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2024年12月31日
25日チェチェンのグロズヌイに向かっていたアゼルバイジャンの航空機が、ロシアのミサイルを受けてカザフスタンで墜落し38人が死亡。ロシアは70機以上のミサイルでウクライナを攻撃、市民はクリスマスを避難する地下で迎える。
 レバノンでは壁が崩落し瓦礫に囲まれた教会、ガザでは瓦礫のなか唯一のカトリック教会でミサが行われたと仏2。「あまりに多くの人が死に、どんどん辛くなる。でも平和のために祈り続ける」と信者。13歳の少女が来年への希望を語り始めると、イスラエル戦闘機が教会の上を飛び近くを爆撃。シリアでは広場のクリスマスツリーが燃やされ、キリスト教徒は信仰の権利を訴えるデモ。イスラエルのナザレのほとんどがパレスチナ出身の信徒である受胎告知教会では、外に飾り付けはなく静かにミサが行われる。信徒は「ユダヤ人、イスラム教徒の真ん中に私たちがいる」と。
 スペインTVEは、ガザではクリスマス停戦はなくこの24時間で子供を含む23人が死亡、ヨルダン川西岸では9人のパレスチナ人が死亡と伝える。その西岸でユダヤ人入植地に囲まれたクリスチャンたちはベツレヘムに行けず、洞窟の中で毎週の礼拝を行う。2000年前のキリスト教徒のようだと信徒。洪水で被災したバレンシアでは子ども達がプレゼントを受け取る。
 26日独ZDFは、寒さへの備えがないガザ地区で乳児3人が寒さのために凍死、さらにこの日5人のパレスチナ人記者がイスラエルの攻撃で死亡したと伝える。国防相カッツはガザに入り「停戦になってもガザをコントロールする。戦闘で現実は違うものになる」というが、ZDFはガザの真実とは厳しい寒さで乳幼児が死亡し、ハンユニスでは生後21日の乳児がクリスマスに死亡したことと指摘。医師は「何の問題もなく誕生した乳児が、厳しいテント生活で体温が急激に低下し、体のシステムが機能しなくなったことが原因」と。残された家族の希望は、停戦、戦いの終焉。
 スペインTVEもガザ中心部アルアウダ病院の前にあった車両へのイスラエルの攻撃で記者5人の殺害を、そのうちの一人は出産を控えた妻を病院に連れて行った後だったと伝える。ヨルダン川西岸でもイスラエル軍は二日間ブルドーザー、無人機、軍用車で難民キャンプ二ヶ所を攻撃し、インフラを破壊。
 さらにイスラエルはこの日、イエメンの首都サヌアの国際空港や発電所などを空爆し、少なくとも6人が死亡。ネタニヤフは「イランの手先を殲滅する」(アルジャジーラ)、「イランの悪の枢軸のテロ組織を断ち切るまで続ける」(BBC)、カッツは「イスラエルの手から逃れられる者はいない」と述べたと。「悪の枢軸」とは、ネタニヤフと米国、アサドとプーチンのことではないのか。
 27日、イスラエル軍のガザ北部カマルアドワン病院への攻撃・放火で、医療スタッフ5人を含む50人が死亡。WHOと赤十字国際委員会(ICRC)は28日と30日「ガザ北部にある最後の主要な病院が機能を停止した」とイスラエル軍を非難。ネタニヤフらの戦争犯罪が止まらない。
https://mainichi.jp/articles/20241228/k00/00m/030/286000c
https://www.tokyo-np.co.jp/article/376870
   
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2024年12月31日
17日アルジャジーラは、シリア暫定政権の軍事作戦管理局が旧アサド政権軍兵士、将校らに身の安全を保障する身分証を発行していると伝える。
 18日独ZDFは再び、トルコがシリア領内のクルド人が居住する地域で反クルド武装勢力を支援してクルド人を攻撃し、「安全保障回路」として高速道路を建設している問題を報道。ここには多くの油田が存在し占領すれば大きな利益となる、と。スペインTVEもシリア北部国境沿いのトルコ軍の集結とエルドアンの「国境の向こうに新たなテロリストが生まれることを認めない」との発言を伝える。トルコの行為は隣国を侵略し続けるイスラエルと同じ。
 この日米PBSは、イスラエルがガザ中部の避難所からすでに避難者で空きがない沿岸部への退避を命じ、北部では18日にかけた空爆で少なくとも20人が死亡と。一方ネタニヤフはこの日詐欺、収賄、背任などの罪で現職首相として初めて証言台に立たされる。
 記者は、シリアのダマスカス郊外のサイドナヤ刑務所よこの空き地で、アサド政権により殺されて埋められた多くの収監者の遺体の掘り起こしが行われる現場を取材。人骨と頭骸骨は人名はなく番号付きの小麦粉などの袋に入れられ、狭い溝に折り重なって埋められている。
 ダマスカス中心部では、壁に写真を貼って行方不明の夫、兄弟、息子を探す人びと。2012年に息子がパンを買いに外出して失踪し、発表されたサイドナヤ刑務所収監者リストで息子の名前があったと語る母親は「息子がいなければ何も残っていない。私ひとり」と。
 ダマスカス郊外の墓地では、10年前にアサド政権の化学兵器で殺された6人の姉妹を探す女性は「今まで遺体を探す事も話すこともできなかった。泣くことも治療を受けることもできなかった。どこに埋められたのかも分からない」と。2013年8月アサド政権はこの地域にサリンなど化学兵器を投下し、イラク戦争以来最も多くの死者を出す。生き残った母親はサリンの影響で目が見えず歩くこともできず、この女性も視力が低下し臭覚を失う。多くの遺体を埋めた男性生存者は「化学兵器で亡くなった子供、女性、男性の数えきれない遺体を見た。口や鼻、耳から泡と血が吹き出していた。体は殴られたように青くなっていた。母を病院に運ぼうとしたが、自分も倒れてしまった。あの攻撃で母と一族25人を失った」と。女性は最後に「アサド大統領には、母やこの人びとの苦しみが分かるまで死なないように願う」と。
 19日その極悪な犯罪者を匿う、同じく自らを批判する自国民を次々と拘束し殺害し続けるロシアの戦争犯罪人プーチンは、ウクライナ侵攻以来初めて西側記者も入れた会見で「アサド政権崩壊はロシアの敗北ではない」と顔を引き攣らせて虚勢を張る。
 ガザ北部では避難所などへのイスラエルの攻撃でジャバリア難民キャンプなどで少なくとも15人、全体では56人が死亡。遺体は収容する場所がなく廊下に置かれたまま。イスラエルでは人質家族が人質全員の帰還を求めるが、治安相極右ベングビールは「ガザ全てを入植地にして人質を解放する。パレスチナ人は追放せよ」と述べたとアルジャジーラ。追放すべきはこの輩。
 20日アルジャジーラは、この日ガザ各地へのイスラエルの攻撃で21人が死亡。同局が入手した映像から、イスラエルは北部への軍事作戦の78日間で、上空からの爆撃や砲撃に加え、残った建物を無人機などで爆破していると報じる。UNRWAは、ガザでは爆撃や砲撃、火災に加え医薬品不足や病気の感染拡大、ウイルス汚染によって住民が死亡していると指摘。これらはまさに、ICCがネタニヤフらを訴追したジェノサイド。
 22日独ZZDFは、ガザで避難する人々に、水、食料、毛布、暖をとる手段も不足し悲惨な状況と。
 23日スペインTVEは、この二日間でガザで48人が死亡、多くの避難者がいる南部アルマワシの難民キャンプの空爆ではテントが炎上し二人の子供を含む5人が死亡と。アルジャジーラは、この日イスラエル軍がガザ中部ヌセイラート難民キャンプを17台以上の戦車と兵士、航空機で攻撃し、死傷者50人以上。戦闘開始以来ガザで確認された死者は45317人と。
 アルジャジーラと米PBSは、イスラエル議会でネタニヤフが両手をポケットに突っ込んだまま、まるで反社勢力のように会場を睨みながら、合意の時期には言及せず「イスラエルの攻撃で圧力をかけ続けたことで、ハマスの要求が軟化した」との発言を報じる。この日イエメンのフーシ派が無人機2機でイスラエルを攻撃したことに対し、国防相カッツは「イスラエルはハマスのハニヤ、シンワル、ナスララを殺害したように、フーシ派幹部の首を刎ねる」と演説。ハニヤ殺害はこれまでイスラエルが認めてこなかったもの。首相も国防相も、まるで犯罪者集団の親玉。
 https://www.bbc.com/japanese/articles/cdx9j2l90r5o
 24日独ARDは、クリスマスイブのこの日キリスト誕生の地と言われるヨルダン川西岸のベツレヘムでガザへの連帯を示す示すために、祝賀行事中止を伝える。ピッツァバッラ総大司教は「ことしは2年連続で悲しいクリスマスとなった。ガザ地区ではすべてが破壊されたが、決して諦めてはいけない」と述べる。ガザではこの日もイスラエルの空爆による死者を埋葬。
https://www3.nhk.or.jp/.../20241225/k10014678211000.html
 米PBSの記者は2013年に多くの青年らがアサド政権軍に虐殺されたダマスカス南部タダモンを、数年前に発見された検問所で市民を拘束し穴に放り込んで射殺する映像とともに取材。肉親が処刑される不鮮明な動画を見てその場所を探し、家族は道に跪いて祈る。このアサド、ネタニヤフ、プーチンらに国際司法による厳正な処罰がなされない限り、世界はさらなる混乱と破壊、虐殺の連鎖に見舞われるだろう。他人ごとではない。
         



2024年12月31日
12日BBCは刑務所で見つかった遺体が届けられたダマスカスの病院で肉親を探す人々と検死を行う医師を報道。「もし遺体が見つかったとしても行方不明より良い。兄弟がどうなったかを知りたい」という女性、「遺体の状態は悪く、骨折したものもある。昨日ここに赴任したばかりだが、とても辛い」という医師。
 高台のアサドの豪華な宮殿と病院の外の道に貼られた、打ち砕かれ腐敗した遺体の写真で肉親を探す人々。アサド政権による国民の幽閉と行方不明、処刑の50年。
 米PBSも「人間処理場」「人間虐殺の場」サイドナヤ刑務所で肉親を探す人々を取材。3日前に刑務所が解放されてシリア北部からバスで来た、7年前に拘束された当時16歳の息子を探す女性は「息子が投獄された理由は全く聞かされていない。息子がお母さんと呼んでいる」と。刑務所で見つかった幼い子どもの存在は、女性受刑者への強姦の証。拷問部屋と絞首刑用の縄、人を押しつぶす金属製クラッシャー、受刑者を入れる糞尿の穴。独裁政権が自国民にどれだけ惨たらしい虐待を行えるか、なんとも悍ましい。記者は新政権の暫定自治省副大臣も取材しているが、秘書やスタッフに女性たちがいることは、良い兆候だろう。
 15日独ZDF、米PBS、英BBCは、アサド政権崩壊から1週間、ネタニヤフが「我々を攻撃させない」「ゴラン高原への入植を進める」として、シリア全土の軍事施設を空爆し、シリア国境の緩衝地帯に軍を投入して占領していることを伝える。BBC記者は緩衝地帯Hadar村でイスラエル軍と遭遇。イスラエル軍はシリア領内に軍の検問所を設け、ブルドーザーも投入。これらは明らかに国際法に反する。
 16日仏2は、暫定政権下で学校が再開したダマスカスの私立学校を取材。もう国旗掲揚も国歌斉唱もなく、校長は「新しい時代が始まった。これからの社会を築いていくのは皆さんの世代」、歴史教師は「もうプロパガンダは終わり。アサドという一人の人物を讃えることは無くなった。私たちの祖国を讃えよう」と語り、生徒たちの目は喜びと希望に満ちている。「新政権は私たちの解放を約束した。約束を守らないなら、人びとは蜂起する」と女子生徒。「教育の問題は、暫定政権を図る試金石のひとつ」と記者。
 この日スペインTVEはアサド政権の麻薬密造施設のひとつを取材。ダマスカス市内に10から15の工場があり、これらのアンフェタミン系覚せい剤の密輸でアサドは年間数10億ドルを得ていたと。
 米PBSは、ガザの死者が4万5000人を超え、ハンユニスでは避難場所へのイスラエルの空爆でこども6人を含む13人が死亡、ガザ保険当局によれば破壊された建物の中の死者の数は確認されていない、と。
 17日PBSはシリアで避難先からアサド政権の空爆と砲撃、化学兵器で破壊された瓦礫の町に帰還する人々を取材。「ジャスミンの花が咲く天国のような町だった。人生そのものの家が全て破壊されたが、少しでも再建したい。なぜ同じシリア人にあのような憎しみをぶつけてきたのか」とダマスカス近郊の瓦礫と化した町Jobarに帰ってきた住民。12年ぶりにやはり瓦礫と化したホムスに帰還した、樽爆弾で幼い子二人と知り合いの多くを殺された父は「残った親族は会話を禁止され通信は傍受されていた」幼い3人の子のためにホムスに残らざるを得なかった義理の妹は「外出もできず子供は爆弾に怯えて、共に泣くことしかできなかった。今は親族も戻り、バルコニーに出てこの国は自由になったと叫んでしまった」と。さらに北部の町では、爆撃で頭部を負傷しトルコに避難していた7歳の子の家族が避難テントに帰還。アレッポの自宅は破壊されたが、アレッポの病院でこれから10回の手術が受けられる、少なくとも家族一緒に未来を築くことができるようになったと。この人々の生活の再建とシリアの復興のためには、国際的な支援とロシアに逃亡したアサドの自国民に対する犯罪への処罰と資産の没収が何より必要だろう。
      
   


2024年12月24日
目から鱗の言葉ばかり。未来を築くのはこういう人たち



2024年12月24日
日記代わりに。
 7日ハーバーランドを歩いた翌日、コロナかインフルか分からないが軽い発熱と喉の痛み。熱は2~3日で下がったが喉は喉頭炎なのか痛みはないが人生で初めて声が出ない状態がしばらく続き、北の国徘徊も延期。
 ほぼ快癒した18日谷上から北鈴蘭を経てすずらんの湯。露天が快適。帰路地下鉄三宮駅を出ると傷害事件があったとかで規制線が張られていた。19日アシスト車で降り、お昼用にPiza Trackでプロシュート購入。こちらも、冷めても美味しい。
 土曜は3週ぶりにil ventoでマリナーラをいただき、春日の道から渚の湯に浸かって帰宅。日曜は西宮北口に出て、ゆいたばのテラスでそーきそば。12月としては寒いが逆に美味。ガーデンズで地場野菜など買って帰宅。
 今日は今年最後か有馬に出て堂加亭の室内でポルトガルビールとサラダランチ。不思議と体の芯から温まり、店長さん自作のランプが心地よい。有馬御苑で年の瀬の金泉、銀泉を堪能。
 帰宅すると、このところ洗面所の蛇口がパッキンの劣化なのか水漏れで、熱帯林で購入した割と廉価で堅牢そうな蛇口が届く。1時間ほど試行錯誤しながらDIYでどうにか取り付け完了。さてどうなるものか。



2024年12月22日
まさに正論。
 「そもそも、順序が全く逆です。何万もの人が住む離島に、有事には確実に標的になる軍艦攻撃用ミサイルの基地をまず造っておいて、さらに「台湾有事」を煽って敵基地攻撃用の長射程ミサイルまで配備しようとしながら、市役所の隣の防災公園にせいぜい500〜2000人しか入れない、しかも医療設備もないシェルターを造ってお茶を濁すなんて...到底まじめな「国防」政策ではなく、無責任極まりない、住民見殺しの計画と言うべきです。もちろん、そんなゴマカシシェルターの計画には反対です。「台湾有事」論は、実は米中覇権戦争準備の口実です。政府は、アメリカの戦争のために先島を最前線の軍事要塞にするのは直ちにやめて、戦争を回避する平和外交にこそ全力を上げるべきです」




2024年12月16日
「何十万という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」
1945年 敗戦。政府は在外日本人(約300万人)の現地土着方針決定。ソ連によるシベリア抑留開始(~56年 日本軍兵士・民間人57~63万人)
1953年 軍人恩給復活(2017年に支給累計60兆円)
1957年 原爆医療法施行。被爆者健康手帳配布開始。
1963年 被爆者賠償と核兵器禁止を求めた原爆裁判最高裁判決。
「米軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ、不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法に違反する」
「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのだから、十分な救済策を執るべきである。戦後十数年を経て、高度成長をとげたわが国においてこれが不可能であるとは考えられない。本件訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かざるを得ない」
1968年 在外財産補償請求訴訟(1968~)で最高裁「戦争被害受任論」
1987年 名古屋大空襲訴訟(1976~)で最高裁「戦争被害受任論」踏襲
1994年 被爆者援護法成立。国家賠償は規定無し。
2013年 東京大空襲訴訟(2007~)、シベリア抑留補償訴訟(2007~)、最高裁で敗訴確定
2014年 大阪大空襲訴訟、最高裁で敗訴確定
2018年 沖縄戦国賠訴訟(2012~)、最高裁で敗訴確定
2024年 長崎「被爆2世」援護訴訟2審 1審に続き訴え退ける
10日オスロの平和賞授与式で田中熙巳さんが繰り返した、日本政府は原爆被爆者への国家補償を全くしてこなかったという戦後79年に及ぶ現実。
 敗戦後南京大虐殺や731部隊による細菌戦、日本軍慰安婦などの戦争犯罪に向き合うこともせず、満州・中国などの在留邦人を現地に放り出し、シベリア抑留者への補償も拒み(慰労金10万円)、沖縄戦、東京など各都市への空襲被害者にも何の保障もしない、この国の政府。
 この日本政府の姿勢が、原爆投下を真摯に反省せず、膨大な核兵器や通常戦力を保持し続ける米国と、その支援を受けてガザやレバノンの民間人を殺傷し、住宅地を度重なる空爆で人が住めなくなるほど壊滅させるイスラエル、核の恫喝と共にウクライナの民間人、民間施設や電力網を破壊し続けるロシアの現状に通じる。
 ロシアとイスラエルそして米国には、ウクライナとガザ、レバノンで破壊された街を再建する責任と、殺傷した民間人に補償する責任がある。日本政府もまた同じ。
《ノルウェー・オスロで10日にあったノーベル平和賞の授賞式で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を代表してスピーチした田中熙巳(てるみ)さん(92)は、日本政府が原爆の犠牲者に国家補償をしていないことに繰り返し言及した。あえて強調したのはどんな思いからなのか、どう受け止められたのか。
 「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」
 田中さんは授賞式のスピーチに、予定していた原稿にはなかった発言を盛り込んだ。現地時間11日午前に開かれた会見で、「ふと衝動的に決めた」と明かした。日本被団協は長年、核兵器廃絶と国家補償を求めて運動してきた。「戦争犠牲者に対する国家補償は日本だけでなく国際的な問題でもある」として、世界全体で関心を持ってほしいという願いから繰り返したという。
 ただ、「私どもが要求している国家補償の実現が、受賞によって急激に良くなっていくとは想定できていない」とも述べた。「戦闘の犠牲すべてを国家がきちんと補償するには、原爆の被害だけでなく他の戦争被害にも向き合わなければならない」。実現への道のりは困難だが、「必ず実現しなければならない決意だ」と力を込めた。
 スピーチはどう受け止められたのか。
 ノルウェーで若者系の政党の代表を務めるホーバード・マグレッセンさん(22)は「戦争犠牲者に対する補償の問題は、ノルウェーでも長い歴史がある」としたうえで、「世界が見るスピーチで国家補償に触れるのは、大変重要で良いシグナル。よりよい平和にもつながります」と話した。
 学生新聞の記者で、ノーベル平和賞を取材しているヘッダ・ニルセンさん(15)も、「重要な場で政府に意見を言い、人権の重要性に言及したのはとても重要で、勇気がある」と評価した。
前例にさせない
 スピーチ後、ネット上では「米国に請求しろ」「平和より金か」といった批判も出た。
 日本は戦後、対外的には米国などへの賠償請求権を放棄している。国内では、戦争被害者に対する補償は軍人・軍属などに限ってきた。恩給制度や戦傷病者戦没者遺族等援護法などにより、これまでに旧軍人や遺族らに支給された総額は60兆円を超える一方、被爆者や空襲被害者といった民間人は原則として対象から外されてきた。
 立ちはだかってきたのが「戦争被害受忍論」。国の非常事態下で起きた身体や財産の被害は、国民が等しく我慢しなければならない、という論理だ。
 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は1956年の結成以来、「核廃絶」と並ぶ活動の柱として「国家補償」を位置づけてきた。年2回の健康診断などが行われる「原爆医療法」、健康管理手当などを支給する「原爆特別措置法」など、扉を少しずつ押し開けてきた。
 ただ、政府はあくまで「補償」ではなく「社会福祉」との立場を変えていない。同じ敗戦国のドイツが軍民の区別なく補償しているのとは対照的と言える。
 日本被団協が国家補償にこだわるのは、原爆被害の責任を誰も取らないなら「核兵器を使っても償わなくて良いという前例になりかねない」と考えているからでもある。
 国際政治学者の三牧聖子・同志社大大学院准教授は「国家に戦争の責任をきちんととらせることは、未来に同様のことを起こさせないための重要な防波堤になる。被団協は、この点でも重大な問題を提起してきた」と指摘する。》



2024年12月15日
11月30日ガザ南部ハンユニスにおけるイスラエル軍の攻撃で、今年4月の7人に続き、国際NGO「ワールド・セントラル・キッチン(WCK)」の現地職員3人など5人が死亡。子どもを支援する国際団体「セーブ・ザ・チルドレン」の職員一人も死亡。食糧不足で支援の必要性がかつてないほど高まるが、世界食糧計画はガザ中部で全てのパン屋が閉鎖し女性と子ども二人が圧死する事態と警告と、オーストラリアABC。
https://jp.reuters.com/.../2J2WXXJYC5IZNMTA6HPEERW4ZI.../
https://www.huffingtonpost.jp/.../story_jp...
 1日仏2はレバノン南部国境から8キロの電気も水もない村に帰ってきた住民を取材。74歳の高齢女性は、壁が壊された自宅で「夜中にイスラエル軍機が飛び、耳が遠いのに聞こえる」、娘と家に戻った女性は「悲しくて怒りを覚える。命があるだけましかもしれないが」と。
 4日スペインTVEはイスラエルが破壊したレバノン南部ナバティエの創建70年のカトリック系ノートルダム学校を取材。学長は「子どもの学びの場。なぜイスラエルはこのように破壊するのか」と。アルジャジーラはイスラエル軍の調査で、ガザ南部ハンユニスのトンネルへのイスラエルの2月の攻撃が、人質6人の死亡に影響した可能性を認めたと伝える。死亡した人質の妻はテレビインタビューで「軍事的圧力は人質の解放につながらない」と述べる。ネタニヤフは、自らの延命とガザなどの占領のためにだけ、戦争を続けているということ。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c1ln7jgz332o
 5日アムネスティ・インターナショナルはイスラエルのガザへの攻撃をジェノサイド・集団虐殺と批判とドイツZDFとスペインTVE。ZDFは4月イスラエルが空爆し10人の子供を含む15人の民間人が死亡したマガジ難民キャンプを取材。道で遊んでいて自転車に乗っていた子は空に飛ばされ自身は怪我をし病院に運ばれた子。アムネスティーは計334人が死亡した15回のイスラエルの攻撃を調査し、イスラエルはガザでジェノサイドを行なっていると結論。
「アムネスティは、一連の発言の中から攻撃を指揮する高官の22の発言を調べたが、いずれもジェノサイドを呼びかけ、あるいはジェノサイドを正当化しているようで、ジェノサイドの意図を示す直接的な証拠になった。これらの発言はしばしば繰り返され、現地のイスラエル兵士たちにも使用されていた。アムネスティが確認した音声や映像資料には、兵士たちがガザを「消し去る」とか「住めなくする」と呼びかけ、パレスチナ人の家屋やモスク、学校、大学の破壊を喜ぶ様子を撮った映像もあった」
「アムネスティは、昨年10月7日から今年4月20日にかけてあった15回の空爆を検証し、パレスチナ人に対する殺害や、肉体的・精神的に重大な危害を加えるというジェノサイド行為を確認した。これらの空爆で子ども141人を含む少なくとも334人の市民が亡くなり、数百人が負傷した。また、確認したいずれの空爆も、その標的が軍事施設だったことを示す根拠を確認することはできなかった」
https://www.amnesty.or.jp/news/2024/1205_10533.html
 TVEの取材にアムネスティー調査部長は「イスラエルはジェノサイド条約で禁じられている行為をガザで行い、今も行い続けている。武器供与をしている米国も同じ」と。5日イスラエルの攻撃でガザでは36人が死亡とアルジャジーラ。
 米PBSもアムネスティーが報告書でイスラエルによるジェノサイドを指摘し、アメリカに武器供与を止めるよう求めていると報道。記者がガザ地区でスープキッチンのボランティアを続けるアフマド氏を取材していたが、11月30日のドローン攻撃で妻と7人の子供を残して死亡したと。米国でUNRWA委員会に属する兄は、「人々のために炊き出しを行なっていた弟の業績を称えて停戦を喜ぶ代わりに、その死を悼むことになった」と。
 8日シリア反政府勢力がダマスカスを占領、アサドは逃亡し50年に及ぶ支配は終わる。10日アルジャジーラはアサド政権崩壊と共にイスラエルが国境を超えてゴラン高原に隣接する1974年に設置された緩衝地帯に侵入、ダマスカスなどのシリア軍基地への空爆を続けていると伝える。 イスラエルの1981年ゴラン高原併合宣言を唯一認めたのは2019年のトランプ政権。これを「悪の枢軸」というのではないか。
 ダマスカス近郊のセドナヤ刑務所、遺体安置所には、アサド政権下で拘束され行方が分からなくなった多数の人の親族が肉親を探しに訪れるが、見出すのは焼け焦げた見分けのつかない遺体と拷問の跡ばかり。政権は軍基地などでアンフェタミン系覚せい剤・不法麻薬を大量密造し巨大な利益を得ていたとも。街頭では行方不明の肉親の写真をかざす人々。
https://jp.reuters.com/.../HKRMZNHH5NOYNCMTDZXTTMWFHY.../
https://jp.reuters.com/.../CXI5NEZLWNJDHKX6I4DKMQBISA.../ 
 12日ドイツZDFは、シリア北部のクルド人地域で武装イスラム勢力がトルコの支援を受けてクルド人を攻撃し、10万人以上の人々が避難している状況を取材。国を持たない最大の民族であるクルド人を敵視し、トルコ大統領エルドアンは25日、シリアのクルド人武装勢力は武器を捨てるか「葬られる」かのどちらかだと述べたとロイター。この姿勢はパレスチナ人を敵視するネタニヤフらと同じ。
https://jp.reuters.com/.../E4Z5AVHYRFPKLIHC3LJD6M34BQ.../
 スペインTVEも12日記者がセドナヤ刑務所を取材し、悲惨極まる状況を伝える。またガザではこの日もイスラエルの攻撃が続き55人が死亡し、その多くが子ども。確認された死者は4万5000人に近づいたと。
   
     





2024年12月11日
「抵抗できなかったという認識はなく、同意があったと思っていた」10日元大阪地検検事正・北川健太郎被告(65)の弁護人
「主張を知って絶句し、泣き崩れ、『被害申告なんてしなければよかった』とまで思った。一人で抱えて我慢すれば、こんなに苦しい思いをさせられることも、家族を苦しめることもなく、検事としてのキャリアを失わずにすんだ。組織のトップから受けた性犯罪被害を訴えることがこれほど恐ろしく、ひどく傷つけられ続けるとは思いもしなかった。被害を受けるまでの経緯や当時の状況を知る人たちの証言などから、抵抗できない状態だったことが十分に認められると思っている。裁判が長期化することは間違いなく、負担が続くことが本当に悲しい。元検事正がなぜ事件を起こしたのかを問いただしたい。傍聴人がいる前で被害を話さなければいけないのは過酷なもの。でも検事です。真相を明らかにすることで、適正な処罰をしてもらいたい」11日被害女性検事記者会見
「性犯罪被害に遭って被害申告に至るケースはごくわずか。被害者は全力で守らなければならない。声を上げた被害者を絶対に後悔させてはいけない。女性検事に対する被害者保護はあまりにおろそか。問題点を自省し、女性検事を全力で守っていただきたい」
「これまでの対応はおよそ被害者に寄り添っているとはいえない。(検察の理念である)『被害者とともに泣く検察』はどこに行ったのか。それとも、そんなものはもとからなかったのか」会見で読み上げられた二人の現職検事のコメント
 相手を深く傷つけ、家庭や仕事にも重大な苦しみを強いる検察トップの部下への非道な性暴力が、「同意があると思った」で免責されるなら、被害者はさらに傷つけられて苦しむだけで、検察の機能は瓦解しこの社会で性犯罪やその他の犯罪が野放しにされるということ。
 この元検事正には検察官としての資質は全くない。退職ではなく懲戒免職とし、永い刑期で罪を償わせることだけが、「適正な処罰」。
《部下の女性に性的暴行を加えた罪に問われている元大阪地検検事正の北川健太郎被告(65)が、起訴内容について一転して無罪を主張することが弁護人への取材で明らかになった。10月に大阪地裁であった初公判で「争うことはしません」と述べ、女性に謝罪していた。
 「私をどこまで愚弄(ぐろう)するのか」。北川被告が無罪主張に転じたことを受け、被害女性がコメントを発表した。
 女性は「検察のトップにいた人が被害者の苦しみを想像せず、真に罪を償おうと思うことがなかった」と指摘。「被害者として悲しく、検事としても情けない」と述べた。
 初公判で反省し、謝罪すると述べた被告。女性は「保釈を得るための芝居だったのか」と投げかけ、「自己保身故に否認に転じた」と推し量った。最後に「真実は一つ。司法の正義を信じます」と締めくくった。【木島諒子】》




2024年12月11日
・生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮(さつりく)兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動です。
・この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされているなかで、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗(しつよう)な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りないくやしさと憤りを覚えます。
・私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下にかけおりました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが一枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。
・長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた二人の伯母の家族の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回(うかい)し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。ふもとに下りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。
・一人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体とともに黒焦げの姿で転がっていました。もう一人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で野原で荼毘(だび)にふしました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。
・その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。ーーその年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被曝(ひばく)し生存していた人は40万人あまりと推定されます。生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年余を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。
・この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。
・運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するという簡単なものでありました。厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償はかたくなに拒まれたままでした。
・1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
・1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います。
・2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122カ国の賛同をえて「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。
・さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。
・原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。
・世界中のみなさん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
 人類が核兵器で自滅することのないように!!
 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!
  10日日本原水爆被害者団体協議会代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)
「(核を含む米国の戦力で日本への攻撃を思いとどまらせる)拡大抑止を否定するという考え方を私は持っていない。(締約国会議へのオブザーバー参加について)いかなる役割を果たすことができるかを考えないで、参加するもしないもない」石破10日衆院予算委員会
 10日オスローでのノーベル平和賞授賞式の田中熙巳さんの素晴らしい演説。
 子供、女性、高齢者など一般市民を区別なく大規模に殺戮する核兵器の非人道性を、79年前身をもって体験した壮絶な経験と、投下した米国による隠蔽、日本政府による被爆者放り出しと重篤な後遺症と偏見、差別の中で生き抜いた広島・長崎市民らの、政府による国家補償と核兵器廃絶を求める粘り強い活動の経緯が、核使用を弄ぶロシア、イスラエルと、核抑止に依存を強める日米などの危機的な現状と共に語られている。
 核のボタンを握るのが、理性的で高潔な人格を有し、自国民と世界市民の生命、人権を尊重するものたちである保証は何処にもなく、むしろ現状は真逆。愚かしい判断で一旦核戦争が始まれば人類は未曾有の、取り返しのつかない巨大な惨害・破壊に見舞われる。その後反省しても遅いのだ。
 被爆国である日本は率先して核兵器禁止条約を批准、加盟し、核兵器保有国に核廃絶の具体的プロセスを作るよう呼びかけるべき立場にある。核兵器廃絶も、被団協平和賞受賞も他人事で、その受賞の日に「拡大抑止」にこだわり条約はおろかオブザーバー参加すら反故にする、自民選出の愚か極まる石破首相に、この国を委ねることはできない。
《国王・王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会のみなさん、ご列席のみなさん、核兵器廃絶をめざしてたたかう世界の友人のみなさん、ただいまご紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人の田中熙巳でございます。本日は受賞者「日本被団協」を代表してあいさつをする機会を頂きありがとうございます。
 私たちは1956年8月に「原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮(さつりく)兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動です。
 この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされているなかで、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗(しつよう)な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りないくやしさと憤りを覚えます。
 私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。
 1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下にかけおりました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが一枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。
 長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた二人の伯母の家族の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回(うかい)し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。
 ふもとに下りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。
 一人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体とともに黒焦げの姿で転がっていました。
 もう一人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で野原で荼毘(だび)にふしました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。
 その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。
 長崎原爆は上空600メートルで爆発。放出したエネルギーの50%は衝撃波として家屋を押しつぶし、35%は熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋のいたるところで発火しました。多くの人が家屋に押しつぶされ焼き殺されました。残りの15%は中性子線やガンマ線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因を作りました。
 その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被曝(ひばく)し生存していた人は40万人あまりと推定されます。
 生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年余を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。
 1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被曝する事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被曝して急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。
 結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。
 運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するという簡単なものでありました。厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。
 1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償はかたくなに拒まれたままでした。
 1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
 1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。
 もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います。
 これらの法律は、長い間、国籍に関わらず海外在住の原爆被害者に対し、適応されていませんでした。日本で被爆して母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました。それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は裁判で、あるときは共同行動などを通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになりました。
 私たちは、核兵器のすみやかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。
 1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが日本で開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。このころ、ヨーロッパに核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開催され、これら集会での証言の依頼などもつづきました。
 1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。
 核兵器不拡散条約の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、あわせて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。
 2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受けとめられ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展しました。
 2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122カ国の賛同をえて「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。
 さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。
 想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。
 原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しています。
 一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきた「NPO法人・ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。
 世界中のみなさん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
 人類が核兵器で自滅することのないように!!
 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!》



2024年12月10日
「企業も表現の自由は有している。献金を禁じることは、少なくとも憲法21条には抵触すると考える」石破茂首相10日衆院予算委員会
「本来あるべき国家の姿、本来あるべき社会正義、それがゆがめられるということがあってはならないのであって、私たちが常に申し上げておるのは禁止よりも公開だ」10日衆議院政治改革特別委員会
「個人献金も企業・団体献金も違いはございません」2日衆院本会議
「ストレートにお返しをすると、我々の案でこの企業・団体献金の禁止、これを触れていないのは、我々はそもそも禁止すべきだと思っていないからです。大切なのは全面禁止ではなく公開だ。政党助成金だけに依存をしない政党運営をする」小泉進次郎 衆院議員4日政治改革与野党協議
・OECD38カ国中、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、ベルギー、スペイン、韓国など20カ国は企業献金禁止。
 馬鹿に付ける薬はない。カルトと裏金に塗れ、首相らの数々の不正行為で少数与党に転落した自民党が、最後に縋るのは年間24億円に達する企業・団体献金。
 国民は主権者として政治活動の自由、表現の自由を有するが、企業は営利目的の組織でしかなく、政治的な主権は有しない。企業の表現の自由とは、広告やイベント開催などの自由であり、企業の政党への献金は、政策への介入、国家や地方自治体からの利益誘導、特定の政治家との癒着という民主主義とは相容れない本質を有し、その原資はその企業で働く労働者への賃金や投資を削減して生み出されたものでしかない。
 岸田、石破らは1970年の旧八幡製鉄株主代表訴訟最高裁大法廷の「会社は、自然人である国民と同じように、国家や政党の特定の政策を支持、推進または反対するなどの政治的行為をなす自由を有する」を標榜するが、これは安保条約に対する統治行為論と同じく、半世紀前のこの国の最高裁の腐った恥ずべき錯誤の判断でしかない。
 企業の資金は働き手への報酬と投資にこそ向けられるべきで、特定の政党との癒着のために浪費されてはならない。このような基本的な知見も有しない愚者らがこの国の少数とはいえ政権与党を占めているという愚劣。とっとと政権から放り出すべし。
《石破茂首相は10日の衆院予算委員会で、野党が要求する企業・団体献金の禁止に関し「企業も表現の自由は有している。献金を禁じることは、少なくとも憲法21条には抵触すると考える」との見解を明らかにした。派閥裏金事件に関係した議員の政治倫理審査会出席を巡り、来年夏の参院選の自民党公認判断では、説明姿勢も基準にすると説明した。
 企業・団体献金に関しては、禁止に反対するのは参政権侵害に当たると考えるからかと立憲民主党の米山隆一氏に問われ「参政権ではなく表現の自由だ」と答えた。
 裏金議員の政倫審出席を自民党総裁として促すよう求められ「自発的である以上、促すことができる立場ではない。最終的に判断するのは個人だ」と答弁。「正直に言って出るべきだと思う」とも語った。政倫審は規程で、開催には本人の申し出か、委員3分の1以上の申し立てと過半数の賛成が必要と定めており、これを前提に発言した。
 裏金議員の来年夏の参院選公認に関しては「国民に対する説明責任を果たしているかどうかが大切な基準となるのは当然だ」と強調した。》



2024年12月 8日
日記がわりに。
 京都から帰ると灘も紅葉が進み、30日il ventoでマルゲリータをいただき、乙女塚の湯まで。六甲道で食材買って帰宅。翌日曜3週ぶりに西宮北口。甲山は紅葉が目立たない。Shiosaiでボロネーゼをいただき、阪急今津線を超えて60年前まで通っていた小学校周辺を訪ねる。阪神淡路で木造家屋は全焼し、今あるのはその後建てられた住居。高木小は建物のみかけも校舎の配置も変わらない。ガーデンズで地場野菜など買って帰宅。
 5日は一月ぶりに北区すずらんの湯に行こうとするが、これまで2~3回行ったら休業だったことから、HPを見ると何とこの日は点検で休み。クアハウスも休業中で、Googleマップで探すと北野からバスで行ける湊山温泉というのがあった。三宮行きバスで北野Montdorを訪ねミックスピザ。トアロードに出ると、休館だった旧小学校跡地がNOSTAとかいう店に変わっていた。7系統バスに初めて乗り、再度筋を経て平野で下車。この辺りは平清盛ゆかりの地というが来たのは初めてで、徒歩数分の湊山温泉に入る。露天はないが、地元の人で賑わう。
 昨日も快晴、六甲全山紅葉が見えるなかハーバーランドに出てベンチで小ぶり・廉価な焼肉弁当を食べると、寒さはないが風が猛烈、サラダは皿ごと途中で落下した。少ない樹木が色づくドック沿いを歩き、阪急地下で久しぶりにカワハギ見つけて帰宅。今日も晴れたが、一日巣篭もり。

 


2024年12月 4日
「ICCは、強制措置や脅迫、圧力、そして妨害行為によって、その正当性や司法を執行し国際法や基本的権利の実現する能力を、弱体化させようとする攻撃に晒されてきた。法の枠組みと国際法に従って、司法上の任務を忠実かつ熱心に遂行したというだけの理由で、選出された複数の職員が深刻な脅迫を受け、国連安保理常任理事国の一員から逮捕状を発行されている。別の国連安保理常任理事国からは、ICCがあたかもテロ組織であるかのように、厳しい経済制裁の脅迫を受けている。これらの措置は、あらゆる状況や事案におけるICCの活動を急速に損なわせ、その存在自体を危うくするだろう」2日・国際刑事裁判所(ICC)赤根智子所長
・2023年3月17日、ICCはロシアが占領したウクライナの地域から子どもたちをロシアへと不法に移送しているとして、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑で、ロシアのプーチン大統領らに逮捕状を発行。
・2024年11月21日、ICCはイスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相らに対し、戦争犯罪と人道に対する罪の容疑で逮捕状を発行。
・ICCは、独立した、常設の裁判所で、国際社会全体の関心事であるもっとも重大な犯罪、すなわち集団殺害犯罪、人道に対する罪、戦争犯罪に問われる個人を訴追する。安全保障理事会は、ICCの締約国でない国に関することも含め、事態をICCに付託することができる。
 ICCは、各国の国内刑事司法制度を補完するものであり、関係国に被疑者の捜査・訴追を真に行う能力や意思がない場合にのみ、ICCの管轄権が認められる。
管轄権行使の前提条件
(1)犯罪の実行地国が締約国である場合
(2)犯罪の被疑者が締約国の国籍を有する場合
(3)犯罪の実行地国又は被疑者の国籍国が非締約国であって、当該非締約国が裁判所の管轄権を受諾した場合
・2015年4月1日、パレスチナは、アメリカ、イスラエル、カナダなどからの激しい反対にあいながらも国際刑事裁判所(ICC)への加盟通知を受け、123番目の加盟国となる。
 アメリカ政府はパレスチナが国家ではないことを挙げて、ICCの加盟資格がないと主張、またICCがイスラエル政府当局者を捜査することにも反対してきた。
・2024年8月21日、ウクライナ議会は国際刑事裁判所(ICC)の設立条約であるローマ規程を批准する法案を賛成多数で可決した。ウクライナは正式にICCの加盟国となる。
 2002年の国際刑事裁判所ICC設立以来、自国が行う戦争犯罪に対する裁定を遺棄するために、その加盟はおろか尊重さえ拒否してきた、第二次大戦後に延々と戦争に明け暮れた軍事(核)大国ロシア、アメリカそしてイスラエルが、ロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるガザにおける集団殺戮・ジェノサイドという戦争犯罪の責任から逃れるために、恥も外聞も捨ててICCを批判、脅迫している世界の現状。
 ロシアとイスラエルに、プーチンやネタニヤフの犯罪の捜査や訴追を行う意思がまったくないことは、明らか。ロシア、イスラエルがICC締約国でないことは、プーチンやネタニヤフがウクライナ、パレスチナで行っている犯罪を免責しない。
 ICC加盟国であるウクライナ、パレスチナにおける甚大な市民殺戮という犯罪が、最大の軍事力と核兵器を保持し続ける国家によって何ら裁かれず封印されるなら、人類に真っ当などころか何の未来もない。国際司法、国際秩序は、強者による強権支配と崩壊という結末になるだけ。優れたICC所長を出している日本の石破政権は、ダンマリのままなのか。
《オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長は2日、ICCは国連安全保障理事会の常任理事国から経済制裁の可能性を警告されるなど圧力にさらされており、「存続が脅かされている」と危機感を示した。ICC加盟国の年次会議で演説した。
ICCは存続の危機に、大国から圧力と赤根所長
 12月2日、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長は、ICCは国連安全保障理事会の常任理事国から経済制裁の可能性を警告されるなど圧力にさらされており、「存続が脅かされている」と危機感を示した。写真はICC。オランダのハーグで2019年1月撮影(2024 ロイター/Piroschka van de Wouw)
ICCはウクライナからの子ども連れ去りに関与した疑いでロシアのプーチン大統領に逮捕状を出したほか、カーン主任検察官がガザでの紛争を巡りイスラエルのネタニヤフ首相らの逮捕状を請求。こうした動きに反発したロシアがカーン氏の逮捕状を出し、米議会下院も6月にICCに制裁を科す法案を可決した。
赤根氏は「ICCは、その正当性や法執行能力、国際法や基本的権利を実現する能力を損なおうとする攻撃を受けてきた。威圧的な政策、脅迫、圧力、さらには破壊的な工作が行われている」と指摘。ロシアや米国といった具体的な国名は挙げずに「安全保障理事会の別の常任理事国の機関から、まるでテロ組織であるかのように厳しい経済制裁をちらつかされている。こうした措置によってICCは全ての事案や案件における運営が急速に弱体化し、存続自体が脅かされている」と訴えた。》


2024 年12月 1日
11月20日ネタニヤフらにICCが戦争犯罪の逮捕状を発行する前日、日本も含む10カ国が提案した国連安保理のガザでの即時停戦案を他の国が全て賛成するなか米国は5回目の拒否権で否決。米国は、まさに戦争犯罪人を支援する犯罪国家。
 21日米PBSは、米軍オスプレーが82年から11件の墜落事故で66名が死亡、うち4件はここ2年でカリフォルニア、日本、オーストラリア、ノルウェーの事故で20人が死亡と。事故はクラッチとシャフト、ギアボックスの欠陥によるものとして訴訟を起した19歳の息子を失った両親は「息子と共に亡くなった人たちに私たちができることは、原因と責任の追求だけ。10年以上前に解決されるべきだった」と。自衛隊も導入している重大な欠陥機。
 25日アルジャジーラはイスラエル・ハーレツ紙の報道として、同国がガザ北部の住民を一掃する「将軍たちの計画」を否定しているにもかかわらず、ガザ北部市民の退避を要求し、地上作戦と空爆で市街を破壊して住民が住めなくしていると伝える。24日には空爆で35人が死亡、94人が負傷。救急隊、民間防衛隊が入ることもできず、犠牲者は道路などに放置されたままと。
 26日イスラエルはレバノンとの停戦合意の決定前に、ベイルートを激しく空爆し、少なくとも10人が死亡。自宅にいて突然の空爆で窓ガラスが割れ、壁が落ちてきたと語る女性。イスラエルでは「素晴らしい。戦争は終わらせるべき」「ヒズボラは信用できない。しかし今のイスラエル政府も信用できない」と語る市民ら。ネタニヤフは「イスラエルはいつでも軍事作戦を再開できるという確約をアメリカから得ている」と。国連、国際人道法は全く眼中にない犯罪者。BBCは同日昼の戦闘開始以来最も激しい空爆に続き夜間もイスラエルの空爆が続くベイルートを取材。翌日BBC記者はベイルート南方のユネスコ世界遺産の町タイヤを、仏2はレバノン南部ナバティエ地区を取材。どちらも建物は破壊され、「まるで見知らぬ町のよう」と語る住民ら。市民の不安は続き、復興の困難さが待ち受ける。
 仏2はさらに、ガザでイスラエル軍がトンネルや建物に侵入する際、国際法と国内法にも反してパレスチナ人を先に行かせる「斥候」としていることを取材。イスラエルのガザでの戦争犯罪を2000年代から調査し続けるイスラエルのNPO"Breaking the Silence"のWeiman氏は、イスラエル軍はパレスチナ人を「人間の盾」としている。日常的に行われていると指摘。「自分の軍がそのようなことをしているのは辛い」と語る元イスラエル兵士。まさに戦争犯罪国家。
https://www.breakingthesilence.org.il/
https://ameblo.jp/t-kazuo/entry-10378834841.html 
 スペインTVEはイスラエルの停戦合意に賛成は市民の3分の1、閣僚の20%に過ぎず、逆に野党と人質家族はガザでの停戦と人質解放を強く求めていると伝える。
 28日スペインTVEは、ガザに停戦はなくイスラエルはこの日もガザを空爆し、中部避難キャンプにいた50人が殺害されたと報じる。WHOはガザのキャンプへの避難者の9割に十分な食べ物が無く、テントでは寒さにより生き延びるのが困難と指摘。国境なき医師団は、飲料水もなくトイレも不足し皮膚と呼吸器系の感染症が増えている。食糧不足は子供と妊婦にも及び、「今未熟児と産後の合併症が増えている」と現地の医師。「いつか自宅に戻れるよう、翌朝停戦になっていることを願いながら眠りにつく」とハンユニスから避難した4人の子供を持つ女性。
 感謝祭のこの日、ロシアは200発近いミサイルと無人機でウクライナのエネルギー関連施設を攻撃し、100万世帯が停電。冬が近づく中、民間人を苦しめるためと米ABC。アルジャジーラは、国連UNRWAとユニセフが、ガザ北部に残る住民およそ7万人の生存率は低下し、支援物資搬入それぞれ82件、41件をイスラエルが妨げ、栄養失調が北部の子どもの31%と、子どもたちにかつてない勢いで広がっていると発表したと伝える。
 29日イスラエルはガザ北部デイトラヒヤを攻撃し70人が死亡、犠牲者の大半は女性とこどもとアルジャジーラ。救急隊、救助隊はイスラエルが阻み、瓦礫の中の遺体と負傷者の収容と埋葬は市民が行なっている。入ることができない民間防衛隊スタッフは「瓦礫の下で水も治療もなく亡くなる人も多い。北部で軍事作戦開始後に2700人が死亡。1万人以上が怪我をしている」と。まさにイスラエルのジェノサイド。


                                                                                                                                                                 
  
     





























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