっとまともな政権が、この国にも世界にとっても必要。
《2024年8月6日行われた平和記念式典の岸田文雄首相の挨拶全文は以下の通りです。
【以下全文】
今から七十九年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。内閣総理大臣として、ここに原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。
七十九年前の広島と長崎にもたらされた惨禍、人々の苦しみは二度と繰り返してはなりません。被爆の実相を後代に伝えつつ、非核三原則を堅持して、「核兵器のない世界」の実現に向けて努力を着実に積み重ねていくことは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命です。
核軍縮を巡る国際社会の分断の深まりやロシアによる核の威嚇等により、核軍縮を巡る情勢は一層厳しさを増しています。しかし、「核兵器のない世界」への道のりがいかに厳しいものであったとしても、我々はその歩みを止める訳にはいきません。核兵器不拡散条約(NPT)の維持・強化のため、「ヒロシマ・アクション・プラン」の下での現実的かつ実践的な取組を進め、核軍縮に向けた国際社会の機運を高めるべく、国際社会を主導してまいります。
この点、現在、世界は、冷戦の最盛期以来初めて、核兵器数の減少傾向が逆転しかねない瀬戸際に立っています。これを防ぐためにも、FMCT、すなわち、核兵器用の核分裂性物質の生産禁止条約の推進は重要であり、本年、我が国は、核兵器国、非核兵器国を含むFMCTフレンズの枠組みを立ち上げました。私自身、先頭に立って主体的に関与してまいります。
昨年5月、G7広島サミットにおいて、世界中の指導者や若者が、被爆地広島及び長崎を訪問することを促しました。被爆の実相を正確に理解していただくことは、核軍縮に向けたあらゆる取組の原点として重要です。
こうした取組の一環として、昨年12月、日本政府の拠出により国連が立ち上げた「ユース非核リーダー基金」プログラムが始動しました。今年、このプログラムを通じ、核兵器国・非核兵器国の双方の未来のリーダーが、広島及び長崎を訪問します。
我が国は、被爆者の方々を始め、「核兵器のない世界」の実現を願う人々と共に、被爆者の方々の思いや被爆の実相を次世代に継承するため、引き続き、力を尽くしていく決意です。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
    令和六年八月六日 内閣総理大臣・岸田文雄》



2024年8月 6日
「今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです」
平和への誓い
目を閉じて想像してください。緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。立ち昇る黒味がかった朱色の雲。人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和6年(2024年)8月6日
こども代表 広島市立祇園小学校6年加藤晶・広島市立八幡東小学校6年石丸優斗
 今日8月6日広島平和記念式典でのこども代表「平和への誓い」から。
 毎年ながら、負うた子に教えられる。大人たちが原稿に目を落としながら読むのに対して、心の底からの言葉を前を見つめながら語る小学生たち。戦争も核兵器も世界から無くすために、私たちに何ができるか、自らに問うべき日。



2024年8月 5日
先島のミサイル部隊は全滅、武器庫の爆破は周辺市街地も壊滅させる。これが「台湾有事」を「日本有事」とすることの結果。この指摘への防衛省の答えはまったくしどろもどろ。これは7年後の今も同じ。
https://www.facebook.com/loveishigaki/videos/2742734952528929



2024年8月 2日
平湯4日目。テントをたたみ宅配にして民芸館露天。バスで飛騨高山の里山を通り高山古い町並みで下車。去年と同じ飛騨ラーメン店で昼を食べ、テラスの店でコーヒー。駅に向かうと日除けのない道は凄まじい暑さ。
1時40分発濃飛バスで、週末の夕刻やや渋滞で20分遅れて梅田着。神戸も今日35度猛暑とか。


2024年8月 1日
平湯3日目、標高1400mで昨夜は気温14度、かなり寒い。
午前中平湯民芸館の快適過ぎる露天に浸かり、合掌造りの館で一休み。洋食店も民芸館の店も休みで、バスターミナルの店で地ビールとかき揚げうどんをいただき、バスで3つ先の福地温泉まで。
去年訪ねたが、水曜定休だった石動の湯に6年ぶりに浸かる。入浴料300円、露天はお湯不足で?空だが、なんとも鄙びた風情が快適。
2時半に平湯に戻り、平湯の森に入り畳の休憩室で携帯を充電しながらまた休み。夕方硫黄泉に入り食堂で包葉味噌ライス。
キャンプ場に戻ると、小中学生?の林間教室か、楽しげで賑やか。今夕は暑くも寒くもない。



                                                                                                                                                                 
  
     





























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